2017年12月28日木曜日

休日モード

年末28日、普通の勤め人ならご用納めだ。昔は電話機くらいしか機械が無いから、全員で不要な書類を破棄したりして机の上を整理し、一端事務所を奇麗にしてから、昼頃には出前の寿司でも取ってビールと冷酒を少し飲んで早々に職場を後にする、がお決まりのパターンだった。でも最近は、机の上に書類が山積みの職場は少ないだろうし、灰皿も無い方が多い筈。

掃除は委託先の小父さんか小母さんがしてくれるから、下手に手出しは出来まい。社員が休んでいても机上のパソコンは休みなしに動いている。企業や役所の生産性がどれほど向上しているか分からぬが、唸る程のボーナスを手にする勤め人はさほど多くはなさそうだ。管理職になればボーナス袋が縦に立つと言われた時代もあったが、残念ながら経験できなかった。

世の中が変わっているのは間違いないが、変わらぬこともある。今週は月曜日から商店街の外れにしめ縄や松飾りを売る仮設小屋が出て、門前に飾り付けを済ませた家も大分増えてきた。一昨日にはご近所の路地で家族総出で餅つきをするお宅があったので驚いた。田舎なら珍しくないだろうが、あの立派な木臼がどこにしまってあったのだろう?そんなに大きなお宅ではないが、蒸篭は何処は何処で蒸しているのかな?こちらの余計な心配はよそに、旦那さんが杵を一搗きする度に、奥さんが器用に返し手を入れていた。

東京では賃餅を依頼する先さえ無い筈、実に懐かしい感じだった。雑煮の餅は何処からどんな具合に調達するのか、一度婆さんに聞いてみようと思ったが未だ聞けていない。明日から約1週間は全国的に休日モードの筈だ。これは世界的に見ると相当めずらしい現象らしいが、世界中、特に北の若旦那には見習ってほしいような気がする。正月が明ければすぐ韓国で冬のオリンピック、これに北朝鮮が選手団を送ることを決めれば一安心だろうが、未だ態度がはっきりしていないようだ。

アメリカも同様のようだし、我が日本にも米朝開戦があることを歓迎しないまでも、必然として軍国主義を推進する一団が存在する。暮・正月ぐらい来し方を顧みて物事を冷静に考えてほしいものだ。

2017年12月27日水曜日

一旦緩急の際に

昨日の日経電子版に次の記事が掲載された。米中関係の緊張について、北京大学国際関係学院の賈慶国院長が語ったそうだ。詳細は省くが曰く「現実味増す米朝衝突」である。こちらも似たような報道として、中国の携帯電話会社の内部文書の流出から、習近平氏が「中朝国境に難民キャンプ中朝国境に難民キャンプ50万人収容の設置を命じた。」との話もある。何れも世界のお騒がせ案件となっている北朝鮮問題に関し、最も温和な方針、即ち対話による解決の主張を世界に発信し続けている中国の話である。

引き換え我が日本は総理自ら力による圧力を主張し、現段階では対話は無意味と言い切っている。力によると言っても力が無いのは誰が見ても明らかなので、アメリカの選択肢を100%支持するらしい。アメリカの選択肢が幾つあるか分からぬが、10やそこらでは収まるまい。中には金正男の暗殺や敵基地先制攻撃まであって当然だ。彼の国は戦争慣れしているので、多くの専門家が毎日それぞれのリスク評価をして、その日報を然るべきポジションに報告していることは想像に難くない。

誰もが分かっているそんなことより問題は我が国の対応である。アメリカと一緒に戦う決意を示すためだろうが、ミサイルを大量に買ったり、航空母艦の建造までちらつかせてくれるのも結構だ。そして実際にドンパチが始まった暁には、在日米軍の指示で我が自衛隊が遅滞なく行動が起こせるものとして、これも大いに結構としよう。さてその時我々凡俗の国民はどうすればいいのだろうか。日の丸の小旗を打ち振って出征する自衛隊員を見送るだけで良いのかね。万人が「お易いご用」ならそれまでだが、「俺は納得できない」とする人も少なくあるまい。

先日テレビのお笑い番組に出演した石破元防衛相がお笑い芸人の太田光に「北のミサイルの着弾地点が打ち上げと同時に計算出来て、迎撃ミサイルで対応可能なら、何故Jアラートをあんなに広範囲で鳴らすのですか?」と突っ込まれた。その時の答えがまた笑える。「迎撃ミサイルを運用するのは我が陸海空の自衛隊、Jアラートは消防庁所管のシステムですからなんです。」これが果たして笑いごとで済まされるのだろうか?

因みにソウル市の核シェルター整備率300%。人口3倍分の地下空間と補給品備蓄が用意されているそうだが、日本は0.02%とのこと。義勇公に奉ずる大和魂があるから大丈夫なのか?

2017年12月26日火曜日

5年目の暮

この週末に風邪をひいてしまった。熱こそ出なかったと思うが、喉の痛みと鼻水が止まらなくなってしまった。土日と市販薬を飲み続けたが体調は改善しない。昨日早朝に婆さんから医者に行かなきゃ駄目、と督励されて耳鼻咽喉科の診察を受けて薬を処方してもらった。これを飲んで早く寝たせいか今日は大分楽になった。後期高齢者なので3種類の薬を7日分処方してもらい、診療費を加えても千円に満たない。確かに婆さんの言う通りやせ我慢はせず、専門医の診療に如かずである。

普段から無理をしているつもりもないので特に気を使っていないのも事実だが、一冬で必ずと言っていいほど一度は風邪をひいてる気がする。万病のもとだから引いたら早く治さなければいけない。今年も残すところ数日、7日分処方してもらった薬を3日服用くらいで済ませてもらえば、と願うばかりだ。

話が変わるが、昨日は北海道の札幌ドームで日ハムから米大リーグ・エンゼルス入りが決まった大谷翔平選手のサヨナラ会見が開かれ、1万3千人のファンが集まった。彼は日ハム入団から未だ5年で、23歳と聞くとその若さに改めて驚いた。随分大人になったと思っていたからだ。同じく昨日は、第2次安倍内閣が発足してまる5年目だったとのこと。こちらはもう5年も経ったかの感が一入だ。党名すら忘れた民主党の内部抗争を誘い、野田総理を挑発して総選挙に持ち込んだ当時のことはもう遠い昔に思えてくる。

大谷選手と同じ5年ではあるが、安倍氏がし遂げたことは大谷選手の比ではない。大谷選手は野球界にあってひたすら自己研鑽に勤め、個人的に成長しただけのこと。安倍氏を野球人に譬えれば、個人的に成長したようには見えないが、ルールを根底から変えてしまうぐらいのパワーを発揮して、日本社会に変革をもたらした。言いたい根拠を書き出したら切りがないので今日は書かない。

彼が生きているのは政治の世界、大谷選手のようにお客を喜ばす必要は無いし、スリーアウトチェンジも無い。代わりに安倍氏は国民の負託に応える義務を背負い、国政選挙に負けるとその場で交代しなければならない。それを問うのが国政選挙で、彼はこの5年間で何度も選挙を勝ち抜いてきた実績がある。これが大谷選手の成績をはるかに凌駕している訳だ。しかしこの実績には少し疑問を呈したい。選挙結果と安倍氏への信頼度の差が気になる5年目の暮である。

2017年12月25日月曜日

読後感「藤村文明論集」十川信介編

島崎藤村の小説を読んだことが無いが、「千曲川のスケッチ」とか随筆風の軽い読み物と、「初恋」に代表されるロマンティックな詩については少し知っている。そして信州出身の作家なので親しみを覚えていたかもしれぬ。偶々書店をひやかしていたとき目について読んでみた。藤村は明治5年の生まれだから我が祖父母より少し年上である。その割にすごく親近感を感じていたのは彼が生涯若々しい精神を持っていたからだと思う。

明治5年と言えば、国内はまだ江戸時代のような雰囲気だったのではなかろうか。男子の会話は「左様、然らば・・・でござる。」てな調子であったと言われてもびっくりしない。生まれは山深い木曽路の宿場町、後に小説のモデルとなった父はこてこての国粋主義者で、狂気の血が流れていて、実際に自殺している。藤村も幼い頃から漢文の素養をきっちり叩き込まれている。しかし父の教えに反発して一方で広い世界に憧れ、外国語を熱心に学び、結果的に華麗な文章とロマンティックな詩歌を綴る文学者に成長していく。しかし心の奥で、父の教えと自ら発見した新しい価値観との深い葛藤があったことが伺える。

本書を読むだけでは幼き日の教育の詳細は分からないが、9歳の時に父の膝下を離れて上京したように書いてある。と言うことは9歳までに漢籍の素養を習得していたことになる。本書は42歳、初めてフランスに旅立つ時からの紀行・随筆で始まり、大正末期から昭和の初め頃の社会時評で終わっている。友人が教えてくれたが、そもそも彼が渡航に至ったのは、姪に手を出してしまったことでの社会的非難からの逃避行だったとのこと。娶った姪のことは少し出てくるが、言い訳めいたことは書いていない。

本書で一貫して流れているのは欧米(彼は3年間の渡仏の後に北中南米も旅行している)と我が国の文明比較である。但し、比較してどちらを取るべきかについては強調するところが無い。そこが福沢諭吉の文明論と少し趣を異にしている。福沢は武士、藤村は飽くまで平民出身故だろうか?驚くのは大正末期の日本に対する観察である。大正ロマンとかモダンと言われ、非常におおらかな時代だから、藤村のような文学者が生まれたと勝手に想像したがそうでは無さそうだ。

当時は既に戦争の足音が近づき、現代以上に国民の間に緊張感が漂っていたようでもある。藤村が紡ぎだした言葉のよって来るところは、すべて幼い頃から勉強を重ねて古今東西の文学芸術に親しみ、その中から自ら普遍的価値を追求した結果に違いない。兎に角大正年間にあって日本の一文学者に過ぎない彼がが接した古今の作家、作品名の豊かさは驚くばかりだ。現代日本文学作品はあまり読まないし、作家にも敬意を持たないのに、当時は悖徳(現代の辞書には出てこないが、人非人とのことだろう)とされた作家をあまり褒めてもいけないか。

2017年12月24日日曜日

漢字一文字

もうすぐお正月、少し長めの休暇が取れるので普通の人にとっては楽しみなことの筈。ところが普段暇をかこっている小生には些かプレッシャーが掛かる季節となる。家内は二言目には「我が家は年がら年中父の日だから当然でしょう。」と言ってのけ、正月には皇室並みの公務が課せられるのだ。我が家では暮正月の飾りつけなど一切しない。それどころか、家内は30日の夕方から横浜の実家に宿下がりをしてしまい、正月4日の夕方まで帰宅しない。

家内に言わせると、一人暮らしの母と二人でのんびり過ごせるならいいが、本来自宅でするべき正月行事一切を実家の分と合わせて2軒分段取りするのだからで寝る間もないとのこと。家内には弟が一人いてその子が二人、我が家にも子供が二人で全員結婚している。当然ながらついている職業の関係、配偶者の実家との関係があって、年賀挨拶に来る日がばらばらになっている。横浜では3ヶ日の間、毎日正月客の接待に明け暮れるわけだ。

こちらも江戸で一人留守番しなくてはならないが、そのくらい我慢してよとのご託宣。古い読者は先刻ご承知だろうが、もう一つ大事な公務が元日の伊勢神宮参拝。ひょっとすると30年近い習慣になってしまっているので、なかなかやめる踏ん切りがつかない。まして大学受験で浪人している孫がいるので、来年は必須とのお達しもある。もう何週間か前に往復の乗車券を手配してあるが、元日は東京駅発朝の8時、帰りは6時を過ぎるだろう。2日と3日は娘が順番に横浜に来るので、この日も早起きして横浜に出向かなくてはならない。

何れにしても年の初めから忙しくするのもいいだろう。だが一つ気になるのは利用する「のぞみ」の先日の事故だ。例の列車の製造がいつものか知らぬが、重大な事故であったのは間違いない。飛行機の場合であれば、翼の継ぎ目でもない平らな部分にあんなに大きな亀裂が発見されれば、即座に世界中の同型機は飛行停止の措置が取られるだろう。テレビ報道で専門家の意見を聞いても「継ぎ目でない鋼材に、かくも大きな断裂は原因を考えにくい」としている。

神戸製鋼や三菱マテリアル或いは東レが噛んでいる訳でもあるまいが、今年の日本はどこかおかしい。誰の責任か分らぬまま次から次へと劣化現象が露呈している。今年を漢字一文字で表現すれば「劣」としたいところだ。

2017年12月22日金曜日

一陽来復

今日は冬至、今日で陰極まり陽が生じることからこれを一陽来復と呼ぶのだそうだ。今年は世界的に悪いことが多すぎた。明日から物事が良い方向に向かうことを心から祈りたい。とは言っても来年も油断はできないだろう。世の中は広い、いくら祈ろうと悪い人間が尽きる筈はあるまい。この場合の良い悪いは個人的感想に過ぎないが、世の中を良い人間ばかりと見ることが出来る人がいるとすれば羨ましい限りと言うしかない。新年への儚い希望はさて措き、しようもない思い出を書く。

年末も現役時代の記憶とはすっかり様変わりしている。政府予算案がクリスマス前に上がるなんて想像もできなかった。官庁関係の仕事が多かったせいで、いつも今頃は仕事も飲み会も多忙を極めていた。来年度予算の絡みである。お役所も年に最大の働きどころとばかり、予算関係課は毎晩遅くまで仕事をする。その予算にありつこうとの下心ある我々は担当課職員が帰るまで会社で待機する決まりだった。担当課職員は大蔵省主計課の担当から解除(大抵0時前後)が掛かるまで待機させられているのである。

大蔵の主計課職員は昼過ぎ出勤と決まっていて、深夜0時前の帰宅は無い。これを年末、酷い年には大晦日まで持ち越すのだから、端はたまったものではなかったが、霞が関では、これが一種のお祭りみたいものだった。お祭りには当然酒が付きもの、他人が見れば不思議だろうが、彼らは1年の殆どをこの騒ぎのために生きているのだから仕方ない。業者である我々とすると、忙しいからと言って役所の担当相手の忘年会を欠かすわけにはいかない。

特に、当時は官々接待が当たり前だったので大蔵の担当を交えることがある。大体は主佐止まりだが、担当課の腕次第では主計官同席なんてこともあった。何れにしても大蔵が絡むと大変で、始まりは早くて9時過ぎ、2時間くらいで大蔵職員は大蔵省に戻っていく。既に予算案は決まっているのだが、お役人はこの期間仕事をする振りが必要だったのだ。業者側はこのための料理屋を確保し、ハイヤーを手配しなければならない。この仕事を30歳かそこらの頃やらされていた。こちらはどんなに遅く帰ろうと翌朝は8時半には出勤である。

今にして思うと、誰にとっても仕事だったかもしれぬが下らないことだった。否、飲食業界や車両関係業界には大いに意味がったかもしれぬ。我が家族にすれば大迷惑だったことだろう。今日はその予算が確定するらしい。現状をはっきりは知らぬが、お役人も自宅でゆっくりクリスマス休暇を楽しめるのは結構なことだ。

2017年12月21日木曜日

サイレント・クーデターへの期待

安倍内閣1強体制が国家を思いのまま操っているかのようである。行政内部官僚は勿論、立法府から司法に至る法的な権力からマスコミの言論権にまで侵食して影響を及ぼしているそうだ。この結果日本の将来はどうなるのか?社会がボロボロになりかねないのではないか。1960年70年代に沸き起こった学生や有識者の蹶起を期待したいが、その気配は全くない。前回の総選挙の結果を思い出しても、選挙もたいして期待できない。

極めて悲観的な気分で年の瀬を迎えたが、昨日ネット(ビデオニュースドットコム:ニュース・コメンタリー 12月16日)を見ていて少し救われそうな情報に行きついた。以下にURLを書いておきます。50分ほどですが無料ですので時間のある方は是非ご参照してみてください。
http://www.videonews.com/commentary/171216-01/

内容を簡単に紹介すると、先週発表された岐阜県美濃加茂市の市長藤井浩人氏が、受託収賄事件の最高裁判決を受けて辞任会見に端を発している。主催者のジャーナリスト神保哲生氏と解説の社会学者宮台真司氏との対談で、この判決が政権の意図に従わない者への見せしめで如何に酷いものであったか、即ち政権の意図が司法も歪めてることから話が始まり、安倍政権の傍若無人の振る舞いが語られる。

ところが後半に至り神保氏が意外なことを口にした。とは言っても最近の事象を観ていると、官界にしても司法界においても安倍政権の振る舞いに対して秘かなレジスタンスが始まっているかのように見えなくもない。前国会終盤での会計検査院の調査報告も、政権としてはもっと曖昧なものを期待していたのではないだろうか?前文科事務次官前川喜平氏の発言は明らかだが、氏以外にも現政権の官邸主導のやり方に不満を持つ官僚は少なくない筈。

自民党内にだって小泉進次郎氏のように「これでは党なんか意味が無い」とあからさまに言ってのける者が出てきている。直近では東京地検特捜部捜査に乗り出しているペジーコンピューティング事件とリニア中央新幹線受注を巡るスーパーゼネコン談合事件は両方とも安倍政権中枢に巣食う輩に直結しているとも言われる。

意見を求められた宮台氏は、どれをとっても必ずしも正義感に基づく行動とは断定できない。あんな連中に我が権益を犯され黙っている訳にはいかない、と言った組織防衛の力かもしれない。しかし、権力の分散という民主主義のプラットフォームが壊れるのを黙って見過ごすことからすれば、内なる権力闘争は余程ましだ。両者ともこの動きを期待できるとはまだ言えないそうだ。しかし東京地検の動きは期待したい。

2017年12月20日水曜日

のど元過ぎて好い気分

特別国会も無事終了して息を吹き返したのか、安倍首相は先週末15日と昨日の19日立て続けに都内で講演して危ない発言を繰り返している。15日は共同通信加盟社編集局長会議での講演で、ここでは「防衛力整備の指針に当たる防衛計画の大綱(防衛大綱)について従来の延長線上ではなく、国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めていきたい。」と大幅に見直す考えを示した。

昨日は時事通信社関連団体の集まりである内外情勢調査会主催の講演会で「(東京)五輪が開催される2020年、日本が大きく生まれ変わる年としたい。憲法について議論を深め、国のかたち、在り方を大いに論じるべきだ」と2020年改憲への強い意欲を示したとされている。この間、嫁さんは首相公邸に知人を呼んで忘年会三昧とも伝えられるし、本当に懲りないご夫婦だ。大手通信2社も如何に暇とは言え、国会で本当に聞きたいことを取材させてくれなかった首相を態々呼んで、聞きたくでもないことを喋らす神経は呆れるばかりだ。

アメリカのトランプ大統領に世界中が引っ掻き回された年の暮れだが、アメリカの暴走も止む気配が無い。来年の世界情勢は大いに心配だが、世界の情報から目が離せない重大な任務を背負う外務省、そこの来年度最大なの課題が外務大臣専用機の導入だそうだ。最隣国で日本にとっては最も利害を共有する国ある韓国、今週外務相が態々訪日して先ずは文大統領の訪日を打診したそうだが、何故か日本はこれを断っている。ここまで来るともう笑うしかあるまい。口先では協力協調を言いながら、アメリカに義理立てして中国寄りの文大統領を暗に批判し、慰安婦問題再燃に因縁をつけているだけのことだ。

明らかな上から目線、アメリカかぶれの政権には「小異を捨てて大同につく」なんて東洋思想は思いもよらぬことだろう。公明党が自民党の下駄の雪になり果てて久しいが、今年は日本がアメリカの下駄の雪になり果てたことを世界に宣言する年になったように思う。日本人として自主的な考えを持つ与党政治家がいない訳でもあるまいに、右寄り政権が聞いて呆れる。本当の右翼思想家がいたら怒り狂うだろう。

2017年12月19日火曜日

マイナンバーカードの受領

雪は無いが寒い日が続き、冬らしくなってきた。一般社会では年末ムードが賑やかで、マスコミ的には今年を顧みる内容が多い。今年を象徴する文字は「北」とのこと。心は主に、世界が北の若旦那に振り回されたことにあるらしい。少し分かりにくい気がしないでもない。何れにせよ漢字一文字で1年を表すのは難しい。個人的に今年を振り返っても特筆するようなことは何もない。

今日はマイナンバーカードを受け取りに区役所の西部支所まで行ってきた。マイナンバーカードを作らなければならない理由は特に無く、敢えて言えば一つの暇つぶしでもある。運転免許証とパスポートが無いので身分証明書くらい持った方が良いかとの思いも少しはあったが、お役所相手のこの作業、十分な手間と暇をつぶさせてくれた。先ず久しぶりに証明書用写真を準備して、申請書を郵送する。思い出したがきっかけは1,2か月前に、この申請書用紙が送られてきたからであった。

それを忘れた頃の1週間ほど前に、カード発行の準備ができたので受けとリに来いとの手紙が来たので、のこのこ区役所に行ったら「今日ここでは渡せない、支所で渡すから先ず支所に電話してください。」とのこと。すぐに電話をすると「準備が必要なのでお渡しするのは直近で4日目、今日は予約番号をお知らせしますのでお控えください。」ときて、更に当日持参する物についての説明があった。

顔写真入りの証明書が無いので通常より1点余計必要らしい。何かと言うと健康保険証と生年月日が印刷されている病院の通院カード、これが無いと本人確認が出来ないからと言う。顔写真入りの証明書を受領に本人が行くのだから、その場で本人確認が出来るだろう、と野暮なことは言わないことにした。今朝9時丁度に支所の窓口に行くと受付番号は1番で、また暫くお待ち願います、である。

暫くしてカーテンで仕切られた小部屋に通され、恭しくカードが持参されるが「まだお渡しできません」とのこと。目前に置かれたPC端末で暗証番号の設定が終わってカードが手元の渡されるが、また延々と今後の取り扱上の注意が言い渡される。「5年後には暗証番号変更のためまたこちらにお越しいただきます。そして10年後には顔写真の更新が必要となりますので同様にお越し願います。」5年後10年後に生きているかどうか甚だ疑問だ。

世の中に年寄りは多いし、パソコン何ぞ見るも汚らわしいと思っている婆さんなんかどうなるのかな?実体験してみて、少なくとも現時点では不要な物にしか思えない。

2017年12月18日月曜日

馬鹿にするな!

偶数月の15日は年金支給日に当たるので待ち遠しく楽しみな日である。先週の金曜日がそうであったが酷いショックに襲われた。10月の支給日に気づくべきであったが、6月の支給に比べて約9万円減額されているのである。具体的には38万円と思っていた支給額が29万円しかない。何かの間違いかと思って税理士事務所に問い合わせると、年金機構に直接問い合わせてもらわないと分からないそうだ。

思い当たる節は一つあって、昨年臨時アルバイト収入が100万円あった。多分これが響いているのだろうが、源泉徴収で先ず10万引かれ、更に年金から9×6で54万引かれたら残りは36万。これから調べるが、電話はなかなか繋がらない。政府は税制改革大綱だとか働き方改革だとか勝手な屁理屈を並べ立てているが、要は取り易いところから取り、無駄遣いのし放題。中でも許せないのは「防衛費にGDP1%のシーリングがあるとは思わない」と言ってのける無神経さ。

取り易いところからむしり取った国民のお宝を何が悲しくてアメリカに差し出さねばならぬか。馬鹿にするな!と本当に怒りが湧いてくる。若い人からは、爺が生きているだけでもらえる金だ、偉そうにグダグダ言うなと叱られるかもしれぬ。分かっているが、明日は君の身だ。特に定年が間近に迫っている人たちは支給開始年齢の引き上げはもはや確定的だろう。政府は、人生100年時代だから、50や60歳からでも後20年や30年は働けるなんて馬鹿な目くらましを言っている。

だったら議員年金の復活なんて口が裂けても言うんじゃない!国会議員になろうなんて活力のある人間の再就職なんて幾らでもあるのだろう。国会議員の成れの果てで乞食をしている人間がいたら連れて来て見せてくれ。この週末のテレビではバブル時代採用サラリーマンの悲哀が様々報道されていた。サラリーマンによって国家財政の大部分が占められていると言うのに、働き方改革の何と非情なことよ。一説(経済評論家萩原博子氏の試算)によれば、これによって企業の残業費が7~8兆円節約され、勤労者世帯の収入に年間では10万単位で響いてきかねないとのこと。

残業代が減ることは喜ばしいこともあるだろうが、当てにして残業している人も少なくないだろう。これも昨日のテレビを観て思ったことだか、政府はいとも簡単に言うが50歳過ぎての職替え、起業なんて出来る人間はどのくらいいると思っているのか。不幸な家族が増えないことを祈るばかりだ。

2017年12月15日金曜日

地位と役割

どんな組織であっても地位に応じた役割があることは誰もが知るところだ。社長には社長の、課長には課長の役割があって、それぞれが責任をもって役割を果たすことが求められる。逆の見方をすれば、社長は部長の役割を奪うようなことはすべきでない。これもよくあることで、上司が部下と競争してしまうような現象が起きることがある。私的な話になるが、飲み屋で上司の悪口を言って留飲を下げていたサラリーマン初期の頃のことだ。「馭者が馬とかけっこしても勝てるはずが無かろうに、なんて馬鹿な真似をするんだ。」

飲み屋で悪口を言っているうちはまだよかったが、それが25年間積もり積もって社長と衝突、結局会社を辞める羽目になってしまった。外国のことは分からないが、地位と役割に関しては小説や映画を観ている限り、日本より欧米の方がすっきりしているように感じている。馭者は馬の脚がのろいと思ったら鞭をくれるか、馬を替えればいいだけのことだ。日本では嘗て在籍した会社に限らず、往々にして馭者が馬と一緒に馬車を引っ張ろうとする経営者が出現するようだ。ちょっと見には美談めいて見えるが、欧米のマネージメントでは非効率の極みとされているらしい。

こんな話は何も中小のオーナー企業に限った話ではない、大企業にも起こりうるだろう。更に言えば霞が関の官僚組織や国の統治機構にしても、地位と役割が画然としていないようにも見える。極端に言えば日本中を見渡し、己の地位と役割を明快に理解できている人は天皇陛下だけかもしれない。国家を組織に例えるのは適当ではないかもしれぬが、似ているところもあると思う。天皇陛下には主権者である国民が「国の象徴」なる訳のわからぬ役割を割り振っている。どのように振舞うかは法律で規定している部分もあるが、大事なところは自分でお考えください、と丸投げしている。どこの組織も似たようなものだ、トップは自分で考えることを求められる。

陛下はこの無理難題をものの見事に受け止められて長年務めてこられた。このことに異を唱える国民はそう多くはあるまい。国民の負託と言いう意味で陛下の次に大きな役割を担うのは、いわゆる三権の長だろう。即ち、最高裁判事、衆参両院の正副議長、内閣総理大臣(副もいたかな?)となる。この数名は、せめて国民に名前ぐらい覚えてほしいものだ。恥ずかしながら名前を記憶しているのは衆議院議長と内閣総理大臣の二人しかいない(この他に官房長官の悪名も知っている)。上から見ると「お前は我々の名前も知らぬのか、無礼者めが!」かもしれぬが、である。

如何に議院内閣制、政党政治であっても、トップの地位に就いた人間は、全ての国民を平等に見る役割を意識してもらいたい。現代日本が様々な面で国際的に劣化していると思う一年寄りの儚き望みである。

2017年12月14日木曜日

寿命

午後に野暮用が入ったので、今日は少し早めにアップする。

昨日のテレビで都道府県別平均寿命のランキングの発表があったそうで、夕食時に話題になった。何でもこれまでは男性も女性も1位だった長野県から男性だけ陥落したとのこと。詳しくは聞かなかったが、男の平均年齢は多分82歳前後だろう。できればその歳まで生きてみたい気もするし、友人と話していると親父の年齢まではと言う人も多い。そうすると92歳だ。一方で最近は政府迄「人生100年時代」なんて言い始めている。

事実100歳の高齢者は増えているようで、年末に来た喪中案内を見ても95歳以上の高齢者を亡くされた通知が何通かあったし、親族にも90歳を超えたお年寄りが何人かいる。長命は実に目出度く結構なことではあるが、我が身のこととして思うと、長命が無条件結構とばかり言いきれない。健康で本人も楽しく周りに迷惑を掛けずに済めば大いに結構だ。しかし、ボケが酷くなれば自分はどう感じるか分からないし、周りの人が迷惑することだけは間違いない。

先日野球界の野村監督夫人が急逝されたとの報道があった。死因等詳しく分からないが、御年85歳で前日までピンピンされていたらしい。同じ部屋で寝ていた野村監督は朝起きる時から異変を感じていたようだが、目の前で亡くなられたことには流石ショックが大きかったように見受けた。がしかし、野村夫人の生き方死に方を報道で見聞きする分には羨ましさを禁じ得ない。婆さんは「あんたはストレスが無いから長生きできる。」とまるで医者の様な事を言うが、「俺にだってストレスなんざ一杯あるわさ。」と言い返したい。

何れにせよ己の寿命を云々するのは神を恐れぬ所業にもなりかねないので声高に言ってはいけないかもしれぬが、そんなことを考える年齢になっていることだけは事実だ。今日は既に年の瀬も半ばに差し掛かって、普段暇人を自称していても何かと雑用が多い。昔流に言えば間もなく1つ歳をとる勘定だ。一休禅師の狂歌「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」も上手いこと言うなぁ。

2017年12月13日水曜日

日本語の難しさ

小学生の頃は夏休みの日記も書けなくて、近所のお姉さんに代筆してもらったりしていたほどの勉強と宿題嫌いである。通信簿の評価は良かろうわけが無い。算数よりは少しましな国語でも綴り方なんぞ全然苦手だった。それがこの齢になってブログを書いているのだからお笑い種だが、本人にしても悩ましさは半端ではない。相当いい加減なことを書き綴っているが、日本語の基礎が出来ていないので、読者の方には意味不明と思われることが度々のことだと思う。

思うに日本語は語彙が豊富すぎて却って表現が難しくなるのではないか。小生も意味が曖昧なままに好んで古めかしい言葉を使いたがる口だが、この手合いは語彙が少ない者に限るようだ。気を付けなくてはいけないと思いつつ、ふと最近はやりの言葉を思い出した。「国益」である。1億2千万人からの国民総てに利益があれば国益と言えるかもしれない。

では、アメリカから言われたかどうか知らぬが、1千キロも飛んで北朝鮮のミサイル基地を攻撃できる高価な兵器を買うことは国益か?そうだと言う人もいれば、俺は関係ない、或いはそうは思わないと言う人もいるに違いない。憲法改正にしても似たようなことだろう、自衛隊を違憲とする憲法学者が多いのは自衛隊に対して失礼だ。だから早いとこ憲法を改正すべき、が一方の意見。自衛隊は合憲と認められているのだから、今のままで良いではないか、とする人も多い。

後者の改憲絡みの話は単に日本語の問題ではないかもしれぬが、日本の最高法規の表現方法についての問題であるのも確かだ。これからは「愛国心」なんかも世に氾濫することになるのだろうが、兎に角日本語は難しい。ブログを書く際に難しい日本語にはなるべく近づかないことだ。昔は似たような言葉で「大義」とか「正義」をよく聞いたが、最近あまり使われなくなったような気がする。

「大義」には「国益」に似た意味合いがありそうで使いたくないが、「正義」の方は昔大分流行ったように思う。鞍馬天狗ではないが弱い者の味方が「正義の味方」で誰にとっても分かりやすかった。最近は「正義」の意味もあいまいなところがあり、使いにくくなってきた気がする。

2017年12月12日火曜日

AIと人体

1週間前に書いたばかりだが、今盛んにもてはやされているAI(日本語に訳すと人工知能らしい)がどうもよく分からない。少しは理解の足しになるかと思って新書を1冊買って読んでみた。「人工知能と経済の未来ー2030年雇用大崩壊」(井上智洋著)、選択が間違っていたかもしれぬが著者は経済学者であった。こちらの理解度はと言うと益々混乱を来したとでも言うべきだろう。人工知能の発達で、いつの日にかは生身の人間に近いロボットが完成するだろうとの見立てになっている。

それならそれでも良いが、どっちにしてもこちらには無関係なことだ。最近のの宣伝を観ていたりすると、自動運転の自動車が登場しそうな雰囲気もあるが、既に運転をやめて久しい。家事ロボットも様々な宣伝が既に行われているが、家人の決まり文句は「埃がたまっても命には別条ないでしょう。」だったり「洗濯機は2槽式に限る。」で前者は手抜きで気にしない、後者は何で全自動でなきゃならぬのだ、手間を惜しむべきではない。と相矛盾しても平気である。

何れにしても我が家の機械化は相当以前に止まっている。電子レンジが無くて毎朝夕2食を温かく賄えることを誇りにしている婆さんの言うことだから抵抗すべくもない。恐ろしいもので、娘の一人は旦那が単身赴任した際に自分が使っていた電子レンジを持たせて、帰りに処分させ、以来母親に倣って電子レンジを使用していないらしい。お燗には便利だと思うが、娘がワイン派で旦那も自宅では日本酒嗜まない様だ。

もう一人の娘宅は旦那が電子技師の関係から、テレビを未だに箱型のものを使い続けているらしい。我が家には薄っぺらなテレビが3台あるので1台持っていったらどうかと薦めても、娘にも何か思うところがあるようで断られているとのこと。代わりにもう何年もBSで放送している「吉田類の酒場放浪記」と言う番組を毎週録画してDVDにブルーレイでない方式にカスタマイズして焼き、送っている。

婆さんが孫たちに言う決まり文句「脳みそは生きているうちに使いなさい。」があるが、脳みそだけでなく身体もできるだけ使った方が年寄りには良いだろうと思うこの頃である。

2017年12月11日月曜日

たかが一人、されど一人: ペテン師内閣と提灯マスコミ

たかが一人、されど一人: ペテン師内閣と提灯マスコミ: 昨日で特別国会が実質終了。この国会はいったい何だったのだろう?元はと言えば、今年の通常国会終了後、憲法に則った形で全野党から要求があった臨時国会を開かず(政権は例え議長の一言でも開いたと強弁するだろう)、総選挙に持ち込んで勝利を収めた与党が、総理指名だけを目的に開催を目論んだもの...

たかが一人、されど一人: 今年最後の紅葉

たかが一人、されど一人: 今年最後の紅葉: 今朝のテレビニュースによると、アメリカは来年2月の平昌(韓国)オリンピックへの正式参加を決めていないそうだ。アメリカはトランプ大統領だけでなく国を挙げて米朝危機を煽り始めている。国連代表は先週北朝鮮入りをして、対話の窓口を設けたとのことではあるが、米朝関係が一触即発の危機にあるこ...

今年最後の紅葉

今朝のテレビニュースによると、アメリカは来年2月の平昌(韓国)オリンピックへの正式参加を決めていないそうだ。アメリカはトランプ大統領だけでなく国を挙げて米朝危機を煽り始めている。国連代表は先週北朝鮮入りをして、対話の窓口を設けたとのことではあるが、米朝関係が一触即発の危機にあることは認めているので、何とも嫌な気分だ。日本の選手団結成はいつになるのだろう?早いとこ済ませてアメリカに催促してはどうかだ。

11月まで土日は午前中ジムで少し運動することにしていたが、先週から土曜日だけにして日曜日は休養日にすることにしてみた。昨日も午前中は年賀状制作に充て、午後から散歩を兼ねて目白の永青文庫に行ってみた。熊本の旧細川家(元都知事細川護熙氏のご先祖)のお宝展示館である。細川家のお宝は嘗て上野の国立歴史博物館で鑑賞したことがあり、その時の展示には如何にもお宝と言ったものが数多く出展されていた。しかしここの常設展示はその類は少なく、細川家の歴史を物語る古文書が中心である

場所も目白と聞いたので、何となくすぐご近所のつもりで出かけたが、結構な距離で歩きでもあったし、静かな場所で入館者が少ない。故にゆっくり鑑賞できたのもよかった。普段目白界隈を歩くことは無いので、改めてこの地域の環境を味わったが、我が豊島区、特に池袋に隣接するにも拘らず大違いである。学習院や日本女子大のキャンパスの他に椿山荘や田名角栄氏のお屋敷跡が立ち並ぶ。細川邸はその裏側、神田川に下って行った傾斜地にひっそり佇む風情である。

他の場所に単独で建っていれば、それなりに堂々たるものだろうが、目立たないというか探し当てるのが一苦労だった。東の向かい側に建つ屋敷の土塀が長すぎて中を伺うことが出来ない。永青文庫で聞いても屋敷の持ち主を知らないとの返事。文庫を後にして神田川まで降り、地下鉄有楽町線江戸川橋まで川沿いを散歩した。左手の斜面の裾は公園になっていて子供連れが何組か日向ぼっこを楽しんでいた。大部分椿山荘の所有地らしい。

嘗て山県有朋が屋敷を構えて作庭に励んだだけあって、斜面には多くの木が茂り紅葉が夕日に映え、過去の栄耀栄華を偲ばせていた。

2017年12月9日土曜日

ペテン師内閣と提灯マスコミ

昨日で特別国会が実質終了。この国会はいったい何だったのだろう?元はと言えば、今年の通常国会終了後、憲法に則った形で全野党から要求があった臨時国会を開かず(政権は例え議長の一言でも開いたと強弁するだろう)、総選挙に持ち込んで勝利を収めた与党が、総理指名だけを目的に開催を目論んだものだ。当初は所信表明さえ無しで済まそうとしていたが、流石この態度には与党内からも反論があったのだろう。

野党が要求した「モリカケ問題」追及が申し訳程度に出来る可能性を見せて、形だけ作って見せた。総理が出席する予算委員会は衆参両院で2日ずつ、合計4日のみ。安倍一族からすれば全て読み筋通りだったと言うことか?それでも野党の追及で、会計検査院報告に表れた森友学園用地払い下げのいかがわしさや、以前払い下げ申請された際の財務省見積もり発見など、新しい事実が国民の前に曝け出された。

事実を突きつけてもマスコミは反応しない。こいつらも何を勘違いしているのか、何の調査もしないで野党の追及不足と書きまくり、言いまくって、相撲業界の面白くも無いニュースを前面に持ってくる。まるで疑惑は何も無いのに、馬鹿な野党がいつまでも同じ質問をして時間を浪費している、と言わんばかりだ。質問は同じじゃないだろう、少しは自分でも調べてみてはどうか。

官邸で総理は本当に何もなかったかのような顔で、閣僚の真ん中でふんぞり返ってうすら笑いを浮かべている。これで禊が済んだような顔をされて、本当にいいのだろうか?庶民の財布から金を搾り上げ、友達の財布の利便を図る、こんな詐欺師、ペテン師もどきがいつまで最高権力を握るのだろうか?来年が思いやられる。

2017年12月8日金曜日

歴史認識12月8日

今日は開戦記念日、とは言わないか?昭和16年12月8日については1歳半だから残念ながら何一つ記憶が無い。現代なら1歳半ともなれば母のぬくもり以外に終生記憶に残ることもあるだろう。ともあれ、今や記念することは当然無いだろうが、日本人の大半は、嘗て我が祖先が今の中国における権益(植民地)拡大を巡ってこれに抵抗していたアメリカやイギリスに戦争を仕掛け、結果的に大敗北を喫したことを殆ど忘れ去っている。

忘れること自体は時の摂理と思えば非難には当たらない。ただ最近の世相が昭和初期に似てきていると言う人が多い。歴史に詳しくないので断言はできないが、もしそうであれば、即ち日本が70数年に亘り戒めていた軛を自ら外し、戦争に向かって進み始めているとするなら問題だろう。社会全体で少し冷静になって、問題の在りかを質し、改めるべきは改めるべきかと思う。

世直しについては何の力も無いので、今日思ったことを幾つか上げたい。先ず、歴史認識が一つである。開戦の火ぶたの一つ、真珠湾攻撃でアメリカ側に甚大な被害が出たのは知っていたが、「日本側は航空機29機が帰還せず、64人が死亡した。」と今朝の朝日新聞で初めて知った。

世の中には先の大戦を「自存自衛のための戦い」として肯定する人も多い。定期的に靖国参拝を続ける人には特に多いだろうと推測する。しかしこの人達の全員が、明治初期から続いた富国強兵の国策を全面的に肯定し、全く間違いは無かった、と断言する訳でもあるまい。逆に先の大戦を日本の政治判断の間違いと主張するいわゆる左翼系の人は、戦前の国策全てを否定するするのだろうか?そうではあるまい、国策とは関係無いかもしれぬが、戦前迄伝承されてきたの日本の文化には消してはいけない火が多いことを誰も否定できないだろう。

歴史認識も難しいが、保守と左翼も意味がよく分からない。時に共産党議員に投票したりする己は左翼かと自問すれば、否そうではないと答えたくもなる。では保守なのだろうか?たまたま昨夜のテレビで保守論客の長老とされる西尾幹二氏と安倍総理を思想面で支える補佐官衛藤晟一氏の論戦を聴いて思った。保守思想を突き詰めて考えると、「自主独立」即ち自分の頭で考える事と思い至った。
https://www.youtube.com/watch?v=Bpiw0vi5Ppo

己への答えはさて措き、今年の夏に長老の西尾氏が、産経新聞紙上で安倍総理に対して反旗を翻し、保身、臆病風、及び腰、裏切り…と激しい言葉で罵倒した意味がよく理解できた。衛藤氏の名前を出したので一言付言、日本会議の大幹部だそうだが、西尾氏に向かって反論できず、爺が余計なことを言うなと恫喝するばかりだった。

2017年12月7日木曜日

権力分散なき国家

明日まで特別国会が開催されているが、政治への失望感が強くて関連報道をほとんど観たり読む気にならない。ところが昨日ネットで前川喜平氏(元?文科事務次官)の長時間インタビューを聞いてしまった。氏は今年の通常国会で話題になり始めた頃からなかなかの人物だと思ってはいたが、改めて話を聞くと、政治問題を諦めてはいけないとの思いが強くなった。

氏は生まれから現在に至るまで生活環境が庶民離れした恵まれた環境であるのは確かだが、それを敢えて隠さず、その話を聞くとその思いを忘れさすほど説得力のある内容だった。どうも周知のことのようだが、先日林文科相が加計学園に大学設置許可を出した際に、すかさず「文部科学行政に汚点を残した」との声明を発表したとのこと。

改めて氏の加計学園設立に絡む問題点を聞くと、実に理路整然としている。論点の中心に置かれているのは2015年4月、総理官邸で今治市の職員が総理の事務秘書官と1時間半に亘る会見を行ったこと。この日以降今治市に加計学園獣医学部を国家戦略特区事業として設置するためのチームが一斉に動き出したのだろう。総理の事務秘書とは正に総理の身代わり、その人が官邸で面会するのだから総理が知らない筈はあり得ない。

ここから先は総理周辺に大勢いる官僚が、進行表を描いてその通りに進行してきた。従って総理の心情を誰かが忖度して云々の話ではなく、明確な総理の意思表示に基づかない限り成り立たない話だ。ただそれを認めるわけに行かなくなって、それをカバーする弥縫策が余りにご粗末ということである。このことはさて措き、氏が真剣に怒っているのは現在の民主主義の危機にあることを強く感じた。

即ち、現代の日本は権力が政治権力に集中しすぎて、民主主義の世界では本来別に存在する筈の権力が政治権力に侵食されつつある。警察とか検察とか、ひいては裁判官までも相当官邸の顔色を窺うようになっているのが問題である。しかしそれ以上に問題だと思うのは、マスコミ権力の犯され方だと指摘する。

たまたま昨日は最高裁判決で、NHKは独立した報道機関とのお墨付きも出たようだが、昨今の報道を見ていて本当にそう言えるだろうか?前川氏のツイッターに「読売新聞はもうメディアという名に値しない。」と書かれているが、NHKも似たようなものだろう。

権力分散なき国家は独裁国家で北朝鮮と同じだ。

2017年12月6日水曜日

不思議な話

昨日夕刊に不思議なニュースが掲載された。見出しは「スパコン開発会社長ら逮捕 助成金4.3億円詐取の疑い」逮捕されたのはスパコンの開発会社「PEZY Computing」(東京都千代田区)の社長、斉藤元章容疑者(49)と同社元取締役、鈴木大介容疑者(47)の二人。逮捕したのは東京地検特捜部である。特捜部によると、2人は2014年2月、同社が選定された「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)の12年度の研究開発費補助事業で、約7億7300万円の費用がかかったと水増しした実績報告書を出し、同年4月、助成金名目で約4億3100万円をだまし取った疑いがある。特捜部は5日、同社や関係先を家宅捜索した。

要するに、容疑者は経産省扱いの政府補助金申請に当たって、見積もりを水増ししたとの疑いである。昨日午後「朝日新聞DIGITAL」でこのニュースを知り、容疑者と会社について少し詳しく調べてみた。調べれば調べるほど疑問が深まるばかりだ。「新エネルギー・産業技術総合開発機構」の補助金については直接関わったことは無いが、友人知人で補助金を貰った者が多いので仕組みについては大凡見当がつく。また、個人的には(NEDO)に似たような経産省の外郭団体から補助金を貰った経験もある。

12年度と言えば東北大震災の翌年、復興も絡んで霞が関には大量の予算が付いたことだろう。そのことはさて置いても、この見積もりが過大だったということは(NEDO)職員にしか特定できない。しかし補助金申請の査定は組織内部で何重にも厳格な審査を経なければならない。このスパコン開発会社が4億強の補助金を受理できたのだから、相当多数の人間が見積もりを認めている筈だ。5年も前の話だから、関わった上部の人間は殆ど退職しているだろうが、相当上まで責任が問われなければならない案件の筈だ。

今日の続報では12年以降も同様の手口云々とある。特捜部が捜査に乗り出しているのだから当時の経産相かもっと上位者まで視野に入っていても不思議はない。特捜部の視野は兎も角として、事件の発端は内部告発以外にあり得ない。司法官僚がスパコン制作の見積金額を検証する能力なんか無いに決まっている。逮捕された容疑者は医者が本職だったようだが、今やAI分野でも世界的に認められている天才肌の人物のようだ。当時話題になったスパコン「京」は国家プロジェクトで1千億円以上がつぎ込まれている。

国が焼餅を焼いて個人攻撃したようなことでなければいいが。

2017年12月5日火曜日

未来の社会

世の中にも明るいニュースが少ないし、我が身は衰える一方でこれまたパッとしない。滅入ってばかりいても仕方ない。明るさを未来に求めても詮無いが、只でさえすっかり様変わりしていると思っているこの社会が、次の元号の時代は第4次産業革命で劇的に変わるらしい。あの世から見るのだからどうでもいいようなものだが、最近盛んに言われるAIという代物、これの意味が分かろうと分かるまいと、の影響で世の中が大きく変わることだけは間違いなさそうだ。

今現在その変化の真っただ中にいることを認識できることが一つだけある。例のグーグル社が開発したとされる囲碁ソフト(アルファ碁が固有名詞かどうか知らないが)が、昨年だったか今年になると、世界最強と言われる韓国人プロ棋士に勝利したことだ。この凄さだけは強烈なインパクトを小生にもたらした。今から15年程前だったろうか、個人企業主になった当時に、世話になった税理士さんから貰った囲碁ソフトを思い出したからである。

それまで機械と囲碁をする習慣が無かったので、早速やってみると明らかにこちら(1級か甘く見ても初段))の方が少し分が良いみたいで、すぐに飽きてしまった。当時もう少し強くなりたくて、当時は池袋の碁会所にも通って席亭(主人)の指導を受けたりしていた。この人は嘗てアマチュアの全国大会優勝経験者で、早稲田の理工学部で尚且つ囲碁部の主将だったらしい。囲碁の後に食事をしたときの話題がコンピュータに及んだことがあった。

当時将棋のソフトの進化がそろそろ話題になりかかっていた頃だったと思う。その時の席亭の言葉「囲碁の局面の変化はほぼ無限に近いので、俺を打ち負かすソフトは生きている間には出現しないだろう。」が印象に残っている。詳しくは忘れたが、変数が19の361乗だったかで、彼に言わせると、宇宙を埋め尽くすくらいの砂粒の量と同じ、と昔は言われたものだ。当方も感心しながら聞いていたが、多くのプロ棋士も似たように感じていたかもしれぬ。

それから暫くして、日本で開発されたソフトが日本のプロ棋士と置き碁(4子とか3子)でいい勝負をするようになったと聞いたと思ったら、上記の報道に接するまでがあっという間だった。要するにコンピュータの世界の発展速度はアナログ人生を歩んできた凡人のイメージを超えることだけは間違いない。大昔観た映画にアメリカの軍事コンピュータとソ連のそれが勝手に連絡を取り合って、人類に襲い掛かってくる設定があったような気がする。

コンピュータ同士が連絡取りあって、世界を平和に向かわせるソフトが開発されること願わずにはいられない。

2017年12月4日月曜日

世は様々

年末と言うこともあり先月来同窓会の類が増えている。会社関係の集まりが無いので人と話をするのが大好き人間としては、学生時代の友人と語り合うのは大きな楽しみの一つでもある。齢77ともなるとお互いそうだろうが、昔の風情とは大分異なるところがあるのも興味深い。

今日の昼も竹馬の友とも言える友人と食事しながら話をした。彼が言うには奥さんのことが気になっているみたいだ。病気と言うほどではないようだが、膝の具合を悪くして好きなゴルフが出来なくなってなっているようだ。奥さんは5歳年下、お子さん二人は片付いて今や二人住まい。互いにこれからの人生について語り合っているらしい。

奥さんが常に主張するのは「お金の心配」らしい。そこで小生にお給金の渡し方など聞いてきた。彼は未だに給料を貰っている身分なので、年金暮らしの我が家のことなど参考にはならないと思うが、もしや、とでも思ったのだろう。月々の生活費は10万円と聞くとびっくりした様子だった。逆に聞き返すと、彼の宅では「月々30万円を渡していたそうだ。ところが奥さん曰く「貴方が亡くなった後を考えると不安でならない。」とのこと。

そこで彼は「俺が死んだ後は、前から言っているように○○銀行に〇千万円あって、口座番号から印鑑のありか、カードの暗証番号まで教えてあるではないか。」と説得したが、それでも不安そうだったので、今月からお給金を10万円上げることにしたとのこと。この奥方とは久しくお目に掛かっていないが、確かにゴルフなんぞご亭主よりうまいかと思うほど活発な奥さんだった。だけど、そのゴルフも膝の調子が悪いのでこのところさっぱりらしい。

それでも、ご亭主よりは長生きするつもりらしい。そこで彼氏に言ってあげた。
「今までのお給金の使い方がどうであれ、結構なことではないか。君だってもうそろそろお金の使い道が無くなりかけて困っているだろう。墓場に札は背負っていけない。嫁さんが代わりに使ってくれるなら有難いと思って大いに使ってもらえ。」全面的に理解が出来たような顔ではなかったが、兎も角うまい昼飯のご馳走に与ることが出来た。こうやって話しているうちはいいが、こちらを含めて誰から先に逝くかの方が問題だろうに。

2017年12月1日金曜日

虚しき年の瀬

朝から昼頃まで小雨で暗く重苦しい週末、誰かの終末でなければいいが。異常発言を連発するアメリカ大統領に代わって、比較的穏健な発言でカバーしていた国務相ティラーソン氏の解任が旦夕に迫ったと報じられている。氏自身の命とは無関係であっても、世界平和の命が旦夕に迫ったのではやりきれない。

もっと身近なやりきれなさもある。国会の予算委員会審議が昨日終わったと思ったら、今朝の新聞に「森林環境税」と「観光促進税」(出国税)という二つの新税の導入が固まった。と報道されている。政治の世界に与野党の馴れ合いがあるとは信じたくないが、予算委員会で総理大臣一家の無駄遣いを審議するのも結構だ。しかしこうも簡単に将来の増税が決まることについて、与野党を問わず政治家はどう考えるのだろう?

何度も書いたが減税しろとは言わない、せめて常に無駄遣いをやめることを政治の第一義にしてもらいたい。同様に考える人は多いと思うが、馬の耳に念仏のようで、新税や増税は入念に準備が進められている。5歳児だった終戦直後から高校を出る頃までだったろうか、周辺の禿山にどんどん植林が進み、針葉樹の林が出来ていったことを思い出す。当時は営林署が多く存在して、中から有名なスキーヤーが出たりしたものだった。

他には、冬来たりなば周辺の山々から立ち上る炭焼きの煙も懐かしい。森林環境税を国民から徴収して、ゴルフ場等のリゾート地開発やバイオマス発電とやらで伐採された森林を、今さら誰が面倒見ると言うのか。冗談もいい加減にしろ!で、増税分は全て防衛装備の買い付け費用とか、庶民と無縁の無駄遣いに回ると決まったようなものだ。テレビ中継されてる国会の予算審議とは一体何だったのか?

答弁者は用意された紙をを読み上げるが殆どすれ違い、詭弁とも言えないくらいご粗末な答弁の繰り返し。子供は見ないから良いとしたものでもないだろう。会計検査院も政権にとっては問題無いようだ。残るは検察だが、これもストーリーは出来ているらしい。政府にとっては我慢の4日だったかもしれぬが、これで今後も好き勝手が出来ると思えば安いものだ。白鵬ではないが鼻歌も出ようというところか。

侘しき小人の脳みその中では、嘗て小林旭がカバーして流行った旧「旅順高校」の寮歌「北帰行」が寂しげに流れているだけだ。~~夢は虚しく消えて今日も 闇をさすらう、遠き想い儚き望み、恩愛我を去りぬ 、今は黙して行かん、何をまた語るべき~~

2017年11月30日木曜日

日本の考え無いのか

昨日早朝3:18北朝鮮は新型弾道ミサイルの発射実験を行った後、午後になって重大声明を発表して、この新型ミサイルはアメリカ全土を射程に納めるICBMだと称した。日本の政府、防衛省は例によって情報を収集して詳細な分析をしているとのことで、午後の参議院予算委員会の小野寺防衛相も、夜のテレビに出演した元防衛相の中谷氏の口からも、北の発表を鵜呑みにはできないと言うのみで、ミサイルについて明確な認識は聞けなかった。しかしアメリカの政府と軍はこの実験をICBM。とほぼ認めるような発表をしている。

中国やロシアの見立ては分らないが、問題は韓国である。見立てがどうであったか分からないが、韓国は北のミサイル発射の6分後に、陸海空軍がそれぞれミサイルの発射訓練を行ったと報じられている。日本は官房長官の会見が4:30、総理が態々早朝から出てこなくてもいいと思うが、何を思ったか6時過ぎに会見を開いてテレビカメラの前で北を非難する一方で、自衛隊が発射当初から日本海に着弾するまでの動きを完全に掌握していたと述べたようだ。この違いの意味するところが、アメリカから沢山買わされている高額な兵器が役立たずの代物であることの証明でないこと祈りたい。

しかし韓国は70年間朝鮮戦争当事国でもあり、朝鮮戦争以外にも外国で何度も戦争に参加している。引き換え日本は、1945年以来、戦争を放棄し、世界もそれを認めてくれていたのだろう、72年間戦争に巻き込まれたことが無い世界でも珍しい国でもある。依って如何に我が国がのんびりしていようと、この違いはあって当然、全くやむを得ないと思う。ただアメリカは「日本だけが北朝鮮の危機を傍観するのは許さない」と声を荒らげているかのようだ。

この態度は大統領がトランプ氏に変わってから著しいが、昔からアメリカは自衛隊をアメリカ軍の下請けに引きずり込む戦略を静かに進めている。アメリカに限らず普通の国では外国との関係は相当長期スパンで考えて、戦略を練るものだろう。それが外交戦略と言うものだ。日本は外交戦略を問われれば、一にも二にも「対米追随」で、他国を顧みる余裕は無いようだ。

と言えば、他国のことにしょっちゅう口出しする現代の政治家からは「馬鹿なこと言うな」と叱られそうだが、「対米追随」以外の戦略が有るならぜひ教えて頂きたい。そこで、他策が無いことを前提で言いたい。如何に敗戦国といえど曲がりなりにも同盟関係にある主権国家だ。もっとまともに向き合って、日本の考えもぶつけてはどうか。たまに意見の不一致がある方が自然だ。これじゃまるで奴隷国家で、世界中から馬鹿にされる一方で、誰もまともに相手にしなくなるのではと心配だ。

2017年11月29日水曜日

老後の楽しみ

安倍総理は今どんな心境でいるのだろう?63歳とのことだから、やりたいことはまだ沢山あるかもしれない。その気になれば何でもできる人の心境を思ってみたいのだが、こればかりは想像の域を超えていそうだ。昨日親しかった人のホーム入りを聞き、未だに様々な思いが去来している。既にやりたいことは無いと思いたい年齢に達しているから当然だ。

そんな調子だから、このように毎日のように人様のこと論って書くことが、数少ない楽しみの一つとなってしまった。昔から年寄りは小言ばかり口にすると決まっているが、この習慣はまさにそれを絵にかいたようなことではないか。まだ身体もそこそこ動くのだから、もう少し社会に貢献するようなことが出来ないものか思案したくもなる。

だがしかし、その気になってわさわさ動いても碌なことにならないだろう。先日の同期会で聞くと、老後の楽しみは本当に多種多様。しかし、個々人的にはそんなに沢山のことは出来ない。同期生の多くは第一線を退く頃から、趣味を絞り込んで快適な老後楽しんでいるようだった。みな嘗ては田舎で神童とうたわれたような子供だったに違いない。しかし誰一人政治家になって日本をひっくり返そうなんて思った奴はいなかった。

或いはいたかもしれぬが、そういった人間は同期会に顔を出さない。昔アメリカから招かれたクラーク先生と言う偉い方が「少年よ大志を抱け」と仰ったと聞いて育った年代の我々である。人によって「大志」は様々だろうが、少年も末期になったころには「せめてなりたや親父程度」が良いとこだったかもしれぬ。安倍総理は青雲の志を得なかった代わりに、3代目の稼業として政治家を選んだ時から、とんでもない「大志」を刷り込まれたらしい。

その「大志」とは日本国総理大臣だったらしい。目出度くその地位について、今や世界のトップリーダーとして世界を引っ掻き回せると勘違いかは兎も角、認識しているのだろう。しかし彼も人の子、どこかでリタイアとか老後を考えなくてはならないと思うが、そんな思いは全く見受けられない。偉いものだと思うべきか、哲学無き人と憐れむべきかは分からない。

2017年11月28日火曜日

テレビドラマの宣伝から

一度も観たことは無いが、テレビ朝日の連続ドラマ「やすらぎの郷」がヒットしたようだ。既に終了しているが4月3日スタートの続編?を今から大宣伝している。婆さんも観たことは無いはずだが宣伝で知ったのだろう「ボケ防止は麻雀が一番だそうよ。」なんて言っている。老人国家になりつつあるところに、作家として定評のある倉本聰氏の脚本とのことだから、面白い作品になっているのだろう。

麻雀は小学生時代に憶えて面白いゲームだと思った。昭和30年代後半の大学時代、東京には盛り場と言わず学生街と言わず雀荘が沢山あって繁盛していたのを思い出す。この頃のマージャンは、学生にも拘らず既に賭け事、賭博だったので段々遠のき始め、サラリーマンになるとお給金が少ないにも拘らず、貧乏人同士がナケナシのお宝を取りあって、挙句の果てに給料日清算の借り貸しに発展することに嫌気がさして足を洗った。

代わりに憶えようと思ったのが囲碁、初心者向けの本で独学で学び、現在でもネットで時々楽しんでいる。しかしパソコン相手のゲームは子供がゲームに熱中するのと同じで、あまり褒められたものではなさそうだ。引き換え老人クラブでの麻雀は、4人で大きな声を出しながら手と頭を同時に使うのだから、ボケ防止にはもってこいだろう。

実は学生時代から世話になってた15歳年長の方がいて、囲碁がめちゃくちゃ強かった。この方は人情味が厚く何かと相談に乗ってもらったし、囲碁の他にゴルフをしたり、何度も飲みに連れていってもらった。文武両道の達人で、晩年になっても、毎年のようにヨーロッパを旅行されていたので、ボケとは全く無縁の人だと思っていた。

ところが、ここ2年ほどご無沙汰して暮のご挨拶にでも行かねばと思って連絡すると、娘さんが「ホームに入ってしまって動けなません。」とのこと。娘さんは現役のお医者さん、遠回しではあったが、どうも寝たきりの感じだった。老いは誰にとっても逃げられぬ宿命なのか?暗澹たる思いを禁じ得ない。

2017年11月27日月曜日

書くべきことが見つからない

今年を振り返るにはまだ少し早いが、何となくパッとしなかった気がする。変わり映えがあれば良いと言うことでもなかろうが、このところ一か所で足踏みをしているだけだ。年寄だから足を踏み出せば崖から転げ落ちるから、山の頂上にいると思って満足すべきだろう。世界を見渡せばいろんな動きが見えるのだろうが、歌の文句ではないが「目を閉じて何もみえず~」だ。日向ぼっこでもしながら春が来るのを待つとしよう。

2017年11月25日土曜日

もう45年になるか

今日は三島由紀夫氏が市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在防衛省)に乗り込んで、結果的には割腹自殺した命日だ。昨夜たまたまテレビを観ていたら、当時の再現ドラマが流れたので思い出した。そうか、あれから既に45年の歳月が流れた訳だ。当時会社が赤坂にあり、綱島にあった松下通信工業に行くために一人中原街道を走っている車のラジオで、騒動の発生を知った。作家としての三島氏は作品をほとんど読んでいないのでよく分からない。軍隊もどきのグループを結成して、軍隊ごっこに興じている風変わりな小父さんくらいの認識だったように思う。

世間も大分騒いだのかもしれぬが、広告会社に勤めながらマスコミ報道にあまり関心が無かったのだろう、「だからどうした」ぐらいのインパクトしかなかった。今にして思うと、三島氏は経済成長に浮かれる日本の現状を見て、これでは将来日本の何か大事なことが失われる。Wikiでは固有の文化の喪失に警鐘を鳴らしていた。と記されているが、昨今の日本を考えれば、正に日本はまとめてアメリカの属国、或いは委任統治領で、氏が心配した通りの日本になったことだけは間違いない。

なんで政治に頼らずクーデターもどきの所業に及んでしまったのだろう?話をまともに聞いた覚えもないが、いろんな方面で活躍した人だから政治力を発揮できなかったものか、と残念な気がする。きっと頭が良すぎて、日本は構造的にクーデターによる以外にアメリカの軛から逃れられないことを知っていたのだろう。昨今マスコミは相撲業界のスキャンダルと北朝鮮や中国の悪口に加え、アメリカの政情について右や左の有識者を揃えて解説して下さる。

どっちを応援しようと、所詮は外国の噂話、横文字使いを有難がる柄ではないので、大人の井戸端会議を聞いても空しいだけだ。なんで我が国の問題が前面に出てこないか、不思議で仕方がない。

2017年11月24日金曜日

折角の友好を毀損?

大阪市がサンフランシスコ市と1957年以来結んでいた姉妹都市の縁を切るとのこと。サンフランシスコ市のリー市長が中国系米国人らの団体が設置した慰安婦問題を象徴する像を正式に受け入れたことに対する措置らしい。韓国に端を発した慰安婦像問題がやけに大きく報道されることが不思議だ。ところ変われば品変わるだから、世界には銅像なんか腐るほどあるだろう。日本の場合は何故か知らぬが、人目につかぬ場所にひっそり佇んでいる場合が多い。

外国事情は定かではないが、少なくとも北朝鮮なんかは街中に実に堂々たる銅像らしきものをテレビでも認めることが出来る。サンフランシスコで設置が決まった慰安婦像の大きさや設置場所も分からないが、寄付した制作者の懐事情を思えばどうせ大したものでもあるまい。案内板に旧帝国軍隊の悪口が書かれているかどうかも分からないが、書かれていたにしても、60年の姉妹都市縁切りを宣言するのもどうかなと思う。

大阪市だけが旧帝国軍隊の名誉保全に必死になる理由が分からない。この像も一種の流行りものだから世界中で設置されているようだ。そのことを論って一々似たような対応をし始めれば、大阪の姉妹都市はどんどん少なくなるではないか。政府も大阪市ほど過激な反応は示さないが、似たような意思表示をしたいようだ。設置する側も馬鹿なことをするものだが、それをまともに相手しても仕方ないから、意思表示はせずに無視するのが一番だ。

好きな相手でも時によっては、些細なことで気に入らない真似に出る時があるものだ。それに一々文句をつけていると人間関係が壊れるので、見ないふりでやり過ごすのが大人だろうに。3日もすれば誰も振り向きもしないさ。

2017年11月23日木曜日

気になったこと2題

今日は勤労感謝の日だが、平素勤労努力を全くしていない身としては忸怩たる思いだ。まして朝から雨模様で外出する気にもならなかった。そこで昨日の出来事を振り返って見た。大相撲で一人横綱ながら連勝で頑張っていた白鵬に土がついてしまった。森友学園に対する国有地売却に関する会計検査院の調査報告が発表され、売却価格の算定根拠を確認できなかったとのこと。参議院本会議で総理所信に対する野党代表の質問が行われた。関心事は大方の方と同じかと思うが、気になったのは横綱大鵬の負け方だ。

勝負がついてからも行司判定に不服の意思表示は、品格に欠けるとされても仕方がないが、そのことは措きたい。朝稽古終了時から一人雨中に立ち精神集中を図っている様子がテレビで報じられていたが、勝負に集中できていないことが明らかだ。原因を詮索する気はない。人間は筋肉や反射神経を鍛えぬいた身体であっても、精神が集中できないと瞬間的に神経がうまく働かずにこうなってしまうのか、と改めて強く思わざるを得ない。

同様に気になったのが総理の国会答弁だ。そもそも17日の所信表明で大事な個所を読み飛ばして、内閣や党側が収拾にやつさもつさしていると報じられている。読み飛ばした箇所が「高等教育の無償化」らしいので結構だと思が、これも別次元のことなので措こう。昨日の答弁を聞く限り、内容以前に口調に覇気の無さ、読み間違えたり、つかえたり、息も絶え絶えの感じで相当な酷さだ。大して長くもない答弁の途中で、息継ぎのため長い時間をかけて水を飲んだりしていた。

マスコミではこんな傍証的観察事項は報道に値しないのだろう。察するに、会計検査院の調査報告書への対応手段が見出せず、白鵬関と同じで気がそぞろぐらいで済めばいいが、体調が相当悪そうに見える。健康は頭の良い悪い、考えることが姑息で邪ま、なんてこと以前の問題である。まして安倍氏は内閣総理大臣、自衛隊の指揮官でもある行政府のトップにして立法府における最大多数を占める政党のトップでもある。平和な休日だが少し気になることである。

2017年11月22日水曜日

馬の耳に念仏

既に多くの有権者は感じていると思うが、現在の日本は3権分立が担保されずに行政が突出し、わけても官邸の意思が立法府や司法(裁判)に大きな影響を持つに至ってしまった。原因が選挙制度によると言う人もいる。現実問題として、有効投票数の30%足らずで3分の2を超える議席を確保できたのだから、そう言いたくなる気持ちは分かる。しかし現行制度に文句をつけてもなぁ。

せめて立法府においては、与党に丁寧な議論に応じる姿勢、貫録を示してもらいたいものだ。先週末の総理所信表明を皮切りに始まった国会議論を見る限り、この期待はとても叶えられそうにない。まだ所信表明に対する野党々首の質問が始まったばかりだが、総理の答弁は何を聞いてもまともに答えない、或いは「木で鼻を括る」答弁に尽きている。しかも腹立たしいのは昨日の無所属の会の岡田克也氏への答弁、<盗人猛々しい>を絵に描いたようだ。

岡田氏が野党の意見にも耳を傾けるよう訴えたら、ぬけぬけと丁寧に答えたものだ。以下新聞記事からの引用:「批判に終始するのでなく、与野党の違いを超えて相手の主張にも謙虚に耳を傾け敬意を払い、良い提案については取り入れる」と岡田氏の言葉をなぞって答弁。最後に「ぜひ無所属の会の皆さんとも正々堂々、建設的な議論を行わせていただきたい」と締め括った。:引用終わり。テレビ中継を観なくても光景が目に浮かぶ。相手を小ばかにしているのだ。

総理は所信表明にしても質問に対する答弁も、終始官僚が用意した原稿を読み上げているが、この部分はどのように準備されたか知りたいものだ。話が飛ぶが、国会より騒ぎが大きい相撲界のことに触れたい。横綱審議委員会が定める横綱推薦の内規は4項目あるが、トップは「横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。」である。更に「品格」の基準を次の事項で判断するとしている。

1.相撲に精進する気迫。2.地位に対する責任感。3.社会に対する責任感。4.常識ある生活態度。5.その他横綱として求められる事項。
相撲興行でさえここまで考えている。比較して政治家の何といい加減なことよだ。誰か総理審議委員会でも立ち上げてくれ。

2017年11月21日火曜日

無駄の削減、夢物語か

誰かが言っていたが、戦後の日本は規格製品を効率良く大量生産することで経済発展を遂げてきたのだそうだ。しかし今となってはアジアにせよ他のどこにせよ、嘗て発展途上国と見ていた諸国が日本に教わったか見習ったかは兎も角、規格品をもっと安く大量生産し始めてしまったので、日本製品のメリットが失われ、経済発展に大ブレーキがかかってしまっている。嘗て仰ぎ見て今は無い企業の何と多いことよ、日本経済の牽引役を担った大手製造業が姿を消したり、海外企業に身売りせざるを得ない現状をどう考えたらいいのだろう?

経済なんて必ずしも発展しなければならないものとも思わないが、我が国の指導的立場にある人々はこれを大問題としている。個人的には、日本があまねく世界に範を垂れたと思えば満足して、経済の成長発展が止まった国家の経営を考えるとか、他のことを考えるべきだろう。ところが、お上はもう何年或いは何十年も過去の栄光を求め、経済成長の道を探り続けるばかりで、発想の転換は皆無である。

相も変らぬ税金の使い道の枝葉を弄るばかりで、何かをやめるといった意向は毫も示され無いのが常である。即ち国家予算は増える一方、即ち庶民の税金が増えるだけ。それも法人に掛かるところは減る傾向にあるのだから庶民の負担は増える一方と決まっている。法人税をいくら安くしたところで、どの企業・産業が成長するのだろう?成長する企業は税金が少々高くても成長するだろうし、凋落傾向の産業が税金をまけてもらって息を吹き返すなんて聞いたことが無い。

国家経済も成長を唱えながら一向に成長が見られず、曲りなりにゼロベース付近で均衡している今の段階で、これが下がり始めることを「国難」と考えると簡単だ。なすべきことは昨日も書いた「無駄遣いをやめる」が筆頭に上がってくるだろう。無駄遣いの根源は無駄な官僚の存在にある。これを切り捨てないことには国難の克服にはならぬが、問題は切り捨ての順番だ。財務省が使う予算のシーリング方式は組織が残るので意味をなさない。既に無用になっている官僚を見つけて組織ごと切り取らねば無意味。

先ずは最上部から見直すべきだ。さしずめ国と自治体を含め、議員数の大幅削減と報酬減額から始め、役所では内閣府なんて全廃すればいい。細かいことを言いだせば切りがない。社会に出た昭和38年を思えば農家世帯数は約6百万、これが現在は150万を割り込むとしたら、農水官僚の数も相当減っていなければならない。政府では諸々の統計のために各役所が相当な人員を抱えている。統計用の機械類がどんなに進歩しようが、体制の変化が無いのは何故か。自治体は全てが夕張と思えばいい。

兎も角無駄な役所と役人を順番に切り捨てていって10年もすれば、老大国日本の新しい展望が開かれるだろう。また昨日と似たような夢物語になってしまった。誰か発想の転換を唱えてほしいものだ。

2017年11月20日月曜日

無駄遣いの最たるものだ

若者からは、当事者になる心配がないのでいい加減なことを言いやがる、と叱られるだろうが敢えて書こう。「15歳を過ぎたら、まず働くことを考えてはいかがですか?」更に学問をしてから働きたいならそれも良し。だが間違っても税金で行かせてもらえるなら高校へでも行ってみようか、なんて考えは間違っている。このことは高校生に言うより、親に言って聞かせるべきかもしれぬ。

日本の産業競争力が低下し、一部企業が儲かっているとはいえ経済成長が伸びず、凋落の一途にあるのは人口減少に起因すると言う人が多い。確かにそうかもしれない。日本の経済が凋落しようと別に困りはしないが、多くの人の賃金が下がり、多数の家庭で生活が苦しくなるのは政治的にも何らかの配慮がなされるべきだ。

対策はいろいろあると思うが、教育の無償化、特に義務教育以上におけるそれは解決につながるとは思えない。「働かざる者、食うべからず」は遠い昔に死語になってしまったが、昭和20年代に物心ついていた人は思い出してくれるだろう。ここまで飽食になった時代に「食うべからず」なんて言っても通じにくいので誰か上手い言葉を考えてもらいたい。若者が何となく大学に行って3年生になる頃「さてどこに就職?」と考えるのは、職探しでなくて会社探しだと言われて久しい。

少なくとも昭和20年代は、中学3年生になれば進学するか職業に就くかを、親のアドバイスもあったろうが判断したものだ。まして高校卒業となれば大多数は真剣に社会と自分の適合を考えた。個人的なことを言えば昭和30年代前半に県立の普通高校の卒業だったが、大学進学を考える生徒はまだ半分とはいなかった。彼等高卒者の活躍が社会にどう貢献したかは学者でないので分からな。しかし昭和30年代に日本が世界に冠たる経済成長を成し遂げたのは事実だ。

人間早く社会に出れば、稼ぎも早くなり、結婚も早まるだろう。これが少子化対策に役立つかどうか分からぬが、義務教育以上の無償化なんぞに税金を投入するなんて無駄遣いの最たるもの、与野党なれあいはやめて、どこか毅然たる方針を示す党が出現してくれないものかな。

2017年11月19日日曜日

土曜と日曜

昨日は終日氷雨の降る陰鬱な一日だったので、気晴らしに新宿に出かけて映画を観てきた。「ローガン・ラッキー」ハリウッドではよく制作される犯罪映画、刑務所からの脱獄と大掛かりな強盗事件を絡ませた実に愉快な作品。主演はチャニング・テイタム、勿論初耳の役者さんだが実にいい味が出ていた。犯罪映画だから主な登場人物は極悪人ばかりだが、何故か憎めない。そして犯罪のからくりが巧妙なので、実際にあった話ではないかと錯覚すらしかねない。

ネット情報によると「本作は『オーシャンズ11 』シリーズのスティーブン・ソダーバーグ監督が、4年前の引退宣言を撤回してカムバック した最新作。」と出ている。なるほどね!と言う感じ。殺人場面が全く無いのでクライム・ムービーとは言えぬかもしれぬ。脇役に昔007シリーズの主役を張り、ロンドンオリンピックの時に女王のエスコート役で登場した何とかという俳優が出ていたが、中年太りしていい味が出ていた。

帰宅して映画を観る習慣が無い婆さん相手に「日本では漫才師の北野たけしが映画製作者として持ち上げられ、現在上映中のギャング映画の予告編を何度も観たが、こんな作品が評価される訳が分からない。一方を観ないでけなして申し訳ないが、面白さにおいて月とスッポンではないだろうか。」なんてに話をすると、「それは良かったわね。」と一緒に喜んでくれたのがまた嬉しいことだ。

あけて今朝のこと、昨日から今朝にかけての悪天候が嘘みたいにな快晴。先週から誘われていたハイキングの仲間に入れてもらい、ご同輩の男女6名と一緒に奥多摩は御嶽山のロックガーデンを中心に歩いてきた。兎に角天気が最高、紅葉は少し時期が遅かったようだが、それでも最高のハイキングだった。距離とか高低差は左程ではないかもしれぬが、これからはこういうハイキングに限る気がする。尚、ハイキングも帰り道の終盤になって、グループリーダーが年齢が全く一緒で、故郷が長野県松代と聞いて2度びっくり。小学校に上がる前の1年半同じ空気を吸っていたと思うと、昔話に花が咲いたのは当然のことだ。

それにしても足と腰が少し張り気味。今夜はルーティンの囲碁番組を観ずに。これですぐ寝ることにする。

御嶽神社参道

         既に遅いと言われた紅葉も澄んだ空気も素晴らかった

2017年11月18日土曜日

緊張緩和、大歓迎だ

このところの北朝鮮問題に関して、日本政府は圧力一辺倒で対話を全く否定していた。その論調にマスコミは勿論、野党でさえ引きずられている現状がある。従って、日本はトランプの尻馬に乗って軽率に危機を煽ることなく、冷静になれとか、独自路線を模索すべきとの論を吐く人はマスコミにはほとんど登場してこなかった(実際は多数いるはず)。

先ほど配達された朝日新聞夕刊の一面に「中朝関係改善で一致 習氏特使と正恩氏側近」の見出しがあった。内容の冒頭を次に引用する。「北朝鮮の朝鮮中央通信は18日、中国共産党の習近平(シーチンピン)総書記(国家主席)の特使として訪朝した宋濤・党対外連絡部長が17日に平壌の万寿台議事堂で崔竜海(チェリョンヘ)・朝鮮労働党副委員長と会談したことを報じた。中国共産党対外連絡部も17日付で両氏が「中朝関係を前向きに発展させる」ことで一致したと発表した。」

中国発だけでなく、北朝鮮側も同時に発表していることからみても、関係悪化が懸念されていた中朝関係が改善されることは喜ばしいことだ。アメリカや日本政府の反応はまだ間に合っていないが、マスコミの論調が少しでも変化してくれること期して待ちたい。「米朝が日本の頭越しに手を握ることは最悪」説を唱える人もいたようだが、緊張緩和なら結構ではないか。

2017年11月17日金曜日

読後感「呪いの時代」内田樹著(新潮文庫)

若干発行が昔の本ではあるが、それでも東北大震災以降のことだから、現代の世相と大きな違いは無い。著者は現代の世相全体に満足できないところがあって、雑誌「新潮45」に連載した随筆を「呪詛の時代」の形で括ったわけである。氏は神戸女学院の教授でもあるので若い学生に語りかけるのが専門の筈。ご本人は万人に分かり易く書いているつもりだろうが、内容が高尚のせいか、少し難しい気がしないでもない。

内容を宣伝文句から引用すると「アイデンティティーの崩壊、政治の危機、対米戦略、ネット社会の病理そして未曾有の震災…。注目の思想家・武道家が、身体に即して問い他者への祝福を鍵に現代を論じる、今を生きる人びとへの贈り物。」とあるがその通りだ。指摘はいずれも同感するばかり。例えば「社会的地位が高く、名誉も威信もあると見える人でも、・・・・自分は十分な尊敬を受けていない、と思えば、どんな偉い人でも恨みがましい人間になる。」これは、総理大臣になっても不幸そうに見えた安倍晋三氏について書かれたもの。

さらに安倍氏の唱える「戦後レジームからの脱却」について、自己幻想の病根の深さとまでこき下ろしているので痛快ともいえる。更に、普段若い人に接しているだけに、若い人に対しても結構厳しい。特に現代人に見られる自分本位の結婚観を批判するところなんぞは我が意を得たりと共感しなくもない。著者が言う現代の日本では、自分のことを棚に上げて他人を呪う人間が増えている、はその通りだと思う。

その理由は多々あって、丁寧な説明がなされているが、結局のところ、戦後の傾向として、万般に亘り物事のけじめが無くなってきていることを指摘している。そしてその原因が、先の大戦のケジメ即ち総括がなされないままアメリカ文化を受け入れてしまったことにあると断言している。これも全く同感だが、まてよ!この理屈は最近どこかで聞いた気がする。そう思ってあとがきを読んで納得した。内田家は4代前が庄内藩士、3代前が会津藩士の遺児(養子に入った)、賊軍ど真ん中の家系と明かしている。

本文は専ら明治以降を論じたが、戊辰戦争の総括無しに明治国家が生まれたのも昭和20年の敗戦と同じこと。本当はこの時代の呪いを語りたかったのでは、と改めて思う。

安倍首相帰国報道皆無の怪

今日は国会で安倍首相の所信表明演説が行われることになっている。この時間既に行われたかもしれぬ。それにしても首相が東南アジア歴訪からいつ帰国したのだろう?不思議に思ったので、遡って調べてみると一昨日15日の夕方帰国している。毎日テレビをよく見ている筈の婆さんに聞いても知らなかった。これって少し異例ではないだろうか、いくら当初の思惑と違う結果であっても、担当の記者諸君にはなにがしのことは語っただろう。

マスコミが1社も報道しないのは無責任だと思う。

2017年11月16日木曜日

やっと実質的国会審議

昨日やっと実質的国会審議が始まった。憲法違反とも言われる120秒国会と言われる第194臨時国会での冒頭解散9月28日以来であるが、実質的には6月18日に閉幕した第193通常国会からずっと国会は開かれていなかった。この5か月の間に安倍政権は閉会中審査のアリバイを強調するだろうし、総選挙さえ行ったと胸を張るのだろう。国会が開かれなかった理由は、どう考えても安倍総理自身に降りかかった森友・加計疑惑からの逃避である。

従って昨日始まった審議にしても全てが異例づくし、11月1日に召集された今国会(第195特別国会)の会期は12月9日までと決められているが、未だに総理大臣や有力閣僚の所信表明や野党党首の質問すら行われていない。そして昨日はいきなり衆議院の「文部科学委員会」だけ開催される運びとなった。議会の運営は与党自民党と野党第1党の国対委員長の話し合いによって決められるらことになっているらしい。

この話し合いについても自民党は相当な戦略を練って臨んだのだろう。昨日の委員会審議はテレビ中継されてはいないが、酷いものだ。自民党側からすれば「君たちがしつこく要求する加計問題についての集中審議で結構だ。」と野党要求に丁寧に応じたと言いたいわけだ。しかし審議時間は僅か4時間、しかも質問時間の配分が従来とは異なり与党に大幅(80分)に割り当てている。野党6党は160分だが、この中には野党と言えるかどうか日本維新の会が含まれている。

本来与党は国会審議の質問を大幅に野党に割り当て、法案に野党支持者の意見を反映させなければならない。この時間には政府の答弁時間も入るので、昨日の実質発言時間の結果は政府・与党が計61%、野党は39%となってしまった。質疑の内容を人によっては「野党側から何も新しい事実の提示も無く、与党を追い詰めるに至らなかった。」と言う。多くの人は4時間もの審議を聞き続けるほどの暇は無い。マスコミ報道を見て与党自民党の作戦勝ちと拍手喝采するのだろうか。

野党とすれば新しい事実を突きつけるまでも無く、これまで主張してきたことに誠実・丁寧な回答を求めるだけで十分なような気もするのだが。何れにせよ、国会審議が開始されるまでは政治絡みのことを書かないとしてきたが、審議が始まっても建設的なことを書けそうにない気がする。

2017年11月15日水曜日

知らぬが仏では済まぬ

ブログを書き続けるためには、ネタを探さねばならない。毎日テレビや新聞、雑誌にネットと情報に接しているので、ネタに不自由は無いかもしれぬが、どのような角度から見てどのように書くか、考えると結構難しい。そこで頭の整理をするために、ブログのテーマを幾つかに分けて考えることにしている。扨、昨夜の段階で今日は横綱日馬富士の暴行事件について「メディア関連」で、その隠ぺい体質を取り上げようと思っていた。

しかし考えてみれば、この事件は単に角界とメディアの馴れ合いによる隠ぺい体質以上に日本の社会構造に関する大きな問題として取り上げるべきだろう。今回の事件は角界と言う小さな村社会で起きたものだが、考えてみると日本にはあらゆる分野にこの村社会が存在している。そのことが今後も含めて大きな問題だと思う。村とは何を言っているのか、書き手でありながら明確に表現できないが、経済的関係を持つ者同士が、平素から親交を深め、何かあった時には互いにトラブルの調停や利益配等を内々で決め、外部から容喙されぬよう協力する体制をイメージしている。

典型的なのが業界団体だろう。諸外国に業界団体のような組織が存在するかどうか知らぬが、日本は実にきめ細かな業界団体の他、組織系列が多数存在する。従って村の内部で起きていることを一般市民はなかなか知ることができない。しかし大きな村には日本の大手マスコミは記者を常駐させている。常駐させないまでも、角界ぐらいになると、専門の記者がいて業界内部の情報は瞬時に入手できるネットワークを形成しているだろう。

マスコミは国民全体に広く訴えかけることを使命としている。業界に食い込んでいる記者は内部情報に接した場合に、マスコミに流して公開すべきか、見逃すべきか悩むのだろう。この悩みが個人的であれば分かるが、マスコミも村社会なので、その内部の談合で左右を決しているのが問題だ。日馬富士の事件もその談合が生きていたようだが、一昨日誰かが談合破りをした挙句がこの騒ぎだ。

この問題はどう決着しようと、関心はもう無い。問題はこの村社会の談合構造が、司法・行政・立法の三権分立に基づく民主主義の根幹に大変悪い影響を与えていることを心配する。この分野でも談合破りが出てくることを期して待とう。

2017年11月14日火曜日

マスコミの世論調査

大学の履修科目に「社会調査」があったかどうか、正確な記憶が無いが社会調査についいて学んだような気がする。そして就職して最初の仕事らしい仕事が、「農村調査」だったことは今でもはっきり記憶している。就職先が当時600万戸とされていた農家を対象とする農協の機関誌「家の光」の専属広告代理店故のことである。大手のスポンサーは農機具メーカー、その中の1社からの依頼案件であった。

発注側の担当は広告部ではなく、一格上のマーケティング部のような部署。担当者も広告部員とは趣を異にした真面目な人だった。今の広告会社では普通の業務だろうが、当時は初めての受注で相当緊張した。兎も角仕事にまともに向き合い、学生時代以上に社会調査について理論的なことも懸命に勉強した記憶がある。従って、現代大手マスコミが頻繁に行っている世論調査を頭から否定したくない。

どこの会社でも調査理論に基づいて、しっかり調査設計がなされていると信じたい。従って各社の調査が同じようなタイミングで行われ、似たような結果がはじき出されるのも不思議は無いのかもしれぬ。昨日から各社の発表が続き、どこの会社の調査も安倍政権の支持率が不支持率を上回ったことを報じている。この結果を見てふと昔学んだことを思い出した。

と言っても断片的なことに過ぎない。社会調査の授業で先ず教えられたことは「調査目的と」「仮説」の重要性だった。最近の世論調査では、頭に調査方法が簡単に述べられるが、この2項目は省略されていることが多い。大方、長年の慣例に従っているので不必要としているのだろう。しかしマスコミ各社の考えが異なれば、その目的や仮説は異なる方が自然かもしれぬし、面白そうだ。

昨日テレビで世論調査結果を観ていた婆さんが面白いことを言った。先ずは「内閣支持率が不支持率を上回ったは不自然だ。他の質問項目の結果と整合しない。」続いて「*安倍首相に一番力を入れてほしい政策は何ですか。って決まっているでしょう。無駄遣いをやめることよ。」前者については設計に不備があるかは分からない、多分無いはずだ。後者は一考の余地があるかもしれない。なんにせよ、ブログのネタにはなった。

因みに朝日新聞の調査結果から、この質問と回答を記しておく。(択一で%)

▽景気・雇用20▽社会保障32▽原発・エネルギー6▽教育15▽外交・安全保障15▽憲法改正6

2017年11月13日月曜日

老後の楽しみ

土曜日に長野で高校の同期会があって参加してきた。参加者は48名、年々少なくなるのは仕方ないのだろう。すでに卒業時の2割以上が亡くなっている。こちらも同じことだが、みな酒も飲まなくなったし、食わなくなった感じがある。参加者全員と会話できたわけではないが、身体の不具合や病気を全く抱えていない人の方が少ないみたいだ。

出かける前に婆さんと話したのだが、彼女はもう高校の同期会は参加しないことに決めている。理由は場所が静岡県の島田と遠いから面倒なのかと思っていたが、「身体が不自由になったり経済的にも不自由になった人は、同窓会には出席しないものよ。」だそうで、身体はまあまあにしても経済的に不自由な亭主には少し皮肉めかして聞こえた。

確かにそこにも一理はあるのだろう。しかし先の書いた通り、身体の不具合は殆ど全員だし、我が母校の校風は質実剛健、昔から今に至るまで財布の中身は誰も気にしない筈。やはり静岡と長尾の高校では校風の違いがあるようだ。さて、今回愉快だったのは恒例の講演だった。これまでは宴会前に誰か一人が1時間程度何か話すことでやってきたが、今回は9組あった中の一クラスから3名が選ばれて20分くらいずつ話を聞かせてくれた。

質実剛健と言うとなにか弊衣破帽、髭でもはやして大騒ぎする風情が想像されてしまうが、この三君はいずれも「川柳」「俳句」「短歌」と極めて和風でシックな趣味を嗜みつつ老後を豊かに過ごされている。俳句の君は学生時代から素養があり、そのことを自覚もされていたようだが、本格的に新聞に投稿するようになったのは他の二人と同様ここ10年ちょっとのことらしい。

3人の話では、新聞の歌壇に掲載されるということは大変なことのようだし、川柳は歌壇に掲載されない新聞もあるようだが、新聞で取り上げられるのは同じく大変なことらしい。何れにせよ、彼らがその趣味で非常に豊かな老後を楽しんでいるようだが、それは財布の中身で購ったものでないことだけは確かだ。俳句の話をしてくれた君は大学卒業後に業界が同じで、現役時代にも大分世話になった。

彼のお母さんが、高校時代に学習誌に俳句を投稿して入選した際「俳人は食えないから別の職を持て」と諭されたとのこと。彼は母の教え通り立派に食えるようになって50年経ってから、信濃毎日新聞に投稿し始めたらしい。俳句も川柳も短歌も誰かに向かって思いの丈を述べるということではブログも似てるかもしれぬ。しかし、感性を磨き言葉を本当に研ぎ澄ますという意味では同列に論ずるのも失礼だろう。脱帽するしかない。

2017年11月10日金曜日

アメリカ大統領の不作法

国会論戦が始まるまで政治絡みのことを書くのは控えようと思っていたが、他に思いつくことが無かったので、いつものことだが予定を変更する。このところアメリカ大統領トランプ氏のアジア歴訪を巡っての報道が多い。それにしてもこの御仁、日本ではこれ以上ない不作法な振る舞い、無教養さをさらけ出して恬として恥じるところが無い。と見えたが、流石に中国での態度は日本や韓国での態度とは大分違って慎重な言い回しに終始した感がある。周辺スタッフを含め、それなりに考えてはいるのだろう。

マスコミ的には、最初の訪問国として日本を選んでくれたことを大いに評価したいようだ。しかし、訪日前に真珠湾に立ち寄ったことと、二言目に口にする「嘗て我が国に逆らった国は碌なことにならなかった。」はどう考えても日本に対する嫌味に聞こえ、不愉快に思うのは我一人だろうか。日本のジャーナリストは大人だから、そんなつまらぬことを指摘しないことを褒めるべきかどうか。その他にも随分行儀が悪いと思うことは多分にあるが、官僚や政治家も我慢しているのだろうから、あげつらうのは止めておこう。

彼のアジア歴訪はこれから後半戦に入るが、前半の3カ国中、国家としての主張が何も無く、ひたすら大統領の歓迎だけに徹したのは日本だけ。外国、即ち政権が声高に唱える国際社会がこれをどう見てるかは改めて言うまでもない。国益のせめぎ合いが存在しない筈はないが、国家の代表がそれを口にせず、賓客を慮って100%意見が一致したことだけを力説強調し、仲の良さをアッピール。マスコミがそれ以外取り上げなかったことは、国民の一人として白けるばかりだ。

ところで、平安の昔から我が国では権力者の命が短く儚いことを、祇園精舎の鐘の声に例えて言い伝えてきたことを、多くの人が同感するところだろう。そう考えればトランプの不作法も腹を立てても仕方ない。いま頂点を極めた大統領の権力も、どうせ先は長くないのだ。いつになるかは神のみぞ知るだが、任期はあと3年(正味は2年だ)、長持ちしても7年と定められている。間違えればアメリカには弾劾なんてこともあるらしい。トランプ氏はどうなろうと屁の河童だろう。

2017年11月9日木曜日

奴隷国家のそのまた奴隷だな

もう2年位前になるだろうが、お国から<マイナンバー>なるものを頂戴した。通知はいつものように分厚い封書で送られてきたが、読む気にはならなかった。一応頂戴したナンバーを記したカードだけは切り取って保管した。もう既に高齢故、親から貰った名前の他、今後必要になるのは三途の川を渡るための戒名くらいのものだろう、但しこれは己と関係無い。記憶もできない12桁の数字なんか頂くのは素直に感謝するわけにいかない。と思っていたが考えが甘かった。

当たり前だ、お国が国民にナンバーを割り振るのは国民のためであろう筈がない。国が個人をコントロールしやすくするためであるから、こちとらがナンバーから距離を取りたくても関係ない。容赦なく何かとマイナンバー提示を要求してくる。爺だからと言うだけで結構な恩恵に与っているくせに偉そうに言うな!と叱られそうだが、高額療養費の還付には送られてきたカードのコピーが必要である。面倒な話ではあるが受給者として文句は言えない。

おまけに、お国はこれまでの社会福祉制度が高齢者に甘すぎたとして、来年度以降75歳以上の患者の窓口負担を1割から2割に引き上げて下さるそうだ。常日頃、子や孫世代の若い人たちを大事に、なんて書いているのだから、有難さに涙でも流すべきかな。話を戻そう。兎も角これ以外はマイナンバーにお世話になることはあるまいと高を括っていたら、また豊島区から新しいお知らせを頂戴した。

これまで区役所の支所で住民票や印鑑証明を頂く際に使用していたカードがある。もう10年、否20年以上前からだったろうか、確か住基ネットが全国的に整備された頃からだろう。このカードでいろいろな証明書が発行されてきたが、来年からこの機械が無くなるらしい。念のために区役所に問い合わせると、来年いっぱいで従来の機械が撤去される。その代わり、写真付きのマイナンバー・カードがあれば、コンビニで証明書が引き出せると有難きお言葉。

ITとか最近はAIとか訳の分からぬものが進歩しているから、公共システムの陳腐化が早く進むのは仕方ない。と思える小生は歳の割に理解が良い方だろうが、使える電化製品を早々と捨てる勿体なさを感じないわけにはいかない。歳だから、もうそんなこと心配する必要は無いと思うが、運転免許証も無い今、豊島区の住民である以上どこで証明書が必要になるか分かったものではない。仕方なくその写真付きカードの申請をすることに決めて、作業に取り掛かったが、これまた大仕事。

明日申請してもカードを区役所に取りに行けるのは2か月先だそうだ。今日は証明書写真を撮りに行かねばならない。タイトルが刺激的過ぎたかな?

2017年11月8日水曜日

読後感「明治維新という過ち-日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」
原田伊織著 〔完全増補版〕

この夏以降、幕末に些かの関心を持ち、ひょっとすると自分の明治維新についての認識が間違っているのでは?と思い始めた矢先に、中学の同窓会があり、昔の同級生から今流行りの本と教えられて読んでみた。タイトルも冒頭に掲げた通りで、これまでの認識とは大分異なることが沢山書いてある。著者の年齢もこ大分近いし、広告代理店勤務を経ているところも似ている。しかも作家の司馬遼太郎氏と同窓の大阪外大出身だから、こちらとは大分違うインテリのようだ。

紹介してくれた昔の同級生もかなりのインテリで、原子力物理学の世界で世界的に活躍している。普段は殆ど付き合いが無いが、たまに顔を合わせると昔同様の議論が出来る。但し彼は政治的には意見が全く異なるバリバリの保守派。従って会話の途中で、何かの拍子で山口県出身の安倍総理の悪口に及んだ時、彼の口からこの著者の名前が出たのだ。但し、読むことを薦めると言うより、むしろ「君もその読者の口だろう!?」程度の感じ。ところ残念ながら著者の名前さえ知らなかったのが事実。かの同級生は昔から単に頭がいいだけでなく、何をしてもとても敵わなかった。悔しいので文庫本を探して読むことにした。

著者の気持ちは「はじめに~竜馬と龍馬」に端的に書かれている。
「本書は、2012年に、私としては止むに止まれぬ思いに駆られて世に問うた。」から始まるので、既に世間ではよく知られた作家のようだ。読み終わってからネットで検索すると、案の定、我が同級生が指摘するように正に悪評さくさくである。著者にしても歴史学者ではないからだろうから、この本が示すところだけを丸呑みしてはいけないのだろう。がしかし、書かれている内容は魅力的と言うのも変だが、それなりに説得力はある。

感想は沢山あるが、一つ上げる。「明治維新」と言うが、どの出来事を言うのかと聞かれると答えられない。「ここから近代が始まった」と言っても、いつからですか?これも子供に聞かれても正確に答えられない。成程、歴史は正しく総括され、正しく記憶されることが大切だ。現代人の何パーセントが僅か65年ほど前まで、日本国、即ち我々自身が、アメリカ(正確には連合国軍)によって独立を奪われていたとの自覚があるだろうか。

2017年11月7日火曜日

ワイドショーのコメンテーター

毎朝6:30頃から観ているテレビ朝日の「グッドモーニング」に出演する日替わりコメンテータの中に、火曜日は中尾彬氏と岸博幸氏がいる。中尾氏は俳優、岸氏は慶應大学教授となっているが、本当かどうか怪しい。もっとも小中学校の先生には国家資格が必要だが、大学教授には資格が必要がないので本当かもしれない。氏は元経産省の官僚で竹中平蔵氏の秘書官をしたことで名を挙げた。

当然ながら現政権への非難を上手くかわす役回りである。夜も時々テレ朝の「報道ステーション」を観ることがあるが、政権にはやや批判的と言われるこの局でも古賀茂明氏を降板させて以来、後藤謙次氏と言う緩衝剤的コメンテータを置いている。政権寄りと言われる日テレやフジテレは問題無いが、テレ朝に似たポジションのTBSでもコメンテーターの起用には気を使っているようで、テレ朝同様で田崎史郎氏を多く出演させている。免許事業としては仕方ないのだろう。

古来日本では外来語をすべて日本語に上手く訳して使いこなしてきた誇るべき文化がある。コメンテーターを日本語では何というのか、役割は何か明確ではないが、取り敢えず「批評家」とでもしておこう。つまらぬことを長々書いてしまった。

書きたかったのは、今朝一番で耳にした中尾彬氏のコメントである。テレビはつけていたが、たまたま机に向かって作業をしていたので、トランプ大統領の行動について局アナが説明していたが観てはいなかった。局アナが「中尾さ んどう思います?」と振られた瞬間の中尾氏の答が強いインパクトで飛び込んできた。たった一言「トランプさんて武器商人だね。」彼のギャラが幾らか知らぬが、これは秀逸だと思う。中尾氏のコメントをいなす役目の岸氏もいなしようが無かったみたいだ。

後で朝日新聞の朝刊を見ると「天声人語」に、昔ドゴール仏大統領から(トランジスタラジオのセールスマン)と評された池田勇人元首相紹介のあとに「こちらはさながら(兵器のセールスマン)である。」と書いてあった。同じ趣旨であっても流石に表現が柔らかい。中尾氏は俳優だけあってテレビの媒体特性を知り抜いている。「さすが!」と褒めるべきかもしれぬ。

2017年11月6日月曜日

友人さまざま

長くなった人生で、ひと様から評価されるようなことは何も無かったが、個人的には総じて明るく楽しい人生だったと思う。これも偏に多くの友人に恵まれたことにある。嘗て友人として付き合ったが、ある時点から意識的に二度と会わないと決めた友もいるが5人はいない。そんな彼等にも言いたいことがあるとは思うが、その後もつきあっている双方を知る友人たちも理解はしてくれている筈だ。

人間関係を壊す最大の要因は殆どがお金の問題にあった。小さい頃から親の教えとして「友人は勿論、他人と金の借り貸しをするな」と教えられたと記憶するが、まさに不肖の子供。今でもそうだが、いつもオケラ同然の貧乏暮らしだが、何度か「チョット貸してくれ」と頼まれたことがある。友人であれば用立てられるものなら用立ててやりたいと思うし、頼まれたことを断るのも難しいことだ。そこで「貸したことは忘れろ」と言われても忘れられない金を出してしまったことがある。

だから貸した当方にも責任はあるが、結局これが仇となって借りた方からも疎遠になる。結果は先に書いたような不幸なことになってしまう。二度と会うまいと決めた彼らのことを考えると、借りるときから踏み倒すつもりはなかった筈だ。心ならずの結果だったと思うが、友人を失ったことは間違いない。「類は友を呼ぶ」とも言われるので、こうして交友関係を断った友がいたこと自体こちらにも大きな責任がある。

人によって人生哲学は様々だと思うが、振り返ると「人間関係を重視し、敵を作らず友人を多く持つことが人生の宝」と考えてきた。そして「お金」と言うお宝を少し軽く見すぎていたかもしれない。今さら乍ら親の教えが胸に沁みる。

ここ数日の報道で、日米両首脳の仲良き姿をこれでもかと言うほど見せつけられて、我が身を振り返る機会を得た。

2017年11月5日日曜日

読後感「将軍慶喜を叱った男 堀直虎」
江宮隆之 著

秋の信州に観光旅行に行った友人が須坂市の観光ポイント「豪商の館」で買い求めた本を借りて読んだ。

現在「直虎」と言えばNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送中で、圧倒的にこちらがメジャーである。放送を観たことがないので知らぬが、城主直虎となると、江戸時代の大名に須坂藩主以外の直虎が存在してたかと心配にしてしまった。wikiで調べると「後に彦根藩の藩祖となった井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語である。」恐らく実在した人物のようでもあるが、時代も大分遡りどうやら戦国時代のようである。

本書の主人公「直虎」は実在が明確で、亡くなったのは幕末の慶應4年(1868年)、つい150年ほど前のことである。時代は幕末の天下騒乱の時、直虎は信州須坂藩、僅か1.1万石弱ながら立派な大名であり、当時は33歳と年齢も若いのに幕府の要職である若年寄り(外国惣奉行)に就いていた殿様の詳伝である。徳川藩の役職としては大老・老中の下に位置するが、旗本全員を取り仕切る立場で、非常に大きな権限を持たされていた。幕末に直虎は、軍艦奉行勝海舟の上司になっていたことを留意しなければならない。

小藩ゆえの悲しさで、江戸常勤でなければならなかった11代藩主の父堀直格の五男として1936年江戸で生まれ、1861年12代藩主の兄が夭折したため、たまたま兄の養子になっていた直虎が若くして藩主となる。直虎は若い時から学問と武芸に励み、非常に聡明で藩政にも見るべき功績が多々あるが、何といっても江戸時代の最末期、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に逃げ帰ってからの出来事が彼の生涯を際立たせている。

幕府の大将である徳川慶喜が軍隊を見捨てて、大阪から軍艦で江戸に逃げ帰ってきたことはよく知られている。しかし江戸城には正確な戦況が届いていなかったので、徹底抗戦或いは謹慎恭順と小田原評定が何日もだらだら続いたらしい。そんな最中の慶応4年(1868年)1月17日、突如直虎は声を張り上げ、慶喜に向かって存念を口にする。この小説では「大将の腹を決めてくれ、我々はそれに従うだけ。」との趣旨としている。しかしそれを聞いた慶喜はプイと横を向いたまま置く引っ込んでしまった。

その後、直虎は屋敷に戻ることなく江戸城中で切腹してしまう。屋敷を出るときから切腹の用意がしてあったようだ。直虎の諫言には諸説あり、勝海舟は後年「直虎は乱心して自害」と言っている。勝海舟は江戸を火の海から救った幕府方の英雄として尊敬してきたし、慶喜が杖とも柱とも縋っていたようでもある。しかし、腹を切った直虎にとっては直属の部下でもあった。多分、勝は若い上司を小ばかにしていたに違いない。信州人としては何ともやるせない感じが残るばかりだ。

2017年11月4日土曜日

秋晴れ

素晴らしい秋晴れが二日続いたのに、どこへも出かけることなく終わってしまった。今日は代わりに婆さんがお出かけでこちらが留守番。彼女が病院以外に外出してくれるのは元気になった証拠で、たまには良いことだ。昨日は孫と弟の誕生日、晴れの特異日とのことで二人ににとっては目出度い限り。こちらも文化の香りのお裾分けに与りたいが、特にすることもなく区立図書館で小沢昭一の本を読んでいた。

小沢昭一氏よりは少し若いが、昭和20年代30年代の街の風景や子供遊びは相当共通していて楽しかった。あの当時は普通の子が沢山いて、大人も普通の人が多かったような気がする。今は個性派時代なんだろうか、普通の人の方が少なくなっているような気がしてならない。母校ではないが現役東大生の「ミス・インターナショナル日本代表」が選出されたそうだ。驚くにはあたらないことかもしれぬが、びっくりしてしまった。

もう少し書こうと思っていたが、婆さんが帰ってきてしまったのでここでやめる。

2017年11月2日木曜日

子供の命名

新しい政党や会派が誕生した特別国会が始まった。会期が延長されたそうだが、安倍首相の所信表明演説が行われるのは11月17日で、各党の代表質問は11月20-22日だという。なんのことは無い、国会が始まるのは月末、始まったらすぐに閉会、与野党ともに同じ日本人、仲良くやるのも好いが馴れ合いは感心できない。政治ネタを探すのは暫くお預けして他のことを書くしかない。

昨日の夕食時にひょんなことから名前の話になった。最近テレビを観ていると確かに読めない名前の出演者やニュースの登場者にぶつかるのがよくある。当事者にとっては不便で迷惑だと思うが、これが近ごろの流行で「キラキラネーム」と称することを教わった。名前に流行り廃りがあるのは仕方がない。日中戦争の真っ最中、太平洋戦争開幕直前の2040年生まれだから、同級生には時局反映型の名前も多い。

最も多いのは紀元(皇紀)2600年を反映した「紀男」とか「紀之」のように「紀」のつく名前が多く、威勢が良いところでは親友に「武久」がいる。武運長久そのものずばりだ。他には八紘一宇から「紘」とか「宇」を引いてきている友人もいる。昭和15年なので「十五郎」はいないが年配の知人には「昭三郎」や「昭五郎」がいる。同年配で最も分かりやすいのは「昭雄」君かな。何れにしても名前に親や祖父母が願いや意味を込めるのは否定すべきではないが、読みにくかったり書きにくいのは如何なものかだ。

英語読みに漢字を当てるのも多いと思うが、命名者の気持ちは分からぬでもない。友人のお子さんには今年のアカデミー文学賞受賞者カズオ・イシグロ氏のように完全に日本離れしている人が何人もいる。であれば、命名時から「碧空」と書いて<あとむ>なんて読ませずに、選挙の立候補者がよくやるように最初から「あとむ」とか「アトム」とかローマ字表記は禁止されているのだろうか?因みに「碧空」は2016年上半期キラキラネームランキング第1位から引用している。

日本語が乱れて中途半端な横文字が日常で氾濫する昨今である。誰かが「教養のない親ほど子供にこのキラキラネームを付けたがる。」と文句を言っていた。必ずしもそんなことも無いと思うし、子供の幸せを願うなら仕方ないとは思うが、何と無しの違和感を覚えるのも事実だ。

2017年11月1日水曜日

民意

先日の選挙で選ばれた新メンバーによる投票によって、今日再び安倍政権が発足する。政権のメンバーと自民党役員は選挙前と同じらしい。満足している人もいれば、しっくりこない人もいることだろう。選挙直後に朝日新聞が社説で「政権継続という審判 多様な民意に目を向けよ」を掲げたが、ネット上ではこれに異を唱える意見が多数アップされた。今さら多様な民意とは何事だ、民意は明確だ。取るに足らない連中の意見に捕らわれては国政を推進できない。

少し角度は異なるが、総選挙で示された「民意」は、「モリカケはそろそろ終わりにしろだ」なんてご意見もある。これは立派な経済学者で通っている高橋洋一氏が説だが、理由は「はじめの段階ならマスコミが「疑惑」と叫んでもいいだろうが、もう半年以上も経ったというのに、新たな証拠もなしで「疑惑」と言い続けている左派マスコミはおかしい。」とのことである。

これらの考えは少しおかしく、朝日新聞が唱える多様な民意も無視すべきではないと思うが、民意の付託を決するのは選挙結果だけなので反論しようがない。これまでの振る舞いからすると、「強きを助け弱きを挫く」政治が続きそうなので些かうんざりでもある。先日の中学校同窓会で40年以上海外生活を経験した友人の話「日本はそれでもアメリカなんかに比べると、暮らしやすい国だぜ。」をせめての慰めとして我慢するしかないだろう。

彼が言わんとしたところは、日本の格差は未だましで、アメリカには人種以外にも様々な格差があること、保険医療制度の問題とか医療そのものが極めて大雑把で、アトランタで胃の全摘手術を受けた時に相当びっくりしたとのこと。更に周知の大問題「銃社会」について、身の危険を感じ地元の現地人スタッフと相談したところ「銃は買わない方が善い。いくら強盗でも丸腰の人間を撃つのはためらうだろうから、なまじ持つな。」と言われ、ついに持たずに過ごした。

この話は最近の日本における安全保障論議の中で、専守防衛がやや後退気味であることを想起させられ興味深いものがあった。

2017年10月31日火曜日

反対意見

早いもので、このサイトでブログを書き始めたのが2009年4月、その前のmixiに書き始めたのが2005年10月なので、ここからカウントすると10年以上の月日が経ってしまった。こちらのサイトに移動した際に総合タイトルを付ける必要があったので考えた結果、ご案内のように「一人」を強調することにした。初めから独断と偏見による日記のようなものであることは自覚していたわけである。

とは言いながらも読者が多いことを願っていたのも事実。従ってアクセス数だけは毎日チェックしているし、友人知人に自ら宣伝もしている。子供や孫を含め親戚にも宣伝に努めてきたが、こちらはあまり効果が上がらず、兄弟と従弟妹の数名しか読んでくれていない。それでも最近は、1日のアクセスがやっと100件を超えるようになった。友人知人は勿論のこと、家族や親せきでさえ思想信条の異なる者は大勢いる。

そんな読者が何度も繰り返し年寄りの寝言の様なここを覗いて下さるのは有難いことだ。読者が100名以上いると言うことは、我が読者はご自身の思想信条は抜きにしても他人の意見も聞く、寛容な人に違いない。本当はリアクションも欲しいのだが、それは欲張りと言うものだろう。たまにコメントが入っているが、ハンドルネームであっても大部分が友人で、殆どが激励の趣旨になっている。それはそれで有難いが、先週土曜日の「パニック」について珍しく反対意見のコメントを頂いた。まだ読まれていない方は是非<コメント>をクリックしてご参照願いたい。

投稿者は匿名なので友人知人であるかは分からない。そうでなくともこのブログを以前から愛読されていた方だと思う。これは激励コメント以上に有難く感謝すべきだと思う。多くの読者を得たいなら反対意見が起こらないような文章を書いていたのでは始まらない。読者を増やしたいだけなら他人のブログに足跡をたくさん残すとか、極論を書くとか方法はいろいろあるらしい。しかしそこまでトライするほどの気力は無い。

兎も角反対意見があればこそ、こちらの理論もより論理的、科学的に磨きをかける必要が生ずる。それが出来るかどうかは別問題だが、ネット上で反対意見は出来るだけ見るようにしているつもりだ。今後は同じ独断と偏見であっても、より説得力あるものにしたいものだ。

2017年10月30日月曜日

中学校同窓会

土曜日の夕方、故郷の長野で卒業後初めての中学の同期会があったので出席した。卒業時は4クラスで、多分180人程度だったのではと思うが出席者は50名、男性がやや多かったようだ。半分弱は顔を見て誰か分かるし名前も思い出せるが、半分強は全く分からなかったり、顔を何とか思い出せても名前は分からない。或いは名乗られても、往時を全く思い出せなかったりした。

宴会が始まると自己紹介があったりしたので往時を段々と思い出して、とても懐かしく楽しい会だった。卒業時は15歳だから60年振り以上の人もいたわけだ。それにしても、中学生時代は似たように思っていた人生なるものがかくも個性的に分かれ、長ずるに及んで染みついた思想なんかも様々に分化したことを痛感した。我が母校は信州大学の付属中学校で、当時は知るはずも無かったが、他の市立中学校に比べると、やや先進的な教育が行われたらしいことが分かった。

当時は戦後の社会が未だ安定せず、親の都合で転校してきた者や転校して出て行った者が沢山いた。そんな人たちからそれに類する話を大分興味深く聞いた。その中の一人、中学3年生になる時東京に転校して文京区立中学に転校して両国工高から東大に進学した同級生の話「付属の教育は確かに進んでいた。」と証言していた。ここから、信州は昔から学問は重視する傾向があり、江戸末期には秀才を随分輩出している。ただ残念なのは総理になる程の政治家が未だに出ていないことに話が及ぶ。 

そんな話を横で聞いていた友人が「羽田孜がいるではないか。」と半畳を入れてきた。すると別の友人が「彼は勘定に入れられないだろう。」これで回りの友人たちがどっと笑って「やっぱり政治家の大物はいない」が結論になってしまった。何れにせよ、僅か50人と言ってもいろいろな人がいる。勉強ができた奴もいればそうでないのもいるが、今となればそれが全くと言っていいくらい現在の境遇に関係ないことだけは明らかだ。

60歳過ぎた老人の集まりは病気自と慢孫自慢に花が咲くと言われるが、77歳ともなるとそれは通り越して、男子の間では自分の終末への関心が高いことが会話から伺えるのも面白い。比較して女子は明るい。同い年なので伴侶に先立たれた人もかなりいたように記憶するが、そんな人は特に元気だった。中にお医者さんになった女性がいて「男性は奥さんに先立たれると哀れねぇ。」と話していたのが妙に説得力があった。

2017年10月28日土曜日

パニック

今日は夕方から長野で中学校の同窓会があるので昼前から出かける予定。ブログも休もうかと思ったが、メール確認でパソコンを立ち上げたので序にひと言書いておく。

今朝の朝日新聞によると「野党の衆院質問時間、削減検討 政府・自民、配分で」と社会面に見出しが躍っている。昨日安倍さんが、首相官邸で萩生田氏に「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と指示したという。総理の発言はこれまでの議会運営の慣例を破り、議会を無視する暴言ともいえる。

総理は選挙結果を受けても、野党の「もりかけ追及」から逃れられない恐怖感に殆どパニック状態に陥っているに違いない。気持ちが分からないでもないが、であればさっさと辞めれば済むではないか。健康を考えるべきだが、彼はこれ以上何を望むのだろうか?不思議なお人だ。


以下は「日刊IWJガイドウィークエンド版」からの丸々引用。
<「選挙に勝った途端に手の平返しか!『謙虚に』『丁寧に』とは真逆、『傲慢』で『ぞんざい』な政権運営! 特別国会は実質3日のみ、臨時国会は召集しない方針~安倍総理には、トランプとゴルフする暇はあっても、まともに国会審議をする時間はないというのか!?>

先ほどテレビで今度の選挙結果から政党別比例投票の獲得数を教えてもらった。
自民党は1800万強だそうだから、有権者総数の2割にも満たないらしい。これからは焦れば焦るほどに無理が祟るに違いない。

2017年10月27日金曜日

「国難」とお言葉

皇后様が今月20日の誕生日に際し、宮内記者会からの質問に答えるたちで文書を公表されている。その中で『この1年を振り返るなかで、先日発表されたノーベル賞に「日本も関わる二つの賞の発表がありました」と前置いたうえで、日系イギリス人のカズオ・イシグロの文学賞受賞と並び、平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことに言及。そして、この受賞を「大きな意義があった」』と評価して次のように綴られている。

『平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し、日本の立場は複雑ですが、本当に長いながい年月にわたる広島、長崎の被爆者たちの努力により、核兵器の非人道性、ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして、それと共に、日本の被爆者の心が、決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく、常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに、世界の目が注がれることを願っています。』

これを人によっては皇室に許されない政治的発言、即ち「国連核兵器禁止条約の交渉すらボイコットし、批准拒否という強硬姿勢を貫き、ICANの平和賞受賞には一言もコメントを出さない現政権への抵抗。」と非難するかもしれぬが、もっと素直に読み取るべきだ。解散総選挙が終わり、全国民が心機一転、一致協力して国難に向かう心構えが整ったとはとても言えない。小泉進次郎氏が率いる自民党の大勝利を喜んでいる人もそうでない人も戦争を望む人はいない筈。

戦争をするもしないも決めるのは政治家の仕事、政治の舞台は芸能人が活躍する場とは違う。確かに小生の理解では、皇后様の言葉には政治的意味がある。天皇陛下のご発言にも政治的意味が含まれることがしばしばあるのも事実。しかし「人間天皇が斯様な発言をしてはいけない」とは憲法で定められてもいない。また敗戦時の「国難」に際し、国を救ったのは昭和天皇の「お言葉」だったと教えられて育ってきた。

政治家のまともな言葉を聞きたいものだ。

2017年10月26日木曜日

安倍さん正気かな?

今週明らかになった総選挙の結果<自公与党の圧勝>にはがっかりした人も少なくなかったと思う。

しかし選挙前に書いたが、我が友人が言っていたように「大勝させた方が善かった」かもしれない。彼の予想では「その方が緩みが早く出て、一強の破たんが早まる」とのことだった。案の定、一昨日選挙後初めての閣議後の各大臣記者会見では7人か8人の大臣が「選挙結果を謙虚に受け止める」ような発言をしたにも拘らず、就任時から「役人書いた原稿を読ませて頂く」と発言していた江崎沖縄北方相が、役人の原稿には無い筈だが「なんとか友問題?そんなこと選挙が忙しくて憶えていません。」と発言してくれた。

あの小泉進次郎氏でさえ「もりかけ問題は総理にきちんと説明してもらうしかない。」と言っているのに。しかも今日は、森友学園に対する土地払い下げに関する会計検査院検査結果が漏れ出てきている。内容は「8億円以上不当に値引きされている」とのことだ。政権側は証拠を全部破棄したのだから、今さら検査院の結果が出ても事実認定は不可能と高を括ってるかもしれない。もっとも事実認定されたら、安倍晋三記念小学院建設に嫁が関わっていた事実は消せないから、議員辞職しなければならないだろう。

そんなことは起こりえないだろうが、総理の神経には相当なプレッシャーが掛かっているに違いあるまい。そんな総理の心中を知ってか知らずか、昨日は自公大勝を受けて、憲法改正を掲げる運動団体「日本会議」が主導する集会が都内で開催されたようだ。流石に来賓として出席した議員は、自民党9人と維新1人と少ないが、日本会議側も、選挙結果を謙虚に受け止めてなんかいられないと少し慌てているようだ。小池百合子の賞味期限も切れた今、誰がどう見ても9条の改憲なんかできる筈が無くなった。

安倍総理にとってもっと頭の痛い問題は、来月早々のトランプ大統領訪日(公賓ですらない実務者訪問賓客)だろう。トランプ氏側からすれば当然のことながら「日米軍事同盟の強化と関税・非関税障壁の打破」であることは明白。戦争になったら一緒に戦うことを念押されることになる。アメリカは戦場になりにくいが戦場となるのは日本と韓国、その韓国は少し抵抗が強いので1日でお茶を濁し、選挙をしても野党を駆逐しきれなかった日本へのグリップをさらに強めるため3日も滞在するようだ。

元首でありながら国賓待遇も受けられない立場を気にするような御仁ではなさそうなのが救いだ。せめてゴルフでもしてもらうしかないだろう。

2017年10月25日水曜日

ハイキング

昨日は7月の山歩きで知り合った松戸在住の青年(?)に案内してもらい、日光の鬼怒川沿いのハイキングを楽しんできた。東武日光線から枝分かれして会津に向かう野岩鉄道会津鬼怒川線に竜王駅がある。ここから鬼怒川沿いに2駅の間、約5キロ先の川治湯元駅までの遊歩道ハイクだ。平日で紅葉には少し早かったこともあり、スタート地点に中国人らしき少人数の団体がいたりしただけで、同じ電車から降りた観光客は殆どいなかった。

台風一過でもあり、また新たな台風の発生とか水曜日も雨の予報が出ていたが、幸い終日天気には恵まれた。コースを歩き始めると龍王峡の宿泊客らしき団体さん何組かと遭遇して道を譲ったりしながら、ゆっくりと川辺に達すると橋が架かっていて、その上に立つと目を見張るような景観があった。昨日までの雨の影響だろうが、両岸に山が迫り水量が豊富で河原が全く無い。怒涛の流れで、正に竜王の名に相応しい景観がずっと上流まで続いていた。

団体さんはこの景観に満足されて旅館に引き返すのだろう。我々二人は上流を目指して歩き始める。20分も歩くと汗ばみ始めたので、上着を脱いだりして薄着となって約2時間、たっぷり汗もかいたところで川治湯元温泉対岸の<あじさい公園>で持参のお弁当タイム。案内役の青年が持参の携帯コンロでお湯を沸かしコーヒーを淹れてくれた。染まり始めた紅葉と川の流れ、我々二人以外に人影無し、至福の時だ。

この後「黄金橋」(羨ましい名前のことよ)を渡って川治湯元温泉郷で入浴してビールを飲みながら一休み。我々は好いが、人影が少なすぎて温泉郷がゴーストタウン化しているのが気になった。何も栃木県ばかりではあるまい、長野県とて同じことだろう。

 




2017年10月23日月曜日

今後の見どころ

先週は水曜日に一瞬晴れ間があっただけでほぼ1週間薄暗い日が続いた。今日はやっと台風一過久しぶりに青空とお天道様が顔を出してくれた。何となく晴れ晴れした気分である。こちら以上に晴れ晴れしているのは永田町に陣取る自民党の面々、安倍さん以下幹部の高笑いが聞こえてくるようだ。政治解説で稼ぎまくった田崎何とか氏や自分は右寄りと思っている大勢の人も益々意気軒高のことと、お祝いでも言わなければいけないか。

昨日の投票率は53.6%で戦後下から2番目の低投票率とのこと。天気も安倍さんに味方したようだ。これから政治がどう動くか分からないが、ほんの数か月前に作られた「仕事人内閣」が何もしないで解任され、新しい「○○内閣」が誕生することだけは間違いなさそうだ。与党議席が3分の2以上はご同慶の至りだが、新内閣の支持率がどう動いていくかが見ものだろう。

見もので言えば、希望の党も惨敗とはいえ小池都知事は党首を辞めないそうだし、党本部の場所やら組織がどのように形成されるか、それとは別に当選者の中から都議選で小池氏を熱烈応援しながら「小池百合子に絶望して離党した」音喜多駿都議のような造反議員が出るのは間違いなさそうだ。立憲民主党も思いの外の党勢拡大だから、執行部体制の見直しがあるかもしれない。立憲民主党躍進の陰で泣いた共産党には同情を禁じ得ない。

選対本部長の小池亮氏が「立憲民主が頑張ってくれたので良いんだ。」と語ったことを「見上げたものだ。」とある場所で褒めたら、「それは単なる負け惜しみじゃないですか。」混ぜかえされた。マスコミは盛んに改憲が可能になると騒ぐが、それほど国民も馬鹿ではあるまい。幾ら戦争を知らない世代になったと言っても、戦争を仕掛けられてもいないのに他国の戦争にノコノコ出ていきたがる国民が有権者の半分以上いるとは思えない。

何れにせよ、立憲民主党枝野氏が唱えたように「現代社会は右とか左ではなくて、上からか草の根の下からかの目線が大事」は的を射たものだと思う。

2017年10月22日日曜日

総選挙

今日は総選挙の投票日、午前中ジムの行き帰りに投票所を見ると、大雨の影響
だろうが出足は必ずしも良くないように見受けられる。代わりに昨日の午後訪れた期日前投票所は行列で20分も待たされた。結果はどうなるか分からないが、少しでも大勢の人が投票するのが望ましいのだろう。

しかし投票しない人の気持ちも分からないではない。昔を思い出すと、40歳過ぎる頃まで政治になんか何の興味もなかった。22歳から47歳まで小さな広告会社の営業だった頃のことだ。仕事の成果と給料が密接な関係があるとは承知していたが、仕事の成果は世の中の好不況とは無関係といつも思っていた。
と言うのはこの間25年、実際に好不況はあったのだろうが、聞こえてくるのは何時も「来年も景気が悪い」のひと言。要するに業界の中小企業は常に大企業から圧迫されて好況なんか無いのだ。

まして政治が仕事に影響を及ぼすなんてことは考えてもみなかった。当時であれば、この大雨のなか何が悲しくて投票なんかしなきゃならんのだ。悔しかったら日当でも払ってみろ、そしたら行ってやらぬでもない。程度のことだったに違いない。事実、偉い人からの依頼で、公明党議員に投票したことが何回かある。公明党は今でも大嫌いだが、当時も宗教のいかがわしさが紛々だったので気が進まなかった記憶がある。

あれから30年以上、思えばだいぶ大人になった気がしないではないが、今の若者はどうなんだろう?少なくとも30年前の小生よりは遥かに賢くなっている筈だ。

2017年10月20日金曜日

二所ノ関親方

昨日も首都圏は冬の寒さだったが、思わぬニュースが飛び込んできた。元大関若嶋津が自転車で転倒して頭を打ち重体とのこと。未だ60歳、部屋では毎日若いものを指導し、協会では審判部長のバリバリの現役、普段から健康に気を使い体調も万全だったようだ。ただ毎日稽古の後に近くのサウナに自転車で通うのが日課で、昨日もその帰り道での事故だったらしい。通行人に発見されて救急搬送され、脳外科で5時間超の手術の結果、一先ず安定した状態とのこと。取り敢えず一命は取り止めたのは幸いだった。

自転車事故で思い出すのは前自民党幹事長の谷垣禎一氏。幹事長現役だった昨年の7月に趣味のサイクリング中に転倒し、頸髄損傷により入院して治療リハビリに励んでいると報じられていたが、結局今回の選挙に出馬せず、政界からの引退が決まってしまった。氏は1945年生まれだから二所ノ関親方より15歳年上ではあるが、やはり相当元気だった筈だ。そうでなければ、普段何するにもSP警官に囲まれ、黒塗りの車に乗っている人が態々ロードバイク何ぞ乗り回す筈があるまい。

何れにせよお二人とも普段から健康には十分注意し、自分のコンディションを常に確認していればこそ自信もあったろうし、当日はいつも通りの行動だったのではと推察する。周りの人誰もが、普段からお二人の姿勢の良さを羨んでいたと思う。部外者の小生にさえ、お二人は健康そうに見えていた。ところが思わざる報道に接して、改めて人体の経年劣化を思わざるを得ない。

普段から書いているように最近は健康オタクで毎日ひたすら歩いている。もっと若い時から訓練している親方にさえ、こんなことが起きるのだ。俄仕立てのオタク風情がどんなに頑張ってもたかが知れている。我が肉体、特に神経系統は自衛隊の航空機並みに金属疲労が進行している可能性が高い。歩き慣れた階段で躓いて手をつくことが増えてきた。平地でも躓くことはある。

平地や階段の上りで済んでいるうちはいいが、下りで転倒したらどうなるかを想像しないわけではない。しかしどうしても手すりに掴まりたくないのが、困りものだ。「転ばぬ先の杖」が大事な教えであることは知っているが、そろそろ自分の問題だ。

2017年10月19日木曜日

最後の課題

東京の気候は季節外れの冷え込みだが、世の中の景気は大変良いようだ。特にアメリカの景気が良いらしい。まさか2月の日米首脳会談の際に安倍首相が持参したとされる「日米成長雇用イニシアティブ」(アメリカに約50兆円の市場を生み出し、70万人規模の雇用を創出するために協力することを約束したとされている。)が効いていると思いたくないが、このことは外務省のホームページでも何故か非常に解りにくい表現になっている。兎に角株式市場は空前の景気に沸いているとのこと。
 
ヨーロッパについては一般向けのニュースが少ないのでよく分からないが、一時危機的とさえ言われた中国でさえ、厚化粧で何かを隠しているかどうか知らぬがGDPも順調に拡大しているし、交通網の発達とか海外旅行熱報道からすると何となく景気が良さそうな風情だ。少なくともアジア諸国からはあまり不景気な話は聞こえてこない。我が日本も11月号の月刊「文藝春秋」に滝田洋一氏と言う人が<バブル再来で物価は上がり始める>と言う記事を書いている。どんな人かは知らぬが記事を読ませて頂く限り、東京の六本木や大阪ミナミ辺りでは1990年のバブル期を髣髴する現象が随分窺えるとのこと。併せてアベノミクス達成も間近と臭わせている。安倍総理や黒田日銀総裁は嬉しい限りだろうが、個人的実感が湧かない記事なので、季節の寒さが先に立ってしまうのが情けない。

話が飛ぶが、昨夜同世代の友人に美味しい食事をご馳走になりながら、いろいろ有益な話を聞くことができた。曰く「今度の選挙で自公が勝つのは仕方がない。それも大勝すれば良いと思っている。すれば必ず益々図に乗るだろう。国民の真の判断はそれからの話だ。」「今度の選挙で野党側にはいろいろ事件が起きたが、物事がはっきりしたことは良いことだ。今の日本に革新なんて存在しない、ある意味では全員保守ではないか。枝野氏なんか市民運動をしていた時代からよく知っているが、彼なんかまるきり保守派とされていたのだよ。」

「枝野氏も頑張っているとは思うが、菅直人氏と赤松氏には説得して引退させるべきだったね。」「筋が通っているし、かなり保守的ながら人気がイマイチの共産党は党名を変更すべきだ。」「世の中が変わるには何と言っても時間が必要、後10年か15年長生きしようよ。」もともと考えが似ているので、いつも飲みながら楽しく談論できる。しかし昨日は最後の1節<後10年か15年>が大きな課題となった。

2017年10月18日水曜日

我が家の周辺

久しぶりに朝から陽の光が差し込み生き返る心地がした。人間には雨も大切であるのは分かるが、3日以上降り込められとやり切れない気持ちになってしまう。明日からまた雨の予想なので今日の陽射しは有効に使うにしくはない。と言っても変わり映えの無い道の散歩ぐらいしか思い浮かばないが、外気に触れるだけでも有難い。

変わり映え無いと書いたが、思えば近所の風景も随分変わった。50年も経てば変わらない方がおかしいだろうが、東京の風景、日本の風景、人間の住み方は随分変わるものだ。家並みだけではなく、生活様式がいつの間にか大変化している。父母の生涯もこんなに大変化があったのだろうか?これからの世代は世の流れをどう見ることになるのだろうか?なんて変なことを思ったりしたが、そんなこと分かるはずが無い。

己の生きてきた環境の変化をありのままに受け止めるしかない。ただ言えるのは総体的に一貫して良くなり続けたように思う。77歳になってしまったが、更に生き延びると、いつの間にかピークを通り過ぎて「昔が良かった」なんて思いかねないことが少し気になりだした。かと言って生きる環境は我が手に負えることには非ずだ。願わくばこれ以上日本に大きな変化が起きないでほしいが、そんなにうまくいくはずは無いだろう。

2017年10月17日火曜日

若年層の考え

たまたま35歳前後の若い独身男性と話す機会があったのでいろいろ聞いてみた。大卒でありながら非正規雇用で働く現代ではあまり珍しくない人。趣味はピアノ、小さい頃から習っていたようだ。そう多くはない給料のようだが、今でも月に2回は先生について練習をしているし、経済的には多少無理してピアノを置けるワンルームマンションを借りている。他には最近ゴルフを始めて、月1度くらいは友人と田舎の安いコースを探して行っているらしい。

酒や煙草はやらないので、こちらとはだいぶ違うキャラの真面目な青年だ。テレビ番組への興味も大して無さそうだし、新聞や雑誌、更には小説などの活字には縁遠い様だが、ネットをよく見ているのだろう、世間に疎いということは無い。ひょっとするとこちらより情報量は多いかもしれぬ。自分で株を売り買いしているとは言わなかったが、株価についてまで詳しい。今でこそ朝晩テレビで株価がどうのこうの聞かされるので何となく動向がインプットされてしまうが、こちらは若い頃に株価なんて全く興味が無かったし、知りもしなかった。

自分の若い時代を思い出すと自慢にならぬことが多すぎるし、今でも標準的老人とは言えぬだろう。彼が標準的な青年であるかどうかも分からないが、実在の一人であるのも確かだ。彼の政治に対する考えも興味深い。先ず政治に対する関心は高くなさそうだ。余り突っ込んで聞いていないが、自民党を支持しているようだ。若い層が与党支持と巷で言われている通りだ。安倍首相に対する嫌悪感(特に好きとか嫌いは聞いていない)より、野党のだらし無さのインパクトが先に来てしまうらしい。

曰く「野党は野合を繰り返しながら安倍批判の一点張りだが、安倍を倒した後に何が来るのですか。仮に政権を取れたにしても何もできないでしょう。どう転ぼうと世の中は大して変わらないと思いますよ。」ここまで来た時、横にいた50歳で独身の友人が助け舟を出した。「更に野党には外交ができる奴がいないから余計始末が悪いや。」この二人が若年層の平均的思考かどうか分からないが、当たらずとも遠くは無さそうでもある。「なるほどね」と半分解ったような気持でもある。

「外交は誰が政権を取ろうと不可逆のもの、新政権の政治家は今後について基本的な方向性を示すことが役割になる。外交の現場、実態は一般人には窺い知れないが、政治家より圧倒的に官僚が仕切るので、新政権に誰が来ようと外交が出来ないなんて心配は無用。」と言おうかと思ったが、官僚と政治家の役割を言い出すと難しい。結局黙って聞くだけにした。

2017年10月16日月曜日

イライラが募るばかり

久しぶりにブログを2日続けて休んでしまった。特に昨日は終日パソコンに触らずに過ごしてしまった。すごく面白い本が見つかったとか、他にやることがあったわけではない。どうしても選挙のことが頭から離れないので、書けば政権批判めいたことになりそうなので、自分でもうんざりしてしまったのが正直なところ。選挙を興味本位で見ているつもりはないが、自らのこととして受け止めているか、と聞かれると「イエス」とは答えられない。

ならば、昔観ていた東映や日活のやくざ映画の鑑賞と違わない。我が身は全く異次元にありながら贔屓の役者を応援するだけではないか。仮に悪役を応援しても彼が勝つことにはならぬだろう。第一映画は虚像、役者の実像なんて観客が知るはずも無い。政治家や政治の世界の実態をどれだけ知っているのか?日本のことでさえそうだから、外国事情について云々するなんてもっと虚しいことだ。いい歳なんだから頭を冷やそう、と思った意味もある。

それで冷静になれば良いのだが、結局ただボーと過ごしてしまった。しかも丸2日近くパソコンに触らなかったために、高校同期の友人からの大事なメールを長時間ほったらかしてしまった。またイライラが募り、世の中はなかなか思うようには進まないものだ。選挙に関するマスコミ報道には言いたいことが山ほどあるが、日本人の常識を信じて暫くは見守りたい。畏れ多いが天皇陛下の心境だ。

2017年10月13日金曜日

読後感「クラウド・テロリスト」ブライアン ・フリーマントル著 松本剛史訳

上下2巻:フリーマントルのスパイ小説を読むのは久しぶり。また幾ら面白かったからとしてもこの手の小説について読後感を書くことも珍しい。理由は著者に敬意を表したかったからである。著者は4歳年上なので80歳は優に超えているはず。老いたスパイの活躍を書けば天下一品で、経歴はジャーナリスト出身と記されるが、その実英国の諜報関係者だったのではと疑いたくなる。

改めてwikiで調べると案の定ソ連時代は入国を拒否されていて、ソ連崩壊後初めてロシアへ入国できるようになったとのこと。今回もスパイ小説に違いないがこれまで読んだ作品とは趣が大分異なり、主役は英国MI6勤務の若い女性と米国NSCの若い男性。共にアナリストとかITのスペシャリストで、これまでのスパイとは一味も二味も違う。

スパイと言えば単身身元を偽って敵地に潜入がお決まりにのパターン。これも相当にイメージが異なり、敵国が存在しない。悪役は国際的テロ組織のアルカイダで欧米各国が協力してこの組織と対立する図式となっている。共に英語国家だが、中東系のテロ組織との対立には中東からアフリカにかけての言語に堪能でなければ困る。そこで英国から米国に主人公の語学のスペシャリスト(父は中東とアフリカ歴任の外交官で母はヨルダン人)が国際協力として出向することになる。

英国MI6と米国NSCの諜報機関同士の協力が描かれる訳だが、先ずはそれぞれ国内で組織間の縄張り争い、功名争いと失敗のなすりつけ合いがある。その上での国家間の協力になるが、これが如何に難しいかがこの小説の一つのテーマ。特に米国の諜報機関は数が多いので有名だが、諜報機関の前には国務省と通じる各国大使館があり、情報取り扱いの差し手争いのようなことが相当にややこしい。当然ながら小説でさえその齟齬の恐ろしさを指摘している。

ここが、現実に政権によって国際協調が強調される日本国民として非常に興味深い。トップ同士が握手をした程度で、デリケートな諜報とまではいかなくても軍事的な協力関係なんかとても円滑にいかぬだろう。日本にも諜報活動をする風情の機関は各国に配置されている大使館の他に国内にも公安調査庁、内閣情報調査室とか、2014年には米国に倣って国家安全保障局会議(日本版NSC)なんてものが設置されている。それぞれの組織内に朝鮮語や中国語のスペシャリストが何人いて、それが英語国家のアメリカとどのように協力し合っているか心配になってきた。

もう一つのテーマは、実は翻訳の書名にも関係するが、インターネットと暗号に関する記述の豊富さである。77歳の年の割には知っている方だろうと己惚れていたが、反省しきりだ。著者は既に80歳を過ぎているにも拘らず豊富な知識には完全に脱帽せざるを得ない。つい先日も韓国の国防省が「対北朝鮮作戦計画」を数年前からハッキングされていたことを公表したばかりだ。

関連してこれも最近であるが、隣国の中国に於けるインターネット環境に関する知識が皆無であることを思い知らされた。インターネットにも国境が無い。経産大臣がNTT広報部長歴任の日本だが、彼が高度なIT技術を持ち合わせる筈はない。この小説にも原子力発電所へのアタックが描かれるが、日本のサイバーセキュリティ―に関して思いを深めた意味で、並みの小説以上に収穫があった。

2017年10月12日木曜日

嘆き節<総選挙結果予想>

今朝新聞各紙が総選挙結果予想を一斉に発表した。それによると各紙とも似たようなことで、自民党は公示前議席を上回る可能性まであり、安倍氏の思惑通り自公政権の安定は揺るぎが無いだろうとのこと。今朝テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が「日本人て何だったのでしょうね。」と慨嘆しているのを小耳に挟んだ。どうも選挙前の世論調査で内閣支持率がが不支持率を下回ったり、安倍総理の信用できないとする比率が70%を超えていたことを思い出して怒っていたようだ。

気持ちはよく理解できる。それにしても「嘘も百回つき通せば真実になる」とはよく言ったものだ。公示前から党首討論や総理の演説を聞いていると毎度同じことを言い続けている。先の格言を信じて実行しているのだろうが、大成功と喜んでいることだろう。

今日の朝日新聞社説は見出しが「衆院選 安倍首相 説明になっていない」と掲げ、安倍政権の5年が問われる衆院選である。として以下のように言っている。『「一番大切なのは私が指示したかどうか」「国会審議のなかで私から指示や依頼を受けたと言った方は1人もいない」という。首相自身の指示がなければ問題ないと言いたいのだろう。 だが、それでは説明になっていない。』

要するに総選挙の大事な争点でありながら、総理の強弁ばかりがマスコミを通して国民に伝わり、肝心なことは何一つ説明もされず、事実関係の詳細は全く明らかになっていないと主張。『首相が国民に繰り返し約束した「丁寧な説明」はまだない。首相はどのように説明責任を果たすのか。それは、選挙戦の大きな争点である。』と結んでいる。これも正論だろうが、新聞の社説なんて読む人間は千人に一人もいないらしい。

小生もその他大勢の一人だが、今日は悔しいので偶々引用したまでのことだ。未だ投票用紙が配布されていないので、若干の変動はあるだろうが、野党勢力がものの見事に分断されたので、結果は似たようなことになるのだろう。安倍氏が「民意を得た」と自慢げに語る姿を想像するだけでも口惜しいことだ。しかし、どんなに悔しがろうと、まだ当分は安倍氏の暴走が止まらないだろうが、民意がそうであるなら仕方あるまい。

2017年10月11日水曜日

報道の使命

選挙戦が始まったせいだと思うが、最近どうも景気がいいような報道が相次いでいる。日銀支店長会議での景気判断は全国的に景気向上中とか、政府は5年連続の好景気継続中と発表をして経団連もその通りだと言っている。又それを裏付けるかのように株価も連日高騰を続けている。正にご同慶の至りと言うしかない。そこで安倍総裁以下与党候補者が力説強調するのは、野党が政権を持っていた時代に東北大震災が発生し、当時の民社党政権はなす術を知らず手をこまねいていたので、経済がガタガタになった。それを自公政権が立て直して今日に至った功績である。

曰く「民社党政権当時は為替は円高で輸出が落ち込み、関連する中小企業は倒産の危機に瀕し、GDPは500兆円割れまで落ち込み、求人が減って求人1名に対して2人の求職者だから一人は失職せざるを得ない状況でした。そんな悲惨な状況から安倍政権はアベノミクス経済政策適切に行い、GDPを50兆円拡大して、求人は全都道府県で倍率1以上、即ち働きたい人には必ず職がある状態にまで持ち直すことになったのです。」

横文字GDPはよく分からないが、国内総生産なるものが拡大すれば国民が豊かになっても不思議はない。大したものだと感心しながらも一応少し調べさせて頂いた。その点パソコンは便利である、GDPで検索すると政府統計をすぐ確認できる。http://ecodb.net/country/JP/imf_gdp.html実質GDPの推移で見る限り、民社党政権時代の2009~12年は472兆円から498兆円だから500兆円には届いていないが、それ以前500兆円を超えたのは2007年リーマンショック直前の504兆円だけである。

2017年4月までの統計は528兆円、12年498兆円との差は30兆円で、どう見ても50兆円増えているようには見えない。次に賃金のデータは細かく書かないが興味ある方は下記を参照願います。
http://www.nippon-num.com/economy/actual-income.htmlいつも書く通り経済音痴なので間違った統計を見ている可能性もあるが、平たく言って2012年から今日に至るまで賃金は上がっていないどころか下がり続けていると言っても過言ではないと思う。

IMF(世銀)のデータで2012年と2016年のGDPを比較してみると、日本はドルベースで1兆ドル程下がっている。アメリカは16兆ドルから18、5兆ドルへ、中国は8.5兆ドルから11兆ドルへしっかり上がっている。
https://www.globalnote.jp/p-data-g/?dno=8860&post_no=1409
素人が見ただけでも経済は劣化する一方が実態で、庶民の暮らしぶりが良くなろう筈がないように見える。

冒頭に掲げた最近の報道はどこかおかしい。日本経済や景気はかなり悪くなっているのではないか。政権当事者が嘘っぽいことを並べてるのは仕方が無いにしても、マスコミが政権の幇間を演じては困る。真実を分かりやすく伝えるべきだ。

2017年10月10日火曜日

連休最終日

運動会や遠足のシーズンになった。思えば昔の東京オリンピックは当たり前と言えばそれまでだが、本当にいい季節を選んだものだ。それをなんだ?昨今のオリンピックは商業主義に毒されて7月の末から8月初旬、スポーツには最悪の季節に行われるそうだ。正に本末転倒、石が流れて木が沈む世相の反映ここに極まるだ。そんなオリンピックを何故招致せねばならぬ。年寄りの大半はブラジルで行われた招致委員会最終日に猪瀬都知事や安倍首相の演説を聞いて、やめておいた方が良さそうだと思ったに違いない。そんな昔のことを飽きもせず書き綴るのは、しつこすぎて年寄りとして如何ものかであるのは百も承知だ。

話を変えて昨日の運動会・遠足日和のことを書こう。もうメディアでの選挙報道も飽きてきたので、昨日は絶好の日和を利用してハイキングに出かけた。目的地は奥多摩の少し外れにある「棒の嶺」池袋から西武線利用で行けるので便利と言えば便利。標高も千メートルに足りないハイキングにはもってこいの筈。過去3回行っているが悪いイメージが無く、年寄り向きと勘違いしてしまった。昨日も終日快晴で、天気には文句つけ用も無かったが、計画立案に少し難があった。

3回の経験を過信して事前に地図やガイドブックを参照するのを省いたために、山の登り降りの時間の見積もりが甘く、帰路のバス発車時刻がぎりぎりとなり、少し焦って駆け出す始末。連休最終日とあってハイカーも多く、静寂な山歩きとはいかなかった。登りは生後7か月の赤ちゃんを背負った山男の家族がいて、その慎重な歩みに合わさせて貰った。帰り道はバスの発車時刻ぎりぎりになり、最後駆け出さざる得なかったのは少し参ったが、山頂での遠望の素晴らしさと山の空気を思い切り吸うことができたのは有難かった。山歩きの詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1285289.html

2017年10月8日日曜日

権力の行使

今朝のTBS「サンデーモーニング」を観ていたら久しぶりに岸井成格(しげただ)氏が出演していた。スタジオ内で着席しながらソフト帽を被ったままだ。顔色はそうでもないが、少しやつれた感じがする。癌とは言いつつも、どこが侵されたか詳しくは言わなかったが、入院して放射線やら抗がん剤治療を受けていたとのこと。相当厳しい闘病生活だったのだろう。慶應では相撲部に所属していたとのことだから、若い時は元気だったろうに。少し年下なので、頑張ってもらいたい。

岸井氏は毎日新聞政治部の出身らしいが、テレビのコメントはバランス感覚に優れているように感じていた。但し、ネトウヨ連中からすると目の仇のようだ。一昨年の安保法制の時だったか、「ニュース23」に安倍首相が出演した際に何か厳しい質問をしたとかで、番組降板と取りざたされた記憶がある。但し、番組を視聴していないので実際に降板したかどうかは知らない。サンデーモーニングから消えたのもその影響か、なんて心配もしていたが、復帰は目出度い限りだ。早速今日も面目躍如と言うべきか、現在の政治或いは政治家だったかの劣化に関連して次のような話を披露した。婆さんが言うには「岸井さんは彼岸に渡る覚悟しているように感じた。」そうだ。

「5年半前の第2次安倍内閣スタート時、さしで会う機会があったので、失礼かとは思いつつ、私は思い切って二つのことを申し上げた。一つは、右翼的な言動を慎むこと。二つ目は昔宮澤喜一総理から教わったことでもあるが、権力は出来るだけ抑制的に行使するよう心掛けること。そしたら安倍さんは即座に『それは違います。私は権力を存分に行使して目的を遂行します。』と答えたことを今思い出します。」

これを聞くと成程ねとすべてに納得がいく。安倍さんは権力の私物化とか非難されているが、最初から確信犯なのだ。今回の選挙もその権力を手放さないための手段に過ぎない。「文句があるなら、俺の手から権力を奪ってみろ。」てなものだろう。政策を誠実だの愚直に訴えるが聞いて呆れる。結果が丁とでるか半とでるかは分からぬが、今度の選挙は少しでも投票率が上がることを期待したい。

2017年10月7日土曜日

ふくろ祭り

未だ小雨が降っていたが、昼飯を食いに池袋西口に行くと普段と違う交通規制が敷かれていて、今日は「ふくろ祭り」だったことを思い出した。既に大通りでは<よさこいダンス>イベントの実行中で、次から次へとチームがやってくる。昨年は見逃したかもしれぬが、今日暇なので立ち止まって何組か見とれてしまった。このイベント回を重ねて既に18回だそうだ。年々盛んになるようで今年も110組以上が参加しているらしい。

5チームのダンスを観ただけでも富山からの来たチームや、横浜から来た関東学院チームなんてのもあった。学園のチームは分かるが、富山から来ましたなんて皆さん、どのような繋がりで集い合うのだろうか?間近で観させて頂くと、相当な年齢差があるようにも思う。でも皆さん笑顔で息を合わせて華やかに踊ってくれる。観ていて楽しいし、少し羨ましくもある。人垣の最前列にベンチが用意されていて、子供3人連れた白人の家族が陣取っていたが、親父さんはスマホで動画を撮り、お母さんと子供たちが盛んに拍手していた。

富山から自弁で出てくれば幾ら掛かるのだろうか、なんて下種っぽいことを想像しながらも、自分が楽しみながら他人を楽しませるのだから偉いものだ、感心せざるを得ない。

他には空手の演武もあった。池袋には極真空手の本部があるのでお祭りを盛り上げるために駆り出されたのだろう。子供たちの演武も良いが、何かのチャンピオンと紹介された青年の演武は流石の迫力だ。両端を固定した野球のバットを叩き割るのも凄いが、仲間が手で支えているだけのバットいとも簡単に撫で切ってしまった。この流派の創始者大山氏はビール瓶を手刀で撫で切ったそうだが、この青年も真似出来るのかもしれない、なんて思ったりした。

池袋西口の氏神様は御嶽神社で、その御祭禮の神輿宮出しは9月に終わっているのだが、このイベントは週をずらして毎年この時期に行われる。どちらもそれなりに見応えがあるので、今年は今日偶然に片方だけでも観ることができてハッピーだった。

2017年10月6日金曜日

信濃路の秋

昨日は信州上田(丸子)で3歳年上の義弟の葬儀があったので行ってきた。上田は未だに本籍地だが、実際に住んだことが無い。父が5男だったので、早くに寺を上田から長野に変えて、生前自分で墓を建てしまったのだ。従って小生は土地勘が無いので、葬儀のついでは不謹慎とか縁起でもないとは聞くが、生涯教員だった義弟の盛大なお葬式(先生とは羨ましい職業だ)の後、絶好の秋晴れだったので、観光スポットを何ヵ所か義妹に案内してもらった。先ず上田、駅のすぐ近くにあるうどん屋の「中村屋」、ここで<馬肉うどん>を生れて初めて食した。父からも「上田では馬肉を<さくら肉>と称し、珍重して食べていた。」とは聞いていたが、実際に食べてみて成程と得心がいった。

メニューには定番の馬刺しから始まり多々あるが、代表が<肉うどん>580円とのことで、これを注文した。出てきたのは茶色の濃い汁の中の白いうどんは特に太くも細くもない、ごく普通に見える。その上に乗った肉片6枚か7枚くらい、何れも小指大で長方形に形が整い色は茶色一色、他にはパラパラと刻みネギが振られているのみで、見た目にはあまり美味そうに見えない。ところが、これが実に美味かった。一見固そうに見える肉が非常に柔らかいし、つゆ汁の味も何と言えず絶妙だった。

義妹の説明や卓上にあった説明書きによると、馬肉はどんなに煮込んで硬くならないらしい。汁も色のわりに塩気もきつくなく風味があるが、鰹や昆布などのダシは一切使わず馬肉を長時間煮込んだだけの汁らしい。何とも田舎らしい<うどん>ながら、地元の人が愛することがよく分かる。いわゆる名物とは少し趣が異なるだろうが駅からも近いし、駐車場も完備しているので旅行者にはお勧めしたい。その後上田城址にも足を延ばして、東郷平八郎元帥の揮毫になる赤松小三郎の石碑を見てきた。途中に<赤松小三郎生誕の地>の幟が沢山立っていたので、これも地元では知らぬ人は無いのだろうが、先日読後感を上げたばかりのように、つい最近知ったばかりだ。

上田駅から丸子の間には国分寺跡があり、更にその先には北國街道の宿場<海野宿>が保存されている。話には聞いたりテレビで観たりはしていたが、実際に足を運んだのは初めて。平日だからだろうか、とても静かで好い雰囲気だった。しかしここでは宿場の家並より白鳥神社に惹かれた。如何にも古びた佇まいで、境内の欅の大木2本は周囲8mとのこと。このお宮は平安時代、ひょっとするとそれ以前から産土神として祀られていた可能性があるらしい。現在の祭神は日本武尊、貞元親王、善淵王、海野広道公の四神。

新幹線開通でこの辺はすっかり寂れたのだろうが、12世紀の源平時代に木曽義仲が頼朝に呼応して木曽から京都に攻め上った際、この辺りが信濃源氏の集合場所となって義仲の旗揚げの場所とされているとのこと。隔世の感深いものを感じた秋の1日だった。

2017年10月4日水曜日

改憲問題

憲法改正を最も希望しているはずの自民党総裁は、解散後既に何度も街頭演説に立っている。ところが不思議なことに「憲法改正」を殆ど訴えない。逆に野党第1党になる筈の希望の党側が、民進党との合流に条件として憲法問題を持ち出した。おかげで自民党が口を閉ざしていても、マスコミはやたらに憲法問題を取り上げて騒ぎ立てる。この辺にも小池新党が自民党の補完勢力と言われる所以があり、それが当たらずとも遠くないのだろう。

このブログで何回も書いたが、憲法をまともに読んだこともないし、関心もあまり無い。70年以上の間、たまに地方裁判所から選挙区の区割りで違憲との判断が出たとニュースを聞くことがあるくらいで、庶民から憲法の使い勝手について変更すべきとの運動が沸き起こったことは無い。時の政権がたまに、現政権などは頻繁に、憲法違反を犯すことがあったが、マスコミは常に権力者に対しては寛容だから大した問題になることは無かった。

憲法については、国民が望むならいついかなる場合でも、チェックすること自体は悪いことではないだろう。しかし「北朝鮮問題で我が国の安全保障環境が変わった」を根拠に、マスコミが急に9条問題で大騒ぎするのは如何なものか。確かにまかり間違えば戦争に巻き込まれかねない環境が出現しているのは事実。悪くすれば年末から新年早々にかけて、アメリカの準備が整うなんて説もある。困ったことには違いないが、だからと言ってアメリカと共に戦うなんて馬鹿げたことだ。

先輩たちが敗戦を踏まえて「戦争の放棄」を憲法に書き込み、何を思って後世の権力者を縛ろうとしたのか、深く思いをすべきだ。「専守防衛」に徹し、一撃された後に個別的自衛の戦いを挑む場合と、最初からアメリカと共に戦いに赴く場合を比較した場合の差は何か?少なくとも被害だけで見れば大差はあるまい。何れの場合でもアメリカは参戦してくるだろうし、日本人の精神の高揚ぶりには相当な差が出るように思う。精神が気高くても、死んで花実が咲くものかと言う人もいる。

「日本の自衛隊は中国や北朝鮮の軍隊なんかに決して負けない実力を持つ。」と力説してやまない友人がいるが、戦った経験が無いのに、どうして断言できるのだろう?口論したくないので、いつも黙って聞き流している。しかし昨今は、若い人に同様の考えが多い様なので、偉そうに言いたい。「戦争は勝ち負けに関係なく、したら終わり。あのアメリカでさえ、ここ何十年勝ち戦なんか無いのではないか。」改憲の必要なんぞ全く無いし、こういう場合だからこそ和平への努力が必要の筈だ。

*親戚に不幸があって明日は信州に帰らねばならない。明日のブログは休み、今日も早めにアップする。

2017年10月3日火曜日

PAC3

テレビ朝日の新番組「サンデーLIVE!!」(朝5:50~)を少しだけ観た。日曜午前の社会情報系ワイド番組として、キャストの目玉に東山紀之氏を置き、早朝から電波を流して視聴者を獲得したいのだろうが、各テレビ局の激戦を勝ち残れるかどうか。ざっと観ただけでは、とても評価なんか出来よう筈もない。ただ1回目の1日放送の中で、東山氏自らが北海道の新千歳空港にある航空自衛隊基地に置かれているPAC3の部隊をルポしたのは興味深く観ることができた。

<PAC3>とは言うまでもなく北朝鮮のミサイル攻撃を想定した、迎撃用のミサイル(パトリオットミサイル)のことである。兵器ミサイルについて明確なイメージを描ける日本の一般人は少ないはずだ。小生とすれば、対空兵器として思い浮かべることができるのは精々高射砲のみ、航空機を撃墜するために開発された大砲と言うべきか機関銃言うべきか走らぬ。ともかく一人の人間が引き金を引いて鉄砲の球を打ち出す仕掛けだろう。

しかし飛来するミサイルもPAC3も航空機ではない。ピストルの弾をピストルで撃ち落とすようなものと聞いた覚えがあるが、そんな説明でイメージできるほど頭がよくない。イラン・イラク戦争当時バクダッド駐在経験のある元外務官僚の孫崎享氏は駐在当時パトリオットミサイル爆撃を大分経験されたとのことで、その被害状況を語っておられるが、ミサイルとは大砲と大分趣が異なる新しい地上攻撃用兵器が基本のようだ。日本人には未経験なので誰もその着弾被害は想定できないが、孫崎氏が言うには直径15メートル深さ3メートル近い穴が開き、爆風被害が半径300メートルに及ぶそうだ。

この被害が大きいか小さいかは別問題としよう。要するにコンピュータで制御されて射程は約20キロ、マッハ5(毎秒1.7km)程度のスピードで飛んでいくのが<PAC3>。一方北朝鮮が実験発射を繰り返しているミサイル大陸間を飛翔することを目指しているので、性能が段違いで上空数百キロを飛んでくる。スピードはマッハ7とも8ともいわれる。これをちっぽけなミサイルで撃墜なんて土台無理、が孫崎氏のお話。

孫崎氏だけを信じる必要も無いが、東山氏のレポートで理解できたことが幾つかある。<PAC3>は車の上に載ってはいるが、この車1台だけでは使い物にならぬらしい。演習を実演してくれたが、これを操作する部隊の1編成が30人。車両が5台だったように記憶する。発射台車両の他は電源車、計算用のコンピュータ車、総合指揮車、もう1台あったと思うが、多分無線コントロール用ではなかったかな。

これがゾロゾロと格納庫から出てきて、各車両の無線を確認して、本部から来る飛翔体のデータに合わせてこちらの発射角度を決め、指揮官の指令を待って発射ボタンを押すだけ。東山氏が隊長に質問した。「これでミサイルを撃墜できますか?」隊長応えて曰く「ハワイでの実験では撃墜に成功しました。」この兵器が幾らにつくか知らぬが、昨年度から全国に配備が進められている。Jアラートも同じで、こんなクラシック兵器を大量に買い込んで「これで子や孫が安心の施策」と言われてもなぁ。

2017年10月2日月曜日

読後感「観応の擾乱」亀田俊和著

前回読後感に引き続き室町時代の歴史に関する書物である。小説でない歴史書は読むのが難儀でもある。人名と年代が新旧取り混ぜて次から次へと出てくるが、これを順序良く頭に入れるのが先ず一苦労。とても間に合わないので、第6章までをいい加減に読み飛ばし、第7章に当たる<終章>と<あとがき>を少しじっくりと読んで<はしがき>を読み直してみた。

それで内容が半分くらい理解できたかと言えば、とてもそこまでは行っていないだろう。最後部に関連年表が12頁付いているが、読む気にならなかった。<観応の擾乱>は高校の日本史に必ず出てくるようだが、年表を読まなければ落第点だろう。従って読後感も極めて中途半端になららざるを得ない。

擾乱の主人公は足利尊氏。1358年に55歳で亡くなっているので当時としては比較的長生きした方だと思うが、前半生における活躍、即ち後醍醐天皇を奉じての鎌倉幕府成敗と、その後醍醐天皇と袂を分かち北朝の光明天皇を奉ずる仕儀になった経緯などは触れず、いきなり南北朝時代(1336年)となり、室町に置かれた幕府の権力組織と構成員、そしてその内部抗争に話が入っていく。

そもそも天皇が二人いて元号まで二通り存在した南北朝時代とは何か?尊氏から見れば天皇は二人とも自分が祭り上げた人ではないか。何故そうならざるを得なかったが分からない。ただ幕府は行政機関として全国に目配りしなければならぬ。その裁量権(知行充行)に与るのが武士たちだろうが、日本の国土は広いようで狭い。戦が終わるたびに知行の再配分が行われるが、これが大変だったようで、領地に絡む訴訟や実力行使があちこちで絶えなかった。

足利尊氏が最高責任者ではあったが、当初はその論功行賞などを弟の直義に任せていたらしい。任された直義とて人の子、陸奥から薩摩の果てまでの土地生産性を知る筈が無かろう。下に執事とか業務遂行人が置かれても、末端においては、この土地は誰それのお墨付きとの諍いが多発したのは容易に想像できる。そのことがまた上位者に跳ね返り、結局は大きな内紛に至る。

ごく大胆に割り切れば、観応の擾乱とは原因の下地にはそんなこと(高級武士階級の欲ボケ)がありつつ、尤もらしい名分をかざし、1350年から52年にかけて全国規模で発生した足利幕府統治下での内輪もめ(当時の武士階級は今に至るも名字が残るように、皆親戚だったり、同僚だったりするのだ)とも言える。国民から見れば、お米の収奪者である殿様同士が殺し合いをしているのだから、勝ち負けは関係無く、騒ぎそのものが迷惑だったに違いあるまい。

兎も角、室町時代の初期に出現した足利尊氏は典型的日本武士として、現代に大きな影響を及ぼしていると思う。また、出現した武士たちについては室町後期以降の戦国大名ほどには人口に膾炙していない。就学前に「楠木正成・正行父子」を盛んに吹き込まれたが、現代っ子には全く通じないだろう。むしろ今に至るも700年と同じように、国民不在の権力闘争をを見ると、歴史は繰り返すことを実感する。

2017年9月30日土曜日

我が「働き方改革(案)」

束の間のことであっても凌ぎやすくて好い季節になった。政治家は頭を冷やして議会で論戦でもすればいいのに、選挙騒ぎに突入している。約1か月近いカラ騒ぎの結果、多少メンバーの入れ替えはあるのだろうが、460数人の似たような人間がまた戻ってくるだけだ。政治家に資格条件を付けることは難しいのだろうが、せめて年齢制限の上限を設けたらどうなんだろうと夢想してみた。

法律で「衆議院議員の条件は、日本国民で満25歳以上であること、参議院議員は、やはり日本国民で満30歳以上であることです。」(その他に供託金なんて問題もあるし、下限年齢の引き下げ問題もあるが、取り敢えず措く。)と決められているようだが、何で定年が無いのだろう。遥か昔のことなので実態は知らぬが、普通の企業の場合定年は概ね60歳ではなかろうか。ここで線を引けば大分すっきりすると思う。

安倍晋三氏と志位和夫氏は63歳、山口那津男氏と小池百合子氏は65歳、小沢一郎氏に至っては御年75歳とのこと。皆さん実にご苦労様なことだ。対象者は700人を超える国会議員だけでも相当な数になるだろう。どなたにもそんなに世話になったつもりもないが、一言ねぎらいの言葉をお掛けして、それぞれご引退願いたい気がしないでもない。

他人の老後よりご自分の老後を考える方が先でしょう。阿川佐和子の介護結婚でもあるまいし、自分がヨボヨボになってオシメをしながら他人のことに口を出すなんて「小さな親切、大きなお世話」だ。見苦しいことは嫌いなのだ。

2017年9月29日金曜日

曲がり角

衆議院が正式に解散されて総選挙が実質的に始まった。と書き始めたが、目玉の小池新党の党首が確定していないのだから、実質的とは言えないかもしれぬ。結果がどう転ぶか誰にも想像できないだろうが、リセットが効かない年齢に達している身として感じていることはいろいろある。昨日から今日、今日から明日は世の中大して変わらないが、77年の年月を改めて振り返ると世の中は大変な変化を遂げてきたものだ。

個人的な印象を言えば、大きな曲がり角は1945年の敗戦が先ず第一。ここを起点に考えると、15年後の1960年くらいまでに日本は大きくカーブしたように思う。その後は半世紀近く、2003年にサラリーマン生活から足を洗い起業の真似事をするに至るまで、世の中の大きな変化には気づかなかった。多分この間も、世の中は大小のカーブを切っていたことだろう。

平凡な家庭生活を過ごしていたし、鈍感で気づかなかったにすぎないが、昭和から平成に変わる頃にデモグラフィック(人口統計学的 属性)な社会構造の変化が注目されるようになった。これが今考えると大きな変化だったかもしれぬ。高齢化社会の到来と女性の社会進出である。ふと気が付くと、卒業当時学年に5人しかいなかった女子が3割とか4割に増えていると聞いて少し驚いた記憶がある。

起業して数年後の2005年に個人的にも少しリセットできたのか、mixiで日記を書き始めているので、ここからは振り返りやすい。世相とか政治にも少し関心を持ち出したはずだ。そこで思うのが今回の総選挙、この結果もその先の変化も読みようは無いが、何となく日本が大きくカーブしそうな感じを持っている。未来のことなのでうまく言えないが、感じていることが二つある。

一つは民衆の力、個人的に参加しなかったので安保闘争に参加したご同輩には叱られそうだが、敢えて書く。安倍総理を刑務所に送るためには民衆の力が不可欠だろうが、日本にはこの力が存在しないと勘違いして、韓国など外国の民衆活動を羨ましく思っていた。今回の選挙結果の出方によっては安倍さんを刑務所まで送れなくても、退陣させることは可能だ。今回はどうなるかは別だが、民衆の力は昔から存在していたのだろうが、これからは相当に顕在化するのではと感じている。ポピュリズムは世界的傾向?

二つ目はジェンダーの問題、女性の社会進出は政治家や官僚が考えてもどうにもならないだろうが、小池新党の出現ではっきりした姿が現れてきた感じがする。

つまらんことばかりになってしまったので、他人の文書を盗用して償いとさせて頂く。
1.小田嶋隆氏【今度の選挙が、憲政史上最も醜い争いになるということだ。卑怯者とうそつきと火事場泥棒のうちの誰に投票すれば良いのか、悩みは深い。】
2.孫崎享氏【日本の政界、官界、マスコミ等既存勢力はジャパンハンドラーの影響下にある。そして彼らは今、小池氏らを押している。今後、「希望の党」を押す既存勢力が増す可能性がある。】

2017年9月28日木曜日

白い猫でも黒い猫でも

「擾乱」(じょうらん)と読みますがご存知でしょうか。たまたま今「観応の擾乱」なる本を読んでいる最中ですが、室町南北朝時代の「応仁の乱」の導火線になった騒乱状態を指すことのようです。当時の武士たちが保身からだと思いますが、1349年から1352年にかけて僅か2年間くらいの間に、誰が味方で誰が敵か見極める暇がないくらい激しい抗争が続きました。今の政界は正に擾乱状態になってきました。

台風の目は小池百合子氏。月曜からの動きは敵ながら天晴と言わざるを得ません。将来に望みは無い身としては「希望の党」と言われてもね、と突っ込みたいところで、火曜日の朝テレビ朝日の番組で俳優の中尾彬氏が、小池さんの「欲望の党」だね、と揶揄したのを面白がって観ていました。しかし、今朝になると婆さんでさえ「都知事なんか誰でもいいよ。」と言い出し始める始末です。小生もひょっとするとひょっとするかなと思わざるを得ません。

無節操な彼女が嫌いであることは既に書きましたが、安倍総理はもっと嫌い。石破氏も好きではないのですが、何らかの力学が働き彼が安倍氏と交代できるなら、それでも仕方ないかぐらいで、政権交代は当分無理だろうと思っていました。ところが、また昔話で恐縮です。明智光秀が本能寺で織田信長を自刃に追い込んだ理由や経緯は未だによく分かっていません。徳川家康との密約があって周到に準備されたとの説もあります。頭のいい光秀が瞬間的に閃いたとしても不思議はありません。小池氏の動きが重なって見えます。

小池氏は才女でしょうが、今流行りの東大→ハーバート大とは一味違います。今流行りのお姉さん方は殆ど裕福なご家庭のお育ちで、学生時代から現在に至り、既にお腹一杯で庶民とは格が違っています。小池氏は知事報酬を半額にしても困らない程度にお金はあるでしょうが、そんなにお金持ちの感じはありません。なによりも亭主も子供もいないのですから、失うものも少ないだろうし恥のかきようも無い強さがあります。

日本会議の幹部に名を連ねたり、関東大震災の時被害にあわれた在日朝鮮人の慰霊文を発送せず、右翼みたい顔もしていますが、現代の右翼なんて皆どこまで本気か分かりません。逆に共産党から野党共闘をぶち壊したと激怒されていますが、本当に共産党と対決できるのか、これとて裏で小沢氏が動いて共産党を宥めていないとも言い切れないでしょう。激怒は公明党も同じですが、学会との関係はよく分かりません。

要するに分からないことだらけで、興味が益々湧いてきます。不謹慎を承知で言えば、彼女が衆議院議員になって首相になれば面白いのは確かです。そうなると、仲間割れがすぐ始まり、血を血で洗う擾乱が更に続くことだけは間違いないでしょう。

2017年9月27日水曜日

暫く混乱が続くか

希望の党が唱える「改革の精神に燃える保守」も分かりにくいが、今日は取り敢えず「国難」についてのヒントがあったので、これを書いておく。国難と聞いてピンとくる人は少ないだろう。小生もその口である。関係無いとは思ったが、たまたま具体的内容を示すメールマガ(三橋貴明氏)がきていた。折角なので、これを引用してみたい。引用は【】内。整理するためナンバリングを勝手に追加した。

【*現在の日本は、確かに「国難」と呼びうる状況だと思います。

1.97年以来、二十年も近く続くデフレーション、国民の貧困化。下がり続ける実質賃金、減り続ける実質消費。減らされ続ける公共インフラ整備、科学技術予算、教育費。
2.地方は「昭和」の時代から全く変わっておらず、それどころか退化していっており、論文引用の大幅減少国。
3.防衛費は、昨今は増やしているものの、装備品(兵器)に予算をつぎ込む分、人件費を削減せざるを得ず、危機が深刻化する中、人員を減らしているという異様な状況。
4.農協改革、種子法廃止、発送電分離、混合診療(患者申出療養)推進、派遣労働拡大、そして外国人労働者受入拡大などの構造改革により、破壊されていく安全保障。
5.崩れていく国民の「普通」の生活。】

挙句の果てに、北朝鮮核ミサイル危機、中国の尖閣諸島への侵略、南シナ海の内海化という防衛安全保障の危機。確かに「内憂外患」であるが、外患は安倍さんの責任でないにしても、内憂部分については、全て安倍総理の責任です。と断じている。

【なぜ、2013年6月にPB黒字化を閣議決定したのか。
なぜ、2013年10月1日に、消費税増税を決断してしまったのか。
なぜ、政権発足時点から竹中平蔵氏ら、構造改革主義者たちを重用したのか。
農協改革も、混合診療も、派遣労働拡大も、発送電分離も、種子法廃止も、やる必要がなかった「改革」なのです。とはいえ、安倍総理は特定の企業や投資家におもねった。】

成程これが国難かと思わないでもないが、それにしても緊張感に欠けるのは小生だけかな。

2017年9月26日火曜日

政界再編への期待

昨日のブログで予告した安倍首相がの記者会見感想、テレビ中継を観ることは観たが、正直なところ感想は殆ど無い。いつもと同じで首相の日本語は難しすぎてなかなか頭に入らない。要するに蛇かミミズで、何を言ってるか分からない。600億円とも700億円とも言われる選挙騒ぎを喜ぶ業界もあるのだろうが、まさかこの財政出動で日本経済を持ち上げようと思う筈がない。行政府の長(官僚の親玉)が格上、即ち国権の最高機関である立法府にいる国民の代表475人の首を切る権利なんぞあるはずが無く、憲法違反との意見もあるそうだ。

真の有権者を差し置き、権利の無い者がその権利を行使するのは我が国のお家芸。但し、今回の選挙で与党立候補者諸氏のうち何人が首相の応援演説を依頼するか、そしてその結果がどう出るかだけが見ものだと思ったくらいである。

予告以外にびっくりしたのが小池百合子氏の記者会見。真面目に聞けば「何を言っているのか理解不能」がマスコミ的には大方の意見。しかし、映画や芝居を観ているのと同じで、画面の向こうから語りかけられるのだから、分かりやすい。詳しい内容の意味は不明でも、あなたの希望を一緒に叶えたい、との意思さえ繋がれば〆たものだろう。何を言ってるか分からぬと言っても、聞いている方は都合よく解釈する。

首相は2年も先の消費税増税を宣言しているのに対し、消費税増税は凍結。原発も廃止の方向、小泉純ちゃんまで用意して舞台に乗せている。かと思えば自民党が勘違いするような表現で気を持たせながら、政権交代を目指すと断言する。隠し玉は小泉純一郎氏の他にも用意していることだろう。前原民進党との擦り合せがどのようにされているか知る由もないが、民進党は愈々消滅に近づいていることだけは間違いなさそうだ。

はっきり言って小池氏は大嫌いである。理由は簡単、その節操の無さが生理的に受け付けられないのだ。しかし考えてみれば政治家に節操を求めること自体が間違っているのだろう。このところ室町時代について本を少し読んでいたので、当時の武将と日本の政治家は似ていると思う。天皇だったり将軍だったり誰に就こうと己の保身が第一、節操なんぞ考える暇もなく、親子兄弟さえも無く寝返り、裏切り何でもありだ。しかも当時は命が掛かっている。

昨日首相は日馬富士を真似て「全身全霊」を口にしていた。関取衆が聞いたら怒らずに笑うだろう。比較するに小池氏はヘラヘラ笑っているが、逆に恐怖を感じる。若い人は知らないだろうが、昔居た反権力学生運動のリーダー連合赤軍事件の永田洋子を思い出した。何を考えていたか知らぬが、優秀な男どもを従え盗人でも人殺しでも何でもありの鬼女と言われた。今そばにすり寄る細野氏達も用が無くなれば殺されかねない。これが政治家と言えばそれまでのことだ。

首相は野党がバラバラなことに目を付けたのは一見正しい判断かもしれぬ。しかし、与党が減りさえすれば野党はバラバラでも良い。共産党と希望の党は互いに絶対相容れないと言っている。でも、共産党は金に不自由は無いだろうが、希望の党は金に相当不自由の筈。裏で蠢くものについては想像すらできぬが、夢を言えば誰かが動いて野党をうまく連合し、安倍政権打倒を演出すること期待したいものだ。

2017年9月25日月曜日

映画「ダンケルク」

彼岸が過ぎてめっきり秋めいてきた。何億年前からのことか知らないが、自然の営みとは凄いものだ。多分淡々として変わっていないのだろう。これに学んで出来るだけ生活を規則正しく行うように心掛けたいものだ。しかし目がかすみ、耳が遠くなり、足腰の衰えを感じるようになる昨今、これで済めばまだしも考えることすら面倒くさくなってきた。必然的に生活の規則正しさも段々守られず、時ところを構わず眠気ばかりが襲ってくる。

今日夕方には久しぶりに安倍首相が記者会見を開くそうだ。話を聞いて感想を書く気が起きるかどうか、甚だ疑問だがインターネットを使ってフルに聞いてみようと思っている。昨日は映画「ダンケルク」観た。第2次世界大戦初頭、ドイツ軍から大陸からドーバー海峡に追い詰められた英国フランス軍が40万人いたらしい。これを救出する作戦の一部を英国側から切り取った物語。

ハリウッド製の映画には違いないが、スタッフにもキャストにも誰一人知っている人がいたわけでない。休日の暇つぶしに他に観たい映画も無かったので何となく観に行っただけ。英国人を描いた映画の筈だが、こちらにはアメリカ人との違いは分からない。映画の中でフランス兵が死んだ兵士の軍票を盗んで自分の胸にかけ、英国兵に変装して英国に逃れようとするが、英国兵もなかなか気が付かない。肌の色が少し風変わりな日本人も増えてきているが、肌の色や顔かたちで国籍を判断するのは欧米でも難しいようだ。

期待に反して面白かったと言うのは些か不謹慎かもしれぬ。戦争の実態について何も知らぬ世代の一人として考えさせられることも多かった気がする。読後感ではないが、もし聞かれれば観ることをお薦めできると言える。

2017年9月24日日曜日

教育無償化

昨日はお彼岸のお中日、毎年のことで誠に申し訳ないことだがお墓参りもしないし、我が家には仏壇もない。ただぼんやりと在りし日の両親や両兄の姿を脳裏に思い浮かべるのみだ。両親は長命で共に90過ぎまで生きたが、兄二人が逝った年齢には既に達してしまった。昔は父親の逝った年齢まで生きるのが親孝行とか当たり前と聞いた気がするが、果たしてそうだろうか。自分本位に考えれば、他人様に迷惑かけずに生きているなら長生きするに越したこともないように思う。しかし、90過ぎまで生きた両親が本当に幸せだったのだろうか?

食物を自分の手で口に運べなくなってまで生きるなんてとんでもない。これは言うまでもないが、それまでに自立が難しくなっている年寄りになっていないだろうか。先ず経済問題、自慢にはならないだろうが年金暮らしだから、実態は人様に喰わして頂いている訳だ。医療費も1割負担はありがたいが、保険金積み立てとのバランスはどんなものなんだろう。多分子や孫への付け回しになっている可能性は大だろう。あまり深く考えたくもないが、その他にも考え始めれば既に若い人々に相当負担をかけているのだろう。

だから誰が言いだしたか知らぬが最近耳にする、社会保障費の配分を見直し、現在高齢者に配分が偏っているのを全世代型に見直す、との理屈は分からぬでもない。政治家が真面目に検討するのは大いに結構だ。だがしかし税金の配分を考える時、若者を勇気・元気づけ将来に向けて前向きに奮い立たせる要因はなにか。教育の無償化が筆頭に叫ばれているようだが、教育問題も大切かもしれぬ。しかし無償化は義務教育までに留めてほしい気もする。

国家国民百年の計を考えれば教育が大切なことは言うまでもあるまい。しかし子供達に教育の機会を無償で提供することで、教育の実が上がるとはとても考えられない。今の世の中では高等教育を受けたとする人間でさえ、己の体たらくであり、馬鹿が総理大臣になったりしている。教育の内容がおかしいのか、はたまた教育者の育成に問題があるのか、とても論ずる資格はないが、真剣に考え直さないと将来もっと酷い国になってしまいそうで心配でならない。

2017年9月22日金曜日

国連総会報道で

ニューヨークで開催されている国連総会で、昨日我が安倍首相が演説を行った。トランプ米大統領が少し前に国連を大分腐したとの報道もあるが、日本でも昔は誰かが「国連は強制力を持たないので農協と同じ」なんて言った人もいる。しかしそのトランプ氏も一昨日だったか演説を行い、前言を翻して国際連帯の重要性を述べたそうだ。正直なところ国連の役割はよく理解していないが、全世界で唯一の国際協調機関だとすれば、1年に1回くらい各国リーダーが演説するのも悪くは無かろう。

参加国数が190強あるのだから、全参加国が5分ずつ演説しても大変なことになる。どんな仕掛けになっているのか分からないが、ロシアのプーチン大統領と中国の習近平氏は今のところ来ていないらしい。北朝鮮からは誰が来るか知らないが今日明日当たり代表が演説するとのことだ。取り敢えず安倍首相の演説をノーカットで聞いてみた。16分程だったが、ほぼ全面的に北朝鮮の危機を訴え、世界が協調して制裁を強化すべきとの内容だ。

日本やアメリカは北朝鮮とは正式な国交を開いていない。なんでもこのような国が国連加盟国中27ヵ国あるそうだ。逆に言えば160ヵ国以上は正式な国交をし、互いに大使館も置いているということだろう。ある意味で、アメリカは北朝鮮と戦争継続中だから仕方ないかもしれぬが、日本は国交を回復した方が良いと思う人は沢山いるだろう。過去に於いては政治レベルでも、その努力はされてた筈だ。

しかし、残念ながらその努力は今日に至るも未だ実を結んでいない。理由は様々あるのだろうが、日朝関係の現実は極めて不自然な形のまま続いている。直接友人がいないので実態は分かり兼ねるが、現在も在日朝鮮人は相当数いる筈で、東京には朝鮮総連なる実質大使館まで存在している。更には、緊急事態発生に備えて、北朝鮮軍は日本に数千人の特殊部隊の兵員をスリーパーとして配置済みなんて物騒な噂さえある。

安倍首相が国連演説で最近の北朝鮮の振る舞いについて懸命に危機を訴え、制裁に関して世界が足並みを揃えるべき、とヒステリックに強調するのは分る。今年出現したトランプ新大統領との間柄を見ていると、そうせざるを得なかったし、他の要因も多々あり安倍氏の頭に血が上って冷静な発想が出来なくなっているのも無理はない。しかし会場はガラガラ空席だらけで、演説が日本国内向けであったことは多くの人が認めている。そして流石に日本のマスコミでさえ、もう少し冷静になるべき、との論調が出始めた。

2017年9月21日木曜日

読後感「戦争の日本中世史」呉座勇一著

著者の名前は初めて知った。1980年生まれの若き歴史学者。鎌倉末期1230年代から約150年間、南北朝時代の終わり頃までの俯瞰的日本史を分かりやすく解説してくれている。子供時代からチャンバラが好きで、字を覚えてから講談本など読みふけった時代もあるので、サムライ=武士が日本男子の源流みたいに思っている。が、よくよく考えればいい加減な知識で、鎌倉以前の武士と江戸末期の武士の違いもよく知らない。源平の合戦と言葉は知っていても、知っている武士は平清盛に源頼朝と義経程度のことだろう。

そのことはさて置き、鎌倉時代が源頼朝によって開かれたのは1192年で、頼朝が10年もたずに亡くなり、後は北条氏が継いだところまでは何となく中学時代に覚えた記憶がある。また鎌倉時代には外国人が攻め込んできた元寇なる戦いがあったが、この時神風が吹いて敵の船が全滅、これで日本が救われたなんて話も聞いたことがあった。何れもいい加減な知識なので、鎌倉(から室町南北朝時代にかけて)武士と当時の戦いを知るには恰好の手掛かりになる。

内容の取っ掛かりは元寇から始まる。元寇については「神風」以外何も知らないのでをwikiで検索したら「当時大陸を支配していたモンゴル帝国およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(1274年)、2度目を弘安の役(1281年)という。」と表示された。野蛮な蒙古人がいきなり日本の侵略を企てたと思っていたが、どうも違ったようだ。詳しく書くと読書の楽しみが減るのでごく簡単に言えば、蒙古人は当時からかなり紳士的で、4年も前から鎌倉幕府に対して友好的話し合いを求めていたらしい。

ところが当時から日本人には、難しい問題を先送りするという日本政府(幕府、朝廷ともに)固有の悪癖があり、これが原因で戦になっている。これが序論で鎌倉以降の日本統治論と武家や武士のありように入っていくのだが、これが実に目から鱗のことばかり。サブタイトルが<「下剋上」は本当にあったのか>になっているが、「下剋上」どころの話ではない。当時から北は青森から南は鹿児島までが日本だったようだ。

問題はその統治形態で、天皇(王朝)も存在していたし、政府(幕府)もあった。これらの統治機構と統治力をどう見るかにある。大昔は天皇自身が武力をもっていたのだろうが、いつの頃からか天皇は武士に政治を任せるようになった。平安時代までは天皇も武士の幕府も京都にあったが、何故か源頼朝の代になると幕府が鎌倉に置かれてしまった。それでも1王朝と1幕府である。

鎌倉末期となるとこれが崩れて、日本全国が大混乱に突入。朝廷も分裂するし幕府なんか最低でも二つ、上流から見ても三つ以上のこともあったろう。下々が幕府や朝廷なんかどこまで意識したか、本書に記述は無いので分からないが、年貢を納める殿様か神社か寺か知らないが、それ以外は幕府もへったくれも無かったろう。支配階級の武家や公家から見ても、王朝が万世一系なんてとても言えない。

それぞれが誰を担いだら我が家にベストかを考え、親子兄弟ですら時に敵同士にならざるを得ない。生き残るためには昨日の敵は今日の友で、今様に言えば裏切り背信は日常茶飯事だった。しかし武士であろうと殺し合いより平和が良い。強力な誰かが出現して単独王朝と幕府で日本を纏める時が訪れると、支配者連中も一瞬ホットして平和が訪れる。

だがしかし、一定の権力者に多くの実力者が従い続けることはあり得ない。平和ボケの後は必ず権力者一党の均衡が破れて内輪もめ諍いが始まり、殺し合いに続くのが歴史の教えるところだそうだ。南北朝の末期に応仁の乱と言う殺し合いがあり、その後に王朝と幕府が京都に戻り一旦平和な時代が来る。その数十年後にはまた王朝なんかそっちのけの戦国時代が始まって、徳川幕府で一旦収まり、平和ボケ時代を経て明治維新のテロと戦が始まったのだろう。

南北朝時代と現代には相違点もあるが共通点もある。著者は所々で現代社会のことを引用するので、非常に興味深く読むことが出来た。現代の平和ボケ、外交下手、誰かをあげつらうわけでもない。本書の初版は2014年1月でもある。教えられることや考えさせられることの多い本だった。

2017年9月20日水曜日

理解不能なれど

しばしの信州滞在でさっぱりした気分で東京に戻ってきた。信濃路では稲が黄金色に染まり、場所によっては刈り取りが始まって秋色が始まりかけていたが、本格的冷気や紅葉は未だ少し先の風情だった。松本から特急列車に乗れば僅か2時間半足らずで東京、地下鉄駅から自宅までの歩行15分弱で汗だくの残暑が厳しかった。新聞テレビから意図的に遠ざかっていたので、少し浮世離れしたが、娑婆は正に憂き世であることを改めて思わざるを得ない。

小生が日頃目の敵にしている安倍首相は、総理大臣の公邸と勤務先である官邸がある千代田区永田町が嫌いらしい。日本に数千万人いる旅行好きの爺婆よろしく馬鹿嫁と手をつないで世界中を飛び回っている。最近だけを考えてもロシアのウラジオストックからインドの聞いたこともないグジャラート州、今現在はアメリカのニューヨークに滞在中ときたものだ。その辺の爺婆の旅行であれば旅行会社が潤うことにもなろうが、安倍夫妻のご旅行は莫大な税金で管理されている政府専用機と、宿泊はこれまた税金で支払われる高級ホテルだろう。

それだけならまだしも、総理には外国に行ってお金をばらまく悪癖がある。ロシアに対する経済援助、インドでも大歓迎を受けたそうだが新幹線でも只で作る約束をしたのでなければいいが。アメリカでは中古ボロ兵器の大量買い上げ。何れも周知のことだが、これが日本経済に如何なる効果をもたらしているのか?経済に弱いので分かり兼ねるが、総理就任以来外国にばら撒いたお金が10兆円とも言われる。これが大いに国益に貢献しているかのようで、マスコミで批判めいた報道は無いし、株価なんぞも年初来の高値で地価も上昇して、景気が悪いのは我が家だけのようだ。

個人的にどこの誰が景気良いのか知らぬが、我が嚢中と心中は秋風どころか木枯らしが吹きすさぶ思いだ。正直なところ国益なるものも理解できぬが、現政府の施策が国益に適っていると言うことなるらしい。小生には全く理解不能だし、政権担当者の言うことは何もかも信じられない。総理大臣がその椅子を温める暇もなくほっつき歩いているからいいが、たまに口を開けば嘘ばかりではないか。山から帰宅して一番腹立たしいニュースは17日に「総理、拉致被害者家族と面会」である。この面会に横田めぐみさんのご両親は欠席されたようで当然だと思う。

総理の決まり文句「拉致被害者を取り戻すのが我が内閣の最優先課題」なんか今更聞きたくもないが、トランプ大統領がめぐみさん拉致に触れてくれたので、「してやったり」とほくそ笑んだことだろう。兎に角これ程までに人の不幸を弄び、無責任極まる言辞を弄する人間が総理大臣だ。仕事をするのがそんなに嫌なら総理大臣になんかならなきゃ良いだろうにと思うが、肩書だけは手放したくないのか、今度は衆議院を解散するそうだ。一介のボケ老人には先に何が待つのか分からないが、漠たる不安を感じるのみだ。

2017年9月19日火曜日

いのちの洗濯

大型の台風が列島直撃との大騒ぎをよそに、先週の14日(木)から18日(月)昨日にかけて、信州でいのちの洗濯をしてきた。

14日から2日間蓼科高原で高校同期生のゴルフコンペがあったので、14日夜横谷温泉で行われた宴会に久しぶりで参加。嘗ては常に20人以上参加があったこのゴルフ会も年々参加者が減り、泊りがけの宴会に参加した者は小生を入れても9名になってしまった。それぞれ理由は異なろうが、やはり健康上の理由が多いのは仕方ない。参加者の酒量も減るが、それでも持ち込みのワインや極上の日本酒をで飲みながら、夜遅くまで談論風発尽きることなかった。

翌朝は早朝出発のゴルフ組を見送った足でこちらも出発、友人の奥さんが茅野駅まで送ってくれたので、後はJRとバスで上高地に昼前に到着。未だ台風の影響もないようなので、早速歩けるだけ歩いて高原の空気を満喫することにした。
行った先は未だ歩いたことが無かった徳本峠方面。峠まで行きたかったが、無理は禁物、一応レインウェアやヘッドライト等の緊急事態用携行品だけは持ったものの、山の鉄則「明るいうちに帰る」ことを前提に14時まで歩いたところで引き返すことにした。

上高地の宣伝ポスターのキャッチコピーに「だんだん角が取れてくる」とあったような気がするが、上手いこと言うものだ、まさにそんな感じ。ただでさえシーズンオフの平日の午後である、シーズン中の人混みが嘘のような静けさの中だ。ピークを目指すわけでもなく、峠に続く林の中を沢沿いに自分のペースでゆっくり歩を進めると、珍しく若い下山者がすれ違った。聞くと蝶ヶ岳からの下山とのこと。別れ際に「お気をつけて」と声をかけてくれた。天も地も人さえ優しい高原の散策。心が清々しい、これぞ正に「浩然の気」とでも言うのだろう。2時間歩くと峠の頂上が見えるあたりに来たが、上高地のシンボル明神岳の姿が大分変った。引き返す頃合いと見て引き返し、明るいうちに河童橋の五千尺ホテルに戻ることができた。

このホテル4年ぶりに来たが、いつも変わらぬサービスで気持ちがいい。温泉に浸り、美味い夕食、酒は昨夜十分飲んだので今夜は程々に。16日起きても雨は未だ降っていない。今日も昼までは天気が持ちそうとのこと。今日は昨日と反対の岳沢方面を歩くことにする。岳沢小屋まで行ければ最高と思いつつ歩き始めたが、結局行けてしまった。曇りがちな天気が身体には却って優しかったのだろう。小屋で普段は滅多に飲まないコーヒーを淹れてもらったが、これが実に美味いと思ったのも珍しい。

この日も雨が本格的に降り始める前に帰り着いた。ホテルにもう1泊贅沢をして翌日、雨の中松本に。婆さんに休日をプレゼントのため松本で1泊。松本市内を散策、小学校4年生の時に過ごした日の出町あたりを訪ねてみたが、当時の面影が全く無くなり、巨大なイオンモールに変わってしまっていたのは少し残念。昔の自宅あたりから松本城まで歩いたが、当時の通学路の約半分。昔の子供はよく歩いたものだ。城内にある松本市博物館の常設展示[松本城と松本市の歴史]も興味深かったが、特別展示の[山岳画家 武井真澂]展が非常に見応えがあった。

娑婆は台風だけでなく政治的にも荒れ模様のようだが、別天地に居たような充実の5日間だった。

上高地での2日の詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1260476.html

2017年9月13日水曜日

年寄りが5連休を前に

ハイキングにでも出かけたくなるような秋晴れとなった。明日から連休明けまで信州に出かける予定でいるが、3連休には台風直撃との可能性もあるそうだ。世の中は自分だけに好都合とはなかなか参らぬから、悪い予報が当たるかもしれぬ。そうなればそうなったで涼しい場所でゆっくり骨休めができるから、ものは考えようだ。

今のところ上高地に行くことだけは決めて、2泊分の宿を手配したが、そこから先は何も決めていない。今夜久しぶりに地図を引っ張り出して検討しようと思っている。全てお天気次第だが、取り敢えずは晴天が続くとの前提で考えると、第1案:未だ一度も通ったことのない徳本峠を歩いてみたい。登りは無理でも降りであれば歩けるかもだ。第2案:涸沢或いは槍沢小屋までの往復。第3案:岳沢小屋までの往復。

空想だけで書いているので極めていい加減。多分1案、2案は実現の可能性が乏しいだろう。3案は2回往復した経験のうち2度目が5年前、ヤマレコの記録を見る限り、<https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-237281.html>登り降りとも3時間は掛かっていない。運が良ければ8時間くらいで往復できる可能性はありそうだ。最近はいつもそうだが、こんな調子で出かける前までが最高のお楽しみで、現地に行くと想像と現実の落差に改めて愕然とする訳だ。てなことで、むしろ台風でも来てくれて、宿でゆっくり読書でもしているのが一番かもしれぬ。

ところで一昨日、我が家の電話機の子機が電池切れで使えなくなったとのこと。電話機は婆さんにとって最も大事な、或いは亭主以上かもしれない伴侶のような存在。当然なこととして、間違いなきよう子機持参で池袋まで出向き電池を購入してきた。早速喜んでもらうべく電池交換したが、如何なる理由か全く繋がらない。マニュアルを読んでも一向に要領を得ない。仕方なく昨日朝一でシャープのカスタマーセンターに電話。(シャープが倒産して会社が無くなっていたらどうなったのかな。)

兎も角丁寧な対応を受けて、無事親機に接続できた。ただでさえ理数系に全く弱い老夫婦、目に見えない電波を理解することなんかとても無理である。辛うじてまだ先方のお兄さんが言うことを少し理解できたからいいようなものの、こちらがもう少しボケたら万事休すだろう。あまり長生きするつもりもないが、便利な世の中も考え物だ。

2017年9月12日火曜日

やっとホッとした

ぱっとしない空模様で何となく鬱陶しいが、今朝の北朝鮮関連のニュースを聞いて、やっとホッとした思いだ。同じ思いの方も多いと思う。まさかとは思いつつも日本の報道は、明日にでも戦争でも始まるかのような雰囲気が多分に醸し出されていた。昨日までのメディアの主張は、これまでに無いような究極の制裁内容の国連決議が採択される、我が国の総理が主張するところの良識ある国際社会が一致する見解だから当然だろう、と言った趣旨である。

中国とロシアが常任理異国だから、彼らが反対する決議なんかできる筈が無いだろう、と素人考えではいるものの、マスコミはそれなりの専門家が書くのだから、ひょっとすると本当にヤバいのかなんて心配もしたわけである。今夜以降マスコミがどんな言い訳をするか見ものだが、安倍さんの提灯ばかり持つのもいい加減にしてもらいたい。北の若旦那の資産凍結は削除されたし、これで安心して種々の実験を継続するのだろう。

ある意味において、こんなインチキ報道に一喜一憂するのは我ながら情けないが、大々的に報道されてしまうと、中々冷静さを保つのが難しい。むしろ激情的性格の人が多いとされる韓国人(在日の人を含め)でさえ言うように、日本のマスコミは騒ぎすぎなのだ。マスコミは発行部数が増えてなんぼ、視聴率が上がってなんぼの世界だ。騒ぎを大きくする仕掛けはお抱えのコメンテーターだから、この騒ぎで思わぬ臨時収入に与った人に事欠かぬ。

外交とか軍事に関して大した知識が無いのに、喋りまくる俄仕込みのタレントコメンテータ張りの政治家や大手メディアの編集・論説委員が多い中、見上げるべきはアントニオ猪木氏だ。彼が例え北朝鮮の毒饅頭を食らおうと食らうまいと、政府の不快感を意に介せず訪朝して、対話の重要性を強調している。同行した武貞秀士氏は歴とした北朝鮮ウオッチャーの大学教授、訪朝前から世論動向とは大分異なる見解を示してはいた。

猪木氏は自身が言うように少しボケ気味ではあるが、武貞氏は現役バリバリ。昨夜の国連決議を受けて、トランプ氏がなんていうのか分からないが、安倍さんは「格段に厳しい制裁決議が迅速に全会一致で採択されたことを高く評価する」。どうすればこんな談話になるのか理解できる人は少ないだろうが、政権に義理立てするマスコミは尤もらしく意味づけることだろう。安倍さんもマスコミは、も少し真面目にアントニオ氏や武貞氏の意見を拝聴してはどうか。

2017年9月11日月曜日

無駄遣い

電車の屋根が燃え上がるとはシャレにならない。娘の家族が小田急沿線に住んでいるので心配であるが、連絡が無いので関係なかったと言うことだろう。話が少し変わるがこの娘、若い時から誰に似たのか、小生でないことだけは確かだが大変倹約家だった。独身の20歳前後から誕生日祝いにアクセサリーの類をプレゼントしてもそんなに感激しないので、よくスキーなんかに連れて行ってやった。

そんな折に聞いた娘の「私は貯金通帳の数字が増えるのが最大の楽しみなの!」には本当にびっくりしたものだ。今や自業自得で、こちらが娘を見習わなければならぬ立場になってしまった。個人的なことは措くとして、無駄遣いは誰にとっても慎むべきことに違いない。無駄遣いのチャンピオンは日本国そのものであることに異を唱える人は少ないだろう。特に米中の喧嘩にこと寄せてのオンボロ兵器の大量購入は酷すぎる。

防衛省は正に焼け太りで、防衛予算が増えれば良いと思っているだろうが、国民からすれば全くの無意味、一方で増やしてほしい社会福祉関係とか教育関係予算、農業予算にしても削減一筋ではないか。まさか兵器産業で日本の産業が再び活性化するはずはあるまい。いったい日本はこれからの産業育成をどのように考えているのか?暗澹たる物思いでいたら、次のようなネット記事が目についた。

先週火曜日の記事なので些か旧聞になるが、日立製作所がイギリスに建設予定の原発について、日本政府は銀行が日立に融資する資金を全額補償する方向で検討しているとのこと。日立の子会社が受注したイギリスの原発2基の事業費は2兆円に上るそうだ。この記事を見た読者の一人が「なんで今頃メイが来日するのだろうと思っていたが。。。京都で安倍首相と共に茶室「不審庵」を訪れ抹茶を楽しんだと。へえ?またお土産一杯持たすのだろうと思っていたが、なんとこれがびっくりするようなお土産だったと言う事だ。」と書いている。

余談ながら、その上昨日の新聞には「日本政府は自衛隊と英国軍による共同訓練の強化に向け、英国と地位協定締結の検討」なんて記事もある。

小生も現役時代に原発関連では大分仕事をさせてもらった。親戚や友人にも原発事業に携わってきた人間は大勢いる。しかし311の事故以来大分宗旨を変えた人も多かろう。ひとり政府だけは経済政策の中心に原発輸出を据え、東芝を破綻に追い詰めるに至った。少しは懲りたかと思いきや全く懲りずに税金の無駄遣いをし続けているのは何故か。「日立まで潰すわけにいかない」の気持ちは分かるが、政府保証は税金である。頭が悪いとしか言いようが無い。

2017年9月9日土曜日

もう秋祭り

今日と明日は我が町内の氏神様(長崎神社)の秋祭り。昔は我が家の前も朝から賑わったものだが、商店街が無くなってしまったので10分以上歩いて地下鉄千川駅入口付近まで足を延ばさないと、気分が出ない。ここにはスーパーがあったリするし、バスの往来も激しいので人通りが多い。歩道に沿って神社の幟が立ち、歩道の広い場所に設けられた天幕の休憩所には浴衣がけの老人がウロチョロしている。昼間から祭囃子が聞こえていたが、どこから聞こえてきたか確認できなかった。

18歳まで長野市内にいたが、当時の秋祭りの祭囃子は、夜に入ってから獅子舞について歩くお囃子の音だったように思う。演奏していたのは浴衣に手拭いで頬被りした田舎のおじさんが相場だった。我が町内は獅子舞は出ない。今日は昼間に子供神輿が出るだけなので、一緒に大太鼓も引き回してその周囲を祭囃子で景気づけ盛り上げているのかもしれぬ。

嘗て我が家の向かいにいた息子さんが、町内の祭り太鼓のリーダーだった時代もあったが、今はどこでどうしているのだろう?娘より3歳くらい年下で、自衛隊に入隊して、除隊後看護師になったことは知っているが、ひょっとしたら帰ってきて子供たちを指導しているのかな、なんて思ったりした。それにしてもこれだけ都市化しても、他に笛やら鐘やら演奏する人がいるのだろうか?或いは休憩所で音源だけ流していたのかもしれぬ。

長崎神社のお祭りの1日は雨と相場が決まっていたが、今年は珍しく2日とも快晴になりそうだ。明日が本番で大人神輿が出る日。婆さんはご苦労会のために作る煮込み鍋の準備をし始めている。食卓には神社のお札と郵便局から来た年賀状の予約案内が一緒に置かれていた。

2017年9月8日金曜日

叩かれ過ぎると、つい

未だ大学は夏休み中と言うのに長袖を着るような日が続いていたが、やっと朝から日差しが降り注いだ。でも残暑とはとても言えない。既に桜の木の葉が黄色くなって散り始め、淡い光の中に濃厚に秋の気配が漂い始めている。ロマンチックには違いないが、幾ら季節柄とはいえ、昨日発売の週刊文春に合わせてマスコミが一斉に報じた山尾志桜里議員の不倫騒動には本当に驚いた。

最近のマスコミは、記事やら時間の3分の1くらいは不倫ネタが無ければ埋まらない、と婆さんが皮肉めかして言っていた。それは兎も角、些か品が無いが、どんな人間でも臍から上と下では人格が別とはよく言ったものだ。代議士は地元と東京の間を金帰月来で往復する生活の筈。これだけでも凡人には想像できないくらい忙しいと思うが、その間に子供をもうけて子育てしながら、愛人と浮気する時間を捻り出す能力には想像を絶するものがある。

山尾氏は代議士として著名でもあり、国会でもそれなりに活躍している方だろう。山尾氏にして浮気の逢瀬を楽しむ時間を生み出せるくらいだとすれば、与野党を問わず無役の政治家なんか暇で困るのではないか。やっぱり政治家の員数が多すぎる。もちろん報酬については言うまでもない。芸能人が政治家になることを不思議に思っていたが、政治家も芸能人に似た程度の良い職業と考える人間が増えているのだろう。

考えてみれば確かに似ているところが多いかもしれぬ。しかし、一般世間とかけ離れた特殊の世界の人間が、まともに国民生活を心配できる筈もあるまい。民進党新代表になって早々に躓いてしまった前原代表はある意味では気の毒だが、これも実力、即ち必然と受け止めざるを得ないだろう。どんな手順で凌ぎきれるか切れないか、とても予測は出来ないが、常に現実(リアリティー)を直視することを大切にしたい、と自ら言っているのだから、深層に亘ってそうして見るがいい。

人間100人も集まればいろんな種類がいるものだ。ましてや700人を超える国会議員だけでも魑魅魍魎に事欠かぬだろう。その個々人にこれまた化け物みたいマスコミの紐がついている。考えてみれば因果な職業だ。そんな熱心な民進党応援者ではないが前原氏に1票を投じたので、前原氏にはもう少し頑張ってほしい。

2017年9月7日木曜日

説得力

他人を説得することは難しい。相手が柔軟な考えの若者ならともかく、歳をとればとる程、他人の考えを変えさせるのは容易ではあるまい。若い頃広告会社の営業をしていたが、よく勤まったものだと改めて感心せざるを得ない。最近は他人を説得する必要は殆ど無いが、生活を共にする女房すら思うがままに操縦することは出来ない。どこの家庭でも同じかしれぬが、必然こちらからの要求は出来るだけ抑えて、多少無理でも相手のご要望に沿うのが賢明なようだ。

外では出来るだけ他人の迷惑にならぬことを心掛け、他人と身体が触れ合えば先に「失礼しました」とか「ごめんなさい」と言ってしまう。日本人の生活の知恵である。それでも都会に住んでいるので、一昔前に比べれば大分程度は良いのだろうが、人を押しのけ先を急ぐ人間の姿を毎日のように見せつけられる。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?」と思わざるを得ない。話が大分逸れてしまった。

とは言いつつも、このように戯言を毎日のようにブログとして書き連ねているのは、広い世間に向かって、懲りもせずある種の説得をしていることでもある。家人からは、知っている人にでも読まれれば碌なことにならないからやめろ、と口酸っぱく言われているので家ではブログの話はしないが、幸いアクセス数はそんな減ってはいない。アクセスが低くなれば、共感の度合いが低いと見て辞めるかもしれぬが、今のところそんな感じではないので有難く思い、出来るだけ継続したいと思っている。

今日のテーマを思いついたのは安倍首相の訪ロニュースからである。政治の世界は、説得力ある人間の集まりだろうが、逆に説得の難しさもより難しくなる筈だ。安倍首相なんかその点をどう思っているか知りたいと思う。恐らく総理になって以来、周囲で言うことを聞かない人間はいないだろうから、自分では相当勘違いしていることだろう。しかし外国の大統領クラスを相手に、日本の事情に理解を求める立場にあるのだから、冷静に自分を見つめなおす必要がある。ましてや「貴方の考えは間違っていますよ。」なんて単純に言っても聞く耳を持つ首脳なんかいる筈がない。

「アントニオ猪木氏訪朝の方がまだ益し」なんて記事を読んでテーマを思いついた次第である。この記事に単純に同意するものではないが、説得力とは難しいものだ。

2017年9月6日水曜日

茶番と言われてもなぁ

3日連続同じようなテーマで脳が無いと反省はするが、臆病だから仕方ない。

昨日国会衆参両院の外交委員会と外交防衛委員会で閉会中審査が行われた。テーマはもちろん北朝鮮問題である。政府は勿論だが、一応国会も与野党問わず北朝鮮問題については重大な関心を持っている、とのポーズを示すためだろう。両院とも僅か1時間半程度だから質問者の数にしても質疑応答の内容にしても、国民を馬鹿にするのかと言いたいほど酷い内容であった。先ず両委員会の答弁者に何故か防衛相は出席せず、ずっと副大臣。

外務相の河野太郎氏もどちらかの委員会にチラッと顔を見せたが、まともな答弁はしていない。例の「手の内を曝すわけにいかないので、答弁は勘弁ね。」を2度3度繰り返しただけであった。こんな国会審議でも、新聞は政府や議会に義理立てするかのように、こと無げに淡々と報道している。質問には意味あるものもあったが、外務防衛両省とも答弁の大部分が副大臣に任されたものの、事務方官僚との連携はどうなっているのか、内容が無い酷いもので、答弁が質問と食い違ったり、答弁不能で議事が止まったりしている。

両省において北の暴発に対する対応は、最優先課題で相当念入りに検討されていると思うのだが、佐藤外務副大臣と山本防衛副大臣が省内で未だなにも知らされていないようでもある。役所的には現在進行形で国際社会を巻き込んでいる渦中の問題でもあり、対外的に公開できること、出来ないことの仕分けが難しいのは理解できるが、国会が国民に対するメッセージを発したいのであれば、もっと他の対応がある筈だ。それこそ与野党なれ合いであっても構わない。

国民が心配しているのは、アメリカが北の挑発に対して軍事的オプションを取る時に日本に及ぶ影響だ。総理が大統領と相互防衛の約束をしているなんて情報もあるくらいだから、防衛省内の軍事シミュレーションは綿密だろう。しかし国民にそんなこと話せる筈も無かろうし、聞いても始まらない。開始の手順と想定される被害の見積もりだけだ。と友人に話すと、彼はせせら笑いながら次のように答えた。

韓国がアメリカに対して要求して確約させたと言われる「事前の了解」は意味が無い。何故なら「了解」は必ずしも「相談」は意味しない。トランプ氏はやる時には決断をして、議会の承認すら事後にする可能性が無きにしも非ずだ。数分前に通告して了解を求められても意味が無いよ。被害見積もりも同じこと、核爆発では広島長崎のX倍、電磁パルス攻撃であれば日本の全原発が電源喪失してメルトダウンが始まる、なんて話を聞かされても救いが無いだろう。国会で審議すること自体が茶番なのさ。でも、もう少し真面目に国民の立場に立って考えてもらいたいものだ。

2017年9月5日火曜日

バシリの悲しさ

ここ数日度々聞いたり目にしたりする「レッドライン」が嫌な感じだ。誰が使いだしたが知らぬが、思うに日本だけで流行っている言葉ではなかろうか。米朝の駆け引きが世界、とりわけ韓国と日本にとって迷惑であることは言うまでもない。何とか穏便に収まってほしいと願うのが自然だと思うが、日本人の中には戦争をが始まることを期待するような言説を弄ぶ人間がいる。自民党参議院議員の青山繁晴氏が典型で、彼は昨日のインターネット番組で「年内にアメリカが武力行使するのは間違いない。」と公言している。こんな流言飛語を拡散させたくないが、嘘を言ってると思われたくないので、見るに値しないURLは下記。
https://www.youtube.com/watch?v=zaPwDzUCHhA

国内における人気や政策の手詰まりを挽回のために、外交的危機感を煽るのはトランプ氏と安倍氏の共通手法とJアラート騒ぎの際書いたような気がするが、「北朝鮮」を一緒にするのを忘れていた。むしろ金正恩氏が元祖で、日米両首脳が真似をしていると見る方が正しいだろう。大分古い報道になるが、今年の1月末「金正恩の時代、確実に終わる」なる新聞報道があったことに気が付いた。昨年夏に韓国に亡命したテ・ヨンホ元駐英北朝鮮公使が韓国で記者会見して語ったことである。

当たるか当たらぬかは分からないが、氏は「国内で政権に対する不満が高まっているので、何れ民衆蜂起が起きるだろう。」と期待感を述べている。一見荒唐無稽にも思えるが、考えてみれば自然で、戦争による政権崩壊より救いがあるかもしれぬ。ご粗末な政権に国を託している国家はどこであれ、国民が不幸なことでは一緒だ。

北朝鮮が日本に手を出したら、同盟国アメリカは本国を攻撃されたとみなして必ず報復して下さるとのこと。有難いお話で戦争を勃発させてくれる訳だ。これを喜んで、アメリカに向かうミサイルが日本上空を通過することを見逃せないとする政治家や自衛隊OBの面々、サッカーの試合開始でも待つかのように「レッドライン」を云々するマスコミ。いったい何を考えているのか。これまで北朝鮮に対する最大の圧力が何をもたらしたか?更なる経済制裁でどんな効果を期待するのか?

「平和的手段で半島の安定を求める。」は中国やロシアの台詞だから同調するわけに行かぬ。アメリカの意を戴して国際社会に根回しすると胸を張る。心意気は見上げたものだが些か道化じみて見えてしまうのが悲しい。

*バシリ:不良の隠語で走り使いを言います。

2017年9月4日月曜日

個人的好き嫌い

人間の好き嫌いを論じることは分別ある大人がすべきではないだろうが、耄碌しているので非難を承知で書く。森本敏氏と柳沢恭二氏は共に元防衛官僚であり、経歴の詳細を見れば森本氏は遥かに格上、アメリカ留学経験やら外務省職員も経験し、更に自民党内閣と民社党内閣の両方で防衛大臣を務めている。現在は拓殖大学総長で、防衛大臣顧問か何かだから豪華絢爛。外交・防衛問題に通暁し、本邦に於ける安全保障のスペシャリスト第一人者との持て囃され方である。

対する柳沢氏は大学卒業以来防衛庁に入省以来ずっと防衛官僚一筋で、2004年から2009年まで、第2次小泉・第3次小泉・福田・第1次安倍・麻生内閣の下で内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務めて、退官している。いわば防衛官僚一筋で来ている。年齢的には森本氏は1941年生まれでかなりの爺さん、柳沢氏は戦後の1946年生まれ。テレビへの出演頻度は森本氏の方が遥かに多い。経歴の華やかさだけではなく、政治的にかなり政権寄りの発言が多い故だろうと思っている。

似たような年齢なので僻む訳ではないが、この人が政治家やマスコミにここまで持ち上げられる訳がさっぱり分からない。心中しこっている理由は簡単、野田内閣で防衛相として入閣しながら、いとも簡単に再び自民党閣僚に復活、政権の代弁人に化したことにある。外交問題は政権が変わってもそんなに大きく変わってはいけないのは分からないではないが、常に自分の主張が正しかったと言えるのだろうか。

柳沢氏の生き方は大分異なる。彼は官僚時代をずっと自公政権の中で生きてきた。退官して以来自分の来し方について随分反省するところが多かったようだ。
現在は時折マスコミにも登場するが、集団的自衛権行使に関する憲法解釈の変更や自衛隊法の改正など現行政府の安全保障政策に対しては常に反対する立場である。どちらの話が正しいかどうかは別問題だが、個人的に好きか嫌いかは言うまでも無い。

2017年9月2日土曜日

日ロ首脳会談への期待

この1週間は北朝鮮ミサイル発射事件に振り回された感があるが、恐怖感が募るばかりだ。マスコミは政府高官の「国民の保護に万全を期す」をしきりに繰り返すので、政府の対応を整理してみたい。
1.29日早朝の発射については最初から最後まで政府は見届けていた。
2.そして日本に被害は無いと判断できたので、措置命令は出さなかった。
3.ではどうして国民に対し警報を発して避難を呼びかけたのか?アメリカから高い兵器を買い込むため騒ぎを起こしたと指摘されても仕方無い。

外国への働きかけもいろいろ行った。
1.北の暴挙を防ぐため、国連安保理緊急理事会を招集して議長声明を発した。
2.米国、韓国の首脳と電話会談をして圧力を強化することで一致した。
3.圧力をけるためには中露の協力が不可欠でも一致した。
4.イギリスの首相が来日したので、イギリスにも似たようなお願いをした。
外国へのお願いは、会談に要した時間が大きく取り上げられるが、中身はイマイチぴんと来ない。これで万全、安心してくれと言われて安心できる筈が無かろう。

一方外電は各国の動きを次のように伝えている。

29日の北朝鮮ミサイル発射事件を受けてロシアのラブロフ外相は30日に米国ティラーソン国務長官と電話で会談し、ミサイルを発射した北朝鮮が国連(UN)の決議への「重大な違反」を犯したと強く非難した一方で、北朝鮮への制裁強化の動きは「逆効果で危険」という見方を示した上で、「予測不可能な事態を招きかねない、いかなる軍事措置も自制する必要があると強調した」とも言われてる。

引き続きプーチン大統領も、昨日大統領府を通じて出した声明で、「この地域における問題は、全当事者が前提条件を設けることなく直接対話して初めて解決されるだろう。」を発表。これはトランプ大統領が「すべての選択肢」がテーブルの上にあると述べ、先制攻撃も辞さない構えを示したことに対する牽制で、朝鮮半島が「大規模な衝突の瀬戸際」にあることを憂慮しており、全当事者に対しロシアと中国が立てた調停プランに加わるよう促している。

来週7日には安倍首相はプーチン氏と会談するそうだ。プーチン氏とは何かで意見の一致が無くて良いから、彼の言うことをよく聞いてトランプ氏を説得すべきではないだろうか。