昨日は既に少しだけ書いたが、慶應義塾大学日吉キャンパスで同窓会の大規模イベント<連合三田会大会>があった。卒業以来日吉キャンパスは1度も訪問したことが無かったので、周辺を含めたキャンパス環境の変貌ぶりが凄まじく、懐かしい友人とは会えたものの少しも懐かしさは湧いてこなかった。友人と言っても三田会の幹事を務める熊谷から態々来た同級生と、クラスは異なるが野球部員だった土佐出身の友人。彼は嘗ては野球部員だから体力的に勝っていたと思うが、その後NHK勤務の後大病を患ったとのことで、娘さんが付き添いで同席。
親父も昔は大酒を飲んだようだが、娘さんは親父が保証する正真正銘の大酒のみ。流石高知県の人らしくて恰好良い飲みっぷり、真昼間から冷酒4合瓶を2本ぺろりと開けて誰も酔った顔をしていなかった。それは兎も角、兎に角校内だけでなく日吉の街全体が人混みで溢れていた。かなり広いキャンパスだと思うが、昔の名残はどこにも見当たらずきれいなビルが立ち並んでいて、キャンパス内の広い道には田舎のお祭りと同じで屋台の店(但しどの店も名の知れた有名店)が立ち並び、酒も肴も売っている。飲食用のテーブルも外に設けられてはいるが、我々は飲食が禁止されている教室内。
届け出は104回三田会事務室とでもしてあるのだろう。時々、駆り出されている担当の学生が「教室内の飲食は禁止になっていますので・・・」と注意に来るが、「後片付けは責任もって行うので・・・」と構わず酒盛り。悪い爺どもだ。ここを約1時間で切り上げ、日吉に住まいを構えて既に久しい最初の会社の同期で、同じ慶應(柔道部)の友人と喫茶店(彼はアスリートのせいでもあるまいが、酒は全くダメ)お茶を飲める店を探すが、どこも満員で、結局<Mrドーナツ>で長時間話し込んだ。
サラリーンとしてこちらはずっと営業畑だったが、彼は総務や経理で最終的には総務担当役員まで勤め上げ、社長を支え続け、辞める際も大分惜しまれて、やっと辞めることが出来たらしい。こちらは現役時代からそっち方面は全く音痴で暢気な爺さんだったが、彼はこちらの倍以上社長を支え続けた。当然苦労もいろいろあったろうが、同じ会社の空気を吸いながらこちらの知らない事をいろいろ教えてくれた。当時の同僚についても、日吉に引っ込んでいる割には凄く沢山情報を持っていて、つい時の経つのを忘れて帰宅が遅くなってしまった。
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