2022年11月21日月曜日

陸奥、晩秋

 


先月21日長野の飯縄山登山に挑戦して敢え無く途中で断念、その瞬間にもう山歩きはお仕舞にしようと決めた。山歩きは健康には勿論だが、他に精神的にも浩然の気を養うことで大きな意味を持っている。だから、その山歩きをやめるのは少し残念でもあるが、その補い方を少しずつ考えれば良いことだ。先ず健康面で言えば、歩けるうちは街なかでも構わないからできるだけ歩き続けること。精神面は読書をしたり、規則正しい生活を続けてたりしていれば、そう簡単に正気を失うこともあるまいと思っている。

更に、付録のように思いついたのが国内旅行。長かった人生で行かずじまいの場所には事欠かない。たまにそういった場所を訪ねて、規則正しい日常と少し異なる経験をしてみたくなった。今回は週末の2日間、東北を訪ねてみた。公共交通機関を利用すると短時間でずいぶん遠くに行ける事を知って、岩手県の平泉と茨城の大洗と鹿島神宮に行ってきた。大洗は現役時代にゴルフで日帰りは何度もしているが、その際、ゴルフ場の食堂の食事が美味かったことが妙に印象に残っている。

当時聞くと、隣の割烹旅館に食堂を任せているとのこと。ならば、いつの日かその旅館に泊まってみたいとかねがね思っていたものだ。兎も角、平泉なんて気が遠くなるほどに遠いと思っていたが、新幹線を使えば大宮から2時間ちょっとで行ってしまう。駅から中尊寺はタクシーに乗れば、千円足らずで、一番上にある参道に出る。それから2時間くらいで、ゆっくり境内を歩き、参道の一番下、ここから駅までタクシーでは800円も掛からない。

それにしても中尊寺は見応えがあった。比叡山の高僧が平安時代の9世紀半ばに開基、その後この地の豪族藤原氏初代清衡によって堂塔伽藍が整備され4代に亘って繁栄が維持されたとのこと。14世紀半ばに火災に見舞われたとのことではあるが、現在残るものだけでも世界遺産に匹敵するのはよく理解できる。理解が難しいのは、千年以上昔の東北に何故天台宗の高僧が開山を発願したのか?藤原氏と源義経の縁が発生したのは何故か?歴史をよく知らないので大き謎だ。

有名な金色堂の装飾には海外渡来品が多く使われている。後に伊達政宗がローマに使節を派遣したことなどを思うと、古来海運の便も、時を経て大分変わっているのかもしれない。大洗の旅館の飯は少し期待外れでもあった。

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