2021年6月29日火曜日

友達

 子供の頃から、家にじっとしているより外で友だちと遊ぶのが好きだったせいもあると思う。大きくなってからも友達は出来るだけ大切にしてきたつもりだ。お陰で今でも友だちが多いことは有り難いことだ。残念なのは友達と会えないこと。しかし昨日ワクチン2回めも接種できたので、もう暫くすれば待ち望んだ再会ができると期待している。

友達と仕事をしたことは殆ど無いが、経産省のキャリア官僚二人が学生時代からの友人関係だったそうで、とんでもないこと(共謀してペーパーカンパニー設立、公金を騙し取る)をやらかして警察に逮捕されたそうだ。仕事となればどうしても金銭も絡むし、勤務先が一緒であろうとなかろうとなんとなく上下関係を意識せざるを得ない。やはり友人は遊びを中心とすべきと思が、逮捕された官僚二人は何を考えていたのだろう。

先に殆ど無いと書いたが全く無いわけではなく、若い頃には友人の父に口を利いてもらったりしたことは何度かある。仕事に知人を利用したことは他にもあって、父や兄の力を借りたこともある。家族であれば相当な無理も頼めるが、友人には自ずから限界があるのはやむを得ない。仕事はたかが仕事、無理をして友人関係が壊れるようじゃ意味が無い。長い人生の中では友人の依頼を受けて彼の会社の役員になったりしたこともあるが、比較的短期間で退職させてもらった。友人から給料を貰うのがどうしてもしっくりこないからだ。

お陰で、彼との関係は今でも健全と言える。この歳になると仕事が無くなるのは当たり前。代わりにと言うのも変だが、報酬を伴わない頼まれ事が多くなったような感じだ。最近はこの手の依頼が結構あって、格好の暇潰しにもなっている。今日も夕方には渋谷まで行かねばならない。本当に久しぶりだし、ワクチンの副反応も無さそうだし、随分変わったはずの渋谷の街を見てくることにする。

2 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

青少年時代に「友」とは何ぞやを考えた私の結論としては、友はいません。
呑み友が1人いるだけです。ヤクザ映画風に言えば義兄弟とでも言うのでしょうか。
仕事人時代にはそれなりに親しい人もいましたが、私の仕分けとしてはあれは仲間です。
今朝の民望5ch.では「よっ友」なる言葉を初耳しました。
顔を見ると「よっ」と声を掛ける程度の関係との事ですが、そんな関係を友と呼ぶこと自体が失敬です、顔見知りとでも呼んで欲しい。
同番組の理屈っぽいのが曰く、「友はいない。パートナーが1番」
なるほどでした。

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あなさん
いつも興味深いご意見を頂きありがとうございます。
私は友を作りたがる性格かもしれません。
貴兄の正反対ですね。
コロナ禍の心配がなければ、御地をお訪ねして一晩酌み交わしたいなんて思ったりしてます。