2015年10月15日木曜日

非常識

たまには軽い話題で気分転換でもしよう。よく使う言葉であるが「常識」は定義が難しいものらしい。家庭内に於いてはほゞ定義が一致しても、一歩外に出ると常識が通用しないことがあることに気付くこともある。帰宅してから「あなたが非常識なだけよ」と叱られることが多い。己の非常識は棚上げして、先日婆さんから聞いた話が面白かった。婆さんは娘から教わったらしい。

我が家とは無縁の新聞である「日本経済新聞」の夕刊に10日ほど前に掲載された記事を見せられ二人で大笑いしたので、爺さんにも教えてあげようとなった次第らしい。題して「社会常識を身につけよう」となっている。成程「社会常識」なんて言葉もあったなと思いだしはしたものの、さてどんなことを指すのかよく分からないが、この記事を読んで成程と思い知った。

記事に「FAXの送り方知らない学生」とサブタイトルで大書してある。要するに最近の学生諸君はファックスなんて代物と関係ない人生を送っているので、就職してからファックスに初めて遭遇するようなことがあるらしい。更に、ファックスは固定電話で機能することから、電話番号に局番があることを知らない生徒もいたらしい。多分ややオーバーに書かれているとは思うが、あっても不思議は無い話でもある。

この記事を書かれた先生は、他にも女子学生のマナー講義でお茶の淹れ方が分からない女子学生、例えば茶托や急須(態々漢字で表記している)を知らない学生などにも触れられて、そのことを嘆いて社会常識の欠如を指摘されている訳である。大人である先生は、ファックスの使い方やお茶の淹れ方が社会常識と考えておられるに違いない。しかし、小生もファックスの使い方が分からない時期はあった。

分かってからは、少し年上の人の話「うちもファックスを入れたけど、どうも壊れているみたい。何度送信しても紙が戻ってきてしまう。」を聞いて大笑いした経験がある。先生から非常識と非難された青年諸君からこちらを見れば、道具や機械の使い方について非常識なところが多々あることだろう。こんな非常識は笑い話で済むから良いようなものだ。問題は常識に少し共通するところがある社会道徳だろう。

こちらも難しい問題で、小さなことを言えば電車のホームでの整列だが、東京はドアの停止位置の前で整列して待つのを常識とするが、大阪に行くとそんな常識は通用しない。常識にしろ道徳にしろ人間の習慣の問題かもしれぬが、どのように形成されるかはよく分からない。一つだけ言いたいのは、元プロレスラーの大臣と元不良少年の副大臣が揃った文科省が道徳教育を推進するのは勘弁願いたい。

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