2011年8月25日木曜日

老人の宿題

今年は孫たちの夏休みも短くて明日から2学期が始まるらしい。宿題がちゃんとできたかなとも心配になるが、自分の事を考えれば大凡の想像がつく。しかし孫たちは小生よりはるかに偉い。1週間ほど前に、まだ宿題を完了してないと言って大童だったように聞いている。宿題の事がいつも頭にあるのは結構なことだ。

ところが隠居の身分になると宿題がない。子供の頃あれほど嫌いだった宿題をこの期に及んで「何か出してくれ」と言っても誰も相手にしてくれない。もっとも普通の人は、自ら正月にその年の目標を定めたりするのかな。或いは残る余生で何をなすべきか、中長期にわたる計画を持つ人もいるだろう。

今月売りの文藝春秋9月号に「運命を変えた手紙」特集がある。大部分は面白くも何ともなく、羊頭狗肉もいい所で何故こんなタイトルになるのか不思議だった。が、86人の手紙の中で1点だけ心に残ったものがあった。もと東京電力の社長平岩外四さんが、電事連会長も辞めてからだろうか作家の城山三郎さんに宛てた対談か何かの簡単な礼状である。

中で「自分は生涯電力事業一筋で生きてきました。しかしそれは非常に多くの人間の努力の積み重ねの中では、ごく微量のものに過ぎません。」しかし今後も生涯かけて研鑽を重ねて勉強していきたいと述べて、最後に「自分を後に残さないようにと思っています。」としている。

雑誌自体を処分してしまったので不正確かもしれないが、概ねこんな内容だった。最近はどうか知らないが、さすが財界のトップまで上り詰めた人は違う。己をこのように律しながら、尚且つ後世に何も残さない、残す必要がないと割り切らなければ世のため人のために事をなすことは出来ないのだろう。

70才を過ぎて尚、インターネット上に塵埃の如きブログを書き散らして喜ぶ己が少し恥ずかしくなる。

1 件のコメント:

mai さんのコメント...

こんにちは

>70才を過ぎて尚、インターネット上に塵埃の如きブログを書き散らして喜ぶ己が少し恥ずかしくなる。

いえ、いえとても素敵な事です。
尊敬します。

そう言えば私もある講習会に参加し宿題を言い渡されました。
結構プレッシャーですよ。