2022年9月29日木曜日

テレビから教えられた

 昨夜観たテレビ番組を3時近くなった今でも思い出すのは珍しいことだ。それだけインパクトが強かった、或いは知らないことが盛り沢山だったからだ。番組は昨夜8時からNHKbsp「英雄たちの選択」(伊藤博文)。いい年をしながら何も知らないことを思い知った。話は憲法制定後2年目の明治24年(1891年)5月の話。伊藤博文氏が主役だが、彼は既に政治の第一線から引退して箱根に滞在、政治は薩摩の松方正義内閣に代わっている。

そして大事件が滋賀県で勃発する。世に言う大津事件、聞いたような気もするが、正直言えば何も答えられない。幸い戦後子なので、近代史のテストには一度も出会わず社会にでることが出来ている。内容は日本を訪問中のロシアの皇太子ニコライ二世が警備中の巡査津田三蔵によってサーベルで切りつけられ、頭を怪我したこと。犯人はその場で逮捕、皇太子も命に別状は無かったが、憲法発布でやっと世界に認められたばかりの日本にとっては大事件。

戦争にもなりかねないし(なれば当時強大国ロシアから見れば日本はまるで赤ん坊)、巨額の賠償を求められても仕方がない立場。箱根に引き籠もっていた伊藤博文が急遽帰京して天皇に面会したのが深夜1時とのこと。如何に日本中が慌てたかは分かる。ロシアとの関係を考えれば、犯人は至急死刑に処すべきとの世論が沸騰する。内閣や重鎮伊藤にしてもそうしたいのは山々。しかし、発布されたばかりの憲法に依れば、最高でも終身刑、死刑には出来ない。

伊藤らも必死に考え、津田を亡き者にする手段をA案からB,C,D案まで考えて、伊藤が大審院々長(司法機関トップ)の児島惟謙に相談する。もちろん国家存亡の危機だからどれか決めてくれとの意。ところがこの元宇和島藩士の児島は「法律は枉げられない。」とケンモホロロ。伊東たちも黙って引っ込むことは出来ないので、裁判所の裁判官に手を回したりするが、全て児嶋に先手を打たれて、結局津田には終身刑の判決が出されてしまう。結果的に戦争にもならなかったのは、伊藤の外交成果と番組は締め括られた。

それ以上に強く印象に残ったのが、明治24年当時の司法と行政(当然議会の立法も置かれてはいた)との立場の明確さだったのは言うまでもない。現在は事ある度に日本は法の支配する民主主義国家と耳にするが、行政が法を無視することが甚だしすぎ、司法は殆ど行政の下請け機関に成り下がっている。なんとも情けない限りだ。

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