2015年10月13日火曜日

読書の秋「縦走」67号から

最近は図書館からも足が遠のいてしまっている。書店に行っても面白そうな本が見つからない。今月は年金基金から少しばかりのお小遣いが振り込まれたので、月初にスパイ小説の文庫本を2冊買いこんで読み始めたが、最初から下らないと考えているせいか、1冊目はどうにか読み終わったが2冊目に入るともう食傷気味ですぐ眠くなってしまう。読書の秋と言うよりむしろ居眠りの季節になっている。

そもそも読書が本当に自分の趣味であるかも怪しいものだ。よく書店には行くが、自分が読みたい本があっていく訳でもない。それでもブログの読後感は185冊分が上がっているし、ここに移動する前に2006年3月以来mixiで書いていた読後感を合計すると318件となっている。10年間ちょっとの間によく読んだものだと思う一方、たったこれだけかとの思いもある。しかも軟らかの本ばかりだ。

社会人になりたての頃、広告屋なので文藝春秋社とも縁があり、そこの偉い人に言われた言葉を覚えている。「人間が一生で読める本は多い人で5千冊くらいのものだ。だから良い本を読まなければいけません。良い本とは知性や教養の足しになるようなと言うことです。」今でもご尤も話しだったと思うが、一生に5千冊は相当な読書家でないと無理だろう。

10年で約300冊なら100年でも3千冊ではないか。読後感があるので、ざっと振り返っても知性や教養の糧になりそうなものは皆無に近い。当時の会社の先輩のクリエーターが現在88歳であるが、もう10年以上、年に4回40頁前後の小さな同人誌を編集長として出版されている。昔から読んでいたのだがここ数回は有難いことに小生のブログも転載して頂いている。先日今年の秋号(67号)が送られてきた。

中に掲載されている編集長の読書歴を見ると凄い。編集長は確か豊島師範学校のご出身と記憶するが、昔と言ってもそんな昔ではない、終戦直後のことになるが、学生の読書傾向が書かれている。「戦いすんで日が暮れてー戦後70年の我が知的遍歴(1)」である。読んだことは勿論、書店なり図書館で見たことも無い本ばかりである。

書き出し「先ず前史として、戦中の昭和19年、僕が17歳の折に読んで衝撃を受けた和辻哲郎の『風土』を上げねばなるまい。」から始まり、著者としては三木清、西田幾多郎、丸山真男、久保栄、加藤周一、鶴見俊介、等々。雑誌は展望、思想の科学、哲学評論、世界、等々。会社ではディザイナーのチーフでもあったので、日本の美学、日本美術もずっと購読されていたようだが、どうも現在は廃刊になってしまっているようだ。

「採算が取れなくても、日本民族のため日本の学問的蓄積のため、財団でもつくって有志の大企業から一定の資金を募って「日本の美術」再発行に漕ぎつけられない筈はるまい。」とも書いている。分量にすればこのブログの3回分くらいの短い読み物であったが、読書とはこう言う事を言うのかと改めて思い知った。

0 件のコメント: