2023年3月2日木曜日

イベントと広告屋

 いつ頃から日本語として定着したか忘れたが「イベント」は最早誰もが分かる言葉となった。現役時代に遭遇した大型イベントは1970年の大阪万博が最初だったかもしれぬ。大阪万博から更に遡れば、1964年に東京オリンピックがあったが、当時は未だイベントとは言わなかったと思う。小学1年生の時、長野でも博覧会が開催されて善光寺脇の公園にサーカスや見世物のテントが並んでいたことはかすかに記憶がある。要するに「イベント」は見世物のことで、主催は公的な政府や自治体であったりするのだろうが、昔は地元のテキ屋(長野市議会には2人の親分が在籍していた)なんかが仕切ったものだろう。現代は主催は役所がメインで、主催者は別に専任の団体を作り、実際にはテキ屋とはいかないから大手広告会社に丸投げしてが仕切らせるとしたものらしい。

そして日本には大手広告会社が電通と博報堂の2社しか存在しないのが実態。しかもこの2社も規模的には大人と子供ほどの違いがあるので、役所が頼るのは電通にならざるをえない。確かに大型イベントのプロデュースは複雑で相当な時間や人出が必要であろうことは容易に察することが出来る。従って1970年当時広告会社に在籍していたが、残念ながら関連しての仕事には何もありつけなかった。今更ながらではあるがwikiで記録を確認すると、3月から9月までの約半年間で入場者数が約6500万人とあるから大変なものだ。小生も確かに大阪支店の用事があったのかどうか、兎に角千里の会場に行った記憶はある。売上総額は約370億円とのこと。

当時電通がどのようにイベントに絡み儲けたか知らぬが、何れにしてもイベントが広告と密接な関係を持つことを発見したのだろう。海外とのビジネスと言えば貿易業務しか想像しなかった時代に、広告業の仕事のネタが海外にもあることの発見も大きかった筈だ。1980年のロスアンジェルス・オリンピックあたりからはスイスに本居を構えるオリンピック・マフィア(仕切り屋)とも盃を交わして仲間入りを果たすことが出来たようだ。以上は全て想像だけで書いているので、実態は知らない。

最近2021年に開催された「2020東京オリンピック」に絡む数多くの醜聞が吹き出し、当然ながら電通もその一角を大きく占めて、会社自体が政府から出入り禁止(何ヶ月かは失念)を受けている。これで困っているのが5月に開催予定の<V7サミット>が行われる広島県や市の担当者とのこと。確かにこれも今や一つの大型イベント。果たして電通抜きで段取りが上手く出来るのだろうか?

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