2016年12月31日土曜日

2016年大晦日

2016年も本日をもって終わり、明ければ2017年と年が改まる。目出度くもあり、目出度くも無しの年頃でもある。昨日高島易断の暦を見たら読むのが嫌になるくらい最悪の年と書いてあった。そう言えば先月末の同期会で博学の友人がそんなようなこと言っていたのを思い出した。婆さんは自分で買ってきた本なのに「そんなもの信じるのは馬鹿よ、正反対だと思っていればいいじゃないの。」と事も無げに言っていた。有り難くカミさんの言うことを信じることにする。

年末に来て風邪をひいて、喉と咳に鼻水の3点セットである。23日の天皇誕生日の午前中、変に暖かだったので薄着をしたのが油断だったらしい。これも婆さんのアドバイスに素直に従い、一昨日掛かりつけの医者に行った。医者が言うには、昨日までは目が回るような忙しさだったが、今朝はやっと静かになった。で4種類もの薬を1週間分処方してくれた。診察料と薬代併せても760円也。今日で3日目になるが、やはり市販薬に比べると効き目が早い。老人医療費を上げなくてはならないとのご意見も分からぬではない。

今日から婆さんが居ないので、昼間から自宅にいる。留守番なんか必要ないだろうと思うが、それでも郵便受けに回覧板を差し込んむ人がいたり、婆さんの友人が暮れのご挨拶に来てくれたりしたので、少しは役に立ったかもしれぬ。また普段であればじっとしていられないようないいお天気ではあるが、日当たりのよい自分で部屋で、居眠りをするのもまた格別な気分だ。でも年がら年中こんなことをしていたら老化が加速して逆に早死にするかもしれない。

明日は早起きして8時の新幹線で伊勢まで行かねばならない。今日1日大人しくしていれば、何とかなりそうな雰囲気だ。正月休みには少し読書をと思って図書館から岩波文庫を2冊借りて準備をしたのだが、薬のせいかすぐ眠くなるので全然読書が進まない。15日の返却日までに完読は1冊だけになりそうだ。新聞も隅から隅まで読もうと思って、自室に持ち込んだものの何も読むところも無いし、先週あたりからテレビもつける気にもならない。

ネットも大した情報が無いが、一つだけ見つかった。孫崎享氏のメルマガからである。【「石田純一は志を捨てていなかった!『バイキング』特番で東国原相手に言論規制と集団的自衛権を真っ向批判」】とタイトルがあり、テレビ番組で石田氏が都知事選立候補の理由について「このままにしておけない」と語りかけようとしたら、東国原氏は石田氏の「集団的自衛権の問題をどう思うか?」問いかけにはまともに答えず「生半可のことを言うな。」とけちょんけちょんにやっつけたらしい。

孫崎氏は自主規制が進み、言論が抑圧されていることへの危機感「日本のマスコミは重要な問題をまともに議論することを意図的に避けている」「このやり取りをみても、真剣な意見をいかに封じ込めるかの雰囲気がありありとわかる。」と締め括った。

年が改まってもこの傾向が続くことを思うと些か気が重い。

2016年12月29日木曜日

この流れの行く末は?

全国的に年末年始の休暇シーズンが始まってしまった。我が家は一風変わっていて、年末30日即ち明日夕方から新年4日迄婆さんは宿下がり、一人暮らしの母に代わって実家の暮と正月を取り仕切る役回りを果たす。弟夫婦が近くにいるのだが、ここでも男は役に立たぬものらしい。実家の母も娘に全てを任せて安心しているようなので結構なことと思っているし、他家に嫁いだ我が子供たちの家族もそこに年賀に来ることになる。

代わりにこちらはその間の留守番が主な仕事になる。そのこと自体は一向に苦にはならないが、正月休みの店が多いので、普段行きつけの美味い食い物屋に行けないのが一寸辛いが、大した問題ではない。大晦日の夕方には行く映画館も決めてあり、夕飯の目星もつけている。元日は早朝からお伊勢参りに行って、どうせ東京駅に着くのは夜だから、駅の構内には何かあるだろう。2日と3日の昼間は家内の実家に行って箱根マラソンを観ながら普通の家庭の元日を2度することになるだろう。二人の娘家族の年賀が、それぞれの家庭の事情で同じ日にならないのだ。嫁入り先の実家が山形と茨城だから仕方ない。

どこの家庭でも似たようなもので慌ただしく正月はあっという間に終わってしまうだろう。当然ながらそれで世の中が急に変わることも無いだろう。収入が余り変わらないのは困ったことだが、政治の方向性だけが昨年から今年にかけて、さらにその先も相当大きく変わりつつあることだけは確かなようだ。様々な要因が重なってのことだろうが、誰が見ても戦後60年以上に亘って堅持する努力が積み重ねられた平和主義の原則が、いとも簡単にかなぐり捨てられ、戦争ができる普通の国に向かいつつある。

確かにこれまで日本は戦争に対する考え方では普通の国でなかったかもしれぬ。しかし我が先人は大戦争に負けるという苦しみに満ちた経験の中で模索に模索を重ねてその道を選んだに違いない。そのお蔭を100%享受させて頂いた身としては、その選択に恨みつらみを言う思いは全く無い。むしろ感謝したい気持ちである。変な劣等感に苛まれることも無く、むしろ誇りたい気持ちすら生まれてきた。しかし人はさまざまで、あの敗戦の瞬間でさえ、最後まで1億玉砕を唱えて抵抗した勢力がいたのも事実だし、劣等感でも感じるのか、日本は世界の中心、指導的立場にいるべきと考える人がいるようだ。

戦後まもない時代ならば兎も角、最近急にネトウヨなんて嘗ての国粋主義者のような人間が戦争を経験していない世代に出現して、大きな勢力になり始めたことを不思議に思わざる得ない。その勢力が徐々に勢力を得て政治を動かし始めているとすれば恐ろしいことだ。50歳から60歳くらいの層なら、未経験と勉強不足で片付けられるが、現政権の中にもいい年をしながら、ワイマール憲法下でドイツにナチス政権を生み出した「緊急事態法」を学べと公然と言い放った政治家まで現れている。

政治の世界では知性派の年寄りが亡くなったり影を潜め、若い人を指導すべき人がいなくなってしまったのか。威勢のいい若い衆に引っ張られている人間ばかりとすると、将来が思いやられる。来年はこの右傾化傾向を押し返せるかどうか、立つべき人間が現れるだろうか?不安が募る年の瀬である。

2016年12月28日水曜日

花は咲く

2011年3月11日の後で一時はやった流行歌「花は咲く」が好きだ。歌詞を正確に覚えてはいないが、次の段落の詩が特に良い。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

幸い子供に恵まれ、先祖から受け継いだ血筋(女子二人ですから家名は残らない)を若干この世に残せそうなことについて、それなりの満足もあるが、欲張りの本能で死期が近づくにつれ、もっと何かを残したいとか、残すべきではないかと考えてしまうこともある。言葉一つでもいいから、何か有益有用なもの一つを紡ぎだしたくもなる。

しかし両親の教えを思い出すと、これが微妙になってくる。父は口数は少なかったにも拘らず、結構いろいろなことを教え諭していたような気もするが、母は饒舌でもあり、字や文章も達者で、父に比べると遥かに多い手紙を残してくれていた。過去形で書いたのは理由がある。母が良く言っていたことであるが、人間死んでしまえば「ハイそれまでよ」で、何も残らないし、残す必要もない。
このことが頭のどこかにあったのだろう、10月の引っ越しの際、思い切って両親からの手紙や記録の類を一切処分してしまった。

昔のアルバムに張り付けてある写真はかすかに残っているが、写真の類を含めてである。このことを泉下の両親がどう思うか分からないが、ともに「それで善い」と許してくれそうな気がする。形として残るのは墓石だけであるかもしれないが、我が両親のことは嫁は勿論、子供二人の記憶にもはっきり焼き付いている筈で、何かの折に話題になって家族の団らんに笑いを提供してくれたりしている。

ここに書き続けている駄文も、先に書いたように余計な欲があって日課のようになってしまったが、全く無用の極みなんだろう。言葉と言うやつは言い出すほどに意味が薄れていくだけのことかと思うと、少し勿体ない気がしないでもない。「花は散る」の歌詞を思い出させてくれたのは、今朝総理の真珠湾での演説をテレビで観たからである。

2016年12月27日火曜日

これで年を越せるか?

年末に来て大火事で焼け出された糸魚川の被災者の方はお気の毒で、慰めるべき言葉すら見つからない。更には5年以上前になる東北大震災・原発事故の被災地、今年の熊本地震の被災地の復興もはかばかしくなく、やるせない年の瀬を過ごす被災者が少なくないようだ。原因はいろいろありそうだが、一つに人足の不足があって。首都圏における東京オリンピック関連工事が大きく影響しているとの報道がある。

正しくは土建業に携わる技術者と言うのだろうか、土方にしろトラックの運転手にしろ、一朝一夕に養成できるものではないし、海外から連れてきてすぐ使い物になるわけでもあるまい。自ずから供給のパイは限定されている。需要が拡大すればコストの高い方に資材も人材も流れていくのは当たり前。地方自治体の工事発注に応募者が無くて入札不成立なんて事態を黙って見過ごし、一方で国の新年度公共事業の発注予算を増やせば経済が良くなる、なんて考えているのは悪い冗談にしか思えない。

悪い冗談の序でに思うのは2020年東京オリンピック、開会が梅雨末期集中豪雨季節の7月24日は良いとして、これほどアスリートの話題そっちのけにして、小汚い話が続いてケチが付くとは思わなかった。総理大臣閣下から東京都知事、宮様夫人等々のお歴々御一行様が地球の裏側アルゼンチンまで足を運ばれ、それこそ世界中の人々が注目する中で、「私共にお任せください。」大見えを切ったのだ。ありゃ一体何だったのだろう。

都知事はその後すぐに首になってしまったから仕方ないのかね。その後任も首で現在と知事の座にあるのが、元祖「ミーイズム」都民ファーストでなくて「アイ ファースト」(こんなうまい表現は私ではなく「新潮45」新年号からの借用です)小池都知事。小生も好きではないが、森元総はもっと嫌いらしい。それにしても皆さん公的立場にありながら感情をむき出しにして角を突き合わせている。ひょっとしたら皆さん、本音ではオリンピックなんか呼ばなきゃよかったと思っているのではと思いたくもなる。

とても国を挙げて歓迎しているようには思えない。招致を言い出したのは猪瀬知事の前任石原氏であるのも確かではある。でも当時から森氏だけではなく下村文科大臣はじめ自公内閣が挙げて応援するような風情だったように記憶をするが。兎に角招致反対の立場に立っていたので記憶が定かでない。年末ぐらいもう少しさっぱりしてほしいものだ。

2016年12月26日月曜日

来年の我が身、日本、世界

この年末に来た喪中案内は昨年より1枚少ない9枚で、100歳近いご母堂が亡くなった趣旨のものが3枚もあったし、友人知人の物故者も少なかった。長寿国万歳だ。我が家でも夫婦ともに70歳を超え、この1年を振り返ると大過無く過ごせたように思う。毎年暮れになると、婆さんが高島易断とか神宮館発行の暦を買ってくるので、何となく見てしまう。来年の暦はまだ見ていないが、今年の暦に何が書いてあったかは憶えていない。

でも、70歳過ぎても厄年があると暦に書いてあったか、どこかで聞いたような気もする。それが今年だったか来年であるかも定かではないが、考えてみれば後期高齢者になれば毎年が厄年だと思っていれば間違いないだろう。易断よりもっとあてにならないのが、世間の動きだ。日本は来年は国政選挙も無いようだし、残念ながら政権基盤がしっかりしているので、安倍1強体制が続くと思うと些かうんざりだが、舵も羅針盤も無い船に乗り合わせているようなもので、想像すらしたくない。「どうぞ好きにしてくれ」だ。ましてや御用ジャーナリスト達のご託宣なんぞ易断本以下のものだろう。

むしろ間違えば本当に戦争になりかねないのだから、世界情勢の方が遥かに興味深い。アメリカ大統領の交代が世界情勢に如何なる変化を及ぼすのか?アメリカ、中国、ロシアの3大強国の国内で何か大きな変化が起きるかどうかの方が、国内問題なんかより真剣に見守りたくなる。日本に戦争を仕掛けるアホな国はないだろうが、3大強国を仇と思う国家や集団は数多い筈。プーチン氏は現実に戦争を引き起こしているし、トランプ氏にしても習近平氏にしても、いつでもいらっしゃいみたい顔をしている。

トランプ氏が金正恩氏と直接話し合いたいと言っているそうだが、。ぜひ実現してほしいものだ。中東やアフリカのことはもっと知りたいが、あまりに遠い世界でさっぱり分からない。今月発売の月刊「文藝春秋」新年号に掲載されていた常岡浩介氏の独占手記「イスラム国最前線で拘束された」を読んだが、中東に存在する組織は国家とは別の存在で、部族とか宗教に依存する要因が多いようで、一読しても理解するのが困難だった。余程ち密に頭を整理できる能力がなければ、我が国との関係で利害得失考えようにも理解不能だろう。ましてや一部に金を出したり、武器を輸出までしようなんてとんでもない身の程知らずだ。

2016年12月25日日曜日

引き際

フィギュア全日本女子フリースタイルが終わって総合の結果が出た。首位は宮原知子、樋口新葉が2位、三原舞依が3位で、浅田真央は12位だった。浅田を長年応援して毎年見ていたような気がするが、今年はテレビを全然観なかった。浅田真央選手未だ26歳だ。それにしてもアスリートの世界は厳しいものだ。シーズン前から「もう辞めればいいのに」と何回となく会話していたのだが、彼女も引退の決心がついただろう。

何事も同じだろうが、引き際は自分で判断しなければならないので難しいものだ。

2016年12月24日土曜日

昨日の天皇誕生日

昨日の天皇誕生日に祝賀のため皇居を訪れた市民は、4万人近くに上り平成になって最高であったようだ。お体の調子がいま一つと伺っていたので心配していたが、天皇皇后両殿下ともに、お立ち台に立たれて市民に手を振って応える映像を見てホッとした思いである。陛下のお言葉にはいつも真心が込められている。

早速前日から火災が続いている糸魚川の皆さんへの見舞があり、全国民に対し「来年が明るく、また穏やかな年となることを念じ、みなさんの健康と幸せを祈ります。」と締め括られている。ニュース映像を観ていると、是非そうありたいと願う一人として有り難さやに頭の下がる思いだ。もちろん神様ではないが、全日本を代表する方だ。いつも思うが、昨日ぐらいは玄関先に国旗を掲揚して祝意を表す家がもっとあってもいいあろうが、相変わらず少ないのが残念だ。

また12月20に行われた記者会見で、陛下は次のように述べられている
「8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。」実際は昨年の12月頃から陛下は内閣に相談を持ち掛けていらしたのが真相のようでもある。

本来なら昨年(2015年)12月にお言葉は発せられていた。しかし官邸はそうさせなかった。その理由は、官邸が2016年夏に衆参同日選挙を目論んでいたからだという。やりたい放題の現政権だから何があっても驚かないが、国民は眼中にないうえ陛下まで蔑ろにするとは畏れ多いことだ。

2016年12月22日木曜日

凡人には出来ぬこと

昨日は冬至、それにしてもおかしな天気だ。とても冬とは思えないので却って気味が悪い。扨て、早くやめろと家人に言われながら愚にもつかぬブログを書き綴って2,000回を超えてしまった。しかもそのうち500回近くは生意気に政治絡みのことを書いている。思うに、政治は経世済民を志しても全ての国民に満足感を与えることはあり得ないから、全ての国民が不満も言いやすいし、漫才師でなくとも笑い話の格好のネタになりうるのだろう。お陰様で、最大の暇つぶしのブログ書きは末永く続けることができそうだ。

政治体制がどのように変化しようと、時の権力者は国家の将来について責任を持っているので、心ならずかどうか別にして、国民に対して嘘をつくことが多い。それが許されるわけではないが、結果的に国家国民を大きな不幸に陥れなければ、許されても来たのだろう。しかし結果が思わざることになったりすると、命まで失いかねないことは多くの歴史が物語っている。これは日本に限ったことではない。ひょっとすれば古今東西を問わないのかもしれぬ。

今週次期アメリカ大統領選挙人による最終投票が行われ、次期大統領就任が確定したトランプ氏とて同じだろう。そこで早速お笑い芸人のネタにされているのが「俺はウケ狙いで出馬したのに、なんで本当にならなきゃならぬのだ!プンプン!!」である。確かに真面目に考えれば権力者になるのも容易ではない。最高指導者は人前に出るのもできるだけ憚るだろうし、軽々に発言もできない。全く何でそんな地位に上りたがるのだろうか?

思うに、歌手なんかの芸能人が大勢の聴衆を前にして自分の芸を披露する時の快感に似た達成感だろう。己の発言を聴いている人間が数千万人数億人ともなれば、そりゃ命を懸けて心の底から訴えたくもなるだろう。下手なブログのように、誰かから借りてきたような、教わったばかりのことなど気安く言える筈もない。北朝鮮の若旦那でなくても国家の指導者たる者の大半は、そのように心得ているはずだ。

だから彼らは人里離れた場所に別荘を構え、後宮の美女を侍らせて孤独の楽しみに耽るのだろう。ところが安倍総理の場合はどうだ、腰が軽いこと、口が軽いこと、そんじょそこらのお笑い芸人と変わるところがない。サービス精神が旺盛なことを善しとするのか、権力者としての資質に欠けると見るかは人によるのだろう。

2016年12月21日水曜日

たかが「アニメ映画」?

「知っている漫画家の名前を挙げろ」と言われれば、手塚治虫はすぐに言えるが、水木しげる氏の名前を知ってても作品は読んだ?見た記憶がない。もちろん子供の頃は「おもしろブック」を毎号読んだ記憶があるので漫画は好きだった筈だ。孫ができてからは春休みなんかに東映マンガ祭りをだいぶ付き合ったので、「ナルト」とか「ドラえもん」は観たが、アニメをまた観たいとも思わなかったが正直なところだろう。

ところが今回、同輩の友人の勧めで、劇場版アニメ映画を一人で観に行って感動してしまった。タイトル『この世界の片隅に』上映館が少ないので、池袋ではなかなか上映館が見つからない。日曜日にやっと1館見つけて赴いたが、上映1時間半前だったにも拘らず満員で入場できなかった。読者の地域でも上映館を見つけるのが大変だと思うが、鑑賞をぜひお薦めしたい。アニメ作品なのに観客のほとんどが中高年の方である。

当然と言えば当然かもしれぬ。若い人が見ても面白いには違いないと思うのだが、舞台が75年ほど前の日本なので、なんじゃこれは?と違和感を感じてしまう可能性がありそうだ。代わりに我々世代には身につまされることばかりだ。
内容に関しては、書いてしまうのが勿体ないくらいの感じを持ってしまった。過去を懐かしむのではなく、現代を生きる者へ強烈なメッセージ、インパクトをもって迫ってくる。

たまたま、総理が北方領土に関し過去をかなぐり捨てて、新しい関係を構築する。と宣言したところでもある。主権を放棄すれば平和条約も結べる可能性があると思っているのだろう。過去を見直すことなく前のめりになっても碌な結果にならないことは、多くの識者が指摘していることなので、ここでは繰り返さない。

この映画は、馬鹿な指導者と国民と言った薄っぺらな関係を超えて、国民と国家について深く考えることを示唆しているように感じた。我々は両親を選ぶことはできない、と同じように意思なくして日本国民として生を受けた。その中で幸せな人生とは何かである。もちろん十人十色ではあろう。このテーマに取り組んだ作者の名前は記憶したいと思う。

こうの史代(ふみよ)さんという方で1968年の生まれだそうだ。原作は2007年から2009年にかけて双葉社の「漫画アクション」なる雑誌に連載されたそうだ。何れにせよ漫画の世界では著名な方らしい。

2016年12月20日火曜日

年末3連休を目前にして

連れ合いの婆さんが昔は喘息もちだったが、最近はあまり発作に悩まされないようだ。その婆さんが、先日皇后陛下が喘息の症状で体調を崩された際に言ったことが気になっていた。「皇后陛下に何か強いストレスが掛かっているのではないか、自分の経験では強いストレスが掛かると症状が表に出がちだった。」小生の経験ではないし、婆さんも医学の専門家であろう筈もないから、眉唾であっても不思議はない。

ただその一言がひっかりを感じたのは事実で、普段から両陛下の激務を心配していたので、原因など何かは分からないが、何れにしても少しゆっくりされて回復に向かわれることを心中祈っていたのが正直なところだ。皇室報道は菊のカーテンで覆われ定かではないのが常で、どのように受け止めるべきか分からないが、軽く受け止めている人が多いに違いない。小生の受け止めはそんなに軽くはなかった。

ところがである、昨日の夕刊によると、今度は天皇陛下御自身の体調不良が小さく報じられていた。今日か明日かに予定されていた総理大臣との午餐会を中止されるそうだ。陛下のご意向に抵抗する総理大臣と飯なんか食えるか、と考えただけで微熱を発せられたならまだ良いが、もともと陛下のお身体は満身創痍でもある。今週の天皇誕生日は珍しく天気が悪くなりそうだ。祝賀に伺う市民も大変だろうし、陛下にも無理されないようにお願いしたい。

天皇陛下が、これまで憲法に忠実に生きることを旨とされたことは、憲法をよく知らない小生でさえ知っている。改めて憲法を紐解いて考えてみると、憲法は天皇陛下に過酷すぎるのかもしれぬ。昭和天皇が終戦直後に人間宣言をされて、天皇の地位が神から我々と同じ人間になったと教わった。しかし、憲法第1条に規定さている「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」2度も使われてい る「象徴」とは一体なんぞやだ。

掴みどころの無さでは「神」と大差無いのではないか。嘗て(特に大正から昭和の前半で)憲法や天皇の意思を無視して軍部が暴走したと全く同じように、政府が憲法と天皇の意思を全く無視して暴走を始めている。8月の「陛下のおことば」なんぞどこ吹く風ではないか。以前にも書いた通り、政権から有識者に指名された連中は恥ずかしくないのか。偉そうなことをっているが、権力の犬に成り下がっているに過ぎないことは万民が認めるところだろう。

野党民進党が言い始めたようだが、明らかに憲法の第1章<天皇>は見直すべきかもしれぬ。自民がこれに悪乗りして9条を弄ろうとするのが気にはなるところだ。

2016年12月19日月曜日

マスコミに「喝!」

今年も終わりなので、来年に期待ができそうなことでも考えて気を紛らわそうと思った。個人的にはさしたることが無いのが一番だ。娑婆の動向では、東京都で見えてきた自公連立の綻びが拡大するのが最大の楽しみと言える。なかなか国政までには及ばないのかもしれぬが、自民党の中も18年の総裁選に向けて混乱が生じれば面白いが、石破氏や岸田氏にそれだけの力量を期待するのは無理かな。

それでも今月初めの世論調査では、安倍内閣の支持率が久しぶりに少し下がったようではある。この傾向に拍車をかけるには、年金改革かなにかで市民運動に火が付くといいのだが、残念ながら全くその気配が無い。野党が弱くても、マスコミがしっかりしていれば可能性はある筈だが、本当に我が国のマスコミはだらしがない。日ロ首脳会談後のテレビ報道を観ていると、こちらの方が恥ずかしくなる。

会見終了後の記者会見が報道の全てであると思うが、会見終了当日夜の番組にNHKは勿論のこと民放全キー局が総理をスタジオに招いて生番組を全国に放送した。全部を丁寧に見たわけでないが、内容は周知のとおり。頭に言い訳みたいに海外での受け止めや元島民の声をサラッと流しはするが、あとは例によって例のごとく総理の言い分だけをそのまま否定もせずに聞き流し、誰一人問題点を厳しく追及できない。

話が少し飛ぶが、芸能界に和田アキ子なる歌手がいる。このおばさんは何もヒット曲が無くても何年にもわたって紅白歌合戦に出演し続けていたそうだ。酒癖が悪いのが芸風みたいで、芸能人仲間からはゴッドネーチャンと恐れられ、テレビ業界には欠かせない人材らしい。それでもやっと今年の紅白から外されたとのこと。それでも業界でのポジションは簡単に変わらないかもしれぬ。しかし、紅白の制作者側は彼女の人気がピークをはるか後にして下がりつつあることを知っていたのだろう。

芸能番組のプロデューサーでさえ、業界の評判と本当の人気の差異は分かっている。国民の空気を最も敏感に受け止めなければならない社会情報系のプロデューサーが何故総理のお先棒担ぎをして、政権に媚びなきゃならないのか。NHKだけだったら未だ分かる。日テレとフジ系も良しとしよう。これまで少し期待をして見守ってきたテレビ朝日系列とTBS系列には本当に「喝!」である。

韓国の騒ぎを見ているとある種の羨ましささえ感じてしまう。所詮は日本人全体が豊かになりすぎて、それに馴染んでしまったということだろう。

2016年12月16日金曜日

安易な日ロ関係の正常化

表題に似ているが「安易な日ソ関係の正常化を許さない」は1955年、即ち60年以上前にアメリカ政府(国務省)から日本政府(外務省)向けに正式に発せられた警告だそうだ。もちろん子供時代のことだから何も記憶にはない。昨日ロシアのプーチン大統領が来日したことが大騒ぎになった。世界各国の要人と親しお付き合いを志す安倍総理が自ら大宣伝したせいもあるのだろう。

ある人に言わせると「日本には政治記者はいるが外交記者はいない。外国の主要国には必ず存在している。」なるほど外交記者なんて聞いたことがない。諸外国の外交記者は、外交関係がある両国間を長年にわたってウォッチすることを使命とするようである。日本の場合政治部記者が外交を担当するが、各社とも内閣担当と外務省担当とは別の記者が存在するシステムになっている。

記者は自分が担当するところから各種の便宜供与を受ける結果、どうしても担当する人物なり部署の応援団になってしまうようだ。そりゃ当然ことで、子供でもなんでも偏った情報を刷り込んでいけば刷り込んだ側と思考回路が形成されてしまう。現政府が各省庁より内閣が独断専行しているのは周知のこと。報道機関本社には、内閣と外務省から異なる情報源に異なる情報が上がってくることになる。その情報がスクリーニングされてすっきりした形で読者なり視聴者にもたらされるなら問題は無かろうが、世によく言われる縦割り行政そのままが、メディアに反映されるのが大手メディアの現実だろう。

結果どうなるか、読者なり視聴者は報道を丁寧に見聞きすればするほど、訳が分らなくなる筈だ。幸い丁寧に報道に接する習慣がないので、内容が蛇であろうとミミズであろうと意に介さない。大方の人も同じ筈で、何となく自分の好みに合う内容がどこかに必ずあるので、それで納得するのだろう。誰にも支障が起きないので結構毛だらけではないか。

表題から大分離れてしまったので話を戻そう。日米関係も日ロ関係も2国間関係だけで見ていると的確な判断が難しいのではないか、米ロ関係も日本との2国間関係に重要な意味を持つだろう。別に偉そうに書かなくて当たり前の話だ。もっと言えば安倍総理が大好きな俯瞰が大切で、関係国以外の国の関係も計算しなければまともな外交なんてものはできないだろう。ボケ老人がこんな問題をテーマにするのは些か荷が重すぎる。

トランプ氏がロシアに親密になりそうなので、日ロ関係を安易に進めてても「了」としてくれる。ということか。では数日後に合う予定のオバマ氏はどうなんだ?「彼は辞める人だから問題ない」で済めば結構なことだ。

2016年12月15日木曜日

来し方は兎も角・・・

師走も半ばになったのでいろいろやることがありそうだが、年寄りの身にはそれ程のことは何も無い。年賀状も自宅で制作できるようになったし、毎日が休日であれば年末年始の休暇は関係ない。勿論旅行なんぞ考える必要も余裕もない。10月に事務所閉鎖して以来書店で本を買うこともやめたので、正月お伊勢参りの往復に読む本は区立図書館から借りだすことに決めている。日本経済への貢献が一切無い非国民的爺となってしまったが、責任の一端は政府にも押し付けたい。

今年1年を振り返ると、個人事務所の閉鎖が最大のイベントだったが、昨日までに無事終了した。また、10月に昨年の前立腺がん治療から丸1年目の検診を無事通過したことも目出度いことだ。来年についても特段の希望は無いが、今後はなるべく無事であってほしい。年寄りが気を付けるべきことは転倒しないよう、風邪をひかぬようと聞くので、そのためにも無理をしないよう心掛けたい。

小さい頃、父が冗談交じりに家庭円満の秘訣は「夫唱婦随」に非ずして「婦唱夫随」と言っていた。若い頃にはピンと来なかったが最近は本気で心がけようと思っている。一つどうしてもその通りにならぬが「ブログ」。これについてだけは婆さんへの抵抗を続けるつもり。本人がパソコンに触ることは永久にない筈ですから、親類縁者の読者の皆様にもご協力をよろしく願います。

個人的には平和な1年だったが、一人で喜んでばかりはいられないだろう。今年は子や孫の世代から見て、大きな曲がり角になった年であったかもしれない。
何十年も先のことは分からないが、結果的に禍のもとにならずに済むことを祈りたい。兎に角政治が荒れすぎた。民主的選挙を前提にしていながらどうしてそうなるのか、将来に禍根を残しそうな原因について思うところを書いておきたい。

問題発言(中高生時代の不良経験)で今日も大々的に報じられた兵庫県西宮市の市長今村岳司氏(44歳)のことを例に引こう。氏は京都大学出身後、リクルート社に勤めて1年で退職してすぐ翌年には市会議員となって26年まで4期務めて、直後に市長に選ばれている。少なくとも経歴的には立派な人に見えるし、世間で言うところの頭も良いのだろう。しかし報道されている発言には違和感があり、批判も多いことが当然でもある。

先日本田宗一郎氏の講演を引いて教育の在り方に疑問を呈した。本田氏が指摘した問題点が、この市長さんの出現が見事なくらい当てはまる。国政にあっては尚更なことである。皮肉を言えば有識者には事欠かない国柄かもしれぬが、識者ばかりで国家国民を正しくリードできるのか?世界の笑いものになりはせぬか?先を案じても詮無い年寄りの嘆き節だ。

2016年12月14日水曜日

「忠臣蔵」考

元禄15年を西暦で言えば1702年とのこと、但し極月半ばの14日は当時使用されていた新暦では翌1703年1月30日らしいので余計分かりにくい。どうでもいいが、積もった雪を踏みしめて吉良上野介殿の御首を先頭に泉岳寺目指して粛々と・・・なんて言われても余計ピンとこない。昔は寒かったのだろうが300年以上も経てば気候が変わるのはやむを得ない。それでも今年は寒い方だ。

毎年のように書いているようにも思うが、就職先の社長が短気で得意先の重役を傷を負わせて死刑(切腹)となる。当然その会社は倒産して社員は浪人とならざるを得ない。そのことを根に持った旧社員有志が、傷を負わせた相手の私邸に乗り込み命を奪う。結局この社員有志一同も殺人罪で死刑(切腹)になるが、これを「仇討ち」と称してマスコミが美談と持て囃す。現代風にこじつけ解釈すれば、上記のようにもなりうるそうだ。

会社に例えてはいるが、実際は会社ではなくて国家であり、短気を起こしたのは国家元首である。得意先重役は連邦政府の高官である。当時の日本は合衆国であったが、300年前とは国家の統治形態が大きく変わっているので、企業に例えた方が分かりやすいと考えたのだろう。「忠臣蔵」は文学的には日本の代表的文化で、我々の世代にはには何の違和感もない。そもそも日本では古くから滅び去ったものと、人の死を美化する文学が多かった。外国人や若い人には分かりにくいかもしれぬ。

しかし、現代において国家が滅びるとはどんな状況を言うのだろうか?中東やアフリカの人たちには切実な問題だろうが、日本人にはイメージしにくい問題でもある。少なくとも昭和20年ポツダム宣言を受諾した時、国家が滅びたと実感できた日本人はどのくらいいたのだろうか?天皇制が続いている現代では皆無に等しいだろう。太平洋戦争終結から28年目にグアム島で発見された残留日本兵として知られる横井正一氏は「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」と語ったとされる。氏は「戦争に負けたのだから日本国は滅びた。しかし…」との意味で言った筈だ。

当時新聞記事を読んでも意味が理解できなかったが、最近になってやっと意味が分かるようになった。60年の歳月は長いようでも長い歴史から見れば短いのかもしれぬ。総理の近辺でウロチョロする似非保守か似非右翼の「日本会議」の連中とは別に真の忠臣が居れば、いつの日か新しい忠臣蔵が書かれる日が来るかもしれぬ。

*似非保守か似非右翼と書いた所以:彼らの思想が「国家の復興=戦前回帰」に偏していることを揶揄した。真の「日本=独立主権国家」はそんなものである筈がない。

2016年12月13日火曜日

これ なに? プレミアムフライデー

毎日家庭内の会話が暗くならないように、できるだけスポーツの話題から入ることにしているが、昨今の世相からどうもパッとしない話題が多くなりがちなのが残念なことだ。昨日も「給料が増えないのに、休みをばかり増やしてどうする気なの?」と他人事ではあるが婆さんが怒っていた。なんでも「プレミアムフライデー」なる聞きなれない言葉がニュースに出てきたらしい。改めてネットで確認してみた。経済産業省や経団連、小売り、旅行などの業界団体でつくるプレミアムフライデー推進協議会が、来年2月から月末金曜日を午後3時で退社とする「プレミアムフライデー」運動を展開と書いてあった。

デパートや小売業が潤うとの目論見らしいが、これで経済が活性化するなら苦労は無いだろう。祝日とも違うだろうし、民間を含めて実施を目指すとなれば法制化も必要だろうに。昨日のニュースになったのは確かなようだ。政府も下請けの官僚もアベノミクスが上手くいっていないので何か別のことを考える必要があるのは分かるが、それにしても又笑わせてくれるものだ。

野菜など原料の仕入れ価格が上がているせいか、昼食時に普段利用している飲食店のメニュー料金が大分上がってきているように感じる。料金改定が無くてもサイドメニューやデザートが無くなってしまったりしているケースが間々あるので、飲食店側も結構苦しいのだろう。料金が上がれば一時的には売り上げが上がるかも知らぬが、長い目で見れば逆に売り上げが落ちることは目に見えているようにも思うが。

サラリーマンも苦しいだろうが、個人企業者はもっと厳しいのかもしれない。税金を取ることしか考えない政府に助けてくれというのがそもそも無理な話なんだろう。年の瀬に来て株価も上昇し、政府は嬉しいかもしれぬが、9割以上の国民にはあまり明るい年の瀬とは言えないようにも思う。

2016年12月12日月曜日

ある明治人の話

短い人生の中でキャパが大きい脳みその中に何を放り込むか、人によっても違うだろうが時代によっても変わってくるに違いない。先日徒然に本田宗一郎氏の講演を聞いてみた。1982年6月の講演だから30年以上前のものである。故人の講演を手軽に聞くことができるのはネットの良いところだ。題して「行革推進について」当時本田氏は経団連会長の土光さんに頼まれて、前年に始まった中曽根第二次臨時行政調査会(当時の首相は鈴木善幸氏)の副会長か何かしていたようだ。

本田氏は自動車大手の「ホンダ」を1代で築いた立志伝中の人材であるが、田中角栄氏と同じように尋常高等小学校しか行っていないようである。氏の話は大変分かりやすく、内容でも興味深かったことはいろいろある。一つは、徹底的に役人や政治家をこき下ろして、主催者の埼玉県本庄市青年会議所が募った多数の聴衆に「もっと怒れ」とけしかけていたこと。氏がアンチ行政であることは知っていたが、なるほど頭の構造が常人とはだいぶ違うことが実感できた。

今や1千万円を超えている国民一人当たり財政赤字が未だ70万円か80万円の時代のことですよ。「今の行政や政治家は間違ったことをしても言い訳ばかりで、謝ることを知らない。」だから国民が怒らなくてはいけないと財界の重鎮が檄を飛ばしているのだ。本田氏が危機感をもって訴えたところは現代にもそのまま、いやそれ以上に悪化しているだろう。しかし今や政府や行政を当てにしなかった本田氏と異なり、同じように頭のいい人間ばかりで、我々は同じような言い訳をばかりを聞かされ続けいる。

氏の論点をもう1点書き加えれば教育問題を論じたことか。教育の重要性と教育は時代とともに変わる必要性を強調していたこと。現代の教育は記憶に偏重しすぎている。自分は算数が得意であったが、昨今の高校入試数学問題なんか全く歯が立たない。あんなに難しいことは覚える必要があるのだろうか。今でも東大を出た優秀な人材と言われる人たちの多くが、この記憶力だけを磨いて社会に送り出されているとすれば不幸なことだ。

記憶だけだったらコンピュータに敵う筈がないのだから、コンピュータに任せて、もっと他の才能を伸ばす教育で多様な人材を育成することを考えた方が社会のためになると思う。子供時代から手先が器用だったので、と言って面白い話を披露していた。家業が自転車屋だったので、通信簿に押す親のハンコを古タイヤを刻んで自分で制作したこと、こう言ったことが大人になっても随分役に立ったように思う。てな話だったが、何となく同感できることが多かった。

2016年12月11日日曜日

蝙蝠男(私自身のことであります)

休日にブログを書くのは止そうと思ったりするのだが、孫先享氏のメルマガが面白いので丸写しさせてもらう。以下引用

<安倍晋三首相は11月17日夕訪問先の米ニューヨークで、トランプ次期大統領と会談した。安倍首相は会談後、記者団に対し「胸襟を開いて率直に話ができた」、トランプ氏については「信頼できる指導者だと確信した」とした。
この時期、主要閣僚は決まっていない。政策が全く不透明の中のトランプとの会談には個人的な関係構築をしたいというのは一つの判断であろう。

私は、12月6日「蝙蝠男、第一幕、大統領選挙戦中ヒラリー詣で、トランプ世界の指導者に嫌われてる発信、第2幕大統領選トランプ勝利即座に、ヒラリー詣での反発恐れ、第3幕ペルーAPEC首脳会議でオバマに相手にされず。俺無視したな。第4幕あわてて真珠湾でオバマと。第5幕トランプ怒る。O、大統領選中T攻撃」とツイートしたが、まさに安倍首相はお互いに反目しあう人の間を行ったり来たりしている。

真珠湾訪問はどうしても行わなければならないものでない。自分の政敵とみなされる人物と特別の式典を準備する。トランプがこういう人物を信頼にある人物として関係を構築するか。日本人はこういう人物を「蝙蝠」と称して蔑視する気風を持っていた。いまや日本のマスコミは権力者安倍首相の提灯記事に終始し、マスコミの使命である権力者批判をすることは全く止めてしまった。>

序に丸写しもう一つ。高校の後輩民進党衆議院議員篠原孝氏ブログから。

<国際問題にならないのが不思議な萩生田失言>
我々のTPP強行採決への抗議を「田舎プロレス」と称した萩生田官房副長官は、安 倍総理をして「お坊っちゃまにしては不良との付き合い方が上手い」と、ゴマをすっ ている。一国の大統領にならんとする者を不良呼ばわりしているのである。私は、国際的に糾弾されても仕方のない失言だと思っている。外交上の礼儀をわきまえていないのだ。アメリカ・中国・ロシアの間で右往左往し、ひたすら「金だけ、今だけ、自国だけ」で立ち回る日本の国際的信用はガタ落ちである。

2016年12月9日金曜日

経済政策論議を聞いて

数日前に元衆議院議長伊吹文明氏が出演したテレビ番組を観て思った。タイトルは詳しくは記憶していないが、「トランプ次期大統領と日本経済」みたいもので、他に経済学者の浜矩子氏と経済アナリスト(証券会社系だったようだが名前は失念)が同席していた。伊吹氏は元大蔵官僚でもあり、財務相経験もあるので経済には強いとしたものだろう。そして自民党内では大長老のはずである。さぞかし政権寄り発言に終始するだろうと思っていたが、少し意外だったのは「日本経済は国内の労働生産性がここまで下がってしまった以上、何をしても国内の経済は良くなろう筈がない。企業が安い労働力を求めて海外に進出するのは理の当然。経済指標は為替レートの変動のみに左右され成長するのしないのと騒いでいる。」と断言した。

党内においては現総理より遥かに格上であろうから別に驚くには当たらないことかもしれぬが、どうも言外には、3本の矢で成長、成長と叫ぶのは些か無理だろう、と言っていたようにも聞こえた。経済なるものがとんと分からぬ小生にも、比較的は分かりやすい説明でもあったように記憶する。安倍外交についても直接的批判は避けていたが、氏としては現在の動きから今後世界がどのように変化するかよく分からない。と断言を避け、様子をじっくり見極めることが必要ではないかと警告めいた発言でもあった。

横には安倍総理からすれば天敵のような浜矩子氏が控え、現政府の経済政策をけちょんけちょんにやっつけていたが、伊吹氏も結構頷いていたのが印象的でもあった。その隣の経済アナリストは流石に、これまでのところアベノミクスは成功裏に進行中と断言した。根拠はマクロ的に見て雇用が劇的に改善したこと、民間の預貯金が300兆円も増えたことを指摘していた。前者は何度も聞いているので知っていたが、後者は縁なき衆生は度し難しで残念ながらとんと知らなかった。他のお二人も特に異論をさしはさんでいないので民間預貯金は増えているに違いない。

ただ最後に今後どのような政策で経済を運営すべきかという点では3人とも意見が似ていた。浜氏の意見を引用すると「経済政策はバランスが大切、鉄板の下で火を燃やし、直火の当たるところはものすごい高温となり、他は冷たいままなのに、平均していい塩梅では経済政策とは言えない。即ち貧富の格差を是正していくためにこそ経済学は存在しているのだから、今後の政策はその方向に沿ったものであるべきだ。」経済アナリスト氏もマクロ経済においてはアベノミクスを評価したが「結論として今後を考えれば浜氏の言う通りだ。」と同調したし、伊吹氏も同調した様子で「日本人の性根を据えなおして、他人への思いやりや勤勉を貴ぶようにすべき。」と精神論をぶって終了した。

要するに成長一本やりの経済政策は限界にきているらしい。貧しても明るい社会であってほしいものだ。

2016年12月8日木曜日

分からぬことばかり

真珠湾攻撃の日を迎えて、75年前に下された先人の判断について見識なき己如きがあれこれ言うことはできない。一つはっきりしていることは、当時大多数の国民がその判断を支持していた事実。また無謀な判断と内心思っていたインテリがかなり存在していたらしいこと。この2点だけは出来れば強調させてもらいたい。昨日も書いたばかりだが、マスコミがリードするポピュリズムによって虚が実とになり、正論は徐々に排除されて音が消されてしまう。

人口が8千万人であろうが1億2千万人を超えようが同じだろう。マスコミがリードすると書いたが、マスコミという人物がいるわけではないので、本当の犯人捜しは難しいかもしれぬ。そこで少し頭の体操でもしてみたい。まず明治維新以降、我が国は一貫して民主的な国づくりに励んできた。既に150年も前からだし、前半以前は生まれてもいなかったので飽くまでも想像でしかないが、最初から民主的国家創造を目指したかどうか分からないが、結果的には方法論として当時でも珍しかったであろう「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設に梶をきったように思う。

これはある程度功を奏しただろうし、併せて国力も増大し始めたのだろう。維新から半世紀もする頃には独立国家として世界の先進国からも認められるようになった。それ以前から国家を挙げて取り組んだ「富国強兵」政策も善悪は別にしてある程度の成功を遂げたとも言って良いのだろう。何事も同じだが「成功した時は用心が必要」とはよく言ったもので、先進国と軋轢が生じ始めた。

維新から60年以上にもなれば文明開化も相当進み、国民の教育水準もかなり高くなったに違いない。通信手段、マスコミの発達も目覚ましかったろう。この頃に父母が婚姻して、維新から72年後に小生がこの世に生を受けることになるが、この頃は民主化路線の危機ともいえる時期だったかもしれない。でも、小学校に入学する頃には、幸不幸は別として、新たな民主化路線がスタートした。

新たなと書いたが、「天皇制」を土台に据えた民主的国家建設ということでは維新以来一貫しているのが面白いと言ったら不謹慎かな。中間に不幸な時期を挟んだのは事実だが、日本的民主国家建設は1世紀半の年月を経て一つの頂点に達しているのかもしれぬ。(我が家には今の日本は北朝鮮同様の独裁国家と嘆く人間もいるにはいるが。)民主主義国家がどのように定義されるのか定かではないが、社会の在り方としてベストとすべきかどうかも分からない。

一方に資本主義なる社会の概念があるが、これが民主主義と相容れるものなんだろうか?生まれた頃は30億人に満たなかった世界人口が70億人を突破した現在、世界の国家も増えたし、その国家の体制が激変しつつある。これも幸か不幸か分別しがたいが、我が国は人口数だけ見ればもう増えることはないし、国家の体制も安定して150年来の民主化路線を追及してるかのようだ。

しかし、国家のリーダーが息を吐くように平気でうそをつき、マスコミはそのことを厳しく追及することはない。権力者への単なる迎合か、先に書いた通りポピュリズムの極みなのかが判然としない。

2016年12月7日水曜日

ポピュリズム

師走に入って既に1週間、茶の間のテレビの前に先月から来年の年賀状が郵便局の包みのまま置いてある。婆さんが今年と同じ枚数を買ってきてくれたらしい。そのうえ昨日はアメ横に行って正月料理に必要な品を買ってきたとのこと。主婦は幾つになっても年の瀬にはそれなりの準備が必要みたいだ。こちらは期末試験も無ければ歳暮の心配もしなくて済む生活になっているせいか、どうも年の瀬がピンと来ない。当然ながらボーナスなんてものも無いし、クリスマスプレゼントなんてものも期待しようがない。亭主の方は慌ただしくもないが、このようにしてボケが進むのだろう。

置いてけぼりを食った娑婆のことなど言っても始まらないだろうが、折角再開したので今しばらく書き続けてみたい。最近「M-1グランプリ2016」なるイベントで、今年の最優秀漫才師が決まったことがそこそこのニュースになっている。そのことには興味が無いのだが、婆さんがこれをもじって面白いことを言っている。「大きな森と小さな池のコンビ、彼等のやり取りの方がよほど面白いじゃないですか。」 今年の最優秀漫才師の芸は知らぬが、婆さんが言うコンビのやり取りはテレビで何度も観ているのでよく知っているし、確かに面白いとも言える。

コンビの片割れ小池知事は、知事選以来テレビで見ない日の方が少ないくらいだから、相当な漫才師どころかトップクラスの芸能人と比肩しうる。芸能人の生命は兎に角テレビへの露出頻度に関わっているのは周知のこと。最近は政治家も芸能人並みになっているようで、特にテレビ業界から政界入りをした都知事はそのことをよく知って、フル活用して成功したのかもしれぬ。それは時代にマッチした生活の知恵だろうから年寄りが善悪を言うわけにはいかない。しかし昨日テレビを観ていたら、彼女を応援した我が豊島区の自民党区会議員7人が党を除名されたとのニュースが流れていた。

当然知り合いもいるが、別に応援していた人でもないのでどうでもいい。ただ関連して都知事のコメントを取ろうとした放送記者への知事の返事は「私はまだ除名されていません。」の一言だけであった。これは「正体見たり枯れ尾花」ならぬ「正体見たり芸能人」そのものだ。極端なこと言えば除名された区議会議員はスターに入れ挙げた熱狂的ファンだから自業自得、彼女の立ち上げた学校にも不満が湧き始めているようだ。

平たく言えばスターの身近から順に幻滅を感じていくのだろう。と言ってもスターを責める訳にもいかぬだろう。世界中にポピュリズムがはびこっていることを実感するだけだ。

2016年12月6日火曜日

媒体価値

個人的には浦島太郎化している現代社会には訳の分からない会社が沢山ある。
DeNAその一つで、プロ野球チームを抱えているらしいから相当大きな企業だと思う。ホームページの社長メッセージはこうある。「1999年の創業以来、DeNAは常に新しいことに挑戦し続けてきました。最初に立ち上げたのは、PC向けのインターネットオークショ ンサイトでした。その後、事業の形や領域にこだわらずにお客さま視点でとことん考え抜き、時代の大きなうねりを捉え、市場が未熟だった2004年にいち早くモバイルインターネットに舵を切りました。」

これでもよく分からないであろうご同輩のために、生半可な知識で少し敷衍してみたい。要は今流行りのスマホ絡みの企業で、スマホのユーザーに向けた様々なサービスを提供している。従ってガラ携帯使用のご同輩には縁遠いかもしれないが、そうでない若い人たちの生活空間にはかなり深く浸透している企業だと思う。

あまり関係ない話なので読んでも仕方ないかもしれぬが、孫子の時代に少し思いをしてみて下さい。結構なお歳のおばさんやおじさんがスマホを熱心に見ている姿をよく見かけますので、お子さんやお孫さんがスマホを持っていないという方は少ない筈です。これは善悪の問題ではなく現実です。小生が見る限り大抵はしょうもないゲームをしたり、簡易メールをしたりしています。ところが実際には、スマホからは想像をはるかに超える莫大な情報にアクセスが可能で、この情報を利用する人が結構いるようです。

結構がどの程度の数か、小生も昔はいっぱしの広告屋でしたが分かりません。、ここから先はもう別世界の話で、ネットの世界に通じた人たちには分かるようです。ここに新しい広告の世界が出現したようです。広告は昔から数の世界ですからアクセスが集中するサイトは広告価値が高まります。紙媒体や放送媒体であればそれなりの規制がありますので、情報の質を高めて視聴者なり購入者を増やす努力が必要です。ところがネット媒体は情報の質が玉石混交であるのが特徴です。

小生が現役時代にネットなんかありませんでした。ほぼ25年前、現役最後の頃スマホこそありませんでしたが、ネット端末が1千万台に近づきつつあり、ネット広告が出始めました。当時は広告屋もスポンサー側もまともに相手はしないものでした。ところが最近は全く事情が異なり、あらゆるスポンサーがネット広告を無視し得なくなっています。理由は簡単で、ネットの場合は広告へのアクセス履歴が完全に把握できるからです。

これは重要なことで、起因したサイトがエロ情報であれ、ウソ情報であれ、兎も角わが社のサイトに来てくれさえすれば良いと言うスポンサーも少なくないでしょう。それで問題になったのがDeNAの医療情報サイト「WELQ」等10余りのサイトと言うことのようです。DeNAは12月1日からこれらのサイトを「内容の信ぴょう性が薄い」ことを理由として非公開、即ち閉鎖したようです。紙媒体に例えれば媒体価値が高かったにも関わらず発行をやめたと同じことです。このことは企業姿勢として評価すべきです。

先に既存メディアについて、情報の質についてそれなりに努力していると書きましたが、昨今のテレビ番組の食品や健康情報なんぞを観ていると、果たしてこれで良いのかと考えさせられることが多いこの頃です。

2016年12月5日月曜日

クール ジャパン

<クール ジャパン>意味がよくわからないのでwikで検索したら<日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの>と出てきた。確かに日本のアニメ番組や漫画が海外で高い評価を受けてる現実はあるらしい。それはそれで結構だろう、更に読み進むと、2010年に経済産業省に「クール・ジャパン室」が開設され、現在は第2次安倍内閣以降は閣僚に「クールジャパン戦略担当」大臣(複数の担当と兼任)も置かれて、戦略産業分野である日本の文化・産業の世界進出促進、国内外への発信などの政策を企画立案及び推進しているとも書いてあった。

[文化・産業]と中に中黒を入れていることも意味を分かりにくくしているような気がする。アニメ映画の製作や漫画の著作は文化産業でいいだろうに。何れにせよ、これらのことを政府が応援するのは結構だが、文化芸術の類は質が大切だと思う。担当する役所の官僚や政治家はその感性を持ち合わせているだろうか?その点が非常に不安になる。江戸時代の浮世絵が、幕末から明治にかけて国内ではそんなに評価されていなかったにも関わらず、外国の芸術家から高い評価を受けて、大いに海外に流出したことは記憶に新しい。

当時の政府に「クール・ジャパン室」が置かれていたらどうなったか、想像すると面白い。兎も角、現政府は優秀なアニメや漫画の製作者を支援して海外への流出を促進しているのだろう。アニメや漫画を馬鹿にする気も無いが、文化面でのソフトの筆頭がこれというのも少し寂しい気がする。たまたま昨日高校の同窓会でテレビ番組制作会社の社長の講演を聞く機会があった。彼は高校の後輩で、良心的なドキュメンタリ作品を多く手掛けている。独立系の制作会社でありながらNHKスペシャルをかなりの本数残しているから相当なものだ。

彼が視聴率至上主義と制作費の縮小のはざまで苦労している話は、同じ業界に住んだことがあるのでよく理解できたが、それ以上に衝撃的だったのは放送コンテンツに関する権利関係の悩みと、それに関わる行政のありようだ。要するに前述の制作者の苦労なんかは民と民の問題だから関わり合いにはなりません。これも良しとするか、しかし役人は番組の質に対する感性と関心が全く無いらしい。なまじ役所が<クール ジャパン>なんてことに頭を突っ込まない方がいいかもしれぬ。

ドキュメンタリは昔から英国やフランスの放送局制作に優れた作品が多かったが、日本も頑張っていた時代もあった。しかし今や日本のドキュメンタリは全く地に落ちて、国際的な評価(結局は輸出本数になる)は10年前に日本の下にいた韓国の半分以下になっているらしい。

2016年12月4日日曜日

久し振りの爽やかさ

今日は午後から銀座のホテルで、母校長野高校出身首都圏在住者の同窓会があって出席した。総勢約100名のうち同期生は4名、上の出席者は抜けている期があるので4期生しかいない。かなり年寄りの部になっているのも仕方がないが、若い出席者が少ないのも気になるところだ。もしこのブログの読者の中に長野高校出身者がいらしたら、是非「東京長高金鵄会」をご参照願います。
東京長高金鵄会HP: http://www.tokyo-choukou.com/

いつも宴会に先立ち、同窓生中から選ばれた演者に講演をしてもらっている。同窓生と言うことで、交通費さえ支払われずに会費を徴収するという相当厚かましい扱いではあるが、いつも興味深い話で楽しみにはしている。今日の二人の講演を聞くことができたが、共にいつにもまして興味深かった。一人は年恰好で言えば半分くらいの後輩が、勤務先(JAXA|宇宙航空研究開発機構)で関わっている「はやぶさ2」についての話。理科や物理のお勉強はからきしではあるが、本当にロマンを感じながら話に聞き入ってしまった。

もう一人は少し後輩で映像プロダクションの社長、同じ世界にいたことがあるので昔からの知り合いでもあるが、いかに日本のテレビ業界やコンテンツ産業が世界の時流に乗り遅れているかという話。放送局もさることながら、監督する行政の感性が全くない故にガラパゴス化していることなど。これも全く「さもありなん」と同感するばかりだった。

何れにしても最近面白くもない報道にばかり接しているので、「校歌」や「信濃の国」を思いきり歌い心から爽やかな気分になれた。

2016年12月3日土曜日

何事もなかった

寒くなるのが早かったようにも思うが、今日は何とも言えない好いお天気になった。「今年最後のハイキング日和だそうよ、家の中でグダグダしている場合ではないでしょう。」と尻を叩かれても時すでに遅し、結局どこに行くこともできなかった。年賀状については婆さんが昨年と同じ枚数を買ってくれたようだが、未だ準備をする気にもならない。結局新聞を丁寧に読んで、下手なネット碁で過ごすつまらぬ1日となってしまった。明日は同窓会だ。

2016年12月2日金曜日

まじめな心配

昨日のブログは書き始めたのが夕食後になってしまい、テレビ(BSフジ:プライム8)を観ながら書いたのでとりとめがなく分かりにくい文章になってしまった。改めて観ていたテレビに出演していた伊勢崎賢治氏の論理をネットで確認できたので、正確を期す意味で以下に書いておく。その前に同番組に出演していた政府側の人物は当選5回の弁護士の柴山昌彦氏(国家安全保障に関する内閣総理大臣補佐官)であり、問題の南スーダンのジュバに最近行ってきたばかりで、国際連合南スーダン派遣団: UNMISSの司令官と直接話をして来たことを力説強調していた。

具体的には「自衛隊の派遣部隊は貴下の指揮下に入るが、憲法上の制約があるので、できないこと或いは貴下の指揮に応じられないことがあることを承知して頂きたい。」と言って司令官の同意も得てきたと、得意げに語っていた。国連という組織に関して何ら知識を持ち合わせない馬鹿ではあるが聞いていてすごい違和感を覚えたが、ご本人は何ら違和感は感じないようだ。法律の専門家であることをひけらかしつつ、用意したメモを見ながら己の田に水を引く屁理屈を展開するが、国連という組織や国連が準拠する法体系は知らないまま無視していることがありありだった。

対する伊勢崎氏は手元にメモらしきものは一切置いていない。十分頭にしみこんでいる国際法の法体系と自らの体験に基づいて語っていることが対照的によく見えた。彼はこのようにも言った。「国連の部隊は多国籍軍であり、柴山さんが言う通り指揮官の命令に従わなくても、これを罰する法は無い。しかし武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。」

氏が言うには「結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。何も危険を冒さなくて「国際貢献」の方法は他に沢山あるのだ。伊勢崎氏は、今回の駆け付け警護問題は建前で「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛隊が元々抱えていた問題をより顕在化しやすくするという、隠れた目的があるのではないかと心配しているのである。

伊勢崎氏は憲法を変えろと言っている訳でないことだけは最後に付け加えておく。

2016年12月1日木曜日

言葉遊び

言葉遊びはどこの国にもあるのだろうが、日本の場合マジか洒落か区別できかねるような言葉遊びが公式に飛び交うのだから参ってしまう。国会は田舎芝居かプロレスと当事者が言うくらいだから百歩譲るにしても、マスコミがそこを峻別して報道しないと社会体系が崩壊しかねない。

日本社会が1945年連合軍の占領下に置かれ、7年後のサンフランシスコ条約で独立主権国家になることを大多数の国から認められたとは言え、敗戦国の悲しさ故だろうか、同時に実質的にはアメリカ軍が統治することを認めてしまったことに端を発しているのは確かだ。このことで当時の政治家や我が父母を含む大人を責めてはいけないのだろう。父母は己に比べれば遥かな人物であったし、当時の政治家も現代の諸氏と比較すれば、比べ物にならないくらい識見に富み且つ胆力もあったと思う。

しかし、独立主権は見せかけで、実質米軍の統治下と言う大きな矛盾があったにもかかわらず、その後半世紀以上の長い歴史の中で、政治家は矛盾が露呈しそうになる度に、日本語独特の言葉の綾を使ってごまかし続けてきた。勿論マスコミは矛盾を承知しながら、何の疑念も提起せず自らも政治家の言葉遣いを引用して同調してきている。当然ながら我々国民も、その言葉遊びの大いなる矛盾について気がついてはいるのだが、現実問題として「日本には平和憲法があるのだから何とかなるだろう。」で済ましてきたわけである。

言うまでもなく矛盾(言葉遊び)の根本は「自衛隊」である。「自衛隊」は自衛隊で軍隊ではありません。政治家がそうは言っても、軍隊でないと思っている日本人はいないでしょう。ましてや外国(軍人であれ文人であれ)から見れば軍隊であるのは当然で、道路工事をしているから日本の優秀な建設会社に人間だとは間違っても思わない筈。

それでもこれまでは先輩政治家の努力もあり、憲法の平和主義は何とか守られてきた。しかしもう限界でしょう。戦闘を衝突と言い換えたり、英訳もできない「駆け付け警護」なんて聞きなれない言葉を使ったりして、国民をたぶらかすことはもういい加減にしてもらいたい。

2016年11月30日水曜日

貧困老人

現政府の方針として今後は高齢者に対する福祉政策を厳しくしていく方針のようである。野党にはこの方針を阻止するだけの力が無いので、ということは国民がその方針を是認することに他ならない。幸い今年は高額療養費のお世話にならずに済みそうな状況ではあるが、年金支給額の見直しなどから想像すると、先行き短いにも関わらず、些かも不安を感じないと言えばうそになる。

どうせ先行き長くないのだから年金を有り難く頂いて、その範囲で生きていればいいだろう。貯えなんか無いに等しいが心配するまでもなく、いけるところまで気楽に行こうの人生である。ところがある専門家(著書「下流老人」を著わしたNPO法人ホットプラス代表理事 藤田孝典氏)に言わせると、あまり気楽に考えてはいけないようだ。厚生年金の平均的な支給額は現在月に14万円とのこと。現在のところ平均値より少しましではあるが、政府方針からすると遠からずその線に達するのではと若干の心配も起こってくる。

無収入の年寄りがあまり長生きすると、生活水準を確保できない線に予想外に早く到達して、相談に駆け込んでくる老人がめっきり増えているらしい。なんでも生活保護基準は首都圏では1か月あたりの収入が概ね13万円以下らしいが、確かに14万円ということになると大差がない。暢気に構えて長生きでもしてしまうとそんなことになりかねぬとは知らなかった。確かに社会のお役に立たない人間が、若い有為の人と同じ空気を吸って同じ飯を食うというのは無駄なことかもしれぬ。

その意味から言えば現政権の方針に難癖はつけられない。今現在なすこともなく、健康オタクを気取っているのは社会のためにも自分の為にもならないように思えてくる。願わくば序でに高齢者にもっと厳しく諸法令を見直してはどうだろうか?例えば高齢者に発行されているバスの無料パスを停止して70歳以上は公共交通料金を高く設定するとか、70歳以上には自動車運転を禁止するとか、映画館なんかのシルバー割引もやめて、フィットネスとか健康施設の利用も高額するとか、いじわるの方法は限りない。

思い切ってそうすれば高齢化社会の弊害は徐々に緩和されるかもだ。なんて馬鹿なことを考えたりしたが、長寿があまり目出度くない時代になってきたのは確かだろう。先ほど91歳になられて尚矍鑠たる大学入学時の保証人の方と話をしながら思ったりした。

2016年11月29日火曜日

価値観の違い

昨夜テレビを観ていたら経済同友会代表幹事小林喜光氏という方が面白い話をしていた。曰く「世界のどこであれ、経済人は企業の利益最大化のために努力するのが本筋で、他人の利益に思いを致すものではない。対するに政治は統治する国民全員に対し可能な限り公平に富を分配することに意を用いるべきである。自由主義の国家に於いて企業家の利益追求の権利は保証されているのだから、企業論理のみで言えば貧富の格差が生ずるのは当たり前のことでもある。」

「政治は真逆のことを考えなければならないのだから、政治家に経済人の行為はなかなか理解しにくいのではないか。」以下はあからさまには言わなかったと思うが、勝手に解釈すると次のようになる。「現政府は経済社会に余計な口出しをするのが経済政策と勘違いしている節がある。」勝手な解釈ではあるが、同じような論調の記事を見つけた。経済学者三橋貴明氏の主張である。曰く「亡国の全農解体」で、ご親切に引用はフリーである。

若い時に、25年間も全国農業組合中央会という全農の上部組織の機関誌「家の光」という雑誌の専属広告代理店に勤務していたことから、日本の農協という組織に人一倍思い入れを持っている。現在は農家戸数もかなり減っているので、農協なる組織が変わっていく必要はあるに違いない。一般の方はご存じないと思うが、農協は組合員が組織を作っている完全な民間組織で、確かに経済活動に大きくコミットもしている。

以下は三橋氏のブログでも言っている<完全な民間組織に何で政府が口を出さねばならぬのか?>政府は日本社会の構造改革を推進する規制緩和の一環として「「攻めの農業」の実現に向けた農協改革」と、実に「それっぽい」タイトルで進めようとしています。あたかも規制改革推進会議が真剣に日本の農業や農協について考えているかのごとき錯覚を覚えてしまいます。とはいえ、実際の提言の中身は、「全農の生産資材に関する商社ビジネスを禁止する」「全農は農家から農産物を全量買い取れ」と、民間組織である全農に対する不当介入です。一体全体、何の権利に基づき、政府の諮問機関に過ぎない規制改革推進会議が、全農を「破綻」させるための提言ができるのか、今でも分かりません。三橋氏は結果的に米国の大手穀物商社に日本農業を丸ごと引き渡すだけだと言っているのです。

加えて私見を述べれば次のように言いたい「終戦直後の食糧難の時代を、日本人がどのように乗り切って第2次、第3次産業を育成することが可能になったのか、その中で果たした農家・農村・農協の働きをもはやお忘れですか?」小泉進次郎氏に恨みもありませんが、いかに彼が頑張っても、数年で全農家の個別の事情を知ることは不可能。個々の農家の大部分は小林同友会代表幹事が言うところの経済人或いは企業論理とは全く異なる論理で農業に取り組んでおられるに違いない。

2016年11月28日月曜日

思わず笑った

安倍総理がニューヨークに住むトランプ氏を初訪問した時の手土産が「ゴルフクラブ・ドライバーの1本50万円もする高級品」ということは何度も報道されていたので知ってはいた。大体訪問自体があまり意味もないように思っていたので今日まで気にも留めていなかった。今日になって初めて知ったが、そもそもこの訪問についてはアメリカの駐日大使であるケネディー夫人が相当激怒してトランプ氏にクレームをつけたらしい。

流石のトランプ氏も「こりゃまずかった」と反省したようで、以降は外国要人との面会を遠慮しているらしい。その件とは別になるが、例の手土産がホンマ製品であることは知っていた。ゴルフクラブのホンマは昔ゴルフをしていた時代には高級品として有名だったが、久しぶりに聞く名前だった。それもそのはずで、すでに倒産していたことを思い出した。ところがよくある話ではあるが、中国系の企業が買い取って再生しているらしい。

昔からカスタムメイドを売りにしていたと記憶するが、現在もそうしているらしい。超高級品であればなおさらの事だろう。別にトランプ氏からのオーダーがある筈も無いので、官邸のスタッフが銀座かどこかの店に飛び込み、ウィンドウに飾ってあった品を強引に引き取ったとのことである。どうでもいいけど、中国を目の敵にしている総理閣下の思い入れ深い手土産が中国企業の商品というのは少し笑える話ではないか。


平安時代に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と即興の歌を詠んだ藤原道長という方がいたそうだ。総理閣下も絶対多数の議席に支えられて同様な思いであるには違いない。一方のトランプ氏も「我が世とぞ思う」思いは似たようなものだろうが、聞くところによると、どうしても入手できないのが他人さまからの「尊敬」とのこと。どっちもどっちのことだが、ボケ老人に笑いの種だけは提供してくれた。

2016年11月26日土曜日

国会のお仕事

行政府のトップに近い方が、立法府である国会を「田舎のプロレス」とどこか公開されている場で揶揄したらしい。これに対して野党の一部(民進党と共産党)が猛反発をして発言を取り消させたようだ。野党は何故発言を撤回させてのだろうか?発言をそのままにしておいた方が良かったように思う。大体現政権の国民を馬鹿にしきった態度に辟易しない人はどのくらいいるのだろう?政権の支持率が5割を超えているそうだが、この支持者な中にも政策的なことは別として、内閣の国民に対する姿勢・態度については首を傾げている人も多いことだろう。けれども野党に比べればまだ少しましということかもしれぬ。

昨日の厚労委員会かで総理大臣が、民進党委員の質問に対する回答のどこかで「そんなこと言っているから、民進党の支持率が上がらないのです。」趣旨の教えをぶったらしい。国会の議論は、一応各委員会の理事会の場でルールらしきものを定め、与野党で合意することになっているようだ。仕切り役としての委員長も与野党合意で選出された形になっている。しかし実態的には、内閣が提出した重要法案を審議する委員長が与党議員の場合、公平なレフリーの立場に立っていないことは明らかでもある。

確かに委員長も苦しい立場ではあろう。国民の理解が十分得られない法案については、いつまでも野党の質問を聞いてなんかいられない。内閣の意を戴してしかるべき時に採決に持ち込まねば鼎の軽重を問われかねない。自らも政党議員である以上それが与えられた仕事であり、党の方針が定まった以上職責を全うするのみで、理不尽だとか何とか聞いていられないのだろう。昨年の安保法制の鴻池委員長以来見慣れた光景でもある。

従って前述した安倍総理の発言も尤もなことかもしれぬ。しかしである、今朝の朝日新聞によると、昨日衆院厚労委員会で強行採決された年金制度改革法案について次のよう書いている。「厚労省が審議に先立ち10月半ばに発表した試算:今年度の支給額は3%減額する。国民年金(基礎年金)を満額受給している人は、月約6万5千円から2千円ほど下がる計算だ」

幸いサラリーマン生活が長かったので国民年金受給者ではない。しかし同委員会での総理答弁「国民の皆様ももっと貯蓄に励み、資産形成の努力をお願いしたい」これには相当頭に来た。貯蓄に励む余裕のない人の大部分は田舎のプロレス如き国会審議なんかに注意がいかないだろうからいいようなもの、まともに聞いていたら韓国並みの騒ぎになっても不思議はない。野党の先生方もi田舎のプロレスで勝てないのははっきりしているのだから、勝てる場所を探せよ。アメリカのトランプ次期大統領でも見習って、メディア工作の勉強でもしたらどうかね。

2016年11月25日金曜日

年寄りの冷や水

昨日の大雪にはびっくりしたが今朝は快晴。しかし寒さは本格的な冬の到来を感じさせる。このまま一気にとはいかないだろうが、これで今年は里山での紅葉狩りさえ機会を逸した感じだ。歳を重ねていくのだから仕方あるまいが、寒さのせいか昨夜急に膝が痛み出した。実は昨日雪の中、防寒対策を十分にしたうえで、いつものように池袋まで歩いてみた。当然ながら雨靴を履いて慎重に歩いたつもりだったが、途中の駅構内の階段でスリップして尻もちをついてしまった。その時は気が付かなかったがひょっとすると関係あるかな?幸い普通に歩いているうちに痛みがなくなってしまった。

これまでに腰を痛めて医者に通ったことはあったが、腰より先に膝に来たのは初めてのことだ。何も腰やひざだけの問題ではない。身体に潜んでいる潜在的不都合が、ちょっとしたことで表面に顔出す機会が、今後ますます増えていくことになるのだろう。昨夜は少し寒かったのか、鼻水が出たり喉の調子も少し変だった。朝食後に風邪薬を飲んだりしたので、こちらも一応収まったようだ。先日友人に教わったばかりの警句に「義理は欠いても、風邪ひくな、転ぶな」があった。教わったばかりなのに、ご丁寧に後期高齢者にとって重大なミスを二つ揃えて犯しているのだからどうしようもない。

婆さんが「なんで雪の降る日くらい歩くことをやめられない?馬鹿でないの!」あきれ果てていた。今日も少し歩いてきたが、これからはなるべく体を冷やさぬよう気を付けるしかあるまい。

2016年11月24日木曜日

ボケ予防

1週間くらいになるだろうか、寝る部屋が1階から2階に上がり、畳に敷いた布団から娘が嫁入り前に使っていたベッドに代わった。別にどうということもないが、婆さん曰く「地震が来た時の安全性が増すわよ」と同時に少し新鮮な気分ともいえる。以前の部屋は障子を閉じたまま使っていたので、起きても外の景色を眺める習慣が無かった。今度は起床から朝食までの時間が長くなったこともあり、起床してベッドを直してからカーテンを引くと、縦横90X300㎝の窓から外を見ることができる。

この窓の下半分は摺りガラスなので外から見えたとしても顔だけの筈だ。しかもうまい具合に眼前に5~60坪の空き地があって、その向こうにバス通りが見える。朝の人通りは少ないが、お天気と下界の様子がそこはかとなく感じ取れて面白い。今朝は昨日来の天気予報通り6時過ぎから雪に変わり、これを書いている今9時半過ぎにはご近所の屋根には雪が積もっている。何でも54年ぶりに早い雪だそうだが、そんな昔のことはとても思い出せない。

ただでさえ物覚えが悪いのに、このところ記憶がどんどん減っていくような気がしてならない。逆に言えば先月の引っ越し騒ぎ以来、身の回りの品々の断捨離と共に記憶も意識的に同様にしてきた節もある。昨日会食した高校同期の友人は毎朝4時に起床して読経・座禅・写経に約2時間費やすとまるで高僧のような生活習慣を語っていた。精神衛生にとても善いそうだが当然だろう。成る程と思ったのは座禅についてである。

したことが無いので知らなかったが、彼が言うには無念無想は難しく考えることではない。何も結跏趺坐と言った小難しい座り方でなくてもいいから、15分くらい座ったまま姿勢を正し、背骨をまっすぐにして深い息をすることだけ心掛けているそうだ。人間の脳みそは起きている間、何にもしていなくてもかなり活発に動いているので、できるだけ意識的に頭を休める時間を取ると海馬の収縮防止に役立つらしいとのこと。即ち認知症防止になるよとのこと。認知症の自覚は無いが、数年前脳ドックを受診したら可能性を指摘されたこともある。

幸い運転免許は返納して自動車で他人様を傷つける心配はないのだが、大いに参考とすべき意見ではあった。

2016年11月23日水曜日

見方考え方いろいろ

既にご承知のように安倍総理に対して相当偏った考えを持っているのだろう。いつも子供みたいに悪口ばかり書いて喜んでいる困った爺である。ものの見方や考え方にはどうしても個人差が出るのは仕方ないのではなかろうか。これを偏見と言うのだろうか?たまには違う考え方をしてみてはどうか、と示唆をされたような記事をネット上で見つけたので紹介してみたい。テレビにはあまり登場しない北野幸伯氏(国際関係の研究者。モスクワ国際関係大学国際関係学部卒業、1970年生まれ)の署名記事である。

曰く「安倍外交の大勝利。トランプ会談に出遅れた中国は皮肉と焦りの発言」と大見出しが打たれていた。内容を簡単に紹介すると『安倍総理は、即座にやってきて、「信頼できる指導者と確信した!」と世界に宣言した。つまり、安倍総理は、トランプさんのイメージアップに世界一貢献した。これで喜ばれないはずがありません。重要なのは、安倍総理の迅速な行動が、「日本国と日本国民の安全に大きく貢献した」ことです。』北野氏の著書を読んだことは無いがネット上で度々記事は読んでいるが、結構まともな人だと思っている。

期待を裏切られたような感じでもあるが、テレビに登場する評論家の大部分と同じ感想だから、このように考えるのが普通かもしれぬ。今後具体的になるであろう新大統領の対日政策を楽しみに待つことにしよう。

今日は首都圏在住の高校同期生9人が集まっての昼食会があって参加して来た。それぞれからの近況報告を聞いた中で印象に残ったこと。皆元気で第2第3の人生を歩んでいる様子ではあったが、奥さんを失くして一人住まいをしている友人が二人もいた。Y君がその一人だが毎朝4時に起床して、約2時間かけて座禅をしたりお経を読んだり写経をする生活とのこと。精神的にとても安定しているとの話には感心せざるを得ない。他にも毎朝10kmのマラソンを欠かさないK君とか、とても真似ができない精神力をもって老いと戦っている友人が多い。

比較するに当方はもはや終活準備だから些か情けないかもしれぬ。そう言えば別のY君が言うには、「1940年生まれの我々は来年は厄年」とのこと。後期高齢者にも厄年はあるらしい。何事も控えめにするよう薦められた。もの考え方にはいろいろありそうで、どれも参考になりそうだ。

2016年11月22日火曜日

好みではないが「地震大国」

早朝6時ちょっと前に福島沖でかなり大きな地震が発生したそうで、我が家でもかなりの揺れを感じた。福島県を中心に震度5弱を観測した地点が多く、引き続いて東北地方太平洋沿岸には広い範囲で1メートル前後の津波が発生した。被害の詳報は確認していないが、東京電力の福島第2発電所内で2544体の使用済み燃料プールへの冷却水供給ラインが自動停止して復旧に1時間半を要したりしている。人命にかかわる被害が出なかったので東京では大騒ぎにはなっていないが、沿岸部では船が流されたりして、個人的には5年前の大地震の再来と恐怖をもって受け止めた人も結構いるようだ。それだけに学習効果が発揮されて住民をはじめ自治体(警察や消防)や自衛隊等の避難への対応も迅速に行われたようだ。

気象庁では5年前の大地震の余震と発表しているが、新たな地震の予震でない証拠が本当にあるのだろうか?こういったことをどう受け止めるかが議論の分かれるところだろう。根が臆病のせいか、どうしても地震大国に住むことを心配してしまう。2011年3月11日東北大震災は千年に一度の事件と言う人もいるが、向こう千年東北沖に地震が発生しないなんて、寿命が100年そこそこの人間が言ってはいけないように感じてならない。

兎に角自然現象には逆らえないのだから、余り偉そうなことは考えない方が無事だと思う。しかし今の世の中、頭のいい人がいればなんとでもなるだろうと考えがちの人間が多いのは、日本が金持ちになりすぎたということかもしれぬ。

少しばかり金欠気味の当方としては、お天気になった昼間、日光浴を兼ねて永田町界隈を徘徊して来た。都心でも桜の葉がすっかり柿色に染まり大分散り始めた。数日で銀杏も真黄色に染まることだろう。昨日22日は、二十四節気の「小雪」、朝から薄暗く午後からは氷雨が降り始めた。今年は昨年と打って変わり寒さも厳しく、雪が多くなるのかもしれぬ。子供の頃なら大歓迎だが昨今はあまり歓迎する気にはならない。むしろぽつぽつ届き始めた喪中はがきを見ながら何となしに寂しさを感じてしまう。

2016年11月21日月曜日

将来のことは分からない

将来のことは分からないが、アメリカの次期政権は全員白人でしかもかなりの年配者が枢要なポジションを占めそうな雰囲気を感じている人は小生ばかりではあるまい。外国のことなのでどうでもいいと言えばそれまでかもしれぬ。でも戦前のアメリカはどうだったのかが少し気になり始めた。もしそうだったとしたら、次期大統領と現日本の総理は復古主義で同じ路線だから気が合うかもしれぬ。

但し、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で、日本の首相はアメリカ大統領と2者会談を持つことが叶わず立ち話に終わったらしい。オバマ大統領の意をくんで、総理がTPPについて熱心に取り組んでいるにも拘らずである。このことをマスコミはどのように評価するのか、少し気にはなる。

年寄ゆえに古いものをあながち否定する気持ちもないし、若い人たちが世の中の流れ、風向きの最先端を掴み高く駆け上ること否定する気持ちもない。ただ何方にも「温故知新」という言葉を大切にしてもらいたいとも思う。アメリカ民主主義の基本路線について「歴代の米政権は、民主党だけでなく共和党でも、民主主義、人権擁護、人種差別との戦い、国連中心の国際協調主義をそれなりに重視することによって、戦後世界で米国が大きな役割を果たすことができた。」と書かれたブログを見つけたが、なるほどと思う。

3億人近い人口を擁する国柄だから、次期大統領が如何に「アメリカ第一」を唱え、白人至上主義者であろうと、この基本路線から大きくはみ出すことはないと考えたい。またいち早く面会を果たした安倍総理の感想 「会談は非常にうまくいった。これは大丈夫だなと感じた。彼は人の話をよく聴くタイプで、うまくやっていけると思った。選挙中の彼とは別だということだ。(安全保障面でも経済面でも)信頼関係を絶対に築けると確信した。」が本当であることを祈りたい。

2016年11月20日日曜日

マスメディアの矜持

自分自身だいぶ怪しげな文章を書き綴って公開しているので他人のことを言えたものではないかもしれぬ。しかし苟も国会での議論くらいは正しい日本語を使うように心掛けてほしい。当然ながらマスコミでしゃべる人も同じである。政府が南スーダンの内戦について、「戦闘ではないが衝突があったと承知している。」なんて意味不明の言葉を発したら、使った人間の無責任さを放置してはいけない。誤魔化しを徹底的に究明する矜持を持つべきだろう。

安全と強弁する南スーダンに送り出す自衛隊員に、なぜ十分な訓練を積んだ警護要員を同行させる必要があるのか。勿論危険であることを政府は十分承知して、その場を口先だけで取り繕っているだけのことだ。嘗て日本が戦争を「事変」と言い換えてずるずると大戦に引っ張り込まれ、挙句の果てが撤退を転戦、敗戦を終戦と誤魔化さざるを得なくなって、国民に大変な不幸を強いたことをよもや忘れてはいまい。マスメディアは言葉をもっと正確に使い、政治家にもそう要求すべきだ。昨日も書いたばかりだが、マスコミの責任は大きい。

昨日と同じことをくどくどと上書きしたのは、今朝のTBS「時事放談」である。普段は比較的興味深く観ることができる番組だったが、よりも寄って菅官房長官と先の都知事選で落選した増田寛也氏だった。官房長官が放談できるはずもなかろうが、幇間もどきの人との座談はちと酷すぎる。確かにここ何回か民進党の若手議員などをゲストに呼んでいたので、与党から何か聞こえてきた可能性はあるかもしれぬ。同じTBS昨晩の「報道特集」はスーダン問題について伊勢崎賢治氏のかなり突っ込んだ意見も紹介していたのに、折角の日曜の朝が台無しになった。

2016年11月19日土曜日

政治の世界は別なのか?

昨日は非常にウマの合う友人と久しぶりに会って、昼からお酒を飲んでしまったのでブログはさぼってしまった。かの友人も昔はブログに政権批判など書いたりしていたが、野党や労組までだらしなくなった日本の現状にすっかりあきらめムードで、ブログを書く気さえ起きないそうだ。彼は別にはたから書くなと言われているわけでもないのに余計なことは書くまいと決心している。偉いものだ。引き換えこちらは連れ合いに再三警告されているにも拘らず懲りずに再開してしまった。年寄りの道楽と大目に見ていただくしかない。

この週末は総理閣下のトランプ氏との会見でマスコミが盛り上がっているが、マスコミとは偉いものだ。この現象について手を変え品を変え日本政治あるいは日本政権の大事件であると仕立て上げ、今後日本人の生活に重大な影響をもたらす日であったかのごとく報じている。この会見によって日米関係が強化され、日本の平和とアジアの安定に資するところが大であるなら大騒ぎする価値は当然あるだろう。テレビに出演する評論家や与党系の政治家諸氏もそうであることを力説強調している。数か月か数年後には実態を踏まえた評価が出るのだろうが、変わらぬことを祈りたい。

たまたま今週読んだ何かの本に書いてあったが、<マスコミが偏向している>と目くじら立てて怒ってはいけないのだそうだ。マスコミが権力者にすり寄って偏向するのは、両者が持ちつ持たれつの関係にあることを考えれば当たり前、洋の東西でも大差ないらしい。仕方ないことと考えて読めばいいだけのことらしい。洋の東西は措くにしても日本では明治時代までは新聞を発行する人はかなりの知識人であり、読者を啓蒙する意図をかなり明確に持っていたようだ。社会の木鐸と称せられた所以もそこにあるのだろう。

当然読者は増える、その傾向が続いたどこかの時点で発行者の志も変化して商業主義の道に入り込む。そこに権力者側も付け込み現在のような癒着関係が形成されていったことは自然と言えば自然かもしれぬ。幸い最近は暇な身分なので新聞テレビも見るが、ネットにも同じくらいの時間を割いている。思うのは、ネットの情報は玉石混交であるが、マスコミが取り上げたほうがいいと思う情報も少なくない。

例えば安倍・トランプ会談一色の裏側で行なわれたオバマ大統領ドイツ訪問、大統領は英国も含めEU各国の首脳と会見をした。その内容をマスコミはどこまで取り上げたか?去りゆく大統領にメルケル首相は心からの寂しさを訴え、大統領は首相の協力を称え良い仕事ができたことの感謝を表している。(因みにメルケル氏は米大統領選でトランプ氏が当選した後の記者会見で、民主主義や自由、出身や肌の色とは関係ない人間の尊厳といった米独が共有する価値観に言及。「こうした価値に基づき、緊密に協力していきたい」と述べ、過激発言を繰り返してきたトランプ氏をけん制した。 )

時を同じくして金ぴかの御殿に招かれ、良い仕事ができそうだと喜んでいるような人と友達になりたくないが、政治の世界は別なのか。

2016年11月17日木曜日

塾も時には必要

我が家は子や孫も含め学習塾とは比較的縁遠い家族と言える。我々が高校時代までは長野市内に学習塾は無かった筈だし、婆さんが子供たちが塾に行きたいと言おうものなら「お父さんがちゃんと税金を払っているのだから、勉強は学校でしなさい。」と少し乱暴なことを言って子供たちを塾に行かせなかったようだ。当然の帰結で孫たちも塾に行こうと言わなかったか、行かせてもらえなかったかは知らぬが、高校生の孫から塾の話は聞いたことが無い。

そんなことはどうでも良いが、今日書きたい教育問題は青少年の政治教育についてである。東京や大阪知事の政治塾をはじめとして松下政経塾など、世に政治塾と称するものは多い。関心がないので半端な知識ではあるが、ここでの教育は政治家を目指す人のため専門知識を授けるのが主たる目的のように思う。敢えて言えば政治家教育であり、今日書きたい政治教育とは少し異なるようだ。

昨日に続いて徘徊の途中に立ち寄った場所で拾った俄か知識であることをお断りしておく。先週国会議事堂近くの衆議院憲政記念館に昼飯を食いに立ち寄った。いつも国会図書館の昼飯ばかり食っているので、たまには変わった場所をと思っただけである。そしたら無料で「普通選挙を目指して―犬養毅・尾崎行雄―特別展」があったので少し丁寧に鑑賞して来た。持て余すほどの時間を持つことは贅沢ができる証拠だ。

二人とも江戸末期の生まれで、明治23年の第1回衆議院議員総選挙から生涯を通じて(即ち犬養氏は昭和7年515事件で暗殺されるまで、尾崎氏は昭和28年の総選挙で落選するまで)政治家であり続けた。このブログでも老政治家については常に「早く引っ込め!」的なことばかり書いているが、憲政の神様とまで言われるこの二人については、老害を指摘する気ならない。何故か、この二人は心底から日本に民主主義が根付くことを希い、終生そのための努力を怠らなかったように思えるからである。

共に個人的な塾を立ち上げていることでは、小池百合子都知事と大差ないようにも受け取られかねない。勿論政治教育に関する出版もしている。その中でどのように述べているか、次に数例を引用する。「我が国には政治教育というものが無い」「今日に於いて最も急務中の急務は、我が政治教育を政治教育を学生諸君に施すことであると思うのである。党派的感情に支配されず、国家の利害休戚主眼とし、同胞の幸福を目的とする善政を施す為には、全然一時の感情を排除して、理性に訴えて判断するだけの政治教育を施すには、青年諸君においてまず第一にすべきである。」

「天下に恃むべきは青年諸君である。(略)私の今後取るべき大事業としては国民の政治教育を選びたいのである。」塾の講師に我が高校の後輩猪瀬元知事を招聘した人と同列に置く訳にいかない。

2016年11月16日水曜日

レガシー論争

<今日のテーマと関係ありませんが、前々回のブログで「トランプ氏は日本に来たことないらしい」と書きましたが、来日の経験があることを今日の報道で知りました。>

最近はこの夏までと少々趣を変えて都心部を徘徊している。長く東京に住んでいたが都心でさえ見過ごして来てる場所がたくさんあるので散歩にはもってこいでもある。先週に1回と今日再び神宮外苑の絵画館、正しくは聖徳記念絵画館と称するらしい、で開催されている特別展「幕末・明治を一望する -近代史を描いた巨大壁画-」を観に行った。昔から何度も外観だけは目にしていたが中に入ったことがなかったので非常に新鮮でもあった。

2020年の東京オリンピック会場絡みで川淵三郎氏が「五輪へ向け、世界に誇れるアリーナが、絶対に必要だと確信しています。レガシー(遺産)というのはお金の問題ではなく心の問題です。」と発言して、小池東京知事の考えに反発したことが大きく報道されたことがあった。このことに関してどちらかの肩を持つつもりはないが、神宮外苑にひっそり佇むこの絵画館こそレガシーだと感じ入った次第である。

ちなみにこの特別展の入場料は500円、上野公園の博物館で催される展覧会に比べると安いし、なぜか混雑していない。高々80点の絵画だが絵画が素晴らしいのはもちろん、説明文までゆっくり読めるので非常に見応えがあって、1回の鑑賞時間が2時間、合計4時間強かけてやっと80点(日本画と洋画に半々に分かれているが、何れも316号の大作)見終わった。天皇皇后両陛下もこの特別展を鑑賞されたとのことだが左もありなんである。

壁画はすべて大正末期から昭和初期にかけて、当代一流の作家が手掛けているが、絵の前面にサインなんかは入っていない。但し詳しい説明版があるので、作家の凄さから寄付した人まではっきり分かる。後世に伝えられるようなもの、レガシーとは、現代のように作者や関係者の自己主張ではなく、後の世の人が自然に伝えて形作られるべきものだろう。それにしても大正15年に完成したこの絵画館、中身を含め戦災に合わずに現在に至ったことは本当に喜ばしいことだ。ぜひ末永く大切に保存してほしいと願わずにいられない。


引き換えて現代のオリンピック施設のレガシー論争、前回のオリンピック会場の国立競技場を早々にぶっ壊した連中がどの面下げてレガシーなんて口にするのか。何れの案が勝つにせよ、どう転んでも目くそ鼻くその感がしてならない。

2016年11月15日火曜日

有識者と専門家

トランプ騒ぎも大分下火となりニュースネタが減ったのだろうか、NHK19時のニュースで「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に関して随分長々とやっていた。テーマはご承知の天皇陛下「退位」めぐるりもので、先月だったかに引き続き有識者が専門家かの意見を聴取する2回目のヒアリングである。更に今月末もう1回似たような会議を開いて、年明け早々に有識者が結論を出すようだ。

会議とは言え、丁々発止の議論が交わされたような風情は、少なくとも報道からは伺えない。そりゃそうだろうよ、下々が畏れ多くも上御一人のご意向を勝手に捻じ曲げて、御意を無視しようとの企みだから。世が世ならば出席者や関係者は即全員打ち首になっても文句は言えまい。幸い戦後憲法のありがたき時代だから、それぞれが好き勝手なことを言っているだけで、何回会議を重ねても陛下のお心に沿う結論が出る筈もない。

憲法上天皇は日本の象徴であるだけで、何の権能も持たず、国の政に関しても国民の意思が最優先される仕掛けになっていることは耄碌爺でさえ分かっている。有識者と専門家の会議と言っても、意見を戦わすことなく結論めいたことも引き出せないのだから、街角の床屋談義や昔で言えば長屋のおばさん連中の井戸端会議と何ら変わりはないわけだ。せめて陛下のご意思を尊重して、議題を設定するならまだ分かる。もし内閣総理大臣であれば次のようにする。

1.1日も早く今上陛下の退位、即ち皇太子殿下への譲位を実現する。
2.その際障害となる要因は何か。憲法や皇室典範に規定がないことが最大だろう。便法を編み出すことに長けている日本の官僚と政治家だ。特に官僚だろうから、宮内庁の官僚に任せて1週間もあれば知恵が出るだろう。憲法解釈の変更でさえ平気な内閣だから、ひょっとすれば憲法に関連したって、やる気になれば何でもありだ。
3.今後のことについては、その後でゆっくり考えて内閣が法案を出せばいいだろう。
今回の陛下のご意向に沿って誰が文句を言うのか、簡単な話じゃないか。

会議を設置した政権の考えていることがこれと正反対であることは明々白々。陛下が個人的には極めて不自由なお立場に置かれていることを逆手にとって、あたかも陛下が個人的なわがままを言い始めた如き対応である。その意向に沿って嬉々として応じた有識者なり専門家の顔を見てくれ。過去から未来を見通してことの本質を見極めるには程遠く、現実に生きていくよりあの世に行ったほうがいいような面々ばかりだ。選ばれたことを本人は名誉と思っているのだろうが、国民を馬鹿にしていると言わざるを得ない。

2016年11月14日月曜日

普遍的価値

安倍総理は米大統領選挙でトランプ氏が勝利した時の記者会見で「日米関係は普遍的な価値観で結ばれた強固な関係」と強調した。これを聞いてへそ曲がりかもしれんが改めて違和感を覚える。日米関係が強固であることについては異論がないが、何故普遍的な価値観で結ばれたというのだろう?これも独特の見方かもしれぬが、相当にかけ離れた個別の価値観を持つ2国が結びついている不思議な関係であるとしたほうが適切ではないだろうか。日本側は相当に強固だと思っていることは間違いない。

アメリカ側でも大多数は同じように思っているだろうが、英国やカナダ、オーストラリアとの関係と比較した場合はどんなものだろうか?日本は戦争の結果無条件降伏をさせた国だし、そのまま押さえつけているから、いざとなれば相当無理を言っても日本が裏切ることはあるまい。しかし、少し甘やかしすぎているかもしれないくらいのことは思っている向きも少なくなくても不思議はない。次期大統領トランプ氏はビジネスマンだそうだが、日本で彼のビジネスはあまり聞いたことが無い。どうも日本に来たこともないらしい。

政治的な経験は皆無らしいが、長い選挙期間を通して様々な政治的発言をしてきた。詳しいことは分からないが、その発言が全米与野党の政治家やマスコミを含め多くの国民を戸惑わせてきたのは周知のことだ。勿論日本を含め外国でも真意を測りかねて、政治的対応をどうしたものか悩んでいることだろう。そんな中で、我が国の勇敢なトップリーダーはいち早くさしの会談を申し込んで快諾を受けている。見上げたものだ。虎穴にいらずんば虎児を得ずの心境なんだろう。

トランプ氏のビジネス哲学や政治思想など想像すらできないので、さしの会談から何が生まれるか分からない。個人的な経験からも、ビジネスでは当たって砕けろ!から思いがけないチャンスが生じたことはある。政治の世界でも同じことであってほしいものだ。しかし往々にして、相手をよく知らずして猪突猛進して大怪我することもよく聞く。トランプ氏がこれまでのアメリカンエリート(ベスト・アンド・ブライテスト)とはかなり異なるお考えをお持ちであることは確かだろう。日米同盟が両国にとって大事な同盟であればあるほど、互いの話が拙速であるのは褒められない気がしてならない。

2016年11月12日土曜日

心の栄養--懐かしい顔

昨日は高校の同期会があったので故郷の長野へ行ってきた。家を出るときは土砂降りで帰宅した時も小雨模様だったが、碓氷峠を超えて長野県に入ると青空が広がりはじめ長野に着く頃にはすっかり快晴になって素晴らしい一日になった。特に帰路の車窓からみる善光寺平の光景はまるで絵を見るようだった。高い山には既に雪が来ていたらしいが、雲のかなたの高い山はたなびく白い雲の上に薄紫の陰となり、幼い時遊び歩いた周辺の山々が紅葉に染まり始めて夕日に輝いていた。

正午から3時間以上に亘った同期会は出席者が55名、卒業時は9クラス編成で生徒数が430人位だった。幹事が非常に努力してくれているので、95パーセント以上消息を把握してくれている。物故者も増えて既に90人を超えた。出席者、物故者の名簿まで用意されていて渡されたが、こちらは頭が呆けてきているので名簿だけでは直ぐに思い出せない。皆似たようなものだろうが、名札を胸にして飲み始めると、だんだん調子が出てきて時空を遡り60年前に帰ってゆく。

誰もが同じではないだろうが、少なくとも私はこれまでの人生で高校時代の3年間が一番楽しかったと言っても過言ではない。ましてやここ10数年はあと何年の命かと心配したり、社会の厄介者である立場を悲しんだり、内心鬱々たる思いが無いと言えば嘘になる。勿論なかにはそんな心配していない人も少しはいるだろうが、殆どの出席者が似たような感傷を持っているに違いない。もう互いに身体の調子についてことさら聞くことは少なくなってきているようだ。

年寄りが集まると「孫の自慢と病気自慢」はよく聞くが、齢76歳、どうやらその峠も越したみたいな感じさえする。話の中で思いもかけぬ人からこのブログをことを持ち出されたことは正直びっくりした。ご案内の通り長く休んでいたし、再開も中途半端な形なので恥ずかしいと同時に嬉しい気持ちがある。言葉のマスターベーションでみっともないから辞めようとの思いも強かったのが、大分気が変わってきた。

同期会では誰か一人が講演するのだが、昨日は長野県の山岳協会々長まで努めた友人が山の話をした。彼は今年の8月、イランで5600mの高峰に上ってきたそうだ。これを聞いて改めて山への憧れは募るし、ブログも書き続けようと思った次第。昨日の会で思ったのは、人並みに身体が劣化してきているが、口先だけは相変わらず減らないものだ。ブログはそれを文字にしているだけのこと。古い友人から力を貰った思いだ。

2016年11月10日木曜日

米国大統領選挙

次期アメリカ大統領にドナルドトランプ氏が就任することが決まった。昨日の昼には決まるだろうと言われていたが、テレビで「決まった」と報道されたのは夕方になったらしい。国内の総選挙であれば開票が始まると同時に当選確実を打つ日本のメディアも、異国の選挙であると同時に期待外れで選挙結果を俄かには受け止めにくい理由が何かあったのかもしれぬ。アメリカ国内でも期待外れの人が半数以上いるらしいから当然かもしれぬ。

この結果をまるで予想していなかった政権や官僚はこれから暫く大忙しになることだろう。しかし、たまには忙しく働くのはいいことだ。節操を持たず、時の権力者に媚びるのがお家芸みたい人たちの集団だから、晋三君もそう時間を掛けず選挙期間中に会見を申し込まなかったことなど忘れたかのように「ハーイ、ドン 、コングラチュレーション!」とか何とか薄ら笑いをしながら握手を求めるに違いない。傍で見ている人間が気恥ずかしく思うかどうかなんて関係ない。

そんな神経を持ち合わせている人間は最初から政治家にはならないだろうし、日本の政治家としては務まらないとしたものだ。今日やっと次期大統領に祝意を伝える電話が通じたようだが、TPPについては国内でかなり努力しているにも拘らず、その努力の由縁を全く語らなかったと報じられている。さすが大人と言うべきなのか、はたまた政治音痴なのかはボケ老人にはさっぱり分からない。1週間後にはアメリカで直接会見するらしいので、その時何というのか?
この週末に評論家の先生に教えて頂きたいものだ。

マスコミに登場している専門家や有識者の解説が見事なまでに当てにならないことが証明されたのも米国次期大統領のおかげだ。世界各国がそれぞれに内向きになると世界全体の経済が縮小して、全ての国が不幸になると宣う専門家が今のところは多い。金持ちは貧乏になるかもしれぬが、貧乏人は金持ちになる筈はないので貧乏なままだろう。どこの国でも格差が小さくなれば、それはそれで善いこともあるかもしれぬ。

アメリカではトランプ氏の考え反対する若い人のデモが盛んとニュースが報じている。トランプ氏の考えなんて本当にあるのかなぁ?そこに行くと動じた様子を見せない日本人は立派なものかもしれない。何れにしてまた暫くはニュースを見る楽しみができたようだ。

2016年11月6日日曜日

パソコンの不思議

久しぶりに気持ちのいい秋晴れの日が続いた。9月の27日に始まった引っ越し騒ぎも、まだ微妙な調整は少し残っているが、ようやっと昨日でいちだんらくしたようだ。これも人生の一つの節目だろう。おかげで生活パターンがすっかり変わってしまっただけでなく、人生観というべきか性格までだいぶ変わってしまったようだ。このブログも書くのをやめようかと思ったのだが、昨日どうしたことか理由がわからないのだが、嘗て事務所で使っていたパソコンが急に9月と同じ設定に戻った。

昨晩自宅ですっかり使い勝手が悪くなったこのパソコンでネット碁をしていたところ、ゲームの途中、しかも相手が投了するだろうと思った場面で、急に「Windowsを更新します」とのダイアローグが表示され、訳が分からぬままネット碁画面が消えてしまった。アドリングマークの他に「更新中ですので電源を切らないでください」「再起動を何回か行います」との表示を1時間近く我慢して見続けていたが、なかなか進まない。仕方なく悪い冗談でないことを祈りつつ寝てしまった。

今朝になると、幸い悪い冗談ではなかったようで、更新が完了とのメッセージが出ている。その上びっくりしたことに、これまでデスクトップに表示されていなかったアイコンが従来通りに表示されている。この引っ越し騒ぎのなかでパソコンの扱いには本当に手を焼いた。途中で見てもらった専門家から「新しいパソコンをお買いになったほうがいいようです。」とまで言われたのだが、銀行関係の電子認証が設定されているので踏み切れなかった経緯もあったのだが取り敢えずはほっとした思いである。

この間、とにかく物は捨てること、過去にも未来にも余計な思いを持たないことに徹しようと考えてきた。お陰でだいぶ気楽になって、本も読まない、報道にもあまり関心持たずに、うまいものを食べて、できるだけ歩くことだけは心掛け、睡眠だけは以前より1時間は余計とるようになってしまった。これも考えればくだらない生き方かも知らぬが、今のところ「これもまた善し」と思っている。昔から手前勝手で好きなように生きてきているので、ご理解は頂けぬことだろう。

こんなに天気がいいのに早起きができなくなって、ハイキングに出かける気が起きないのが些か残念だ。せめてブログを書く気になっただけ善しとしよう。

2016年9月26日月曜日

暫く休みます

いよいよ明日は事務所の引き払い、このブログも今日から暫くはお休み。自宅で落ち着いたら又書くことにしたい。それにしてもゴミ出しと掃除で老夫婦ともにヘロヘロの感である。ご近所の方は我が家に何が起きているか不思議がっておられるに違いない。幸い明日と明後日は天気が良くなりそうなのでほっとしている。それにしても我が人生、何も記憶に残るようなことも無ければ、記憶に残すべきことも皆無である。

書類も書物も運動具も全て処分したので大分気分がさっぱりした。これからの人生でよけいなものを買い込んだりしないよう心掛けるつもりだが、考えてみれば買うお金が無いので、昔のように物は溜まらぬことだろう。

2016年9月25日日曜日

秋興業の幕開け

今年の夏は天気こそパッとしなかったが、オリンピックイヤーでの盛り上がりに加え、プロ野球や相撲も盛り上がった。特に贔屓のチームや選手がいるわけではないが、常連とは言えないチームが這いあがってきたことやカド番大関の優勝には拍手を送りたい。一方政治の世界では圧倒的議席を有する与党の安心か慢心かは分からぬが、議会のチェックが無いのを幸い内閣は沖縄問題や福島やもんじゅ等エネルギー政策や株式市場への介入等々、やりたい放題の趣でイライラしていた。

しかし長かった総理の夏休みがやっと終わって、今週からは秋の臨時国会が始まる。野党民進党が相変わらずの党内不一致の気配なので心配ではあるが、問題は山積している。不謹慎ではあるが見ものではある。国会では自民党二階幹事長なんかは1日も早くデフレ脱却を図るために必須の補正予算であり、今国会で速やかな成立を、なんて言っている。かと思えば日銀総裁は金融政策が功を奏してデフレは脱却したと断言している。素人にはチンプンカンプンだが、国会論戦が始まれば少しは分かるかとの期待もある。

臨時国会直後にはアメリカの大統領選挙もあり、そこまでの成り行きと結果にも興味津々である。大統領選さ中に総理が表敬したヒラリーさんが勝てば良いのだが。他にも地球上には問題が山積している。20世紀と異なり今世紀は政治的には勿論、経済的にも世界各国のパワーバランスが著しく変わってきているようだ。正直なところ昭和10年代生まれには理解致しかねるが、総理大臣閣下はよく理解されているのだろうか?11月にはプーチン大統領を自身の郷里に招待して、北方領土問題を前進させる腹との専らの噂だ。プーチン氏が平和条約の調印と2島返還に応ずるとしたら、賛否はあっても半世紀の懸案を処理したことになる。それで総選挙に持ち込めば安倍氏は戦後最長の総理在籍となる算段とのこと。

成り行き次第でそうならないとは言えないらしいが、余りぞっとしない。一寸先は闇で分からないことが多すぎるが、世界が余りにもキナ臭すぎる。世界の平和をリードするような国なってほしいが、今の日本は全く反対の方向に向かっている。

2016年9月23日金曜日

健康診断結果

豊島区の無料老人健康診断結果が郵送されてきた。まもなく掛かり付け医から
も電話が来て「診断結果を説明するから来院しなさい」と来るはずだ。送られ
てきた表を一瞥する限り、どの欄においても数年来の数値と格別の変化は無い
ように見受けられる。にも拘らず裏面に書かれた文言が大袈裟で「異常を認め
ますので引き続き精密検査を受けてください」趣旨が述べられている。些か脅
迫めいているが毎度のことなので、引き続きの精密検査はご辞退させて頂いて
いる。

掛かり付け医からも似たようなことを言われるだろうが、電話が来たら「10
月6日に日大板橋病院の検査がありますので、それ以降にこの検査結果も持っ
て伺います。」と返事をする予定。お役所も掛かり付け医も年寄りの健康増進
を意図する善意でしていることだから、文句を言ってはいけない。しかし肉体
は微妙で個人差はかなり大きく、定点観測を長年積み重ねているなら兎も角、
1回や2回の血液検査だけで成人病の根源を突き止めるのはかなり難しいこと
だろう。

個人的なことを少し書けば、父親譲りの低血圧なので、今のところ高血圧の指
摘を受けることは無い。だからと言って血管が年相応に劣化しているのは間違
いないだろう。常に指摘を受けるのは腎機能が弱いこと、クレアチニン値が常
に標準値を上回っている。今回もやや高めの数値が出たようだ。血糖値は標準
内におさまっているが、大の甘党としてはこっちの方が心配で、なんで検査当
日朝飯抜きで来いと言われるか不思議でならない。

むしろ通常の生活の中で血液を採取すべきだと思うが、朝飯を摂ってきました、
と言うと窓口で受け付けてもらえない。ただで受診しているのに不満たら々々
と述べてきたが、今朝こんな記事を読んだところだ。

以下に引用:
『最近では「低血圧にしてガンを誘導し、ガンの治療法を研究して長く生きる
ことができるようにする」というマッチポンプの医療政策がとられる。それで
高齢者はガンになることを恐れ、ガンになって苦しみ、治療費がかかるという
さんざんな結果に陥る。

確かに血管が硬くなっても血液を若い時と同じように流そうとすると、血圧が
上がって血管が破裂したりする。しかし、心臓はその人の人生を考えて血圧を
高くしているのであって、血圧が高いだけでは病気ではない。病的に血圧が高
い場合を高血圧病という。血圧が高ければ、元気で暮らせるし、心も張り切る。
楽しく暮らして、あるいは脳卒中になるかもしれないが、苦しんだりボケたり
する老人は激減する。』

先に書いたように最初から少し低血圧気味のせいか、めでたく「癌」にはなっ
た。しかし今のところはそこそこ普通の暮らしは出来ている。

2016年9月22日木曜日

理解できない

お彼岸と言えば墓参りと美味しいおはぎを食べることかな。朝から激しい雨が降り続いている。優しい秋の日和とは程遠い一日となった。墓は長野なので昔から殆ど行ったことは無い。尤もおはぎの方は、自宅で小豆を煮てあんこを作るなんてことはないし、近くのお店になんぼでも売っているから、婆さん頼めば何とかなる筈だが、今日も彼女は孫の子守でお出かけ。だからだろうが、数日前夕食後におはぎが出てきた。

このところ我々の生活にも深く関係しているであろうニュースが次々と出てくるが、余りにもさらりと報道される。よく理解でないまま通り過ぎていったニュースの筆頭は「原発廃炉に伴う費用8兆円超をを国民負担に・・・」である。<もんじゅ>廃炉への記事と一緒に書かれていたので気に留める暇も無かった人が多いことだろう。電気料金は多くの家庭では口座引き落としになっていて、請求明細を事細かにチェックもせず支払っているに違いない。

今回引っ越しをするにあたり、改めて東京電力の請求書をチェックしてみた。昼間だけしか居なかった割には結構な額になっている。電力供給機能が無くなっては困るかもしれぬが、東京電力と言う会社一旦潰れて頂き、嘗ての日本航空のように新しい会社に機能を引き継いでもらった方がすっきりするだろう。何でずるずると関係の無い国民まで巻き込んで、8兆円もの金を負担しなくてはならぬだろう?これも引っ越しで分かったのだが、自宅の方は電気代が東京ガスとの契約になっていた。

婆さんが誰に知恵をつけられたか知らぬが、一つの見識だとは思った。しかし、廃炉の費用は新電力にも負担させる予定とあったようなので、案外しっかりとつけ回しが来るかもしれぬ。兎も角お上のすること、高級官僚の発想は余り賢くない当方如き市井の民には分かり難いことが多すぎる。要するに騙すのは訳が無いと馬鹿にされているのだ。まもなく臨時国会だそうだから野党の誰かが分かり易く突っ込んでもらいたいものだ。

分かり難い序にもう一つ上げると、昨日発表になった日銀の金融政策決定の件。恐らく理解できる庶民は皆無と見てもそう大きくは外れていないだろう。勿論当方も例外ではないが、記者会見に出て質問している記者もどのくらい分かっているのか疑問である。極端かもしれぬが、発表している黒田総裁自身の話が日本語として意味をなしていないと指摘する向きさえある。曰く「これまでの金融緩和策は全て順調で成功し、デフレから脱却することができた。しかし物価上昇率2%には到達していないので、その路線を強化継続する。」

高校の国語の入試問題にして、間違いを訂正してもらうがよかろう。

2016年9月21日水曜日

ムダ遣い

やっと日本の核燃サイクルについて見直しが始まりそうだ。「もんじゅ」の廃炉が決まれば、霞が関の文科省からの福井県の敦賀市まで相当数に及ぶ失職者も出ることになるだろう。1967年以来半世紀近くに及ぶ期間につぎ込まれた税金は1兆円とも2兆円とも言われてはっきりしない。毎年1万人が500万円ずつ恩恵に与っても、要する費用は1000億円。単位が兆円ともなると桁が多すぎてピンとこないが、どぶに捨てることになる金額は莫大である。

似たような話はミサイル防衛システムにもある。これはそんなに長期の話ではない。北朝鮮の挑発で日本のミサイル防衛システムが機能しないことが明らかになったばかりだが、ここにも防衛予算の壮大な無駄遣いがある。2004年以降毎年のように1千億単位の予算が投じられているので、これも明らかに兆円単位に達し、しかもこちらは未だ懲りずに増えていくようだ。どこかの時点で例えこれが見直され廃止になっても自衛隊員が失職する心配はない。隊員は高級な玩具を与えられたがごとく、嬉々として弄って楽しんでいることだろう。

国であれ地方自治体であれ、ムダ遣いを数え始めるときりが無くなりそうだ。予算を獲得して使ってしまえばこっちのもの。お役人様の世界には、元が税金で人様のお金なんて意識は最初から無い。使い道を誤ったからとて、責任を取ったり取らされる概念も殆ど無いらしい。ムダ遣いを出来る間は気分が良いのだろう、だから高学歴の若い人たちが公務員を目指す気持ちは分からないでもない。でも都庁の元高級官僚の言い訳会見を見たりして、それでもそこを目指すか?もっと大きな夢を持ってくれ。

子供の頃に親から厳しく戒められた「ムダ遣い」。あまり守ってこなかったので忸怩たる思いもあるが、流石に最近は親の言葉が身に染みる。特に引っ越しに当たってである。これからは無駄遣いをしないように、もっともっと気を付けようと思うこの頃である。

2016年9月20日火曜日

運動の秋に

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ、急に涼しくなった。今日メールには「今年最後の…会のご案内」が複数届いている。幹事役の人は大変だろうが、ゴルフ会はもう欠席し始めて久しい。先日道具もすっかり処分してしまったが、案内を貰うたびに元気な友人に取り残されていく一抹の寂しさは禁じ得ない。ゴルフだけではない、水泳用のゴーグル、パンツ、キャップも全部捨てた。婆さんが「もう泳がないの?」と不思議そうな顔をしていたが、こちらは友人と一緒だった訳でも無いので寂しさや未練は全く無い。

未練が残るのは山歩きで、アイゼンとかコッフェルとかこれから必要なさそうなものは処分したが、リュックサック2個とトレッキングシューズ1足は後生大事に取ってある。日曜日だったかNHK「ブラタモリ」で高尾山を取り上げていたのを観ながら、この秋は高尾山をケーブルで登ろうと思ったりしているところである。秋が過ぎれば冬、スキーシーズンには年に1回の同期の友人との会があるので、いま暫くは続けられるだろう。あとはひたすら歩くのみだが、このところ天気が悪すぎるので歩くことさえままならない。運動代わりに部屋の片づけで腰を痛めないよう気を遣う日々が続いている。

2016年9月17日土曜日

PCこの便利で扱いにくい代物

ずっとはっきりしない天気が続いているが、やっと今日は少し晴れ間がのぞいた。現代は電気のおかげで掃除するにも箒やはたきの世話にならずに済むので、雨が降っていても大掃除に近い片づけ仕事は進めることができる。ところで、来月から友人の事務所を少し手伝うことで席を用意してもらうことになった。用も無いのに毎日通う訳にもいかないだろうが、場所が麹町でアクセスが非常に便利。国会図書館にも近いし、平日の昼間に出掛ける先が出来たことは有り難い。婆さんも喜んでいる。

昨日は雨の中、自宅で使っていた、いや置いてあったパソコンをその麹町の事務所まで運んだ。ところがこのパソコンは殆ど使っていなかったので、メーラーの設定なんかが事務所仕様になっていない。昼間使うとなると今現在使用しているパソコンに出来るだけ近づけたいのが人情でもあろう。これが言うは易いが素人には結構大変で、半日は優に潰れてしまった。

残りの半日で取り組んだのが事務所にある2台のうちの1台。これは廃棄処分にすることに決めているのだが、何とか初期化しようと思ったのが間違いのもと。先ずはセキュリティーソフトのノートン社との契約の変更である。3台の機械の購入時期はそれぞれ異なるが、それぞれにノートンのソフトを入れて、1年毎にカードからの引き落としが自動で行われるように設定されている。しかも事務所の2台はいつからかは忘れたが、同じプロダクトキーに変更したはず。

この片割れを廃棄処分するのだから、どこかで息を吹き返すようなことになってはたまらない。契約をはっきり終了する必要がある。そこでノートン社に連絡を入れたのだが、電話が繋がるまでが先ず一苦労。やっと電話が繋がって対応してくださったお兄さんが明らかに外国人。イヤホンを通して聞こえてくる音声が非常に聞き取りにくい。もちろんこちらの耳も遠くなっているだろうし、技術的な知識が不足していることは否定しない。

相手も相当辛抱強く対応することは訓練されているだろうが、とにかく時間が掛かって、やっと残す2台だけに課金対象機械を整理できた。それから本番の初期化である。結論から言えば初期化には成功しなかったが、まともに立ち上がることも無くなったので、いいことにした。ありていに言えば、電源を入れても普通のWindows画面は表示されないのである。BIOS画面からの操作を途中でやめているので、この英文表示に沿って作業を継続するくらいの人間であれば、これまでの履歴を見られても仕方がない。

2016年9月15日木曜日

民進党代表選

新しい民進党代表に蓮舫氏が決定した。一応党員である小生が望んだ方ではないが、先ずはお祝い申し上げよう。彼女の指導力がどの程度のものか未知数であるが、それより大切なことは党所属の政治家がどこまで党の纏まりに協力するかだ。老婆心までに新代表に一言献辞しておこう。民進党には綱領が無いとか悪口を言われるが、綱領なんて有っても無くても構わない。代表は任期中に達成したい目標を明確にして、先ず全員の同意を得ることだ。目標は出来るだけシンプルで、数はそんなに沢山要らない。

人間は考え方で一致する者を見つけるなんてことはあり得ないが、日本語で表明される目標を理解できない筈はない。小生だったら当面次の2項目に留めるかもしれない。
1.「次の国政選挙で自民党を上回る議席を獲得する」
2.「民進党の支持率を40%以上に引き上げる」
現時点ではその根拠も策も無くても構わない。党員の賛同を得ることが大切な訳である。賛同が得られれば目標の達成は意外に早い。

あとは全員がその目標に向かって出来ることをやってもらうしかない。ここからがリーダーシップの発揮のしどころである。その方法も案ずるほど難しくはないのだが、ここから先は世界的に有名なコンサルティング会社秘伝の策故、簡単に明かす訳にいかない。ごく簡単に言えばその目標に向かって各人の努力目標をオープンにすることにあることだけは言っておこう。

なんて半分ふざけたことを書いてしまったが、野党第1党さんには頑張って頂くことが全国民の願いでもある。

序にメディアに物申したい。選挙期間中に蓮舫氏の2重国籍問題をさも大事件のように騒ぎ立てのは、言うまでも無く与党側に知恵をつけられてのことは否定のしようがないだろう。そこまでは良いにしても、調子に乗って民進党内で不協和音が盛り上がったようなことまで書き進めたのは不見識極まりない。もし本当にあったなら実名報道をすべきだ。

2016年9月14日水曜日

猪木氏の訪朝

アントニオ猪木参議院議員が、スポーツ交流のためと言うことで先日北朝鮮を訪問して帰国、昨日記者会見を開いたそうだ。政府高官(国際関係を統括するリ・スヨン副委員長)との会談の中で先の5回目の核実験について、「日本に向けてではなく、アメリカを標的にしたものだ」という発言があったなどと説明。この件について官房長官が不快感を表明しているらしいが、少しおかしくないか。

立場の違いを超えて直接話し合いをするのが外交努力だろうに。話し合いもできずにいるらしい政府関係者からすれば、聞かなくても分かっている、と言いたいのだろうが、分かったうえだからこそ話し合いの必要性がある筈だ。確かに猪木氏には政府を代表する外交官の資格を与える訳にいかないことくらい猪木氏だって百も承知だろう。なのに、話を聞いてきたことについて不快感を示すのは大人げない。

アメリカの尻にくっついて制裁一点張りでは、こちらは不安でたまらない。総理はむしろその恐怖感を利用して、己の強硬路線強化に利するつもりだろう。それこそ見え見えで、下手なプロレスより格好が悪い。東京都の築地市場から豊洲新市場移転も大金をドブに捨てる感が強いが、役立たずのミサイル防衛システムに兆を超える金を投じるのも税金の無駄遣いそのものである。そのくらいだったら猪木氏の興業に協賛金でも出してやったほうが益しというものだ。

2016年9月13日火曜日

福沢諭吉&徳川家康

昨日発表されたNHKの世論調査結果での内閣支持率が56%(+4%)、不支持率26%(-8%)であった。内閣にとってはご同慶の至りだろうが、何が故にそんなに支持率が上がるのかさっぱり理解できない。少なくとも政策的に成功を収めつつあるものは何一つ無いと見るのが当たり前のように思うのだが、どうも世間の受け止めと相当感覚がずれてきてしまった。

一つ言えるとすれば、支持率が高い→少々の反対意見は無視して己の望むことを強引に推し進める→それがまた支持率を高める。この図式だけは当たっているかもしれぬ。たかが年寄り一人の嘆きだが、無視される側に回っている者にとっては悲劇そのものである。最初からこの世はままならぬから「たかが一人」とタイトルを振るくらいだから諦めてはいるのだが。

この動きの行き着く先は賢人の意見を聞かなくても分かっている。「脱亜入米」が加速するだけだろう。曲がりなりにも慶應義塾大学を卒業させて頂いたので福沢諭吉先生を尊敬している一人だが、福沢先生のお考えで少し賛同しかねるのは先生の「脱亜入欧」。朝鮮や清のような後進国に引っ張られて我が国が共に列強に浸食されたのではたまらん、いっそ欧米の文明文化を取り込んで彼らと並び立つ。とのお考えは江戸末期の考え方の一つとして、一概に否定できないかもしれないが、後にブレーキが利かなくなって、結果的には昭和の敗戦に繋がった事実をどう考えるか。

一億人からの国民を抱える一国の方向性の決定とは、一朝一夕で変わるものでもないし変えるのは難しいものだろう。政府は国民年金の預かり金運用を25年の長期で考えていると胸を張るところを見ると、俺はお前らと違って長期で物事を判断しているんだ、と言いたいようだ。こちらは命があと何年持つかの瀬戸際なので、本当はそんな余裕が無いのだが、面白半分で考えてみた。平和な徳川時代が約250年続き、国民にどんな不満が鬱積して爆発したかよく知らぬ。兎も角約150年前の明治維新で体制が一新された。

それから現在まで148年。途中の71年前に、戦争に負けてまた体制が一新した。否、人によっては一新でなくて半新程度と言う人も居よう。でも戦時色的が完全払拭されて平和国家が建設された格好だから一新であろう。安倍さん一派は「もう十分だろう」と考えている訳だ。昨夜婆さんが「比べては悪いけど、安倍さんに比べると徳川家康と言う人は偉いわね。」としみじみ言っていた。余り好みの武将ではないのだが、言われてみればそうかもしれぬ。

2016年9月12日月曜日

代替案は沢山ある

日本の政治家も体調が悪そうな感じの人が多いが、アメリカ大統領民主党候補のヒラリー・クリントンさんは完全にパーキンソン病におかされているらしい。今日友人と話をすると、日本のテレビでもそれらしい映像が流れたとか、治療薬を調査するヒラリー側近のメールが流出したとか、どうもかなり信ぴょう性が高いことのようだ。11月の本選挙まで体が持たずにリタイアなんてことになったらサンダーズ氏でも身代わりになるのか?個人的には彼の方が年寄りとして好感を覚える。どう転んでも共和党トランプ氏は無いだろうと思うが、何が起きるか分からない。

小池知事が国政から外れたので、我が選挙区は補欠選挙になる。自民党は候補者を公募しているそうだが、街角には若狭勝氏と小池知事の顔が描かれ自民党とはっきり書かれた大きなポスター既に張り出されている。公募もヘチマも無いだろうにと思うが、不思議な現象だ。対する民進党はイケメン青年らしき鈴木雄介氏なる人。昨日婆さんが街宣車に手を振ったら車が止まって本人が降りてきて握手をしてくれたそうだ。余程苦戦しているのだろう。前から民主党に投票していたので今回も投票はしてあげることにした。

それにして民進党の代表選は盛り上がりに欠ける。キャリアを考えれば前原氏が順当らしいが、人気では蓮舫氏が先行しているらしい。ところが首相官邸で、官邸のアイヒマンとあだ名で呼ばれている安倍首相の側近、ご存知、総理直属の諜報機関・内閣情報調査室(内調)のトップ・北村滋内閣情報官によって2重国籍問題が暴かれたので、いささか雲行きが変わるのではとの声もあるようだ。代表選は誰が勝とうが関係ないが、古株が裏で代表を操るような真似だけはしてほしくない。

それにしても、北村内閣情報官と言う方、総理がいたく重用されているようだ。もともと警察庁外事課長などを歴任した公安警察のエリートだそうだが、野党議員のあら捜しより北朝鮮の拉致被害者関連や、警察が犯人と分かっていながら逮捕できずにいるオレオレ詐欺集団のトップの逮捕と起訴など、もっと注力すれば国民の人気が更に高まりそうなことは沢山あるように思えてならない。

2016年9月11日日曜日

改めて「テロとの戦い」

今世紀初頭ニューヨークで起きた不思議な911事件から早くも15年の歳月が流れた。思えばあの事件以来世界は一変して「テロとの戦い」が生まれ、全世界の治安が益々乱れて多くの国が平和を脅かされている。我が国も例外でない。国内的には外国との紛争で死亡に至った事件は表面化していないが、外国で日本人がテロリストに殺傷された事件は数え切れなくなった。

今更15年前の事件をほじくり、誰が真犯人であったかとか、その後の紛争拡大の緒を作ったアメリカ大統領やそれに協力した世界の政治家を非難しても平和は蘇らないとしよう。これだけ混乱してしまった世界の中で、確固たる信念で平和国家であり続けるために我が国はどうすべきか。

冷静に考えてみればそもそも「テロとの戦い」で言うところのテロリストは勿論単数ではありえない。相当な集団であり、ISのように認知されていなくても一つの国家のようにも思える場合もある。またある国家の秘密任務を負って活動している集団もあろう。北朝鮮の如きは国家そのものをテロ国家と称することもあり、「テロ」そのものが意味不明に近い混乱状態にあるとも言える。アメリカ国内では北朝鮮に対する「斬首作戦」の計画が着々と進み、演習も繰り返されているそうだ。北の若旦那もそれを知っているだろうから核兵器開発に余念がない。

外交下手はどうも我が国だけではないらしい。日本が杖とも柱とも縋るアメリカにしても余り褒められたものではないように思う。こんな世界情勢の中で政府の目指す方向はどうなっているのか?これがまた非常に分かり難い。アメリカ軍の駐留を援助するくらいだから日米関係基軸は理解しなければならぬだろう。それぐらいは我慢するとしても、憲法の解釈を変えてまでアメリカ軍の仰せに従うのは如何なものか?同様に考える国民も多いと思うが、政権支持率が高いところを見ればこちらの考えはマイナーかもしれぬ。

戦争を実感できない年代が増えているので、戦争に巻き込まれることにさしたる恐怖感を感じなくなりつつことは危険だが、年寄りからの警鐘の響きは遠くなりつつあるようだ。

2016年9月10日土曜日

引っ越し準備

今日明日は我が町の秋祭り、殆ど毎年のように雨に祟られるが、今朝起きるとなんと快晴だ。先月来嫌になるほど台風や雨が襲来してたので、お天道様が憐れんで晴れをもたらしてくれたかと思いきや、明日はまた雨模様とのこと。神輿担ぎも若い人が集まらずお年寄りが多いので一層ご苦労なことになりそうだ。ウィークデイにも拘らず木金と何となく疲れがたまった感じで、歩くこともブログを書くことも面倒になりサボってしまった。

すると今朝の明け方猛烈なこむら返りに襲われて飛び起きてしまった。婆さん曰く「普段一定の運動をし続けているのに、急にやめたらいけないに決まっているでしょう。」仕方ないので朝食前に山行きの時に携行する筋肉痛対処用漢方薬68番「ツムラの芍薬甘草湯」を服用。いつも通りに午前中ジムで1時間半ほど運動をして汗をかいたら成程大分すっきりした。先に何となくと書いたが、疲労の原因の主なるものは引っ越しの準備疲れかもしれぬ。

今日も引っ越し屋さんと電話でやり取りをして27日の詳細を詰めた。朝10時に事務所にスタッフが集合すること。午前中には自宅のピアノを搬出する業者が来ること。午後1時自宅のエアコン取り外しと取り付け業者が来ること。巧く行けば午後3時頃には全てが終わるかもしれぬし、もたついても5時には完了する予定とのことだ。今日までに事務所の中は大分すっきりした。すっきりしたのに疲労感が押し寄せるのだから、人間心理も不思議なものだ。

性格によるのだろうが、身辺片付いていた方が好みだと思ってはいたが、やはり不必要なものが少しはあった方が落ち着くのかもしれぬ。比較するに自宅の婆さんは何でもかんでも取っておく性格だったので、今回の騒ぎでは相当疲れていることだろう。長年夫婦生活を営みながらこれほど性格が異なるのに、今回ばかりは同じ目標に向かって長期に努力を継続しているのは初めてかもしれぬ。

事務所の片付けもいよいよ最終局面、なんでこんなもの取っておかなきゃならぬか、とばかりに紙類を捨てまくってきた。残された段ボールに詰め込まれて何年も暗闇に眠っていたものを再チェックするに、今後の人生で先ず必要になることはあるまいし、あの世に旅立った後の遺族には何の意味も無く迷惑なだけであろうことは容易に想像できる。しかし中身をチェックし始めると、どうしても心残りが生じてしまう。

無駄な作業はやめて、段ボールに詰めた状態で処分してもらうのが一番のようだ。

2016年9月7日水曜日

由緒正しき血統

余り自慢にならぬが、我が家は一代限りで家系が途絶える。娘が二人いたが何れも他家に嫁いでしまった。私と家内は父の墓に入れてもらうことになっているので、たまには弟の子孫が墓前に線香を上げてくれることだろう。弟の子や孫までは一応顔は繋がっているが、それ限りである。その後の世代は彼岸やお盆に花を手向けてくれたり線香を焚いてくれるかもしれぬが、墓誌に名前が刻まれたとしても何の感慨も湧く筈がない。

こう書くと味気ないが、我が魂は娘の体を経て異なる姓となったその子たちに引き継がれ、永遠に生き延びると考え、自分なりの誇りの縁にしている。個人的なプライドについては各人各様の考え方があろうが、父は先祖になることにこだわりを持っていたのが面白い。田舎の五男のくせに何故か実家の墓に入るのを嫌がり、先祖の伝来の寺に一定のお金を支払ってまで新たな寺の檀徒になることにしてしまった。

新しい寺の住職の人格に惚れてならまだ話は分かるが、この住職、高校の後輩だが、変に威張ってとても人格者とは言えないように思う。理由は先祖伝来のの寺と同じ宗派で自宅から最も近いだけの理由のようだ。それでも先祖となったことにはいたく満足したのだろう。成人した子供四人を呼びつけて、今後は全員この墓に入るがよかろうと宣言してくれた。実に分かり易いし、経済的にも有り難い話なので、こちらには何も反対する理由は無い。

父の信仰心は複雑で、寺を変えるくらいだから先祖の墓参りは余り聞いたことが無い。個人的にも父の実家の墓には70歳近くになって初めてお参りさせてもらった。父は一応仏徒の心算もあったかも知らぬが、神道に近いものもあったみたいだ。毎朝東に向いて手を合わせ、なにか熱心に祈っていた。時々冗談のように「我が祖先は天照大神、天皇家と親戚でもあるが、先祖を辿れば日本人全員と親戚になるよ。」が口癖だった。その血を受け継いでいるので一応仏徒のような顔はしているが、信仰心を問われれば、はて、どんなものであろうか?

2016年9月6日火曜日

政府の世論づくりと日中関係

生まれた年の日本がどんな状況にあったかは、当然ながら記憶には何もない。大分大きくなってから父に聞いたのは「当時の奈良は1年じゅうお祭りみたいもので、大変華やかな雰囲気にあふれていたよ。」だった。昭和15年4月が誕生月だが、正に皇紀2600年、父は奈良県庁で総務部庶務課長から知事官房長なんかの役職にあったようだ。敗戦直後南方で虜囚生活を強いられた苦しさを語ることは少なかったが、南方に行く直前まではお役人様でのんびりしていたことを懐かしんでいたのかもしれぬ。

このくらいしか生まれた時の状況についての認識が無かったが、文藝春秋9月号の特集「戦前生まれ115人から日本への遺言」を読んで大分認識が変わった。特に印象深いのが小林信彦さんが書かれた昭和15年に関する記述である。「私は東京下町の和菓子屋の息子で、中級の生活をしていたはずだが、食べたいものが食べられないことになったのは、昭和15年の紀元2600年騒ぎの頃だったと思う。」

と書き始め、この年が狂気の始まりだったとして、歌手のディック・ミネも煙草のバットもチェリーも許されず、日本名に改名を余儀なくされたことを指摘している。たいして齢に違いが無い兄二人を含め、体格が悪いことを恨めしく思ったこともあるが、考えてみれば当時の日本は現代の北朝鮮同様の先軍政治で、国民の食糧より大砲軍艦建造を優先していたのだろう。この特集には1930年代生まれの方が多く寄稿されている。そして殆どの方が、現代の世相を大東亜戦争開戦直前の雰囲気に似てきていることを指摘している。

岡野俊一郎さんに言わせると「即ち仮想敵国を作り、危機感を演出し、戦争への道を準備する世論を形成しようとしているように感じるのだ。」全く同感せざるを得ない。明治27年の日清戦争以来日本はずっと大陸に目を向けて侵略戦争を継続し、その中でたまたま清国やロシアとの会戦に勝ったりしてしまった。結果軍人の一部がのぼせて夜郎自大な思想に陥ってしまったことはある程度理解できる。

昭和20年の敗戦で多くの人は冷静になり、反省もした筈だ。残念なことではあるが70年以上過ぎた現在、戦争被害の経験者が少なくなると、喉元過ぎればの感が否めない。忘却と反比例するように、対中国に関して夜郎自大の発言が度々耳に入るようになってきた。とりわけ気になるのが「現代の中国の軍事力では、日本自衛隊の戦力にはとても太刀打ちできません。」大真面目で文民である外務省関係者が言うことだ。

元防衛相にも似たようなことを言う人はいる。彼らは、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入らない限り(アメリカ軍にならなければ)、戦力を発揮できないことは十分知っている筈。どうすれば日本人がアメリカ軍として外国と戦わなきゃならぬか?せめてアメリカ軍から北朝鮮ミサイル発射の情報くらいはちゃんと貰って来いよ。昨夜のとても会談とは言えない日中首脳会談を見てイライラが募るばかりだ。

2016年9月5日月曜日

永世中立国

最近の子供たちのことは分からないが、小学生の頃に学校の先生がしきりに強調されていたことに「永世中立国スイス」のことがある。今となれば、その先生たちも1年前までは生徒に向かって「君たちの命は25歳まで、早く大人になって、お国のために戦って立派に死んでくれ。」と言っていたことは想像に難くない。それだけに先生自身どこまで理解していたか少々疑問だが、新入生に対してはGHQの指示通り、平和の尊さを強調し、日本が見倣うべき国家としてスイスを取り上げていたようだ。従ってスイスの内容は今もって詳しく知らないし「永世中立国」も死語になったようだ。

あの世界大戦のさ中でも、枢軸国側はおろか連合国側にも加担せず中立を貫いた。これも大分怪しい話だが、当時はそう教えられ、そんな生き方があるとすれば、日本も見習うべきと子供心に思ったりしたものだ。それから大分年月が流れ、大学生になった頃か、映画「サウンド ミュージック」を観るに及んで、やっぱりスイスの生き方を見習うべきと改めて思ったものだ。当時の日本は敗戦から15年以上の歳月を経て、首相が世界中からトランジスタのセールスマンなどと悪口を言われながらも、日本のビジネスマンは世界中を飛び回るようになり始めていた。

軍隊もどきの自衛隊も出来てはいたが、学生だったから詳しい事情は分からないまでも、経済成長にひた走る日本は東洋のスイスを目指しているように思い、数年後には自分もその一員となって活躍したいと考えていた。個人的思惑は見事に外れ、あこがれた社会の一員とはほど遠い人生とはなったが、平和の恩恵にはたっぷり浴することができた。

先の大戦後の世界は一見するに、少なくとも枢軸国と連合国と言った対立は存在していないようにも見える。連合国が作った国際連合なる組織が世界の平和を担保しているような風情でもある。関連する動きとして、たまたま昨日今日と中国・杭州において、世界の主要20か国のトップが集って世界の懸念材料克服のための会議をしたと報じられている。国際連合では「敵国」に位置づけられている我が日本の総理も、何故か主要20か国の一員でもあるから有り難いと言うべきなのか?

ところでスイスであるが、主要20か国の一員にはなっていない。欧州連合がメンバーなのでその一員かと思って調べたが、ここにも参加はしていないようだ。G20なる会議で何を決めたか知らないが、あくまでも建前だけではないか?実社会では米国とロシアは激しく対立してウクライナかシリアかトルコか分からないが、代理戦争は既に始まり、いつ米ロが直接戦争に突入しても不思議はないらしい。我が総理閣下はそのどちらとも仲良くすることが可能、みたい顔をして双方の首脳と握手して喜んでいらっしゃる。これは中立の概念とは大分異なるだろう。

中立国家とはいかなる国とも一定の距離を保つことで、相手構わずベタベタする事とは訳が異なる。小学生時代、大学生時代に引き続き3回目となるが、改めてスイスと言う国家の生きざまと中立の概念知りたいと思った。

2016年9月2日金曜日

故郷

いつも我が故郷「長野」について書いている。これは紛れもない実感だが、言葉の定義を厳密に見ていった場合に正しいかどうか自信は無い。本籍は長野県の現上田市で登記されている。昔は小県郡秋和村だったような記憶がある。出生地は奈良県奈良市法蓮町で、3歳の時に父の勤務先の異動で奈良県から熊本県熊本市に移転した。従って奈良市の記憶は皆無である。熊本の記憶はかすかにあるが、5歳になった時、父の更なる異動、南洋占領地の行政官としてバリ島行のため、母兄弟と長野市にあった母の実家に引っ越した。

5歳から18歳までの13年間を長野で過ごし、19歳以降はずっと県外暮らしである。しかし少年期の13年間は相当長い。そして周辺から記憶を最も吸収する時期だから、長野を故郷と呼ぶことは許されるだろうと思って使っている次第である。斯様に故郷は人によって使い方がいろいろあろうが、生まれた土地であったり少年期を過ごした土地であることだけは間違いない。故郷についての思いも人様々だろうが、今なおそこに居住する多くの親戚、友人、知人、見慣れた風景など懐かしさにあふれている。

しかし残念なことに我が世代には、外国との戦争に敗戦という一大事があった。我々世代は未だ5、6歳と幼児であったとはいえ、いきなり敵に囲まれて住まいを失くし、命からがら本土の4島めがけて逃げ帰ってきた友人が結構いる。ある人は現在の中国から、或いは現在ロシア領となった樺太や韓半島から、南洋の島々から、多くは母と一緒が多いが、中には父親も一緒だった人もいる。彼らのご両親でつい最近まで存命された方もいるが、100歳を超えて皆亡くなられてしまった。我が友人たちは、記憶の片隅にあっても現在外国領だったり、それ同然の土地を故郷と思いたくはないだろう。

しかし兄や姉の世代になると事情は異なる。故郷には帰ってみたくも帰れない。こんな事情を抱えた人が何人いるか知れないが、終戦直後外地からの引揚者は満州地区だけでも100万に近い数十万所帯があったのではなかろうか。現在生存している引揚者の数については政府も把握できていないだろう。実に戦争とは残酷なものである。それでも戦後71年、戦争に巻き込まれずに来たことには感謝せずばなるまい。安倍総理は北方4島に関してロシアの大統領と交渉することに意欲的だ。引揚者の思いだけではなく、漁業関係者の思いも受け止めているのだろう。

結構なことかもしれぬが、一方で何となく戦争に近寄る気配も濃厚なのが気になってしまう。

2016年9月1日木曜日

夏場の食事

明日は区の無料健康診断を受けるつもり。最近は隣の掛かり付け医に受診するのが90日毎になっているので、行くこと自体に大した苦労は無いが朝食抜きで行かねばならないのが一寸した苦痛である。何故健康診断の時だけ朝食を抜かねばならぬのか?受診方法を読むと「血糖値に影響を及ぼすので」と書いてある。毎朝摂っている朝食を敢て抜かした値の方が、余程影響が及ぼされている筈ではないか。

毎年いつも通りで行こうと思うが、一度「食べてきたよ。」と言ったら受付で受診を断られた。以来大人しく受診案内に従っている。考えようでは日本人の典型だろう。ところで、元来大食の傾向は無いが、朝昼夕とほぼ決まった時刻、日に3度の食事を摂らないと落ち着かない。70も半ばを過ぎるとその傾向は余計強くなって、特に日本食の有り難さをしみじみ感じてしまう。日本食の定義は知らぬが、我が家の食卓に上るものは何でも日本料理と言っていいだろう。

定番はごはんとお椀もの、お椀は朝も夕も味噌汁が圧倒的に多い。それに漬物、まだ夏場なので糠漬けがかなり多い。ごはんも白米が圧倒的だが、時によっては炊き込みがあったりもする。不思議にカレーライスが少ないが、これは昼食に時々食べるのを知って重複を避けているのかもしれぬ。何れにしてもこの3品だけで、数知れぬバリエーションがある訳だ。これにメイン料理が最低1品加わる簡素な食事が我が家の定番。欧米先進国の家庭料理の実態は知らないのだが、映画や本から類推する限り毎日似たようなものを摂っているに違いない。

素材が同じと言う意味では日本も変わりないかもしれぬが、バリエーションの多さで日本は圧倒的な差がある筈だ。特に年齢がいって食が細くなってきたとき、食品の量だけで調節するのは大変だ。肉が魚に代わり、豆類が豆腐に代わったりする有り難さは、欧米の年寄りには分からないだろう。暑い夏の日に食する冷奴やそうめんの美味さ、我が親愛なる従妹の得意料理だそうだが、同じ冷奴やそうめんでも家庭によって作り方が大分違うものらしい。

この二つは日本が誇る冷凍食品技術が進んでも、なかなか冷凍食品には馴染まぬことだろう。

2016年8月31日水曜日

本日快晴なり

日本も広い、北の方では未だ台風の被害が報道されているが、東京は久しぶりに快晴となった。熱帯性低気圧と称する台風が東北や北海道を襲うのだから、本州の果物やお米の産地が北上するのも当然かもしれぬ。お盆に沖縄に行ってきた友人によれば、逆に台風銀座の沖縄に台風が来ないのでサンゴが痛んでしまったそうだ。サンゴは水温が高い時期に海水が掻き回されないと腐ってしまうとのこと。今年だけの特異現象ならいいが、気象が完全に狂ってしまったとなると大ごとだ。

月半ばの終戦の日以降、ずっと雨やら低気圧に悩まされすっきりしなかった身体がやっとシャンとなった感じでもある。こんな日にこそ青空のもとルンルン気分で歩きたいのだが、友人に野暮用を頼まれ朝から終日車に乗せられてしまったので歩行数が全然上がらなかった。少しもったいないようで残念でもある。しかしこれから数日は天気も続きそうなので、ハイキングといかないまでも上野の展覧会場とか、皇居周辺でも散歩出来れば良いのだが。事務所閉鎖の準備ももう少しかかりそうだ。

ここで来月末をもって、東京電力との契約を解約しなければならぬことを思い出した。本日のブログはこれにて終わりにする。

2016年8月30日火曜日

95光年のロマン

海外旅行と縁が無くなってどのくらいになるか忘れてしまった。先日の大掃除で海外旅行用のカバン類も全て処分してしまったところだ。現在比較的長い旅行と言えば正月のお伊勢参りに、故郷長野への往復程度のものである。電車やバスでどんなに掛かっても精々4、5時間、乗り物の移動でも結構疲れてしまう。

先ほどネットで読んだ記事によると、ロシアにある電波望遠鏡が宇宙のかなたから「強い信号」を検知したことが明らかになり、科学者らの関心を集めているそうだ。電波望遠鏡の理屈も全くわからないが、この信号は地球から約95光年離れた恒星「HD164595」の方向から届いたとされる。光のスピードは秒速地球を7周り半と教わった。実際の距離が分からないので調べてみた。

秒速約30万キロメートルで、太陽の光が地球に到達する時間が8分20秒だそうだ。そのスピードでも95年掛かるのだから想像を絶する遠方の星からの話だから、長野に帰る何倍かなんて計算するのも面倒だ。これ正にロマンに満ちた宇宙を想像するいい機会なんだろう。宇宙は真空状態と聞いたが、無数の星があり、ゴミも沢山あるだろうに、どんなに強力であろうと直進しかしない電波がよく地球まで届いたものだ。

ことほど左様にこの世は分からないことだらけではないか。報道を聴いたり見たりしていると、何事も分かったような解説がついてくる。始末が良いか悪いか別にして、お天気でさえ予報がよく当たるようになっている。それでも今日は婆さんが病院、小生は千代田区での昼飯の約束をキャンセルせずに果たすことが出来た。婆さんは「天気予想」より自分の晴れ女を信じるのだそうだ。小生はそれに便乗しただけであるが、先のことなど余り心配しな方がいいのかもしれぬ。

2016年8月29日月曜日

世界の常識

このところ台風に翻弄され続けているような天気で、精神状態すらおかしくなりそうな東京の陽気だ。その影響でもあるまいが、総理はアフリカくんだりまで出かけて、お金をばらまく約束をしている。安倍家のお金ならいいだろうが、納税者としては本当に勘弁してもらいたい。このことについてもネット上では悪評サクサクだから、ここで触れるのはよしておこう。

先週のことになるが、どこかのテレビ局が政府の駆け付け警護の訓練を開始にあたり、専門家二人の意見を聞く企画があった。一人は髭の隊長さんこと自民党参議院議員佐藤正久氏、対するは現在はどこかの大学で教鞭をとる民間人だが嘗ては国連平和維持活動(PKO)の経験がある伊勢崎賢治氏。

二人の話は殆ど噛み合っていないと言える。佐藤氏はこれで自衛隊も国際貢献ができると胸を張るが、伊勢崎氏は自衛隊のままいくら派遣しようが、他国軍隊のお荷物が増えるだけで何の貢献にもならない。伊勢崎氏に言わせれば、駆付け警護なんて言葉も自衛隊独自のものらしい。PKOとして派遣されている施設部隊員も本来であれば襲撃されたら反撃しなければならない。しかし自衛隊の場合は反撃は歩兵の仕事で、施設部隊は反撃する武器すら持っていない。

自衛隊施設部隊が襲撃されてSOSを発信すると、先ず駆け付けるのは地元の警察、続いて国連軍の歩兵部隊が応援に来る仕掛けになっているとのこと。自衛隊の歩兵部隊が来るのはその後になる筈で、実際に自衛隊の歩兵部隊が役立つなんてことにはならぬだろう。要するに軍隊でない自衛隊が危険極まりない南スーダンで道路修理をするなんてこと自体が間違いだそうだ。

南スーダンは既に内戦状態として世界中が認めている。そこに派遣されているPKO部隊の殆どが、お金が入るので危険を承知で派遣している近隣諸国である。そんな場所に自衛隊を派遣しなくても、国連平和維持活動にはもっと日本にふさわしい仕事はたくさんある。佐藤氏は国連平和維持部隊の交戦規程Rules of Engagement(ROE)が新しくなって、施設部隊でも反撃でいるようになっていたことを知らなかったようだ。

否、知っていたかもしれぬが、それでは南スーダンに施設部隊を派遣できないのでとぼけたのかもしれぬ。

2016年8月28日日曜日

過去の話で済むのか?

不思議なことに最近になって福島県々南のある林業々者さんと縁が出来て、話を聞く機会があった。県南は特段の産業は無いが、終戦直後に植林された針葉樹が育って、森林資源が豊富な場所柄になっている。彼の事業はそれほど大規模ではないが、それこそ唯一の産業で個人企業として考えればそこそこと言ったところだろう。社長として10数人の社員とともに毎日元気に働いている。

ところが先週一夜食事をしながら話した時のことだ。お酒は進んでいたがこちら同様タバコは吸わないので「昔からですか?」の問いに対し驚くべき話が返ってきた。「いや、ごく最近まではヘビースモーカで1日に40~50本は吸っていたよ。ところが喉の調子がおかしくなって吸えなくなってしまったのさ。」

「あれはもう5年前になるか、2011年3月18日の早朝のことさ。役場からの電話で、浜通りの東京電力福島第一原発サイトへの緊急応援を要請された。この辺は津波の被害も無かったし、放射線も関係無しとされていた土地柄だ。そろそろ山仕事の準備に取り掛かっていたところさ。なんでも役場の話では、福一サイトは地震と津波の被害で足の踏み場が無いほど木材が散乱している。これを出来るだけ早く細かく断裁して整理をつけないことには人も車も入ることが出来ないので何とか協力願いたい。」

「この要請で山用の機材を車に詰め込み現場に急行した。そしてほぼ24時間近くぶっ通しで現場での作業をして帰宅することになると、東電の社員が来て、着ていった靴から身に着けていたもの一切、脱いで置いていって下さい。代わりのものは用意させて頂きます。までは分かったが、車やら山用の機材も全部同じとのこと。これには参ったよ。結局すべてのものを現場に置き去りにして家まで送り届けてもらった。もちろん車や機械については全部新品を買う金を支給してもらったし、手当は1週間分は貰ったと思う。」

「そこまでは今となれば笑い話で済む話だが、翌日から喉の調子がどうもおかしい。そうこうするうちに煙草がまずくて吸えなくなってしまった。今でもこの辺がおかしいのさ。」と喉の周りを手でなでる。酒を飲みながら妙にあっけらかんと話をするので、医者には通っているかなど、それ以上話を詮索しなかったが、小泉純一郎元総理がトモダチ作戦に参加した米兵の放射線被害を強くアッピールしている話を思い出した。関連して思えば福島県内の当時5歳以下の子供たちの追跡調査のこともある。

原発事故のアンダーコントロールが相当インチキ臭いことは周知のことではあるが、最高責任者が無責任に「アンダーコントロール」を口にすること自体、行政の無責任は想像以上に酷い実態であるようだ。

2016年8月26日金曜日

人物の表と裏

自民党二階俊博幹事長、この人物どこか得体のしれない人物とは思っていたが、参議院選挙直後だったか自民党総裁任期延長論をぶち上げたりしたので、よけい嫌な奴だと思っていた。しかし昨日の報道によると皇室問題に触れ、総理ご一統様が最も嫌う「女性天皇を容認」、更に天皇陛下自らが望まれている生前退位問題に関しても、総理が「この内閣で」で処理すべきと語ったらしい。殆どの政治家が「畏れ多い」を理由に、自らの考えを語らないこの重要案件についていとも簡単に意見を述べたことについては評価したい。個人的には有識者会議なんてことをだらだらやっても意味が無いと思う。むしろ与野党政治家同士の根回しの問題だろう。

総理も谷垣氏の後任幹事長に据えるぐらいだから、彼の政治的手腕には無視しえない何かがあり、味方に引き込む必要は感じているのだろう。しかし二階氏側が安倍氏に対してどれほどの共感を持っているかは別かもしれぬ。総裁任期延長論が単なるリップサービスだとすれば、相当な狸おやじだ。改めてwikiで調べてみると、顔は成程狸を髣髴させるが齢は1歳上の77歳で、大学卒業後すぐに議員秘書からスタートして、県会議員を経て一貫して政治家で進んできている。

多分二階氏から見れば、15歳も若い安倍晋三氏なんかは洟垂れ小僧みたい者だろう。自民党には安倍総裁よりキャリアも古い議員は結構いると思うが、何故か安倍応援団の「日本会議国会議員懇談会」に所属している者が多い。次期総裁を狙う石破氏なんかまで幹部に名を連ねているし、岸田外相自身は参加していないようだが親分の谷垣氏は大幹部になっている。引き換え二階氏は日本会議とは距離を置いているようだ。派閥の中には日本会議の議員懇談会に参画している者もいるが、あまり多くない。

そりゃその筈だ、彼は党内現役議員では今や数少ない中国、韓国通のようだ。来月4日から中国浙江省の杭州市で開催されるG20向け裏で相当活躍しているのではなかろうか。何れにせよ、何を考えているか何をしているか、本当のところは何もわからぬが、このような政治家がいないと困るのも事実。総理も相当気味が悪いだろうが、いざとなればお友達の若い連中では誰も役に立たぬだろう。二階氏にとっての問題は、肝心なアメリカとのパイプがどうなっているかだ。

何と言ってもアメリカほど厄介な国はあるまい。強かな政治家ともなれば、そんじょそこらの芸者以上の手練手管を用意しているとは思うが、「さんざ遊んで転がして、あとでアッサリ捨てるのね!ネー トンコ、トンコ」とならぬよう願いたい。

2016年8月25日木曜日

健康オタク

久し振りで強い夏の陽射しがそそいだので、ふと昨年の夏を思い出した。昨年の8月はあまり雨が降らず今日のように暑い日が続いていた。そんなことを何故思い出したか、昨年の8月は前立腺がん放射線治療のため1日も休まず病院通いだったから強く記憶に残っている。思えば早いものだ、次回1年の経過検査日は10月6日になっている。この検査でPSA値が1以下ならかなり安心できるのだろう。

今は排尿促進の薬を3日1回服用するだけになっているが、前立腺に関する自覚症状としてはかなり改善しているようだ。しかし問題は他の体力劣化である。
筋力の衰えは致し方が無いにしても、自分では確認できぬが骨なんかも相当劣化しつつあるだろう。今月初めに区から無料健康診断の案内が来ているので、10月6日の結果を持って隣の掛かり付け医に行くつもりだ。体重が増えて身長が低くなっていると言われるかもしれぬ。

今日は幼稚園時代からの古い友人から電話があり、来週昼に合うことにした。彼曰く「今年は夏の暑さに参って、遂に長野に墓参りもできなかった。」来週ゆっくり話を聞いてあげるつもりだが、こちらも何れは彼のような気持になってゆくのだろう。まだ自分は昼日中汗を流しながら歩くことは辛うじて出来ている。でもこれも時間の問題で、正直なところ段々辛くなっているのも否定できない。遠からず彼のようになるのは仕方があるまい。

逆に昨夜はまだ40代後半の現役の友人と食事を楽しんだ。働き盛りの現役だけに知識は豊富で話が面白い。何よりも食いっぷりと飲みっぷりが年寄り連中とは全く違う。何とかペースを合わせようと少し努力をしたが、すぐ無駄な抵抗と気付いて止めた。補給が効かないのだから身体が劣化するのは当たり前のことと改めて実感してしまった。いくら健康オタクを気取っても自然の摂理には抵抗の術はない。

2016年8月24日水曜日

過去の清算

事務所閉鎖の準備が着々と済んでいる。昨日は不動産屋に解約通知を出しに行った。大家の奥さんに何かと世話になったので「よろしくお伝えください。」と言うと馴染みの女子事務員が「大家さんもお嘆きになるでしょう。」とのこと。大家さんには顔を会わせるたびに、必ず何か差し入れを貰っていた。場所が良い上に家賃も安いので、後の借り手に不自由はないだろうが、こちらも手間のかからぬ程度の良い店子であったことは間違いない。不動産屋に言わせると「そりゃ引っ越しは大変でしょう。70歳を超して家を新築すると、すぐ死んでしまうと言われるのは、ありゃ引っ越し疲れですよ。」とのこと。分からぬでもない。

事務所においてある書籍は、明後日古書店に引き取りに来てもらう段取りが付いた。値が付くような本は1冊も無いことは分かっている。しかしブックカバーだけは外しておいてくれとのこと。書棚とキャビネットにしまい込んである本は背表紙が見えるようにしてあるが、箱に入れてあるものは買った状態のままだ。これが約300冊ほどあったろう。朝から床に座り込んでカバー外しで約1時間半。ブックカバーを外すと内容が記憶に蘇る本もあったり、全く内容が分からないものもある。中には改めて読みなおしたい本もあるが、そんなこと言いだせば整理はつかない。すっかり腰が痛くなってしまったので、接骨院に行って揉んでもらったら大分楽になった。

午後は先日亡くなった<むの・たけじ氏>の追悼ビデオを見た。今から5年前に収録されたものであるが、非常に見応えがある。即ち過去の清算に関するもの、是非皆さんに視聴をお薦めしたい。http://www.videonews.com/marugeki-talk/514/
氏は先の大戦の終戦当日に「国民に正しい報道が出来なかった」ことを理由に勤務していた朝日新聞社を退職したことはよく知られている。氏の話を聞くと、戦後国会図書館に通って自分の記事を全部チェックしたそうだ。結果、嘘を書いたことは一度も無いことは確認できたが、真実を書かなかったことが結果的に国民を騙したこと。更に指摘するのは、直接軍部から記事に関して強制されたことは一度も無く、全て自主規制であったことを率直に述べている。

そしてこの状況は現在も全く同じであろうと想像し、戦争で何が一番いけなかったかについてはっきり言っている。満州事変以降の15年戦争を通じて、日本人は全員自主性を失い、無責任になってしまったことに尽きる。確かに仰る通りである。

2016年8月23日火曜日

少年憧れの的

昨日のオリンピック閉会式で、次回開催地東京のデモストレーションに日本国総理大臣が突然現れたことに関して、スポーツの政治利用とか何とか大分評判が悪いようだ。総理も長い夏休みを取っていたので、存在をアッピールするには絶好の機会ととらえたのだろう。そんなことはどうでも良いとしよう。今日たまたま図書館に行って、いつものように借り出し図書の到着を待つ間、何となく小学生時代に愛読していた「少年倶楽部」をデジタルアーカイブで呼び出してみた。

何と懐かしかったことか、時は1952年の号を3冊ほどパラパラと見た。内容は何一つ記憶にあった訳ではないが、毎号冒頭に置かれた小松崎茂氏の挿絵(現代的にはアニメ イラストとでも言うべきか)がカラー印刷で今日でも結構なインパクト持っている。終戦から7年しかたっていないのに、テーマがロケットによる宇宙探検であったり、ヘリコプターによる魚群探知が描かれている。世界大戦での敗戦を全く感じさせない明るい絵柄であることが素晴らしいと思った。

またこの年はヘルシンキで第15回夏季オリンピックが開催された年で、春先からオリンピックの派遣選手のことが紹介され、秋になると結果が写真とともに掲載されている。今回のリオ大会が第31回だから、当時の写真がモノクロで判然としない選手の姿だけなのは仕方があるまい。小学校5年生の頃に当たると思うが、中には名前に覚えのある選手もいる。体操の小野喬選手は後に小野清子さんの旦那さんになった人の筈だ。跳馬で2位に入賞と書いてある。

春ごろの号には水泳の古橋選手の名前が出ていたのだが、何故かオリンピックには出場できなかったようだ。でも橋爪四郎選手は1500m自由形と800m自由形リレーで何れも2位入賞。他にも何人か銀メダリストはいるが、全く記憶になかったのはレスリング・バンタム級で石井庄八選手が金メダルを獲得していること。今回のリオでも日本選手はそれなりに活躍して国民を喜ばせてくれたが、60年以上前で、まだ敗戦気分が抜けきらぬ時代のことだ。

国民の喜びようは想像に余りある。水泳選手の写真何ぞ未だ6尺褌姿ですよ。因みにこの年の10月号にナンバーワン・グラフなるカラーページがあった。その1ページを4等分して紹介されていたのが、古橋広之進、白井義男、川上哲治、東富士の4氏。昔からスポーツ選手は少年憧れの的だったことがよく分かった。

2016年8月22日月曜日

宴の後

今朝婆さんが言っていた。「今年は夏らしくからっとした天気の日が殆ど無いようね。」二百十日とか秋の長雨はよく聞くが、子供たちが未だ夏休みの最中なのに、一度に三つの台風が本州から北海道にかけて接近するとはおかしな夏だ。地球の裏側のリオでオリンピック閉会式が行われていたが、ここでも雨が降りしきっていた。地球全体が気候変動に見舞われているかと思ったら、関係者は恵みの雨と喜んでいる風情無きにしもだ。外国のことはさっぱり分からない。兎も角2週間以上にわたったオリンピックも終わってしまった。

祭りの後に来るのは一抹の寂しさと相場が決まっている。長野オリンピックは1998年だからもう20年近く前のことになるが、故郷長野では宴の後は一抹どころではなく、地域経済が悲惨とも言うべき状況に陥ったことはよく知られている。ブラジルも国家の政治・経済状態が芳しくなく、開催前には相当懸念が持たれながらも滞りなく無事閉会式まで漕ぎつけた。改めて関係者には敬意を表し、他国のことながら長野の二の轍を踏まず発展することを祈念したい。

なんて書くと、他人の頭の蠅よりお前の国やお前自身は大丈夫かと笑われそうな気もする。個人的には来月事務所の閉鎖で、一時的に引っ越し費用が発生するものの、無駄な費用の垂れ流しを大分止めることになる。あと何年生きるか分からないが、これからは出来るだけ生活を縮小してお金を使わないよう心掛ける決心もついた。年寄りとしては当然ことだ。一方国家の方は相変わらず、お金のばらまきを企んでいる。為政者は無限にお金が湧いてくるとでも思っているようだ。

「俺を見倣え」と国の政策に口出すほどの見識は無いし、力が無いのが残念である。国は我が寿命を遥かに超えて存続しなければならない。存続の根本は何と言っても人口の確保だろう。2020年のオリンピックに備えてアスリートの育成も結構だが、先ず赤ちゃんを増やすことを考えないといけないように思う。そうは言っても人それぞれ、「先に楽しみ、後に憂う」のも一つの哲学だ。長い人生の中で出会った友人の中にはそういう哲学の持ち主も何人かはいた。いわゆる楽天思想で、プロ野球の球団名になるくらいだから、一概に悪いとは言えないだろうし、彼らの人生が傍から見て不幸に終わっているとも言い難い。

己ですら嘗てその傾向にあったことは否定できない。しかし最近は少し反省して少々悲観的になっている次第である。国家指導の立場にある人たちが如何なる哲学を持つか知る由もないが、2020年以降のことも十分頭に入れておいてもらうことを祈りたい。

2016年8月20日土曜日

身辺整理

今日はまた台風の影響とかで土砂降りと晴れ間が交互にやって来るおかしな天気になった。幸い昨日は1日晴れていたので、事務所の閉鎖に備えて自宅の片づけを大分進めることが出来た。自宅には書籍類を置かず、全て事務所に集中させていたが、それでも10数年の生活の垢は相当な量になる。一気にとはいかないが、婆さんの協力を得て2時間以上かけての大掃除である。

天皇陛下はお子さん方に対して、断念することの大切さを説かれたそうである。オリンピックのコーチや選手たちには無縁かもしれぬが、一般人にとって断捨離はとても重要な概念だ。婆さんもどちらかと言えば物を捨てるのが嫌いな方だが、流石に今回は意を決したようで協力してくれている。

自分個人は余計なものを持ちたくない性格なので、昨日は背広類から初めてゴルフ道具とか山登りの道具とか、あまり使わなかったものを含めて思い切った処分をした。これでゴルフや本格的山には行きたくなっても行くわけにいかない。娘が使ったピアノは未だ置いたままになっているが、長年反対し続けてきた婆さんも諦めて処分に同意してくれたので、引き取りの予約を入れた。

大分さばさばした気分である。昔故郷では両親が風通しが良くなると「せーせーした。」と口にしていたことを思い出す。積載量が0.5tの軽トラックにほぼ一杯のガラクタを処分したら、急に家が広くなった感じで、改めて我が家を見直すことが出来た。築60年近いボロ屋だが、終の棲家で十分通用しそうだ。昼日中に夜逃げもあるまいにと、隣の婆さんまで出てきて状況を観察している。やがて序にと思ったのだろう、境界線上の枝や、草むしりを始めたので、婆さんも付き合わないわけにいかない。

お蔭で婆さんは、夕方になると腰痛を訴えてぼやくことしきりだ。まだすっかり落ち着いたわけではないが、まあ、ボチボチ協力願うしかない。昨日1日で自宅の方が折角せーせーしても、1か月後に事務所からまた下らぬものを運び込んだのでは何もならぬ。来週以降は事務所のガラクタ整理に取り組まねばならない。

2016年8月19日金曜日

天才と指導者

もう2週間もオリンピック報道を楽しんでいる。もちろん日本選手の予想以上の活躍があればこそだ。いつも早朝5時半ころから2時間半くらいと、19時から50時半頃まで、途中観られない時間は朝30分、夜1時間くらいあるが、
テレビは殆どオリンピック報道で埋められていると言っても過言でない。これに高校野球とプロ野球を加えれば、我が国民は四六時中スポーツを楽しんでいる平和な国家だ。

スポーツとなるとやはり本場は英国になるのだろうか、メダルの獲得数では今日までのところ、あの中国と互角になっている。英国の人口は6300万人程だから、13億とも14億人とも言われる中国とは比べ物にならない。国家目標として学校教育でスポーツを特に奨励しているとも聞いたことは無い。対して中国は何事によらず、才能有りそうな子供たちを大勢集めて英才教育を施す国柄である。

この中国に英国が何故引けを取らないのか、興味津々だが取り敢えず置くことにする。我が国も4年後の東京オリンピックを目指して、今後ますます選手の育成に力が入るだろう。既に天才的なスポーツ少年、少女の目星はついているだろう。しかしその中から4年後にメダルを取る選手を見つけ、磨き上げるのは容易でなさそうだ。スポーツには詳しくないが、リオの報道を見る限り、どの競技においてもコーチの存在が大きいことが分かる。

シンクロの井村雅代コーチに言わせると「オリンピックには魔物が住む、なんて呑気なことを言ってはいけない。そんなもの居ないに決まっている。そんなこと考える暇があったら練習しろ!」だそうだが、女子レスリングの吉田沙保里選手なんか観ると、やはり魔物が居たようだ。魔物には栄コーチの神通力も通用しなかったようだが、女子レスリングの栄和人コーチの苦労話も相当なものだ。天才少年や少女がどんなに努力をしても、独学だけではオリンピックのゴールドメダリストになることは難しいように思う。

コーチの存在は無くてはならぬ。他人の素質を見抜き、欠点を補正しながら良い素質を延ばすのは教育と同じことだ。よく言われることだが、必ずしも現役時代の名選手である必要はない。柔道の井上康生コーチは東京まで頑張るだろう。今回頑張った体操・卓球・バドミントンのコーチはどなたか知らない。フェンシングは太田雄貴君がコーチになるそうだが、頑張っていい後輩を育ててほしいものだ。問題はコーチの更に上、そこらへんも若返りした方が良いだろう。

2016年8月18日木曜日

引っ越し準備

8月15日は快晴と相場が決まっているように思ったが、今年は何だかどんよりした鬱陶しい日だった。その後にこれも珍しく夏台風が本土に向かって迫り、一昨晩は関東をかすめて北上したとのことで、昨日は終日真夏の太陽が照りつけ異常な暑さだった。おかしな陽気だと思わざるを得ないが、友人曰く「これが温暖化の影響で、本来温帯であるはずの日本が亜熱帯化しているのだ。」

言われるとその通りだと思う。台風一過秋の気配を感ずるどころが、今朝未明から激しいゲリラ雷雨で、晴れたかと思うも束の間、一転俄かにかき雲って激しい雷鳴がとどろく騒ぎ。昼飯に出かけるとき胸騒ぎを感じてこうもり傘を手にしてよかった。10分と経たないうちに豪雨に遭遇、最寄りの店に飛び込んだ。小さな店は超満員で傘を持たない人も多かった。傘持参だったので食い終わってすぐ席を開けたまではよかったが、数百メートルの距離を歩いただけでずぶ濡れ。何のための傘持参だったか分からない。

1回の食事量は少ない方だと思うが、習慣と言う奴は恐ろしい。天気が悪いので昼飯なんか抜けばよさそうだが、朝昼晩と几帳面に3食ないと満足できない体になっているのが考えものだ。今の規則正しい生活リズムは、仕事も無いのに事務所を家とは別にして、そこに通うことから生まれたものだ。しかし来月中には事務所を閉鎖して家に帰るので、その暁にはどうなることやらである。

今週の頭からやや本格的に事務所の閉鎖と引っ越しの準備に入った。これが思ったより相当難儀なことだと気が付き始めている。事務所は狭いワンルームだから極力物を増やさずを心掛けてきたつもり。ではあるが、14年に降り積もった垢のような物は馬鹿にならない。先ず書籍の類、このブログに読後感を書いた本は僅か200冊、mixiに上がっているものを含めても334冊だが、この他に下らぬものが100冊は下らないだろう。

ネットで調べて引き取ってくれる古本屋に電話をした。以前にも経験があるので知っているが、引き取りは正に字義通りで、買い取ってくれはしない。要するに処分してくれるだけになる筈だ。それでも繁盛しているようで、直近で来てもらえるのが今月26日の午後に決まった。あとはNHKの解約とか、電話など通信線の解約、何れも手続きがなかなか面倒である。事務用品の移動には受け入れ側にスペースを作らねばならない。これには家人即ち婆さんの協力が不可欠。昨夜からぼちぼち始めているが、こちらも片づけは結構大変だ。あっという間に来月末が来るに違いない。

2016年8月17日水曜日

発言責任

卓球女子団体もメダルを取ることが出来て、めでたしメデタシだ。これで愛ちゃんも安心して太郎か外国人か知らないが嫁に行くことが出来るだろう。佳純ちゃんと美誠ちゃんは、愛ちゃんの気持ちが分かる齢になるまでは未だだいぶ年月がある。益々強気で頑張ってもらいたい。それにしてもアスリーとの言葉は聞いて気持ちがいい。多分嘘が無いからだろう。

残念ではあるが世の中にはその正反対の人間もいる。古今或いは洋の東西を問わず政治家の発言はどこまでまともに聞いていいものか、所詮一庶民には分からない。その上最近はメディアがこの発言を取り上げて、尤もらしく解説までするので、まともに受け止めなくてはと思う人も多いだろうが、後で聞くと「あの発言は何だったのか」と後悔することが度々だ。政治家の発言全てが眉唾だと断定するのも如何かとは思うが、結果において無責任である場合が多いことも否定しがたい。

大体小池都知事の選挙中の発言を初めから真に受けるほうが間違っているような気もするが、それは290万人の選挙民に失礼かな。そんな小さな話は兎も角、トルコのエルドアン大統領とかシリアのアサド大統領くらいになると、自らの命を懸けて嘘か本当か分からない言葉を吐き続けなければならないのだから、偉くなりすぎるのも容易なことではない。比較するに我が国の政治家は気楽なものだ。少しは考えてものを言っているつもりだろうか?他人の振り付けで踊ることを商売とする芸能人ほどにも責任感を感じられない。

いつも政治家の悪口ばかり書き連ねているので、たまには己を含め最もお気楽な庶民の立場を考えてみたい。民主主義ほど危険な思想は無いと看破した人がいたが、同感でもある。そりゃそうだろう。個人は特定されないし、常に安全な方向に靡いていればいいのだから、これほど気楽な立場は無い。それでも近年はブログなんぞが出現しているので、ある程度個人が特定できるが、政治家と異なり顔をさらす必要が無いのだから無責任にならざるを得ない。

そこで少しは反省して、責任の持てる言辞のみを弄したいが、言うに安くして実行するのは難しそうだ。

2016年8月16日火曜日

言葉遣い

事務所を9月いっぱいで閉鎖する準備に入った。序にこのブログもそろそろ閉鎖することになりそうだ。mixiで日記を書き始めてからもう10年を超えてしまった。家内から何度やめなさいと言われたことか、潮時はとっくに超えている。あと1か月かそこらイタチの最後っ屁のようないたずらを続けたい。ところで、いつも生噛りな小難しい言葉を好んで使うが、幼稚園や小学低学年の子供たちが新しい言葉を覚えたとき、意味も無く使いまくるのと同じことである。

大人になれば自身が消化しきった分かり易い表現をするのが当たり前で、作文を発表しようとする人間には、その心構えが無いだけで落第であることは分かっているのだ。いつものように己のことは脇に置く。昨日の終戦の日に当たって日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」での天皇陛下の「お言葉」と総理大臣の「式辞」を比べて読むと、学問を積んだ人とそうでない人の差が見事なまでに分かって興味深い。

陛下のお言葉は、恐らく小学校の中学年以上の子であれば直接聞いても読んでも、親や先生の解説無しに理解できるのではなかろうか。一方の総理大臣「式辞」は後期高齢者の小生が読むのに苦労するうえ、何を言わんとしているのか理解不能とも言える。義務教育なり高校レベルの国語の先生がこの作文を採点すれば、相当低い点になりそうだ。

「追悼」と言う言葉も少し難しいが、ネットで辞書を引いたら<死者の生前をしのび、その死を悲しむこと。>とあった。「反省」があるとかないとかについては、反省しないことを売りにしている人だから一先ず置こう。もっと基本的なことで幾つか感想を言おう。先ずお作法の問題、戦争犠牲者の死を悼む場所で、己が平和のために頑張っていると胸を張ってどうするのか?場所柄を弁えずとはこういうこと指すのだろう。

次に言葉遣いのご粗末さは先に述べたが、「戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊」この一文。正に悪文の代表とも言える。陛下の「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、」と比べると歴然である。総理は祝詞を真似た心算で書いただけだろう。総理のお友達も好んで使う「御霊」と「哀悼の誠」であるが、これほど白々しく聞こえるものは無い。おまけに「戦場に斃れられた」だと!故なく殺されて無念の思いの戦没者に失礼だろう。

比べるのも恐れ多いが、神主の総元締である陛下のお言葉のなんと分かり易いことよ。

2016年8月15日月曜日

負け戦

卓球女子団体戦が準決勝で負けてしまったようだ。福原愛ちゃんが泣いて謝ったようだが、泣くな愛ちゃん!未だ3位決定戦もある。そこで負けたら、強気の伊藤美誠ちゃんも含め3人肩を抱き合って泣くがいい。どうせ今日は日本にとって大敗の記念日みたいものだ。若い時から負け戦に直面するのも将来のためになるだろう。負けた時に監督やコーチに申し訳ないなんて言う必要ない。勝ち負けは君たちだけの問題だ。

昨日はテレビで終戦絡みの番組を2本観てしまった。1本はタイトルを忘れたが、終戦直前に長野県伊那の寒村から送り出された「満州開拓民」の悲劇、もう1本は映画「日本の一番長い日」の後半である。こちらは昨年封切られたとき劇場で観たが、何となく最後まで観てしまった。前者正に戦争の被害者、しかも軍人でないから戦死者ともされず、国家からの補償は何も無い、真の被害者。後者もまた最終的には「切腹」で悲劇仕立てにはなっているが、こちらは少なくとも戦争指導をした連中の話だから被害者とは言い難い。死んで責任を取るだけ昔の人は責任感が強かったかもしれぬが、本当の犠牲者はそれでも浮かばれない。

伊那の寒村から送り出された農民約90人の中に、たった一人生還した人がいる。僅か14歳で父母に代わって開拓民となったお年寄り(85歳)である。渡満後すぐに大人の男性は全員兵隊に引っ張られ、村に残ったのは女性と老人子供だけで敗戦の日を迎える。開拓地はソ連国境から遠く離れた吉林省だったが、日本降伏を聞いたとたんに中国人が開拓部落を襲った。開拓民は一団となって山に逃げるが、翌日はもう逃げきれないとして集団自決に追い込まれる。

その場面をお年寄りが淡々と語る「そう、母親に頼まれ少なくとも20人以上の子供の首を絞めて殺すのを手伝いました。」子供や年寄りを絞殺してから母親たちも次々に自決していく。彼も自決を図ったがうまく死にきれなかったようだ。農民だから武器は無かったのだろう。更に、この開拓団を送り出した村長子孫の話が続く。父は国策に沿って送らざるを得なかった苦悩を日記に書いていました。そして戦後は開拓民の安否を尋ね歩きましたが、結局どこの役所でも責任ある回答を得ることが出来ませんでした。

終戦翌年の7月に入って、近隣に居た開拓民から全滅の話を聞き、責任に堪えられなくなって、この鴨居で首をくくって死んだのです。広島や長崎の人たちは戦争犠牲者として国を挙げて弔ってもらえるが、こういった人たちは戦争の犠牲者にさえなっていない。どちらがどうのこうのと言う話ではないが、戦争が下らないのは勿論だが、国家自体が下らなく思えてくる。

2016年8月14日日曜日

愛国心

はっきり言って「愛国心」の持ち合わせは普通の人より大分薄いかもしれぬ。明日が8月15日なので、また政治家の靖国参拝が報道を賑わすことになるだろう。旧軍関係者にはお叱りを受けるか知らぬが、普段でも積極的に参拝したことは無い。敢て皮肉に言えば、普段九段のお宮に鎮まっている戦友の方々も、この時期はお宮を留守にして、お盆だから遺族のもとに帰っている霊も多いのではないか?

馬鹿を言ってはいけない、神道は仏教ではないのだ。と叱られるだろうが、日本ではこのように考えることは大いにありうるし、それが証拠にお盆の最中靖国神社が特に賑わうとは聞いていない。戦争犠牲者の気持ちもよく弁えぬお調子者の政治家が群れを成してお参りするから、マスコミが面白がって取り上げるだけのことに過ぎない。

お調子者の筆頭が総理であったり防衛大臣・総務大臣だったりする訳だが、何故か今年は参拝されないようである。行ってほしいわけではないが、行きたきゃ行けばいいじゃないか。普段中国を天敵のごとく言い募っている割には妙なところで遠慮するものだ。お宮さんへの参拝は正しく心の問題、不戦を誓うために行く人もいれば、国を守る覚悟を示すために行く人もいる。信教の自由が保障されている日本だから、それぞれの政治家が己の信ずるところ披歴してほしいものだ。

今朝テレビに出演した自民党幹事長を歴任した元大物政治家の古賀誠氏が「まだ先の戦争が終わっていない」と名言を吐いた。彼は遺族会の大物でもある。彼にとっての靖国は神聖侵すべからざる場所で、1日も早く天皇陛下にお参りしてほしいと思っていることだけは確かだ。その後朝刊の書籍広告に「尊米攘夷」なるタイトルがあった。正式な書名は「属国民主主義論」内田 樹 ・ 白井 聡 (共著)買って読むほどの気は無いが、こちらも古賀氏の言葉同様実にうまい表現である。

最初に断ったように愛国心が薄いので、今の世間に不満は数々あるが「もうどうでもいいや」の思いが強い。アメリカの走り使いに成り下がった現在の政府に対する不満なんか言っても始まらぬだろう。若い頃に思っていたのは「太平洋戦争の戦陣に散った先人の仇を絶対撃つべきだ。いつかアメリカ人どもを懲らしめてやる。」であった。しかし先日の天皇陛下のお言葉を聞くと、その思いも捨てるべき時なのかもしれぬ。

この国でただ一人の愛国者は天皇陛下だけで、残りは多少の違いはあっても小生と大差ない私利私欲の塊に過ぎないと思う。天皇陛下から見れば全ての国民が子供であっても、我が守るべき家族は非常に限られている。この際天皇陛下にお願いしたいことが一つある。陛下は自衛隊の式典等に臨席されないと側聞している。理由ははっきり知らぬが、政府の方に忸怩たるものがあるかもしれぬ。陛下の気持ちでこれを変更できるかどうかも保証はないが、むしろ今回同様積極的に意思を示されて臨席されてはどうだろう。

現在自衛隊は警察同様に国民にとって大切な役割を果たしているし、陛下の赤子であることに違いは無い。式典に臨席されてお言葉を述べられれば、隊員にとっても、国民から見てもアホな総理の訓示なんかより遥かに励ましになる筈だ。

2016年8月13日土曜日

読後感「漱石紀行文集」夏目漱石著

18歳位になるまでに、恐らく合計すれば5年以上は世話になった祖母の家の書棚に漱石全集が並んでいた。従って小学生の頃から、閑に任せて思いついてはそれを引っ張り出して読んでいたので、高校を卒業する頃になると20数巻の殆どに一応目を通したことになる。逆に言えば「吾輩は猫である」とか「三四郎」のように日本人の大多数が読んでいるであろう著名な作品を含め、漱石の小説をまともに読んだことが無いとも言える。

そこで今回故郷長野にバス旅行することに決めたので、旅の道連れにこの作品を選んだ。長短9編の作品からなる紀行文集である。うち3篇は外国について述べてている。最初に収められた「満韓ところどころ」は紀行文と言えるだろうが、続く2編「倫敦消息」「自転車日記」は紀行文と言えないかもしれぬ。紀行文は旅行記だと思うので、先ずいつ行ったかとの説明が欲しいが、3篇ともこの記載は抜きである。

「満韓ところどころ」は解説などから察すると明治42年の初秋らしい。日露戦争の終結が明治38年だから、終戦後間もない時期で、ロシアから取り上げた鉄道の経営(日本軍による南満州侵略)が軌道に乗り出したころである。当時この南満鉄道の経営に当たった2代目の総裁(中村是公)が、漱石の予備門(後の一高)時代からの学友であることから、誘われて赴いたことが分かる。日付等の記載はないが、行った先ごとの文章には構成されている。

興味深いのは漱石が満韓地方を訪れた時は、朝鮮併合の直前であって、満州鉄道と言う言葉あっても満州は中国東北部の一地方名に過ぎない時代のようだ。しかし既に日清・日露と2回の戦争を経て、日本はこの地方に大幅な権益を確保しつつあったことが窺える。このところ大分先の大戦の遠因を考えるようになっていたので、その歴史の一端に触れることになったのも有益であった。

この紀行はかなり長文であるが、漱石が明治40年来在籍した朝日新聞に明治43年に連載されていたらしい。それがその年の暮れに途中で筆を折ったような終わり方になっている。理由は伊藤博文氏がハルピンで暗殺され、国葬やらなんやらで、紙面割が取れずに何日も待たされて嫌気がさしたとのこと。当時のメディア事情を知るよすがの一つでもある。

「倫敦消息」「自転車日記」は南満紀行の大分前、漱石が官費でロンドンに留学していた時(明治33年~34年)の滞在記である。前者はロンドンの風物より下宿屋事情、後者は下宿屋の女将に勧められて自転車を習う羽目に至った顛末である。下宿屋との応答を通して、当時の英国人と日本人との関係も分かるし、漱石がノイローゼになった事情も垣間見えてくる。

残る6篇は何れも短編で、紀行と言うより単に随筆と言った方が良いものもあるが、大正初期の晩年に近いものまで収録されている。

どれを読んでも漱石らしい分かり易い書き方であるが、如何せん江戸末期生まれの方であるから、言葉遣いは些か古めかしいし引用する古事等は解説でも観なければ分からない。しかし明治初期の学生とその後の彼らの生き方が如何なるものであったかが少しわかった。そして漱石が漢籍や英語に関してやや天才に近い人であったこと、また生涯内臓(消化器系か)の病苦に悩んでいて、早死にしたことなんかも理解できた。

2016年8月12日金曜日

過去への思い

8月と言えばテレビでは懐メロ特集が放送され、今日は迎え火を焚いて先祖を自宅にお迎えする日。来週月曜には終戦の日がいつものようにやってくる。日本人にはそうであっても、厳密な意味での終戦は9月2日、日本政府代表が敵艦上にて連合軍に対する降伏文書にサインした日だ。当時のソ連が8月15日以降に北方領土を占領したことを憤慨する向きもあろうが、ソ連にもそれなりの理屈はある。今となればこんなことは知らない人の方が多いだろう。

話が逸れてしまったが、今年はリオ・オリンピックのお蔭で世間の関心も外交や戦争問題から遠のいていることは政府関係者にとっても結構なことかもしれない。その上尖閣沖で中国漁船の遭難救助と来るのだから笑いが止まらないかな。

こちらは久し振りに図書館に行って読書をしてきた。例によって100ページ未満の試し読みだ。書名 『忘れ得ぬ満州国』 古海忠之著 なかなか面白いが、流石アマゾンでにも在庫が無い。まもなく事務所をたたむので本は増やさない方が良いから、図書館に通い続けて読むしかないようだ。急に近代史に目覚めたわけでもないが、著者は、終戦まで満州国を実質支配した「二キ三スケ」の一人星野直樹氏一の子分だった古海忠之氏の自伝とも言える。

そもそも星野直樹氏は大蔵官僚で、古海氏も当然ながら大蔵官僚の出身。大学は京都で野球の選手だったそうだ。この人物の経歴が面白い。終戦と同時にソ連軍の捕虜になるが、何故か5年後に中京に引渡されても殺されず、合計18年の刑を終えて1963年池田内閣の時に復員してくる。ソ連では相当つらい目に遭ったようだが、被害者とも言うべき中国で殺されなかったのが不思議でもある。更に、帰国に際して周恩来首相と直接会見する機会が与えられ、帰国したら池田首相に伝えるようメッセージまで託されたようだ。

内容は簡単明瞭、アメリカ一辺倒から脱して本当の独立国になれ。そしてソ連や我が国と国交を回復すべき、そうすればソ連も我が国も再軍備には反対しない。この問題は簡単に解決しないだろうが、気を長く待っているよ。古海氏はこの旨を池田総理に面会して伝えたろうが、周恩来氏の希望はそう簡単には実現しなかった。10年後1972年の田中内閣で半分は実現したと言えるかもしれぬ。それからまた44年の歳月が流れている。

終戦から72年になる今、過去を知る人間は日中双方に殆どいなくなってしまった。互いの歴史認識のずれは大きく広がるばかりだ。どうすれば修復できるのだろう?

2016年8月11日木曜日

公務と夏休み

カレンダーで見てもおかしなところに祝日が設定されている。子供や学生は夏休みの最中、お盆前に休日を1日サービスしたつもりだろうが、実にくだらない。勤め人はお盆前後に休日のあるなしに関わらず、数日は夏の休暇を取るとしたもので、企業もそれは意識している筈だ。海の日があるから山の日だそうだが、次は川の日でも作るのか。国民生活への影響は何が考えられるのか、何も思い当たらない。こういった馬鹿げたことも政治家が思いつくらしい。

政治家の親玉は別荘で悠々と夏休みを楽しんでいるらしいが、これもちと解せない。少なくと天皇陛下は昨日、どこかの国の大使の信任状捧呈式に臨まれていた。陛下にとっては国事行為として義務化された行事だろうが、傍に突っ立ているべきは総理でなくては思うが、勝手気のままでいいらしい。代役を務めていたのは公明党の国交大臣である。常識的に考えて、外国の大使に対する礼も欠くだろうし、第一陛下に対して失礼の極みではないか。

憲法に忠実でありたいとする天皇陛下に対し、憲法を軽んじ改憲を目論む総理の精神的なギャップは恐ろしいものがある。目前に繰り広げられた現象は、口先では陛下の公務の軽減を言いながら、一方でゴルフに興ずる総理である。成る程総理には、陛下が国事行為をされる場合には必ず傍に控えるとの義務はないのだろう。多分創価学会員である閣僚の一人に代役を務めさせるになんか文句があるか、との気持ちを意識して強調しているのかもしれぬ。

安倍晋三氏を右翼と称する人の気が知れない。総理は平和日本の象徴としての天皇を認めず、元首になったら認めようとしているようだ。これは天皇の地位を傀儡として弄ぶことに他ならない。千年以上続く天皇家の血筋を尊ぶことを第一義におく昔気質の右翼からすれば、総理の考えは許せないだろう。選挙の勝ち戦に傲り、勝手気ままをどこまで続けるつもりが知らぬが、余り国民を舐めているとどこかで強烈なしっぺ返しが起きると信じたい。

2016年8月10日水曜日

帰郷


7日午後から人並みに夏休みのつもりで帰郷。長野行く前に松本市内のビジネスホテルに前泊、月曜日に長野在住の従妹と松本駅で待ち合わせ、絶好のハイキング日和に恵まれ、美ヶ原でハイキングをしてきた。1日1往復のシャトルバスが駅前から8:00に出ている。(復路は美ヶ原自然保護センター前16:30発)お盆直前の平日とあって客もそんなに多くは無い。バスに乗り合わせた人も精々20人にも足らなかった。

1時間15分ほどバスに揺られて降りると、そこはもう1900メートルもの高地。空は青く広がり長袖でも肌寒いくらいだった。最高地点は2千メートル少し超える。山頂とは思えない広い草原が広がり、放牧された牛がのんびりと草を食んでいる。山頂にはホテルが2軒あるので昼飯も持たずに訪れることが出来る。

高山植物や風景を楽しみながら終日なだらかな起伏を歩き続け、結局2万歩は越えてしまったので良い運動にもなった。老人のハイキングにはもってこいの場所であるのを初めて知った。

翌日の昨日は長野に行って弟2人と落合い、3人で墓参り。今年のお盆は失礼させて頂くことを報告。そのあと久しぶりに兄弟3人で会食、このところ飲みつけないので酒量が上がらず失礼をしたが、それでも和気あいあい近況を交換することができた。帰りのバスが高速道路の大渋滞(原因は事故による通行止めがあったらしい)に巻き込まれ、1時間半も遅れたが、昼の宴会の腹ごなしには却ってよかったくらいのもので、良い夏休みだったと言える。



2016年8月7日日曜日

早々に夏休み

今朝も朝から真夏の日が照り付ける。兎に角暑い。本来であれば日曜午前中はジムに行ってトレーニングをするのだが、今日はサボることにした。昼からバスで信州松本に向かうことになっている。旅のお供に「漱石紀行文集」も買った。明日は従妹に美ヶ原高原を案内してもらえるので、それを楽しみに今日はゆっくり休養日とする。

美ヶ原の後はお盆を繰り上げて墓参りも済ますことで、弟の打ち合わせもできた。交通機関が混雑する直前に老人の夏休みである。暫くはブログも休ませて頂くのでご了承願います。

2016年8月5日金曜日

私が観ると不思議に負けます

地球上に人類が出現してから何年になるか?50万年前に火を使った痕跡が北京で見つかっているそうです。眉に唾をつけようとつけまいと関係ありません。最近は地域を日本に限定せずに見れば、人類は増え続けています。これも幸いと考えるかどうか意見が分かれるかもしれませんが、下手をすると神奈川で発生した殺人鬼と同列視されかねませんので、これ以上は書くのはやめます。

人類の特徴に一つに、社会に依存しないと生存しえないことはどなたも否定しない筈です。誰もが常に何らかのグループに属して生きています。また考え方にしても同様です。そこで思うのは、如何なる理由でそうなるのか不思議ではありますが、自分の思いや考えが属するところはいつも少数派のようです。グループは2項対立とは限りませんが、敢て勝ち負けの2項対立で言うと常に負け組に居るようにも思います。それが傍にいると分かるのでしょうか。スポーツ番組なんか観ているときに、婆さんからもよく言われます。「あなたが観ていると負けるから別の部屋にいって。」またこれがよく当たるから不思議です。

日本のためには今夜から始まるオリンピック中継では、日本選手が出場する競技を出来るだけ生でテレビ観戦せず、結果が出てからの報道を見るようにするつもりです。

2016年8月4日木曜日

先生の教え

自民党のホームページに挙げられた教師密告フォーム「学校教育における政治的中立性についての実態調査」が一寸した論議を呼んでいる。詳しくご存じない方も多いと思うので簡単に説明しておこう。

このなかで自民党は、〈「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる〉と書き、〈偏向教育〉だとして通報させる“密告”のための入力フォームを設置した。しかもそこで「いつ、どこで、だれが、何を、どのように」などと具体的な情報を記入するよう求めるなど、完全に教育を統制しようとしている。

論議を呼ぶのは当たり前で、賛成の人もいれば反対の人もいることだろう。個人的には少しやり過ぎではと思うが、取り敢えず置いて我が老夫婦の昔話を取り上げておきたい。先ず婆さん曰く「小学校高学年になった時の先生の一言が未だに忘れられない。」先生曰く「人間は諦めが肝心。周辺をよく見てから己を見極めることが即ち<諦め>である。」

「だから私は諦めが良い。」は長年連れ添って朝晩食事を用意している小生への当てつけに聞こえなくも無い。流石にそこまでは口に出さなかったが「子供たちに頑張れと言ったことは無い。」と変な自慢を付け加えた。

こちらは小学校4年生の担任の言葉が奇妙に記憶に残っている。「人間の生き方で一番大切なのは<平凡>であることだよ。」当時はしてはいけないことばかりする子供だったので、図書室の前の廊下を走っているときに呼び止められて言われたシーンまで記憶にあるのが何故か知らぬが不思議でもある。

互いに「昔の先生はうまいことを教えてくれた」と、小学校時代の先生に思いを馳せたりした。どちらの先生の言葉も学習指導要領には載っていなかったことだろう。小生の時代は戦場から復員したばかりの先生も多かったので、国のために命を捨てる覚悟で戦ってきた、と言う先生もいたし、熱心に平和を説いた先生もいたような気がする。

そういった先生の生きざまや思想信条から何を汲み取るかは、子供によって異なるだろう。政府が先生を含め人間の思想信条をコントロールできると思うのは、それこそ偏向で危険と言う以前にお笑い種ではないか。

2016年8月3日水曜日

大臣の任

「先日の参議院議員選挙で落選してしまった大臣が二人も出たので」が理由らしいが、今日また内閣改造となった。今日までの安倍内閣の在任期間は、発足が昨年1月7日だから1年に満たない。中で初入閣した大臣を列記してみよう。
法務大臣 岩城光英・文科大臣 馳浩・農水大臣 森山裕・国交大臣 石井啓一・環境大臣 丸川珠代・特命担当 河野太郎・特命担当 島尻安伊子・特命担当 加藤勝信の8名。中には国交大臣のように新しい内閣で留任する人もいる。また丸川珠代氏のように閣内に残るが所管官庁が変わる人もいる。

今日までの内閣について成立経緯や何を目標に掲げていたかも忘れてしまったが、消費税増税を先送りしても余り盛り上がらない「アベノミクス」を旗印とする経済政策が重要課題だったろう。しかしその目玉政策を担当する甘利明氏(特命経済財政政策担当)が通常国会のさなか急に身体の調子が悪くなったことや、今年に入ってからは九州に大地震が襲い、通常国会も盛り上がらないと言うか消化不良の議論で早々に閉じられてしまったことを思い出す。この内閣を酷評すれば、碌な仕事もせずに大臣歴任の肩書だけが残ったと言われても仕方ないのではないか。

大臣のお仕事とは何か、寡聞にして存じ上げないが、自分の経験に照らして言いたい。嘗て務めた小さな会社で総員40人ほどの大阪支社に転勤した時のことを思い出した。もちろん小さな所帯だからワンフロア―で、総務、経理担当の3人だけが私の席の後ろに位置していたが、全社員と常に顔を突き合わせていたわけだ。それでも約半年は、仕事に対して殆ど口を出すことは無かった。むしろ出来なかった、が正確かもしれぬ。半年経ったころから少しずつこちらの意見も言い始めて、意味を理解してもらうにはまた半年ぐらいはかかったと思う。

大臣ともなれば零細企業の1支店とはスケールが異なる。ましてや与えられた宿題の重みは、身体全体を脳みそにして絞りぬいても追いつかぬほど重い筈だ。その任を与えられた時と解かれる時の思いは如何なるものだろうか?各大臣とも就任に際しては記者の前でコメントするが、辞任の時にこそ記者会見をすべきではないか。新大臣については一言いいたい人もいないわけではない。勿論任命者にも責任があるだろうし、今日のところは新大臣の活躍を祈ろう。

2016年8月2日火曜日

読後感「上海時代 上・中・下」松本重治著

最初にこの本に巡り合ったのは数週間前の国会図書館、何かのきっかけで上巻を50ページくらい(殆どが「まえがき」に当たる)読んだ。それですっかり引き込まれてしまい、帰宅してアマゾンから上中下巻3冊を購入して読んでみた。正に目から鱗のことばかり。読書歴の中で有数の名著かもしれぬ。

私は「先の大戦」と意味も分からず軽く使うが、物心ついた時にはその大戦も終戦だったので、実のところ何のためにした戦争か、どうして戦争になったのかなんてことは何も知ってはいない。特に、先の大戦は日本軍の真珠湾攻撃をもって華々しく幕が上がったような錯覚もある。日米開戦の原因はアメリカによる経済封鎖に堪忍袋の緒が切れた、と単純に考えていた。がしかし、やくざの出入りでもあるまいに、占領もできないことを知りながら何故はるばる太平洋を越えてまで、アメリカに殴りこんだかを不思議に思わなかったのだからお目出度い。

戦争は究極の外交交渉とはよく聞くことだ。日本の外交姿勢は明治維新以降ずーっと欧米を先進国として尊敬し、手本とすべく務めてきていた筈である。いくらドイツやイタリアと同盟を結んでも、その他のほぼ全世界を敵に回したのだから、愚の骨頂、馬鹿の極みだが、本書は国を挙げてそこに突っ込んだ原因をある程度教えてくれたような気がする。

非常に大胆に言ってしまうと「日本は欧米先進諸国に学び、アジアの近隣諸国に対して欧米先進諸国のように振る舞うことを欲して、それを米英ソなどに妨害されたことが最大の原因となったようだ。しかも日本人心理の底流に、数百年の長きに亘って、やはり師と仰いできた支那に対する忸怩たる思いが複雑に交錯していたに違いない。」

故に、近隣諸国を植民地化していく過程で、欧米諸国のように完全な功利主義を取ることが出来なかった。功利主義と書けばいかにも柔らかいが、アメリカや英国のオーストラリアのように、原住民を皆殺しにして土地をそっくり自分のものとするなんてことは出来なかったし、支那大陸に割拠した部族の親分集も、様々縁故があったので日本人には出来る筈がないと思っていた。結果的にはこれが日本の悲劇の原因だろう。

著者は職業ジャーナリスト、現在の共同や時事のようなニュース配信会社「聯合(後に同盟となる)通信社」の記者で1932年末から1938年末の6年間を上海支社に勤務した。その間の思い出を、戦後になってから記憶を辿って書き連ねたものである。彼は多分薩摩藩士族の流れをくむ名家の出身で、一高東大卒業後20代後半までは米欧の大学に学んでいる。その頃からジャーナリストを志し、帰国後聯合通信に入社することになるが、その前に重要な経歴がある。これが私の興味を大いに誘った原因であるが、1929年に京都で開催された第3回「太平洋会議」から5か6回目まで日本代表として参加したのである。

「太平洋会議」も初めて知ったのであるが、これが果たした役割の感想を書くだけでも膨大になる。一言だけ言えば、現在のダボス会議も及ばない充実した世界平和への研究会(The Institute of Pacific Relations)だったようだ。1925年から始まり第13回の1957年まで続いたが日本が参加したのは1936年の第6回まで。因みに戦後日米交渉の立役者のように祭り上げられている白洲次郎氏は、著者から見るとこの会のボーイさん程度だったらしい。兎に角、何故日本が戦争になだれ込み、大敗を喫して、尚且つ国体を維持しているのか。

wikiでは本書のことを著者の自己弁護とやや酷評しているが、先の大戦が1920年代から延々と連なる日本外交の終着点であったことを窺い知ると同時に、最近の近隣外交を含め諸々考えさせられた。

2016年8月1日月曜日

すい臓癌

何が何でも長生きすればいいと言うものではないとも思うが、昨今の平均寿命からすると61歳で亡くなるのはいかにも早すぎる。九重親方の元横綱千代の富士が、夏場所の途中から東京に帰って入院していたとは知らなかったので、昨日夕方テレビのニュース速報が流れた時は本当にびっくりした。これほど医療が進歩しても、すい臓癌だけは未だ克服されていないようだ。40歳前後に広告屋の営業と言う職業柄もあって、酒を相当飲んでいた時代がある。

しかも悪いことに44歳から大阪で単身生活になってしまい、飲酒に拍車がかかってしまった。そんな時のある日、腹から背中にかけて激痛に襲われ急性膵炎との診断で1週間か10日ほど入院してしまった。当然癌を疑われて検査も苦しかったが、癌の兆候は発見されず、取り敢えず最初の診たて通り急性膵炎と言うことで収まった。退院して挨拶に行った先の薬屋の社長の言葉が忘れられない。「あんた未だ40歳代だろ、癌だったら心配しなくても3か月以内に死ぬよ。」

昔からよく聞いたのは臓器の場所が診察しにくい場所にあることと、臓器の復元力が無いので、手術をしても体力の回復が難しいことだった。九重親方の報道を聞いている限り、すい臓癌治療法は30年ほど前から余り進歩が無いようにも聞こえる。たまたま当時入院検査をしたおかげで、その後の生活態度を随分改めた。結局生活態度を根本的に変えるには職業を変えるしかないと思い定めて、会社まで辞めてしまった。その結果かどうか分からないが、あと5年生き延びれば平均寿命に達することが出来そうだ。

あの大阪時代、亡くなった九重親方が大関から横綱に昇進する頃のことである。先に書いた薬屋さんが、大関の「千代の富士」に着目してコマーシャルタレントに起用したいとのこと。何故か理由は今でも知らないが、当時のマネージャーは銀座にあった出版社の広告担当役員が勤めに当たっていた。更にその先には日本相撲協会が控えているので、交渉にはいろんな思い出もある。でも結局は大関の快諾も得て起用にこぎつけたことを懐かしく思い出す。

2016年7月31日日曜日

行け行けどんどん

普段滅多に観ないのだが、昨夜NHK「百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~」なるテレビドラマを見て思った。

何事も一本調子で進むなんてことはあり得ないだろう。3歩進んで2歩下がる程度であればいい方で、相手があっての交渉などでは1歩進んで2歩下がるなんてことが起きても不思議はない。頭のいい人が相当努力を重ねても、その人の研究なり学業が右肩上がりで進むなんてこともあり得ない。スポーツ選手の成績にしても同様だろう。挫折して悩み、そこから新しい展望が開けてきて当たり前だから、曲がり角も無ければ挫折も無い人間が大成した話は聞いたことが無い。

ところがいつの世にも「行け行けどんどん」のお調子者がいるのも事実。この手の人間は自分で進歩したり進化している、或いは好転していると思いこんでいるだけのことで、冷静な他人から見れば水澄ましが同じ水面をくるくる回っているに過ぎない。お調子者がくたびれてダウンするのは勝手だが、集団の指導者がこれをやると周りに大きなな迷惑が及ぶ。典型的な例が戦前の日本の軍部かもしれない。

76歳の若輩なので残念ながら戦前を知っている訳ではない。今はもう戦前派とか戦後派は死語化してしまったが学生時代までは時々聞いた覚えがあって、当時「アプレ又はアプレゲール」と称されたいわゆる戦後派は大正末期から昭和初期生まれの人を称したらしい。戦前と戦争中の雰囲気を知らない我々は「新人類」である。従って話が少し脇にそれたが、戦前と一口に言ってもどの年代からを指すかも知らないわけである。

しかし近代史を少し読みかじったりして思うのは、昭和11年の226事件あたりから日本の陸海軍は相当に政治的発言力を増してきたことが分かる。軍部は既に、それ以前から満州国をでっちあげたりして相当無茶なことをやってきているが、遡り始めると朝鮮併合、台湾併合とか沖縄の琉球処分と、明治はおろか江戸時代にまでいってしまうので昭和11年から終戦までの10年間に限って考えたい。

この10年間、日本は中国に野心を抱いて侵略を始めたものの、一見バラバラで弱そうだった中国に思いの外手こずって振り回される。もちろん英米ソからの干渉もある。考え直す機会は嫌なほどあっただろうし、軍部にも警鐘を乱打した人もいただろう。しかしいつの世でも同じだが、常に威勢のいい意見が通って「行け行けどんどん」となってしまう。そして「とどのつまり」が敗戦で、アメリカに国ごと絡め取られてしまったのはご承知の通り。安倍政権の経済政策なるものの行き着く先を予言できる学者は一人もいないようだが、凡俗には今や政府や日銀から何を聞いても、大戦末期の大本営発表に聞こえてしまう。

土台になる実話があっても不思議はない。政権べったりのNHKにしては示唆の多いドラマをよく作ったものだ。

2016年7月29日金曜日

保育士さん

やっと梅雨明けが出されたようだ。7月も末だから例年より2週間近く遅いらしい。ま、遅くなっても季節は巡る、良くも悪くもそれが日本だ。この感覚があるので「朝が来ない夜は無い」とかなんとか諦めが早い。何をやっても中途半端で大成しなかった悪い癖も気候のせいにしておけば気が楽だ。

これから暫くは暑い日が続くだろうが、それもまた結構なことだ。近くにマンションに設けられている小さな保育所が2か所ある。今日は両方のマンションの玄関先に小さなビニール製プールが置かれて、保育児が嬉しそうに水と戯れていた。彼等より少し大きくなった頃だったろうか、泥んこになって帰宅すると、家に入る前に庭先に盥が持ち出されて行水を使わされたこと髣髴するシーンだった。

小生の時にそばにいたのは母だったり祖母だったりだが、現代子はそばにお友達が数人いてその傍らには保育士さん2人か3人がみていてくれる訳だ。保育園の実情は分からないし、幼い時に縁が無かったので的外れになるかもしれぬが、1歳そこそこで親から離れて一種の社会生活を送る経験を持つことは、子供の成長を促進する効果があるに違いない。

個人的に想像すれば、親から離される時にはギャー泣きしてしまいそうだが、さっき見た水浴びしている子供たちは嬉々としていた。保育士さんからすれば最初の現象は既定の路線で、それを乗り越える一種のテクニックを持っているから保育士の資格が与えられているのだろう。一見子供のお守りをしているだけだから気楽そうに見えなくもない。しかし職業ともなれば苦労もそれなりにあるだろう。感心すると同時に尊敬に値する職業だと思った。

2016年7月28日木曜日

時の流れと東京の風景

昨夜NHK・BSプレミアムで放送された「アナザー ストーリー」サブタイトルは正確に記憶していないが、内容は「国立代々木競技場の建設秘話」を観たが、面白くて見応えがあった。実はここが1964年に完成以来一度も行ったことが無い。しかし、昭和34年4月に上京して3年近く新宿に住み、山手線を使って通学していた関係で、印象的に思い出深い場所でもある。当時はあの場所はワシントン・ハイツと言われて米軍に接収されたままで、我が住まいと比べくもない小奇麗な住宅が立ち並んでいた。

また当時の国立競技場のプールは千駄ヶ谷の競技場内の室内と室外の2か所があり、大会が無い時は一般に安く解放されていたので、新宿に住んでいた関係から夏なんぞは特に涼を求めて泳ぎに通ったものだった。昭和30年代後半になっても、学生が自分の部屋に扇風機を持つなんて贅沢が出来る者は少なかった筈で、夏になると室外プールは長野の市営プールと同じように混雑していた記憶がある。

4月に上京して間もなく5月の末には東京オリンピック開催が決まった。当時としては大変なニュースであったろうが、こちらは学生だったせいだろうか、へ~てなことで大したインパクトが無かったように思う。理由は簡単だ。当時の東京は既に非常にダイナミックに動いていたからだろう。4月に来た時既に東京は、動き回った道は全面舗装されていて、とても下駄ばきでなんか歩く気はしなかった。にも拘らず、新宿の木造モルタルで6畳一間のアパートから数十メートル先の大通り青梅街道にでると、その舗装(田舎者からすれば貴重なものだ)が剥がされて地下鉄工事が昼夜兼行で進んでいた。

昼間道路は枕木で蓋がされているので分からないが、むしろ夜の工事の方が活気があった。オリンピック招致の決定でこの活気が東京全域に広がったのだろう。兎に角東京は日を追うように風景が変わるのが当たり前だったように思う。上京した時には東京大躍進のシンボルは東京タワーだったが、5年後を思えば代々木の国立競技場は躍進のギアが一段と加速されたシンボルだったに違いない。電車の窓からワシントン・ハイツが、あの一風変わった競技場に変化していくのを目の当たりにしながら、なにも思わなかったのだから鈍感すぎる。時代の流れの真っ只中に生きているとはそんなものかもしれぬ。

競技場を米国相手の土地の返還交渉から始めて僅か5年で完成させたのだから大変なことだったに違いない。今の政治家や実業家にはとても真似が出来そうにない。オリンピックがきっかけとなって東京が、いや日本全体がどれほど変わったことか。当時のオリンピック招致には国民の大多数を巻き込んでエネルギーを結集させるだけの魅力があったのだ。なのに今のオリンピックは何だ、終盤を迎えている都知事選の中にも「東京オリンピック2020」は時々顔を出す。出てくる話の大部分が都民には理解し難い利権めいた話の修正論議で、ワクワクするようなことは何一つ無い。

オリンピックがあろうとなかろうと、東京は日々変わってゆく。その変わり行く末に待つところが何であるかは知らないし、見ることも無いだろう。子や孫たちが見るのだろうが、その姿を彼らはどんな感慨をもって見ることになるのだろうか?

2016年7月27日水曜日

断捨離実行の時来たる

たまたま昨日の朝、デザートにみずみずしくて甘い桃のヨーグルトが出てきた。何でも婆さんが安曇平に住む友人から頂いたものらしい。今日昼飯を一緒にした友人との話題に「昔は桃と言えば甲府が相場だったが、最近は信州でも随分採れるらしいぜ。」を出すと、彼が相槌打って曰く「俺も昨日、美味そうな桃があったので買おうと思ったが、1個350円の値札を見て手が引っ込んでしまった。」美味しそうな果物は店頭に沢山あるが、お値段も結構であるのが昨今の倣いとのこと。

彼は奥さんに先立たれて一人住まい、買い物なんかも自分でするので、世の中の動向については遥かに敏感だ。その意味では大分遅れているし、極楽とんぼは否めそうにない。それでも財布の中身が日を追って薄くなってきている実感はあるので、昼飯代・書籍の購入・電車経路の選び方などに関して大分気を使うようにはなってきた。今更死に欲をかくつもりはないが、無一文になったのでは洒落にならない。

もう7月の最終週、1日延ばしに延ばして来た事務所の整理を始めなければならない時期になってしまった。溜めこんできたつもりもないが、気が付けば捨てるべきものが多すぎる。先ずは本からだろうが、さてどうしたものかだ。

2016年7月26日火曜日

都知事選も終盤

滅多に来ない都知事選の街宣車が回ってきたかと思ったが、がなり立てている文句を聞くと「都知事選候補者の○○です。都知事選に立候補している人間に碌な奴はいません。みんなで都知事選をボイコットしましょう。」と言っているみたいだ。言い回しはもっとソフトで女性の声だったと思う。都知事選は確かに21人も立候補しているので、候補者全員の名前は覚えきれていない。

早速調べてみたが流石に○○(確か山本なにがしと聞こえたような気がする)はいなかった。こんなことを聞く前から投票する気を半分失いかけているので、面白いことを言う奴がいるものだと思う。むやみに高い音量で街中を流すには当局の許可もいるのだろうが、この街宣は許可を取っていたのだろうか。

21人の候補者をネットで確認して思うのだが、世の中には閑とお金のある人が多いものだ。現在話題になっている小池、増田、鳥越の3氏以外の18人は冗談にしろ当選なんか考えてもいないだろう。婆さんに昨日聞いたばかりだが、宇都宮弁護士が立候補を断念した日に「200万円を用意して来た。」と言ったらしい。だから供託金は200万円だろうとのこと。

この大金も場合によっては没収されかねない。更に加えて選挙期間中の2週間以上は、街頭に立たないまでもホームページの制作やらなんやらと金もかかるし、肉体的精神的に相当なプレッシャーが掛かることだろう。何が悲しくてそんなことまでしなくてはならぬのか、どうしても理解できない。敷衍して考えれば、先頭を走る3人にしても何を考えているのか理解できないのは同じことだ。

増田氏が当選すれば少しは都政が落ち着いて、都政云々カンヌンはやがて記憶の埒外に去っていくかもしれぬ。小池氏が当選したら、都議会の連中は本気で抵抗するのだろうか?多分また違った局面になってなれ合うのかもしれぬが、今の延長線で行けば議会解散を断行してもらわねばならない。そしたら都政の混乱は相当尾を引くことになる。鳥越氏は当選しっこないので予想しても仕方がない。

森本総理に言わせると「オリンピックを政争の具にするのは良くない。予算が狂ってきているのは当初の見積もりが少し甘かったためだ。」そうだ。「何を惚けたこと言っているのかね、招致が決まったとたん国立競技場を壊す決定をしたのは貴方でないの?」諸悪は全てここに原点があるように思う。

2016年7月25日月曜日

何を今更「田中角栄」

何でも梅雨明けは週の後半になるらしい。今日も雨は降らないが、いかにも梅雨らしい蒸し暑い嫌な天気だ。いい気分で夏休みを満喫しているのは閣僚クラスの政治家くらいで、小学生の孫はプールもお休み(水不足の影響らしい)、だからと言ってもなかなか宿題に集中とはいかぬことだろう。家の中でDVD「トムとジェリー」でも見て楽しんでいるに違いない。

こっちも格別の楽しみが無いので録画してあったNHK「未解決事件・大型シリーズ」第5弾「ロッキード事件」でも観ようかと観始めた。この番組が言いたいことは、田中角栄氏は、全日空が次期主力旅客機に米ロッキード社製のトライスターを導入することを決めたことに絡んで、同機の輸入代理店である丸紅から5億円の賄賂を受け取った容疑で逮捕されてしまった。しかしロッキードの狙いは別にあったと言いたいらしい。

即ち次期対潜哨戒機P3Cの売り込みの方がはるかに大きなビジネスで、当時騒がれた以上の金が動いていたとのことである。NHKが大見得を切って打ち出したのだから、まんざら嘘でもあるまいし、そんなことは昔から言われていた話だ。何を今更の感じが湧いてきて途中でやめてしまった。日米間には昔から庶民が窺い知れぬ深い闇があるだろうし、現代の方がその闇はより深くなっているのではなかろうか。

ロッキード事件に登場した当時の役者は、三木内閣の官房長官中曽根康弘氏や若手検事だった堀田力氏を除いて殆ど故人になってしまっている。彼らが番組で何を喋ったか知らぬが、己の自慢話以外に肝心なことを話す訳もあるまい。現政権にとっても、どんな番組になろうと痛くも痒くもあるまい。先日も書いたように自衛隊は今でもアメリカから高価なミサイルなんかを買っている。思わせぶりな昔話をでっちあげるより、目前にある問題点を抉るような番組を作ってもらいたいものだ。

2016年7月24日日曜日

無法者の決まり文句「法と秩序」

アメリカの大統領選挙で共和党の候補者に推されたドナルド・トランプ氏。日本のメディアは、ご丁寧に「政治経験皆無の元泡沫候補者」と注釈付きで報道している。余程嫌われ者らしいが、彼は共和党大会の大統領選立候補者の受諾演説で「法と秩序」を繰り返し訴えたらしい。「法と秩序」は政治経験豊かな我が安倍総理もお好きな言葉だ。彼の場合は最近中国に向けて好んで使い、南シナ海における中国の行動を牽制している。(つもりらしい)

中國はこれを不愉快に思って「南シナ海とお前に何の関係がるのだ、余計なことを言うな。」と怒っているようだ。日本では最近中国に肩入れする人は少ない。こっちも肩入れするつもりもないが、70年一寸前までは我が日本があっちの海を全面的に支配してたことを思うと複雑な気分でもある。昭和18年には我が父もあっちに行き、昭和22年まで帰ってこなかった。法と秩序を無視した国家のお先棒を担いだことに他ならない。

父は生きて帰ってきたので幸いだったし、もうすっかり戦争のことなどは忘れてしまっている。さもなければアメリカ大統領選挙のことなんか呑気に書く気にならないだろう。民主的な世界を構築するためには「法と秩序」を守ることが大切であることは分かる。しかし、沖縄の人達は未だ戦中、戦後の苦労から抜け出すことが出来ていない。彼らは法と秩序に守られているのだろうか?

政府は選挙が終わったとたん、沖縄に対して何か非常に強権的な態度に出ている。用いている手段は警察力だったり、司法への訴えだったりするから「法と秩序」に基づいているつもりだろう。法と秩序に基づけば民意は無視できるとの考えらしいが、どこかに大きな間違いがあるとおもう。昨日の朝日新聞朝刊にアメリカ人のマイケル・オハンセン氏(ブルッキングス研究所・上級研究員)が辺野古問題について書いていた。

曰く、大方の日米政治家は辺野古以外の選択肢はないと言うが、間違っている。沖縄駐在の海兵隊を分散させて有事対応をする方法は他にいくらでも考えられる。アメリカには、こういうことを平気で言う人間のいるシンクタンクが沢山あるようで羨ましい。多様性を維持できなければ秩序も何も無いのと一緒だ。

2016年7月23日土曜日

亡国のゲームソフト

普段から地下鉄やJRをよく利用するのでスマホを持っている人が如何に多いかは十分知ってはいた。しかし今日は別の意味で、スマホによって街の風情が一変していることにびっくりしている。地下鉄最寄り駅(千川)から広い通りに出ると一寸した商店街になっている。そばには信号があって、渡るとスーパーとなる交差点があるのだが、この交差点にたたずむ人間が異常に多い。皆申し合わせたようにスマホに見入っている。

その中にスマホを見ながら歩道を自転車に乗っていた青年が突っ込んできて、柵にぶつかり転倒しそうになった場面に遭遇した。普段から歩きながらスマホを見ている人間はいるにはいるが、何十人に一人だろう。それが今日は道端に立ち止まったり、道路の柵に座り込んでスマホをに見入っている人が異常に多いので薄気味悪い。全員がそうではないかもしれぬが、例の「ポケモンGO」とやらに夢中になっている人間が大半ではなかろうか。

マスコミの取り上げ方も異常だが、政府の官房長官が定例の記者会見で触れるくらいだから、社会が受けるインパクトは政府も予想はしていたのだろう。この社会現象を放置すれば、単純に経済効果が高まるとでも考えているとすれば少し甘すぎないか。株高によかったことは認めざるを得ない。他には、従来のゲームは引篭もりになりがちなのに比べ、こちらは戸外に出るから健康的であると言う人間もいる。とんでもない間違いで、この現象は恐ろしいことだと思う。社会の秩序がどこかで毀損するだろう。

一方で「歩きスマホは危険だからやめましょう」と宣伝しながら、このゲームソフトの拡散を防止しないのは大きな矛盾ではないか。アメリカでは既に相当な事故が発生しているようだが、日本でも当然起きるだろう。既に配信を禁止した国は無いのだろうか?日本の行政は強権をもってこのソフト拡散を停止すべきだ。日本の企業が開発して世界的ヒットとなったソフトを日本政府が規制したら内外から轟轟たる非難が湧き起こり観光客も減るだろう。若い人の反発を食らうのも嫌ではあるが、敢て声を大にして主張したい。

2016年7月22日金曜日

先祖・先輩を思う

終日雨模様だったので、珍しく外出せずに事務所で過ごしてしまった。結果的には殆ど古い本を読んでいたことになる。全部で3冊になるが、どれも中途半端な読み方になっている。1冊だけは上中下3部作の上巻をやっと読み終えた。この本は昭和49年10月発行のもので、アマゾンでやっと入手できたもの。著者は大正末期から戦後にかけ活躍した有名なジャーナリスト松本重治氏、書名は「上海時代」。現代すっかり険悪になっている日中関係をはじめとして、戦前から戦後にかけての日欧米の外交、特に戦前は軍部を抱えた内政面の矛盾を知ることが出来る。

読んでいても確かに面白いが残り2冊を読破するにはなお相当の時間が掛かりそうだ。当分は下らない本を買わずに済みそうなので有り難いと言えば有り難い。1冊読み終えたので、一息つくつもりで、何年も書棚の隅にあって手にしていなかった古い本を2冊取り出してみた。1冊を手に取って表紙を開くと、見返しに「謹呈」我が本名○○へ、とあって父の名前が書いてある。父が亡くなったのはもう20年も前のこと。この本の発行はそれを更に遡る昭和58年11月の自家出版本「くらべ杖」―俳人小林葛古ーである。

父のサインの横に「注」とあって次のように記されている。「小林葛古翁は<父の名前>の母梅代の生家の祖先」父方の祖母は父が未だ南方で抑留されていた時に亡くなって、母と一緒にお葬式に行ったことは覚えているが、名前までは知らなかった。序ながら父方の祖父は小生が生まれた時には既に他界されていたようだ。従って何となく父方の先祖については馴染みが薄かったので、はからずも祖母の名前を知っただけでも有意義だったと思う。

もう1冊も大正14年生まれの方の自家出版本で、未だ存命ではあるがすっかり無沙汰を重ねている人の自分史的な読み物である。現代の世相が余りにも下らないので、先祖や先輩のことに思いを馳せてから現代社会を見直すことにも意味がありそうだ。

2016年7月21日木曜日

最近感じること

これから出かけるので少し早いが、昨今の世相から思いつくことを書いておく。

昨夜から雨が降り続いて気温も大分下がったようで、久しぶりにゆっくり休むことが出来た。年寄りには恵みの雨でも、今日から夏休みに入ったらしい小中学生たちはきっと拍子抜けがしていることだろう。子供たちもたまには家で読書などすればいいのだが、訳のわからぬゲームなんぞに現を抜かすことになるのだろう。ここ数日アメリカで大流行「ポケモンGO」なるものに関する報道が大統領選報道以上に多いが、意味がよく分からなくて困っている。

何でも日本の任天堂が開発したゲームソフトで、スマホにダウンロードして楽しむものらしい。電車の中でスマホをいじっている人を見ると、ゲームらしきものに夢中であることが結構な比率になる。それぞれにアプリなるものをダウンロードして遊ぶことになるのかどうか、スマホなるものを使っていないので分からない。多分囲碁ソフトなんかもあるのだろうが、パソコンの囲碁ソフトでも年寄りの目には悪すぎるくらい小さいのに、あの小さな画面を電車の中で取り出してまで見たくはない。

思えば物心ついて以来70余年、欲しいものは何でも手に入るようになった。家なき子は物語の中だけで、住むに家の無い人は殆どいなくなったに等しい。自転車はおろか自家用車でさえ持ったからとて特別の人だとは言われないだろう。家に電話が無くても家族一人一人が電話を携帯できる。冬でも豊富な野菜や果物を買うことが出来る。一生に一度の新婚旅行を熱海でなくて九州まで行ったなんて自慢話は昔話になった。今や行こうと思えば地の果てまで旅行が可能で、実際に毎年のように海外旅行を楽しむ人もいる。ラジオが無くてもテレビがある。

身の回りに無いものを探す方が大変な世の中だ。しかし己の中身だけは昔に変わらず、自分で努力しなければ変えることはできない。とは言っても、こちらも社会環境の変化で外からの支援が行き届き、昔に比べれば今の子供たちは頭も良いし、肉体的なものも我が時代を思えば月とスッポン、堂々たるものだ。その子供たち(或いは相当な大人も含めてだが)が、「ポケモンGO」の入手を心待ちにするのだから、それなりに意味があるものなんだろう。

アメリカで発売が先行したのかも不思議だが、近々日本で発売予定との話だ。ただ報道を分からないまま見聞する限り、これによって社会秩序が乱されたりする可能性が憂慮されているようでもある。事故が起こらないことを祈るばかりだが、世の中の進歩と言うものが分かり難い。我が身を振り返って一つ思うのは、心からの満足とは何かである。昨日から今月亡くなった大橋巨泉氏のことが大きく報道されているが、彼はこの世に相当な未練を残して旅立たれたらしい。

才能ある人は幾つになってもしたいと思うことが沢山あるのだろう。自分は幸か不幸か才能が無いので、もうお腹一杯の心境だ。ただ年齢とともに友情とか人情を深く感じる機会が減っていくことだけを寂しく思う。