やめる必要が?

世界各国が急に目覚めた訳でもなかろうが、今年は温暖化対策論議が喧しい。日本はCO2排出量の世界ランクで中国、米国、露国、印度に次ぐ5位だそうだ。特に名誉でもないだろうが、石炭問題で世間を賑わせているドイツや韓国より上にいるのが不思議だ。更に言えば、イギリスがずっと下位に位置しているのも不思議。イギリスは原子力発電依存度が多いのかな、なんて思ったりする次第で、そもそもこの統計自体がどのように取られているか知らないので、漠然と信用しているだけ。別にトランプ大統領を擁護する気も無いけれど、彼の言うのも少し分かる。

日本は流石にそんな事は言わないが、ドイツは2038年までに石炭火力発電をゼロ化すると宣言した。実行できるかどうかを見届けるのは難しいが、出来もしない約束だと指摘する人もいる。テレビ報道を観る限り、ドイツの炭鉱の規模はすごく巨大なものだ。月が出たでた~で名高い九州の炭鉱や夕張メロン北海道の炭鉱を見たことがないので当たらないかもしれぬが、比較にならないのではなかろうか?長年利用してきた産業を廃棄させるのは国民に大きな負担を強いることになるのは当然。

政府はその準備をすすめるとしているが、予定した金額で収まらないのが世の常だ。18年は短いようでも相当な年月、政権も変わるだろうし、こんな約束を代々受け継ぐのも大変だと思う。他国のことながらもっと柔軟な考えは何故無いのか?

話が思わぬ方へ行きそうなので戻したい。生まれたのが1940年、それから約10年のエネルギー源は薪と木炭が主で、明かりをつけたりラジオを鳴らす電気がどのように作られているかはよく理解しなかった。歩いて30分足らずにあった中部電力の里島水力発電所を見学したのが丁度1950年くらいだと思う。

その後10年の50年代、日本は石油資源を産出国から自由に買えるようになって産業構造が大きく転換する。(今にして思えば、戦前の政府は何故石油の確保のため戦争をおっぱじめたのか不思議でならない。目的と手段を間違えていたとしか思えない。)とにかく人力が動力に変わり自転車からスクーター更に自動車に変わり、60年代になると石油資源依存が一層強まり日本経済の発展に拍車が掛かった。

この年代の半ばに社会に出たが、当時盛んに言われたのが石油資源枯渇説。後40年で資源がなくなると、出光に就職した友人でさえ言っていたような気がする。技術革新で埋蔵量が変化するのは当たり前にしても、利用している資源が有限であるのは否定できない。「やめる」が特技で言うのも変だが、あるものは大事に使えばいいと思うこの頃である。

コメント

このブログの人気の投稿

慶応義塾入学式 期待が膨らむ

読後感「新天皇と日本人」小山泰生著

何もかも関係ない話だ