2022年11月23日水曜日

無駄遣い

 今朝8時から1時間NHKBSPで放送された「英雄たちの選択」を観て改めて考えさせられた。「今必要なことは何だろうか?」個人的には先が短くなってきてるし、健康状態もマアマアだから、大した欠乏感が無いのが正直なところだ。しかし無駄遣いはしてはならないと改めて思う。過去を振り返れば無駄遣いの悔いは沢山あるが、それは考えても意味がない。飽くまで今後のことだ。話を番組内容に戻したい。江戸城の話で、前から不思議に思っていたことで、本丸の天守閣が無い理由を詳しく解説してくれた。

1957年の1月、江戸で後に明暦の大火とされる大火災が発生、城外の街場からの発生であったが3日間燃え続け10万人もの死者が出た。この貰い火で、江戸城は本丸も焼け落ちてしまう。当時の将軍は徳川家四代目の家綱だが、未だ16歳と若かったため三代将軍家光の弟(腹違い)保科正之が後見をしていた。保科正之は当時は会津藩主でれっきとした大名。彼はここに封ぜられる前は信州高遠の藩主なので書きたいこともあるが省略。

兎も角、復旧を前田家に命じた。前田家は100万石の名誉に掛けて石を四国から運ばせたりして、期間は分からないが、兎に角土台の石垣を完成させた。ところが、保科正之はここで思案をして、並み居る家康公以来の重臣を説得、本丸築城を無期延期させる。その時の言い分が伝えられている。「天守は織田信長公が遠くを見るために作ったのが始まりで、今となっては見せるもので実用には役立たない。だから、人力は町の復興に費やすべきだ。」

この火災を機に、江戸は防災を考慮した当時としては珍しい100万都市に生まれ変わっていく。保科正之が未だ46、7歳頃の話だ。彼は火災後に江戸城に保管されていた金蔵から莫大な金子を持ち出し、大名や武士だけでなく被災した町民に至るまで配ったり、遺体の収容や回向院の建立をしたりしている。この時も「金は積んで置くだけは無いのと同じ。必要なときに使わねば意味が無い。」と周辺を説得している。

統治者として世間を見る目について現代と比較して考えると、現代の為政者や財務を担当する高級官僚には相当耳が痛いに違いない。彼らは今日は休日、朝っぱらからテレビを観ることもないだろうが、明暦の大火や保科正之をどれほど知ってることだろうか。

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