今日も我が家の近間を1万歩程徘徊するに、立ち並ぶ家屋や道筋はどこを見ても清潔で、行き交う人々も皆小奇麗である。勿論、昭和20年30年代の痕跡は何処にもあるまい。確かに家屋が小さいとか、密集しすぎているのは日本固有かもしれない。田舎ほどではないが、街にはシャッターの降りた寂しげな商店も見受けることがある。難を言えばきりがないが、余り外国事情に詳しくない自分が知る限りでは、今の日本のようにさっぱりした国は知らない。
しかし頂点を極めるとは、換言すれば目標の喪失でもあり、後は転落と言わないまでも下降局面を迎えざるを得ないことに繋がってしまう。しかし、150年ほど前までは欧米の列強から見ると、まともな独立国家とも言えず、見方によっては300くらいの小国が分立していた地域だそうだから、これから日本国家が潰れようと、バラバラになろうと知ったことはない、どうせ俺は先が長くないのだから。と言っては身も蓋もない。
賢明なる国のリーダー達が我々凡庸な国民を上手にリードして、国内においては益々の繁栄を、諸外国からは尊敬の念を持って受け入れられるような国家になることを願ってやまない。このことを前提として本日思ったことを少し書き記したい。
本日徘徊した範囲で目にした日の丸の国旗は2本だけ。うち1本は池袋の交番だから民家としては1軒だけである。目にしたのは民家会社商店を含めれば万を越しているかもしれない。我が家も出していない。日章旗はあると聞いているが、少なくとも竿はない。確かに日本人は清潔好きであるが、古いものを余り大切にしない傾向があるのではなかろうか。その上忘れっぽいかもしれない。自分なんか典型的だ。他人への恨みつらみや恋の痛みを忘れ去る分には結構だろう。子供が「昭和」の意味を知らなくても善しとしよう、しかし自国の歴史を国民こぞって忘れ去るのは如何なものだろうか。
中国や韓国だけでなく、歴史教育に熱心な国は外国に相当多いのではないか。
何度も書いたが、少なくとも我々の世代はこれが全くなかった。現政権が昨日1962年4月28日を「主権回復の日」として祝う式典を行った。まるで思い付きのようなこのことに対し沖縄、小笠原、奄美では相当な反発があったようだが当然だと思う。南の島々と関係のない小生ですら、我が国が主権を完全に回復しているとは思わない。「政治家に近代史の試験を!」が婆さんの口癖だが、尤もである。
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