2012年1月27日金曜日

食事に関しての拘り

殆どの人がそうだろうが「不味いものを食いたくない。」自慢するほどの事ではないかもしれぬが、食いものには少し拘りがある。昼飯は「○○」に決めている人がいるが、その辺の気持ちが余り理解できない。安月給の時でも、その日の気分で、食いたいなと思う店に行って、その日の気分で注文を決めていた。三度の飯は命を繋ぐ栄養の補給でもあろうが、それ以上に昔から重要な楽しみでもある。2日続けて同じ店に行くとか、2食続けて同じものを食うはまっぴらだ。

普段朝夕の飯には小1時間掛ける。昼飯は流石にそうはいかないが、それでも食い方が遅いので30分近くは掛かる。お店にとっては迷惑な客かも知れないがご勘弁頂きたい。拘りと言っても不味いものは嫌なだけで、特別の素材やレシピに拘る訳ではない。我が家のエンゲル係数は高いかもしれぬが、絶対額はびっくりするほどの事はないだろう。むしろ根がケチなのか貧乏のせいか、自分が払う昼飯は出来れば700円くらいまで、「よし、今日は奮発!」と思っても1000円以内に、と拘っているくらいだ。

外食の昼飯について言えば東京は有難い。事務所と池袋の間には選択肢が豊富なので、食後の幸せ感を感じる店に不自由が無い。仕事の関係もあって銀座・赤坂や日本橋近辺での機会も多い。実は蕎麦とラーメンがあまり好きではないので、この関係は殆ど選ばない。蕎麦好きの友人が多いので、誘われて有名蕎麦店などの暖簾をくぐることもあるが、個人的に入る事は皆無に等しい。ラーメンに至っては友人に誘われた記憶も殆どない。この2品目を追加したら選択の幅は更に拡大するだろう。

うどんやイタメシ系パスタ、パン屋もたまには利用するが、やはり昼飯でも米粒を食べる事が多い。外食産業の米については、利益重視から安い米を使いがちとの話をよく聞くが、そんな店に当たったら2度と行かないせいか、あまり不味い米に遭遇することもない。一時都内の食料品店から古米が一斉に消えたことがあったらしい。震災とか原発事故の影響だったとの事。

普段ご飯をあまり食べない人がそういう事をするのよ。と婆さんが言うが、その人たちは今でも態々あまり美味くない古米を食べていると思うと少し笑えてしまう。偶々昨日1250円もする昼飯を食って大満足だったので、こんな事を書いてしまった。(笑い)昨日の夕食時にもそんな話をしていて、互いにその通りと意見が一致したのが「出来立ての料理を温かいうちに食べる、これが美味さの最重要案件。どんなに美味く出来ても作り置きはしない。」

たまに婆さんがいなくなる時は、夕食は外食するようにしている。翌朝もいないときはカップ麺が用意されているのが標準。因みに我が家には電子レンジが無い。冷蔵庫を開けても所謂常備菜らしきものは何も無い。食えそうなものはヨーグルトぐらいだ。従って温め直した料理が食卓に上ることがないのが婆さんの自慢でもあり、同感でもある。

時々「折角時間を見計らって出しているのに、箸をつける順序が違う!」と怒られるのが玉に疵だ。

2 件のコメント:

かをる さんのコメント...

ステキなお二人の温かい食卓が目に浮かびます。
貧弱なワタシの食卓が可哀想になりました(笑)

>温め直した料理が食卓に上ることがない<とは・・・素晴らしい奥さま
爺さま、シアワセですね。

senkawa爺 さんのコメント...

かをる さん
コメントをありがとうございます。

このブログの話をしましたら、家内から「下らない与太話を書くものではない。」と怒られてしまいました。