終戦の月

既に8月、また忌まわしい大東亜戦争終戦の日が直ぐにやってくる。当然であるがその前には広島と長崎が焼き尽くされた日もある。8月は個々の旧盆だけでなく、日本人全体が先祖を深く真剣に弔うべき月かもしれぬ。歴史に詳しいわけでもないので偉そうなことは言えないが、1945年の夏も暑い日が続いていたように記憶している。勿論ポツダム宣言がいつ発令され、いつ国民が知るに至ったかについての記憶は全くない。

ただ長じて大分経ってから、それを日本政府が受信したのは7月26日とのこと。当時外国無線を傍受して直ちに理解できた日本人は少なかったと思うが、それでも連合国側の意図を理解した人間は報道関係の中にも大勢いた筈だ。当時の総理大臣は鈴木貫太郎氏、若かりし時代、海軍将校の中から選ばれて昭和天皇の侍従を務められた人物で、天皇の信頼も厚く、この年の4月に歳も歳だから(当時77歳)と固辞するところ、天皇はこの戦争を終結に導けるのは今や鈴木しかいないと思い定めたのであろう、やや強引に総理に就任せしめたそうだ。

鈴木総理の心中は計り知れないが、兎も角ポツダム宣言受諾の電信を発するまでに日本政府は2週間以上の日数を費やしている。宣戦布告なき戦争(満州事変)から数えれば15年の長きに亘る戦の終結は誰の目にも明らかになって尚、相当難しいものだったに違いない。それにしても、ポツダム宣言発令後に失われた無辜の犠牲の数は如何ばかりか?百万人はいかないにしてもゆうに数十万人にはなるだろう。

そして、これらの犠牲に対して過去を振り返り責任は明らかになったのだろうか?自ら責任を表明した人間としては誰を上げればいいのか?或いは後世の人物の中にその責任を追及した者はどれほどいるのか?この季節になるといつも考えてしまう。軍人には自殺者が多かったそうだが、代表的なのは鈴木内閣の陸軍大臣阿南惟幾氏とか海軍中将だった大西瀧治郎氏などがいるが、この二人にしても国民に謝ったとは聞いていない。

誰が考えても、明治以降軍部の暴走が国の方針を誤らせたと考えるのは分かりやすい。このことは当時国際的にも一種のコンセンサスだった筈で、日本人は誰も異を唱えなかったし、現在も我が国は一応その流れの中に存在している筈である。しかし最近の自衛隊はその方向性をやや修正して、先の終戦8月15日までの日本軍に近づいていると言われる。そして現政権がそれを容認するとしたら、日本人がまた新たな不幸に陥らないとは限らない。

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