2015年12月30日水曜日

今年も終わり

今年も余すところあと1日だけ。昨年は大晦日までブログを書いていたが、今年は明日の朝からお伊勢参りに出かけるので、今年最後のブログになるが、締め括りに相応しい格好いいネタは何も見つからない。個人的にはサンデー毎日であるが、世間も完全にお休みモードでどこ行っても活気が無い。忙しそうなのは我が家の婆さんで、毎年恒例ながら宿下がりして実家で年越しと正月のお勝手担当、連日の接客で明日から5日間は休む間もない超繁忙期となる。

当方は自宅に取り残された格好にはなるが、これも毎年のことで慣れっこになっているので特に不自由は無い。明日と明後日は伊勢参りで旅の空だし、2日と3日は娘家族が嫁の実家に来るので小生もそこでお正月を2日連続で祝う格好になる。家には留守番用の食料が豊富に準備されているし、夕食を外食にするのは今日と4日だけになるだろう。30日と4日であれば、華のお江戸の池袋だから店に不自由は無い。一昨日、日大板橋病院で前立腺がん治療の3ケ月検診を受けたが、特に大事は無さそうでもあった。

次回検診は3月28日になったが、これで異常が無ければ現在毎朝1錠服用している薬をやめてもいいかもしれぬとのこと。そうなれば、薬の服用が痛風予防薬の朝1錠だけになる。日大板橋の見立てでは、尿酸値も安定しているので、こちらもやめても差し支えないように思うとのこと。しかし、それではお隣の掛かりつけ医に行く理由が無くなってしまうので、と言うと、先生が「それもそうですね」笑いながら答えていた。確かに現代は、年寄りに限らないかもしれぬが、薬の飲み過ぎ、或いは医者の処方のし過ぎ感は否めない。

早く死んでくれと言われては困るのも事実だが、毎年医療費の抑制で政府が大騒ぎするのを見ていると、何処かピントが外れている気がしてならない。昨日は竹馬の友と昼飯で、久し振りに昼ビールになってしまったが、正月は酒を飲まない訳にはいかない。今年1年を無事終えそうなことを感謝しつつ、来年も家族共々健康で生活できることを祈りたい。

2015年12月29日火曜日

日韓関係修復を祝う

20世紀末までは世界の警察官を自認していた大国アメリカも、21世紀早々に自国をテロ攻撃されて以来既に15年、混乱を増す一方の世界情勢になす術を知らず、はた目には打つ手が悉く裏目に出ている感がある。恐らくはアメリカの為政者も、悉くではないにしても思い通りにいかないことが多いことを認めざるを得ないだろう。特に中東や北アフリカ問題は頭が痛いことだろう。そこそこ上手くいっていそうなのが東アジアかもしれぬ。

最大の問題児は北朝鮮だろうが、これの暴発を食い止めるために中国と韓国の協力が不可欠であることは素人目にもはっきりしている。中国との関係はまあまあだろうが、素人目には朴槿恵大統領の訪米時におけるオバマ大統領の歓迎ぶりなどを見ても、日米関係なんかと比較すれば遥かにましに見えるのだが、韓国との関係がしっくりこないところがあったのかもしれぬ。その原因の一つが日韓の不協和音だったようだ。

「歴史問題なんぞでごたごたしてくれるな。日本なんかこちらから言って聞かせりゃ何とでもなるから、いい加減なところで勘弁してやってくれ。」てなことだったらしい。当推量で書いているのだから的を射てないかもしれぬ。何れにしてもあれ程頑なに歴史認識に拘っていた安倍総理がいとも簡単に持論を引込めて、従軍慰安婦に関して日本軍の関与を認め、政府として公式の謝罪をすることになった。村山元総理ならずともお褒めの言葉を述べたくなるだろう。

しかも、昨日この問題に関する日韓外相の共同会見で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と難しい文言が述べられている。平たく言えば「蒸し返しはしません」である。日本のマスコミは現政府に優しいから「今後韓国はゴールポストを変更することはしない」と訳しているが、20年前に村山総理が決着をつけた問題を15年も経ってから「歴史問題」として蒸し返したのは日本の安倍政権である。

これは世界中の人が知っていることだから、中国外交部報道官発表にあるように「日本は侵略の歴史を直視、反省し、責任ある態度で問題を適切に処理するよう」なんて求められてしまう訳だ。何れにせよ、年内に問題が片付いたことは目出度いことだが、いつものことながらメディアの対応には不満が残る。子も孫もいない総理が「子や孫に謝罪をさせない」とか何とか言うのは勝手だろうが、せめてマスコミは「歴史問題」をもっと真面目に考えて貰いたいものだ。

愚考するに「歴史」とは永遠のものではなかろうか。己には75年の歴史があり、日本にも2675年の歴史、アメリカにも200数十年の歴史、地球には45億年の歴史と、数限りない歴史が今この世に生きているする数十億人の脳裏に刻まれている。この意識を特定の人間が「歴史認識」として共有することは可能かもしれぬが、結構難しいことだろう。まして人間の意識を蒸し返すとか蒸し返させないとか言える筈も無い。外交の難しいことは理解するが、国と国がいがみ合うことより仲良くすることの方が遥かに楽だと思うので、今後もしっかりやってもらいたい。

2015年12月27日日曜日

来年は孫が受験

歳末になって一寸考えさせられるメルマガがあったので、ご披露して皆さんにも考えて頂きたい。米国の大学教授をしている冷泉彰彦氏のもので、タイトルは「日本病への診断書」となっている。冒頭に日本人1人当たりのGDPが落ち目の三度笠で、25日に政府が発表した2014年の数値が36200ドルで、OECDに加盟する34か国のうち上から20番目(前年は19位から1位ダウン)。これは「統計が確認できる1970年以降」では最も低い順位であったことを引用。かつて英国病と馬鹿にしていた英国なんかの遥か後塵を拝するばかりか、近い将来には韓国にも抜かれて、先進国の名に値しなくなりそうな事態に警鐘を発している。

一人当たりGDPが低下しつつあることは政府発表を待つまでも無く、既に多くの人が指摘しているので特筆するようなことでもないかもしれぬ。注目したのは冷泉氏が指摘するこの急速な衰退の要因である。氏は次のように述べている。『この急速な衰退は、事故や怪我といった外的要因に基づくものではなく、内発的な「病気」であり、その診断が急がれると思うのです。その「日本の病気」つまり「日本病」とは何なのでしょうか? 少々長い前口上となりましたが、年末年始の議論の材料にしていただければ幸いです。』

以下かなりの長文になるので引用は省略するが、項目として以下の6項目が掲げられている。
(1)コミュニケーションと言語の特殊性
(2)上下関係のヒエラルキー
(3)東京一極集中は何故ダメなのか?
(4)産業構造が高付加価値型になっていない
(5)苦手でも金融をやるしかない
(6)無駄だらけの教育システム

昔から島国日本を自覚し、それで良いじゃないかと自嘲的に考えてきた。洋服に靴を身に纏っていても、やっていることは着物に下駄ばきで尺貫法を使い続けているに等しいところがあるらしい。我々世代はそれでよかったかもしれぬが、しかし否応なく世界を意識しないことにはビジネスも経済もままならぬ、即ち食っていけない現代になってしまっている。

冷泉氏が指摘した6項目は全て、日本の基準が世界標準を採用していないことを指摘するものだが、中で一番身につまされたのが6番目の教育システムに関することであった。即ち「日本の教育内容が若者の知性を鍛え、知識として蓄積されるようになっていない。」と断定している。小中高のみならず、大学に於いても教育の目的が、世界標準から見ると全くピント外れになっているらしい。欧米先進国に学習塾産業が存在すると言う話は余り聞かないように思うが、
確かに日本の教育システムには何か重大な欠陥がありそうだ。

2015年12月25日金曜日

今年を振り返る

今年も余すところ1週間を切った。そろそろ1年を振り返ることも必要かもしれない。てなことを思い、今年の小手帳を繰って改めて予定の書き込みが少ないことが感慨深い。特に6月から9月までは殆ど白紙の頁が続いている。別に驚くには当たらない、真夏は盆に田舎にも帰らず前立腺がん治療に専念してたわけだ。75年の人生には様々なスタイルの年があったが、これも多くの人が辿る通過点の一つだろう。

このがん治療専念で生活の一部も少し様変わりした。山歩きをやめ、水泳もやめた。やめたと言っても、山歩きを未来永劫やめる訳にはいかぬだろう。しかし今後は、従来とは楽しみ方を変えていくべきと思っている。事実この秋になって(10月20日)久し振りの山歩きをして、実感したばかりだ。来年も桜が咲き始めるようになったら、ボチボチ近くの里山に出掛けようと思う。水泳の方は事情が少し違うので、もう今後は泳ぐ機会が来ないかもしえれぬ。代わりに土日はジムで汗を流すようになったし、毎日極力歩くことに努めるようにもなった。

小手帳に記録は無いが反省すべき点がある。一つは読書量の激減。目も脳も大分老化してきているのだろう、本を読むのが凄く疲れる。まともな本どころか、小説なんかでも読み始めるとすぐ眠くなる。環境が整って座り心地の良い図書館でも2時間集中できればいい方だ。今後もこの傾向の改善は難しいだろうし、考えてみれば1冊の本を楽しむ時間が長くなるので、より経済的だと思えばいいのかもしれない。

も一つは読書量の変化と関係があるかもしれぬし、無いかもしれぬ。昼間暇に任せて夢中になっているネット囲碁が相当問題だ。対局数は1年間で1600局を超えてしまった。年間料金が2万2千円だから1局あたり10数円で安い暇つぶしではあるが、それにしてもやり過ぎだ。碁会所通いをやめてネット碁に切り換えたのが2010年のようなので、もう6年経つ。今年は少し夢中になり過ぎたきらいはあるが、過去6年間で合計6千局を超えている。少しは強くなっていればいいのだが、勝率はずっと49%で一向に強くならない。元々才能が無い上に勉強しないのだから当たり前かもしれぬが、情けない限り。来年からは少し反省する必要がありそうだ。

何れにせよ代わり映えも無く平凡な1年だった。来年もまた淡々と現在と同じような日々を送ることができるよう願うばかりだ。

2015年12月24日木曜日

嫌な予感はあったが

昨夜の「報道ステーション」(テレビ朝日21:55~)を観ていてちょっと不思議に思った。何故なら、今年最後の放送だとのこと。毎晩のように観ている番組だが、年末こんなに早く店仕舞いは恒例だったかな?都立高校や区立小中学校は昨日で終業もあったらしいが、テレビ番組も早々冬休みか。「いい気なものだ」なんて気持ちで観はじめた。毎晩のように観ると言っても、観るのは10:30迄で、それ以降は観ないで寝てしまうのが習慣になっている。35分あれば、その日の主なニュースは大凡網羅されるのが常である。

ところが何故か昨日の冒頭35分は、天皇誕生日関連報道に終始していた。中でも今上天皇の沖縄県に対する深い思い入れについて、かなり深く掘り下げ、報道にしては内容が濃かった。この番組は4月にコメンテーターの入れ替えがあり、特に3月一杯で降板した(させられた?)古賀茂明氏については世上論議を呼んだ。この件もあって、政権に屈するのかと少しがっかりもしたが、蓋を開けると新しいコメンテーターも結構な論客を揃え、今年度の国会のハイライト、安保法案関係では拍手に値する論陣を張ったので内心評価していたところでもある。

更に司会の古館氏が反安倍路線を明確にしてきたので、9時台のNHKニュースはパスして、夜の報道は専ら5チャンネルに頼って来ていた。毎年年末には大物が死んだりして、結構なニュースがある筈なのに、今夜から10日近くNHKしかニュースが無いのかとがっかりしていたところだ。ところが、先ほどネットのニュースに「報道ステーション3月一杯で司会の古館氏降板」が流れた。司会はコメンテーターではないが、このところ古館氏は相当明確に反安倍路線を醸し出していた。古賀氏の件もあったので大丈夫かと心配はしていたが、案の定である。

たまたま今日発表になってはいるが、彼としてはかなり前から覚悟を決めていたのだろう。後任に誰が来るか分からないが、残念なことだ。昨日の番組の「陛下の沖縄県への思い」は司会者古館氏の思いでもあったに違いない。天皇陛下の発言にまでイチャモンをつける現政権のことだ。いろんなルートでテレビ朝日には相当なクレームが来ていることだろう。辞めると決まれば古館氏に怖いものは無い筈、新年早々から国会も始まるらしいので、余す数か月、言いたいことを思いっきりぶちまけてほしい。

それにしても、TBS「ニュース23」キャスター膳場貴子さんとアンカー岸井成格氏降板の噂もまだ未解決。民放までNHKと同じ国営放送にされたのでは北朝鮮と変るところが無い、嫌な感じだ。

2015年12月23日水曜日

天皇誕生日

昨日が冬至、日の出から日没までが10時間も無いらしい。その上今日は朝からどんよりして小雨まで降り始め、4時半前なのにもう暗くなり始めている。天皇誕生日は快晴の日が多く、その年最後の山歩きを楽しんだ年もあったが、すっかり遠い昔の思い出になってしまった。陛下のお言葉を読むと、正に老骨にムチ打つような努力をされていることに頭の下がる思いだ。

陛下は7歳年長で、前立腺がんの他に狭心症の治療のため、冠動脈バイパス手術も受けられている。前立腺がんだけで、このところやる気をなくしている己と比較するのは畏れ多いが、年間千を超す公務をこなされていることを心からお慶びし、併せて末永いご健勝を祈ろう。

2015年12月22日火曜日

メディアの見識

昨日、来年度の予算が成立したとのこと。今年度の補正3兆3千億円と合計すると丁度100兆円。1千兆円を超える財政赤字を抱えながら税収の倍以上の予算を組む神経。図太いと言おうか、無神経の極み。特に腹立たしく思うのが防衛予算の伸び。長年法律か不文律か知らぬが、GDPの1%以内とした掟は何処に投げ捨てたのだろう?このことに触れているマスコミは未だ見つからない。

おかしいなと思っていたら今朝の報道(日経10:22)で、今年度の経済成長率の見通しを閣議了解と来た。内容は「国内総生産(GDP)の成長率は実質で1.7%、名目では3.1%を見込む。雇用環境の改善や賃金上昇などを受けて、景気の緩やかな回復が続く見通し。」となっている。流石に日経もインチキ見え見えの政府発表を垂れ流すのが少し恥ずかしくなったのか、最後にこう付け加えている。「ただ市場には、安倍政権が掲げる実質2%、名目3%の成長目標を意識して見通しを近づけたとの見方もあり、実現に不透明な面も残る。」

予算に関して内閣が自慢げにアナウンスする子供手当ての増額に至っては失笑するしかない。前政権時代のものを大幅に引き下げておいて、後からちっとばかり引き上げる。相手をぶん殴って怪我させてから「傷口に赤チンを塗ってやったのだから感謝しろよ。」と言っているようなもので、まるきりやくざ者の手口である。

こちらも自慢げにアナウンスされている今年度の税収見込み。54兆円で予算より7兆円もプラスになりそうと、報道は提灯記事を書くが、増えたと言う7兆円のうちの5兆円が消費税の増加分。先日書いたばかりだが国の税収は所得税、法人税、消費税が3大税収で、1位が消費税、2位が所得税、3位が法人税の順。法人税等の税収ほど当てにならないものはない。サラリーマンから源泉徴収する個人の所得税が減少傾向にあるとなると、これは本質的な税収不足に陥るのは確実である。法人向けには各種優遇税制が廃止どころか、ジャンジャン増加中なので、実際に法人税を真っ当に払っているのは、中堅から中小零細の企業群であり、国家の後押しを受けている企業が必ずしも、名目通りの法人税を支払うとは限っていないそうだ。 

市井のボケ老人が腹を立てて、ごまめの歯ぎしりみたいことを書いても糞の訳にも立たない。故に大手マスコミには高い見識を求めたい。消費税の軽減税率適用を受けると何も言えないでは困る。税金をまけてもらうのは構わないが、言うべきこと、例えば政府発表の虚偽発言や根拠が無い発言はちゃんと検証・指摘してほしいものだ。さもないとマスコミが政府の宣伝機関となり、戦前に逆戻りしかねない。

2015年12月21日月曜日

感覚のずれ、齢相応

小学校から大学まで、同期の友人にはパソコンを全く使っていない、当然ながら携帯のショートメール以外のメールは一切使わない人も少なくない。考えてみれば我々の現役時代は、味も素っ気もないメールなんて通信手段は相手に対して失礼とされていた。ビジネスでの必要性は全く無かったので、現役時代にパソコンに触らなかった方が普通だ。そして殆どの人が10年前の65歳でリタイアしたろうが、老後の生活にIT機器を取り込む必然性も無いから当たり前と言えばその通りだ。

小生の場合20年前2度目の転職で3回目の会社に行った時、やむを得ない事情があってパソコンと付き合う羽目になってしまった。だから普通のご同輩よりは少し現代の通信事情を知っているつもりはある。多分ご同輩の多くが知らないであろう「ユビキタス社会」とか「IoT」なんて言葉の意味も多少理解できる心算でもいた。友人たちに言わせれば「だからなんだと言うのかね。」で、余り自慢にもならぬかもしれぬが。

兎も角こうやってブログなんぞ書いているので、ネット情報を毎日のように観ている。従ってついて行く必要もない「世の流れ」に、内心では遅れていないだろうとの思いもあった。しかし今朝、ネットで見た「ネオマーケティング」に引っ掛かり、詳細を知るに及んで、やはり年相応に世の流れにはついて行けてないことが分かった。そもそも「マーケティング」なる言葉を知ったのは大学入学の直前で、高校時代には聞いたことが無い言葉だった。

そんな事を思い出しながら読み進めると、「LINE」についてのことだ。「LINE」はいじめの原因なんかで報道されているし、孫が高校に入った3年前から娘の口を通じて朧げながら聞いて、何となく勝手にイメージを作っていた。「ある種の仲間内で情報を共有できるスマホの機能の一つ」がそのイメージで、孫が中学時代バスケ部に所属していて、その仲間が別の高校に進学しても仲良くしたいために利用する他愛ないお遊び機能に過ぎない。と想像していた。

家族から聞いた話に基づいているのだから、この想像は合ってる部分もあるだろうが、次の記事を読む限りは正しい理解だったとは思えない。「LINE」が何処かの芸能プロダクションとタイアップして、漫才のライブを動画配信するサービスを開始した。そしてこれを常時100万人程度が観ているとの記事である。

以下引用
『<ネオマーケティング>これが国内5800万人の会員数を誇るLINEの力だろう。
 現在、日本の世帯数は5641万2140世帯(住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数、2015年1月1日現在)。このうち、内閣府の消費動向調査によれば、2015年3月現在のテレビ世帯普及率は97.5%。LINEの国内会員数5800万人という数字は、既に日本のテレビ設置台数を超えているともいえる。つまり、LIVEの「配信力」は、すでにほぼテレビと変わらない、もしくはそれ以上とも捉えてもよいのかもしれない。

LINEというメッセンジャーサービスとの相性がうまくあえば、その爆発力は計り知れない。テレビを超えた配信力を持った今、その配信力で動画やニュースといったコンテンツを配信するLINEの破壊力は、もしかすると、自宅からテレビを消す勢いさえ持ちうるのかもしれない。』

ある種の仲間内が、日本の全世帯数を上回る5800万人の会員に膨れ上がっているのだそうだ。驚きと同時に感覚のずれを痛感した。

2015年12月19日土曜日

健康維持のため

今年も余すところ1週間ちょっと、350余日は短いようでもやはり長い。代わり映えの無い日が続いているようでも、思い返せばいろいろあった。一番に特筆すべきは4月に後期高齢者の仲間入りをしたこと。医者代が1割負担になったことは有難い。これで保険料を只にして貰えれば言う事ないが、月に2万2千円から2万3千円引き落とされている。厳密には計算していないが、年間の医療費(保険料と薬代も含め)は多分35万円から40万円の間であろう。

高いと思うか安いと思うかであるが、仕事をしている時は国保の保険料だけで年間55万円か60万円支払っていたことを考えれば、がんの治療費を含めてだからかなり安いとすべきだろう。兎に角、健康を意識し続けた1年であった。健康のためと思って多分20年以上続けてきた土日の水泳を、7月一杯でやめたのも大きな変化だ。決断の基になったのは、普通の人には無い塩素アレルギーがあると意識したせいである。

この塩素アレルギーはお医者さんが見つけてくれた訳ではない。昨年あたりからプールに行った日に限って鼻水とくしゃみで風邪の症状が発現する。内科に行っても耳鼻科に行っても、当然風邪と診断されての処方となる。火曜日あたりになると治るのだが、どうも薬が効いたせいでもないように思いはじめた。アレルギーの検査もしてもらったが、花粉とかダニのアレルギーは発見できなかった。そこで「もしかして塩素アレルギーて考えられませんか?」と尋ねてみると、アレルギーはどんなものに対してもあり得ますとのこと。

普通の人が何ともないのに、自分だけが苦しむ理由を考える中で思い当ったことがこれ。遥か昔の未だ中学2年生の時、理科の実験で塩素ガスを作成(硫黄に何かを混ぜたような気もするが、実験内容は忘却の彼方)していた時のことだ。担任の先生が「かくしてできるガスは非常に危険な殺人ガスだから、試験管を直接鼻に近付けてはいけません。」先生注意を無視して、してはいけないことばかりしていた悪ガキの頃である。試験管から直接ガスを吸って呼吸が出来なくなり、大騒動になってしまった。

今でも先生がご健在で同窓会の度にその話が出るから、先生も慌てことだろう。
兎に角、保健室からお医者さんに連絡したが、お医者さんもそんな患者に来られても困ると思ったのだろう。中和剤を嗅がせて安静にさせるしかなかったので、その後放課後まで保健室で寝ていたものだ。その後遺症がアレルギーの原因だろうとやっと思い至った。人体は一見頑強で回復力も強そうだが、古傷は身体の奥に潜んで100%の回復は難しいのかもしれぬ。

他にも突き指やら打撲やら古傷が痛むことはままある。身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也。とはよく言ったものだ。8月から、土日は水泳の代わりに、ジムでマシンを使って1時間だけ歩くことにした。お陰で今のところ風邪っぽい症状は全くでなくなった。何れにせよ来年以降も健康維持が最大のテーマになるだろう。

2015年12月18日金曜日

何の工事か知らんが

部屋の前の道路を掘り返している騒音と振動が凄くて、おちおち部屋にいることが出来ない。朝から図書館に行っていたが、居心地が良すぎて居眠りしてしまった。館内の食堂で昼飯を食べていたら、後ろの席からオバサン二人の会話が聞こえてきた。「昨日も今日も忘年会だけれど、私は失礼することにしているの。いつも見ている人とお酒なんか飲みたくもないわ。」この図書館の職員らしい。

今年も余すところ1週間か。すっかり忘れていたが、職場ではいろんな単位で忘年会があったな。自己負担もあったし、会社が丸抱えもあったような気がする。今はどうなっているのやら、恐らくスタイルも大分変わってきていることだろう。

適度な寒さで天気が良いので、国会周辺を暫し散歩して事務所に戻る。当然がら工事の騒音と振動はは継続している。今日は特段書きたくなることも無し。早いとこ事務所を出て帰宅しよう、小春日和の年の瀬だ。

2015年12月17日木曜日

矛盾だらけの政策

今日から少し冬らしくなるようだが、暖冬異変は老人家庭にとっては有難い。野菜が育ちすぎるとか季節外れの花が咲くとか不都合は数々あれど、年寄りには暖かいのは何よりだし、暖房費も大分助かるだろう。家計関連で不思議に思うのは、政府がスマホの料金について何やらイチャモンを付けていることだ。スマホとは無縁ながら、携帯の料金が下がること自体に文句をつける気はないが、それは政府のすべき事かどうかだ。

社会主義国家でもあるまいし、民間企業が数社存在して、陰で談合があるかも知らぬが、互いに競争しあっているのだから選択は消費者に任せるべきだろう。もし談合めいたものがあるとすれば、その排除の為には公正取引委員会なるれっきとした機関が存在している。そこに委ねるべきだろう。なのに態々内閣だったか総務省に有識者委員会を設置して云々と報じられている。、選挙対策での人気取りとの意見も聞くが、こんな事で国民の人気が得られるものだろうか。どう考えても余計なお世話そのものと言わざるを得ない。

現政府のなす事には鼻持ちならぬことが多いが、与党の28年度税制大綱が決まっての発表が嘘くさくて嫌になる。曰く「2016年度与党税制改正大綱は、消費増税に伴って導入される軽減税率を除くと、国と地方をあわせて全体で年400億円の減税になる。」マスコミは如何に検証能力が無いとは言え、どんな気持ちでこの発表内容を垂れ流したのだろうか?要するに、税制なんてものは国家に都合よく決められるものなので、全体で減税だと財務省が発表すれば、何の疑問も湧かないのだろうか?配偶者控除の廃止とか重税感が増している一般国民の感情は無視して「はー、左様でありますか、有難き幸せ。」としか書きようが無いのか。

政府の意思決定は矛盾だらけだ。1250万人の年寄りに来年1人3万円を配る「臨時給付金」が決定する一方で、小さく報道された「子ども手当の廃止」なんかこそ、国民生活を直撃する大問題ではないか。どの面下げて出生率向上を言うのか、矛盾も甚だしい。マスコミの記者の殆どは大学出で、困窮する生活感とは無縁のことだろう。しかし「社会の現実をもっとしっかり見極め、政府の発表はきちんと検証して、しっかり批判できる識見を持て。」と言いたくなる。

2015年12月16日水曜日

税金狂詩曲

このところ連日のように、再来年の春実施されると言う消費税増税(2%)の際に導入される予定の「軽減税率」に関するマスコミ報道を賑わせている。昨日も自民党ポスターで笑ってしまった話を書いたばかりであるが、「軽減税率」の話題も笑わせてくれるとしか言いようがない。内容については生半可な知識しか持ち合わせないが、要するに複雑怪奇であり、消費者にあまりメリットが無い割に、納税者である中小企業事業者の負担が大きいことだけは詳細を見ずともはっきり分かる。

それでも、ことが公明党の要望に端を発しているので、首相の鶴の一声をもって決めたとのこと。未だ整理しなければならぬ問題が山積しているようだが、これまでに要した日数はかなり長い。その間、マスコミは無意味な報道を延々垂れ流し続けたので、先の国会での混乱、即ち安保法制関連での与党の横暴はすっかり鳴りを潜めた感がある。政権幹部が意図的に仕掛けているのだろうと思うが、国民は忘れっぽいとたかを括ったのか。

その上最近流されている(与太)情報、来年予定されている参議院選挙に合わせて10%増税の棚上げ発表で衆議院も解散、衆参同時選挙実施→自公の圧勝→憲法改正に進む。馬鹿馬鹿しいとも口惜しいともか思うが、何でもありの魑魅魍魎の世界だ、現実化しかねない。何れにしても国民がここまで舐められては、怒ることさえ忘れて、笑わずにはいられない。

ことの序でに消費税なるものについて少し調べてみたので、ご参考までに掲載させて頂く。先ず2015年度の税収の内訳は所得税16兆円・法人税11兆円・消費税17兆円で、25年前(1990年)の構造は所得税27兆円・法人税19兆円・消費税が3兆円とまるで違っていて、所得税、法人税が激減して、消費税だけが突出して拡大しているのだ。法人税について政府は消費税増税時にさらなる引き下げを明言している。何と丁寧に国民を痛めつけて法人を大切に扱うことか。これで国家の経済が良くなり、国民が幸せになるなら目出度い限りだ。

2015年12月15日火曜日

諦めが肝心・果報は寝て待て

自民党は財政が豊かと見えて、選挙でもないのにあちこちにポスターが張られている。しかもそれが結構頻繁に更新されるのでお気づきの方も多いだろう。安倍総理の顔がでかでかと印刷された最新版のキャッチコピーは『経済で、結果を出す。』となっている。「あんたに言われなくても経済は全て結果だよ」と、つい半畳を入れたくなった。自公政権の経済政策がこれまでに成功していると認める人は少ないと思う。

しかし政府が出来る経済政策なるものを考えてみれば、所詮は国民から税金をどんな手段でいくら集め、それを如何に国民に還元するかに尽きるだろう。となれば、政府に与えられている選択肢はそれほど多くは無い筈で、なかなか上手くいかないのは当たり前のことかもしれない。いつも自公政権の悪口ばかり書いているが、自公政権だから上手くいかないのではなく、誰が政権に座っても日本はもうこれ以上経済なんか成長しないのではないか。

経済学者の藻谷浩介氏が前から指摘する通り、人口減とりわけ労働人口が減っていく中でデフレから脱却なんてことは土台無理な話、には改めて共感を覚えずにはいられない。しかし、未来永劫に経済成長が止まるのもなんだか寂しい話だ。今後政権を担う人にはもう少し長期の経済ビジョンを語ってもらいたいものだ。枕をどう表現するかは悩ましいだろうが、「当分は経済成長は無理です」と枕に付けることが出来れば政府も大分気が楽になるだろう。「もっと別なことを考えましょう。」とでも言えば何か知恵が出そうな気もする。

愚考するに、経済発展のためには国内に新しくて力強い産業が起る必要があるだろう。分野は何でもいいかもしれぬが、兎に角未知の分野からの発想で生まれてこなくては駄目だ。これを生み出すのは若い人の役目で、言っちゃ悪いが年寄りの頭では絶対と言っていいほど無理だろう。最近で言えばホリエモンとか楽天の三木谷氏あたりかもしれぬが、好みで言うと余り好きになれない。もっとまともな産業を起こしてほしいものだ。若い起業家を育てるにはどうすべきかだ。

先ず第一は一定の年数(最低10年や15年)を掛けて、母数となる子供を増やす努力だろう。それには睡眠時間の長いことが必要らしい。日本人の睡眠時間は韓国人と並んで世界的に見て最も短いらしい。長い方の1位2位が南アフリカと中国とのデータなので、「だからどうした」の感無きにしもではあるが、政治が何を出来るか真面目に考える必要はあろう。無責任なこと言えば、不景気が続いて貧しくなれば、自然に子供は増えるのかもしれない。何故なら自動的に睡眠時間が長くなるのではと思うからだ。

現在経済成長目覚まし国はどこもハングリーな国だ。きっと子供も多いことだろう。思えば、戦後日本がめざましい経済発展を遂げたのも。突き詰めて考えれば貧しさ故ではなかろうか。ご先祖様が外国や世界銀行からやっとの思いで金を借り、歯を食いしばって頑張ればこそであって、金持ち面で偉そうに外国に金をばら撒く国になってはお終いだ。大人はもう何もかも諦めて、子や孫の代以降に期待するしかなさそうだすよ。

下手なお笑いにお付き合い願いました。

2015年12月14日月曜日

発言への責任と発言の真実味

旧暦の今日は赤穂義士討ち入りの日。元禄時代と現在では暦が異なるので、極月半ばの14日と言っても季節が1ヵ月か2か月ずれているそうだ。それにしても変に暖かくて、師走の実感がわきにくい。しかし今年も余すところ僅か。「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と問われて何と答えるべきか。とてもじゃないが「明日待たるゝ その宝船」とはいかぬ。身体の劣化を強く感じざるを得ない年の瀬だ。

この週末はスポーツ界で若手選手の活躍が目立って、嬉しいニュースが多かった。中で特筆大書すべきは羽生結弦選手のバルセロナで行われたフィギュアスケート・グランプリファイナル男子シングルでの活躍。演技は圧巻としか書きようがないが、330点を超える史上初の点数を確認した途端に思わず流した涙に彼の胸の内の全てが洗われた居たように思った。試合後のインタビューでは、試合前に襲われた強いプレッシャーについて淡々と語り、いつものことながら応援してくれているスタッフやファンへの感謝が実に良い。殆どのアスリートが似たような発言をする。

この大会には日本人選手が12人中5人も出場した。浅田真央選手の不調は残念だったが、何と言っても世界中の選手の中で選ばれるのは男女それぞれ6人ずつだけだ。他の4人の活躍も専門的な目で見れば大いに賞賛すべきところも多いことだろう。例えば女子の宮原知子選手は2位に入賞しているが、その得点は荒川静香選手がトリノオリンピックで金メダルを獲得した時より遥かに高いらしい。それだけ競技界全体のレベルが上がっているらしい。そんな世界で高みを目指すと言うことは生易しいことではない筈で、嘘やごまかしが通用しないことは明らかだ。

それがインタービューなどの発言に自然と現われるので、観客も感動を覚えるのだろう。それに引き換え同じ週末に報道された政治家の発言。二題話となるが、一つは、二年後の消費税再引き上げ時に軽減税率適用に関する自公の与党協議の大筋合意を受けて、自公両党の幹事長がそろい踏みで会見。発言内容は『軽減税率適用についての合意はしました。』後を敷衍すれば『後は野となれ山となれです。』と極めて無責任。

二つ目がインド訪問中の安倍総のインドのモディ首相との会見を受けての発言。こちらは『原子力協定の締結について実質合意したほか、インドの高速鉄道計画への新幹線方式の導入で合意するなど、日本とインドの「新時代」を掲げていて、両国の関係強化に加え、個人的な親密さもアピールした形です。』と報じられた。こちらは自慢たらたらで、自国で廃止を目指すと称する原発施設を、核非拡散条約に入らず核爆弾開発を進める国家に売ることについての反省は微塵も無く、無責任の極み。

アスリート言葉が胸に迫り、政治家の言葉がむなしく響く昨今を困った世の中だと思っていたら、今朝次の記事が目についた。『先週9日の水曜日、憲政記念館で、民主党政調会長代理/立憲フォーラム幹事長の辻元清美衆議院議員の「政治活動20年」の集いの際、拉致被害者の会の蓮池透さんが次の発言をしたとのこと。「安倍晋三という人は拉致問題を政治利用して総理にまでなった。しかし、私の弟を含む拉致被害者5人が“一時帰国”した時に彼らを帰さないと決断したのは安倍さんだということになっているのは嘘で、彼は何にもしていない。』政治家の発言が心に響かないのも無理はない。

2015年12月11日金曜日

テロとの戦い

昨日、作家とよぶべきか、往年のマルチタレントと称すべきかは兎も角、野坂昭如氏が亡くなった。雑誌に連載されていた雑文は随分読んだ記憶もあるし、ごく最近でも月刊「新潮45」に毎号掲載される<だまし庵日記>は読んでいた。しかし小説らしきものはそれ程記憶に残っていない。10年少し前に脳梗塞で倒れられてからは長いリハビリ生活だった筈だが、ご家族も含め本当にご苦労様でした。年齢が丁度10歳上の85歳。ご冥福を祈る。

老夫婦が孫のことを話する時よく話題にするのが、3人いる孫の考え方の相似性。小学1年生も高校3年生も精神年齢的に余り差が無い。と言うのは社会が豊かになって、同じ食い物を喰って同じようなテレビ番組を観ているせいだろう。ところが、1930年生まれと1940年生まれの小生では、精神構造において物凄く大きな差があるように思う。それは野坂氏が度々語っているような戦争経験の差に由来するものだろう。

野坂氏も小生も戦場には行っていないが、母の背中ではないにしても、母に手を引かれる状態で認識した戦中戦後の世界と、自分の身体を通して実感した世界ではインパクトが比較にならぬ程大きいに違いない。その差はあるが、それでも野坂氏が戦争に反対し、日本の現状に危機感を持っていた気持ちは分かるような気がする。しかし、小生より15歳ほど若い総理大臣閣下あたりになると、小学1年生の孫と精神構造に於いては大差ないのかもしれぬ。

そんなことを考えるに、世界の指導者となると年齢層が更に下がるので心配は増える一方だ。欧米先進国は口を揃えて「テロとの戦い」を叫んでいる。勿論我が総理も大賛成のようでもある。外国で多発しているテロは、その被害が一般市民を巻き込んでいるだけに、見るだに悲惨なものとしか言いようがないし、犯人は許されざる者たちであるのも論を待たない。

しかし、その犯人の逮捕が難しいからと言って、犯人の故郷と思しき場所をミサイルで攻撃する精神構造には理解しかねるものがある。もし犯人が日本人だったら、日本にミサイルが飛んでくるのかね。シリアがどんな国か知らぬが、曲がりなりにも主権国家であることだけは間違いない。余計なことだが、九州の有力紙の西日本新聞は8日付の朝刊1面トップで、〈日本、アサド政権『支援』 シリアの電力整備に25億円〉との見出しでデカデカと報じているそうだ。

そこに宣戦布告も無しにミサイルを撃ち込む神経は何を考えているのか?イギリス議会でも多数決での承認が得られたとは言え、反対もかなりの数ではないか。日本の識者の中にも、戦争ではテロが解決できないとする意見の人は多い。小生も全く同感である。テロの根絶に関しては国連も機能不全のようだし、野坂氏最後の言葉(下記)が身に沁む思いである。

「昭和十六年の十二月八日を知る人がごく僅かになった今、またひょいとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。」

2015年12月10日木曜日

身辺整理

最近テレビで聞く耳慣れない言葉に「しゅうかつ」がある。就職活動ではなくて「終活」と書くとのこと。パソコンの変換には出てこないが、ウィキペディアにはちゃんとある。<「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。>と書いてある。人生の終りを考えねばならぬ年頃なので、家ではしょっちゅう死に際の段取りを話す機会が多くなっているし、今年は喪中はがきが一段と増えているような感じもある。

また、最近機会が少なくなってしまったが、たまに古い友人と会っても、話題がどうしても病気自慢とか親の介護など暗く不景気な話からそっちへ向かうことも多い。先日も親しい友人と食事をした時もそうだった。彼は何事にも手際が良いので遺言状も制作済みで、墓の手当てをし始めているらしい。小生も子供時代から掃除の手伝いをかなりさせられたせいか、どちらかと言えば身辺が整理された居ないと落ち着かない性格である。

従って彼に倣ってみるのも一つかとも思のだが、遺言て何を書けばいいのだろうと考えてしまう。たまたま昨日だったか、夕飯時にテレビで遺言状作成を薦めていた。そこで婆さんに「俺にはこの家以外何も財産らしきものが無いし、特に言い残したいこともないから遺言状なんか書かないからな。」と宣言した。おまけに、墓については田舎に両親や兄弟が眠る墓があり、そこに入れてもらうことはずっと前から決まっている。最近は納骨する時に骨壺のまま納める家も増えているようだが、我が家は骨をむき出しで土中に埋めるので、墓が満杯になる心配もない。むしろ墓守りが居なくなることの方を心配すべきかもしれぬ。問題は葬式だろうが、これとて残ったものが考えれば済むことで、あの世に旅立つ人間が指示することでもあるまい。

遺言状とは少し違うだろうが友人の中には、いまわの際について「俺が倒れた時には救急車を呼ぶな」とか「救命措置はするな」と家族に言い置いている人もいる。要するにあっさり行きたいとの意思表示だで、それも一つの見識には違いない。しかし考えてみると、仮に家で意識不明になった場合に救急車を呼ぶなは、家族に酷なような気もする。この話を聞いた翌日にも婆さんと話をした。「これから先、いつどこで倒れて意識不明になるか分かったものじゃない。そこからはこちらとしては何もできぬので面倒を掛けるが好きにやってもらうしかないな。」

婆さんは「私が先に逝くから心配しないで。」とか何とか言っていたが、互いに以前から入る墓だけは意見の一致を見ている。婆さんはへそくりがありそうだから遺言状を書いてもらった方がいいかもしれぬが、こちらにはその必要が無い。とすれば、先日の友人が言うには「君が死んだ時には俺に一報くれるよう、奥さんによく言っといておくれ。」があったので、友人知人への案内の出し方を話しておくことが必要だと今気が付いた。

2015年12月9日水曜日

分からないことだらけ

そもそも経済のことは分からないことが多い。4半期ごとに発表となるGDP統計なるものについて、先月半ばの7-9月期の速報値が「実質で前期比0.2%減、年率換算では0.8%減だった。4~6月期(年率換算で0.7%減)から2四半期連続のマイナス成長となった。」と発表されたが、4-6月期も年率換算で7.3%減だったため、7-9月期で2四半期連続のマイナスになったそうだ。

何でも、一般的にはGDPが2四半期連続で縮小するとリセッション(景気後退)と定義されるらしい。景気が良くなっているとの実感は前から無いから驚くには当たらないが、政府や日銀が、それでも景気が上向いているとの前提に立つ姿勢を改めないことの方が不思議に思う。尤も、日経新聞の民間エコノミストへのアンケートでも「年内は足踏みで回復は年明け以降」と予想する人が多いらしいから、不思議に思う方が間違っているのかもしれぬ。

いつも書いていることながら国の景気がどうであれ、私生活には余り関係無さそうなのでどうでもいいが、今度は世界的に見て原油の相場が下がって世界経済が混乱しそうとのニュースだ。原油の需給バランスがどうして変動するかも理解できないが、兎に角バランスが崩れて供給過剰で値崩れが起き始めているらしい。こちらは我が家でも実感しているところで、先週からやっと使い始めた石油ストーブの燃料費が、今年の春先に2000円近かったのが1400円台にまで下がったそうだ。

大いに結構なことで、自動車のガソリンも大分安くなることなど考えれば、経済全般に好影響が出ると思いきや、少なくとも株式市場では好材料として受け止められていないとのこと。これまた不思議でならない。新興国の経済が打撃を受けそうなので引きずられて日本の経済に悪影響が及ぶとされている。石油製品が安くなると新興国の経済が何故悪くなるのか?新興国経済が我が国に及ぼす影響とは何だ?輸出が影響で減るとでも言うのか?

兎に角分からないことだらけだ。そして所詮株式市場なんて場所は、小生のような貧乏人と無縁の場所のみならず、実体経済とも相当かけ離れていそうだ。

2015年12月8日火曜日

12月8日朝のニュース

74年前の今日12月8日早朝、NHKのラジオニュースがこのように報じた。「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。」続いて昼頃には「我が軍は今朝未明から香港の攻撃を開始しました。大本営陸軍部、きょう午前11時40分発表。我が軍は本8日未明、戦闘状態に入るや、期を失せず香港の攻撃を開始せり。我が軍はマレー半島上陸作戦を敢行しました。大本営陸海軍部、12月8日午前11時50分発表。我が軍は陸海緊密なる協同の下に、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。」

ニュースに接した国民の大部分がこれを歓迎して沸いたように伝えられている。最近では、この報道を冷ややかに聞いて、不幸な未来を予想した人もいたことが明らかにになりつつあるが、極めて少数派で世間の空気に抗しえなかったであろうことは想像に難くない。当時は未だ1歳半の赤ん坊だったので、ニュースも、それを受けた家庭の雰囲気も記憶には無い。両親や兄達からもその日の気分を聴いた記憶が無い。今にして思えば少し残念であるが、家族の気持ちは国民一般の平均値であったことだろう。

そう言えば父が、戦後しばらくして次のように言っていたことを思いだした。父は、今にして思えば戦局が悪化し始めた昭和18年8月に南洋(バリ島)に出征した。「出征するまでは大本営発表を信じていたよ。しかし現地に到着後暫くして、軍部の発表は必ずしも真実でないことに気が付いた。ひょっとすると戦に負けるかもしれないとも思ったよ。」当時を思えば、現代日本は当時と異なり、一見非常に安定して平和な国家であり、慶賀の至りだ。しかし、考えると当時と似ている点が一つある。

言うまでもなく「大本営発表」即ち政府の公式見解である。政府が国民を欺くなんてことはあり得ないと思いたい。しかし、知らしむべきことを知らせないのも一種の欺瞞であろう。日米の密約とか、公式な約束事で、あちらでは公然化されていても日本側で発表しないようなことが度々あるらしい。まして、経済指標とか沖縄の辺野古問題などでは、意図的に誤った情報を流していることがネットなどで明らかになることが間々ある。

こういった問題をチェックして正しい情報を国民に伝えるのが、今日マスメディアの大きな使命である筈。もし欺瞞を知りつつそれを明らかにせずば、何れ昔辿った泥沼に国民を誘導しかねない。74年前のラジオや新聞と比較ならぬほど肥大化したマスコミに、くれぐれも自覚を求めたい。

2015年12月7日月曜日

読後感「財務省と政治」清水真人著

副題に<「最強官庁」の虚像と実像>が付いている。著者は日本経済新聞社の政治部と経済部の両方を経験した経済解説部編集委員とのこと。まだ51歳の現役らしい。今年の9月15日発行になっている。レシートの日付が11月9日なので、1か月近くも読了しなかったのだから、かなり読みにくかったとも言える。政治にもそれなりの興味を持ち、嘗ては大蔵官僚と多少付き合いがあってのことだから、大衆受けはしないだろう。

次に<まえがき>の冒頭を引用する。
「それは全く意味の無い仕事だ。武村正義官房長官にいくら話を聞いても、何も分かる筈がない。なぜなら、我々大蔵省は、官房長官に重要事項は何上げていないのだから」1994年3月2日。政治部記者だった筆者が経済部に移り、大蔵省担当になった翌日のことだ。先輩の指示でさっそく、主計局幹部が住む東京・目黒区の公務員住宅に朝駆けに及んだ。車に同乗させてもらって、先月まで官邸で官房長官を担当していたと自己紹介した途端に「意味の無い仕事」と一刀両断されてしまった。

現在このような記者が多いのかどうか知らないが、知る限りでは大手の新聞社や放送局では政治・経済の両部を経験する記者は少ないと思う。しかし日本の政策決定は、官僚とその上に乗っかる形になっている内閣、即ち政治家との微妙なバランスで形づくられてきたことだけは間違いない。その官僚にも序列みたいものが存在して、嘗ての大蔵省、現財務省が予算を査定する役目を持つことから、一頭他から抜きんでているのも事実だ。

その上に徴税機能があるが、その税金を勝手に決める訳にはいかず、税金は立法府で決定される完全な政治マターである。ために財務省は政治と密接な連係プレーが必要になる。この歴史について知り得たところを経験に基づいて記し解説している。政治と一口に言っても、主に睨むところは当然時の内閣、財務大臣や総理大臣が主になるのは当然である。しかし、内閣はある意味で、常に不安定な状態にあり、いつ代わるとも限らない。

しかし、財務省的には常に年度ごとに予算を編成しなけれならない訳で、単年度毎に税収の見通しを決め、それに見合う予算を各省に配分する重要な役目があり、これをきちんとタイムスケジュールに載せて毎年回していかねばならない。そのためには、他の省のように財務大臣だけに説明をして済む筈も無い。内閣全体はおろか与党野党から、諮問会議の主立つメンバーに至るまで相当幅広い根回しが必要となる。

与野党で意見が異なるのは仕方ないだろうが、最近の例に見られるように野党がいつ何時政権を取るか分からないからそれなりの気も遣うだろうが、与党内でも、官邸と党との意見の違いなんぞは常日頃の話だ。本来政策決定は政治家の役目ではあるが、特に今の政治家を極言すると、自分のこと選挙のことしか頭に無いので、国民目線でものを考えたり、国家財政の歴史や長期の展望に無関心とも言える。

財務省官僚はその意味では大分ましだろうが、それでも予算編成のタイムスケジュールを守るために、政治家に妥協もするし、最終決定には従わざるを得ない実態がよく著されている。

2015年12月4日金曜日

今は亡き「長者」と番付

暖冬ぽい日が続いていたが、やっと北風が冷たく吹く冬らしい日になった。寒さには弱いが、全く無しで済ませる訳にもいかないだろう。友人からは早くも来年2月末のスキー会の案内が届いた。スキーを滑るのは、毎シーズン恒例となっているこの会だけなので、断る理由は全く無い。但し今回からは会期3日のうち、実際にスキーを履くのは2日だけで申し込んだ。山歩きもそうだが、もう歳でもある。元気な仲間も多いが、己についてはよく分かっているつもり。無理はきかないし、今更自分に無理を強いることもない。ただ多くの古い仲間と昔話で盛り上がることだけが楽しみだ。

昔話と言えば、机の近辺を整理していたら面白いコピーが見つかった。多分図書館で、週刊誌かなにかの資料をコピーした時の切れ端のようだ。本体は既に破棄されているようだが、不要と思った切れ端だけが、読みかけた本の栞代わりにでも使ったのだろう、たたまれた状態で、ある本の中に納まっていた。捨てる前に開いてみると面白い記事である。タイトルは『昭和37年5月28日号「現代の顔」に登場した28歳の“鉄人28号”横山光輝』で、漫画家のスタジオ風景である。

漫画の世界は詳しくないので横山光輝氏も余り記憶に無いが、“鉄人28号”は聞いたことがあるように思う。写真に付された説明を読むと、発表されたばかりの昭和36年度の高額納税者公示制度で“画家の部”第3位に躍り出た漫画家、横山光輝の仕事場風景である。所得番付3位となった36年度の年収は970万円(当時は所得額での発表)。とある。

昭和36年は未だ大学3年生、入学時に提出した身上調書に保護者の年収を記入する欄があったので、親爺に聞いたことを覚えている。県庁で総務部長だったから高級官僚の一員だったと思うが、年収約80万円だった。その10倍以上だからかなりの高額ではあるが、当時の日本社会が格差の少ない微笑ましいものに思えてくる。因みに説明に加えられている第1位は洋画家の林武氏で1900万円、2位が手塚治虫氏の1250万円だそうだ。

昔は「長者番付」だったが、所得番付なる言葉さえ今やすっかり鳴りを潜めてしまった。公表することについては異論・反論もあり、実際上の社会的功罪もあったのだろう。しかし「長者番付」には格差の少ない羊羹型の社会をシンボライズするものが感じられる。更に一方で、「長者」の響きには所得が全てではなかった時代、長者に求められる社会的責任を現わしているようで、非常に懐かしさを覚えたしまった。

2015年12月3日木曜日

民主国家と言えるか

沖縄普天間基地の辺野古への移設を巡って、政府と沖縄県知事が熾烈な闘争を繰り広げている。政府は一方で地方創生とか地方自治の尊重とお題目を声高に唱えながら、選挙で選ばれた県知事が打ち出した施策を無効にするために、知事の権限を取り上げる裁判に打って出た。裁判なれば公平だと言うなら、選挙は何のためにやるのだろう?第一、司法の世界も高級官僚が裁判官を裏で操っているので、行政と一体化しているのは周知の事実。翁長知事側の勝ち目は薄い。

約1か月前に実施されたミャンマーの選挙は野党が圧勝したそうだが、選挙で勝ってもアウンサンスーチー党首の思い通りにはいかず、相変わらず裏で軍が政治を仕切る仕組みだそうだ。これは半世紀以上、非民主国家として世界中から制裁を受けていた国であるから仕方ない。我が日本は諸外国から非民主国家と認定されてはいないようだが、非民主度はミャンマーと変るところが無いとも言える。てなことを考えると、お上の姿勢「寄らしむべし、知らしむべからず」は江戸時代の封建制をそっくり復活させているとも言える。

報道では一応内容にも触れたような恰好を付けてはいるが、大筋合意を見たと言うTPPなるもの正体を具体的に認識できている国民はどれほどいるのか?国会議員でさえ十分に分からないのだから、庶民が己の生活にどんな影響が及ぶか、分かりっこない。まして、国家的な利害得失なんかについては、誰も本気で考えてもいないのかもしれぬ。序でに言えば、これもお上が勝手に決めた「集団的自衛権」の行使容認、これも同じで国民に対しては説明が無いに等しい。また、マスコミも政府に対して厳しく説明も求めず、下げ渡された情報をばら撒いてるに過ぎないとも言える。

こんなことを書いたのは、ニューヨーク・タイムズ東京支局長 マーティン・ファクラー氏と言う人が次のように言っているのを知ったからだ。『僕が感じているのは、社会での議論がないということです。TPPは、アメリカにとっては、安全保障面の意味が大きいのです。一方、日本にとってTPPがどういう意味があるかということが、今いち分かりません。まずみんなで、TPPが本当に必要であるかどうか、社会で議論すべきです。TPPも集団的自衛権も、普通の人にとっては訳がわからない用語だということです。「TPPってなんですか」と。「集団的自衛権」というのも、表現が矛盾しています。集と自ですからね。』

アメリカのジャーナリストにこうまで言われては、日本のジャーナリストは恥ずかしいだろう。

沖縄の基地問題から少し話が逸れてしまったので話を戻そう。そもそも日本の在日米軍基地は何のためにあるのか。マスコミは書かないが、日本の米軍基地はアメリカの世界戦略上(要するにアメリカ自国防衛上)非常に重要な意味があるので、決して日本を防衛するためのものではないことははっきりしている。従って、現在普天間に置かれている海兵隊基地が辺野古でなくてはならない理由は、単に日本の国内問題である。アメリカから見れば日本に基地のあることが大事で、沖縄県だろうと長崎県だろうと、山口県だろうと関係ないのは自明のことらしい。

前にも書いたが、在日米軍基地について改めて書いておく。
我が国に存在する在日米軍施設数は131施設・区域で306,226 千㎡に上るそうだが、このやく75%の226,233 千㎡が沖縄県に存在している。アメリカに統治を委任している非民主国家と思えば腹も立たぬか。

2015年12月2日水曜日

来年の暮しは?

個人的にはもうすぐ新年を迎えると言っても特別の感慨は沸かないので、日本全体について考えてみた。年の瀬ともなれば、現役時代の昔役所では来年度予算の編成で大童の感があったし、報道もその雰囲気を伝えて、来年の国民生活がどんな年になるかを占っていたような記憶がある。最近はそれがあまり話題にならず、むしろ国民から巻き上げる税金のことが話題の中心になっているようで、面白くもおかしくも無い。しかし考えてみれば、我々庶民も経済的に満足できないと言いつつも、物質的には相当豊かに練っている。

外国からの報道に見られる戦禍に喘ぐ人と比較をすれば、日本はなんて豊かな国なんだろう。総理閣下が外遊されては、お金持ちの旦那気取りであちこちにお金をばら撒いているのも無理からぬことかもしれぬ。外国からの観光客も増えて、つい数年前まで年間数百万人単位だった来日観光客が、今年は2千万人を超えるとのこと。彼等が落とすお金も馬鹿にならず、景気の向上に大いに資するとなれば結構なことだ。

その観光客の大多数が中国、韓国、台湾、東南アジア諸国からと言うのも些か皮肉な話で、政治的な関係が余り良くない国が含まれている。中国や韓国と政治的にもっと接近すれば観光客はもっと増えるだろう。特にアジアからの観光客は日本のローカル空港を経由して来日するケースが馬鹿に出来ぬらしい。首都圏在住の立場からだろうが、静岡や茨城の空港なんて誰が利用するのか、予算の無駄遣い以外の何ものであるまい。なんて思っていたが、偏狭な見方だったようだ。

日本社会を少し詳しく見れば結構悲惨な事件が毎日のように報じられているが、
テロなんかが日常化している中国なんかから見れば、極めて平和で清潔、豊かで美しい国に見えるのだろう。我々日本人もその豊かさを実感して、身を慎んで他人を羨むことなく、もう少し穏やかに暮らすことの大切さを幼い頃から身に着くよう若い人に教えるべきだろう。そのためには何と言っても大人たちが、経済成長一本やりの考えから脱却して、人間の幸福とか社会の福祉を真剣に考えてみるべきだ。

まだ予算編成に当たっての哲学が聞こえてこないが、そんな哲学が聞こえてくる日は果たして来るだろうか?

2015年12月1日火曜日

新年への準備

今日から師走、年内に片づけなくてはならぬ事などたいして無いが、それでも一応やるべきことを頭の中で整理し、身の回りのガラクタの中で捨てるべきものを決めた。毎年大晦日から元日にかけて伊勢神宮参拝をしている。何故こんな事を始めたか?自分でもよく覚えていないのだが、最初の会社を辞めた47歳の時が最初だったように思う。

当時大阪で単身赴任最中だったが、8月に辞めて東京に帰ってきた。昭和62年でバブルの絶頂期。「五体満足」だから働き口なんかは何とかなるだろう、と軽く考えていたのが間違いだった。東京に戻ると、嘗ての得意先の偉いさんからも含めて数人の方から、就職の口添えをしてやると言った申し出を受けた。社会が全般的に浮かれていたせいもあるかもしれぬが、これで少し調子に乗り過ぎてしまった。

簡単に出来ると思った再就職は思うようにいかず、あっという間に3ケ月が過ぎ、暮になってようやく再就職が叶った。雇用条件は前職の7割以下のサラリーで、会社に行くと若い女子社員からも冷たくあしらわれて、大分ショックを受けた記憶がある。そこで「これはいかん、新規まき直しの要あり」と自覚して、そのスタートを切るために伊勢参りでもしようと思い立ったのがきっかけだったと思う。

子供の頃から苦しい時の神頼みが得意なので、この再就職事件を人生最大のピンチと受け止め、日本で最高の神様と思うところに、取り敢えずのお礼と今後のお願いを兼ねてお参りすることにした。有難いことに伊勢の天照大神様が願を聴いて下さり、翌年は就職先をしくじりもせず、最大のピンチを切り抜けることが出来た。その年はお礼参り、そのまた翌年は娘の入学祈願とか何とか言って、願い事が毎年続いてしまった次第だ。今年と来年は孫の入学祈願もせねばならぬので、当分この2年参りを休むわけにはいきそうにない。

ここ数年は経費を極小化するために、大晦日の夜に新宿を発って元日の夜帰京する弾丸バスツアーを利用していた。そのツアー料金が今年から大幅にアップしたことと身体がきつくなってきたので、今回から新幹線利用の1泊旅行に切り換え、今日新幹線切符を購入してきた。

2015年11月30日月曜日

食事と食料問題

この季節になると故郷長野或いは山形や栃木からなどから美味しいリンゴが送られてくる。婆さんの友人や婿さんの実家からで、リンゴが大好物の小生にとっては有難いことだ。最近は一時に比べてリンゴ箱も昔のように馬鹿でかくはないが、それでも正月過ぎまで毎日のように堪能できる。齢を取ったせいだろうが、朝晩の食事に野菜と果物は欠かせない。幸い野菜も婆さんの友人がしょっちゅう新鮮なものを届けてくれるそうで、野菜も毎日のように変化ある料理を楽しんでいる。

こちらは料理を口に運ぶだけだから良いが、婆さんは頂いた野菜を見てから料理を考えるので結構大変そうだが、彼女はそれが好きだそうで、互いにハッピーである。我が家では生ごみをなるべく増やさないよう、例えば大根は皮から葉っぱまで、春菊なら茎まで、別々に調理して余さず食べる主義らしい。お陰で摂取栄養素のバランスがとれて、こちらの健康にも良い影響があるだろうと感謝している。

ところで最近耳にした政府の能書きに「強い農業」なる言葉があって、それこそ強い違和感を覚えた。なんでもTPP交渉で農産品の保護だけは絶対守ると言いながら、大筋合意の結果を見れば大嘘のコンコンチキ。米の輸入は増えるわ、食肉の関税は引き下げられるわだ。余りに気まり悪いので、言い訳をする代わりに例によって強弁をして国民を煙にまく腹のようだ。曰く、何でも若くて経営意欲のある優秀な農水産経営者を育て(どうやって育てるかは定かでない)農水産業を輸出産業に変換させる。そして農水産物の輸出を1兆円規模に拡大ときたものだ。

農村や農業の実態を知らない国民が圧倒的に増えているので、景気の良い口から出まかせを信じる人が多いかもしれぬ。まして、これをぶち上げた「一億総活躍国民会議」には農水産業代表らしい人は見当たらない。女優菊池桃子さんならずとも、全員が結構毛だらけで大賛成したに違いあるまい。ところが、こちらは都内に住んではいるが、曲りなりにも信州の田舎育ち。親戚や友人には農家が沢山あり、齢の違わない従兄弟は今でも現役のお百姓さんだ。たまに遊びに行って泊めて貰ったりしているので、農家の苦労は目の当たりにしている。

とてもじゃないが馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。テレビ番組なんかには中国で「コシヒカリ」が高値で売られていたことの、アメリカで和牛が大人気なんて放送がしょっちゅう流れている。そのような事実は当然あるだろう。一方で米の安値に困っている従兄弟たちのような農家が大多数であることを誰が指摘するのか。マスコミも言わないので代わりに書いておこう。

農水省の最新統計(2014年)で確認する限り農水産物の輸出入実態は下記の通りだ。
2014年の我が国の農林水産物の輸出額は、約6千億円。(アルコール飲料、たばこ、真珠を除いた輸出額では約5千億円。)代わって輸入額は約9兆2千億円。と桁が違っている。輸出品のトップはアルコール飲料で約300億円、ソース混合調味料約230億円、たばこ、清涼飲用水、菓子、播種用の種等、豚の皮(原皮)と続き、その次にやっと、リンゴと牛肉が約86億と顔を出す。米なんかとても統計に上がってこない。我々が農産物として認識できるのはこれが現状だ。因みに輸入品のトップが豚肉で約4500億円、牛肉が4番目で約3千億円。

これでどこを押せば「強い農業」なんて台詞が吐けるのか?後継者不足に嘆く100万の稲作農家はさっさと消えて無くなれとでも言うのか?食料自給が出来ぬ国家の将来はどうなるのか?なんとも罰当たりな話だ。

2015年11月29日日曜日

憂鬱 そろそろ年末

目前に年末が迫り、この数日は毎日のように喪中はがきが届き、改めていろいろな事が頭をよぎり始める。月日の速さはもはや驚くべきことではないかもしれぬが、それにしても早すぎる。当面の問題として、そろそろ年賀状のことを考えなくてはならない。ここで毎年悩ましいのだ。毎年170~180通の年賀状を頂くので、少なくても今年頂いている方には来年の年賀状を出さねばならないだろう。

そこで毎年のように婆さんから非難を浴びるのが小生の年賀状。宛名書きから本文まで手書きの部分が一切無いので、そんな年賀状なら貰わない方が益しとのこと。確かにせめて宛名ぐらいは自筆にすべきかもしれないとは思うのだが、ここ十数年実行に移せたためしがない。枚数を確定して婆さんにお年玉付き年賀状はがきの購入を依頼する時いつも聞かされる毒舌を考えただけで気が重い。

昨年まで頂く年賀状の中で一番華麗な年賀状は高校同期の友人K君のもので、もちろん裏表ともに墨筆。しかも年が改まってから段取りする本格派なので、松が取れてから届く年さえあった。ところが今年はK君から年賀状が来なかった。先日直接会う機会がったので聞いてみると、最近右手が痺れて細かい字が書けなくなってしまったので、失礼させてもらったとのこと。小生手に痺れこそないが、元から悪筆で自分で見ても嫌になるくらいのものだ。

婆さんは相手に失礼だと言うし、いっそK君に倣って出さないことにしようかとも思ってしまう。しかし、このところすっかりご無沙汰でも、生存証明を送っておきたい人が居ること事実。他にも年末になると、しなければならないことが種々あることに気付く。本当に悩ましいが、取り敢えずは身体が動かない。

2015年11月27日金曜日

寒波襲来

ちっとも冬らしくならないと思っていたら急に冬将軍が姿を現して、北風やら雪を伴って日本を急襲し始めた。どこの家庭でも暖房器具を急ごしらえしたり、除雪器具やらタイヤチェーンの準備やら大わらわに違いあるまい。高支持率に安閑と好き勝手なことを言い放ち、やりたい放題していた安倍内閣も天気の影響でもあるまいが、どこか急にそわそわした感じが漂い始めた。

昨日は官邸に「1億総活躍国民会議」を招集、威勢よく「1億活躍緊急対策」をぶち上げた。発表の口先だけは虚勢を張っているが、内容が余りにもチマチマしすぎている。曰く、最低賃金を千円にまで引き上げる法律を作るとか、保育所などの保育サービスの受け皿を新たに50万人分拡充、或いは同じく希望出生率1.8を実現するために、保育所などの保育サービスの受け皿を新たに50万人分拡充の法整備なんて言っている。

そりゃ随分手際の宜しいことでと褒めたいのだが、緊急と銘打ちながら実現の目途が立つのは全て2020年度末のこと。こちらが生き延びているかどうか定かではない。国民会議には財界のお歴々も出席されているので、企業に対して賃金を上げろと化、スマホの料金を引き下げろと檄を飛ばすばかりか、投資を増やせ、てなことまで指示したつもりになっている。国営企業が多い社会主義国家でもあるまいに、すっかりデフレ経済に戻っている環境の中で、企業の投資意欲が出る筈は無かろう。官邸スタッフが如何に経済音痴にしても、余りにピント外れだ。

流石に内心忸怩の感もあるのだろう。昨日は更に、低年金者に3万円給付なんて、嘗てさんざん批判していた野党お家芸のばら撒きまで指示したようだ。低年金者とはどのくらいの人を言うのか知らぬが、1千万人に及ぶのだそうだ。全世帯数が5千万くらいとすれば約2割だから相当の数にも思える。期待したいところだが多分こちらとは無縁であろう。それにしても、この政策のお題目が「1億なんたら」は誰が吹き込んだか知らぬが、全体主義を象徴する嫌な言葉だ。それをまた幼稚園か小学低学年の子が、覚えたての言葉を訳が分からないまま言い散らす様と一緒で絵、益々馬鹿みたいに見えてくる。

何れにせよ内閣が慌てるくらいだから、季節同様不景気風も大分強くなってきている。こちらは景気不景気関係なく大分前から貧乏を余儀なくされているから覚悟が出来ている。しかし現役で働いている人は辛いものがあるだろう。今朝の新聞に出ていたが、シャープは冬ボーナスを1か月支給するとのこと。このしょぼくれニュースを見るにつけ、亀山モデルで一世を風靡した嘗ての優良企業は夢の又夢のようでもある。

たまたま昨日近くのパナソニックのお店で蛍光灯20Wを5本を購入した。内閣が2020年までには蛍光灯の生産を全廃させると言った翌日態々行くのは臍が曲がっている証拠。嘗ての松下電器はシャープなんか比較にならない程の超一流企業だ。店主との雑談で「最近のテレビコマーシャルは炊飯器や洗濯機、チマチマしたものばかりですね。」と水を向けると「テレビなんかの電子部品は今や全く儲からない商品なんです。」あのパナソニックでさえ、ボーナス一か月分ではないだろうが、昔日の面影が無いことだけは確かだ。この近隣だけでも町の電気屋さんが最近3軒廃業したとのこと。

その分池袋にも沢山ある量販店が繁盛していればいいのだが、果たしてどうなんだろう?北風は方々を襲い始めている気がしてならぬ。

2015年11月26日木曜日

崖っぷちのジャーナリスト

急に冬めいた天気になって、冷たい雨に打たれている街の雰囲気が暗く感じる。気分的にも余り明るくなれないのは各種の報道のせいもあろう。先進諸国が戦争宣言を出すのも、第3次世界大戦と称する人も居るようで、聞いて気分良いことではない。でもこれは馬鹿な総理が真剣な顔で応援団みたいことを言うだけで、当面は遠い話と思っている。国内でもスポーツ以外は聞きたくもない暗いニュースばかりだ。

ブログのネタにしても心温まる話でも書きたいのだが、これがなかなか見つからない。仕方なしに政治家が利権の道具として玩具のように扱う税金のことで、悪口を書こうかと考えていたが、もっと酷いことがあった。時々触れるメディア絡みの話である。なんでもTBSの「NEWS23」が終了するのではとか、レギュラー解説の岸井成格氏が降板させられるとの報道だ。

実は就寝時刻が22:30なのでこの番組は殆ど観たことが無い。しかし岸井氏は同じTBS日曜朝の「サンデーモーニング」で観たり、夕方の番組でもたまに観るので、考え方が視聴者目線であるのは分かる。また昨年末安倍総理が「NEWS23」に生出演した際、番組の取材が偏っているとしてイチャモンをつけたり、その後自民党から「公正な報道」を求める文書が各局に送られた騒動も知ってはいた。

昔からマスメディアは政治そのものが大切なネタ故に、政治部に大勢の政治記者を置いて、それぞれが若い時から特定の政治家と個人的関係を結ぶのが常で、
その濃密な関係の中で掴んだ情報を、如何に読者或いは視聴者の目線で加工して公表するかがジャーナリストの使命でもあり、腕の見せ所でもあり、又誇りでもあろう。

しかし、中にはミイラ取りがミイラになる如く、読者目線を忘れて政治家の御用聞きに成り下がる者がいるのもまた事実だ。ジャーナリストと呼ぶのさえ気恥ずかしいが、読売の主筆渡邉恒雄氏あたりが筆頭かもしれぬ。今のマスメディアにはNHKがそうだが、ミイラ取りがミイラになるまでもなく、ミイラがいきなり経営者になってしまった例もある。

トップが政権寄りとなれば、中には気骨あるジャーナリストが居ても、会社全体が徐々に政権の御用聞きに成り下がるのも已むを得まい。どうも産経系統も同じ匂いがするので、この系統は新聞読まないしテレビ報道も観ないことにしている。他の新聞社或いは放送局でもトップは政権に対して逆らうことはできない。しかし、現代に於いては第4の権力とも称されるマスメディアに於いて、記者や編集者が作るコンテンツでは、そう簡単に政権の圧力に屈していけない筈だ。その意味では岸井氏や、同じTBS土曜夕方の「報道特集」金平記者や日下部記者なんかは頑張っている方だと思う。

その岸井氏の首を切らねばならぬほど、会社かトップにかかる圧力が凄いのだろう。この3月にはテレビ朝日の「報道ステーション」コメンテーター古賀茂明氏の首も切られたことが記憶新しい。その後4月に一新したコメンテーターは相変わらず政権批判を口にするし、キャスター古館氏も今のところは頑張っている。

考えてみるとNHK人事に象徴されるように、歴代政権の中で現政権ほどマスコミ操作に拘る政権は珍しい。本来マスコミはバックに国民を背負っているので、政治家には強い存在だった筈だ。どうしてその風向きが変わったのか、一考の余地がありそうだ。しかもその干渉の仕方がかなり露骨で、最近では高市総務大臣が国会で堂々と「放送法に抵触する事案があった場合には、放送法を所管する立場から、行政指導等の必要な対応を行うものでございます。」と述べるなど、マスコミトップは相当に萎縮しているのだろう。現役時代に広告を通してマスコミと深い縁があっただけに、実に気がかりでもある。

2015年11月25日水曜日

パソコン=何と厄介なものよ

今日はとんでもない厄日になってしまった。天気が悪いので止めようかと思ったのだが、全く動かないのも気が刺すので12時廻ってから考え直して、雨の中池袋まで行って昼飯を食い、14時過ぎに戻ってきた。そこでパソコンを見ると「OSのWindows10ダウンロードが可能です」のダイアローグが表示されている。自宅のパソコンでも嘗て同様の表示があり、トライしたことがあったが、その時は容量不足で出来なかった。

昼間事務所で使用しているパソコンはかなりの容量がある筈なので、暇でもあるし再トライしてみる心算になってダウンロードに取り掛かった。ところがである、今回はダウンロードが一応始まったが、またまた途中46%まで行ったところで問題が生じて止まってしまった。これであっさり諦めればいいのに、なまじ原因がファイアウォールにあるらしいことが分かったのがいけなかった。

どのWindowsパソコンも同じ筈だが、ファイアウォールはWindows(現在使用中は7)自体に組み込まれ、おかしなプログラムをが入り込むのをブロックしているようだ。先ずそこを弄って、今回OSのアップデートに限ってブロックを解除しなければならない。ところがこの解除のしかたがよく分からない。いろいろ弄っているうちに嫌気がさしてやめてしまった。

すると、パソコン自体がおかしくなってしまっている。先ずネットに繋がらないのだ。何れにせよ、ネットワークに再接続しなければならないが、これが思うようにいかない。正直何をどうしていいか分からず、一瞬動転してしまった。
結論的にはこのブログを上げることが出来ているので、繋がることは繋がったが、何が原因であり、何処を修正して治ったのかは未だに分からない。やったことと言えば、先ず第一がパソコンのシステムを11月22日に戻して復元したこと。

それでも未だネットワークは復元しない。更にメチャクチャをしているうちに、ルーターに入ることが出来た。見ると、トップに(PPPoE接続)なる項目があって、中に1: plala(デフォルト)と2: FLET'S Square(EAST)があり、2.が「停止」となっている。ここを「通信中」に変えたらやっと繋がった。これを発見するのに2時間半を要している。しかしこの後が未だあった。如何なる理由かこれもまた分からないが、この2時間半の間にウィルス対策に使用しているノートン・セキュリティーなるプログラムの「自動延長サービスの停止が完了」と言う通知が入っていた。

しかも、自宅のパソコンを含む3台分である。どうしてそうなるか理由の分かる人には是非ご教示願いたいものだ。これも電話1本で簡単に回復と言う訳にはとてもいかない。明らかに外国人と分かるサポートのお姉さんにお願いして、上司と相談の上のご返事と来たものだ。20分ほどで復元できたとのお知らせを頂戴したが、兎に角散々だった。兎に角、生兵法は大怪我だが、現代生活の必需品とさえ言われるパソコン。この得体の不明なこと実に恐ろしい。

2015年11月24日火曜日

経済なんぞ成長しなくて結構!

昨日の夕方5時半頃、有楽町から有楽町線に乗って池袋方面に帰ってきた。小雨が降り、薄ら寒いパッとしない天気であったが、車内は結構混んでいて、親子連れしかもベビーカーが多く乗車していたような気がする。想像するに、3連休最終日とあってディズニーランドへでも行った帰り客が多かったのではなかろうか。家族ででレジャーを楽しむのは結構だが、赤ん坊を連れてまでディズニーランドに行く人の気が知れない。

一方で、帰宅してテレビのニュースを見ると、母親の介護に疲れた娘と父が利根川に車ごと突っ込んで無理心中とか、都営アパートで年寄りの兄妹が餓死しているのが発見されたと、悲惨な報道がなされている。現代日本が享受している豊かさと置き去りにされている貧困とのアンバランスについて考え込んでしまう。格差の拡大は言われて久しい気がするが、政策課題には全然上がってこないようだ。

政策立案者の念頭には「景気の拡大」「デフレからの脱却」しか無く、唯一の解決策が「雇用の拡大」のみに見える。確かに雇用は拡大しているかもしれぬ。つい先日も書いたばかりだが、実態が分からずに想像を逞しくしてこの現象のよって来たる所を考えてみた。一家の大黒柱たる亭主の賃金が上がらないので母ちゃんが働かなくてはならない、子供たちもアルバイトしなければ一家の生計が成り立たないだけではなかろうか。貧乏所帯が増えれば比例して雇用は増えるに決まっている。

やっと就職が決まった昭和38年(1963年)と比較してはいけないだろうが、年金記録で確認をしてみた。入社最初の4月の標準報酬月額が1万6千円だったのに対し、10年後の昭和48年4月には13万4千円となっている。高度成長期とは言え8倍強である。小さな会社で労組も無かったので正確ではないが、恐らく社員の平均年収は300万円と400万円の間くらいではなかったろうか。当時の社長は目黒区の高級住宅街に住んで、運転手付の自家用車で出勤してきていた。平社員から見ると相当なお金持ちに見えたが、それでも社長の年収は従業員平均の10倍程度が、日本の平均的社会構造だったと思う。

そこで思うのだが、現代でも平社員の平均年収はさほど変化していないように思える。しかし、年収億を超える人間は沢山いる筈で、社長さん達も社員平均の数十倍の年収が当たり前のようだ。現代は大卒で正規雇用されると、入社早々でも年収250万円から300万円は普通らしい。ところが、10年後に8倍の年収を得るサラリーマンは少ないだろう。報道で知る限り、労働者の平均年収は精々500万円を少し超えるか程度のものらしい。

これが不思議でならない。政府が声高に叫ぶGDPなるものの越し方を見ると、(統計が1980年からしかないが)1980年に約245兆円だったものが2015年には2倍の約500兆円にも膨らんでいる。国民一人あたりの購買力なるものをUSドルで計れば約4倍近く(8千5百ドル→3万8千ドル)に伸びているのだ。これって少しおかしくはないか?親方が張り扇で国民を煽って経済を成長させても、その恩恵は国民に平等に還元されず、貧富の格差を拡大するだけになっている。

富者は良いだろうが、貧者はどうしてくれるのだ。いっそ経済成長なんかしない方が良いのではとさえ思える今日この頃である。

2015年11月22日日曜日

いつまで続くのか

後期高齢者と呼ばれると、半分棺桶に足を突っ込んだことを宣告されたようなものだから、本気で気にするほどのことではないかもしれぬ。この連休になって少し気になり始めたのが、日本の景気。つい先日までマスコミには政府への遠慮からか、日本経済がおかしくなっていることと何も対処できずにいることについて、声高な批判めいた論調は無かったように思う。ところが16日のGDP第2四半期もマイナス発表直後から大分風向きが変わってきている。

今朝の朝日新聞の1面トップに自社の主要企業100社への景気アンケートの結果として『国内景気「足踏み状態」』とでかでか打っている。ずっと前から街中の食堂の親爺連中が「サラリーマンの給料が下がっているので、食いものが貧弱になっている。」と言っていたので何を今更の感もある。政府のセリフ「安倍内閣になってから一貫して雇用が拡大している。もう少しで賃金が上がり始めるので、そこから景気も上向く筈。」も聞き飽きたと見えて、朝日新聞以外にテレビでも似たような発言を聴いた。

明日は「勤労感謝の日」。心身ともに働いてお金を稼ぐ能力が全く無いことだけは明らかで毎日が休日だから、感謝のしようもない。労働人口が増えていると言うが、非正規かどうか知らないが、食えない労働者の数ばかり増えてもどうしようもないじゃないか。総理は呑気な顔して外国旅行を重ねて方々にお金をばら撒いている。国家の財政が破綻しようと、痛く痒くも無いし自分は関係ないと思っているのだろう。

国内では1億総活躍とか生涯現役なんて意味不明な言語を撒き散らして、我々年寄りもそうだが、社会に対して疎外感を感じざる得ない多数の国民に切ない思いをさせる一方で、国際会議ではアメリカ以外の当事国の殆どが触れようとしない太平洋南西諸島問題で、積極的に発言して中国を非難しているらしい。しかもアメリカに対しては、場合によっては自衛隊の派遣も考えるようなサインまで送っている。誰が総理に振付けているか分からないが、内政外交共にこれだけメチャクチャな人間で総理が勤まる我が国の不思議さを改めて思わざるを得ない。

2015年11月20日金曜日

侍ジャパン

普段野球中継など観たことが無いのに、昨夜は婆さんと一緒に世界野球「プレミア12」の準決勝、侍ジャパンと韓国の試合を2回の裏から見始めてしまった。6回裏の攻撃も追加点が取れず少し怪しい雰囲気になった時、「あなたが見ると勝てないから早く寝てください。」と言われて自室に籠った。3点もリードしているのだからよもや負けはあるまいと思いつつも、やはり気にはなった。

婆さんに言われた通り観なければ良かったのだろうが、古館の報道ステーションを見ながら、ついつい盗み見したのが災いした。9回表で逆転され、解説者はこぞって「これからが勝負」と力んでいたが、さすがに最後の攻撃は観る気がしなかった。今朝起きると婆さんの機嫌が悪い。さすが父ちゃんには当たらないが、小久保監督に八つ当たりしていて面白かった。

婆さんと一緒に観ていた時の大谷祥平君の投球は、全くの素人が観ていても胸のすく爽快さがあった。球数も少なかったから完投させればよかった、とか婆さんのようにせめて8回まで投げさせるべきだった、なんて素人談義が全国でさぞ喧しいことだろう。大谷君が投げても8回以降調子が狂ったかもしれぬとは何方も思わぬようだ。アマチュア観戦者にとってこの「たられば」も大いなる楽しみだ。

それにしても、選手も大変だが監督はそれ以上に因果な稼業だ。小久保監督は、「8、9回を則本で行くことを決めていた」という。小久保監督はずっと選手と行動を共にして、彼らの調子を自らの目で確かめていた筈だ。勿論現代野球のセオリー通り蓄積データの解析にも抜かり無かったろう。それでもゲームは理屈通りに運ばない。だから面白いのだ。

特に印象に残ったのは悪がきのような中田翔。侍ジャパンではずっと6番だったが、いじけずに頑張って大分点数を稼いできた。昨晩は5番に上がっていてヒットこそなかったが盗塁なんか見せてくれた。同じ翔でも大谷は勿論、侍ジャパンの全員に、頑張って楽しませてくれたことを感謝したい。

2015年11月19日木曜日

明治生まれの人の志操

昨夜のBS朝日の番組で土光敏夫さんの伝記みたいものがあった。頭の数分をを観そびれているが21時からの54分番組だったと思う。前にも似た番組か同じ番組を観たような気がするのだが、感心して最後まで観てしまった。土光氏については数々の逸話が折に触れマスコミに取り上げられているし、テレビ番組にも何度もなっているだろう。従って、その人柄はよく承知している心算であったが、改めて知ることも多く、如何にも明治の人らしい土光氏のには志操には改めて感ずるものがあった。

初めて知って最も印象に残ったのが氏の哲学「個人は質素に、社会は豊かに」である。財界総理と称せられながら、自宅の朝食にメザシを愛用していたことは有名だから知ってはいた。好んで食したか、或いは健康に良いと言うだけで他に食いたいものを我慢して食したかは分からない。しかし、この哲学を聞いて成程と思った。我が母校(高校)の校訓も第1が「質実剛健」である。昔の人は実を貴び、嗜好に流れることを自ら強く諌めていた。これが身に着いて、幾つになろうと身を持していたに違いない。

質の良い坊さんでもなければ、なかなか難しい生き方である。氏の人生はこれで貫かれていたようだ。企業の再建で腕を振るわれているが、元来はタービン製造を専門とする技術屋とのこと。現代は技術屋出身の経営者も珍しくないだろうが、イメージ的にはどうしても経営は事務屋の仕事のように思ってしまう。しかし、企業経営が行き詰ったところで社長に持ち上げられるからには、単に頭が良いとか統率力があるとか勘働きが鋭いとかの能力ではなく、周囲から尊敬される何かがあったに違いない。その何かが即ち氏の生き方そのものだろう。

当時(昭和30年代や40年代)のことはよく分からないが、経営手腕と言われるものには社員即ち労組との意思疎通が大きな要素であったに違いない。このブログでも度々触れるが、人間は生き方の哲学が大切だと思う。意思疎通は帰するところ、互いの人間性を信じ合えなければ上手くいく筈もない。土光氏の「自分を捨てでも大事にすべき仕事」の精神は決して付け焼刃ではなかった筈だ。戦時中に軍人が「我が身を九牛の一毛の軽きに置いて、皇国の礎にならんと・・・」と口先で言っていたのと少し訳が違う。当然周りの人間は付いて来ただろう。

それにしても土光氏が第二次臨時行政調査会長に就任したのは85歳。この年齢で引き受けて、しかも相当真剣に国の形を変える努力をされていることは敬服すべきだ。時の政府(鈴木内閣で担当が中曽根康弘行政管理庁長官)は七重の膝を八重に折る形で就任を要請している。頼んだ政府も偉かったと言えよう。当時は財政赤字が100兆円に達しそうということで、政財界が危機感を共有したらしい。現在の財政赤字は当時の約10倍、誰が危機感を持っているのだろうか。己も含め昭和生まれが情けない。

2015年11月18日水曜日

猫だまし

毎週1度は通っている接骨院の先生が高校時代全国大会に出たこともある相撲部出身なので、時々相撲の話をするようになった。また亡くなった岳父が相撲ファンだったそうで、リタイアしてからは、場所中は毎日昼飯直後から衛星で相撲中継を見ていたらしい。当然娘の我が嫁も孫にあたる我が娘どもも相撲をよく見るらしい。こちらは中継を好んで見るほどでもないが、そんな周囲の環境があるので、最近は長野県出身の関取御岳海が前頭で活躍している程度の知識は持っている。従って最近は、毎日見ているNHK夜7時のニュースの終りに出て来る相撲中継はもっと長くと思うようになった。

特に応援している力士はいないが、白鵬に砂がつくと何となく嬉しくなる方である。先場所はその白鵬が休場していたので、今場所は調子が出ないことを期待していたが、彼はやはり憎らしいくらい強い。他の力士が弱すぎると言うべきかもしれぬが10日間全勝ただ一人である。その白鵬が昨日の取り組みで、立ち合いの瞬間に「猫だまし」なる奇手を放った。決まり手は横綱らしい寄り切りであったが、この立会いの「猫だまし」について北の湖理事長が「横綱としてやるべきことじゃない」と不快感を表明したらしい。

北の湖理事長も憎たらしい顔つきであまり好きになれないタイプだが、この一言には賛成したい。恐らく巷で聞けば賛否相半ばすることだろう。我が家の相撲解説者の婆さんも理事長の言に賛意を示して「あれは舞の海さんのように小兵の力士が用いる技で、相手をドンと受け止めて勝つべき横綱が用いるべき技ではないでしょう。何でもありでは安倍内閣と一緒になってしまう。」とのこと。その舞の海さんが今朝ネットで意見を述べていた。比較的横綱には好意的で、白鵬はファンサービスの心算、洒落でやったかもしれないようなことも言っている。

しかし最終的には以下のように述べている。「ファンが、お客さんが消化不良で、納得しないところもあるでしょう。ガチッと挑戦者を受け止めるのが横綱。他のスポーツなら、勝てばいい、金メダルを取ればいいんです。ですが、大相撲はスポーツというより、伝統文化的な側面がある。人々の見方があって、発展してきましたから。誰がやるか、にもよりますね。小さい人が変化しても拍手が起きますが、大きい人が変化すると批判される。大相撲独特の文化なんです。」

やはり、結論的には理事長同様に否定的なんだろう。日本人が大切にしている地位に相応しい品位は、一見日本人になりきっているような横綱ではあるが、理解が難しいのかもしれぬ。

2015年11月17日火曜日

先進国首脳会合(G20)

我が国日本は、世界大戦敗戦の傷跡を乗り越えて、一時は経済的成長がめざましい時があった。またその時代は、国民をリードするだけの見識や哲学を有する政治家にも恵まれてていたのだろう。1975年11月フランス大統領・ジスカール・デスタン氏が他の5か国に呼びかけ先進国首脳会議(サミット) の開催を思い立った時には、幸いなことに日本も仲間に加えてもらった。この時のテーマは「東西冷戦下で起こった オイルショックによる混乱収拾 と、それに続く 世界的不況への対策 」だった。そしてメンバーが第二次世界大戦 で敵味方に分かれて戦った双方3カ国ずつ、即ちフランスと英米vs日独伊にも意味があったと思う。翌年にはカナダが加わって7か国となり、1998年にはロシアが加わって8か国になっていた。更に2008年からは20か国・地域首脳会合となって現在に至っている。

今年は先週末に、トルコのアンタルヤと言う場所に20か国の首脳が集まって開催された訳だ。しかし現在の国際経済と政治の問題を考えると、200国からなる複雑な地球環境の中で、20か国の首脳が1日や2日顔を合わせただけで問題点の抽出や解決策を見出し得るものだろうか。疑問を抱かずにはいられない。また我が国が国際政治の舞台で経済的にも指導的立場に無いことと、我が国の政治家に指導的役割を果たすだけの能力が無いことは明らかだ。にも拘らず20か国はおろか、サミット(主要7か国)のメンバーになり続けているのが不思議でならない。昨年だったか、ロシアがクリミアを併合した際に主要8か国から外されたように外してもらいたいものだ。

今日考えると、1975年当時の言いだしっぺがフランスであったことも不思議でならない。何故アメリカではなかったのだろう?兎も角先進国首脳会合は毎年開催され、1975年のサミットから勘定すれば40回目の開催になるが、言い出しっぺのフランス大統領が自国の首都で発生したテロのため欠席となっているのも皮肉なことだ。会議は今朝終了したようだが、内容が極めて乏しいと報道されている。そりゃそうだろう、我が国の政権と同じで「各国の成長戦略の実施が最優先事項」とか「政策手段を総動員する」と掛け声だけで世界の経済が動くなら誰も苦労はしない。まして、自分の頭の蝿も追えない国の首脳が「中国の過剰生産設備の解消が課題だ」と他国を名指しで改革を要求することなんか論外だろう。

ところでそのフランスからの映像が、週末から大量にテレビに流れている。その中にはテロ現場に集まった一般市民や日本のフランス大使館前に集まった在日フランス人の間から自然発生的にフランス国歌が湧きあがっている絵がある。これが小生にとっては一寸した違和感でもある。日本の「君が代」や「海ゆかば」みたいな曲想であれば葬送に相応しいかもしれぬが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は聞くだにメチャクチャ勇ましい。歌詞は軍歌そのもので闘志満々でもある。フランス人がこんなに勇ましい人種だとは初めて知った。

事実フランスの大統領や首相は即座にISへの報復として、その根拠地めがけて大々的空爆を実行に移した。多分多くのフランス国民はこれを支持しているだろうし、外国ではオバマアメリカ大統領や我が国の総理なんかもその口だろう。しかし、嘗て国連でイラク開戦に反対を表明した元フランスの外相ドビルバン氏が、空爆再開を非難する声明を出したようだ。「空爆は憎悪を増幅するだけで解決には何の役にも立たない。」とのこと。小生は英仏と中東の歴史については、余りにも知らな過ぎる。現在ヨーロッパや中東でも、無辜の民が多く傷つき亡くなっていることだけは分かるが、何が本当の原因か、或いは誰が正で誰が邪なのかも全く理解又は区別できないのが悩ましい。そんな中で、ドビルバン氏のことを知ると少し心が休まる思いでもある。

2015年11月16日月曜日

費用対効果

医者にも勧められていたが、最近婆さんにも「インフルエンザワクチンより大事かもよ。」と言われて肺炎球菌のワクチンとやらを注射してもらった。どんな効用があるか分からないが、4千円も取られた。健保が適用されての料金だとすれば、市価4万円ではないか。薬屋さんにとっては善いかもしれぬが、個人的には兎も角、健保の財政も容易ではないと言われる中、ひょっとしたら大きな無駄遣いではないだろうか。考えてみれば世の中無駄なことが多すぎる気がしてならぬ。

政治家も官僚も、己が無駄の最たるものとは毫も思わぬに違いない。

2015年11月14日土曜日

囲碁人口

先日フランスについて書いたばかりだ。行ったことが無いのだが、歴史的な文明先進国だから素晴らしい見どころが沢山あるに違いないと内心思っていた。友人たちの話からもそんな雰囲気が十分感じられる。そのフランスがなんでか知らぬがテロの標的にされているとは、同情を禁じ得ない。恐ろしい世になったものだ。欧米各地のみならずアジアでも似たような事件がよく起きている。世界各国でテロなどの銃撃戦が訳も分からず頻発すると、観光旅行もおちおちしていられなくなるだろう。せめて日本はその埒外に置かれていることを祈りたいが、ISから見ると日本も敵性国家らしいので、いつの日にかフランスのような事態が起こらない保証は無さそうだ。

きな臭い話は兎も角、話題を変えよう。昨日、愛用しているネット囲碁「パンダネット」主催のイベント「24世本因坊秀芳先生の対面指導碁」を受けてきた。参加者は14人、7面打ち2回である。参加者の中では一番格下で、本当は井目(9子)の置き碁でもよかったのだが、敢えて7子で打って頂きコテンパンに負けて、後で3か所ほど手直しをしてもらったが、もう忘れている。だからそれはどうでも善いとしよう。

楽しかったのは指導碁終了後の石田(秀芳)先生を囲んでの懇親会。先生が囲碁界の現状を話してくださったが、これがかなり厳しいらしい。一時1200万人程と言われた囲碁人口が現在500万人を切っているらしい。若者がスキー離れをしているのは、趣味の多様化で理解できるが、囲碁も似ているとは意外だった。老人が増える一方だし、囲碁に代わる趣味は何なんだろう?囲碁を覚えたのは40歳前後で、大阪に居た時である。ある得意先の役員さんが「支社長(小生の役職)、そろそろ趣味が酒とゴルフだけではあきまへんで、囲碁くらい覚えなはれ。」で、関西棋院の先生にお願いして、一緒に月1回の会を持つことにした。

会費が月に3万円くらいだったともうが、当時交際費がふんだんに使えたので新地のクラブの飲み代に比べれば安いものだった。その上、囲碁のお陰で他の顧客の役員さんとの付き合いも広がり、確かに囲碁が営業の役に立ったと思っている。石田先生の話では、最近会社の囲碁クラブも減る一方でだし、役員で囲碁をする人も少なくなっているようだ。そう言われて考えると、政治家の趣味で囲碁と言うのも聞かなくなった。歳を取って、いつまでもゴルフとはいかないだろうに、本当に不思議だ。

囲碁を知らない人に囲碁の良さを説明するのは難しいが、囲碁は長い時間掛けて、相手の頭の中を探る面白くて楽しいゲームである。小中学生時代に興味を持つことが出来れば最高だと思うが、昨日の参加者の中に教員が一人おらられて言っていた。最近は先生も宿直は無いし、兎に角忙しい。囲碁をする人が殆どいなくなった。韓国や中国も経済的には似たようなものと思うが、囲碁は日本より遥かに盛んなようだ。理由はよく分からないが、日本の現代人は時間的ゆとりが無さすぎるのかもしれぬ。何れにせよ残念な気がする。

2015年11月13日金曜日

高校同期会

一昨日故郷長野で、高校の同期会があって出席してきた。昼食会だったが出席者は57名でかなり賑やかだったが、さすが全員75歳(早生まれの人だけは1歳若いとはいえ)ともなると酒量もさほど上がらず、話もご多分に漏れずに病気自慢になりがちである。とは言っても、懐かしい顔に出会うとつい興奮して結構飲んでしまった気もする。皆似たようなものだったのだろう、掛け合う声だけは互いに元気を装っている。

空元気を出して夕方まで頑張ったが、夕飯になるとワインを1杯飲んだだけでダウンしてしまった。昨日はその2次会で元気者16人がゴルフ大会をしている。とてもそこまでの元気は無いので、9時発のバスで14時過ぎには帰宅したが、少し疲れてパソコンを立ち上げる気にならなかった。

我々が高校を卒業したのは昭和34年で56年前になる。同期会の永久幹事をしている友人が几帳面な男で、同期生の消息を相当詳細に掴んでくれて教えてくれている。彼によれば卒業時の生徒数は約430名、これまでに物故された人が既に87名はおられるとのこと。後期高齢者になって、物故者が未だ20%と見るか、やはりもう20%にまでなったかと見るかは人によって違うだろう。

個人的には「やはり、もう既に」の感が強い。今年は前立腺がん治療に専念することが最大の行事になった感がある。同期会でも他人は元気そうに見えるが、一寸立ち入って聞いて行くと、がん経験者だけでも20名前後はいたみたいだし、腎臓疾患で透析中の人、糖尿病或いは糖尿病予備軍、循環器系疾患で手術を受けた人など、病気のデパートみたいものだ。考えてみれば自然なことで、何も驚くことではないだろう。

長野の同期会には初めての出席だったが、同期会の開催の日が11月11日と特定されているので来年からは極力出席したいと思っている。1年後に会えなくなっている友人もいるだろう。親しい友人仲間では互いに「来年俺はいないかもしれない」と冗談めかして言いあったが、これから先は何が起きても不思議は無い。バスの車窓に映る長野の晩秋の光景、山全体が赤茶色に染まった塊で流れて行く。この秋景色を見ながら、来年もこの会に何とか出席したいと心から思った。

2015年11月10日火曜日

政治の話題2件

明日は故郷長野で高校の同期会、残念ながらブログは休むので、今日は少し長くなるが2件の話題について書いておく。


先ずは沖縄辺野古埋立について

県と国が争っていて妥協点が見いだせそうにない。どちらの言い分が民主主義の理に適っているのか難しすぎて分からない。少なくともマスコミは公正な報道をとの立場だろうが、両者の言い分をイーブンに扱っているように見える。その上余計分からなくなってしまうのが、反対する県側のデモ隊に対する警備の問題。国側はデモ隊に工事の邪魔をさせないために警察を動員している。

最近は警視庁の機動隊を派遣してもいるようだが、地元沖縄県警が警備に当たるのはどうしてなんだろう?日本の警察は自治体警察で、最高責任者は自治体の長の筈だ。であれば、翁長知事は県警をデモ隊の警備に当てて、警視庁に対峙させればいいと思うのだが、何故か沖縄県警もサングラスにマスクなんかしちゃって地元県民を痛めつけている。我が国の地方自治とはいったいこの程度のものかと、少しがっかりでもある。

引き換え、少し古くなったニュースだが昨日知った件。アメリカの有力紙とされる「ニューヨーク・タイムズ」が、4日の社説で「沖縄の意思を否定している」と題する社説を掲載したそうだ。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、「平和や人権、民主主義を順守する国家を称する日米両政府の主張が試されている」と論じている。アメリカでは太平洋南西諸島のに於ける対中国問題が大きい筈だが、態々日本の沖縄問題をこんな形で書いてくれたとは。アメリカ市民にとってどんな意味があるか分からないにしても、日本人である小生には「なるほど」と思わせるに十分だ。

次は経済問題に関する安倍政権の勘違いについて

このブログでも何度か紹介したことがある高校の後輩、現在民主党衆議院議員になっている篠原孝氏。http://www.shinohara21.com/blog/頭の回転が良すぎるのだろう、少し早口の所為で演説が下手なのが玉に疵だが、如何にも信州人らしい理路整然(理屈ぽい)とした彼の持論はいつも傾聴に値する。頻繁にメルマガを送ってくれるところにも農家の出身らしい几帳面さがあって好感が持てる。

先週送られてきた最新のメルマガのタイトルに『日本は分際をわきまえた生き方が必要』とあったが、良いことが書いてあったので少し紹介しておきたい。安倍総理は第2次安倍政権発足直後から、政策の最優先課題に「強い経済」を掲げて3本の矢を放ち、2年半経ってその効果に疑いが掛けられているにも拘らず、先の内閣改造直後に改めて、2020年には国内総生産600兆円に増やすことを目標に「強い経済」を強調している。これを誰が聞いて有難がるのか知らぬが、馬鹿の一つ覚えとはよく言ったものだ。

小生なんかが言えるのは精々そんな悪口で終わるが、優秀な後輩の篠原氏ともなると、相当明確に反論して日本が取るべき道を具体的に述べている。里山資本主義を唱える藻谷浩介氏とも共通するところがあるかもしれぬが、篠原氏はかなり前から「地産・地消」の新語を創造して使っておられ、大言壮語をする前に、足元を見つめて自然と共存していくことの重要性を強調している。正に分を弁えた生き方が、食料問題に限らず根本的哲学なんだろう。

日本の工業製品が世界でその質が高く評価され輸出が伸びる、結果的に経済が豊かになることは喜ばしいことでもある。同じように農業生産物が海外に進出するのも悪いことではなかろう。結果的に経済が潤い、その恩恵を発展途上国に及ぼすことも結構なことだ。現実的にもそのような兆候が散見されるのも事実だろう。しかし昨夕テレビを観ていたら、我が故郷の特産品<りんご>の自給率が5割そこそこで、輸入リンゴが5割に迫っていることを知って愕然としたものだ。

昨今はTPPの大筋合意を受けて、強い経済同様に安倍政権下で強い農業の育成が目指されて、恰もその実現が夢でないような報道が溢れている。終いには強い経済、強い農業のみならず、日本の自衛隊は強いんだぞ。アメリカの軍隊でさえ杖とも柱とも頼りにしたくなるくらいのものだ。と言った論調が溢れていると言っても過言ではあるまい。70年間も生身の人間に向けて鉄砲の弾を1発も打った経験が無い組織が、軍隊として通用すのかどうか、戦いに臨んで強いか弱いかは分かりようが無い。

昔から言われているように「戦わない将軍」が一番強いだから、今のところは日本の軍隊が世界最強かもしれぬ。しかし調子づいてはいけない。篠原氏の指摘を待つまでもなく、日本は最も基本的指標とされる人口構成が、成熟期を過ぎて縮小に向かっているのが厳粛な事実。当然ながらそこに基盤がある経済活動がどう展開していくか、或いは展開すべきかである。

政権は何をトチ狂ったか、出生率を高めることができると勘違いして、相も変わらず目指す方向の転換が出来ない。己の分を弁えないこと甚だしい。もはや、政権と一緒になって日本を大国と勘違いしているNHKや読売は全く期待しない。他にもマスコミは多数ある。せめてそのうちの何社かは、先のニューヨーク・タイムズではないが、内閣の垂れ流す情報を無批判で受け売りするのではなく、冷静な目で日本社会を見つめた記事を上げてほしい。

2015年11月9日月曜日

フランス文明

下らぬ推理小説と言ってしまえばそれまでだが、あまりに面白かったので一瞬読後感を上げようかとも思った。だが、読後感を書くとしても「面白かった」の一言以外に書くべきことが思いつかない。時々気晴らしに外国のスパイ小説や戦争活劇を読むこともあるが、読書力が落ちているので文庫本1冊を1日や2日で読破するのが難しくなっている。

ところがこの週末に買った「その女アレックス」ピエール・ルメートル著は、450頁ほどの文庫本だが2日で完全に読み切ってしまった。新聞か雑誌の書評でのタイトルが記憶に残っていたのだろう、書店で「本屋大賞2015年翻訳部門1位ほか、前人未踏の7冠達成」のうたい文句に押されて買ってしまった。購入した書店では著者の作品が数点あったので、もう1作ぐらい読んでみたくなり、今日再び書店を訪れると店内改装のためお休み。他の書店に廻ると、ピエール・ルメートルの作品が1冊も置いてない。

出版社は文藝春秋社、初版は昨年9月で購入したのが第17版だから流行に後れていることだろう。購入したのは池袋の三省堂、よくぞ古い本を置いといてくれた、と感謝したい。既に有名なのだろうが、著者はフランス人。小生、不幸にしてヨーロッパ諸国を歩いたことが一度も無い。未だ外国語なんか殆ど分からない子供の頃は、外国の先進国と言えばドイツで、日本の近代化は殆どドイツを手本に進められてきたと理解していたものだ。

たまたま共に敗戦国になってしまったことは分かっていたが、つい先ごろまで彼の国の指導者だったヒトラーと言う人は偉かったとか、今でもお医者に行ってみろ、お医者さんはカルテ(果たしてドイツ語かな)を全部ドイツ語で書いている。大学の法学部なんかも英法を専攻する学生より独法を選ぶ奴の方が優秀だ。なんて大いなる勘違いをしていたものだ。因みに子供の頃覚えた外国語の走りが、「ゲルピン」(ゲルがドイツ語の「お金」でピンは日本語の「貧」らしい)となるといじましい限りだ。

引き換え、ドイツの隣にフランスと言う国があって、こいつが戦争にメッチャ弱いどうしようもない国だ。ナポレオンなんて勇ましげな将軍も出たが、結局戦争は出ると負けだったらしいとか、どうすればこんな刷り込みがなされたのか不思議だが、そのように思っていたのは事実である。ところが更に詳しく思い返すと、子供の頃から小中学生時代に馴染んだお話や小説であるが、これが不思議なことに殆どフランス作品。

先ず「小公子」「家なき子」から始まり、何度も読み返して熱中したのがアレクサンドル・デュマの岩窟王、即ち「モンテ・クリスト伯」や「三銃士」「鉄仮面」更には全集を殆ど読破した「アルセーヌ・ルパン」。ところが長ずるに及んでやっと、日本が文明開化した頃は勿論、元々世界文明の中心はフランスはパリにあったらしいことに気が付き始めた。戦争に弱いなんて言うが、野蛮なことは外人にでも任せておけなんて考えも洒落ている。ワインや芸術には縁遠いので、実際にフランスに行ってみたいとは思わなかったが、フランスと言う国は世界の中心(だった)だけに、同族意識の強い日本人には思いも及ばぬ国境を超える奥深い文明があるのだろう。と考えを急転換し始めた。

どっちを取るにしても、何れも正確な知識ではなかろう。ごく僅かな知識しか持ち合わせないが、フランスは面白い国だ。文明国フランス大統領シラクやミッテラン日本文化を愛していたのも面白い。少子化対策の先進国と聞くが、婚姻や子作りに関しても日本人にはとても真似が出来ない社会システムが確立しているらしい。同時に犯罪(推理)小説にしても、日本の田舎者には想像すらできない面白みがある。

2015年11月7日土曜日

数寄屋橋の風景

昨日途中散歩がてら久し振りに有楽町まで行ってびっくりした。何と数寄橋にあった懐かしのビアホール「ニュートーキョー」がビルごと消えてしまっていた。隣の東芝ビルはかなり前に取り壊されていたが、裏にあった泰明小学校なんかもひょっとすると無くなって、一帯が再開発されているのかもしれぬ。昭和34年初めて上京した田舎の少年の目に映った数寄屋橋界隈は、そもそも戦後の再開発初期段階の成果だったのだろう。

その時既に堀も橋も無く、都電が交差する交差点の上に自動車専用道路が高架設置され、高架下が確か西銀座デパートとか言う商業施設になっていた筈だ。この自動車専用道路に沿ってと言うか、脇にあったのが有楽町そごうデパート、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」のモデルで一躍名を挙げたが、一度も入った経験が無い。むしろ西銀座デパートの2階にあったジャズ喫茶によく行った気記憶が残っている。

ま、鉄やコンクリートで作られた都市は半世紀と持たずに取り壊され、再開発されるのは最初から運命づけられているのだから、年寄りが昔を懐かしんでみても始まらぬ話だ。そこで小生は反対側にある昔の日劇、はたまた朝日新聞社か、現在は有楽町マリオンなる商業施設にある映画館のポスターを見て、急に観る気になった映画があった。テレビで予告編を見て、出来れば観てもいいかと思っていた「エヴェレスト」である。上映30分前とタイミング的にはピッタリ、但し3D上映とのことで躊躇したが、思い切って専用眼鏡代を含めると大枚1500円を払って入場した。

3D映画は初めてだったが、案の定煩わしさが先に立つ。しかし好きな山岳映画だけに観た甲斐はあった。ヒマラヤ地方に行ったことが無いので本当のことは分からないが、相当な高地までカメラを上げてロケを敢行したのではないだろうか。勿論ネパール空軍の協力も得たであろう、かなり素晴らしい空撮もふんだんに使われている。ストーリーも実話に基づいているようで、登山の素晴らしさと同時に難しさを提示する内容になっている。

里山の遠足とは異なる登山とは何かである。かなり危険なスポーツ(運動)であり、それなりの訓練を積んだ人にだけ許されるものだと言うことに尽きるだろう。その中でも「エヴェレスト」は地球の最高峰でもあり、最高の体力と技術を兼ね備えた登山家だけに入山が許される山である。しかしここでは最高水準の人でも、自然のあらゆる変化に対抗することは出来ない。命を落とすか、片輪になるかの覚悟が必要のようだ。主人公は辛うじて命を拾うが、同行者を多数死亡させ、自分は両手と鼻を失っている。

自分も好きで、これまでに登山の真似事を何回かしてきた。中には途中で挫折して引き返した口惜しい経験が何度もある。この映画を観て、山頂を極める感激も分かるが、悔しくても無事下山することの大切さを改めて痛感させられた。

2015年11月6日金曜日

博奕に善悪があるのか?

予め断っておくが、個人的には博奕が性に合わない。最近の報道には理解不能のことが多いが、これはその典型だ。今朝大々的報道になっている「JR東社員ら112人賭博行為=高校野球優勝校を予想―福島 」。会社側が社員の賭博行為を発見して県警郡山署に報告したとのこと。古来賭博は天下のご法度、開帳するのはそれを承知の博徒と決まっていた。しかしこれまた万物の霊長人類の特徴だろうが、洋の東西を問わず大昔から人間は賭け事が大好きであるのも事実。

外国のことは詳しく知らぬが、日本に関して講談本の知識を前提にすれば、江戸時代庶民はご法度を犯している博徒の世話になり、政府(幕府や地方政府)も博奕開帳を大目に見る代わりに、手薄な警察機構の予備隊として彼等を重宝していたこともあったらしい。外国は少し進んでいたようで、日本でも寺社の富くじに見られるように、封建領主などが自ら富くじのようなものを発行して庶民から金を吸い上げていた例もあるようだ。

戦後はご承知の通り、政府や自治体が競って博奕開帳に依る金集めに走った。その傾向はが拡大一途で、国営の競馬はもとより、国がカジノ(常設の賭博場)まで作ろうとの勢いである。この間自治体が賭博から手を引いたと知るのは美濃部都政における都営競輪廃止ぐらいのものだろう。要するに庶民からすれば胴元が博徒であろうと、在日の人であろうと、公的機関であろうと関係無い。

博奕が楽しめればいいだけのことだ。日本で博奕に廻っているお金はいつも相当な金額で、一時は自動車業界の総売り上げとパチンコ業界の総売り上げが同じと聞いた時代もあった。パチンコの人気が薄れ、自動車業界が伸びていると言っても、公営賭博が加算されれば相変わらず賭博業界が上回ることは間違いないだろう。しかも片側に於いては、司法機関が伝統的博徒の開帳を徐々に締め上げはじめ、今や伝統的博徒の開帳なんか壊滅状態になっているのではないだろうか。

要するに博奕は庶民にとって欠かせぬ娯楽であることだ。司法関係者であろうと、マスコミ関係であろうと賭けマージャンをしない人はいないだろう。まして、仲間内で高校野球の優勝校を巡る賭けをして何が悪いのか。JR東日本とすれば、その回覧板に会社の便箋を使ったことが犯罪だと言うのか。馬鹿も休み休み言えである。巨人の2軍選手が高校野球の賭けに乗ったのは、少し意味が違うような気がするが、これとて詳しく調べれば、もっと論評すべき他の事実があるかもしれない。

少なくとも、今回のJR東日本郡山総合車両センターの場合、届け出を受けた県警郡山署も扱い方には苦労することだろう。

2015年11月5日木曜日

長生きは結構だが

先日も書いたが、運転免許証の件。73歳で認知症の人もいれば、93歳でも認知症でない人もいるだろう。認知症なんて医学用語かどうか知らないが、あまりピンとくる言葉では無いことだけは確かだ。ぼけ老人は医学用語ではないが、分かり易い普通名詞だ。医学的にはもっと明解な診断結果が欲しいものである。歳を取れば五感も鈍るし、反射神経の感度も劣化するに決まっている。筋肉の劣化に至っては20歳前後でピークアウトするのが実感だ。高校時代までは鉄棒が好きで、高鉄棒にぶら下がって腕力だけで鉄棒の上まで身体を引き上げることができるのが自慢だった。

大学に入ってから後は、東京での刺激が強すぎてすっかり怠けてしまった。就職したての頃、日比谷公園にあった鉄棒に目が止り試みにぶら下がってみたが、全く情けないことに、もう蹴上がりさえできなくなっていた。22か23歳頃のことである。個人差はあっても、肉体の経年劣化を止めることは難しい。70歳以上は運転免許の更新にはやや厳しいテストがあるやに聞くが、余り実態が伴っていないようでもある。

個人差があるので、老人の肉体の劣化度を測るのは何が適切なんだろう?教習所の実技だけでは難しいことだけは分かる。マイナンバー制が稼働し始めたら、医療情報として癲癇での受診が自動的に免許資格の取り消しに繋がる日が来るのだろうか?

昨日は郵政関連で、東証に新規大企業3社が上場されたとのこと。何年も前から予定されていたことなので驚くには当たらないだろうが、報道によると10数兆円の新規株を購入した半数以上が新規の投資家だったとのこと。流石これにはびっくりした。不景気なことばかり言っている我が家とは全く逆に、日本にはまだ相当なお金持ちがいるらしい。安倍政権が目指す景気回復も実現するかもしれぬ。

若い時分には想像すらできなかった目まぐるしい世相の変化を見るにつけ、よくも長生きしたものと思う。時には、両親が90歳まで生きたので、ひょっとすると俺もうまくすればなんて思わないでもない。しかし冷静に考えれば、社会的に無用の長物化した現在、後5年も10年も生きることはある種の罪ではないかとも思えてくる。

2015年11月4日水曜日

おっちょこちょい

標準語であるかどうか知らないが、人間の性格を表す形容詞「おっちょこちょい」は、軽はずみな行動を形容しているのだろう。しかし語感が如何にもユーモラスで、初めて聞いても、意味がよく分かるのではないだろうか。己の性格でもある。この性格は天性のものか後天的かも分からないが、自覚していても75歳になっても治らない。今朝ネット上(mixiニュースランキング)に面白い記事を見つけた。「12星座【ケンカっ早い】ランキング 牡羊座は導火線に火がつきやすい!」である。
http://news.mixi.jp/show_ranking.pl?type=access

人間の性格が生年月日で決まる筈もあるまいと思いはするが、牡羊座生まれなので、つい目が行ってしまった。いろいろ書いてあるが。「導火線に火がつきやすい性格」は当たっているような気もするが、「何ごとも一番でなければ気がすまない」とあるのは少し違うかなとも思う。確かに、子供の頃は喧嘩っ早い性格だったような気もする。喧嘩もよくしたが、いつも負けて泣かされてばかりなので、喧嘩してすっきりしたことは一度もなかったと思う。要するに小生の場合は、子供の頃から「おっちょこちょい」なだけだ。

今更手遅れだが、せめてこれからは気を付けなければいけない。と思いつつもである。

最近はよくネットで囲碁を楽しむが、囲碁は戦いの連続、即ち常に喧嘩状態にあると言っても過言ではない。しかし6千局もヘボ碁を打ち続けて最近やっと少し分かってきたのは、やっぱり喧嘩っ早いと碌なことは無い、である。そこで最近は出来るだけ腰を落ち着けて、戦いを仕掛ける時期を待つように心掛けている心算ではある。ところが、ある程度善い戦いで進んでいるのに、終盤でとんでもないポカをすることがよくある。これも性格のなせる技と勝手に思っているのだが、牡羊座の性格には「おっちょこちょい」の方が似合うとするべきか。

2015年11月3日火曜日

東京の秋

6枚綴りのカレンダーが最後の1枚になってしまった。年賀状が発売になったようだし、秋の深まりと冬支度についてを実感せざるを得ない。とは言っても自分の生活は特に何も変わらず、平凡な日が続いている。但し、家の方では先週末に婆さんが居間の障子を張り替えてくれたので家の中が明るくなった。後は炬燵がいつ出て来るかだ。

自分のライフスタイルは変わりようが無いが、自然は着実に移りゆく。朝歩くと、舗道には柿色になった桜の落ち葉が降り積もり、桜並木の近くのお宅では朝の掃除が大変そうだ。ご近所の門前に、菊の鉢植えをずらーと並べて通行人を楽しませてくれているお宅がある。先週末までは未だ蕾が固かったが、今朝に見ると見事に咲き始めている。

11月3日の今日は弟と孫の誕生日、昔から晴れの特異日だそうだが、昨日の冷たい雨が嘘のような見事な秋晴れになった。昼間は祝日で少し人通りが少ない街中を散歩しただけで気持ちまで晴々した。来週は故郷長野で高校の同期会があるので、出席するのにJRでは費用が掛かり過ぎるので、バスで行くことにし、切符購入の為に池袋まで散歩。

2015年11月2日月曜日

大手の冬のボーナス

ボーナスと縁が切れて20年の歳月が過ぎた。今朝久し振りに「大手企業の冬のボーナス 3年連続増加へ」なる記事を懐かしく読んだ。それによると、経団連が先週までに纏めた東証1部上場、従業員500人以上の企業80社のデータによると、従業員1人当たりの平均で91万697円とのこと。去年の実績と比べると金額で2万円強、率にして3%増え、3年連続の増加で、回目の集計としては、今の方法で集計を始めた昭和56年以降で最も高い水準だそうだ。

業種別でみると、98万円強の自動車がトップ、続いて機械金属、造船と続いている。経団連は12月下旬に最終集計をまとめる予定で、「最終的に高い水準になるのではないか」と話している。これら大企業の従業員の皆さんにはご同慶の至りだ。しかし、全労働者人口を考えれば、調査対象にならない中小企業の従業員数と、調査対象企業従業員では数的に圧倒的な差があるだろう。新聞テレビで大々的の報道されたこのことを恨めしく思う人が、どれほど多いかも容易に想像できる。

まして、65歳を超える高齢者が2012年の段階で3千万人を越しているのだから、特筆大書されている報道に接して鼻白む思いのご同輩がも多いことだろう。このニュースでマスコミは、財界や政権に恩を売っているつもりかもしれぬが、利益が増大して社員にボーナスで還元したとは言いながら、その大企業の将来もそんなに明るくないのではないか。

海外での市場拡大が命題となっている日本企業にとって、為替の変動、円安効果が効いて見かけ的には利益が増大したように見えても、現地通貨ベースで本当に売り上げが伸びている企業は少ないらしい。当たり前の話で、現在世界中のどこを探しても、景気が良くて需要が活発なんて国は殆ど無いに等しいのではないか。欧米や日本などの所謂先進国は、景気づけに戦争をおっぱじめるような危険を冒さず、頭を冷やして貰いたいし、日本もダウンサイズしていく国力に応じた豊かさについて考えるべき時だろう。

豊かさとは何か。愚考するに「ボロでも雨露凌ぐ家があり、取り敢えず明日もまた普段通り、粗末であっても三度の飯には何とかありつける見込み。」さえあれば御の字である。更に言えば隣近所に不審者が少ないことも上げておこう。

2015年11月1日日曜日

総理表敬の偽装と擬態

スポーツ選手の精進には擬態はあり得ないし、競技の結果に偽装もあり得ない。しかし、男子フィギュアの羽生結弦選手でさえ、グランプリ・カナダ大会のように試合で最高の演技が発揮できず、不本意な成績に終わることもある。しかし、その競技に打ち込むひたむきさは誰が見ても清々しく感じるだろう。体操の世界選手権では個人6連覇を果たした内村航平選手でさえ、団体戦では床と鉄棒ではとんでもないミスを犯した。それでも、他の選手の善戦もあり、団体で37年振りの優勝とは嬉しい限りだ。巷には聞くだに嫌になるような暗いニュースが多い中、一服の清涼剤になるのはスポーツ選手の活躍だけと言うのは実に情けない世の中ではないか。

原発再稼働承認や沖縄基地問題など重要な案件が山積している中、何の目的があったのかはっきりしない中央アジアの国々を表敬しまくって、お金をばら撒いてきた安倍総理が帰国したのはいつだったのだろう。総理が国内にいるときニュースになるのは有名人の表敬である。数日前にもノーベル賞受賞の先生お二人が「総理を表敬」と報道されたから、いつ間にやら帰国されていたようだ。

マンション建設で偽装問題を指摘しているマスコミも、総理周辺の報道についてはおかしな日本語の使う。総理が有名人を呼びつけて、面会の様子を報道させることを「表敬」と言うか?官邸に招いて個人的に褒美を上げたなら、そう書けばいいではないか。個人的には褒美も上げられないので、先方が訪ねて来て総理に敬意を表したと言うのか?そんことは無いに決まっている。「表敬」なんて言葉が中学校のテストに出たら、新聞社は責任を取らねばなるまい。

その総理が、今日また隣国とは言え外国に行かれた。今度の外遊は単なる表敬ではなく、目的がかなりはっきりしている。日中韓首脳会談に臨むためである。日韓首脳会談は3年以上開かれていないそうだが、米国オバマ大統領から、日韓双方にかなり強力なプレッシャーが掛かってと報道されている。日中韓は互いに隣国であるから、経済関係のみならず、相互に関係することは沢山ある筈で、それこそ頻繁に表敬があってしかるべきだろう。

それが、日中日韓関係はどうもぎくしゃくし過ぎている。当たり前だ、現政権は先の中央アジア訪問でもそうだったが、口を開けば価値観の異なる国として中国のことを悪しざまに言って歩いている。韓国については歴史観の違いが、何時まで経ってもすっきりしない。否定するならそれでいいが、口先では戦後70年の談話に観られるように、村山談話や河野談話を受け継ぐようなことを言ったりするから余計ややこしい。

総理は、最近騒ぎになっている横浜のアパート建設に関するデータ偽装問題をどんな気持ちで受け止めているのだろうか。少なくとも外交は国家の威信を背負った真剣勝負の筈、擬態や偽装が通じる筈も無かろう。国際試合における若手スポーツ選手の精神を見習うべきだ。

2015年10月30日金曜日

沖縄は日本

日本は世界の中では小さい国のようだが、75歳になった今でも未だ一度も土を踏んだことの無い県が幾つかある。結構広いし、方言を含め地方色も結構豊かな国だ。しかしどの府県に行ってもそこそこ山もあるので、100名山踏破と大それたお考えの方は、殆ど全都道府県を歩いた経験をお持ちなのだろう。鉄道マニアにしても然りだ。そんな目的を持って全国を歩いている方は、沖縄県だけは行かなくても済んでしまう。

沖縄の山と言うのは聞いたことが無いが、何処に行っても美しい海がある。現役時代は山には全く興味が湧かなかったので、40歳になるかならぬか頃、夏に何度か沖縄に遊びに行った想い出がある。沖縄はハワイなんかと異なり、ビーチしかないので変化がなくてつまらないと言う遊び人の友人もいたが、水泳が好きだったし、いろんなマリーンスポーツに挑戦できたので、小生には健康的で楽しかった。

今は趣が違っているかもしれぬが、正直なところ当時から国内旅行の割には結構高くついた記憶があり、当時はどうせ行くならハワイへと言う人間が多かったようだ。小生は飛行機が苦手で、沖縄の方が早く着くからと主張して沖縄に引っ張った記憶がある。しかし、当時から沖縄を半分外国気分で見ていたことも事実だろう。その沖縄が現在揺れている。昨晩のテレビで地元の年配の方が「いつまで経っても沖縄は日本の植民地です。」と寂しげ話すのを聞いて、ハッとした。

確かに、自分も沖縄の騒ぎを他人事のように見ている。しかし豊島区に米軍基地があって、オスプレイが昼夜を分かたずに我が家の上空を飛び回る事態を想像してみよう。或いはそんな計画が豊島区で持ち上がり、区長が反対を表明して国に抵抗したらどうするだろう?米軍基地が来れば戦争に真っ先に巻き込まれるのは必然である。今であれば婆さんと相談して引っ越すかもしれぬが、少し若ければ抵抗運動に身を投じてテロリストにでもなり兼ねない。

終戦直後は日本中に連合軍基地が置かれ。沖縄返還時の米軍基地の分布を見ると、沖縄の基地は確か20%台だった筈だ。それが、返還後40数年で75%に膨れ上がっている。この事実について、沖縄県外の人は殆ど無関心で「そうなの」の一言で済まそうとしている。1972年5月沖縄返還が成立した式典で、佐藤総理を初めとする政治家が万歳をして喜んでいる。この万歳は、内地の厄介事を海の向こうに押し付けることができる喜びだったのか。

委任統治と言う形で外国に絡め取られていた同胞を、開放できた心からの喜びだったのか。現政府の態度を見る限り、沖縄の人を差別、蔑視しているようにしか見えない。内地の一員としても少し真面目に考えなくてはなるまい。

2015年10月29日木曜日

未来の車

認知症を自覚した訳でもないが、可能性を心配して運転資格を放棄してから早いもので5年経ってしまった。昨日の報道によると、そう遠くない将来には手放しで運転できる自動車が開発されるそうだ。仮に明日その車が実現しても、小生には無縁のものである。むしろ昔、自転車に乗れるようになって暫く後に、恐る恐る片手をハンドルから放し、更に暫く経ってから両手を放しても倒れなかった時の喜びが懐かしく思い出す程度のことだけである。

しかし住む場所などの環境によっては、そう暢気な話では済まない人も沢山いるだろう。皮肉なことだが、昨日は宮崎市で悲惨な交通事故が起きた。運転していたのが73歳の方だったそうで、持病の癲癇に加えて数日前には認知症との診断がされたばかりとのこと。事故の被害者は浮かばれないだろうが、癲癇持ちや認知症の患者から運転資格を取り上げるのは容易であるまい。そう遠くない将来と書いたが、早いとこ自動操縦の自動車を開発して、資格が無くても車の運転ができるようにしてほしいものだ。

このところ個人的には無関係な事柄にせよ、科学技術の進歩が社会に多くの恩恵をもたらしていることは喜ばしいのだろう。しかし一方で偽装だとかインチキ臭い話が余りにも多く湧いてきているように思えてならぬ。科学技術の先進国ドイツの1流自動車メーカーでさえすることだから、我が国の大企業、天下の「東芝」が決算を誤魔化すなんてことは仕方ないのか。ゼネコン然りだ。もっとも土建業のお歴々に言わせると、昔から業界の方は、ご自分がお造りになった橋や道路は怖くて使わないとしたものらしい。

科学技術の進歩や発展が、人間に対する信用を減じているとすれば、科学技術の進歩も余り有難がってばかりはいられない。

2015年10月28日水曜日

延命治療

昨日読んだ雑誌「新潮45」11月号に面白い記事があった。臨床医の里見清一氏が書いたもので、高価な新薬が次々に開発されるのは良いが、これに伴う医療費の高騰で国家財政が破綻しかねないとの警鐘を鳴らすものである。人間だれしも健康で長生きを願うだろうが、後期高齢者が更なる延命のために、効果の程がよく分からない高価な薬品に頼るのは如何なものか、との問いかけに共感を感じるところもあった。

氏が言わんとするところは、最近評判の高価ながん治療薬の中には効く場合の確率が3割以下なんてものもあるらしい。しかし一旦使い始めると「あなたには効かないみたいです。」と宣告するのが難しく、だらだら使い続ける傾向があって、これが国家財政における医療費補助の大きな要因になっているらしい。本論はそこにあるのだが、共感を覚えたのは他の個所である。氏曰く、医療を大別すると「延命治療」と「対処療法」に分けられる。

一般的な意味と異なるかもしれぬが、「治してしまう」治療(がんの手術、肺炎に対する抗生物質など)も延命治療の一種である。引き換え、「対処療法」は痛みや苦しみを除く手当を言うらしい。アメリカでは、75歳以上の人に対する延命治療禁止を提唱している有名な医者がいるらしい。それを引き合いに出して、後期高齢者が徒に国費を浪費して延命を図ることに疑問を投げかけていることに関心又は共感を覚えた訳である。

たまたま、後期高齢者の無料検診の結果が出たからとて掛かり付け医から電話が来たせいもある。友人の中には、面倒だから区の健康診断なんか受けない、と断言する人も何人かいる。小生は後期高齢者に突入した今年になってから、前立腺がんの治療で健康保険には150万円以上お世話になった筈だし、区の無料検診は以前から几帳面に毎年受けている。何だかんだと言いつつ、後期高齢者になりながら延命治療に相当依存している口だ。

しかし、如何に延命を図ろうと、身体の劣化は着実に進んでいるのも事実。特に先週のハイキングではその思いが強く印象付けられた。今日読んだ何かにもあったが、人間ピーク時には思いがけないパワーを発揮するものらしいが、盛りを過ぎた人間は幾ら力んでもパワーが出ないと決まったものらしい。分かっているつもりでいたが、本当は全く分かっていなかった。無駄な検診や延命治療はやめて、今後は対処療法に限るのも一つだろうが、どうもうまく割りきれそうにない。しかし、残す人生の生活態度については、改めて考え直す必要がありそうだ。

2015年10月27日火曜日

読後感「宇宙は何でできているのか」村山斉著

最近書店を覗いても読みたい本がなかなか見つからない。自分の書棚をボーと眺めていたら、なんでこんな本が置いてあるのか不思議に思う本に目が止った。新書版でそんなに厚いものではない。書棚の本に触ることは殆ど無いのだが、思わず取り出してパラパラと頁をめくる。と、中から領収書が出てきた。2010年10月8日池袋旭屋書店のものである。読後感をSNSに上げ始めたのは2006年からだから、当然既に読後感を書いている筈だが、調べても出てこない。

きっと難し過ぎて読み終わらなかったか、読んでも意味が分からなかったのだろう。購入した記憶すらないのだからどうしようもない。たまたま先日東大宇宙線研究所長の梶田梶田隆章氏のノーベル賞受賞が決まったばかりで、再び「ニュートリノ」がマスコミを賑わしている。2010年に理解できなかった脳味噌が退化こそすれ、進化することは100%ないが、暇だけは増加の一歩である。暇に任せて頁を最後まで繰ってみた。

結果的には、著者が一所懸命努力をしているにも拘らず「ニュートリノ」についての理解はゼロに近い。しかし面白いところも多分にある。普段全く考えてみたことが無い「宇宙」についてであるが、確かに自分は宇宙の一員であることだけは間違いない。先祖に思いを馳せると同時に更に遡って地球の誕生を通り越し、宇宙の起源に遡って考えるのは冥途の土産としては最適かもしれぬ。本書でも宇宙の起源は百数十億年前のビッグバンの一言で片づけられてるだけだが、宇宙とは何ぞやについてはかなり分かり易く説明してくれている。

大胆に言ってしまえば、宇宙を構成している物質について現在分かっているものは宇宙全体の星の重量を含め5%にも満たないものらしい。分からない物質が95%以上存在することだけが分かっているとのこと。科学て奴はなんて素晴らしいものだろう。見えないところにある地中や海底もさることながら空の星やお天道様を含めて、何が何やらさっぱり分からないことが95%も残されていることを発見してくれているのだ。何でも知ったかぶりする人間が多い世の中で、このような謙虚さを知るだけでも眠気と戦いながら読破した甲斐があるともいえる。

更にこの書で評価に値するところをもう1点。素粒子物理学と聞くだけで頭が痛くなる筈だが、全編を通じて数式がたった1件E= mcの2乗だけある(この有名な数式ですら疑い無しとは断言できかねるらしい)。代わりに多用されているのはポンチ絵同様の図式や写真で、著者の努力が偲ばれる。著者の期待に添えきれず申し訳ないが、現在急速に膨張しつつある宇宙の行く末が面白い。どこかで膨張が止ると恐ろしいことになるのかどうか、諸説あるようだが、現在のところ宇宙は未だまだ加速しつつあるようだ。即ち若いと言うことらしい。若さはいつでも何でも素晴らしい。これだけでもハッピーではないか。

2015年10月25日日曜日

気分はすっかり冬

先週水曜奥多摩で紅葉を見た時、山小屋の人が言っていました。「今週末になると、もう見頃を過ぎてしまうだろう。」山での季節の移ろいはそんなに早いものかと思いながら聞いていましたが、今朝は東京でも急に寒い風が吹き始めました。気象庁は未だ発表していませんが、多分、木枯らし1号になるだろうと専らの噂のようです。昨日の朝婆さんが「明日から下着類を冬物に変えてあげる。」とて下着を冬物にしたタイミングがドンピシャでした。

水曜日山から帰って以来昨日まで、足腰の調子がおかしかったのも治ったみたいでホッとしたところです。筋肉痛の解消に3日も要するのは歳を取った証拠でしょうが、もの忘れの激しいことも悩みの種です。普段から多い上に、疲労が重なると余計激しくなる傾向があるようです。ただ代わりに頻尿が少しおさまって睡眠だけは十分すぎるくらい取っています。

昨日の夕方友人から電話があって、今日の夕方6時から落語家「三遊亭歌扇の独演会」に誘われています。場所は神田ですので、落語の後は久し振りに暖かい日本酒でもやりながら、政府の悪口でも言って憂さ晴らしが出来そうなので楽しみにしています。気分はすっかり冬です。

2015年10月23日金曜日

ノーベル賞・大村先生に拍手

つまらぬニュースばかりの世の中だが、昨日、やや旧聞に属するニュースの中から感心すべきニュースを発見できてうれしかった。帰宅して婆さんに話すと、有名な話だそうで、丁度山に行っている間の出来事、ラグビーワールドカップ出場の3選手が総理官邸に報告に及んだと相俟って解説してくれた。ネットの記事のタイトルが『総理大臣がなんだ!ノーベル賞・大村智先生の、権威に媚びない「痛快人生」』である。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45883

URLから記事をご参照頂けばよくお分かりになるが、受賞の一報を受けての北里大学での記者会見をしている席上、業績紹介や学長挨拶の後、詰めかけた報道陣を前に大村さんが挨拶をしようと口を開きかけた刹那、事務方が「安倍総理からお祝いの電話です」と耳打ちした。とある。総理が勿体を付けて、秘書官に電話しろと命じたらしい。すると、大村さんは「あとでかける」とにべもない。大村先生の応答に無礼は無いし、むしろ相手の都合を弁えずに電話した総理の方が礼を失しているので当たり前だと思うが、小気味良いとはこのことだろう。

そもそも国民への奉仕が仕事の安倍総理は何様の心算だろう。完全に己の役割を勘違いして、封建領主の心算でいるようだ。ラグビーの選手たちも官邸に報告に来たとあるが、婆さんも「官邸が呼びつけたに違いない」と言っている。ネット上にも「そんな暇なら臨時国会でもきちんと開けよ!」趣旨の書き込みが溢れている。兎に角国民的人気者に少しでもあやかろうとのさもしい根性が見え見えで、品性が益々薄汚く見えてくる。

婆さんが、更に大村先生の生きざまについて解説を加えてくれた。曰く、今回ノーベル賞授与の対象になったご自身の発明から医薬品の開発に至る過程で、発明を単に特許で保護することなく、世界でも有数の製薬会社メルクと堂々とビジネスをされたこと。それ故有利な研究環境が構築できて、素晴らしい新薬の開発に至った。そして結果的に、特許販売なんか比較にならない莫大な利益を手にされたこと。またその利益を殆ど私せずに、学校を初め地域社会発展に投げ出されているそうである。

国会開催を逃れるために海外に逃亡のような無意味な旅行をしている総理は、大村先生の爪の垢でも譲ってもらって飲むが善い。もっとも婆さんに言わせると「先生も奥さんを亡くされているのであそこまで淡白に慣れた可能性が高い。女性が側に居てはそこまで淡白になれない。」やっかみ半分のそんなことはどうでもいいし、とても真似が出来る話ではないが、大村先生の生きざまに拍手を贈りたい。

2015年10月22日木曜日

リハビリハイキング




月曜日のブログで書いた通り、今週は頭から素晴らしい天気だった。過去2年間山歩きを自粛してきたが、こんなに天気も好いし身体の調子も徐々に良くなってきている。19日の昼頃この絶好の天気を逃す手は無いので、山歩きに挑戦しようと思い立った。翌日出発となると行くところは限られてくる。近間の奥多摩でどこにしようか少し迷ったが、結局通い慣れたるの心算で雲取山に決めた。

翌日も快晴、池袋発7:30の西武電鉄レッドアロー号なので、起床時刻も平常と足して変わらず、婆さんにも余り迷惑掛けずに済んだ。予定通り10:30頃から三峰神社を起点に歩き初めるが、やはり久しぶりなのでペースがうまく作れない感じ。しかし道は何度も来てよく分かっている。何とかなるだろうと高を括って歩き続けたが、行程の半分くらいで足がつると言うか、硬直して上がらなくなってしまう。こりゃいけないと休憩を取り、持参の津村順天堂の漢方薬68[芍薬甘草湯]を飲んで気を取り直す。

結局同じバスで来た4人の中では一番最後になり、5時間半以上かかってようやく山荘に到着。山荘は客数も20人一寸くらいだったろうか。比較的すいてはいたが、予約を入れるのを忘れてきたのでフロントでいきなり文句を言われてしまう。こちらが悪いのだから仕方がない。お客さんはやはり同じ年恰好の人が多かった。その中で2歳年下ではあるが山にかけては大ベテランの人と仲良くなって、消灯時刻の8時半まで四方山話で楽しく過ごす。

翌日の昨日も朝から快晴、昨日が余りにきつかったので、無理をせずゆっくり鴨沢に降るつもりで6時15分位に山荘を出発。殆どの人は10時40分かのバスに間に合うように6時前には出発したが、その後は13:58までバスが来ないので、相当ゆっくりできる筈だった。

ところが、小生よりさらに遅れて出発した先夜仲良くなった人に山頂で再会。聞くと三条の湯方面に降る予定とのこと。少し遠回りになるだろうことは当然予想できたが、7回も来ていて未だ一度も通ったことが無いルートの話だ。バスについて聞くと3:30まであるから全然平気とのこと。連れて行ってもらえぬかと頼むと快諾してくれた。彼にも昨日の状況は十分話してあったが、二人とも足に不安が残っていても、降りだから何とかなるだろうと意見が一致した。

降り初めは急斜面が30分ほど続き、ちょっと不安になるが道を選んでしまった以上仕方ない。しかし急坂を500mほど下るとゆったりした降りの巻道になる。これが1時間ほど続くが、この間の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがあった。人っ子一人通らず紅葉が真っ盛りで勿体ないくらい。結局山頂から7時間半に亘る長い道中で、最後の45分は又足が前に出ない憂き目にあったが、素晴らしい山行きになった。

今日も身体の方は後遺症で大変である。毎日1万ぽ歩くことだけは意識してトレーニングのつもりでいたが、平地の歩行と山での歩行が全く異なることを思い知った。これから月に1回くらいは近くの里山で歩くことを心掛けないといけない。

詳細をヤマレコにアップしました。

2015年10月19日月曜日

小役人的発想

[まえがき]
珍しく野党批判なので、予め自民党をくさしておこう。
首相のメルマガに次のような投稿(10月14日付)が掲載されている。
<伊万里の窯業家の皆さんから、美しい壺を「献上」いただきました。>
一億何とかも同じだが「献上」とは面白い言葉遣いなのでご披露しておく。

少しおつむが弱い世間知らずのボンボンも困るが、小役人的発想の秀才も困る。
共産党が提唱した「国民連合政府」についての民主党代表の岡田哲也氏の発言「選挙協力は可能だが連合政府は難しい。」である。小生はかなり以前から民主党を応援してきた。理由はいろいろあるが、民主党には自民党と比較すると、政治を真面目に考えている頭の良い人間が多いと思っている。しかし頭の良い人間の集団はそれなりに悩みがある。一番の問題は、まとまりが悪くていつまでも結論が出せないことだ。自民党の派閥より始末が悪い。

議論が延々と続き、いつまでも結論が出ないばかりか、分裂まで行くこともしばしばのシーンをこれまでも嫌になるほど見てきた。現在の民主党にも優秀な人材が豊富であるのは事実で、岡田党首も枝野幹事長も個人的には優秀であるのは自他共に認められると思っているのだろう。しかしどう見ても、党内が自公政権打倒に向けてしっかり纏まっているようには思えない。政権側から見れば勿怪の幸いで、閣僚が変ろうとTPP交渉が大筋一致になろうと、臨時国会すら召集せず、野党の意見なぞ聞いても仕方ない風情である。

野党側には他にも維新の党のごたごたもあるし、自分の頭の蝿を心配しろ、と言われても仕方ない面もある。置き去りにされている国民側からすれば、迷惑な話だ。民主党も一旦解散して自民党に行きたい人は自民党に行く、維新なんかとくっつきたい人はくっついて、その上で新党を立ち上げてはどうなのか。それで現在の多数乱立野党が少しでもすっきりした方が、少しは分かり易くなるだろう。

いずれにしても長年応援してきた民主党だが、寿命が尽きた感じである。党内には党名の変更を主張している人間もいるようだが、名前の変更だけで支持を繋ぎとめるのは不可能だろう。そんな矢先の共産党の連合政府構想の提案である。小沢一郎氏辺りが支持しているとの噂もあるが、実に傾聴に値するものと思う。子供の頃と言うか最近まで、共産党と聞くだけで、なにか普通でない極悪非道の人間集団のような響きがあったのも事実だ。

しかしここ数年国会審議をネットで注意深くチェックするようになって、大分イメージ変ってきた。質問をよく聞くと、結構まともな質問が多い。その影響もあって、確か前回の参議院選挙で小池亮氏の名前を書いた記憶がある。共産党側は今回の連合政権構想の提案について、党のアイデンティティと言っても過言ではない主要政策を、いずれも凍結して日米安保や自衛隊など現状を容認する方針を明言し、且つ閣僚を出すことが連立政権の障害になるのであれば、閣外協力にとどめることも辞さないとまで言っている。(志位委員長が外国特派員クラブで記者の質問に答えて)

ところが、岡田代表は、例え目的を安保法制の廃止に絞った短期であっても、共に政権を作ることについては難しいと難色を示している訳だ。その理由であるが、具体的なことではなくて、共産党の全体主義に対する党内アレルギーを払拭できないだろうとのこと。これだから、お利口さんは困るのだ。現政府の1強体制は正に全体主義そのものではないか。これを打破するために、仮に新たな党が生まれて、党議拘束を掛けることが何故全体主義の誹りを受けなければならぬか。全く理解に苦しむ。これが自分の責任を常に避ける習性の小役人的発想と言うらしい。

[あとがき]
朝から気持ちの良い秋晴れ、予報では明日明後日と続きそうだ。久し振りに雲取山まで歩いてみることにして、明日7:30西武線特急の切符を購入。2日ほどブログは休みます。

2015年10月18日日曜日

世界の中の日本

昨夜から今朝にかけて、各マスコミで米国オバマ大統領と韓国朴大統領との首脳会談と共同記者会見の報道が大きく扱われている。内容的にはあまり詳しくないが、映像と写真を見る限り、日米首脳会談当時の米国大統領の表情とかなり異なる趣のようだ。人間と言う生き物は不思議な生き物のようで、顔に感情が出るものらしい。犬や猫に詳しい人であれば、動物の顔にも感情表現があると言うかもしれぬ。

なにせ人間以外の動物を飼ったことが無いので、取り敢えずは顔での感情表現は人間固有のものだと考えておく。もっと言えば感情のみならず心根と言おうかもっと深いところまで、人間の顔には表れてしまうとも思っている。そんな観点から日米及び韓米首脳会談後の記者会見を比較すると、残念ながらオバマ大統領がどちらに好意を抱いているかについて、日本の方が大分見劣りするような気がしてならない。

我が国では韓半島を一時自国扱いしていたことから、韓国を少し格下に観る傾向は否めない。確かに人口や経済力なんかを考えれば彼我の差はまだ相当あるのだろう。仮に日本を大国、韓国を小国と相対的に捉えてみたところで、この差は一体なんだろう。人口やGDPが日本より低い英国は小国と言えるのかである。恐らく英国を小国と断じ得る日本人は少数派だろう。米国からすれば日本も韓国も同じ小国だろう。

その小国の首脳の扱いに差(実際には差なんぞ無いかもしれぬが)が出てしまうのは何故か?察するに価値観に於いて共通するものの多少、又は相手に対する敬意の多少に関係しているようにも思える。安倍総理からすれば、日米ほど価値観を共有できている2国関係は無いと思っているのだろう。しかし、それがとんでもない勘違いで、米国からすると、日本は利用価値はあるが本格的外交面では一人前の国家として扱うには及ばない、それこそ味噌っ子だと思われているようにさえ思えてくる。

このように悲観的に考え始めると、ロシアや中国首脳の日本に対する言動を観察するに、彼等も口先では一応の敬意を払うように見せながら、内心もう当分この国とはまとも付き合っても仕方ない、と意識の外に置かれているような気がしてくる。最初のつまずきは総理の歴史認識の甘さにあったかもしれぬが、先週官房長官が口走った「ユネスコ分担金停止も・・・」なんかを聞いていると、まともな大人が言うべきこととはとても思えない。

当然ながら国際的に発信されている筈で、諸外国から特殊児童扱いされないことを祈りたくなる。

2015年10月16日金曜日

1945年


昨日、病院通いで長いこと足が遠のいていた国会図書館に行ってみた。図書館は落ち着きがあって精神衛生にもかなり有効な場所であることを再認識することが出来た。強いて難を言えば、食事があまり美味くないことかもしれない。国会図書館には食堂が3か所用意されているし、コンビニ的売店もある。弁当持ちで来館しても、食道の一角にはその人たちのためのコーナーが設けられている。食堂のメニューは学食みたいもので豊富ではないし、ワンプレートの日替わり定食が中心メニューになってしまう。但し料金が安いことでは共通していて、数年前までは定番のカレーライスが300円台だったこともあったが、さすがに昨今は500円前後になってしまっている。

多くの国民に親しんでもらうからにはそれが当たり前で、文句を言うのは年寄りの我儘でお門違いと言うことなんだろう。余計なことを書いてしまったが、蔵書の豊富さと借り出しや複写サービスの行き届いたシステムと読書環境の素晴らしさはさすがと言うしかあるまい。特に最近は蔵書のデジタル化が進み、館内の端末で相当数の読書が可能になってきているのも嬉しい限りである。特に古い雑誌類は殆どデジタル化されているし、新聞社のデータベースともリンクされている。従って、目当ての書物を借り出し入力した後、カウンターに届くまでの約20分間は、古い雑誌などを読みながら待つのも楽しみの一つだ。

昨日久しぶりに訪れて、閲覧室近くにあった展示場が無くなったなと思ったら、昔とは違った場所に展示場所が移って規模が拡大していた。タイトルの「1945」その展示のタイトルからである。戦後70年を記念してのことだろう、昭和20年終戦前後の出版物の展示だあった。館内で興味深く観たのだが、展示脇にパンフレットがあって展示目録が書いてある。これを持って案内係まで足を運んで聞いてみると、この展示はネットで一般公開がされているとのこと。蔵書のデジタルデータは、現在館内でしか見ることが出来ないのだが、このイベント展示と同じようにネットで一般公開される日が待ち遠しい。

読者の皆さんも暇があったら是非下記URLから展示をご覧になってください。
http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1211430_1376.html
下の方に<出展資料一覧(デジタルコレクション等へのリンクつき)(PDF:193KB)>があります。このリストから更にいくつかの項目にURLが記載されていて、デジタルデータを開ける仕組みになっています。

その中の一つ、帰宅してじっくり読んだのですが、後に総理大臣になる芦田均氏の質問主意書に深い感銘を受けました。タイトルがやや長いのです『大東亜戦争を不利なる終結に導きたる原因並に其責任の所在を明かにするため政府の執るべき措置に関する質問』これは原稿用紙に手書きで書かれた実物が展示されていたのですが、下記でテキスト化したデータを読むことが出来ます。
http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/097/097-001tx.html(必読ものです)
この質問趣旨書は終戦翌月の9月に書かれたものだったので、政府からまともな返事を得るに至りませんでした。(政府答弁書を受けての芦田氏の感想もデータ化されています。)
http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/098/098-001tx.html

何れも70年前のものではありますが、現政府の外交姿勢と内政に関して余りにも共通するものが多いことにびっくりする筈です。

2015年10月15日木曜日

非常識

たまには軽い話題で気分転換でもしよう。よく使う言葉であるが「常識」は定義が難しいものらしい。家庭内に於いてはほゞ定義が一致しても、一歩外に出ると常識が通用しないことがあることに気付くこともある。帰宅してから「あなたが非常識なだけよ」と叱られることが多い。己の非常識は棚上げして、先日婆さんから聞いた話が面白かった。婆さんは娘から教わったらしい。

我が家とは無縁の新聞である「日本経済新聞」の夕刊に10日ほど前に掲載された記事を見せられ二人で大笑いしたので、爺さんにも教えてあげようとなった次第らしい。題して「社会常識を身につけよう」となっている。成程「社会常識」なんて言葉もあったなと思いだしはしたものの、さてどんなことを指すのかよく分からないが、この記事を読んで成程と思い知った。

記事に「FAXの送り方知らない学生」とサブタイトルで大書してある。要するに最近の学生諸君はファックスなんて代物と関係ない人生を送っているので、就職してからファックスに初めて遭遇するようなことがあるらしい。更に、ファックスは固定電話で機能することから、電話番号に局番があることを知らない生徒もいたらしい。多分ややオーバーに書かれているとは思うが、あっても不思議は無い話でもある。

この記事を書かれた先生は、他にも女子学生のマナー講義でお茶の淹れ方が分からない女子学生、例えば茶托や急須(態々漢字で表記している)を知らない学生などにも触れられて、そのことを嘆いて社会常識の欠如を指摘されている訳である。大人である先生は、ファックスの使い方やお茶の淹れ方が社会常識と考えておられるに違いない。しかし、小生もファックスの使い方が分からない時期はあった。

分かってからは、少し年上の人の話「うちもファックスを入れたけど、どうも壊れているみたい。何度送信しても紙が戻ってきてしまう。」を聞いて大笑いした経験がある。先生から非常識と非難された青年諸君からこちらを見れば、道具や機械の使い方について非常識なところが多々あることだろう。こんな非常識は笑い話で済むから良いようなものだ。問題は常識に少し共通するところがある社会道徳だろう。

こちらも難しい問題で、小さなことを言えば電車のホームでの整列だが、東京はドアの停止位置の前で整列して待つのを常識とするが、大阪に行くとそんな常識は通用しない。常識にしろ道徳にしろ人間の習慣の問題かもしれぬが、どのように形成されるかはよく分からない。一つだけ言いたいのは、元プロレスラーの大臣と元不良少年の副大臣が揃った文科省が道徳教育を推進するのは勘弁願いたい。

2015年10月14日水曜日

マイナンバー制度

インフルエンザの予防接種を受けたせいかどうもすっきりしない。これはこじつけに過ぎないのだろうが、余り嬉しいニュースが少ないせいだろう。ラグビーワールドカップの日本チーム善戦で勇気を貰えれば有難いのだが、年寄りにはとてもじゃないがあの面々を見ているととても同じ人類には見えないし、ハードな日常なんか関係ないので、一応敬意は表したいが僻みの方が先に立ってしまう。

厚生労働省の汚職問題や、長野県小諸市郵便局の詐欺事件、種類は異なるが、東京オリンピックのロゴに都が1億2千万円の巨費を投じている報道。どれをとっても官僚機構の中には、庶民の窺い知れない莫大な無駄遣いが行われていることを示しているような気がしてならない。何と言っても毎年100兆円ものお金を使っている政府である。使い手が何人に及ぶか知らぬが、厚労省汚職事件の贈賄側は時効で罪に問えないとされているようだ。

職業はシステム開発のコンサルタント、千代田区に事務所を構え厚労省から5年間で12億円以上の受注があったとのこと。少しシステム開発の実態を知っているだけにこのコンサル会社の生態が何となく想像できる。マイナンバーのシステム開発を合計すると3兆円以上になるとの報道もあるが、誰がどこでどんな根拠に基づいて積算したものかも疑わしい。何でも官需で大きい数字をぶち上げておけば、景気向上に資するとでも言うことかもしれぬ。

ところで未だマイナンバーの通知が来ないが、これも5日に発送されているならとっくについていて当たり前だが、果たしてどうなっているのやら。もっともそんな番号を貰っても有難がることは何も無いので、来なければ来ないで結構ではある。本来システムを開発するなら、例え何年に亘る計画であっても、全体設計があって、そこから木の枝のように各論に亘る設計があり、それぞれの担当責任者が指名されて承認を得るものである。

5年も前にの事件と言うから、少なくともすでに5年以上は計画策定が行われている筈である。たまたま厚労省で事件は発覚したが、総括責任は何処にあって、チーム編成がどうなっているか誰も語らない。当然税金問題も絡んでくるだろうから、これから益々混乱が続き、全ての役所で無駄遣いに拍車がかかるに違いない。

2015年10月13日火曜日

読書の秋「縦走」67号から

最近は図書館からも足が遠のいてしまっている。書店に行っても面白そうな本が見つからない。今月は年金基金から少しばかりのお小遣いが振り込まれたので、月初にスパイ小説の文庫本を2冊買いこんで読み始めたが、最初から下らないと考えているせいか、1冊目はどうにか読み終わったが2冊目に入るともう食傷気味ですぐ眠くなってしまう。読書の秋と言うよりむしろ居眠りの季節になっている。

そもそも読書が本当に自分の趣味であるかも怪しいものだ。よく書店には行くが、自分が読みたい本があっていく訳でもない。それでもブログの読後感は185冊分が上がっているし、ここに移動する前に2006年3月以来mixiで書いていた読後感を合計すると318件となっている。10年間ちょっとの間によく読んだものだと思う一方、たったこれだけかとの思いもある。しかも軟らかの本ばかりだ。

社会人になりたての頃、広告屋なので文藝春秋社とも縁があり、そこの偉い人に言われた言葉を覚えている。「人間が一生で読める本は多い人で5千冊くらいのものだ。だから良い本を読まなければいけません。良い本とは知性や教養の足しになるようなと言うことです。」今でもご尤も話しだったと思うが、一生に5千冊は相当な読書家でないと無理だろう。

10年で約300冊なら100年でも3千冊ではないか。読後感があるので、ざっと振り返っても知性や教養の糧になりそうなものは皆無に近い。当時の会社の先輩のクリエーターが現在88歳であるが、もう10年以上、年に4回40頁前後の小さな同人誌を編集長として出版されている。昔から読んでいたのだがここ数回は有難いことに小生のブログも転載して頂いている。先日今年の秋号(67号)が送られてきた。

中に掲載されている編集長の読書歴を見ると凄い。編集長は確か豊島師範学校のご出身と記憶するが、昔と言ってもそんな昔ではない、終戦直後のことになるが、学生の読書傾向が書かれている。「戦いすんで日が暮れてー戦後70年の我が知的遍歴(1)」である。読んだことは勿論、書店なり図書館で見たことも無い本ばかりである。

書き出し「先ず前史として、戦中の昭和19年、僕が17歳の折に読んで衝撃を受けた和辻哲郎の『風土』を上げねばなるまい。」から始まり、著者としては三木清、西田幾多郎、丸山真男、久保栄、加藤周一、鶴見俊介、等々。雑誌は展望、思想の科学、哲学評論、世界、等々。会社ではディザイナーのチーフでもあったので、日本の美学、日本美術もずっと購読されていたようだが、どうも現在は廃刊になってしまっているようだ。

「採算が取れなくても、日本民族のため日本の学問的蓄積のため、財団でもつくって有志の大企業から一定の資金を募って「日本の美術」再発行に漕ぎつけられない筈はるまい。」とも書いている。分量にすればこのブログの3回分くらいの短い読み物であったが、読書とはこう言う事を言うのかと改めて思い知った。

2015年10月11日日曜日

政治家の本音は分からない

700人から居る筈の国会議員の中でテレビに出演する人間は、与野党ともいつも同じようなメンバーになっている。理由はよく分からない。局側の事情もあるかもしれぬが政党側の戦略みたいものが絡んでいるようにも思う。現政権内で広報を仕切ると言われる世耕弘成氏は元NTTの広報部長だそうだから、大手広告代理店との腐れ縁を引きずっているに違いない。

従って総理や政府の発表などを聞いていると、如何にも広告屋の入れ知恵のような意味不明の語句が多いのも辟易だが、政治家のテレビ出演にも多分に広告屋めいた意図が感じられてならぬ。政治家も個人的に見れば芸能人と大差なく、1秒でも長くテレビで映像を流してもらいたいと思っている筈だ。民間放送にしてみれば視聴率を上げるのが主たる目的なので、時宜に適した大物を呼びたいところだろう。

この土日は何故か石破茂地方創生担当相のテレビ出演が多かったようだ。各局とも内閣改造絡みで話題性が大きいとの思惑もあり、政権側としても石破氏なら安心との思いが一致したのだろう。まさかと思っていたのだが、テレビ東京の「田勢康弘の週刊ニュース新書」(土)11:30までがゲストに石破氏を迎えたのは少しがっかりだったが、我慢して見ていたら石破氏の本性が丸見えになって結構面白かった。

この番組は司会が元日本経済新聞政治部の田勢氏で、彼がゲストの決定権から番組構成に深く関わっているのは間違いないだろう。主に政治家を一人だけスタジオに招く数少ない番組で、殆ど毎週録画して観ている番組の一つである。いわば田勢氏とゲストとの指しでのやり取りなので、ゲストの本質が明らかになることが多い気がしている。昨日の番組では、田勢氏が石破氏をフォローする立場に廻っている体裁になってはいたが、田勢氏の狙いは別にあったように思う。と言うのは、途中に珍しく挿入インタビューがあったからだ。

挿入されたのは、元共同通信の記者で現在は評論家としてテレビでも幅広く活躍している後藤謙次氏である。田勢氏も後藤氏も読売系の橋本五郎氏とか辛坊治郎氏や時事通信出身の田崎史郎氏辺りとは大分異なり、どちらかと言えば現政権に批判的な発言が多い。二人は恐らく親密な間柄だろう。その後藤氏が石破氏の大臣再任をいきなりぶった切ってしまった。うろ覚えではあるが確か3点の理由を挙げたように思う。

一つは、自民党総裁を志すならば、相撲のぶつかり稽古と同じで何度負けても出続けなければいけない。これは小泉氏、麻生氏の例を待つまでもなくかの中曽根氏でさえそうだった。二つ目は、安倍氏が自民党総裁に無投票で決まったその日に派閥を立ち上げたこと。石破氏は前回安倍氏と戦っていい線まで行っていた。そこには石破氏が自民党を派閥政治の弊害から脱皮しようとの呼びかけに応じた人も少なくないだろう。その清新さに疵を残すことになりはしないか。

三つ目は、派閥を立ち上げた以上は親分として派閥の子分の面倒を見るべきで、自分が大臣になる代わりに「うちの誰かを」と推薦するのが筋ではないか。何れももっともな指摘だ。このコメントに何と答えるか、田勢氏に問われて答えたのが予想通り「私は評論家とは違う。政治家としての責任がある。」続いては「(内閣や党、或いは己の)考える政策について国民の皆様のご理解とご納得を頂く必要がある。」これが責任かどうかは分からぬが、政治家には果たす責任は常にあっても、責任を取ったためしがないそうだ。

同じ昨日は北朝鮮で何かの70周年とかでお祭りがあり、親玉の金正恩氏が演説をした。これも珍しいことのようだが、その中で彼が何度も強調したのは、「何事も人民のため」との台詞だと報道されている。国民の皆様のためとへつらうような言葉を吐きながら国民のことを顧みない日本の政治家と、人民を弾圧している北朝鮮の親玉。共に腹の中で考えていることと全く正反対のことを平然と口先に載せる。何か似たようなものを感じてしまった。

2015年10月10日土曜日

福島県民の潜在的脅威

個人的なことを言えば、昨年7月発見された前立腺にがんが先月末までの治療を経て、今週月曜日に一応の収束に至ったみたいでホッとしている。「がん」は身体のどこに発生しようと厄介な病気である。発生の原因や予防方法が確立していないし、場合によっては死に至ることはよく知られている。こういった原因不明の病気の原因を探り、予防法の研究をする学問が疫学と言う分野らしい。

日本は医学の先進国であり、近年はノーベル賞受賞者が立て続けに出ているくらいだ。しかし残念ながら、人のデータを分析する疫学者の数が欧米に比し圧倒的に少ないとのこと。そんな中にあって日本で一番疫学者の数が多いとされる岡山大学の津田敏秀教授が、2011年3月の福島原発事故により放出された放射性物質と、住民に今起こってきている甲状腺癌の因果影響を定量的に明らかにする調査研究を続けている。

最近これまでの研究結果を論文にまとめてどこかの学会で発表したのだろう。そこに明らかにされているのが<甲状腺がん>「日本全国と比べ最も高いところで約50倍、低いところでも20倍の多発が起こっている」である。この論文について一昨日が国人記者クラブで会見が行われた。昨日は一度もテレビニュース報道を見なかったので、既報なのかもしれぬが今朝の新聞には関連記事が無かったような気がする。

今日になってたまたま記者会見をネットで見ることが出来た。津田教授は、福島県内の甲状腺がん多発は福島原発に起因しているのが明らかで、今後チェルノブイリ同様に益々患者数が増えるだろうと指摘。政府は早急に対応策を講ずるべきと強調している。ところが福島県でも同様な調査を実施していながら、政府や福島県は次のように述べて、何の対応策講じようとしないでいるらしい。

『国立がん研究センターの津金昌一郎がん予防・検診研究センター長は「事故前と比べ発症率が高いのは事実だが、甲状腺がんは世界的に検診による過剰診断の傾向がある。被ばく量との関係を調べなければ関連は分からず、結論は時期尚早だ」と指摘している。』如何にも日本の役人が言いそうなセリフではないか。暇な方はネットで下記をご確認ください。かなり長時間にわたる会見で、主なテレビ局は殆ど取材して質問をしています。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4371.html

質問の中には「甲状腺がんの危険が分かっても福島県の住民は逃げる訳にいかないのだから、どうすればいいのですか?」がある。もっともな質問であろう。津田教授は「危険を前提に考えれば、住民自身にしても行政にしても打つべき予防策は沢山あります。」と答えている。これもまた然りだ。都合の悪いことはなるべく知らない振りをする、日本人か政府の悪い癖である。

2015年10月9日金曜日

書くべきことの少なさよ

今週は個人的なことばかり書いてしまったので、少しは世相や政治に類することを書きたいと思うのだが、最近どうもピンと来ないことばかりで困ってしまう。内閣改造についても、これで内閣支持率が上がったなんて記事を見てしまうと、悪口を書くことさえ憚れる気分だ。朝のうちは河野太郎の変節でも糾弾しようかと考えていたが、これとて元NHK記者の池田信夫氏のブログ「河野太郎氏を応援する」を読んですっかり萎えてしまった。

もう何でも好きにやってよ。と投げ出したいような気分だが、元TBSの記者田中良紹氏のブログ「安倍政治の断末魔が始まる」を読んでやっと少し機嫌が直った。曰く、安保法案の強行採決と内閣人事で自民党内部に相当不満マグマが蓄積していることに加え、外交面で日本は主要国から対等な国と見られなくなってしまっている。と書いているが成程その通りかもしれぬ。
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar880370

昨日親しい友人と昼飯を食いながら少し政治関連の話題になった。残念ではあるが、多くの人は安保法案の中身、危険性は理解できないでいるだろう。与党サイドのマスコミ操作や国会運営技術いろんな要因はあるだろう。しかし野党の責任の方が大きそうだ。ともあれ野党、特に民主党辺りが解党して本格的再編が行われない限り、自民党の天下が継続してしまうだろうと、悲しむべき意見の一致を見た。

2015年10月8日木曜日

北信濃の秋

一昨日から昨日にかけて故郷長野に墓参りに行ってきた。本来そんなに殊勝な人間ではないが、余りご無沙汰してしまうと近い将来自分も入れてもらう段になった時に、少し具合が悪いのではないかと弱気になるのも年の所為だろう。今年は春秋のお彼岸もお盆もサボっていたので、やっと肩の荷が下りた。東京からバスで長野に行き、いつものことながら弟にに同行してもらった。秋のお彼岸から間が無い時期でもあったので、お墓は綺麗になっており、箒も一応持参したが使うまでもなかった。

素晴らしい秋晴れの中で墓前に線香をあげて佇むむと、こちらまで気持ちが鎮まる思いだ。翌日の昨日は弟夫婦に孫二人(市内の小学校が丁度休校日になっていた)と山歩きを何度一緒した従妹の6人で、志賀高原の紅葉を訪ねた。前日同様朝から快晴で、紅葉も志賀高原の中心丸池付近から上は真っ盛り。楓やナナカマド或いは漆の類が少ないのだろう、朱色はそんなに目立たず、どちらかと言えば樺類の黄色が鮮やかだ。


何よりも空気がひんやりとして何とも言えない心地よさである。所々で車を止めてもらって写真を撮る。車を止めるようなポイントの近くにはお年寄りカメラマンが大勢カメラを構えている。こちらは馬鹿ちょんカメラで素早くシャッターを切るが、飽く迄も恰好付けだけ。適当なので、後で見ても感激するように写っていないことは先刻承知のことだ。兎に角今この場所でこの空気を吸うことを満喫するのみである。

現在の志賀高原は子供の頃とは大変な様変わりで、標高2100m迄国道が整備されて車で登れてしまう。更にそこからリフトで志賀高原の最高地点2300mの横手山々頂まで誰でも行ける。大昔であれば多少苦さ々々を感じたかもしれぬが、今は有難く感ずるばかりだ。総理閣下が1億総活躍なんて号令を掛けられても、小生同様活躍できない老人が多いのだろう。平日にも拘らず結構な人出でもある。

2300mの山頂からの景色は何とも言えない。近くの紅葉もさりながら、遥かに遠く薄紫に浮かぶ山脈は最高だった。冬場だと西方の笠岳や北アルプスが見事なのだが、今回はそっちに雲がかかっていた代わりに南が格別で、八ヶ岳や煙たなびく浅間山、更にその奥に富士山が見えたのは感激で、この世の名残か冥途の土産としても良いくらいだ。一応簡単な防寒具は用意していたが、気温が4℃しかないので余りゆっくりもしていられない。


まだ12時前であったが、早々に山頂ヒュッテに駆け込んで名物の暖かいボルシチとパンでの昼食。ご主人が学生時代からの友人でもあるので、そんなに混んでる訳でもないのに奥の部屋を開けてくれて招き入れてもらう。その上パンを大量に差し入れてもらい、一同大喜び。帰りのバスも極めて順調で予定より少し早めに帰宅、前立腺がんも大したことなく終わりそうなので、その報告やら感謝を捧げる旅に相応しい北信濃路であった。

2015年10月5日月曜日

前立腺がん経過診察

4月4日の生まれだから、この世に生を受けてから75年半が過ぎた勘定で、後期高齢者ぶりも板についてきた。久し振りに日大板橋病院を訪れ、放射線治療終了後初めての診察をしてもらう。頻尿などの後遺症は、どうしても半年くらいは仕方ないとしたものらしい。血液検査の結果から、前立腺に接している直腸と膀胱に炎症が出ていないだけ益しと考えるべきようでもある。未だ経過診察は必要だろうが、難病とされる「がん」に一区切りがついたのは嬉しい限りだ。要した期間も半年とは長いようでも短いし、費用も心配したほどではなかった。

今日掛かった費用は3か月分の薬代込みで約2千円。健康保険制度に感謝せねばなるまい。次の経過診察は12月28日。約3か月病院に行く必要が無くなるのも有難いが、毎日飲む薬も処方を変更してくれて、朝1錠で済むようになった。10数年飲み続けている尿酸値を下げる薬と併せても、毎朝2錠の薬だけになる。これで病人気分も大分和らぐことだろう。それにしても今日は病院の混雑が凄かった。朝8時半に検査室に行くと既に50人待ち以上で、採血だけで約1時間。

その後、泌尿器科と放射線科の診察と会計を終えると12時半になっていた。泌尿器科の先生の言依れば、年末の28日は少しは空くでしょうとのことだが、逆にもっと混むのでは内心では思っている。今年はお盆もお彼岸も東京を離れずにいたので、墓参りも出来なかった。やっと少し落ち着いたので明日明後日と墓参りに行き、序でに志賀高原の空気を吸ってくることにする。

出来れば少しハイキングをしてみたかったが、今回は時期尚早と諦め、横手山をリフトで登る予定。

2015年10月4日日曜日

読後感「世界史の誕生」岡田英弘著

著者は奥さんの宮脇淳子氏と共に中国・蒙古・満州の古代から近代にかけての歴史に詳しく、図書館では何冊か読ませてもらっていた。我々と言うべきか私個人のことかもしれないが、中国・蒙古・満州の地理的、歴史的事実をどのくらい理解しているのであろうか。

中国と言えば司馬遷の「史記」を思い出し、秦の始皇帝の遥か以前から連綿と続く4千年の歴史を持っている巨大帝国。蒙古は中国の北方の外側に存在する国で、チンギス・ハーンの時代だろうか、西の方にもかなり勢力を拡大したことがあるらしいが、何と言っても広い草原で牧畜をしてきた民族だから、現在に至っては国家としての組織がどのくらい確立されているか疑わしい。

お相撲さんの供給源となっていることだけは有名だが、中国領内にある内蒙古と国としての蒙古の地理的概念すら定かではない。満州とは中国の東北地方の呼び名で、一時日本が独立させようとしたが、結局は元に戻って黒竜江省などと呼び名も変わり、現在では消滅した国である。ことほど左様にいい加減で、理解できていないこと夥しい。

読者の皆さんはこんないい加減な知識ではないでしょうが、少なくとも私の認識は全部間違っています。この本を読んで、間違っていると言うことは理解できましたが、中国・蒙古・満州の地理的、歴史的事実にどのくらいまで接近できたかは言わぬが花かも知れません。実は私は、昔から講談本で昔のお侍さんのことを勝手に想像したりするのが好きでした。同時に、大学入試の際の社会で「世界史」を選考したくらいなので、歴史は好きな方です。

そして歴史の基本は世界4大文明のメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明にあると考えていました。日本文明は一番古くから勘定しても2675年(私が皇紀2600年生まれなので詳しく書きました)。黄河文明は4千年と聞いていますので、ここから人間が流れてきて起ったものじゃないかと勝手に想像していた訳です。

ところが著者の岡田氏は、この考え方が間違っていると仰います。この考えとは、世界史と日本史を、ひいては世界史と東洋史、西洋史なんて分けるのも日本だけのことのように言われます。歴史は文化ですからローカル文化とローカル文化が一致しないのは当たり前かもしれません。

世界史とはそれこそ地球を俯瞰的に見て綴られなければ意味が無い、と言われればその理屈も分からぬではありません。ヘロドトスが著した「世界史」司馬遷の「史記」はそれなりに世界を俯瞰的に見ているそうですが、その後本当の意味での世界史著述は無いようです。そこで、岡田氏がごく簡単に世界史を説明しようとしたのが本書であります。

ではこの世界史は西暦何年から始まっているかです。驚くべきことですが、日本で言えばもう鎌倉時代、1206年に紀元を置いています。この年にもうこの草原で、テムジンと呼ばれていた青年が、多くの部族を統合してその首領に納まりチンギス・ハーンとなっています。その頃ユーラシア大陸には中国なんて国はありませんし、ロシアもドイツもフランスも、その海の向こうのイギリスもありません。世界中に群雄が割拠していたのかもしれません。

岡田氏はこの年を基準に、(一部紀元前に書かれた史記とか聖書が書かれた時代なんかにも遡りますが)チンギス・ハーン以降東洋でも西洋でも徐々に国の形が現れてくる経緯を、何とか説明しようと試みています。氏に言わせるとそれ以降の世界の国家には何かしらチンギス・ハーンの血が流れているとのことです。言われてみれば、国家なんてものは昔からあったものでないことはその通りでしょう。

ユーラシア大陸からアフリカの北に起った殆どの国家に蒙古の血が流れていると言うのは、岡田氏の思い入れが強すぎて牽強付会かもしれません。しかし、チンギス・ハーンが世界制覇を成し遂げたのは、宗教に寛容であったことと地方自治を尊重したところにあったのは事実かも知れません。他に傍論で印象に残っているのは、古来から海洋国家が、経済効率の良さに優れて発展しやすかったと言うことです。

2015年10月3日土曜日

ジャーナリストの矜持

総理大臣閣下は長い外遊から昨晩帰京された筈だが、現在に至るまで何の音沙汰も無い。政治的には余程実りの無い旅で、身体だけがお疲れになったと言うことだろう。マスコミもお付き合いして、面白くもおかしくもない社会ネタや気象情報を長々と垂れ流している。検察が日歯連の迂回献金をめぐって日歯連幹部を逮捕なんて大騒ぎしているが、何を今更の感だ。日歯連幹部が取り調べに対して次のように言っている。「総務省とも十分相談の上のことだからい、違法性の認識は全くない。」

そりゃそうだろう、迂回献金なんてものは自民党ではお家芸みたいもので、今回の騒ぎも暇潰しか、何か他の目くらましのような臭いを感じてしまう。そもそも経団連が、昨年9月に「最低50億、中期的に100億円目標を」掲げ、大っぴらに自民党への献金を再開した。多分窓口は国民政治協会からになるのだろうが、これこそ迂回そのものだろう。せめて小渕優子議員くらいは失職させてほしかったが、目出度く無罪放免になってしまった。

どうせ腐りきった連中のしていることだから、政治とカネの話をしても切りが無い感じだ。週末でもあるので、また少しメディアについて書きたい。最近はマスコミも産経・読売グループと毎日・朝日・東京グループでは、政権に対する姿勢に少し違いがみられるのは良いことではある。しかし、今日、少し古くなったが「ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム」の記者・神保哲生氏と社会学者宮台真司氏の対談番組で「記者会見は首相の独演会ではない」を観てびっくりした。

総理の記者会見或いは内閣の記者会見の最後に、必ず記者からの質問が設定されている。ところが安倍政権になって以来、この記者からの質問も全て予定稿に沿っているもので、想定外の質問は一切受け付けないそうだ。先日の総裁再選を受けて開かれた記者会見で、神保哲生氏は、野田聖子氏の立候補辞退を総理がどのように受け止めているか聞きたかったらしい。以下少し長くなるが引用したい。

『野田聖子氏が総裁選出馬の強い意思を表明しながら、20人の推薦人を集めることができず、無念の立候補断念を記者会見で発表した、いわくつきの総裁選を受けたものだった。報道各社はこぞって、安倍首相周辺から野田議員の推薦人予定者に対して、激しい切り崩し工作が行われている様を報道していた。総裁就任の記者会見を行う以上、記者はそれを質さなければならなかったし、総理もその疑問に答えなければならなかった。

総理が何も知らなかったということは考えにくいが、もしも本当に何も知らなかったのであれば、われわれはそれを総理自らの口から聞く必要があった。それをしなければ、安倍氏の自民党総裁として正統性に疑義が生じてしまうからだ。安倍政権、そして自民党は記者会見を茶番劇に貶めることで、政権の正統性を強化する絶好の機会を自ら摘んでしまった。また、平河クラブに所属する報道機関は権力をチェックするというジャーナリズムの最も基本的な責務を、その最高レベルにおいて放棄し、公共の利益をこれ以上ないくらい大きく損ねてしまった。』

マスメディアの記者さんたちよ。ミニメディアの慨嘆をどのように受けとめるのか。胸に手を当てて考えてくれ!

2015年10月2日金曜日

アベノミクス効果

総理のお言葉に依れば「我が国の経済は、あの暗く重苦しい雲を抜け出し、着実な発展に向かっている。」その証拠も数々あるようだが、どうもピンと来ない。既に子供も親離れをし、老夫婦が3度の飯を食えさえすればいいだけのことだから、隔月で頂戴する40万円弱の年金で暮らせない訳ではない。庶民の中でも上等なポジションにいると自覚すべきとすれば、軽々しく庶民感覚なんて使うのも畏れ多いかもしれぬ。

しかし総理よりは庶民の暮らしむきについて関心は高いと思う。ここ数年は毎年毎日似たような暮らしをしているので、恒例行事に関して、今年から掛かる費用が上がったりすると非常に敏感に響いてくる。毎年この時期になると、JTB(昔は日本交通公社)から送られてくるパンフレットで確認して、年末年始のお伊勢参りの計画を決めることになっている。先月末に送られた来たパンフレットを拡げてびっくりした。

このところ毎年のように少しずつ料金が上がったり、或いは内容が薄められてきてはいたが、今年は又思い切った値上げになっている。昨年まではそれでも大晦日に出発して元日の夜新宿に帰ってくるバスでの弾丸ツアーが、1万円そこそこであったが、今年は2倍近くに跳ね上がった。昨年までは老骨にムチ打って辛抱していたが、もうこれまでの感である。婆さんが言うには、来年は孫の大学受験が控えているので、一番大切な年なんだそうだ。

従って来年も伊勢神宮初詣をやめる訳にはいかないようだ。JTBのバスツアーも5回くらいは利用したように記憶するが、今回はついに諦めた。かと言って、嘗てのように新幹線を利用しての日帰りは、身体もきついし費用もかさみ過ぎる。伊勢市内のホテルや旅館は、このシーズンになると超満員だし、料金も1泊2万数千円が最低らしい。しかし松坂で探したら1泊4200円のホテルが見つかった。今年の大晦日はゆっくり新幹線「ひかり」で出掛けることに決めた。

しかし、こんな事も一種の贅沢だろう。出来るうちはまだいいが、最近どこの店に行っても昼飯代が高くなっているのが気になる。野菜が高いのは聞いているが、米は激安だそうだし、輸入肉なら安くなって当たり前だと思う。誰がどこでどのように儲けているか分からないが、店の人も苦しいようなこと言う。本当にアベノミクスの恩恵に被っているのは誰なんだろう?不思議でならない。

2015年10月1日木曜日

相互理解の知恵

親しい友人同士でも、相手の家族を含めての理解はなかなか難しいものだ。まして国家と国家間の理解には多面的なんて言葉で言い尽くせない複雑なものがあり、外国と円満に付き合うにはそれなりの知恵が必要なんだろう。しかし考えてみれば諸外国なんて言っても、地球上に存在する国家は精々200国強と聞く。中学校時代の同期生と似たようなものではないか。信州大学の付属だったので、普通の市立に比べると大分生徒数が少なく、4クラスしかなかった。
3年間のうちには殆ど全員が顔見知りになり、外で出会えば互いに挨拶くらいはしたものだと思う。

国家と中学生を同列に論じるのはいささか乱暴に過ぎるかもしれぬが、国家の主権と個人の主体も少しは似たところがあってもいいだろう。諸外国にはそれぞれ特殊な事情があるに違いないが、国家に主権が存在していることだけは共通の筈。遠目で見る限り、国民が随分可哀そうに見える国もある。中東やアフリカのみならず、隣国の北朝鮮なんかの国民は見ていて可哀そうに感じることが多いのも事実だ。こういった国との付き合いは確かに難しいだろう。とっくに北朝鮮の場合は、国家の意思として我が国の人間を拉致したことを認めているからなおさらだ。従って以下に書くことは北朝鮮だけを除外する必要があるかもしれない。

国際的な安全保障環境が厳しさを増しているとの論が大声で叫ばれ、その中でこれも隣国である中国の存在をことさら危険視する風潮がある。世論の大勢だから何らかの根拠はあるのだろうが、どうも納得できない。中学時代から高校にかけて、どのクラスにも確かに喧嘩が強そうで目立つ子が一人二人はいたものだ、当然彼等とはなるべく喧嘩にならないように心掛けたものでもある。そして仲良くなってみると、彼らの優しさも段々分かってきたものだ。中国が優しい国であるかどうか保証の限りではない。

親しくお付き合いしているアメリカは、喧嘩にかけては確かに世界一かも知れない。しかし優しさに於いてはどうなんだろう?ロシアのプーチン大統領が言うには「革命を助けると言っては方々の主権国家にチョッカイを出し、結果的にはその国の国民を苦しめているだけではないか。」も一理ありそうだ。何れにせよ、我が国には先入観に捉われずにもっと諸外国を理解する努力が必要だと思う。これまでODAの最大供与国であったインドネシアの鉄道問題で、中国との競争に敗れた形になって、官房長官が頭に来ているのも分かる。

正に飼い犬に手を噛まれた思いなんだろう。しかし、記者会見で子供じみてインドネシア政府をまともに非難したりするのは如何なものか。無責任なテレビコメンテーターが「安物買いの銭失い」と嫌味を言うのと訳が違う。嘗ては大統領の第3夫人を差し出したほどの深い関係の国ではないか。今後も友好的に付き合うのが大人と言うものだろう。まして、最近まるで仮想敵国視を丸出しにしている中国についても同じこと。中国経済が減速傾向とは言いながら、国慶節の休暇で大勢の中国人が日本のデパートで爆買いを続けているそうだ。有難い話ではないか。

今時デパートなんかで買い物する日本人なんてどんな人か見てみたい。少なくとも我が家では、ここ何年もデパートでなんか買い物をした記憶がない。

2015年9月30日水曜日

地方活性化に妙策は無いのか

少しひんやりして秋晴れが素晴らしい1日だった。長野の山ともが一陽会の入選して招待状を送ってくれたので、六本木の新国立美術館まで展覧会を見に行った。広々した美術館内で沢山の大きな絵画や彫刻を鑑賞するのは気持ちが良い。知人の絵もいつもながらの100号である。知人は完全なアマチュア、この絵の始末が大変らしい。プロの作家にしても、日本に200号、300号の絵画を購入する客層がどのくらい存在するのか、いつもながら余計な心配をしてしまう。我が家の楽しみは精々明日からは又カレンダーの写真が変ることくらいものだ。

帰りに東京ミッドタウンで昼飯にしたが、サンドウィッチにカプチーノで1080円。これでも一番安いのだからこの界隈のサラリーマンは大変だ。まさか毎日コンビニ弁当とはいくまい、同僚と一緒に出掛ければどうしても店に入らざるを得ないだろう。思えば若い時、赤坂に勤めていて貯金が一銭も出来なかったことを思いだした。昨日書いたばかりだが、現代の若者は、東京で大学を出ても、先ず田舎で就職することを優先する傾向が増えつつあるとのこと。確かに賢い選択かもしれぬ。

地方創生なんて言葉もあったが、なんで大企業の本社は東京に集中しなければならないのか。世界中に商圏を拡大している大企業の日本々社は東京にあろうが地方都市にあろうが似たようなものだろう。トヨタの本社は愛知県豊田市とされているが、態々東京本社を作って本社機能を東京に集約している。35年も前の大阪勤務時代、それでも松下(現パナソニック)サントリーや住友、ニッセイなんかは、広告の出稿窓口は大阪本社にあったが、現在ではほぼすべて東京に出てきてしまっている筈。

橋下市長が大阪都構想を唱えるのも虚しく響くばかりの気がする。三菱は高知県の出身だし、ブリジストンは九州の鳥栖で地下足袋メーカーから出発している。結局日本は官民一体で経済発展をしてきたので、各企業もお上の居る東京に本社機能を持って来ざるを得なかったのかもしれぬ。ならば中央集権体制が続く限り、地方創生なんてあり得ないのではと思ってしまうが、何か根本的方策はないのだろうか?

若者が地方で就職したがっているのに符牒を合わせて妙策を見つけ欲しいものだ。

2015年9月29日火曜日

社会の繋がり

昨日は夕方から夜まで同窓会の幹事会があったのでブログを書きそびれた。代わりに二晩続けて綺麗なお月様を観ることが出来た。中秋の名月十五夜と十六夜のお月さんである。全く曇りの無い夜空に輝く十六夜の月を見ながら帰宅。就寝前にテレビを観ると、今宵の月は(いざよい)と言わずにスーパームーンと言うらしい。何でも月の自転起動の関係から普段よりも大きく見える日が何年か一度あって、それが昨晩だったとのこと。言われて思い起こすと確かに大きかったかもしれぬ。

母校長野高校の東京同窓会は、年に一度総会が行われ、未だ30代の頃から出席している。若かった頃は、広い会場に錚々たる先輩が居並び、諸先輩の挨拶に耳を傾けた思い出がある。年を経れば、いつか自分も中央近くのテーブルに座る時が来るとは思っていたが、現在に至ると若い時の予想とは大分趣が変っている。先ず第一に総会に集まる同窓生が、この30年ほどの間に半分以下に減ってしまった。

昔は大きな会場に丸テーブルを並べて着席で食事をしたものだが、最近では専ら立食である。我々の同期は昭和34年卒業なので、戦後14回目の卒業生になる。就職して何年後から出席し始めたか記憶に無いが、38年に大学を卒業して以来だから、昭和50年前後のことだろう。当時は長野高校の前身長野中学卒業の先輩も出席されていたが、それにしても楽に25人前後の盛会であった。それが現在では100人を超える出席者があれば良しみたい感じである。

幹事会も各卒業年度ごとに幹事が2名か3名出席するこちになっているのだが、昨日の幹事会出席者は24名。卒業年度でカウントすると14期分の幹事しか出席していない。我々は同期は二人出席で高校11期と称する。先輩筋の出席者は高校6期、9期、10期の3代の代表のみ。高校33期の後輩が幹事の中の幹事役(副幹事長)で数人頑張ってくれている。本来副幹事長は毎年1期ずつ繰り下げていく約束(当初は卒業25年目が幹事当番と決まっていた)になっていたのであるが、何故か33期で途絶え、この期の卒業生が孤軍奮闘している。

創立100年の名門校の同窓会としては情けないので、なんとかしようと様々な意見が交わされたが、余り的確な意見が出てこない。どちらかと言えば、先すぼみになっている理由の解説が多かった。それを黙って聞いていると、現在の世相が浮かび上がってきた思いである。曰く、先ず卒業生の数が我々の時代は約400名、現在は約300名とのこと。男女比が異なるのは措くとしても、首都圏で就職する人数がまた極端に減っているらしい。大学の先生をしている副幹事長(33期)が言うには「我々の時代は大学を出たら東京で就職するのが第一希望、田舎に帰るのは少し恥ずかしい感じもあった。これが今や正反対、先ず郷里で就職先を探し、どうしても駄目なら仕方なく東京で。」と言うケースが結構多いらしい。

確かに、インターネットの進んでいる現代、生活費の高い江戸で暮らすなんて馬鹿々々しいと考える若者が増えて当然かもしれぬ。従って、同窓会の母数が先細っているのは事実だろう。そこに以てきて更に、同窓意識を共有する必然(必要?)を感じる若者も減っているらしい。高校時代と言えばクラブ活動なんかで結構盛り上がるものかと思っていたが、卒業後までは引きずらないというのだろうか。高校時代全くの1匹狼で、何のクラブにも属していなかった小生が学年幹事を真面目に勤めているのも不思議なものだ。

2015年9月27日日曜日

秋深し、あなたは何処で何を

最近の土日は水泳をやめて、近くのフィットネスクラブで歩行マシンを使って歩くことにしている。時速5.3キロで1時間歩くと約9千歩、結構な運動になる。従って、池袋に出掛ける機会が少なくなってしまった。今朝もいつも通りに汗を流した後に、本屋でものぞこうと思い、久し振りに池袋に出てみた。特に意識していた訳ではなかったが、うまい具合に「ふくろ祭り」神輿渡御にぶつかって、書店よりこっちを一所懸命観てしまった。

豊島区長と氏子総代挨拶のあと、鳶ご一統様の木遣りに続いて拍子木が入って30基の神輿が一斉に立ち上がる。すっかり忘れていたが秋の風物詩として欠かせない催しに、子供のようにはしゃいでしまった。担ぎ手にちらほら外人さんが見えるが、おもてなし心の薄い日本社会に溶け込むには絶好の機会かもしれぬ。これで彼等も地域社会の一員として認められるのだろう。

秋は外交のシーズンと言われるらしいが、我が国の外交に関する報道が殆ど無いのはどうした訳だろうか?特に総理が外国にお出かけになっている筈だが、何処で何をなさっているのか、さっぱり伝わってこないのは奇妙なことだ。プロレスラーや芸能タレントが癌になったとか、癌で死んだとか。国立競技場がどうとかこうとか、責任は何処にあるのかとか、何を今更と言ったどうでもいいような事柄を週末大々的に取り上げるマスコミは異常としか思えない。

ちょっと下の写真をご覧頂きたい。現地時間の25日夜(日本時間では昨日)アメリカのホワイトハウスで催され公式晩さん会に先立つ一コマだそうだ。この前の晩も米中首脳は非公式ながら夕食を共にしている。この時は両首脳が一時通訳を交えずに話し合ったとも伝えられた。日本のメディアは、アメリカの安倍総理に対する扱いが余りに冷淡なのを恨んでか、米中首脳会談は詳しく伝えていない。どちらかと言えば、両者の意見が噛み合わなかった点をかなり強調した報道のしかたが大半である。



噛み合わなかった点が多いのは事実だろうし、にこやかに乾杯するテーブルの下で、互いに蹴飛ばしあっているかもしれぬ。しかしアメリカの大統領が中国の主席を21発の礼砲を以て国賓として迎え入れていることは否定のしようがない。国益を背負う首脳外交とは如何なるものなのか。凡俗には想像できぬが、安倍総理は4月の訪米で約束したことを果たし、胸を張っての訪米の筈。なのにこの仕打ちはなんだ、非礼に過ぎるのではと文句の一つも言いたいだろう。

本当に舐められたものだ、へらへら笑っている場合ではないだろう。アメリカに対して一矢を報いる術は沢山あると思うがね。

2015年9月26日土曜日

アベノミクス新3本の矢

気象条件の悪さが影響しているのだろうか、このところ野菜の高騰が激しいようだ。長いこと低価格で頑張っていた隣の店から500円ランチが消えた。昨日池袋で入ったカレーショップでは、これまで無償で取り放題だったらっきょが来月から姿を消すと宣言が書いてあった。一皿40円になるそうだ。帰宅して婆さんに話すと、当然のように言っている。政府が発表する消費者物価統計からは生鮮食料品は除外されてるとのことだが、庶民はそのために毎日消費せざるを得ない。何とも皮肉なものだ。

一昨日総理は総裁再就任にあたり記者会見を開き「この3年で、日本を覆っていた、あの、暗く、重い、沈滞した空気は、一掃することができました。日本は、ようやく、新しい朝を迎えることができました。そしてこれからはアベノミクスがいよいよ第2ステージに入って、戦後最大の国民生活の豊かさが来る。」と力強く約束してくださったようだ。一寸冗談がきつすぎるように思った人が多いだろう。

今朝の「ウェークアップ!プラス」を観ていたら、普段はまるきり安倍政権の応援団長のような発言に終始している司会の辛坊治郎氏や読売新聞の橋本五郎編集委員でさえ、苦笑いをしながら「安倍さんも3本の矢に拘り過ぎたと思います。新三本の矢はどう見ても矢ではなくて、的でしょう。」と言っていた。太平洋の真ん中で自衛隊機に救い上げられて以来、政府への恩義を忘れず安倍政権擁護に徹してきた辛坊氏が言うくらいだから相当筋悪な会見だったのだろう。

総理は今朝ニューヨークに向け旅立った。主な目的は国連総会での演説らしいが、その後ジャマイカを訪問して来月2日帰国予定とあるからかなりの長旅である。ニューヨークでは日露首脳会談が行われて、プーチン大統領の訪日と北方領土問題解決への道筋が付けられるだろうとの見方もある。その予想が当たれば、例え日米首脳会談が無くても、それだけで訪米の成果はあると言える。何が起こるか先のことは分からないが、兎角政治は分かり難いものだ。

2015年9月25日金曜日

読後感「秀吉はいつ知ったか」山田風太郎著

連休の楽しみに読んだが、非常に読み応えのある随筆だった。著者の作品、特に忍者ものの小説などは二十歳前後に夢中になって読んだ記憶がある。明治時代の小説も多かったように思うが、内容を思い出せるものは皆無。この随筆を読み終わって、改めて氏の作品を読み直したくなった。

約50篇の随筆で構成されているが、以下5章のテーマに分類整理されている。
1.美しい町を・・・著者が住んだ東京練馬と聖蹟桜ヶ丘にまつわる思いと氏の生活の一端が偲ばれる。戦前から戦後にかけて、遷り変った庶民の暮らしの観察も鋭い。

2.わが鎖国論・・・この章では、近代日本の為政者に対する不信感がかなり辛辣に書かれている。著者は1922年(大正11年)の生まれなので、一応徴兵検査を受けたが、肋膜炎のために体格不適格で丙種合格となっている。終戦を挟む価値観の大転換を目前にして、為政者の生きざまなどを見ながら自分の思いを高めていったに違いない。歴史を深く探究する思いが芽生えた理由が分かる気がした。

3.歴史上の人気者・・・書名になっている「秀吉はいつ知ったか」はこの章の一節でもある。特に戦国の3武将信長・秀吉・家康の3人にスポットを当て、3者の性格の違いなどを分析している。史実を丹念に調べるだけでなく、若い時に医者を志しただけに、その分析も面白い。日本人には信長が最も人気が高いのだろうが、彼は一種の精神異常者であると断じた上で、人生の頂点で突然死ぬことで、後世に長く名を残すことになった。権力の座から去って長生きすると死にざまが醜くなるのは仕方がないそうだ。

この章が本書のハイライトなのでもう少し書く。信長から秀吉への権力の変遷は、通説では光秀のミスと秀吉のラッキーが重なったとされているが、著者はそこに疑問を呈している。秀吉の中国大返しは、史実を詳細に検証するとどう考えても光秀の謀叛を事前に予想していなければ成り立たないそうだ。以前読んだ本に光秀は家康に唆されたとされたともあったが、確かに偶然はそんなにうまいこと重なるものでもないだろう。古今東西の歴史的事実の陰には隠れた必然が存在しても当然だ。

他にこの章で取り上げている人物は、楠正成、ヒトラー、石川五右衛門ほか忠臣蔵の敵役や榎本武揚、何れも通説とは少し異なる角度から史実を炙り出して非常に興味深い。4.今昔はたご探訪と5.安土城でも、信長と光秀の確執が描かれたり、信長の異常な所業に触れているが、これ以上ここで触れるのは措くことにする。読後に最も感じたことは、人間の生きざまと死にざまについてであった。

2015年9月24日木曜日

戦略の欠如では

休日明けなので読後感でも書こうと思っていたのだが気が変った。読後感は明日に伸ばして昨日の続きのようなことを書く。日本の外交が酷過ぎる。

昨日テレビ朝日「グッド!モーニング」で解説者宮家邦彦氏が述べたこと。日露外相会談や習近平中国国家主席の訪米を受けて、恐らく放送局側としては日本の外交方針についての問題点を指摘させたかったのではと思うが、宮家氏の口から飛び出した言葉は「日本は現在の外交方針を維持していればいい。」だった。彼に言わせると、ロシアにしても中国にしても経済的に行き詰っているので、何とか日本に助けてもらいたいのです。日本はG7の枠組みの中で淡々と現在の路線を堅持していれば先方が音を上げて折れてきます。とのことである。

宮家氏はこのところメディアで政府の外交政策スポークスマンの役を演じている外務省関係の安倍取り巻きの第一人者でもある。安倍政権が何故この人物を重用しているか分かりかねるが、宮家氏の経歴を見る限り、どう見ても外務官僚の主流には思えない。一応東大卒にはなっているが、入省が25才だからかなり晩成でもある。更に専門がアラビア語なので希少価値はあったかもしれぬが、主流になることはなかったろう。55歳にならずして局長経験も無しに退官して、大使になった形跡もない。彼が誰かのこと自己顕示欲の塊と批判しているのを聞いたことがあるが、彼にもそれがあるのではないだろうか。ひょっとすると小生同様に相当な劣等感に苛まれている感が無きにしもである。

その宮家氏が折り紙を付けてくれた日本の外交方針の現状は目を覆うばかりである。連休中の日露外相会談については昨日書いたばかりなので繰り返さないが、総理が27日にニューヨークに行って国連総会で演説をするらしい。何を仰りたいのだろうか?今朝の朝日新聞には緒方貞子元国連難民高等弁務官の所感が、かなりしっかり書き込まれていた。現在欧米で最大の問題となっている難民問題と、その問題に対する日本の反応、対応のご粗末が昔も今も変わっていないことを嘆かれている内容である。

総理の演説がこの問題に関して胸を張るようなことは勿論、触れることさえ難しいのではないだろうか。昨年もこの時期に総理は国連総会で演説をして、敵国条項を外してもらうことや、ひいては安保理の常任理事国入りにさえ意欲を示した。昨年の報道をチェックすると「国連を21世紀の現実に合った姿に改革し、その中で日本は常任理事国となり、それにふさわしい役割を果たしていきたい」などと述べたとなっている。今年もまたその繰り返しなのだろうか。

お気楽なものと言えばそれまでだが、少し酷過ぎはしないか。朝日新聞では報じられていなかったと思うが、今朝の東京新聞が書いたらしい。日露外相会談直後、ロシア国防省は23日、北方領土に最新型の短距離地対空ミサイルを
実戦配備したことを明らかにしたという。時同じくしてアメリカ国務省報道官が、安倍首相がこだわっているプーチン大統領の年内訪日について日本に慎重な態度を求めたとのこと。また1週間ほど前になるが、中国政府外交部ではアジア局内に会った日本課の廃止を決めたそうだ。

ことほど左様に世界中から相手にされなくなりつつある中で、アメリカの戦争の下請けを引き受けていい気になっているだけでいいのだろうか?別に世界の中心で輝かなくてもいいから、真剣に外交方針を見直す必要がある筈だ。

2015年9月23日水曜日

国家百年の計

岸田外務相のことは何も知らないが、これまでの立ち居振る舞いを観る限り温和な感じで、総理の取り巻きとはちょっと変わった雰囲気を醸し出しているように見えた。ネットで確認すると、広島出身で早稲田の法学部から一時長銀に入行、4年か5年だけで辞職して議員だった父親の秘書になっている。祖父も議員だったそうだから典型的な世襲の3代目。総理と似たようなものだが、半ズボンに白いソックスの特殊学級の児童みたい恰好で、ゴルフに興じている総理より大分まともに見える。

岸田氏は現在名門派閥「宏池会」を率いる会長だそうだから、自民党内の政治力もそれなりのものがあるのだろう。閣僚の中でも外務大臣と言えば日本の顔見たい重要ポストに就任していることからも伺える。小なりとは言え、日本を代表してアメリカのケリー国務長官やロシアのラブロフ外相と対等に渡り合わねばならない運命を背負っている。更に今国会では、安保法案の改正の大問題があったので、国内問題で3か月に亘って国会に張り付きぱなしとなって、相当ストレスが溜まった筈だ。

ところが、シルバーウィークで羽を伸ばし続けている総理が、「の連休にロシアに行ってプーチン大統領訪日のお膳立てをして来い。」と命令したらしい。これだけの案件を曲りなりに処理したのだから、普通のリーダーであれば外相、防衛相、法制局長官の3人くらいには何はともあれ、論功行賞をして「少し休め」と慰労するのが普通のように思うが、さすが安倍総理だ。己は休暇を楽しんでも、国家国民の為に部下に休む暇を与えない。政府組織では総理と一大臣と、若干格の違いあるのだろうが、派閥の長としては同格の筈。

二人の間でどんな打ち合わせがなされたか知る由も無いが、結果から推測するに、何の事前検証も無しに遣いに押し出されようだ。岸田外相も前日までは安保法案対応一色だから、ロシア情勢なんぞ殆ど頭に無かったのではないだろうか。お腹が痛いとか熱があると言って断ればいいものを、部下を信頼しきっているのかどうか、何とかなるだろうと引き受けたに違いない。囲碁でもよくあるが、何とかなるだろうと思って踏み出した一手が何とかなった例がない。

外交なんてものも、複雑さに関しては囲碁に勝るとも劣らないだろう。案の定、昨夜からのニュースをテレビで観ていると、今回の日露外相会談はこちらから恥を晒しに行ったような次第で、惨憺たる結果に終わったようだ。それにしても会談終了後の岸田外相の不貞腐れかたは尋常じゃない。命令を下した馬鹿な上司とアホな部下に対する怒りがもろに出てしまった。「馬鹿な上司とアホな部下は」サラリーマンを辞める人間の決まり文句でもある。

何度も経験している人間が書いているのだから間違いない。しかし外務大臣様となれば、並みのサラリーマンとはかなり違うだろう。もう少し冷静になって、国家百年の計を慮ってほしいものだ。

2015年9月21日月曜日

今や昔

がん治療も一段落したので、久し振りに幼稚園以来の幼馴染新宿で待ち合わせて昼飯を食った。若い時には山遊びやスキーを共にした本当に古い友人である。しかし互いに齢には勝てない。こちらはがんにやられてすっかり参っているし、彼もがんや循環器系の大きな疾病には掛かっていないとはいえ、この夏の暑さに負けて5日ほど熱中症で寝込んでしまったとのこと。

今日は彼が聞き役に回ってくれて、こちらが一昨年までの山登りについて専ら自慢話をする役回りになってしまった。今日はブログのネタが思いつかないことでもあり、記録をひっくり返して、この自慢話を再び繰り返させてもらう。

山登りに目覚めたのが2004年の9月となっている。もう11年前のことになるが、多分この前後にゴルフをやめることにしたような気がする。その後約2年、2006年8月迄に東京近郊の山を10回、故郷長野の山を2回歩いて足慣らしをした。そして、この年の9月、生まれて初めて憧れの上高地に足を踏み入れ、北アルプスを瞼に焼き付けてやる気を起こす。

今日の友人も感心してくれたが、時既に61歳を過ぎているから相当な晩稲だ。この年の秋、北アルプスの燕岳から所謂アルプス銀座と称される尾根を歩いて、槍ヶ岳の山頂間際まで行くことが出来た。更に10月には南八ヶ岳の阿弥陀岳から最高峰赤岳を経由して硫黄岳まで縦走してかなり自信を付けた。以来翌年から一昨年の11月末まで、毎年10回以上山歩きを繰り返すことになる。

中には故郷の飯縄山や、都内の雲取山のように何回も行った山もあるが、大抵は初めての山が殆どだった。特に思い出に残るのは2012年9月の岐阜の新穂高温泉から富山の折立まで北アルプスの奥を5日歩いたこと、2013年の7月末に南アルプスの南方面を6日間縦走したことだ。数えてみれば僅か8年間ではあるが、本当にいろいろ楽しい思い出を作らせてもらった。

年寄りの冷や水との非難されるかもしれぬが、聞き手に恵まれ、話し出すと年寄りの冒険談が尽きなかった。しかし今や昔である。

2015年9月20日日曜日

オタマジャクシと蛙

実に爽やかな秋晴れの1日だ。ご近所を歩いているだけでも身体がリフレッシュされていく気がする。出来れば奥多摩辺りまで出かけてみたい気もするが、これだけ天気に恵まれると、混雑は想像を絶するだろう。連休中は大人しくしていよう。

この週末の報道は、何と言っても先週末成立した新安保法案でもちきりになっている。好天のもと、身体を動かすことを優先しているので詳しくはチェックしていない。自宅の購読紙は朝日なので、詳しく見なくても言いたいことは大凡見当がつく。テレビもANB系列とTBS系列は朝日や毎日それに東京新聞寄り、NTV系列とCX系列の番組は読売や産経に書かれていることをなぞっているのだろう。メディの論調が、こんなにはっきり分かれてきたのは初めてではなかろうか?

そのこと自体は評価に値すると思うが、気になることが1点だけある。各メディア共通の問題でもある。視聴者や読者へのインタビューで法案に賛成する人の回答で意外に多いのが「日本の防衛をアメリカだけに任せておくのは如何ものか。」要するに、アメリカが日本のために戦ってくれる仕掛けになっているのだから、当然日本も一緒に戦うべきだろう、との趣旨である。このことは誰にとっても異論のないのは当然だが、これは個別的自衛権問題で、この回答者は明らかに勘違いがあって、今国会で議論になった「集団的自衛権行使」とはピントがずれた回答をしている。

質問しているメディア側の人間は質問者も含め、当然ながらそのずれが分かっている筈。インタビューした相手に、その場で「それは少し違うのでは?」と聞き返す訳にはいかないかもしれない。しかし紙面や放送で取り上げるからには「この方は自国防衛を念頭に置いていらしたようです。」くらいは補足あるべきだ。今国会の議論が世の中に浸透していない証明にもなるだろう。更に法案成立後の報道で「我が国の防衛政策の大転換」とうたい上げると、益々他国防衛の印象が薄まるような気がしてならない。

国会のバカ騒ぎに耳目を奪われている間に、政府と財界は着々と新たな国家政策に則った準備を進めているらしい。その一つが15日の閣議で決定して来月1日に発足する「防衛装備庁」。1800人体制で防衛装備品の研究開発や調達、輸出を一元的に管理し、コストの削減を図るそうだ。時同じくしてつい1週間ほど前、経団連が、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表したととのことである。

自衛隊員が海外に派遣されることもさることながら、武器輸出3原則が見直されたことの方が経済界にとっては意味が大きいのだろう。新安保法案の成立は日本の軍需産業がスタートを切る日でもあるということか。自らを引き籠り系コラムニストと称する小田嶋隆氏がうまいこと言った。オタマジャクシは蛙になるが、蛙はオタマジャクシには戻れない。事ここに至れば、メディアは賛否双方の政治家の意見よりも、国の形の変化をより具体的且つ丁寧に解説する必要があろう。それがジャーナリストの務めだろう。

この期に及んでは、日本人は今日の秋晴れとは真逆な覚悟を固める必要がありそうだ。マスコミは昔からそうらしいが、肝心な時に手抜きをする。今更政治家の言い訳など聞いても始まらない。

2015年9月18日金曜日

放射線治療の終了

昨日で放射線治療の予定回数37回が終了となった。最後なので37回世話になった技師に聞いてみた。「私が浴びた線量て、どの程度なものですか?」「毎日2グレイずつです。」と言われても全く意味が通じないだろうと想像してくれたに違いない。「4グレイを全身に浴びると即死します。」と付け加えてくれた。帰宅してネットで検索してみたが、それでも意味は全く分からない。考えても仕方がない、どうでもいいことである。

これで前立腺に潜んでいたがん細胞が破壊された筈である。がんの存在を確認するための血液検査は10月5日の予定になっているが、先月の段階で既にPSA(がんの存在を知らせる数値)が危険値とされる4を遥かに下回る0.24となっていたのだから、もう問題ない筈だ。疾患の将来予測について、事前に受けた説明によれば、5年PSA非発生率80-90%が予想されます、と書かれているので、5年後の再発リスクは20%を下回ると予想されている。

相手が視認することが出来ないがん細胞だから、転移など心配しだせば切りが無いが、一先ずは肩の荷を下ろした気分に浸りたい。早速今日は約2か月歩くことの無かった池袋方面に向かって歩いてみたりした。病院に行くより少し距離が長く、途中に5、60段の階段の昇り降りがある。久し振りのせいだろうか、リズムが取れないのだろうか、息が上がってしまった。なじみの店に顔を出して昼食にしたが、店の夫婦が「とても2ヵ月ぶりとは思えない、日月はとても速く進みますね。」逆にびっくりしていたが、本当にそうだ。通院している間はやけに長く感じたが、過ぎてしまえば束の間のことかもしれぬ。

最終日の昨日は酷い土砂降りだったが、今日は午後になったら晴れ間さえ出てきた。午後は池袋から地下鉄に乗って有楽町まで足を延ばして、映画「天空の蜂」を鑑賞した。先月も「日本の一番長い日」、先々月は「龍三と七人の子分たち 」に続く邦画鑑賞3本目である。急に宗旨が変ったのは婆さんから丸の内ピカデリーの無料パスを貰ったからに過ぎない。今まで、邦画はスケールが小さく貧乏くさくて観る気がしない、と気取ったようなことを言っていたが、この映画も大変面白かった。

原作は人気作家の東野圭吾三氏が1995年だから20年も前に書かれたものだ。日本小説は歴史小説以外殆ど読まないが、これも食わず嫌いの典型だと思う。帰りのエレベータに同乗したアベックの会話を盗み聞くと「小説はもっと面白い」そうだ。映画の作りも少し大げさに褒めれば、トム・クルーズ主演「ミッション・インポシブル」に比肩しうるかもしれない。どうしても日本の俳優とハリウッドのそれの違いが、経済的豊かさと貧乏くささの違いとなって出てきてしまうのは仕方が無いような気がする。しかし主演の江口洋介と敵役の本木雅弘は好演、トム・クルーズにも匹敵しよう。

本当の主演はヘリコプターであるが、自衛隊の協力がどこまで得られているか知らぬが、本物或いは模型にしてもよく出来ている。少し気になったのは警察関係者がどうしても嘘っぽい。警察の協力よりも、制作費の制約や脇役の人材が日本に乏しいことに問題があるのだろう。

2015年9月17日木曜日

セレモニーのつもりだろうが

与党の予定からすれば1日遅れということだろうが、安保法案の委員会採決が強行された。火曜日の中央公聴会に続いて昨日は横浜で地方公聴会があった。ここでも与党推薦2名と野党推薦2名の有識者の意見陳述があり、各党代表からの質疑がなされた。この2日間の議論は極めて分かり易く、素人の理解を深めるのには大変有意義であった。

公聴会を詳しく聞かなくても、多数の国民は今回の法案について相当理解が深まっている訳だ。総理が「残念ながら国民皆様の理解が深まっていない。」と言うのは総理の大きな考え違いで、総理が国民の声を受け止めていないだけの話である。たまたま昨夜NHK・BSプレミアムで「1989年11月9日ベルリンの壁崩壊」のドキュメンタリーを見ていて思ったことがある。大衆の思いが高まると、思いもかけぬところで爆発するものらしい。西ドイツの1ジャーナリストが引き出した、東ベルリン官僚の本当に詰まらぬ一言が、一瞬にして壁の崩壊に結びついたのだそうだ。

このブログでは再三国民の意思について書いている。小生の理解としては、与党案に反対する人は多数だと思っているが、間違っている可能性もある。昨日のテレビを観て思ったことがある。デモなどに参加しない人を含め、本当に多数の人がこの法案に反対、或いは今国会での採決はいけないとおもっているなら、それは火山のマグマのようなものだろう。

このところ火山活動が活発なので思ったのだが、マグマの動きが怪しい火山の地下活動を無視して、強引な登山すると碌なことにならない。法案に反対する気持ちが強いので、与党側に天罰が下ることを祈っている訳である。天罰は当てにならぬだろうが、昨日の公聴会で野党推薦の先生の一人が意見陳述に先立ち、鴻池委員長に質したことがある。「この公聴会の後、即委員会採決との話もあるが、それが本当であれば述べるべきことは何もありません。」

これに対し委員長は「公聴会以降の予定は何も決めていません。理事会に諮って進める方針です。」と返事している。確かに昨日は採決したくても採決どころか、委員会が真面に開かれなかった。その意味では、野党推薦の先生の質問に嘘の返事をしたことにはならないのかもしれぬ。しかし公聴会で貴重な意見が多数あったにも拘らず、その後、陳述人の意見を受けての質疑は一切行われていない。

外形的に当日と翌日の違いがあったとしても、公聴会は陳述人が心配した通りのセレモニー又は茶番に過ぎなかった。この嘘がマグマの中に水のように浸みこみ、やがて水素爆発にでも繋がってほしいものだ。

2015年9月16日水曜日

日米軍事同盟法案

今夜、参議院で例の安保法案が委員会採決になり、明日は本会議で強行成立させる腹を政権は固めたらしい。この期に及んで書くべきことはもう多くない。政府は戦争法案と呼ばれるのを嫌うようなので、自衛隊は軍隊でないことを知りながら、敢えて日米軍事同盟法案と名付けたい。法案成立後の世の中で何が起きるか全く予想がつかないし、個人的にできることは少ないだろう。昨日の参議院での安保法制に関する公聴会を聴いた感想を簡単に書いておきたい。

公聴会に招聘されたのは与党推薦2名と野党推薦4名の有識者、一応全員の意見陳述を聞いてみた。中で特に印象に残ったのは二人(何れも野党推薦)。かなりお年を召した元最高裁判事濱田氏が、安倍総理他この法案をごり押しする諸氏に向けてかなり痛烈な批判をしていたこと。曰く「私は、政治家のみなさまには、知性と、品性と、そして理性を尊重していただきたいし、少なくともそれがあるような見せかけでもですね、これはやっていただきたいと。」

聞いている方は蛙の面に何とかで、残念ながらこんな皮肉は通じなかったに違いない。こちらも知性、品性、理性にかけては自慢できる柄ではないが、政治家の先生には少しこの言葉を噛み締めてもらいたいものだ。家庭でよく言われるのだが、この3要素に欠ける父親の存在が、子供たちにある意味で反面教師の役目を果たした意味もあるらしい。同様に今回の長丁場になった法案審議を通して、国民の為になったと思われることがある。

多くの国民かどうかは分からないが、少なくとも駄目親爺からすると立憲主義とか、読んだこともない憲法について随分知恵をつけてもらった。問題はこの知恵を今後どのように生かすべきかであるが、結局は選挙を真面目に考えて投票することに尽きるのかもしれない。前立腺がんの放射線治療も今週で終了することでもある。少なくとも来年あるとされる次の参議院選挙には清き1票を投ずることは可能だろう。

老いぼれの政治行動は余り期待できないにしても、同様に立憲主義に目覚めた若者も多い筈で、こちらは大いに期待できる。我が孫にも18歳や17歳が居るのだが、彼等に昨日公聴会に出席したSEALDsのリーダー奥田氏の声が届いているかは分からない。しかし彼の語ったことはその言や善しである。「わたしたちは決して、いまの政治家の方の発言や態度を忘れません。『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民をバカにしないでください。むしろ、そこからまたはじまっていくのです。」

この法案の違憲性がどうのこうのと、今更言っても始まらないかもしれない。冒頭に書いたように、今後どんな影響が出て来るかも想像が出来ない。多分言えるのは異論を許さない暴走政治が始まろうとしていることだ。そしてこれに立ち向かえるのは、奥田氏の言う通り若い人達であることだけは間違いない。若人の知性や理性に期待し、安倍政権の暴走を止める戦いの健闘を祈りたい。

2015年9月15日火曜日

集団的自衛権行使の「蓋然性」

友人から「お前は時々難しい言葉を使うなぁ。」と皮肉を言われることが多い。確かにその通りで、子供と同じように新しい言葉に飛びついて、それをすぐひけらかし、物知り顔をしたがる悪い癖がある。ものを知らない人間共通の癖だろう。昨日初めて知った「蓋然性」なんて日本語も、もちろんこれまでに使ったことが無いので嬉しくなって本日のタイトルにした。

教えてくれたのはまたしても婆さんである。婆さんは実家の母、何と御年90歳から聞いたらしい。「昨日の参議院安保法制特別委員会で、安倍総理が民主党議員の質問に答えられずパニクったので面白かった。」だそうだ。90歳のお婆さんが、国会審議をテレビで観ているとはびっくりだ。夜の報道ステーションでそれらしきシーンが紹介されたので、今朝パソコンで確認した。

民主党大塚耕平氏の質問で「日本が侵略されていないのに、日本と密接関係にある他国を攻撃してきた相手国を日本が攻撃する理由」を問うた質問である。先ず前提として、質疑の対象となっている法案の趣旨はこうだ。日本の友好国が負けると、日本の存立が根本から揺らぐ可能性がある場合、これを存立危機事態と称して集団的自衛権を行使できる。即ち日本が直接侵略されていないが、友好国を攻撃してきた相手に対して日本が敢然武器を取って戦いを挑む。

3要件とか小難しい理屈はあるが、大まかに言えばこんなことだろう。そこで、大塚氏は「他国の戦争に行っているのに、日本の存立にかかわる蓋然性はどのように判断するのか?」といきなり総理に質問した。そこに至るまでは例によって中谷防衛相をさんざ追いつめていたので、総理も安心しきっていたのだろう。突然の指名に慌てて手元の虎の巻で「蓋然性」の項目を探るが、なかなか見つからない。

やっとのことで探し当てた頁を読んだが、何のことはない。「他国の戦争で日本の存立にかかわる蓋然性は、その時の政府が諸般の事情を総合的に判断して決める。」である。要するに、蓋然性の具体的事実なんか何一つ述べようもないのだろう。米軍と行動を共にしていて共に戦わざるを得ない状況になれば、当然相手国の反撃を招き戦争状態になるに決まっている。戦争が始まってしまえば蓋然性の判断も何もないだろう。と大塚氏は言うのである。

「蓋然性」とは平たく言えば高い可能性らしいが、元々安倍総理が使いだした言葉らしい。この質疑を通して集団的自衛権についてまた一つ分かったことがある。これまでに国連に報告されている集団的自衛権の行使は17件だからしいが、その殆どがアメリカとソ連で、ベトナム戦争への介入やハンガリーやチェコの内乱への介入で、日本のような小国による行使は例がないらしい。既にこの法案のインチキ臭さは十分わかっているが、聞けば聞くほど嫌らしくなる。

2015年9月14日月曜日

読後感「国防音痴が、国を滅ぼす」豊田有恒 著

齢75ともなると個人的な固定観念や思い込みが激しいとしたものなので、たまには自分の考えとは正反対の人の意見も冷静に聞く必要もあるだろう。そんな思いで書店の店頭にあった本書に手が伸びた。著者に関する知識は全く持ち合わせていないが、パラパラと見る限り読みやすそうなので休日のレジャー代わりに読んでみた。先ず著者は、2年先輩で武蔵高校から東大医学部進んだ大変な秀才であるが、いろんな経緯があって手塚治虫氏の「虫プロ」の脚本家となって結局はSF作家として名を挙げられたらしい。

実に数多くの作品があって「宇宙戦艦ヤマト」の原案設定などにも関わっていたとある。頭が良くて文才がある上に若い頃の不良との付き合いとか、実に多彩な経験を持った方である。SF作品では戦闘場面が欠かせないのだろう、古今の戦争や武器についても常人を遥かにしのぐ勉強をされたようだ。当然ながら小生を含む一般日本人が持ち合わせない豊富な軍事知識をお持ちで、それを我々凡俗にお示し下さる意向からの執筆と拝見した。

普段から、国が滅びても自分や家族の安全が保障されるなら一向に構わない、と思っている非国民である。アメリカの市民になろうと中国の市民になっても気にはしないが、その途中で戦争があるのは困る。であるので、国防音痴としては日本のどこに、具体的な戦争の危機はどのように迫っているかを知りたいのだ。そこは流石、作家の先生だけに、国会の訳の分からぬ質疑より遥かに明快である。今現在、米軍が日本に基地を置いて駐留米軍の存在(抑止力)があるので、直ぐには手を出さずにいるが、北朝鮮や、中国、最近では友邦と思っていた韓国迄もが、隙あらば日本を占領しようと虎視眈々と狙っている。と極めて明快に書いている。

同時に自衛隊の存在についても、とても軍とは言えない中途半端な存在なので、いざという時にどこまで役に立つかどうか、早いところ軍としての性格をもっと明らかにすべきだ。取り敢えずは現在国会で問題視されている集団的自衛権行使についての異論反論は全くない。SF作家だから戦争の危機とその対処についてはかなり具体的なイメージをお持ちだが、日本国の憲法との関係についての言及はされていない。

更には、古今東西の歴史を見るに、人類の歴史は戦争の歴史であり、軍人なくして国家の存立は考えられない。とか、先の世界大戦で日本は不幸にして負けたが、戦争に至ったのは間違いではなかったし、無謀ではなかったとされている。現政権の中心にいる若い議員さんが聞けば、涙を流さんばかりに喜びそうなことが綴られている。冒頭に書いたように2歳も年上の方なので、昔いくら頭が良くても、脳みそがかなり固くなられている感は免れない。この年代の方には反戦主義の方が多く、著者のような立場を取る人は少数だと思う。

想像ではあるが、戦後大方の人が食うや食わずで苦しんでいた時代、比較的経済的に恵まれて、若い人たちが喜んで食いついた新しい科学的知識を十分吸収する余裕があったのだろう。その時は極めて柔軟な思想だったに違いないが、人間だれしも同じで、75歳も過ぎたとなると脳味噌が硬直化してもおかしくはない。

こちらの硬直した脳も、読後に及んでも「抑止力」についての具体的イメージを持つことが出来ない。悪漢に襲われないようにするには武道を身につけろと言われるような気がする。柔道が良いのか空手が良いか、どんなに高段者になっても、必ずそれより強い奴は出るし、武道に秀でても悪漢との喧嘩に勝てるかどうかは別問題だ。どんな思想信条の人間とも仲良くできる、どんな国とも穏便につきあう努力の方が余程大事だ。なんて考えるので国防音痴と言われてしまうのだろう。