2011年12月30日金曜日

読後感「テレビ局削減論」石光勝 著

年内ブログは書かないつもりだったが、長距離バスの中で読んだ本について忘れないうちに書きとめる。

バスの移動中に読むために活字の大きい新書を選んだ。内容的にも大凡想像のできる事だろうし、著者も互いの現役時代に仕事を通じて知り合っている仲である。著者と付き合いがあったのはテレビ東京の営業局長時代だが、氏はラジオ局からテレビ東京に来て制作なり編成も経験しているようだ。年齢的にももっと近いと思っていたが、小生より6歳も上である。肩書はメディア・コンサルタントだそうだ。

小生もブログを書いているが、読んでくれるのは毎回精々50人。同じく文章を書いて、立派な本として出版出来る事に先ず敬意を表すべきだろう。放送局を削減すべきと結論的には持って行きたい気持ちもよく分かる。しかし削減を必要とする根拠、即ちテレビ局の経営が非常に困難になりつつあり、拠って来る番組の質的低下で負のスパイラルに入りつつある。これについては、勿論否定のしようがない現実だろうし、容易に想像がつく。

だからと言いうことになるのだが、その削減に至る道筋とその結果将来される事態についての記述は、論と言うには極めて薄い。現代人にとっては、昔のシャーマンか神様みたい存在のメディアの存在に対する一種の批判論だから、仕方ないと言ってしまえばそれまでだ。しかし筆者が何度も指摘する「どこの局もおんなじ」「食べ物番組ばっかり」「通販番組の氾濫」とネット社会の出現と相俟ってテレビ離れが急速なのは事実だろう。

従って、ことさら論を唱えなくても、テレビ局減っていかざるを得ない運命にあることだけは再確認できた。


2011年12月27日火曜日

平成23年ブログ納め

今日で御用納めをすることになった。サンデー毎日のような生活とは言え、明日から正月休みと聞けばやはり嬉しい。

振り返れば今年はいろいろあった。最大のイベントは4月に事務所を引っ越した事。平成15年に個人起業して以来8年使っていた所を、大家さんが建て替えるので出てくれと言う話になった。似たような家賃で駅の近くに新しい事務所が見つかったのは幸いだった。経営を代わってもらった会社に家賃を持ってもらっているのだが、来年4月以降も家賃の負担をお願いできるかは今のところ不明だ。もし個人負担になっても後1年は最低でも頑張るつもり。

会社の代表を代わってもらったのは昨年4月だからもう2年近くになる。今年の4月からは大分暇になったのも事実。お陰で遊び歩く時間が増えて、納得いくまで山歩きを楽しむことが出来た。記録を見ると、スキーを含めて16回も山に行っている。父がよく言っていた。「山なんかいつまでも無くならないのだから、お金も時間も自分の自由になってから行けばいい。」改めてその通りだったと思う。

「遊びも、遊べる時に後で寝言を言わなくて済むように、納得するまで遊べばいい。」これもよく聞いた言葉なので、兎に角思い切り山を楽しんだ。これで寝言は言わずに済む筈だ。来年から、或いは来年こそしようと思う特別な事は何もない。来年は6回目の辰年になるので、全ての事にペースダウンして、1日1日をできるだけ無理をしないで楽しく過ごすよう心掛けたいと思うのみ。

ブログは来年も引き続き1月3日からぼちぼちと書き続けたいと思っています。これまでに拙い文を読んでくださった皆様に心から感謝申し上げます。どうぞよい年をお迎えください。

2011年12月26日月曜日

年の瀬に、昭和を思う

朝の通勤時に先週まで毎朝すれ違っていた小学生から高校生までの学生が、一人も見えない。もう冬休みに入ってしまったのだろうか?一寸早すぎるようにも思うが、わけが分からない。こちらは明日で仕事納めになりそうだ。
水曜日は可燃物の回収日の筈だから、ゆっくり部屋の掃除でもしよう。今年は4月に仕事場の引っ越しをしたので、ごみが案外少ないのでこれも楽ちんな事だろう。

日本全体でみると今年は自然災害に原発事故で大変な年であった。被災されている皆さんの復旧復興に関して、政治の対応が遅いとか悪いとかの非難ごうごうたるものがある。被災者の立場に立てば、9か月経っても元の生活からはほど遠く、誰かを恨んでみたくもなるだろう。ここ数日テレビはその恨み節で溢れかえっていたみたいだ。そんなものを見ても仕方がないので、最近テレビを殆ど見ないで済む。

行政の対応がまずいのは最終的には政府の責任だろうし、政府の最終責任者は菅前総理と野田総理だから、この二人の罪は重いと言う事か。しかし辞めればその罪を逃れることが出来るのだから気楽ものだろう。これからも当分は、日本政府と言う巨大組織を管理する能力の無い人間が、総理大臣の職に着くと思うと少し暗い気分になってしまう。そんな能力があるかどうかはどのように見分けたらいいのか、誰かに教えてもらいたい。

歴代総理大臣をウイキペディアで見てみると、終戦時(昭和20年)の第29代総理鈴木貫太郎氏から第46代総理竹下登氏までが昭和の総理大臣。平成に入って最初の総理が第47代の宇野宗助氏、野田氏は第62代総理とのこと。明治は遠くなりにけりと聞いて育ったが、昭和が遠くなったことを改めて思う。

2011年12月25日日曜日

来年度予算とマニフェスト違反

昨日平成24年度予算案が出来たらしい。これも最近の傾向で、翌年度予算案は暮の早い時期に上がってしまう。予算案とはいかなるものか、今でも理解できているとは言い難いが、思い起こせば現在の年齢の半分頃は予算編成が1年で最大のイベントだった記憶がある。農村へのPR窓口をうたい文句にした広告代理店の張り切り営業マンだったころの話である。

日本も戦後を脱し豊かになるにつれ、食糧事情も急速に変化して飽食の時代に入りつつあった。17,8年前に上京する時大切に持ってきた配給手帳(米を買う際に必要とされた)は必要なくなり、米や魚の消費量が落ち始めていた時代である。子供の頃田舎の親せきに行ってもなかなか分けてもらえなかった米を、政府や農協が「もっと米を食べましょう」と宣伝し、肉に押されて消費が減ってきた魚介類を同じように政府や漁協が消費拡大を図る時代になってきていた。

宣伝するにはお金がかかる。しかし当時お米は全量国が買い上げるシステム(まさに戦後社会主義国家ニッポンの象徴ですな)で、既に米余りの予兆が出始めていたのだ。米の流通や余剰米の管理に費やされる費用は幾らであったか記憶にないが、兎に角莫大なものであったことは間違いない。そこで米の需給バランスを図るために宣伝の効果があるとすれば、1億や2億の費用はお安いものだったのだろう。

こっちは商売だから、宣伝はかくも効果のあるものと言った資料を沢山用意して、毎日のように霞が関通いをしていたものだ。そしてその成果が現われるのが毎年12月、11月の末頃から各省庁と大蔵省の予算折衝が本格化し始め、お祭りのような忙しさになる。当時は今のように8月に予算を詰めてしまうなんて事はなく、優雅なものだった。新年度に入るとどこの省庁もお休み状態で、夏の人事異動までは仕事をせずに出張と称して地方など回遊しながら骨休めをしている。

新しい人事が発令されても、来年度予算を本格的に勉強しだすのはお盆過ぎではなかったろうか。(当事者ではないので当たっていないかもしれない)何れにせよ、我々外の人間が予算の説明資料を本格的に求められるのは晩秋以降。昼間我々が原課に提出した資料が、夕方には省庁の予算担当課に上がり、深夜に及んで予算担当課から大蔵省主計局に届けられて説明をする仕掛けになっていた。師走に入ると連日の作業となり、御用納めの日に目出度く大臣折衝が終わって予算が上がる。

これがノーマルな姿で目出度し目出度しだったが、近年は全く段取りが変わってしまったようだ。各省庁と財務省の折衝で局長、次官、大臣折衝の芝居じみた事はなくなり、代わりに党と政府の何とか会議が大々的に報じられている。予算が発表されると、すかさず野党から批判の嵐になるが、これも昔はあまりなかった風景だ。当たり前の話で、予算は要所要所に野党の意向も組み込んでいるし、野党も使わせてもらうものだから、その方が自然かもしれない。

今朝の新聞を見て思うのだが、自民党の政調会長が予算を相変わらずマニフェスト違反と批判している。マニフェスト違反を反民主の親玉が声高に叫ぶのは、不思議な気がするが誰も違和感を覚えないらしい。民主党支持者に「あなた方は騙されたのですよ。」と教えてくださっているようだが、余計なお世話だと思うこっちがおかしいのかな?

2011年12月24日土曜日

ハイキング納め


昨日は天皇陛下のお誕生日、天皇家のもの日は不思議に晴天が多い。国民はおろか自然界もお慶び申し上げていると素直に考え、お裾分けに預かって本年最後のハイキングに出かけた。目的地は河口湖畔に立つ三ッ峠山。聳えると書きたいが、そんなに高くも険しくも無い。ただ山梨県側から富士山を眺めるには最高のポジションと聞いたので、行く気になった。

新宿発8:14のホリデー快速でJRが富士急に乗り入れ、乗り換えなしで10:20に河口湖に到着する。河口湖に近づくと、雪をかぶった峰が青空に浮かび、裾野が眼前まで伸びる富士山が現れる。今年は遠くから何度も見たが、目の当たりにする富士山の美しさと雄大さには圧倒された。登山口までは季節外れのためバスが無いのでタクシーを利用。11時から登り始めて12:30には山頂に着いてしまった。

途中の道はアイゼンを必要とするほどではないが、雪が張り付いている。寒さのため引き締まっていて歩きやすいのは良いのだが、指先の感覚が無くなって、昼食を摂るのに難儀したこと、温かい麦茶を持参したのが正解で、用意してくれた婆さんには感謝感謝だ。残念だったのは登頂時間が遅かったので、山頂は寒さがきついだけでなく、肝心の富士山が雲に隠れて頂上を拝むことが出来なかったのと、朝のうちに写真を撮らなかったので、日記に自慢できる写真を上げられない事かな。

しかし、時に冬の太陽のぬくもりを楽しみながらも、身の引き締まる寒さの中を4時間ぐらい(帰りはタクシー利用を往路の半分にした)山の中を歩いて、冷え切った体で飛び込んだ我が家の風呂の有難さだ。平成23年山歩きの納めとしては上々で、缶ビール1杯飲んであっという間に寝てしまった。

冒頭の写真は帰りの電車の車窓から。

山紀行は下記からご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-157544.html

2011年12月22日木曜日

来年は

あまりぱっとしない話題が多い師走だ。テレビの報道を見ても東日本の被災地その後を追うみたい気が重くなる話が多い。就職難は若い人にも及んでいる。高校を出ても大学を出てもまともな就職が出来ない人が多いようだ。両親の健在に甘えているのか、それ以外の方策が無いのか、両親の脛をかじりながらアルバイトでもしていればいい、てな考えの若者は知っている範囲だけでも何人かいる。これは少し問題だ。

来年の事を言えば鬼が笑うが、昨日行ったジャーナリスト田中良紹氏の会で「来年の干支は壬辰(みずのえたつ)、蕾が膨らみ大いに奮い立つ年になるのでは」と話していた。更に言うと今年平成23年の干支は「辛卯」(かのとのう)辛抱と同じ読みで、実が落ちる秋を象徴して地殻のみならず大きな変動がある年だったのだそうだ。

多くの識者が、来年について混迷がさらに深まるようなこと言う年の瀬に、嘘でもいいからこんな話を聴けたのはよかった。こちらは、それこそアルバイトでも探したい年になりそうだが、そんなことはどうでもいい。生きているだけでも有難いようなものだ。田中氏の話は八卦見とは異なり、彼なりに根拠はある。有料の話を余り細かに披露しては具合が悪いかもしれない。

その一つは311の災害で証明された、東北地方の中小企業(部品製造メーカー)の存在と持てる力。これは侮りがたいもので被災で世界中の自動車生産がストップしたことを見ても分かるでしょう。他にも技術力とか農生物の優秀性を示すものは数多い。アメリカが世界に誇る兵器産業でブラックボックスを開示しないからといって悲観するには及ばないようだ。むしろ航空機の製造に関して言うなら、ボーイング社が(878からだったかな)採用した炭素繊維の技術なんぞは日本がブラックボックス化しているのだそうだ。

昨日も書いたが、氏は政治の混迷についてもあまり悲観主義に立った見方をしていない。民主主義の手続き上やむを得ないとやや突き放しているようにも感じた。マスコミについても嘘八百を並べ立てるのは仕方がない。もとは言えば民権運動、反権力から出発している新聞が、すぐに権力にすり寄ってしまったのは全て金力、吸い寄せられてしまうのは本能的なもの。せめて、皆さんがそういう事を知って見たり読んだりしてほしい。

会の参加者は残念ながらご同輩が多いのはやむを得ないのだろうが、参加してよかった。来年は落ちた実が再び妊娠するがごとく膨らみ、若いエンジンが始動して、日本が全体的に元気を取り戻すことを祈りたい。

2011年12月21日水曜日

ニュースの読み方

家で新聞は1紙取っているが、まともに読んではいない。朝夕刊とも精々20分から30分、斜めに読み飛ばすのみである。しかも食後の事とて、すぐそばでテレビがニュースを流したり、我が家ではお気に入りの歌謡番組を流したりしている。小難しい事はとても頭に入らないし、論説とか制度改革などについての細かな解説などは読まない主義である。例えば年金制度の改革について詳しく知ったところで、受給額が増える筈もないし、減りようを知ってがっかりしても始まらない。

なれば何故新聞を購読するかは小生にとっては単なる習慣、婆さんにとってはチラシ広告のフォルダーとしての機能とテレビ欄に用事があるからだろう。
代わりに事務所に来てから、毎朝幾つかのメルマガやブログを読むのを楽しみにしている。読まないくせに申すのも烏滸がましいが、新聞の論説論調て奴はどうも既製品の安物衣料みたいに感じてしまう。大いに愛用しているユニクロ製品ならまだしも、どこのスーパーでも特売日の目玉になる衣料品だ。

しかも大抵は上から目線と決まったものらしい。婆さんの買い物エリアには3軒のスーパーが存在する。毎日のように婆さんから解説を聞く小生としては、各店舗が折り込みチラシの折り込み日とチラシの体裁、そして目玉商品に対して、非常に細かい戦略を練っている事を知っている。それに引きかえ新聞の論説論調はどうだ。たまには署名記事もあるようだが、同一の日に同一の大きさで同じ論調を並べるとしたものらしい。

この論説委員の成れの果てがテレビに顔を曝して、同じように偉そうに喋ったのではテレビも面白くなりようがない。そこに行くとメルマガ実に面白い。
書いている人間の主義主張が明確である。たまには自分で間違った事を言ってしまったと思うときもあるだろうが、素直に謝ってしまえばそれまでだ。
新聞やテレビにはそれが無い。戦争を煽ろうが、特定の政治家をヨイショしようが勝手だが、自分が方向転換する時は、読者視聴者に一言断るなり、謝るべきだろう。

今日の夕方、小生が愛読しているメルマガの発信者の一人、田中良紹氏の肉声を聞く会に行くことにした。メルマガの発信者に直接会うのは初めての事だ。彼はTBS報道出身の一匹狼、兎に角言う事がユニークだ。例えばも財政破たんが心配と大騒ぎしている。「財政破たんして潰れた国は数多ある。日本も大変だと言うなら破綻させりゃいいだろう。」と言った調子で自分の考えが正しいとは限らないとはしながらも、全くユニークな角度から社会現象を分析してくれる。

何れにしても楽しみである。

2011年12月20日火曜日

陽だまりで考えた

天気がいいので昼休みに上野公園を歩いてみる気になった。流石に師走だ、上野公園全体が閑散としていた。多くのミュウジアムも殆ど新年の準備で、改装中であったりして、特別な展示は殆ど無い。久しぶりだったので驚いたのは、公園中央(昔長方形の池に噴水があった場所一帯)がテントで覆われ大々的な工事をしている。多分ここは都営の公園だろうから予算に不自由がないのだろう。

都は財政が堅調で(当たり前だろう)国家財政とは別と言う事かもしらぬが、国が財政危機で国が潰れそうだとか、子や孫の稼ぎを親が前借で使ってしまうと言われる時代に、よくやるなと半ばあきれる思いだ。国と地方合わせて1000兆円の借金なんて事も、お役人様から見れば他人事に過ぎないのか。要するに殆どの官僚(行政職の政治家を含め)は全体の事は全く考えず、己の権利権益を守ることにだけ専念している事の一端が垣間見えているだけと思うと情けないが、これが現実だろう。

首都圏の知事さんは政府に対し、八ツ場ダムも結局作るよう猛烈にプレッシャーをかけている。群馬県長野原地域の人にとっては長年の悲願かも知れないが、これから先、それこそ子や孫の事を考えたら優先度が低いのは素人目にも明らか過ぎる話しである。公共工事が減れば景気が良くならない、困る人も出てくるとの理屈もあるのだろう。

それにしても東京は至る所で建設工事が進んでいる。勿論公共事業ばかりでなくて民間事業もあるのだろう。しかし今本当に必要な事業ばかりとは言えまい。先を急いで金を使う事ばかり考えずに、少し立ち止まって「このまま直線的に進む事がいいのか、方向を選び直す必要はないか」を考えてみる気になってほしいものだ。

2011年12月19日月曜日

行方も知らず、明日は何処ぞ

年の瀬には思わぬことが起きる。北朝鮮の金正日将軍が亡くなったそうだ。まだ69歳と報じられている。独裁国家の最高権力者であれば、この世をば我が世とばかり好き放題であったろうに、生来蒲柳の質であったのか、余程不健康な生活をしていたのか。権力や金力なんて儚いものだ。少し可哀そうでもあるし、カダフィ大佐のように殺されずに済んだのは彼のために善かったと言うべきか、余りにも遠い存在なので彼については何と言っていいか分からない。

後継者は決めてあったと言っても、俄か仕立ては否めない。隣国の事でもあるので、大きな混乱が起きないよう、周辺の友好大国には上手くサポートしてほしいものだ。その中国やロシアも、自国のリーダーの交代が焦眉の問題で国内は騒然としているらしい。韓国に至っては、同様に大統領選挙を目前に控え、日本とは友好的になんて言っているが、国内的には泥鰌総理状態に置かれているらしい。

EUも経済問題で通貨危機が収まらないし、中東でもイラクはアメリカ軍を追っ払った意気は褒めてやりたいが、パキスタンも同様だが、アメリカに背を向けた途端に国内がぐちゃぐちゃになってしまう危険性は大だろう。先日友人から聞いた話だが、アメリカを追っ払ったと言われているフィリピンは、アメリカが匙を投げたのだそうだ。まるで国家の態をなしていないと言う話は他からも聞いた。

「何れにしても、今年は予告編で来年は騒乱の本番が来る。」一昨日のテレビ番組「時事放談」で浜矩子さんと言う怖い顔をした一ツ橋の先生が仰っていた。この方非常にユニークで、趣味の大量飲酒を公言するからではなく、お説ご尤もと我が家では評判が高い。経済学者との事ではあるが円は50円になっても不思議でないなんて思い切った事を仰る。こういったご時世になると、大阪の橋本市長さんもそうだが、オタオタせずに思い切った事を言う人の人気は上がる。

さて、騒乱の来年だが、良い年を迎えたいと思っている小生なんかにはショックであるが、確かに今年を予告編と見ると分からないでもない。舵を任されている政府も大変だろうが頑張ってもらいたい。国政の運営ともなると、そう無責任に言いたい事をいう訳に行かないのかもしらぬが、官僚の手に乗せられて「停止状態」の宣言なんかしない方が良かった。自分の言葉で確信もてる事実を淡々と言えなかったのは残念だ。

良い方向か悪い方向かは知らぬが、歴史の流れは後戻りも留まることはない。

2011年12月18日日曜日

高校の東京同窓会年次総会

昨日は昼から東京に於ける高校同窓会があり、約30人もの懐かしい友だちと夜まで、賑やかで楽しい時を過ごすことになった。毎年この季節に首都圏在住卒業生で組織されている同窓会総会が都内のホテルで開かれ、親父のような大先輩から息子のような後輩が集うことになっている。最近では71歳の我々も長老に近くなって、後輩の方は孫に近づいている感が無きにしもである。

この会は年次を超えた交流、懇親が主たる目的だろうが、やはり年次ごとに寄り集い、互いの無事を確認する事がメインになる。小生にとってもう一つ大事なのは、校歌「山また山」と県歌「信濃の国」を大声で歌うことにある。
普段カラオケとは全く縁が無い音痴であるが、毎年暮れにこれを歌わない事には正月が来ないと言っても過言ではない。

会費はデフレの中でも少しずつ上がり続け、数年前から1万円になっているが高いと思ったことはない。勿論、酒や料理はご多分に漏れず大したものではない。しかし、この歌の斉唱に参加できることの他に、懇親会の前に卒業生の中から選ばれた講師による講演ががあって、これを聴くのも大きな楽しみの一つである。

「長野県の教育環境にも大きな変化が起き始めているので、今後はどうなるか分からない。」現在の校長が長野から出てきて、現状報告の中で言っていたが、母校は今までのところ、県内でも有数の進学校で、実に多くの人材を輩出してきた。講師はどんなに偉い先生でも無報酬であるが、講師には事欠かない。社会に様々な形で貢献してきた先輩や後輩の講演は有益ばかりでなく楽しいものだ。

昨日のその講演が我が同窓生に回ってきた。それ故に例年になく同期の出席者が多かった。ところがこの講演内容が実にユニーク、従来のアカデミックなテイストは全く無くて「古稀祝い北米大陸横断の報告」と来た。何のことはない、わが友が8人(いわゆる著名人は一人もいない)、平たく言えば暇に任せて車2台に分乗して北米大陸横断(8200km)をしたので、スライドでご披露しようと言うだけの事。我が同期生には講師に相応しい優秀な学者もたくさんいるのだが、たまたま同窓会のメルマガに掲載された旅行記を読んだ他学年幹事から強い要望が出されたらしい。

高校生活を楽しむ事だけに専念した仲間の一人として嬉しい限りだ。講師に指名された本人も戸惑ったり心配はしたようで、冒頭「どうぞご遠慮なさらずに居眠りしてください。」と前振りをして始めたが、どうして中々の好評で、居眠りは一人もいなかったらしい。今までも遊び呆けた者が言うセリフではないかもしれぬが、「老後は楽しく過ごさなくては!」

2011年12月16日金曜日

読後感「天皇家の執事―侍従長の十年半 」渡邉 允 著

1996年12月から2007年6月まで侍従長を務めた人の手記。元は外務官僚で中近東アフリカ局長などを歴任後1993年11月宮内庁儀典長に転出、式部官長を経て侍従長になっている。お父さんが昭和天皇のご学友で、遡れば大山巌氏まで行ってしまうようだから代々皇室とは縁が深いのだろう。

天皇陛下とご一家のお姿は報道で度々拝見しているが、実際どのような生活をしておられるのかは知る由もない。本書を読んで第一に感じたのはその公務(あるいは私的行為とされているが、古来伝承されて天皇家で義務化されている神事を含む)の多さ、これは半端なものではない。昔、月月火水木金金と歌われた時代があるが、それ以上だ。我々には最低正月はあるが、この時こそ天皇ご一家は大忙しになる。

第二はお人柄によるものかもしれないが、国民の幸福を願う気持ちの強さだ。第三はやはり先祖を崇拝する念の強さだろう。端的にまとめてしまえばそんな括りになるかもしれない。私的な楽しみとか娯楽快楽を求めるお気持ちは殆ど無いほどまでに薄められた生活を送られているのではと思ってしまうのは凡人の悲しさかも。

陛下にとってはチェロやテニスばかりではなく、お歌を詠まれるのも、魚や植物について勉強されるのも、ひょっとしたら皆楽しみの一つなのかもしれない。国内に於いては国体や植樹祭等の公式行事における全国の各地訪問、自然災害の被災地訪問、大戦の戦没者慰霊の旅、外国元首との交換儀礼も兼ねた外国訪問等旅行の延長距離と時間は相当であるが、これも我々凡俗と違い、決して名所旧跡への関心はお示しならないのだそうだ。

僻地の移動中に例え一人でも人がいれば、車の徐行させて窓を下げて手を振るのが当たり前との事。内容を挙げて行けばきりがないが、改めて天皇陛下の存在が、古い形容を使えば有難く感じられる。しかしこの有難味を感じる国民がだんだん減っていくのも事実かも知れない。今上陛下は戦争をある意味で体験し、肩身の狭い敗戦国の皇太子として、若い時から私的な意識を持たず、日本国天皇たるべきを意識して世界と向き合ってこられたようだ。本書を読んで一番納得のいった点である。

お隠れになるまでお勤めいただくのは恐縮の限りだが、余人をもって代えがたいのも事実かもしれない。恐れ多いが皇太子殿下の天皇たるお覚悟は、今上陛下とかなり異なるのではと心配になる。秋篠宮になれば私的な思いが強いのはもっとだろう。その時の国民が天皇とそのご一家をどう思うかは、また別の問題だろう。

2011年12月15日木曜日

口は災いの元

昔から「馬鹿を馬鹿と言ってどこが悪い!」式の言わずものがな事を言って、物議をかもしたりすることが多い。他人に迷惑をかけるのみならず、己のためにも全くならないで損するばかりである。婆さんがこのブログを書くことに反対する理由もそれである。でも「分かっちゃいるけど止められない。」

それに引きかえ中2の孫が時々発する「一言」は、同じ余計であっても物議を醸すどころか、周りを笑いに包むので感心せざるを得ない。見倣いたくとも、こういった芸は巧まずして出るものだろうから簡単には真似が出来ない。

前にも書いたような気がするが、未だに語り草にしているのは、次の二つ。何れも小学校3年とか4年頃の事だったろうが、確かに笑える。
1.何かいたずらをしたので、婆さんが孫を捕まえて「こらぁ、お尻ピンだよ。」
するりと逃げながら「○○(婿さんの実家)は優しいなあ。」とのつぶやき。
2.ピアノの発表会で、婆さんが「○○ちゃんは本当に上手ね。」と言うと、隣に座っていて顔も上げずにやはりボソッと「でも、お顔が。」とだけで口を閉ざしてしまう。

この間合いが何ともユーモラスであることは認めざるを得ない。小生のように「あいつはブスだ。」なんて間違っても言わない。ある時、孫と車に同乗していてやはりボソッと言われたことがある。同乗していた弟の名誉に関する事を思わず言ってしまった時の事だ。「お祖父ちゃん、それだけは言わない方がいいよ。」と窘められてしまった。案の定弟は涙を溜めていた。

確かに感性の問題かもしれないが、普段ふざけてばかりで、ポンポン言っているかに見える子供たちの方が、余程しっかり考えて発言しているのを思うと、鉢呂氏や一川氏と同レベルにある己が恥ずかしい。

2011年12月14日水曜日

高齢者対策

若者が少なくなっている事は誰の目にも明らかで、街中を歩いていてもどこかに遊びに行っても年寄りばかりだ。よたよた歩いている人もいれば、山なんぞに行くと、元気だけが取り柄みたいなご老人が佃煮にしたいくらい溢れている。かく言う小生もその一人に違いはない。皆さんそれなりに社会への貢献を果たし、老後を楽しんでいるのだから結構なことかもしれない。

しかし中には何の因果か、住む家や3度の食事に事欠く人も無きにしもだろう。しかしそれは高齢者約3000万人のうちからすればごく少数に違いない。政治は弱者のためにあると言われるので、恵まれないお年寄りをケアするのは当然だ。それにしても、いまの世の中、少し高齢者を優遇しすぎるのではないだろうか。子供の頃からの友人が凡そ1000人近くいると思うが、この中で本当に困窮したりして音信不通になっている者は5人といない。

中にはホームレスになってどこかの施設に収容されているか、寒空で野宿をしているか、或いは無縁仏となって朽ち果てているかと気になる友人もいる。
しかし彼とて音信があった当時、既に月に15万円ほどの年金を受け取っていた筈。ある事件をきっかけに音信が途絶えたが、彼の半生には個人的な問題があり、因果応報ともいえる。普通に暮らしてきた老人にとって老後の不安要因と何だろう?

早く死ねとは言えないだろうが、現代社会全体、何も政治だけではないかもしれないが、高齢者に少し甘すぎるのではなかろうか。之に引きかえ、社会が若者への配慮が薄い、或いは冷淡すぎると思うのだ。教育だ事の体力だ事の留学意欲が少ない事だの大人はいろいろ言うが、根本的なところで若者を粗末にしている。老人を粗末に扱えと言うと、とんでもない奴と言われかねないのを承知で敢えて言いたい。姨捨伝説ではないが、古来爺婆はある程度粗末に扱われても文句を言わず、ひっそり死んでいく運命にあった。

人の命は尊く、1日でも長生きする事が最善とされている。馬に食わせるほどの薬を大量に飲ませて長生きさせることが、本人にも親族にも本当に幸せな事だろうか。元気でいればいたで、定年延長で職場を若者から奪う事が当然のごとく法制化されようとしている。50歳を過ぎたら役人も政治家も給料を下げていく法律でも制定すべきだろう。民間企業では当たり前の話だ。

2011年12月13日火曜日

孫の快挙

昨日1日中バタバタしていたので日記を書く時間が無かった。一昨日の話になってしまうが一応書いておきたい。日曜日、東京都中学校バスケの新人大会の決勝戦で孫が入っている梅ヶ丘中学校が優勝した。11月20日にトーナメントの第1試合を見に行ってから休日の5日目、試合数でみると6試合目の快挙と言えよう。血統的に運動神経の無い筈なのに不思議な話だと言ったら、嫁の母親は運動神経が良かったのだそうだ。

以前日記にも書いておいたが、試合を見ているとハラハラドキドキしてしまう。心臓によくないので最初の試合を見ただけで、後は結果をインターネットで確認して婆さんに報告していた。ところが、一昨日に限って主催者の東京都中体連バスケットボール部公式ホームページに不具合が発生して、夕食の時刻になっても結果が掴めなかった。「娘に直接電話をして聞いてみたら?」と言っても、負けていると可哀そうだからと電話をしない。

8時過ぎてもう一度アクセスしてみると、試合結果のPDFファイルは治っていないが、テキスト部分に優勝とはっきり書いてあった。最初からもっときちんと見ればよかったのだ。相変わらずの粗忽者で困ったものだ。早速婆さんが娘に電話をし、小生も孫を呼び出して「よかったね、おめでとう。」と伝えた。孫も嬉しかったろう、しかし若干照れ気味ではあるが「ありがとうございます。」と淡々と答えた。こっちももう少し何か付け加えようと思ったが、余計な事は言わないようにした。

興奮したのは周囲の大人の方かもしれないし、通信簿でお勉強不足が証明されても周囲は慰めとすればよかろう。

2011年12月11日日曜日

あの放射性物質どこに行ったのか?

3月に起きた大地震から早いもので9か月が過ぎてしまった。被災地の皆さんに1日も早く立ち直って頂くことが、日本全体の重要案件である事は勿論である。関連して発生した福島原発事故についても、20キロ圏での除染が始まったとかの報道がある一方、安全宣言が出された福島の新米や明治乳業の粉ミルクからセシュムが検出されたニュースが未だに続き、収束には程遠い感が否めない。

これらの報道を追いかけていると、根本的な問題を忘れてしまう危険がある。
実際に我が家では、福島産の食物は買わないように気を付けているようだが、昼飯が毎日外食になっている小生は、放射性物質を含む食品を口にしている可能性は否定できないだろう。まして家でも魚はよく食べるし、特に危険とされている小魚は毎日のように口にしている。仮に駿河湾より西で上がった魚であっても、海洋汚染の実態なんか分かったものではない。

青酸カリの2000倍の毒性を持ち、半減期は30年とされるセシウムが我が体内に蓄積され内部被曝が進もうと、己の年齢を考えれば心配は無用かもしれぬ。
しかし子供は兎も角、孫に至れば幼児もいる。心配無用とばかりは言っておれないのではないか。東京に居てさえこの通りだ、原発により近く、しかも土壌の放射線量が高い地域の人の心配は如何ばかりであろう。昨日現地事情に詳しい方からお聞きすると、そういった地域からいち早く避難した人と、現地に残らざるを得ない人の間で深刻な感情問題が多発しているようだ。

誰の責任とあげつらっても始まらないが、兎に角一刻も早くセシウムを何とかせねばならない。除染の報道は盛んにされるが、同じ方から伺うと撒き散らされたセシウムを掃き溜めて、ブルーシート掛けて放置するだけで、何の問題の解決にもなっていないとの事だ。

8月の時点で政府が発表したところの、福島第1原発1~3号機から放出されたセシウム137は1万5000テラベクレル(テラは1兆)。広島型原爆は89テラベクレルだったということなので、福島原発は広島原爆168.5個分ということになっている。ベクレルなる単位が如何なるものか分からないのでイメージが湧かないが、それから3か月後の現在、そのうちどのくらいが回収されどのような処分がなされたのだろう?

非常に大事な問題の筈だが、関連する報道は全く見当たらない。

2011年12月10日土曜日

政党政治と民意

今日は地元で陰ながら応援している民主党の政治家の会がったので顔を出してみた。勿論2年前の熱狂的な追い風に乗って初当選を果たした1年生議員である。当時の国政報告会では数百人の人が集まり、選挙区外からの友人や応援の議員仲間で大変賑やかなものであった。今日は当時と比較して何と人数の少ない事か、多分7,80人程度であったろう。議員が可哀そうになる。簡単な昼食を兼ねた集まりで、全員にテーブルと椅子が用意されていた。

偶々同じテーブルに座った若干先輩2名の方と話が弾んだので、参加した甲斐があったようにも思う。議員も有権者の厳しい声は覚悟の上だったろう。会の名前も「いっしょに語ろう!!」として自分の名前の表示すらなかった。そしてタイトル通り、参加者からどんどん意見を言わせたので面白かった。老いも若きもヨイショする発言はゼロで、質問や意見は皆厳しいものばかりだ。隣に座って始まる前から会話をしていた先輩も早速挙手をして発言を求めた。

官僚の天下りと議員定数削減に絡む意見で、官僚の2度目以降の就職に関して、関連団体に就職した場合の給料や退職金を民間並みに引き下げるようにしろとのご意見だったと思う。皮切りの発言だから比較的易しかったが、段々と発言が厳しくなっていく。議員は財務金融委員会や党税調に役を貰っているのだが、税問題については首相諸共財務省に洗脳され過ぎているとの指摘が、投資銀行に勤務していた専門家と自称する人間から出されたり、議員に面と向かって「あなたの言っている事は言い訳に過ぎない。」と切り捨てる小父さんが出たりした。

流石にこの意見に対しては、誰かが立ち上がり「今日参集しているのは応援団ではないか、我々も同志を集める努力をしよう。」とフォローはしたが。議員も苦しいところだったろう。最後に「役職を干されても、議員定数の削減については税論議の前に実現させるべく行動する。」とのことだ。その言や良しである。でも政党政治の中で初心を貫くのは相当に苦しいのだろう、最後に神奈川の横久米議員の話を出してきた。志を貫いて菅代表に楯突いはいいが、1匹狼になって何ができるかとの喩えだろう。

意見を開陳した諸氏、テーブルで懇談した先輩、皆民主党の現状を憂いている事だけははっきりしている。指摘される問題点も非常に常識的なものだった。民意をくみ取ることはそんなに難しい事ではない、が正直な感想だ。議員は党内無派閥を言っていたが、貧乏人の集まりの民主党に派閥が存在するとは誰も思っていないだろう。やはり組織の団結に不可欠なのは金しかないのか。もっとも最近は自民党とて貧乏は同じ事、しかしこちらには「政権奪還」ベクトルが組織の粘着力を高めているのだろう。

議員は東京10区選出江端貴子さん、賢い人だと思っているし次回も当選させたいが、党ががたつくと相当に厳しいだろう。

2011年12月9日金曜日

読後感「本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること」矢部 宏治(写真) 須田 慎太郎(文)前泊博盛(監修)

最近防衛大臣の問責にまで発展した沖縄問題。沖縄の基地問題は己とは無関係と全く気にもしていなかったので、防衛大臣ではないが素人以前。これではニュースを聞いても何も分かる筈がない。少し勉強しようかと思っていたところで、この本の書評が目に入った。池袋や銀座の書店を3,4軒尋ねたが入手できなかったので、図書館に2回通って読んだ。インパクトのある内容で、売り切れているのも頷ける。

出版は今年の6月、沖縄の旅行ガイドブックの体裁を取っているので写真が非常に多い。但し、旅行のメインストリームは沖縄に存在する米軍基地のすべて。ルートや移動手段、レストラン、ビューポイントは添え物で、基地問題について過去の歴史から理解するには実に恰好のものと言える。防衛大臣のみならず与野党の全議員に一読を薦めたい。

本の制作に携わった3人のうち矢部氏と須田氏は写真家とヨーロッパの美術館ガイドなどを書いている旅行ガイドブックの専門家のようだ。但し監修の前泊氏は琉球新報の論説委員長まで務めて現在は沖縄国際大学の教授である。ほぼ同世代であるこの3人の組み合わせが新鮮でユニークな出版物を生み出したと言えよう。

約350ページほどの構成で、沖縄の米軍基地を本島の南端から北に向かって訪ねて行く観光ガイドのスタイルになっている。しかし書名にもあるように、狙いは別にある。これが28項目にわたり、トップが「なぜペリーは、最初に那覇に来たのか」である。浦賀に来る1年も前にぺりーが那覇に来ていた事実、それも南回りでやって来た事。アメリカの軍隊が1世紀半も前から如何なる世界戦略を以て日本に対峙しているかを根底から考えさせられる内容が飛び込んでくる。

28項目にわたる内容は、今まで無知であった小生には勿論衝撃的でもあるが、日本人の多くが勘違いしているであろう事を鋭く突いているように思える。即ち日米関係である。宗主国アメリカは民主的国家とばかりは思わないにしても、かなり強固な同盟関係下にあるように錯覚しているが、とんでもない間違いらしい。在日米軍基地は全てアメリカのために存在するものであり、日本防衛のためはない。当たり前と言えば当たり前だが、有事に際して在日米軍が日本のために機能しないなんて事を想像する人がいるだろうか。

アメリカ自体も民主主義と帝国主義の狭間で揺れているのか、都合によって敵とに使い分けているのか、これに対して日本人がどうしてここまでピュア―と言えば聞こえはいいが、子供じみている或いはバカか。歴史を紐解くと理解できる事が沢山あって、沖縄の人にとっては常識らしい。数々の勘違いを放棄してきた本土の日本人に対しては様々な角度から示唆を与える事だろう。政治思想は別にして、多くの人に素直に読んでほしいものである。


2011年12月8日木曜日

開戦記念日

終戦記念日には戦没者を慰霊する行事などが大々的に行われ、それなりの報道もあるが、戦争の火ぶたが切られた日は記念すべき日ではないらしい。何も笛や太鼓で祝えとは言わぬが、我が国の歴史上重大なターニングポイントである日には間違いない筈。当時の世界情勢とこの日の国民のありよう、特に上は上御一人から補佐した内閣や政治家、官僚、上御一人様直属とされた軍隊、社会の木鐸であったマスコミ、そして下々の皆さんはどうであったか。

むしろこちらの方を、子子孫孫にまで忘れないように仕向ける事の方が大事なように思う。もし総理大臣か文科大臣なりせば、小学校と中学校の日本史のカリキュラムにこの部分をかなり長時間組み込むべく努力するだろう。毎年この日が来ると、現存する生き証人がいるうちに実現できれば、と夢のようなことを考えている。

偶々昨日は、それこそ現存する旧陸軍関係者と偕行社(旧陸軍から自衛隊OB迄の親睦組織の事務所)で碁を打っていた。碁会所ではないので、周りに幾つかの懇談の輪がある。老人の集まるところだから仕方がないのだろうが、声が大きい人がいる。最初は開戦時のアメリカの策略について論じていたようだが、やがてそれに乗っかってしまった当時の上役即ち軍幹部を悪しざまに言い始めた。

偕行社は元々士官のクラブと聞いていたが、こんな行儀の悪い兵隊の成れの果てみたい人間が出入りしているには些かびっくりした。誘って頂いた方も眉をひそめていらしたが、黙って碁に集中するよう努力されている様子だった。老人の親睦クラブで喧嘩する訳にはいかなかったのだろう。

話が逸れたが、昨年と一昨年の今日に日記を読み直してみた。書いているのはやはり個人的な思いで、開戦そのものについては記憶が風化しつつある事しか伺えない。戦争と言う大事件ともなると、誰にその責任があるのか特定するのは非常に難しい事かもしれないし、国民が責任追及を選択しなかったのも一つの知恵だったのかもしれぬ。しかし三条河原で打ち首とか磔獄門とかの厳しい罰が下されたものについては、記憶がいつまでも鮮明になるとも言える。

東京裁判で断罪された7人の方には可哀そうだと思うが、どうせ絞首刑になるなら日本の裁判で死んでもらった方が後世のためにはなった筈。こんな不謹慎を敢えて書いたのは、今年起きた東電の福島原発事故が似ていると感じているからである。誰かに責任はある筈だが、誰もがその特定に関しては口を閉ざしている。勿論、個人的に声を上げる人はネット上にはたくさんいるが、これは終戦直後に声を上げた共産主義者と同じで、社会的には黙殺されている。

開戦の傷跡は70年を経過した今、一見して癒えているように見えるが、大変な内部被ばくをしているのに気が付かないだけだ。

2011年12月7日水曜日

いい年して先生は・・・?

大学は慶応義塾に在学した。慶応では教師を先生と呼ばず君付けで呼ぶ習わしになっている。学内の掲示板に「○日○○君は休講」てな張り紙が出るのである。当初不思議な気がしたが4年居てすっかり慣れてしまった。逆に未だに馴れないで困るのは「先生」の方である。中国では○○さん程度の事らしいが、我が国では敬称である。人様を敬して呼ぶのだから目くじら立てるほどの事ではないが、どうもしっくりこない。

テレビに出てくる解説者の殆どが先生と呼ばれるが、新聞記者上がりの小父さんなんか馬鹿にされていると思わないのだろうか?個人的には面と向かう可能性が殆ど無いからどうでもいいだろうが、もしあったらとてもそうは言えない。却って失礼に思ってしまうだろう。どうも昔の刷り込み「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」が強すぎるのかな?国会議員同士が先生と呼び合うのは良いとして、昨日報道された鈴木宗男先生の釈放を祝う会は面白かった。

流石に共産党(ところで共産党の議員も先生と呼ばれることを許すのだろうか)や公明党に出席者はいなかったろうが、嘗て天敵に近い発言をしていた人を含め、議員仲間が100名近く鈴木先生の釈放を祝うべく集まったらしい。小沢一郎氏の挨拶を取り上げていたが、検察によって貶められた仲間と思えば両者気持ちが強く繋がるのだろう。筆頭に挨拶するのも当然かもしれない。

少し関連して最近思っている事、ここにも鳩山由紀夫元総理が登場していたことだ。どこに現れようと何を言おうと本人の自由だろうが、メディアは何で彼を取り上げるのだろう?元総理ともなれば取り上げない訳にはいかないのかも知らぬが、一度引退を宣言した彼に関しては政治的行動や発言を一切無視してほしいものだ。見て見ぬ振りをするのもせめての情けだろう。政治家には節操も恥も、当然ながら晩節も無縁のものであっても、見ているこちらが恥ずかしくなる。

2011年12月6日火曜日

民意はどこに行った?

戦後長きにわたって政権を維持し続けた自民党は、些か責任感と節操に欠ける政党であった。但しこれは個人的見解。2年前に政権を奪取した民主党が、政権担当能力に欠ける素人の集まり揶揄されるのは多数の意見のようだ。
前者が政権担当能力を持つ玄人とも思えないが、政権交代2代目総理の菅氏以来、民主党は民意を念頭に置いていないように見える。

少なくとも小生は、民主党が政権を獲得した理由を次のように思っている。「国民の生活が第一」のスローガンやマニフェストに惑わされたのでもなく、スマートに政権運営が出来て、この国が抱える問題を次々に解決していくだろうと期待した訳ではない。若くて清新な人が多いから、下々に近いところで分かりやすい政治形態を作ることが可能ではないかと期待した。こちらも素人ならお前も素人で大いに結構の世界である。

従来の訳の分からない政治に倦んでいたので、メディアの協力も取り付け、政党の内部や政治の裏も少しは透明になってくる事への思いである。さっぱり分からなった政治について、きっと何かが変わって、今までと異なる判断基準がもたらされれば政権交代の意味は大いに有った筈だ。しかし実態はご案内の通り、攻守所を代えているだけにしか見えない。強いて言えば、政策に関する与党内における見解の相違と、その調整の難しさが露呈している事だが、これがあまりプラスに作用していない。

従来であれば、この手の相違は当然あっても決して表に出ることはなかった。
これを表に出さず、裏と言うかアンダーテーブルで脅したりすかしたり、金を使ったりして纏めるのが政治家であったのだろう。素人の悲しさと言えばそれまでだが、ここを見せると成程みな馬鹿に見えてくる。そばにいる官僚からするとたまらんだろう。官僚達はこの調整能力に関してはなまじの政治家はとても及ばないプロ中のプロの筈だが、上にいる政治家が丸裸では働き様も無いだろう。

それでも、民主党の政権の閣僚が愚直に「民意」を尊重しながら事に及べばいいのに、もともと頭だけは良いつもりの人間が多いのだろう。役人の上に立って、役人共に少しいいところを見せようと言う気になってしまっているに違いない。金でも権力でも力を手にすると、人間は変わる?堕落する?昔から言われるとおりであるが情けない。制度が変われば何とかなると言う人もいる。果たしてそうだろうか?やはり人の問題だろう。

国政に橋下徹のような人間が登場する事を願うが、小沢一郎でさえ潰された。
国内で騒ぐ分には構わないだろうが、宗主国アメリカの意に反する事を断行できる人間なんていないだろう。マスメディアも民意には程遠い。(新聞は消費税が免除されているて本当かな)TPP、年金、健保、消費税、沖縄、何れを取っても、誰がやろうと結論は同じだろうと考えると気が重い。

2011年12月5日月曜日

年寄りの所帯

田舎とは少し異なるところと思うが、都会は日常的に非常に大勢の人に接触しながら生きている。近隣で顔を見慣れている人でも、その人の職業とか年齢とか詳しい事は一切分からない。特に小生の場合地域での付き合いを一切してないので、よく見る人でも挨拶しない人が大勢いる。会えば必ず挨拶するのは向こう2軒と両隣のご夫婦が精々で、そのご家庭にどんな家族がいるのかも定かではない。そういった事は全て婆さんの役目で、時々必要に応じて情報をコッソリ教えてもらっている。

婆さんはPTAの役員もしていたし、ある政治家の応援団をしたりしていたこともあるので、ある程度地域の情報通でもある筈だ。しかし選挙が近づくと我が家の塀はさながら政党の見本市の態をなす。これは婆さんらしい知恵で、主義主張が違っても地域の人とは仲良く暮らすべきで、変に人の恨みを買うとどこでどんな仕返しがあるかもしれないとのことだ。都会には得体のしれない方が大勢おられるのは鈍感な小生にさえわかる。(小生だって得体のしれない人物だろう)

老夫婦の情報交換の一環で、今日はこんな電話があったと言う話を聞かされる。兎に角昼となく夜となく訳の分からない電話が毎日のようにあるようだ。大方は光回線から墓場までありとあらゆる売り込みが多いらしい。婆さんもいつも暇にしている訳ではないので、しょっちゅう腹を立てている。しかしその撃退にあまり過激なこと言って、仕返しにあらぬところで悪さをされても困るので苦労しているのは、ご近所づきあいの時と同様の事だろう。

しかし中には随分怪しげな電話も多いらしい。時節柄使っていない貴金属はありませんか?なんてのは可愛い方だが、単純な株のセールスとは明らかに異なる話なんぞもあるとの事だ。どこから名簿が流れているか分からないが、婆さんに言わせると、兎に角日本人にプライバシーなんかないと思っていた方が良いとの事だ。面白かったのは先週来た電話の話だ。

「もしもし、こちら目白警察ですが(我が家の所管が池袋警察でないのも面白い)、最近そちらの1丁目2丁目で振り込め詐欺が多発しています。怪しい電話に引っかからないように注意してください。」との趣旨の電話が来たらしい。婆さん「はい、分かりました。」と返事をして、すぐ目白警察に電話をしたそうだ。「こういう変な電話が来ましたので、確認のため電話をしました。」そしたらこの電話は本物で礼を言われたとの事。

これだけメディアに沢山報道されても、振り込み詐欺は後を絶たないものらしい。世の中には善い人が多いのか、悪い奴の知恵が進化しているのか知らないが困ったものだ。

2011年12月4日日曜日

これからを思うと

昔から合点太郎で、「よしわかった、そうしよう。」と何でもすぐ新しい行動を起こすのを以て善しとしてきたが、最近やっと人並みに、行動を起こす前に一呼吸置くことの重要性が少し分かりつつある。関連して最近思うのは、時に世の中が急速に変わっているように思うが、本当のところ世の中にそんなに急激な変化なんてある筈がないと言うことである。東京だけでも1300万人、日本中では1億3千万人近い人間が生活しているのだから、一夜にして何かが劇的に変化なんかする訳がない。

政治なんかを見るときも、政権が代わっても何も変わらないと見るか、変わりつつあることを見るかで受け止めがだいぶ違ってくるだろう。野党は常に現政権に対しては批判の目を持ち、変えるべき方向性を示さなければいけない。しかし、それが功を奏して政権についたときが問題だろう。小生みたい慌て者は、その翌日からでも手の平が返ったように世の中が変わると思い込んでしまう。冷静に考えればそんなことはあり得ないとすぐわかる。民主党もその辺の事を国民に向かってうまく説明すべきだった。

鳩山氏は小沢氏がこけて、思いがけず代わって首相の座が転がり込んできたので、舞い上がってしまったのだろう。お馬鹿な小生なんぞもつられて世の中が手の平返しで変わるかと錯覚してしまった。そこへ行くと今度の大阪市長橋下氏は強かさを感じさせる。選挙中あれほど前市長をこき下ろしながら当選早々に前市長の票数は重いようなこと言っている。彼の掲げる目標のハードルは高そうだ。それを乗り越えていくためには市民の理解と協力が欠かせない。そう簡単にいくと思っていない事を表明するメッセージとしては上手い言い回しだなと思う。

野田氏も、自公路線がしてきたことを引き継いだのだから協力してよ、と言っているがこれも同じ効果を狙っているのか。但しこっちはあまり上手くいきそうにない。まして沖縄問題になると、60年以上の歴史を引きずる話だ。手の平返しが通用しないのは勿論だろうが、かと言って元の木阿弥にするわけにもいかないだろう。旧政権の中から力を貸そうと言いだす人間が一人も出てこないのも不思議だ。

2011年12月2日金曜日

腰痛

混沌としている巷には、日記に書けそうなテーマがごろごろしている。しかし何を言ってみたところで、所詮は一老人の嘆き節、書いていて情けなくなるばかりだ。天気も悪いし、気候が激変した影響か身体の調子が極めて悪くなってしまった。老人らしく病気自慢でもしておく。

小生元来腰痛持ちである。子供の頃よく木や鉄棒から落ちた後遺症と勝手に決め込んでいる。特にここ5,6年、山歩きを始めた頃から傾向が顕著になってきて、時々整体に通うようになった。特に酷くなったのは07年の10月だからもう4年になる。秋の黒姫山登山をして降りてきた翌朝だ。腰が立たなくなって、布団から容易に起き上がれなくなってしまった。その時は整形外科にまで行って、レントゲンで診断してもらったり痛み止めの処方をしてもらったりした。

タレントのみのもんた氏が、腰痛で手術と大きく報道された時期だったので、或いは自分もと心配になった。しかし結局のところ、何をしても俄かに回復する事は難しい、或いはありえない事か。結局は自分で腰に気を遣いながら関係する筋肉を鍛える?しかないようである。爾来気長に構え、週に1回程度整体に通いながら自己流リハビリと言うかトレーニングをして、だましだまし今日に至っている。ゴルフを辞めたのもこの腰痛が一因だったかもしれない。

その他は、大げさに自己流何とかと書いたが何のことはない、普段極力車の利用をやめて、歩くようにする事と週に1,2回プールに通う事だけである。ゴルフに変わるイベントとして、山歩きを始めたのも同じ理由に他ならない。その山歩きも今年は、先月23日の雲取登山でシーズンを締めくくったところだった。その後、週が変わってから、どうも腰の塩梅が良くないなと思っていたところ、今朝再び4年前の10月同様のアタックに見舞われてしまった。

今日も外出する予定が入っているが、起きたり腰を屈めたりするのが大変ななので、朝から整体に行っていつも以上に入念なマッサージを受けてきた。分かっている事だが、すぐにはよくなることは期待しても無理だろう。4年前は2,3か月でだいぶ楽になったような記憶だが、今度はもっと掛かるかもしれない。気が重いが仕方がない。腰を伸ばして歩き始めてしまえば結構歩けるが、これも調子づいて度が過ぎると、別の箇所への負荷が高まり、そこに故障が出る事になる。

暫くは整体の先生のアドバイスを聞いて、少し静かにしていたい。

*投稿をお待ちします。
うっかりしていましたが、「コメントのしかたについて分からない。」とのご意見がシニア・ナビに多く寄せられているのに気が付きました。

下の投稿者、時刻の隣にアンダーライン付コメントの文字があります。これをクリックするとコメントを記入するフィールドが出ますので、ここにコメントを記入してください。
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2011年12月1日木曜日

時代の変化が津波となって

今日は朝から雨模様、終日重い雲が立ち込め真冬のような寒さがやってきた。社長と共にクライアントに呼ばれ、予算的に実に厳しい要求を突き付けられる。

先方も来年度から社団法人から一般法人になるので、生き残りのためには必死だろう。こちらも生き延びるには何をすべきか?これまでのような考えでは生きていけない事だけは確か現実。一つの時代の終焉を見る思いだ。

2011年11月30日水曜日

天皇陛下の定年 やっとか、ついにか?

昨日秋篠宮文仁親王殿下ご夫妻が、殿下の46歳の誕生日前日の記者会見が行われたと報道されている。こんな会見毎年あったかなぁとの気がしないでもない。この会見で記者が「天皇陛下の定年制」について尋ねたようだ。世が世なら打ち首ものかもしれないが、勿論入念な事前打ち合わせの上の事だろう。それだけ時代が変わってきている証拠でもある。殿下も言葉を選びながら、検討する事を否定していない。

我が国の天皇制についての法律など詳しくは知らないが、天皇の存在は否定したくない。折に触れて拝見する天皇ご夫妻のお姿、特に昨日の殉職消防士の慰霊祭や、災害被災地を見舞われた時などから受ける印象は、心から胸を打つ温かいものを感じる。この方がいなくて、選挙で選ばれた国民の代表が、代わりを務める様相を想像するだけでぞっとしてしまう。

小生の知る人でも、先の大戦で不幸な思いをした先輩の中には、敗戦時に天皇制を廃止して共和制を引くべきであったと主張してやまない人もいる。それも一つの考えではあるだろう。しかし小生は天皇制が残されたことが、国民を勇気づけたと思っている。皇統の継承についても、最近また議論する機運が高まっているようだ。これも昨日の秋篠宮殿下の発言と無縁ではあるまい。いずれも大いに議論すべしだと思う。

確かに千数百年も万世一系、しかも男系男子だけで繋がっている家系だなんて誰も思っていないだろう。天皇家の過去をたどれば室町時代に行くまでもなく血生臭い事も多々あったのだろう。小生もありていに言えば、僅か百数十年前の明治維新前に、明治天皇の兄宮孝明天皇は伊藤博文でないにしても長州藩の手で暗殺されたと信じている。

人類の叡智は歴史を学ぶことから生まれるかもしれないが、因習に拘るのはよくない。これからの天皇制や天皇家の在り方を、出来うる限り政治色を排除して、象徴として担いでいる国民的見地から見直す事は非常に大事なように思う。宗教心薄い小生ではあるが、苦しい時の神頼みで、よくお宮にお参りをする。カトリック教徒が教会に行くようなものだろう。例えは双方に失礼かもしれぬが、皇居は日本のバチカンと思ってもいる。

何れも平和のシンボルであってほしいし、我が子や孫達も末長く天皇制や天皇家を大切にしてほしい。

2011年11月29日火曜日

読書スタイル

今日は単なる暇つぶしで、国会図書館まで行って推理小説を読んだ。国会図書館まで行くには、池袋まで歩いても、後は地下鉄に乗らねばならない。行きに160円、帰りは千川まで地下鉄になるので190円コストが掛かる。区の図書館だと行きは歩いて行けるし、帰りに地下鉄に乗っても160円で済む。しかし本棚を巡って、本を見つけるのが面倒くさいし、読みたい本が見つからないことも屡である。そんな時は多少古い雑誌等をめくって我慢する事になる。

国会図書館の方は多少コストが掛かってもいろんな意味で便利である。先ず余程の近刊でない限り置いてない本は無いだろう。出かける前に自分のパソコンから検索システムhttp://opac.ndl.go.jp/Processにアクセスして在庫は確認できる。目的の本を借り出すのに、混んでいても大凡20分もあれば目的の本が手元に入る。閲覧室の環境は区の図書館とは比べ物にならぬほど立派で落ち着いている。現在改装中で第1閲覧室がやや狭いが、前後左右の人が気になることは全くない。

アメリカの大学に留学した人の話では、彼の地の大学付属図書館は大体24時間オープンで、パソコン付のブースに入るのが閲覧スタイルらしいが、まだそこまでは行っていない。パソコンは持ち込み可能だが、読書机で占有スペースは読書と同じサイズのオープンであるので、利用したことはない。パソコンを持ち込んでまでと思うが、それでもその一角は一般利用者よりは多少混んでいるかもしれない。

国会図書館へは午前中から行くことが多いが、図書館内には食堂の施設が幾つもあり、特別うまいものが有る訳ではないが、カレーライス350円やナポリタン550円がお気に入りでもある。読書を始めると居眠りをする癖があるが、老いも若きも結構同じ現象の人が多いので安心して居眠りさえできる。
温度や湿度がいつも一定に保たれているのであろう、極めて心地よい。

読書を中座する時用に栞は貸してくれるが、栞を挟んだ状態での返却は出来ない。厚い本を読むときはページ数を覚えるなりメモして返すことが必要である。筆記用具やノート、参考書などの書籍の持ち込みも可能で、入館するときに持ち込み専用のビニール袋が用意されている。もう暫くすると受験準備中と思われる若い人が増えるが、今日は未だ老人の方が多かった。


読後感「死角 オーバールック」M・コナリー/著 古沢嘉通/訳を書こうと思ったが、書くほどのものでもないので図書館の紹介にした。とは言ってもさわりを少々。

この本は昨年で読者の選ぶ推理小説のトップにランクされている。ロスの殺人課の刑事がギャングの処刑かと思う殺人事件捜査に関わり、僅か1日半で解決に導くスピードあるお話だが、医療用セシュームカプセルの盗難とテロがテーマとなっている。この2点に加え、国や地方の司法当局の縄張り争い等、日本では極めて今日的テーマなので興味深い点が多かった。 

2011年11月28日月曜日

大阪の選挙結果

東京在住の小生とは縁遠い話だが、昨日の大阪府知事・大阪市長のダブル選は、既存政党とマスメディアの包囲網をものともせず、市長選で大阪維新の会代表の橋下氏、知事選で同幹事長の松井氏が圧勝した。橋下氏については知名度の高さから、或いは当選するかもと思っていたが、府知事候補の松井氏はまず無理だろうと思っていたので、ちょっと驚いた。橋下氏のついても、市長選に立候補を表明した頃に読んだ雑誌記事ではかなり叩かれていたので、大阪維新の会も沈没するだろうと思っていたくらいだ。

現地の人はそうでないかもしれないが、遠方の小生にとっては全くあに図らんやだ。橋下氏が機を見るに敏である事は間違いないだろう。確か最初の選挙は自民党のバックアップで当選を果たし、その後政権交代の影響であったかどうかは知らないが、自民党から距離を取り始めたようだ。自治体の首長であれば政権与党とは密接に関係しなければならぬだろうが、野党に義理立てしても始まらないのは自然すぎる。

全国知事会で当初は石原都知事と喧嘩腰であったようにも思うが、今回の選挙戦最終日に石原氏が応援に入っている。どっちがどうかは分からないが、政治家の世界は理解し難いものがある。大阪都なる呼称はともあれ、大阪の2重行政による無駄は相当なボリュームだろうから、無駄の削減は大いにやるべしだ。当然既得権者からの抵抗は激しいものになるだろう。今は手を握ったように見える都知事との関係だが、財政の心配が皆無の東京と大阪ではベクトルが正反対だ。

都知事は職員給料をカットしたなんて威張っているが、おかしな銀行を作ったり、マラソン大会をしてみたり、築地市場の移転にしてもオリンピック招致にしても、やらずもがなの事ばかりだ。大阪はマジで財政が危機状態にあるらしいので、東京の真似をせず、蛮勇を奮って財政再建を果たしてもらいたい。正直なところ、東京に住んでいるせいか財政に対する危機意識が希薄だ。その点、大阪府民や市民は真剣なのかもしれぬ。

橋下氏についてはお父さんの事から始まり、単なる壊し屋、独裁者、果ては性格異常者まで様々なレッテルが張られた。政治不信が高まると、1930年代のヒトラーの出現に見られるように、市民は独裁者の出現が望むものらしい。今回の現象も、それに類似するのではと心配する向きもある。そんなことは心配には及ぶまい。マスメディアは首相のリーダーシップの無さをいつも追及しているではないか。自治体の首長が戦争をおっぱじめる可能性は先ずないだろう。橋下氏自身2期8年で辞めたいとも言っている。大阪の皆さんが「こりゃまずい」と思ったら4年で交代させることも可能だろう。

もし大阪でこの閉塞感に少しでも風穴を開ける事になれば、大阪市民に拍手を贈りたい。それにしても国政における政党のだらしなさ、みんなの党だけはへらへら笑っているようだが、彼等にしても大同小異。ひたすら自己保身だけの離合集散を繰り返すだけで、国民に訴える行動と言葉が皆無に近い。大阪の選挙結果が国政にどんな影響を与えてくれるか、独裁的なリーダーの出現を期して待ちたくもなる。

2011年11月26日土曜日

読後感「ファイナル クラッシュ」石角完爾 著 朝日新聞出版

経済問題は難しくて、書かれたものを読んでも理解不能なので、あまり読まない事にしている。まして景気の先行きや経済動向に関する警告めいたタイトルを見ると、長期天気予報を聞く思いで手に取るのも嫌な事だ。しかしある書評でこの本が2007年に書かれたものであるにもかかわらず、その後に起きたリーマンショックから始まって、今日の欧米の金融危機を見事に言い当てていいる、と持ち上げられていたのでつい買ってしまった。著者の名前も知らなかったのも幸いした事だろう。

著者の略歴が面白い。京都大学から通産省に入省して途中下車、国際弁護士資格を取って現在スウェーデンに在住、ここまでは余り驚かないが、2007年にユダヤ教に改宗してユダヤ人となっているのには少し驚いた。国籍がどこであるかは未確認、少なくともイスラエル人にはなっていないようだ。先に<この本が2007年に書かれたもの>と書いたが、実は種本がある。そのタイトルが「The Final Crash」で著者は英国人のファンドマネージャーH.B.氏であり、石角さんが原著者の了解のもとで、冒頭に内容を紹介している。

07年時点でリーマンショックから始まる現在の金融危機を言い当てたのは、種本の著者である。彼が言わんとしているのは極めて単純、欧米や日本の財政悪化と中国のインフレがどこかで行き詰まり、世界経済がメルトダウンを始める。日本においても国内金融機関が買い続けている日本国債も暴落するのは明らか。この日はそんなに遠くはない。要約すればこんなことになる。因果関係も順序だって書かれているが、小難しいのでよく分からない。

著者はその警告を踏まえ、日本だけでないだろうが、消費礼賛文化の見直しを提起している。日本を例にとれば、一例として貯蓄が1970年代には20%超だったのに、現代2%=収入の50分の1になっている。一方これがGDPを押し上げてきた意味もあるのだろうが、果たして日本人がどれだけ幸せになったと言えるだろうか。初版は8月に出ているが、ブータンの国民総幸福度などにも触れている。

他にはユダヤ人らしいと言えばイスラムの金融システムにも触れている。これは初めて知ったので書いておく。「イスラムの金融では金利を取らない。銀行は金利を取ってお金を貸さず、投資家として借り手の投資に参加する立場をとる。一般的な投資では、借り手の投資が失敗した場合でも貸し手の債権は生きており、破産した借り手の担保を取り上げるなど容赦ない取り立てが行われる。イスラム金融では銀行もまた投資の仲間として、借り手と同様のリスクと損害を受ける。」

何でもリーマンショックの際、イスラムの金融機関は殆ど被害が無かったらしい。こちらは金融機関を選ばなくてはならぬほどの資産が無いので、クラッシュに備えての資産管理については興味が無い。ただ他にも、ワーク・ライフのバランス地域コミュニティーの在り方など、これからのライフスタイルを考えるときには参考となりそうなことが沢山書かれている。結論的には、資産の無い人のクラッシュ対策は一言で言えば「手に職を」だ。経済関係の本としてではなく、一読の価値はあるかも。

2011年11月25日金曜日

一つの老後

暮が近づくと何気に飲む機会が増えてしまう。昨日は真昼間から吉祥寺のすし屋で昼飯をご馳走になって、熱燗をやってしまった。平日と言うのに12時半頃からたっぷり2時間半、他に客がいなくなっても頑張ったが、さすが3時に切り上げた。帰りの中央線では居眠りをして、危うく新宿を乗り越してしまうところだった。

接待をしてくれたのは広告会社に勤務していた時に世話になり、友達付き合いをさせてもらった人。10数年ぶりにこちらから誘ったので、本来はこちらが持つべきところすっかりご馳走になったうえに土産までもらってしまった。
相手の方は小生から見ればすこし先輩であるが、矍鑠としてとても先輩に見えない。ビールで乾杯の後は、互いに暗黙の了解の如く自然に日本酒を注文してしまった。

杯での注しつ注されつは流石に勘弁してもらい、互いに湯呑でいくことにした。元々好きでもあったし、現役時代には量もいける方であったが、最近飲むことを控えているので些か分が悪い。彼はリタイアしてかなりの年月になるのに、ゴルフに麻雀そして酒のペースは殆ど現役時代と変わらない様子だ。自らハッピーな人生を楽しんでいるとの事。昔のよもやま話で盛り上がり、お陰で20年近く若返った気分で調子に乗ってしまったようだ。

小生と彼の勤務していた会社との縁は20年以上前に切れているので、彼が社内で最終的にどの辺まで登って行ったかは知らない。付き合いは互いに課長とか精々部長時代の事だ。今でもそうだと思うが、サラリーマンもこの辺が働き盛り、即ち遊び盛りで一番おもしろい筈だ。こちらも遂に偉くなれなかったが、彼もひょっとしたらそんなに偉くはなれなかったかもしれない。沢山面白い話があったので、最終的にどこまで行ったか聞きそびれてしまった。

言えるのは、今でも遊ぶ友達が沢山いるのは、現役時代社内で高いポストに就いたせいではなさそうだ。それでも聞くと、現在の遊び友達は会社の同僚や先輩後輩より、現役時代付き合った社外の人、それもかなり上まで行った人が多いようだ。やはり彼の人格ゆえの事だろう。老後の過ごし方は様々だが、素晴らしいサンプルかもしれない。

2011年11月24日木曜日

晩秋の奥多摩ハイキング


22日火曜日から昨日にかけて晩秋の奥多摩に出かけ、奥多摩の主峰とも言える雲取山(海抜2017m)に登り、三峰神社へ降るハイキングを楽しんだ。両日とも文句なしの快晴、晩秋の澄んだ青空の下は遥か遠くまで見通せる。又、気温が低いので、歩いている分にはある種の心地良さがある。むしろ休憩時には体が冷えてくるので、あまり悠長にしていられない。

歩き出しが既に650m程の標高なので、紅葉も終わり木々は殆ど枝ばかりの丸裸になっている。これがため見通し風通しがが良くなるのも晩秋から初冬にかけての山歩きの良いところである。更にウィークデイからのハイキングとあって人出もまるで少ない。雲取山荘で1泊したが、個室にはたった二人だけ。相客は今年退職した私立高校の先生でワンゲル部の顧問をしていらした方。

日本の山については行かざるところ無しの大ベテラン。山荘到着の3時から夕食の6時まで時間がたっぷりあったので、いろいろ教えて頂くことが出来た。この方はマイカーを登山口に於いての登山だったので、翌朝は別れて
一人で秩父の三峰神社に降った。6時15分に山荘を出発して約4時間15分の山歩きだったが、最後の方で秩父から登ってくる登山者5人と遭遇した以外は、途中白岩山の山頂付近で鹿に遭遇したのみ。さすがこれにはドキッとしてしまった。

熊鈴をつけるのが嫌いで、朝の光と静けさを楽しんでいたところに、すぐそばの藪で急にガサゴソと大きな物音がした。こりゃやばい!とうろたえてしまったが、よく見ると角がある。ホッとしたら鹿さんも悠然と去って行った。
そんなことも過ぎてしまえば楽しい思い出だし、三峰神社でもゆっくりしたので、日本人の宗教観の可笑しさを書こうと思っていたのだが、22日サボったおかげで今日は忙しかった。またいつか書きます。

山の写真などは下記をご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-151616.html

2011年11月21日月曜日

孫のバスケを観戦

最近、上の娘の孫とは頻繁に会ったが、下の娘の孫二人とはとんとご無沙汰だった。二人とも中学生になってしまい、その上二人揃ってバスケ部に入ってしまったせいだ。兄の方は小学生の時からバスケをしていたので仕方がないが、弟は昨年までバスケとは全く縁が無く、合気道と習字の稽古に通っていた筈だった。中学校と雖もバスケ部の練習はかなりハードと聞き及んでいるので、兄の方も早くやめないと馬鹿になる一方と心配していたにも拘らず、弟まで巻き込まれてしまった。

弟は小学校までの習い事は両方ともやめて、兄と同じくバスケの練習に明け暮れているらしい。禄に休日も無いようで、当然お勉強の方はお留守になるだろうし、爺様に付き合っている時間なんぞ生まれる筈もない。昨冬はそれでも小学生だった弟がスキーに付き合ったが、今年からはもう駄目のようだ。
何がそんなに面白いか、子供の気持ちは分からない。兄もそもそもは、小学生時代に少し駆けっこが速いのと背が少し高かったので、先生の言われるままに始めただけの話。

弟に至っては背丈はクラス一番のちびすけ、駆けっこもそんなに速くはない。
にも拘らず、中学校のバスケ部の先生が、兄に「弟を連れてこい」と命じたらしい。兄はそれでも選手になれる可能性があるから未だ良しとしても、なんで弟が?娘も不思議に思っているが、本人が喜んでいるので仕方がないようだ。兎に角二人とは1年近く顔を合わせていないので、一度会いたいと思っていた。折よく東京都中学校のバスケの大会が昨日から始まった。

これまでに一度見たいと思っていたので、昨日品川区の会場まで見学に行ってきた。この大会は「東京都中学校バスケットボール新人大会」で各校共2年生と1年生だけの参加である。(3年生は受験準備で秋を以てシーズンが終わるらしい)都内の中学校数は国公立合わせると817校、全部にバスケ部が有る訳ではないだろうが、地区予選を勝ち抜いてこの大会に参加資格を得ているのは男女各64チームだけである。昨日の日曜から23日の休日も使って休日5日間行われる。

トーナメント方式なので、初日に敗退すると後の4日は見に行っても仕方がない。家では、バスケなんて日本人に最も不向きだし、下らない、早く辞めさせた方が良いのではと悪たれを言っているのだが、やはり孫の姿を目の当たりにすると応援に力が入ってしまった。娘や婿さんも一生懸命で、息子プレーの細かなところが気になるらしい。弟の方はベンチでスコアラーを務めている様子だ。タイムの度に監督の前に直立不動でスコアを提示している。

試合結果は、孫の学校が対戦相手の中野区の代表に大差で勝つことが出来た。世田谷から4校出場していたのだが、昨日勝ち残れたのは孫の学校だけのようだ。娘家族は今度の休日も一家を挙げて気が気ではないだろう。小生は久しぶりに孫の嬉しそうな顔を見て十分堪能した。子供は健康で毎日を楽しく過ごすのが一番だ。お勉強の方は、製造責任の一端を担う己を顧みれば、お留守になっても仕方があるまい。

娘が「23日は試合会場が立川だけれど、また来る?」と聞いてきたので、「いや、もう大満足した。これ以上ハラハラドキドキは心臓によくない。今度の休日は気を安んじて立川の先の山に行ってくるよ。」と会場を後にした。

2011年11月18日金曜日

下手の横好き

好きこそものの上手なれ、と古来言われているが、どうしてもその言葉に馴染まない事がある。小生には囲碁の事で、完全にタイトルに示した通りと言える。40歳頃に覚えて以来だから既に30年を越した。この夏頃までは、週末土日の午後は碁会所通いと決めていたようなものだ。ところが秋口からネット碁にはまってしまった。碁会所は1回行くと入場料が900円、2日で1800円の支出となる。

ネット碁はこの2日分の料金で1か月分24時間打ち放題。碁会所の客は池袋周辺であるが殆ど固定されていて、相手をしてもらえるのは10人もいないだろう。ネットの場合は常に400人前後の客がいて、手合い(棋力)が同じレベルの客だけ見ても50人や60人はいるみたいだ。大部分は日本人だが、外国人も時々入ってくる。

ネット碁はの善いところは相手の顔が見えない事。盤面にのみに集中できる筈ではあるが、非力の悲しさで簡単には勝たせてもらえない。更に独特のルールがあり、余りの長考は許されない。25手を10分以内に打たないと、時間切れで負けになってしまう。碁会所では大体1局の勝負に1時間から1時間半ぐらいが普通だが、ネットの場合は1局40分ぐらいが相場だろう。碁会所に半日いても、4局が5局が限界で、5局も打てば帰宅が相当遅くなる。

ネットは兎に角手軽なので、最近はウィークデイの真昼間から碁を打ってしまう。これが最近の読書を相当に妨げているのは間違いない。少し反省を込めて書いている次第である。しかしネットの事なので、過去のゲームのデータが全て保存されていて、見ても仕方がないが、ゲームを振り返ることも可能だし、自分の棋力が登録会員中どこに位置しているかまで確認できる。

登録会員は約20万人と聞いているが、小生のポジションは大凡日本で9000番、全世界では11000番くらいのところをうろちょろしている。因みに段位で言うと5級の下である。情けない話だが、実力の然らしむところだから致し方ない。当初囲碁は算数に強い人向きのゲームと思っていたが、そうではないようだ。人によっては芸術的センスが大事だと言う人もいる。強くなるには相当なセンスを磨く必要があると思うが、それは何と特定できないほど総合的なものなのだろう。

最近思うのは、物覚えと言うべきか記憶力の弱い小生のような人間には実に不向きかもしれない。それでもめげずに挑戦するのだから、囲碁の面白さを分かって頂けるだろうか?

2011年11月17日木曜日

国会版事業仕分けを歓迎

昨日から衆議院で決算行政監視小委員会が始まった。国会版の事業仕分けと言うことで話題になっている。今日も引き続き行われているので明日にでもゆっくり見たいと思っている。昨日のトップに行われたスパコン「京」の開発と整備費に関するくだりだけ今朝チェックしたが実に興味深い。

これについては一昨年の民主党政府の事業仕分けで、蓮舫氏が「2位じゃ駄目なんですか」と発言して、理化学研究所に連なる学者先生から猛反発を食ったのが記憶に新しい。そこに持ってきて今回はその「京」の計算速度が何でも世界一とどこかで認定されたとのニュースが流れたばかりだ。さぞかし理研側も鼻高々で臨んでいるのだろうと予想していた。

ところがさに非ずだ。独立行政法人理科学研究所 略して理研と称するが、これが文科省傘下のとんでもない利権組織だと言う事が焙り出されてきた。小生もそうだが一般人で、こんな組織に関心を持つ人間は皆無に近いだろう。しかし年間予算ほぼ1000億円を使う組織だから、隠れた大組織であるには違いない。スパコンだけでなく、宇宙探査船「はやぶさ」なんかもここかと思ったが違うようだ。

どうやら生命科学系統の基礎研究所らしい。余程の物好きでない限りまず目が向かないだろう。それをいい事に関係者はやりたい放題の事をしているのは明らか、目に余る野放図だ。昨日の小委員会で突っ込まれているが、正に素人さんには分からないだろうと言うことで、部落を形作って仲間内の既存権益を死守する構造は原子力部落とよく似ているとの事。

蓮舫氏事業仕分けで昨年度110億円かの予算が削られることになった筈。計算速度世界一のニュースが出た時、我が家では「予算が削られても結果が同じなら、あの事業仕分けは正しかったとの証明だ。」と笑って済まそうとしていた。しかしとてもそんなことで済ませる問題ではない。詳しくは衆議院のホームペジで現在開催されている決算行政監視小委員会を映像で確認してほしい。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php

兎に角、蓮舫氏を小馬鹿にして、文科省と理研は焼け太りが酷いらしい。「肉を切らせて肉を盛った」と揶揄されている。残念なことに、この委員会は、事業の適否を判断するのみで拘束力はないが、同委の決議や政府への勧告を行う、となっている。同じ国会でも予算委員会なんかとは全く異なり、茶番の感じがしない。与野党議員共に行政の無駄を切り込むとの目的で、全く一致している。参考人の意見もふざけた感じやわざとらしさが無いし、全員座ったままでの討論もすっきりする。

政府側は三役も出席はしているが、主役は官僚で、彼らの無責任ぶりお上意識は露骨にはっきりしている。同じ国会内の委員会でありながら、予算委員会だけは何故あんなにご粗末なんだろうか?

日本がギリシャのようになるのはかなり先かと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。ある人に言わせると、2年とか3年の単位で我が国の財政問題に火が付き、国債の金利が上がり始めるだろうとのことだ。自分だけは大丈夫と思って、政府のいう事には何でも反対と言ってばかりで済む筈もない。与野党協調すべきことはきちんとしてくれ。少なくともこの委員会はそれが出来ている。

2011年11月16日水曜日

志が低すぎないか?

「自分の頭の蝿も追えずして、他人の頭の蝿の事を言うべからず」てな事は今時は何方も仰らないようだ。特に最近の政治家の言動を見ているとそう思う。

たまたま今日の日経ビジネスオンラインに「なぜ“首相育成システム”は崩壊したのか」が掲載されていた。御厨貴と池上彰の対談で御厨貴が語っている。結論的には、自民党の小渕政権時代までは派閥が首相育成システムとしての機能を発揮してきたが、その自民党も小泉総理時代に、首相自身がそのシステムを破壊したので、首相育成システムは喪失、民主党は当然ながら最初から全く機能が無いとの事だ。

当然の帰結として、首相の存在が軽くなって「誰でも首相になれる」「自分にもできる」と思わせてしまう。それが国会での罵詈雑言、又は汚いヤジになっているとしている。更に『その罵詈雑言を口にする政治家たち自身には実は「いつかは自分も首相に」という気概がない。』悪循環だと書いてあるが、多くの政治家がそうだとすると、日本人にとってこんなな不幸はあるまい。

昨日のニュースを見ても、全くこの記事に同感せざるを得ない。参議院予算委員会での自民党山本一太議員の質問とそれを煽る西田昌司議員のヤジ。最近のマイクの指向性が向上して、ヤジの音声は殆ど拾わない筈なのにNHKのニュースでさえ拾ってしまっている。テーマはPTAだかTPPとかの事らしいが、何れにしても外交交渉に関わることだ。外交は政府の専管事項でもあり、まして交渉の緒に就いたばかりで、手の内を晒すことなどありえないのは素人にも分かる。

質問すること自体国益とやらを棄損しかねないと思うがさて置き、余りにも品位を欠く質問とヤジには恐れ入る。うん十万の票を獲得して選ばれし議員様には大変恐縮ながら申し上げたい。お二方ともいつもテレビに出演されたり、活字になったりして目立っているので、よく存じ上げている。特に山本氏は安倍総理誕生直前から応援団としてその傾向が著しい。可愛げがあって面白いと思っていたが、福田さんがなる時も麻生さんになる時も同様の振る舞いであったので疑問を感じ始めた。

議員をご商売として考えれば、目立つことが最大の目的になるのだろうから、文句を言われる筋合いはないだろうと言えばそれまでだ。ましてや他人の応援をする事のどこがいけないのか、と開き直られても困る。老婆心までに申し上げたいのは、ただ一つ。「自分が総理大臣になることをお考えになって頂きたい。」

2011年11月15日火曜日

アロハシャツ

北関東以北はやっと初雪の便りだが、東京はまだ相当暖かい。ラニャーニャ現象で今年の冬は寒いと言われるが、初雪もだいぶ遅れた。どうも天気の長期予報は当てにならない。寒い季節は寒く、どうせ降るなら雪もたくさん降ってもらいたい。差し障りのある人もいるだろうが、正直な気持でもある。

閑話休題
先日冬とは無縁のハワイのホノルルでAPEC首脳会議なるものが開催された。ハワイ気候風土を思えば日本人にとって人気があるのはよく理解できる。小生ですら行った事のあるハワイに、野田総理が行くのは20数年ぶりで、高校時代にクイズ番組で優勝したご褒美だけと言うのも少し意外だった。総理は相当に真面目人間かも。

小生には国際会議の意味など難しすぎるので、いつも会議の内容は無視している。今回も同様だが、新聞テレビの報道で出席者の服装だけが気になった。確かこの会議は、どこで開催されても出席者全員ご当地のご衣裳で記念撮影をするのが恒例であったと記憶していた。今回は当然全員アロハを着せられて記念撮影と思っていたら、全員スーツ姿ではないか。

こりゃ何故だろう?アロハシャツはアメリカの一地方の民族衣装に過ぎないからだろう、と勝手に解釈して婆さんに同意を求めた。そんなくだらない事はどうでもいいでしょう、と言われたが少し気になっている。日本のクールビズもだらしがないので嫌いだが、やはり首脳級の国際会議なのだから、これからも今回のようにせめてスーツにネクタイは着用してほしいものだ。

もう一点気になったのは、野田総理の記者会見で参加国について「エコノミー」と言っていたことだ。これも知らないのがいけないようで、大分前に香港や台湾が参加したので「国」は使用していないらしい。勿論国旗や国歌も無しのようだ。それだったらアロハシャツは余計すんなり馴染みそうだが、
そうはなっていない。と言うことは、アメリカ人の中にも意外にまともな人間が居たと思いたい。

2011年11月14日月曜日

酒と煙草

同期の友人と会って食事をしても、皆一様に食べる量と飲む量はめっきり減っている。同窓会の幹事として会場を選定する際に”飲み放題”を前提にしているが、そろそろその必要が無くなるのではと思ったりしているところだ。煙草に至っては喫煙者が集まる人数の精々10%がいいところではないか。小生も煙草は第1子が誕生した時にやめてしまったので、辞める時の苦労は思い出せない。

30歳になりたての頃だから酒量が増えたような憶えがある。むしろ45歳前後の時、大阪で専売公社の宣伝に関わり、「イベントでクライアントと顔を合わす時は必ず「CABIN」を持っていて下さい。」と営業担当から言われて、クライアントとの懇談では赤い箱からCABINを取り出して吸った事が懐かしい。その時既に相当無理して吸っていたように思うので、初めからそんなに好きではなかったのだろう。

酒にしても煙草にしても、高校時代に始まるのが少なくとも我々の時代は普通だった。それが現在は少し年齢が下がって中学校の悪がきが始めるらしい。
我々の時代は酒を飲んだり煙草を吸ったりしたくらいでは悪がきとは言われなかった。先日同期の友人が10人ほど集った時、高校時代にこの二つを経験しなかった人間が一人だけいたので、他の連中がびっくりしたほどだ。

経験者のきっかけが様々で面白かった。出身校では秋に文化祭と称する学園祭があり、この準備やら何やらで、学校への泊まり込みが家庭にも学校にも大っぴらにできた。この時が最初のきっかけと言うのが相場のようだ。先生から酒の差し入れがあったなんて話もあったし、先生が喫茶店に連れて行ってくれて、そこでウィスキーを飲ませてくれたなんて話もあった。

傑作なのは小正月のどんど焼きの火を貰ってきて、家中を煙でいぶす厄払いの習慣がある田舎から来ていた友人、「その火で煙草を吸うとむし歯にならないと父が教えてくれたので。」昔の人は本当に大らかだ。市内に下宿している友人の部屋は勿論恰好の溜まり場だし、学校から少し外れれば山の中だから吸う場所には不自由はなかった。勿論持ち物検査なんて事も一度もなかった気がする。

こうして大人になった友人、そして小生自身、皆どこかに少年の面影をかすかに残しながら、時の流れと共に酒も煙草も量が減り、やがては禁酒から禁煙へと変化しながら姿も性格も変わっていくのかもしれない。

2011年11月11日金曜日

読書と貯金

父は冗談だろうがいつも言っていた。「ご趣味は?」と聞かれたら「読書と貯金です。」と答えられるようになりなさい。父の教えにはできるだけ素直になりたいのだが、なかなか上手くいかない。教えてくれた父も、倹約家だったから貯蓄については範たるものがあったように思うが、読書の方はどうだったのだろう。18歳になるまで一つ屋根の下で暮らしたが、父が本を読んでいる姿を見た記憶が殆ど無い。

ひょっとしたら、読書だけは父を凌ぐことが出来たのかもしれない。しかしその読書も、肝心の内容を読む傍から忘れていくのが残念である。悔しいので、日記を書き始めた時に、せめて読後感だけ書くことにした。日記をこのブログサイトに移して早2年半。今日挙げた読後感で82件目だ。最近は読書を始めるとすぐ眠くなるので、スピードが上がらない。読みたい本がなかなか思いつかないので、有難いと言えば有難い。

現役時代は出版社の人とも多くの付き合いがあったので、新刊本を随分貰って、読む本に不自由のなかった頃が懐かしい。当時、有名な編集者が教えてくれた。「読書と言っても人が一生に読める本は精々5千冊、だから良書を選ばなければいけません。」大学1年の時の担任の先生は、卒業後25年くらい経っての同窓会で「大人になったら下らない本を読んではいけません。図書館で福沢諭吉全集を読破するのが一番です。」と仰った。

どちらも含蓄あるお言葉だが、実行できないのが凡夫たる由縁だろう。尊敬する父も、読書より「NHKのど自慢」や「ドリフターズの全員集合」を見る事を好んだようだ。今朝21年前に撮影された両親と娘二人の写真を見せられて、大変懐かしい思いがあったのと、久しぶりに読後感を書いた事を併せて思い至った。

読後感「男の系譜」池波正太郎著

昭和50年代初頭に出版された著者の語り下ろしである。著者のデビューは昭和30年との事だから、デビューしてから20年目から23年目にかけて、著者の薀蓄を編集者が聞き取って纏めたものだろう。著者の作品を全て読んでいる訳ではないが、これを読むと著者が戦国時代から明治維新の頃までの日本の歴史をどのように把握しようとしていたか、理解が出来るような気がする。

章建は戦国編、江戸編、幕末維新編の3章からなり、織田信長から西郷隆盛まで18人の人物が取り上げられている(内、番外として戦国の女たちが挿入)。取り上げられている人物は、必ずしも武将には限らない。歴史や当時の社会を理解しやすくするためだろう、町民である幡随院長兵衛とか織田の家来のそのまた家来でありながらも、当時槍の菅兵衛として天下無双と言われながら流転の生涯に終わった渡辺勘兵衛を取り上げている。

私はこの槍の勘兵衛については本書で初めて知った。著者の博覧強記、生き方のダンディズムについては、前から敬意と好感を持っている。それがどこから来ているかもよく分かる。即ち歴史に残った日本の男の生き方からなのだろう。私も70年以上生きてきたが、この人生で目の当たりにした人物のうち、2百年3百年後まで語り継がれる人物がどのくらいいるだろうか。

戦国時代と言えば16世紀、今から500年も昔の事だ。家康はそれでも75歳くらいまで生きたらしいが、信長や秀吉は50歳前後で亡くなっている。その短い人生で彼らがどれほどの事をしでかしたのか、改めて感心するばかりだ。現代は平均寿命が延びたこともあり、同年輩でも現役政治家が掃いて捨てるほどいる。彼らに歴史を学べと言っても無理だろうから、せめて本書を読むことを薦めたい。

確かに戦国時代から幕末維新にかけて、政権交代に関しては常に血生臭い闘争があり、主人公たちもそれに深く関わっているのも否定しようがない。しかし一様に言えるのは、目的がどうであれ、己の信ずるところに向かって常に自分も命かけていた事であろう。その事だけは物心ついた時から1日1刻も忘れずに励んでいた事だけは間違いあるまい。

「今の若い人に総理がいくら言っても、少年がテレビで国会のチャンバラ劇や茶番劇を見ても、あの猿芝居を見れば、そりゃ信用しませんよ。」昭和50年池波さんの言葉である。


2011年11月10日木曜日

たまには楽しい話題を

上の娘夫婦が現在住んでいる世田谷区の祖師谷から、今月末に我が家の隣接区板橋の桜川引っ越すことになった。現在のアパートがなんでも安普請とかで、3歳を迎えた孫が元気が良すぎて階下の住人から苦情が出たらしい。板橋区と聞くと小生なんかは凄く田舎っぽく思うのだが、娘に言わせると祖師谷の方がもっと田舎だと言う。

何でも公園や庭先に蛇が出るのも気に入らないらしい。買い物にしても孫の遊び場や幼稚園や小学校、お医者さんなんかも比較すると遥かに板橋の方が環境的に優れているとの事。その上に家賃が15%近く安いらしい。それは結構なことだが、我が家と距離的に近すぎるので、婆さんは襲われる頻度がずっと上がりそうと戦々恐々である。こちらはかわいい孫の子を見る回数が増えると思うと楽しい限りだ。

先日、その孫が来春入園させてもらう幼稚園の説明会があって、その時の様子を娘から聞いた。我が孫は未だ自分の名前もうまく言えないのに大丈夫かと小生は心配しているのだが、娘はあっけらかんとして「あと5か月もあれば十分」と言っている。一人っ子なので、我が家に来ても大人3人に囲まれて若旦那然として好き勝手しているし、片言の日本語も母親の通訳が必要なので心配をするわけである。

ところが意外や意外、母親が園長先生の説明を受けている間約1時間、3歳児達は40人ほど一塊になって、他の場所に別の先生に引率されていったらしい。園長先生の説明が終わって、母親達がその場所に行くと、大声で泣いている子もいたりして結構な修羅場だったらしいが、我が孫は機嫌よく初めての友達と遊んでいたとの事。

ホッとした気分だが一番の話題は、帰りの電車の中で、若旦那が「あ~、たのしかった。」と声を上げたらしい。どこでこんな言葉を覚えたか母親自身が思い当らなかったので、娘も相当にびっくりしたようだ。小生も若旦那を捕まえて言わせてみた。成程間違いなく言っている。幼児の成長は見ているだけでも楽しい。

社会的にも鬱陶しいニュースの氾濫する中、昨日今日と明るい話題二つある。一つはホンダのロボットが4年ぶりに新バージョンをお披露目、能力が格段に向上している。聖徳太子ではないが、3人が同時に発声したドリンクの注文を聞き分けている。指先の動きが人間同様にデリケートになり、片手に紙コップを持ち右手で水を注いでこぼさない。何れも映像で実験が公開された。

もう一つはノーベル賞を受賞した田中耕三氏が又画期的な発見をしたらしい。
何でも10万種類以上のタンパク質から病気に関係するものだけを素早く見つけ出す方法のようだ。理屈は難しすぎてわからないが、田中先生の真面目さと朴訥さにはいつも感動すら覚える。

2011年11月9日水曜日

自論への固執

もう数日前の事になるが、海上保安庁が長崎の沖合で中国漁船をを漁業法違反とかで拿捕との報道があった。今回は漁船に体当たりを食らったのではなくて、日本の海保が漁船に体当たりして停船させたのも皮肉な話しだ。さぞかし大騒ぎになるだろうと思っていたが、まるきりならないのは何故なんだろう?

これまた素人で全く分からない。事件の本質が全く異なるのか、まさか内閣が違うからなんて事で、中国が事を荒立てないとしたら、菅さんや仙石さんが気の毒なような気がする。新聞やテレビもその辺を説明してくれないと、肩透かしを食ったような気分で落ち着かない。政治家の皆さんは頻繁に外国に行ったり外国人と交流しているし、ビジネスマンにしても同じだろう。仕事で現代社会を生きている人は世界を視野に入れていないと何事も意思決定できないようだ。

婆さんのいう事だけ聞いていれば安穏に暮らせる爺のような訳にはいく筈もない。それは当たり前だが、それにしても世界的視野てえ奴は余りにも難しすぎて、断片的な情報を半端に受け取ると、中国漁船拿捕と同様の消化不良やフラストレーションがたまる。TPP問題はその典型だ。これだけ世界中の情報が瞬時に入手可能に思う世でありながら、まるで鎖国状態にあった幕末の攘夷論者VS開国論者の論争を聞く思いがする。

当時と同じで、しがない庶民としては、なるようにしかならないのだから知らん顔をすべきであろうが、騒ぎが伝わってきてしまうのでつい取り上げたくなる。と言っても、野次馬だから個人的な考えは何もない。江戸末期と比べて、面白いと言っては失礼なので違うなと思うのは、幕府側にも攘夷論者が多い事だ。150年前を思えば、攘夷論者が大老暗殺に留まらず内戦を仕掛けた。結果、莫大な国内の資産人材を消耗して、幕府を転覆せしめた。

政権の座に就いた攘夷論者は、あっという間に宗旨替えをして開国路線を引き継いだのは知っての通りだ。勿論、幕末の攘夷論は討幕のため便法的に使っただけ、との説があるのも知っている。黒船来航とはきっと本質的な違いはあるのだろうが、偶々小生には重なって見えてしまう。今激烈に反対をぶち上げている人たちも、世界のすう勢が赴くところに竿をさしたところで、どうともならない事は百も承知の事だろう。

単に、数日後の日米首脳会談で参加の意思を表明してはいかんと言っているだけだ。総理も総理で、反対派の言っている事も十分分かりながら、属国のお代官としては宗主国大統領様のご要請を袖に出来ない。宗主国の大統領様も1年後の自分の首が掛かっているので、大した話ではないかもしれないが、少し強めに圧力をかけている。せめて国内或いは幕府の中だけでも、もう少し建設的な話し合いが出来ないものか。

今も昔も国政を論じる人種は、好んで政敵の対立概念を構える癖がある。150年の文明の進化は、政敵の暗殺と言う下らない習慣を取り除いただけ益しと言う事か。

2011年11月8日火曜日

調査結果から見えてくるネットの世界

何の因果かいつの間にかはまってしまったネットの世界、高速通信回線のインフラ整備が進み、昨年4月発表の総務省の調査でインターネットの利用者数は9408万人、人口普及率は78.0%に達し、ネット普及率はアメリカ中国に次いで世界第3位とされている。60歳代利用者が増加して50%超えをしている事も報告されている。ネット利用者の塊をどう捉えるべきだろうか?

確かにネットの世界は、年寄りにとっても暇つぶしの材料は豊富で便利だ。しかしこの数字からイメージするほどネットで世の中の動きをウォッチしたり、ブログを書いたりして暇をつぶす人はそんなに沢山はいない。殆どの友人の家にはパソコンはあるが、使っているのは子供たちであったり奥さんであったりして、自身の利用は株の売買かメールが精々のようだ。

若い人のパソコン利用法は想像にすぎないが、ビジネスがやはり第一で、暇つぶしに使う人は少ないだろう。小生のようにネットにどっぷり浸かっている人は、相当の暇人か、なりマニアックな人に限られるのかもしれない。学者や何等かの専門家の世界でも、ネットは利用してもネットに見解を披歴するに至る人は未だ少数派だろう。

急にこんなテーマを持ち出したのは訳がある。自分で嵌っているせいもあって、ネット利用者が拡大しているので、世の中の動きがネットを通して見えてくるのではと思い込んでいた。宅配される新聞も斜めに読み飛ばし、テレビのニュースなんか見なくてもいいだろうと思い込んでいたものだ。だがしかし、一寸待て!と思い始めたのは報道各社の世論調査とネット調査の差異が大きすぎる事だ。やはり調査理論に基づかない調査は無意味なのかもしれない。

極端な言い方をすれば、大体に於いて正反対な結果が生じる事の方が多い。
当然ながらネット調査はサンプリングに依らないので、調査の標本数はネットの方が圧倒的に多い。しかし考えてみるに、新聞「赤旗」の読者に<共産党を支持しますか>と問えば大多数の人は<はい>と答えるだろう。同様なことがネットの世界にもあるのではなかろうか?

属性を分析すれば老若男女広く分布するとはいえ、ネット世界の住人は未だ広く遍くとはなっていない事に気が付いた。小沢一郎氏なんかもネット世界を重視し始めているが、残念ながらその持つ影響力は微々たるもののでしかないだろう。彼が出演するネット番組を多くの人間が見たと言っても、恐らく10万人程度の事でしかないのでは?

これでは「赤旗」や「公明新聞」の影響力に及ぶまい。利用している囲碁サイトの登録会員が世界中で約20万人と聞くが、ここらあたりが現段階における限界なのかなぁ。

2011年11月7日月曜日

リーダーシップ考

毎週熱心に読んでいるメルマガの一つに『from 911/USAレポート』 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)がある。著者は1959年生まれで東大の文学部からコロンビア大学大学院を出た人で、文章も上手いし、日米社会の双方を比較しながら観察する目も確かで、事実を冷静に捉えて、過激な予測に走らないところが好きである。この人は自分で認めているが、大の野球ファンのようだ。

最新のメルマガで、ダルビッシュ有という不世出の才能がアメリカ球界にやってくる「その日」を期待する一文を書いている。普段プロ野球に全く関心を寄せない小生だが、野球を通してみる日米社会の大きな違いに思わず引き込まれて読んでしまった。ダルビッシュ選手がアメリカのメジャーに参戦するときの参考までにと言うことで、いろんなアドバイスを書いているのだが、「そういう事か、とか成程ね、」思うことが多々ある。

ストライクゾーンの違いへの対応、イラン人の血統を受け継いでいることなどをどのように考えるか、何れも面白いのだが省略する。野球だけの事でないので感心したのは次の件。即ちこれまでの日本人プレイヤーがなかなか出来なかった、「チーム内でのリーダーシップ」を発揮してほしいと言っている。更に、アメリカでは先輩後輩のカルチャーもないので、リーダーシップとは「上が下から敬意を受け取る」ものではなく、「上から下へサポートを与える」という方向の違うコミュニケーションがハッキリ必要とされます。と言っている事だ。

よく政治家のリーダーシップが云々されるが、リーダーシップとはそのようなコミュニケーション能力と見るべきなのかと感心した。多分日本では大多数の人が好感を抱くであろうイチロー選手は、自己流が強くてチームの中でリーダーシップを発揮する事はうまくいっていない嫌いもあるらしい。確かに日本人は、チームの中でリーダーシップを発揮できる人材は少ないかもしれない。勿論学校教育の場でも、リーダーシップについてきちんとした方針は無いだろう。小生も難しく考えすぎていた。冷泉氏の言うように、もっと簡単に考えるべきかもしれない。

2011年11月6日日曜日

「日本食」ってなんだ?

農水省が今年度末までにユネスコの世界無形遺産に「WASHOKU(和食)」を申請する事に決めたとの報道がある。理由が振るっている。「原発事故の影響により我が国の食・農林水産物の信認が揺らいでいる中、日本の食・農林水産物に対する信認・価値の回復・向上を図ることが重要となっています。」となっている。

霞が関の官僚たちは余程暇なのか、或いは要でもない仕事を作り出して税金を無駄遣いする名人揃いの証明だ。ギリシャの役人を笑っていられない。又311の大災害もこんなへんてこりんな事にまで利用されたのでは、被災している生産者にしても一般市民にしても怒りたくなるのではないか。決まり文句のようなってきたが、もっと他にすることがあるだろう。

なんでもフランス、スペイン、イタリア、ギリシャ、モロッコ、メキシコの食文化がすでに世界無形遺産として登録されていて、これらの国が食の価値を向上するための取組としてやっているので、我が国も真似をしたいと言うことらしい。ユネスコの世界無形遺産にどんなご利益がるか知らないが、仮に登録されたからなんだと言うのか。東北の農林水産物の信頼性や価値がこんなことで回復すなら誰も苦労はしない。ふざけるな!

TPPも大騒ぎになって米作農家の存亡の危機見たい事が言われているが、国内産の米に手厚い保護を与え続ける一方で、国民一人あたりの米の消費量は半世紀にわたって下がる一方であることを農水所の役人が知らない筈は無い。また、和食と言っておけば、多くの人が反射的に米が中心になる食事と錯覚してくれると思い込んでいるのも大きな間違いである。日本食=和食=米中心の食事なんて思っている日本人は殆どいないのではとさえ思う。

現代日本人が主に食べる食事は、善悪は別にして正に国籍不明のユニークな食事と言えるかもしれない。だから世界遺産に申請と言うなら分かる。隣国同士なのにフランスはフランスパンを食べ、イタリアはパスタ類を食べる。理由は、硬水の多い土壌のフランスではパン用の小麦がよくでき、火山灰土壌のイタリアでは麺類にしかむいてない薄力粉しかできないから。と言った事とは日本人は無関係なのだ。見境なく何でも輸入して好きなだけ食ってきた。

それが急に、米作農業を死守するなんて大声を張り上げ、こんな下らない事に税金を費やすのだから本当に情けない。


以下の論文は篠原孝衆議院議員のメルマガからの引用である。彼もTPP参加に強硬に反対している。その事に賛同する訳ではないが、以下は一読に値する。
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(フランスの食生活を教える学校給食とひたすらケチる日本)
 フランスの学校給食費は約2万円である。日本は5000円に満たない。これをフランス人に言うと、高級ブランドを買い漁る金持ちの日本人が、子供の健康のもとになる学校給食費をケチるのかと質された。いまだ子供たちに先割れスプーンという便利なものを使わせている。それに対し、フランスは子供用のスプーン、ナイフ、フォークをちゃんと揃え、前菜(オードブル)、主菜、デザートときちんとしたフランスの伝統的食生活を小学校の頃から叩き込んでいるのだ。自国の食料なり食生活を守っていくことについて、政府も国民も一丸となって取り組んでいる。
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2011年11月5日土曜日

なんでだろう

子供の頃から算数が苦手なので困るのだが、最近大騒ぎになっている世界経済に関する話、国内で言えば年金に関する話等、全て数字が出てきて、分子があって分母があって最終的には計算式見たいものに発展するので、殆ど理解できない。今日報道されている「イタリアがIMFの監視を受ける事になった」件もそうだ。イタリアの政府債務残高は国内総生産の120%でギリシャに次いで大きいとされているようだが、日本は確か200%近くで近々1000兆円になると言われている筈。なのに何故かギリシャとイタリアについては大騒ぎで、日本は他の国からとやかく言われないばかりか、円が高くなっていくのは何故なんだろう。

ギリシャ政府の債務が半分チャラにされる理由も分からないし。我が国に比べれば借金が少ないイタリアが、何故こんなにユーロ内の他国から財政についてイチャモンを付けられるのか。政府が債券を発行するのは子孫から借金をする事までは何となく分かる。国内で消化できないから外国の金融機関に売った結果での事も何となく分かる。であるならユーロ全体を1国と考えて、ユーロの中央銀行で参加国全ての国債を引き受けると仮定すれば外国に売ったことにはならないだろうに。ユーロ参加国を合計して政府債務は総生産の何%になるんだろう。日本みたい200%にはならないだろう。

もっと不思議なのは通貨の売買。どういう人種がこれに関わるのか知らないが、円が高くて困るなら、7兆や8兆と言わず50兆でも100兆でも売ればいいだろうと思ったりしてしまう。そもそも通貨だけを売買すると言う発想はどうして湧いてきたのだろう。逆転して考えれば、日本政府がドルもユーロも元も通貨として認めるとどういう事態になるのだろう。外国で、その国の通貨よりドルでの支払いを歓迎する国があったような記憶もある。

分かっても分からなくても関係は無いのだろうが、財政とか経済に関する話と言うやつ、どうも誰かが誰かを煙に巻いたりして、その実そいつはやりたい放題でニンマリしているように思えてならない。
下司の勘繰りかな。

2011年11月4日金曜日

ものづくり日本

我が家の家電製品は全部国産品である。残念ながら自家用車は無いが、婿二人の自家用車も国産車。当たり前の事だと思っていたら、先日友人から「家電量販店に行ってごらん、テレビなんか圧倒的に韓国製に押されていることがよく分かるよ。昔は外国製は安かろう悪かろうで、品質が国産品に比べて劣るとされていたが、今はそんなことが全くないようだ。第一韓国製の方が値引きをしないで頑張っている。」と聞いてびっくりしていたら、今日は下記の記事に目が留まった。

アメリカのテレビ市場で韓国メーカーの四半期別シェアが初めて50%となった。 9月期の米国の薄型テレビ市場シェア(金額ベース)はサムスン電子が37%でトップ、LG電子が13%、パナソニックが9%、ソニーが9%、東芝が7%と続いたとの事である。このところ国内家電メーカーテレビ事業の採算悪化のニュースが続き、日立なんぞは自社生産から撤退の報道まであった。広告業界にいた4半世紀前の事を考えると俄かには信じられない程だ。

小生も大阪にいたのだが、当時の日本最大の広告主と言えば文句なく松下電器産業(現パナソニック)、中でもテレビ事業部が広告出稿の筆頭であり、そのマスメディアを引っ掻き回す勢いに周囲は恐れおののいていた。一つの製品の寿命がそういつまでも続く筈もないから、テレビ事業が先細りになってきたのはやむを得ない。少し気になって調べてみると、多くの経済評論家が口を揃えて「日本の家電メーカーに未来があるかということですが、現状のままであれば未来はあまりないといえます。」と言っている事だ。

評論家の予測なんて当たった例がない、と笑って済ます事が出来ればいいのだが、そうでもなさそうである。天に唾した訳ではないだろうが、IT技術の進歩が世界的に拡大したことで新興国で生産可能となり、しかも生産地域間の品質格差が急速に縮小して、価格の格差だけの勝負になってきているらしい。それでは日本製品が新興国製品に敵いっこない。当たり前の話だ。更に、先ほど自動車にも触れたが、従来日本の経済を引っ張ってきた様々な製品にも同様の事が当てはまるだろう。

日本人は諸外国に比べれば比較的お金持ちだろうし、耐久消費財の購入に関してもスペックよりイメージを重視する傾向がある。少なくともうちの嫁さんはそうだろう。大手自動車メーカーに勤めていた友人が「韓国製の車が売れないのはそのせいだ。」と言っていたことも思い出した。しかしこんなこともわが世代までの話で、収入が増えない中で、消費行動では価格を重視する時代が日本にやってくるのも時間の問題だろう。

家電メーカーもソフト重視の時代だそうだが、ものづくりで日本でここまで来た路線を変更するためには先ずトップから意識を変える必要があると思うし、政治家もヨーロッパに行って他人の頭のハエを追ってる場合ではないかもしれない。我が婿の一人は大手電機のIT技術者で、ものづくり戦士の一人かも知れぬ。彼の会社の先行きも果たしてどうなることやら、心配と言えば心配だし、ものづくり日本に終焉の時が来ない事を祈りたい。


2011年11月2日水曜日

人物と名前

古希を過ぎて尚、少しばかり知識が増えたからと言いてどうなるものでもない。しかし高齢者に歴史を勉強する人が結構多い。小生も勉強と言うほどのものではないが、歴史小説など読んでみたくなる時がある。若い人ほど歴史を学べばいいと思うが皮肉な事だ。生まれた時期が軍国主義花盛りであったせいか、学齢はおろか幼稚園に通う前から、上杉謙信と武田信玄の名前を覚えたように思う。故郷の北信濃には縁の深い戦国武将である。兄貴がいたせいもあるのかもしれない。

昭和57年に書かれた池波正太郎の随筆を読んでいたら次の一文があった。
『加藤清正について書くとき、近所の高校生に聞いてみたんです。
「加藤清正、知っているかね?」
「それ、議員でしょう」
これだからねえ、外国の歌手やスターの名前は知っていても、自分の生まれて育った国の事は何も知らない。』
もう30年近く前の事だから、現在は推して知るべしである。

歴史は繰り返す、歴史に学べとも言われるが、本当だろうか?「学べ」の2字が嫌いなので引っ掛るが、子供の時に憶えた名前には戦国武将以外に多分実在しなかったであろう伝説の善玉悪玉がいた。酒呑童子とか安達が原の鬼婆とか八岐大蛇とか怖い奴もがたくさんいて、こいつらをやっつける英雄がいた。余談になるが、小学校に行くようになっても、酒呑童子は歴史上実在したのだと思い込んでいた。

少なくとも小生は社会の骨格について、虚実ないまぜの伝説から大分学んだ可能性はある。現代は昭和10年台20年代と比較してみると。我が家の孫への関わりを見ていても、婆さんは孫の食事(食い物)には熱心だが、話を聞かせるところは見たことが無い。母親がどうしているか知らないが、古臭い昔話を知っているとも思えない。思い起こすと、小生は祖母から昔話をたくさん聴かされた記憶がある。

東京あたりでは核家族化の生活形態が極当たり前になっている。そこへ持ってきてテレビの発達で、母も祖母も子や孫も物語は全てテレビにお任せになっているのではなかろうか。いや幼児教育全体が、かなりテレビ依存している可能性は高いだろう。そうでなければ、日本語に無いような読み方の名前がこんなに氾濫するはずもない。

似たようなテーマが続いてしまった。反省

2011年11月1日火曜日

乱れているのか、進歩グローバル化か

高校時代お前の家に遊びに行った時の事だ。お前が親父さんの事を「お父ちゃん」と呼ぶのを聞いて、おかしいやらびっくりするやら。今年の夏、大勢の同期の友人の前で笑い話をされてしまった。恥ずかしながら確かにその通りだ。面と向かってお父さん、お母さんとまともに呼ぶようになったのはいつの頃からだろう。かなり大人になってからであるのは間違いない。

娘二人に孫が3人いて、3番目の孫が日本語を少しずつ覚え始めた。「おたたん」「おかあたん」「おばあたん」は聞き分けるのが大変だが、「おじいちゃん」だけはかなり明瞭で嬉しい限りだ。自慢するほどの事ではないかもしれぬが、我が家は「パパ」や「ママ」が根付かなかった。日本語は外国人にとっては難しいとも、人によっては易しいとも言われる。しかし日本人にとっては一番使いやすく便利な言語であるのは言うまでもない。

外国語と外国事情に疎いので、やや我田引水の感は否めないが、日本語は言葉にしても文字に書いても、個性がよく出るし、外国語には容易に見られない美しさがある。昔のドイツ語辞書の文字や映画のタイトル文字などを見ていると、書体そのものは日本語にない工夫や美しさはあるのだろうが、水茎の跡麗しい書には人柄が偲ばれるし、文字の芸術性は日本独特ものと誇るべきだろう。
日常会話において語彙が豊富であるのも特徴の一つであろう。日本人は時と場所に応じて、簡単な言葉を使い分ける事が自然にできる。この辺の事は大きくなってから覚えるのは少し大変だろう。語彙が多いのは良しとして残念なのは、新しい意味不明(老夫婦にとってだけかも)の言葉とおかしな言葉づかいが次から次へとテレビから生み出されてくる事だ。

タレントを集めたクイズ番組なんかでは、こんなことまで知る必要があるの?と思う程に難解な漢字を読み書きするものがある。これを又結構知っているタレントがいるから不思議。一方で歴とした局アナが、「挙式をあげられました」みたい変にご丁寧な言葉遣いをしてくれたりする。歌謡曲が好きでよく番組を見るのだが、台所で聴いている婆さんは画面を見ないと何を言っているか分からないと嘆いている。確かに昔の歌謡曲や童謡は目をつぶって聞いても心にすんなり入ってくる。

シニア・ナビで毎日ブログを読ませてもらっている広島の方が昨日「はやり言葉」について書かれていたのを拝見して「言葉遣い」について書くことを思いついた。

関連して、これもどうかと思う。
昨日国会で自民党の小渕優子議員が総理に対して「報道では、あなたは父と似ていると言われる。状況、人柄は似ているかもしれない」としたうえで「している事は似て非なるもの、天地ほどの差がある」と切って捨てた。勿論党内で十分な打ち合わせ後の発言だろう。身内のことをへりくだる風習のある日本の国会で発言する彼女も彼女だが、それをさせる自民の幹部も狂っているとしか思えない。

2011年10月31日月曜日

日記

作日の日曜日、書店でドナルド・キーン著の『百代の過客 日記にみる日本人』をぱらぱらとめくって立ち読みした。後で買うなり図書館で読んでみたいと思うが、面白そうだ。曰く、日記は日本文学のプロトタイプと断じられているようだ。嚆矢は千年以上の昔、唐に留学した何とかいう坊さんの日記で、続いて紀貫之の「土佐日記」が上げられていた。彼が態々女性に化けて書いた理由とか、芭蕉の「奥の細道」は随行の曾良の日記と比べると嘘が多いらしい。全て単なるメモではなくて、文学としての価値を高めるためにとられた手段との分析である。


我が日記に文学的価値を見出す事は出来ないだろうが、他にさしたるテーマも無いので、ウェブで日記を書き始めたころを振りかった。事の始まりは2005年10月18日、mixiサイトを教えてもらい日記を書き始めた事にある。その10月だけで6本書いている。あれから丸6年、途中2009年4月にblogspotにサイトを変更したが、最近は毎日のように書き綴っている。書くことが本質的に好きなのだろう。6年前の6本を読み返してみると、最近のものに比べて遥かに日記らしく、簡潔で読みやすい。

自分の気持ちも素直に表れているようでもある。最近は無理にネタをあさって書いている感が無いでもない。少し反省を込めて、最初の日記を全文コピーペストする。

以下引用・・・
<友の死>
小学校から大学まで同じ学校に通い、彼は大企業に就職して名古屋勤務が長かったので暫く顔を合わさなかったが、ここ数年は再び良く一緒に飲んでいた。
その彼が亡くなった。奥さんから弔辞を頼まれ一昨日お葬式で弔辞を読んだ。

その後しょぼくれた天気が続いている事もあってどうも気分がぱっとしない。
何れ遠からず俺もあの世へ行くのか?とても俺には覚悟が出来ないし、そんな
事は余り深く考えたくない。

何をすればもっと明るい気分になれるのか。
・・・引用終わり

丸6年、長いようでもあり、短いようでもある。

2011年10月28日金曜日

厭な性格

かなりいい年になっても本性と言うものなのか、良くない性格がなかなか治らない。今更努力しても治りようも無いかもしれぬが、性格の改善ぐらいしか他に努力目標が無いので、日夜努力しているツモリ。性格の欠点は他人様から見れば多々あるのだろうが、自分で気を付けているツモリは短気、即ち堪え性の無さである。

「短気は損気」もよく言ったものだと常々思っている。最近はネットで囲碁をよくするが、負けた時に、冷静に反省する事がなかなかできない。大概は頭に血が上り、カッときて立て続けに負けこむのがオチである。ネット碁では3連敗するとクラスが自動的に1ランク落ちてしまう。そこではっと我に返るのがいつものパターン。一晩ゆっくり寝て翌日振り返ると、負けて当然の理由がよく分かる。

最近孫が長期逗留をしてくれたので、幼児の生態を見て、我が性格を鏡で見た気がする。年ばかり食ってはいるが、幼児性が抜けきらなかったのであろう。今日たまたまよそで1歳の男の赤ちゃんを抱いた婦人と隣合わせた。何気ない会話をしながら赤ちゃんの様子を観察するに、愛想がいいのと感心するほどお母さんの言うことを良く聞く。勿論声はとても日本語にはなっていないが、何の関係も無いよその小父さんから見ても羨ましいほどだった。

我が家の孫も3人とも男の子だが、誰一人こんな聞き分けの良い子はいなかったような気がする。三つ子の魂百までの喩えがあるが、3人とも母方の祖父の血を受け継いでいることは間違いないので、祖父の小生みたいにならないよう上手くリードしてやってほしいものだ。


囲碁なんか高が遊びの上、相手の顔さえ見えない。周りに人がいるわけでもないし、格好悪いも何も無い筈なのにカッとなる性格は本当にいけない。子供の頃に限らず、長じてからも仕事の上で喧嘩も沢山した。今にして思えば、どれをとっても得なことは一つ無い。最近でも、仕事に関わるとつい地金が出そうで自分でも厭になる。代表を代わってもらったのもそれが大きな理由だったかもしれぬ。

お陰様で暇が出来て、山歩きを始めることが出来た。山なんかは特に、短気を出すと碌なことにならないだろう。ゆっくり歩くことの大切さが、最近やっと少しわかってきた。慌てる乞食は貰いが少ない、とか言葉だけは知っているが、孫の心配より先に、自分の性格を直さない事には命すら縮めかねない。

2011年10月27日木曜日

他にすることがあるだろう

昨日はTPP参加を巡り、賛成派と反対派の集会などが相次いだ事が大々的に報道されている。TPPの何たるかを全く理解できていないでに、取り上げるのもどうかと思ったが、他にさしたるネタが無いので思いついた事を書いておこう。ネット上には民主党の勉強会が動画でアップされているので、民主党内反対派の言っている事は少し知っているし、参加国からの要請窓口になっている外務省が、持てる全情報を開示しないままガス抜きを試みているのも知ってはいる。

民主党執行部は、APECの日米首脳会談前に少々無理であっても準備会合への参加を表明したいようだ。とは言っても党内の反対意見はは大きく、人数だけで言えば半数近くになるのではなかろうか。前原政調会長は反対派のことを揶揄して「TPPお化け」と言っているが、気持ちも分からないでもない。確かに、反対派の唱えるのを聞いていると、日本国の主体性が無くなりアメリカに国が乗っ取られ、日本の富がすっかりアメリカに簒奪されてしまうように聞こえる。

賛成派はこれに乗り遅れると、日本の蓄財の源泉であった輸出産業が壊滅な打撃を受け、やがて国が亡びるようなことを言う。どちらの言が正しいのか小生には判断が全くつかない。どちらも、「今そんなことをすれば、或いはしないと国が亡ぶ」としているのは一致するから面白い。そもそも亡国とはどんなことを言うのか、それが分からないので困ったことだ。明治維新では300ヶ国近くの国が滅びて日本帝国なる国が出来たらしい。

その時、国が滅ぶのをよしとせず、主張を異にする相手に戦を挑んで死んだり腹を切った侍もいただろうし、新帝国の高官になって喜んだ侍もいたろう。不思議な事に、負けた方も国主が殺されていないのが日本らしい。その他農工商更に新平民なんかはどう思ったのだろうか?寡聞にして知らないが、革命的変動の最中には悲惨な思いをする人、そうでない人が相半ばするとも思えないが、沢山いて、関係なしとする層にも結構な人数がいたのではなかろうか。

前にも書いたが、生きているうちに何かの経緯で日本国が無くなる時が来たとしよう。どういう状況になるのか分からないが、家族親族の絆、友人の絆が維持できるなら、日本が滅んでアメリカの属州になろうがロシアや中国の属州になろうと小生は構わない。だから気安く「国が亡ぶ」てな事を言ってほしくないと思っている。

第一TPPなんてどんな事か分かりもしないのに、デモをやる奴もとんでもないが、その尻馬に乗り遅れてはと「TPP反対請願賛同議員」として署名した議員が与野党併せた議員の半数を超えるに至っては噴飯ものだ。加入したら廃業間違いなしとされる大規模農業の経営者が数日前のテレビインタビューで、「いずれはだから、何とかしなければと考えています。」との答えが印象に残っている。農協も嘗てはある種の大国だったかもしれないが、生産者さえ囲い込んでいればいつまでも威張っていられるとしたものでない事に目覚めるべきだ。

何よりも不愉快なのは、反対する事が良いか悪いかは別として「与野党の垣根を越えて」の枕詞だ。蛇だかミミズだか分からないしょうもない事で垣根を越えて協力できるなら、もっと他に協力すべき事があるだろう。

2011年10月26日水曜日

頭が良いばかりでも困る

今や英語とパソコンを使いこなす事が指導者たる要件の筆頭に来ている感がある。半ば世捨て人同然の小生でさえ、英語は兎も角パソコンに一日中しがみついて悪戦苦闘している。世の中の変化について行こうと、少ない預金までインターネットで確認したり移動したりするようにまでなった。株をしている殆どの同輩諸氏もインターネットで売買しているようだ。ことほど左様にパソコンは便利至極である。ビジネス世界においてインターネットがどれほど効率化に貢献しているかは容易に想像できる。

しかし何事も良い事ばかりが続くと言うことは無さそうだ。最近にわかにサイバー戦争なる報道が大きくなりつつある。便利さが極まったのかどうか分からないが、ネット社会の負の現象が現われはじめた。兵器産業や衆議院へのサイバー攻撃だ。大々的な報道の割には原発事故と同じで、被害の実態が分かりにくい。地震だ津波だの事故は火事や交通事故と同じで、自然災害であっても被害の実態がはっきり目に見える。

逆に人為的災害であっても、原発の放射能災害やネットの事故は被害の実態が分かりにくい。後追いで対策が打たれるが、賽の河原に石を積む感があるところも似ている。前者に関して本当にできるか否かは別として、何十年か先には原発そのものの使用をやめるとの話はある。でもインターネットは全世界を既に席巻している、そうはいかないだろう。便利さと使い勝手は益々よくなるのだろうが、比例して危険性は高くなる一方だろう。

飛躍するようだが、アメリカでは1%の人が富の50%を得て、残りを99%の人が分けているので、貧富の格差が増大しているとも言われている。同様にネットユーザーの99%は、種も仕掛けも分からずにパソコンやネットに使われているとの見方もできはしないか。本当に種や仕掛けが分かる人はひょっとすれば1%以下かも知れない。この単に頭がいいとされる恐るべき人種(達かなぁ)が、全人類の情報全てを管理下に置く日が来たら、カダフィの独裁程度じゃ済まなくなりそうだ。

SF的妄想に浸ると、特定の人間を抹殺するなんてお茶の子さいさいだろうし、こいつらの前で丸裸にされて秘密を一切持てなくなったら、殺人如き手荒な真似は不要になるだろう。現時点では妄想で済むが、科学技術の加速度的進歩で、夢見たい事がいつ実現してしまうか分かったものではない。便利さを追求するのも程々にした方が無難かもしれない。国会議員は自分でパソコンを操作する人は少ないだろう。と言っても秘書は全員パソコン頼みだろう。

今回の衆議院で起きた事件が愉快犯の犯行ではなく、本気で情報を盗みに来たとすれば相当な成果があったのではなかろうか。官僚も昔のように、紫の風呂敷包みを抱えて霞が関と永田町を飛び回っている方が、風情もあるし仕事もしっとりと人間味溢れるものなって善いかもしれない。所詮サイバー戦争なんて、誰がどれほどの費用を費やそうと際限なきいたちごっこに過ぎない。

2011年10月25日火曜日

読後感「裸の山ナンガパルバット」ラインホルト・メスナー著平井吉夫訳

現存する世界的に有名な登山家の本である。この夏まで存在を知らなかったが、夏に「ヒマラヤ」と言う映画をたまたま観た。これがこの本をベースに作られている。そこで著者の名前を憶えて、今度はたまたま書店で気が付いたので読んでみた次第。

少し解説が必要だと思う。著者は1944年生まれだから相当な高齢になるが、1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げている。正真正銘のベストクライマーである。既に著書も50冊以上あるのだが、本書は2010年12月に初版(地元では2002年)が、山と渓谷社から出版された。敢えてこの事を書いたのは、ここに書かれる登山は1970年の事である。

著者の年齢はまだ26歳、イタリア人ではあるがアルプスの難ルート登頂を幾つも成功させ、既に全欧州的にトップクライマーとしての名声を博していた。そして、ヒマラヤに憑かれたもう一人の主人公とも言うべきドイツの登山隊長ヘルリヒコッファーの要請を受け、弟ギュンターと共にナンガパルバット遠征隊のメンバーに招聘されたのである。この遠征で、非常に苛酷な条件の下で著者と他に3名が登頂に成功するが、最初に登頂したメスナー兄弟は下山途中で弟を雪崩で亡くしてしまう。

これには様々理由があり、今様に言えば、パキスタン政府からの登山許可日数の時間に追われて、劣悪装備の無理を承知でやみくもに登頂した結果であるとも言える。即ち降るに降れなくなり、登頂とは別斜面を降り初め、身を確保するザイルの1本、露営用のテント、食糧も無く、-30℃の高度での露営を繰り返す。著者自身が何度も幻覚に襲われながらも人の住むところまで辿り着けたのが不思議で、弟が亡くなるのは当たり前だと思う。

更に不幸なのは、この隊長が彼等兄弟を命令違反として冷たくあしらい、帰国後も、この遠征に関しては彼らの記者発表や出版を全て禁じてしまったのだ。故に著者も反発して長い年月にわたり互いに訴訟を繰り返すことになる。結果が本書の出版が遅れた理由となっている。本書は和解後に出版されたのであるが、単なる登山記録であるばかりでなく、ヒマラヤ遠征組織のありようと難しさがよく理解できる。

因みに著者もこの遠征で足の指7本を凍傷で失っている。それから16年の間に8000m峰14座を踏破しているのだから正に超人と言える。ロッククライマーは常に未踏ルートに挑戦し続ける故に、必ずどこかで事故死せざるを得ない。が小生の持論だが、彼には当てはまらない。しかし1970年の遠征で一緒したクライマーは、その後事故死している人が多いのも事実。

山歩きは好きだが、ロッククライミングに近づかなかった事、日本には富士山3776mより高い山が無くてよかったと改めて思った。余談になるが、ヒマラヤでは4000mと言えばまだ生活圏、木も畑もあり、裸足で歩いている人までいるようだ。


2011年10月24日月曜日

DeNAて何?

普段はスポーツ観戦にあまり関心が無い。婆さんが好きなので、付き合ってフィギャースケートの中継を見たり、たまにナデシコジャパンやザックジャパンの中継を中途半端に見たりするくらいのもので、野球中継は先ず見たことが無い。それでもプロ野球6球団の名前は一通り知ってはいるし、どのテレビ局でもプロ野球関連のニュースがニュース番組に組み込まれているので、何となく関連情報がインプットされる。

テレビ局にとってもプロ野球中継は効率のいい商材であったことも知っているし、既に10年近くになってしまったが、斜陽になった大洋漁業から当時未だ景気が少し良かったTBSが、球団を買収して横浜ベイスターズとした動機も分からないではない。同時に、読売ジャイアンツを抱える日テレへの対抗策だろうが、上手くいくかな?他人事ながら思ったりしたものだ。

案の定と言っては悪いが、TBSもお荷物を支えきれなくなったようだ。球団の売却に乗り出した事を報道されている。世界的に恐慌じみた話が蔓延している中で、売買価格はともあれ、どんなところが出てくるかと思ったら、出てきたのがDeNAと言う名前。ライブドアも楽天も名前を知らない事はなかったが、今度ばかりは「なに、それ?」正真正銘初めて聞く名前だった。

改めて調べると、携帯のゲームやらを作っている企業らしい。小生が知らないのは当然だ。名乗りを上げるくらいだから、使いきれないほどの金が余っているのか。球団を持てば国内では一気に知名度は上がる。ただ不思議に思うのは、それがこの企業にどんなメリットがあるのだろう。世の多くの人には得体が分からなくても悪い事をしている訳でもないのだから、本業で儲けたいだけ儲けておけばいいのに。

この会社1999年3月創業とあるが、ここ5,6年で急成長したようだ。知名度が上がれば株価が上がってと言いうことを忘れていた。2005年2月東証マザーズ上場、2007年12月東証1部に市場変更とある。もしそんな考えだとすれば、ホリエモンと同じじゃないか。楽天あたりが球団経営でどのくらい儲かっているか知らないが、案外未だ儲かっていないのではないかと下司の勘繰りをしたりする。上手く買収出来たら途中でコケナイ事を祈りたい。

お金と言うやつ、無けりゃ困るが、有れば有ったで使い道に苦労するのも大変なんだろうな。




2011年10月23日日曜日

休日の夢想

土日は午前中プールに行く事にしているのだが、昨日も今日も行っていない。歯のインプラント手術の後遺症が口内にまだ若干残っているので自重している。代わりに事務所に来てパソコンを立ち上げて遊んでいる。泳ぐ代わりに歩く距離を少し多めにしているが、三週続いてプールを休んでいるので少し変な気分だ。土日のプールに来ている人はいつも殆ど同じなので、いつも見るあのおっさん、このところ来ていないなと不審に思っている人もいる事だろう。

閑話休題:中国の西安市で明大の気賀沢教授が「日本」の国名が刻まれた百済の軍人の墓誌を発見の報道がある。この墓誌は678年に制作されたとの事。日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大き謎で、大宝律令(701年)からとの見方が有力だったそうだ。

教授によると、百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため百済の将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記している。

少し前には元寇の船が長崎・鷹島沖で原形とどめて発見の報道もあった。こちらは13世紀の事件だから、白村江の戦いからするとずっと新しい事件ではある。しかし、自分の頭ではなかなか想像しにくい事では同じこと。従ってこの手の報道は、旧所古跡を巡って感動を覚えるのと同じで、ある種のロマンを感じさせてくれる。

先日野田総理が日帰り(実際は1泊している)のような慌ただしさで韓国を訪問しているが、TPPの議論なんか聞いていても現代の日本人は極めて内向きに思う。グローバリゼーションだけが良いとは限らないが、大昔から隣国とはかなり深い関係を持ってきたことをこういった事実は証明しているし、戦国時代の織田信長あたりは広い世界観を以て宣教師を受け止めていた。小生が何かにつけ親を追い越すことが出来ないのと同様、何百年いや千年以上経っても日本人はあまり進歩しないのかなぁ。

2011年10月22日土曜日

簡単な事だと思うが

自宅ではテレビのチャンネル権は無きに等しい。代わりに大した仕事もしないのに自宅近くにちっぽけなワンマンオフィスを持っている。故に昼間はパソコンでインターネットの情報は比較的よく見ている方だろう。NHKで深夜に放送される比較的良心的な番組をオンディマンドで見る事もあるし、見ようと思えば生の放送もパソコンで見ることは出来る。

最近のパソコンはテレビをきれいに見ることが出来るのを一つの売りにしている。確かにその通りだ。だが、テレビに見たい番組はないので、オンディマンド以外に昼間テレビを見る事は殆ど無い。インターネットの情報を見ていると、新聞やテレビ報道の底の浅さが先ず気になりだす。彼らとしても限定されるスペースや時間的制約の中で、取材内容を全て詳らかにすることは出来っこないし、それを上手に編集する事に使命感があるのだろう。

しかし、この事がインターネット情報と比較すると凄く気になりだすのである。所謂取材のつまみ食い、最近問題になり始めている言葉狩りなんかが典型的な事例だ。ネットの情報は実に多岐にわたり奥が深い。ネットで見ている限りニュースに関する解説や分析は、様々な立場の意見をバイアスが掛からないように公平に検索することも可能だ(逆もありで、好きな人の意見だけのチェックも可能)。報道に物足りなくば、会議や会見を生で初めから終わりまで確認するのも可能であるのは勿論の事だ。

マスメディアによる世論調査とネット上の調査の結果には、いつも大きな乖離がある。携帯端末が高速対応となり、ツイッタ-等でネットユーザーが増えていると言っても、報道に関して自分が得心できるまでネット情報を追跡するのは未だ少数でしかないだろう。まして世論を大きく左右する主婦層に於いておやである。もし主婦層のネット情報へのアクセスがもっと容易になれば世論なんかも大きく変わってくるだろう。

そこで思うのだが、テレビでネット情報を簡単に検索して見るようになれば面白いのではとの夢想。例えばテレビでニュースを見て、ニュース項目をリモコンでクリックしたらグーグルの検索で関連記事の一覧が表示され、そこからリモコン一つでネットの世界に深く侵入出来たらどうなるだろう?先ず新聞なんか購読する家庭は激減するだろう。

吉本芸人等の下らないテレビ番組は生き残るだろうが、テレビのニュース解説なんか馬鹿馬鹿しくて社会情報系番組は壊滅的打撃を受けるに違いない。この垣根をぶち壊せば、放送倫理も禁止用語も何もかもなくなる。技術的にはどんなに簡単でも、実現はあり得ないかもしれない。しかし、現在マスメディアや一部官僚が独占的に握っているつもりの一次情報なるものが、蟻の一穴のように市民に流出し始めているのも事実だ。

新聞もテレビもおちおちしてはいられない気分だろう。

2011年10月21日金曜日

祇園精舎の鐘の声

リビアの独裁者カダフィが焙り出されて殺された。反政府軍を国民側と置き換えることもできるらしい。これはイラクのフセインの場合と決定的に違う事に注目する必要があるらしい。フセインが、最後まで米国に抵抗して米国に殺されたのとは対照的に、カダフィは03年に米国と取引してパンナム爆破を認め、以来米国に利用され、米国に守られて独裁者であり続けてきたとのこと。だからオバマ大統領も祝意を述べ、日本の官房長官もこれに倣ったようだが、少し遅ればせでもあり、言い方に迫力を欠くとの事だ。

現在米国政府がウォールストリートを占拠せよと叫ぶ国民を前にして手の打ちようが無く、カダフィの死をひとごととは思えないからだ。とも言っている。オバマ大統領が追放されたり殺されるど心配する全く無いだろうが、あちこちで訳の分からないデモが起きている事は、次の選挙を考えれば心配でもあろう。本当に心配しているのは、やはり中東諸国とカダフィさんのお友達である北朝鮮の金さんや中国の共産党幹部なんかだろう。いつの世のどこであれ、圧倒的ひとり勝ちがいつまでも続く筈はない。

その点日本は気楽なものだ。英米で火が付き始めているデモも、ウェットな日本ではなかなか着火しない。むしろ政治に強力なリーダーシップが欲しいてな論調が主流だが、本当にそうなのかは疑わしい。ドングリの背比べの方が無事と言うこともある。TPPなんて難しい問題が浮上しているが、これなんか強力なリーダーシップが無い方が無事の典型だろう。

ただ我が国の場合、アメリカと言う宗主国、独裁者にも似た存在があり、それの手駒が外務省とか主要官庁に上手に埋設されているようだ。この宗主国または独裁者が少し貧するに及び、日本からある意味で富の簒奪を仕掛けてきているようでもある。この事を知ってか知らずか、少なくとも市民レベルで怒りの声を上げる人は極々稀だ。政治家の声の上げ方、マスメディアの偏向報道、原因にはいろいろあるだろうが、豊か故に我が国の青年の情熱が些か薄い事が残念である。

アメリカは刃向うには余りにも大きすぎるか?しかしリビアの国民から見たカダフィの存在と比べたらどうだろう。「奢れるもの久しからず」昔の人はうまいこと言う。

2011年10月20日木曜日

片思いだったのか

昨日で国会議員の遅い夏休みが終わり今日から国会が始まる。あの学級崩壊にも似た議論の名にも値しないバカ騒ぎが演じられ、それを喜んで煽るマスメディアの無責任な解説を聞かされるかと思うと些かうんざりだ。でも考えてみれば、少なくともこの連中を国会に送り込んでいるのは小生であり、国民全体に他ならない。メディアの問題は少し置くとして、彼等先生方に国の命運を預けているのは己の選択だと思えば諦めるほかあるまい。

書店には”現政権が日本を滅ぼす”てな調子の本が沢山並んでいる。立ち読みする気にもならないが、「それならお前がやってみろ!」だ。確かに、政権交代があった2年前には、氏素性も知れない民主党候補者に投票して、民主党政権になれば何かが変わり、日本が少し明るくなるかもしれないと思ったりしたのも事実だ。そして、この期待が幻想であり、見方を変えると期待を裏切られたとも言える。

これは騙した民主党が悪いのか、騙されたこちらが悪いのかも考えて見なくてはいけない。野党はマニフェストなるものが疑似餌で、国民を騙したみたいことを言う。しかし、少なくとも小生は騙されたとは思っていない。第一最初からマニフェストなんかろくに読まなかったか、読んでも書いてあることが実現するとは思わなかった筈だ。何を期待したかについては人によって違うのだろうが、小生が最も期待したのは次の点だろう。

即ち政治のありようが変わり、政治が国民に近くなる、換言すれば政治の透明化が進む事だった。勿論結果的に自公政治に比べれば国民(即ち小生)が豊かになり、小生が希う様な明るい政治が始まるだろうと思ったりしたものだ。思い込みの最たるものだ。生徒会長の選挙ででナンバーワンの女性に投票したら、彼女は俺のことを好きになってくれるか、或いはなんでも願いを聞いてくれるか?そんなことはあり得ない。

民主党だってマニフェストで国民を騙せるとは毫も思わなかったろう。しかし現在のところ、約束が果たせそうにない部分が沢山出てきているのは否定もできまい。では騙された形の小生が馬鹿だったり、悪かったのか?そうとも言い切れない。善きにつけ悪しきにつけ現政権の失敗やご粗末が明らかになり、官僚の問題、三権分立の問題などがある程度明らかになりつつある。これがある意味で政権交代の大きな効果と考えれば、そう腹も立たずに済むではないか。

具体的政策においても政権交代で良かった事もたくさんあるだろうが、残念ながら小生には未だよく分からない。キモは官僚をいかに使いこなすかに尽きるように思うが、ベストの使い方がまだよく見えてこない。自公政権に戻ったら少しはぎくしゃく感が軽減されるだろうが、再び役人天国になってギリシャやイタリアのようになる危険が生ずるのではと、妄想したりしている。どっちに転んでも大差が無いだろうで、政治に対して無関心になるのが一番の不幸かもしれない。

2011年10月19日水曜日

読後感「安土往還記」辻邦生著

戦国時代に日本にやってきたイエズス会の宣教師フロイスが帰国後に著した有名な「日本史」の、フランスで発見された古写本に綴じ込まれていた手紙の翻訳として書かれている。書き手は宣教師ではなく、1970年宣教師オルガンティノ(実在の人物)一行の護衛か付き人としてやってきたイタリアの軍人上がりの船乗りとの仕立てである。

著者がフランス留学中に発想したとされているが、先ずこの仕立ての発想がユニークで素晴らしい。主人公は1570年に来日して、織田信長が本能寺で自刃した1582年まで滞在していたことになっている。ストーリーは、主人公が鉄砲の扱いや製造に詳しかったことから信長と非常に親しくなり、信長を間近に観察した事を前提に信長像を描いている。


ある種の歴史小説、又は人物伝でもあるが、著者の信長の性格分析もユニークかもしれない。70年と言えば信長は未だ36歳、武田信玄等の群雄が全員健在であるし、日本中が戦乱で乱れ荒れている時代からのスタートである。信長は殆ど全国制覇に近いところまで行ったのだから、戦国時代の英雄であることは間違いない。

しかしここでは戦の英雄としての信長より、戦となると叡山を全山焼き払ったり、敵となった相手の女子供に至るまで皆殺しにする冷酷非情な信長と、はるばる地球の裏側から来た宣教師との間に極めて人間的な友情を結んだ信長が同一人物であった事に焦点を当てている。

そもそもこの本を読んだきっかけは、前回の読後感である「悪党小沢一郎に仕えて」石川知裕著の中で著者がこの本を取り上げ、信長と小沢の心理に共通するものがあると書いていたからである。あとがきにある解説(饗庭孝男)から引用したい。「信長の、ひたすら虚無をつきぬけ、完璧さの極限に達しようとする意志、「事が成る」ために力を集中して生きる生の燃焼の前に、温和な生との妥協や慈愛はしりぞけられる。…中略…自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする信長は、ある意味で、歴史の中に生きた人物の姿ではなく、現代に転移され、空無の中に立つ力業を求めている人間である。」

16世紀は洋の東西を問わず、自分の或いは他人の命さえも二の次三の次として、ただ一つの目的に向かってまっしぐらの生き方が極当たり前だったのだろう。現代における小沢一郎も石川氏から見るとそう見えたのかもしれない。しかし死生観や美に対する感性なんかに関しては雲泥の差があるように思ったりもする。著者は本書を1968年に発表、翌69年に芸術選奨新人賞を取っている。昔の文学賞は価値があると実感。



2011年10月18日火曜日

よくも懲りずにと言われたが

今日は日記を書くのを止そうと思ったが、寝込んでいる訳ではないのでやはり少し書いておく。先ほど歯医者から帰ってきたばかりだ。元々歯が悪くて40代の初めには下の奥歯3本が欠損していたくらいだ。今から30年前大阪在任中であったが、この奥歯を当時最新の治療法であったインプラントで治療した。京セラが人工骨を開発したとの事で、20年は保証しますと言われた記憶がある。当時のインプラント治療はかなり雑駁で、顎の骨にドリルで穴をあけ、人工骨の棒切れを差し込んで歯を被せるだけだったようだ。

20年保証どころか、穴を掘るのも目分量で、ドリルの先が神経に触れてしまい、事後ずっと下唇にしびれが残ったままになった。半年ほどは歯医者がアリナミンを出してくれたが、治るはずもなく馬鹿馬鹿しいので歯医者に通うのも止めてしまった。結局この治療は20年くらいしか持たなかったので、ある意味では治療にあたった大阪の歯医者の言った事は正しかった訳だ。結局数年前に東京医科歯科大学 でこの歴史的遺物である人工骨を大騒ぎをして抜いてもらった。

その後については、顎の骨に空いた穴が埋まるまでは少なくともインプラントは不可能と言われ、暫く放っておいた。しかし更にその隣の犬歯までが悪くなってしまい、奥から5本歯無し爺になってしまったのが今年の6月の事だ。取り敢えずは義歯を作ってもらったが不便で仕方がない。歴史的遺跡だった穴もだいぶ埋まっていたようだし、意を決して再度インプラントに挑戦する事にした。今度はインターネット等で慎重に調査をして、池袋の歯医者に行って相談してみた。かなり繁盛している様子なので、やや安心して相談すると、3本チタン製のインプラントを埋め込めば義歯5本分はカバーが可能らしい。

30年前に比べれば技術も相当進歩はしているだろうし、前回同様20年しかもたなくても、20年後に心臓が動いている可能性の方が低いだろう。歯医者の対応も30年前とは随分異なり、相当慎重だ。最初に完治まで1年を覚悟してくれと言われた。前回は2,3回通っていきなり手術をしたような気がする。現在はインプラント自体が2段構造になっている。先ず顎にスクリュー状の受け口だけ埋め込んで、しっかり骨に同化させてから上部の歯を構築していくらしい。今日はその下部構造の手術だった。

3時に診療台に上がって解放されたのが4時45分、麻酔が効き始めて口を開きっぱなしだったのが1時間15分位になるのではなかろうか。帰宅して鏡を見ると、奥歯5本分の歯茎は上が削られて白いものが見えている。多分これが骨で、それを取り囲むように黒い糸が巻きつけられている。見るからに気持ち悪いし、麻酔が切れてきたようで、口の中が痛くなってきたので日記もここまでにしよう。

2011年10月17日月曜日

北信濃の紅葉:斑尾山


北信では斑尾山はそこそこ有名な山である。何故かと言えば地元では「北信五岳」と言って、善光寺平の北西に聳える五つの山「飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山」を指している。しかし全国区になると、斑尾は200名山にも入っていないようだし、昭文社の山と高原地図の妙高・戸隠版にも掲載されていない。従って若干マイナーな存在かもしれない。地元出身の小生も同様に考え、今までに登ったことが無かった。但し、山麓のスキー場やゴルフ場、又は野尻湖には何度も行っている。

近年山歩きを初めて、当然この五岳は登らなければと思っていたが、昨年やっと他の四峰を登り終えたので、地元の兄弟や従妹に今年は斑尾だからよろしくと頼んであった。それを受けて従妹が今回の企画をしてくれた。彼女が所属する山の会の人と計画を立て、メンバーの中に小生を招いてくれた。土曜日は全国的に天気が悪かったが、雲は比較的早いスピードで列島を横断しそうである。弟に聞いた格安のバスで長野到着した時は既に雨が上がっていたが、未だ雲は厚かった。夜中もかなり強い雨脚が聞こえていたが、家を出る7時頃には雨は上がり、雲が切れ始めていた。

集合場所は信濃町の道の駅。長野から車を走らせている時に、厚く重い雲の上にシルエットを現し始めた志賀高原の山々が重々しくて恰好が良い。総勢は7名、全員が信濃町の道の駅に集合した時は、すっかり晴れあがり青空のもと妙高の山頂が見え始めていた。今回のハイキングは地元のエキスパート揃い。小生を含め4人が斑尾登山、3人はキノコ狩りを楽しみながら袴岳方面を散策して、昼飯を済ませて合流する計画である。斑尾は1350mと五山の中では一番低いが、登山口と山頂へのコースが多数ある。

我々は斑尾高原スキー場のリフト乗り場から山頂に登り、タングラムスキーサーカスのリフト山頂降り場で昼食をとり、万坂峠登山口を経由して袴池でキノコ狩りチームと合流、赤池まで約7㎞の行程である。天気は申し分が無く、歩いている時は最初から最後まで半袖のままだったし、紅葉も見事なものだった。びっくりしたのは、ハイカーの多さだ。ここを訪れるのは地元の物好きばかりかと思っていたが、東京、名古屋、大阪と完全に全国区だ。山頂も狭いので、気分が出ないな、と少々残念に思っていたところ、そこは地元のベテラン揃いの事。山頂はそこそこにパスして下山を開始、昼飯はちゃんと静かで見晴らしの素晴らしい場所に誘導してくれた。

キノコ狩り組の収穫は少なかったようだが、今回のメンバーは山菜や竹の子・キノコ採りのベテラン揃い、道々沢山の食べられる実を取って試食させてもらったり、お土産として貰ったりした。山ブドウに山ぼうしアケビなんぞはスーパーのレジ袋を一杯にしてもまだ沢山成っている。下山後は「まだらおの湯」で汗を流して5:50の長野発新幹線で帰路に着いた。

山行記録・画像は下記でご覧ください。

2011年10月14日金曜日

読後感「悪党小沢一郎に仕えて」石川知裕著

現役議員の書いた本なんかどうせ自己宣伝のものしかないし、まして刑事被告人の身であれば自己弁護に終始しているに違いあるまいと勝手に決め込んで、読むのが随分遅くなってしまった。読み終わって、自分の思い込みが相当間違っていたかもしれないと思っている。どこかの書評に「小沢一郎の悪口までを書いているところが面白い」とあったので読んでみたのだが、悪口と言うのも的外れだろう。

確かに、文中多くの現役政治家が登場する。大概の場合先生と敬称が付けられているが、小沢氏だけは「小沢」と呼び捨てで書かれている。呼び捨て、さん付け、そして先生と名前の書き方一つだけでも、著者の意図するところが明確で面白い。小泉前総理や菅前総理については、どうしても先生と呼びたくないのだろう。

本書を上梓するに至る著者の真意は明らかではないが、少なくとも有権者に対する自己弁護ではないと思う。思うに今も止み難い小沢一郎への讃歌、応援歌になっている。と言ってもヨイショばかりでなく、著者から見た小沢氏の欠点もかなり赤裸々に書かれている。小沢の許可は勿論無いだろうし、ひょっとしたら校閲も受けていないかもしれない。

小沢にはそんな暇が無いか、ものぐさか、悪口なんか本当に気しないのか、あるいはその全部かもしれない。その代りに側近が、この本について言えば先輩の樋高剛議員あたりがしっかりと目配りをするシステムが構築されているようでもある。それこそ裁判にも関係してくることにはなると思うが、小沢と秘書との関係は少し風変りと言いうか、小生の思い込みとはかなり異なっているようだ。

勿論絶対君主として自分の思想を徹底的に叩き込む教育はするし、仕事の評価も厳しいらしい。それは飽く迄も自分のスタッフを育成するためで、子分を増やそうとの意図とは少し異質であるようだ。まして秘書から子飼いの議員を増やす意図は無いらしい。議員になりたいなら小沢秘書は却って遠回りでさえあるように書かれている。事実秘書上がりの議員であっても、小沢から離れてしまった人間は沢山いるらしい。

小沢についてはいろんな人がいろんな事を言うが、少なくとも20年以上そば近く仕えてきた人間が描くのだから、へえーと思うことが沢山出てくる。彼を知るうえで参考になるのは間違いない。小沢が女性に弱い(甘い)と言うのも面白い。偏見を以て読もうが、何も知らずに読もうが、何れにしても面白い本でお薦めに値する。





2011年10月13日木曜日

喉元過ぎればでいいのか

東京都世田谷でホットスポットの確認、2.7マイクロシーベルト/時間、昨日の報道である。同時に横浜でもストロンチュームやセシュームが確認されている。この報道に接した昨日、世田谷に住む娘と孫が我が家に来ていた。以下は娘が話した先週の事。

「先日近くの公園の砂場でこの子を遊ばせていたら、丁度通り合わせたトイレ掃除の小父さんに注意されてしまった。」
「奥さん、息子さんをここで遊ばせちゃまずいよ。」
「私は息子がその小父さんの持っているホースを両手掴んで喜んでいる方が余程怖かった。放射性物質はその辺に蔓延しているのだから、もう仕方ないよ。」要するに、娘は身近に放射能があるかもしれないが、無視するしか仕方がないと思っているらしい。

慣れと言うのは恐ろしいものだ。福島の原発から200kmも離れた東京での放射能汚染に対して、かくも鈍感なのは我が家だけでだろうか。多分そうではあるまい、多くの人が諦めているのかどうかは別にして、かなり鈍感になってきている。小生は、娘の話に登場したトイレ掃除の小父さんの感覚の方が科学的だと思う。

問題は放射能汚染対策を進める責任を持っている政府や東電(彼らは政府任せで何もしていないのだろう)の態度だ。流石に世田谷区長は記者会見を開いて、対策を講じたいようなこと言っているが、東京都や政府関係者にはこの報道を聞いて慌てた様子は全く覗えない。世田谷区がやばければ豊島区だって調べれば問題が発覚するかもしれない。問題が明らかになれば、ほぼ無条件で人的にも経済的にも資源を投入せざるを得ないだろう。

藪蛇になるのが目に見えるだけに、この報道は無視するのが一番と思っているのだろう。最近は原発事故に関して、冷却が予定より早く進んでいるとか、避難勧告を解除するとか、復旧が進みつつあるような報道ばかりが発表されていた。たまたま今回の世田谷での一件は市民が発見して、報道機関にも通報したのだろう。取り上げたくはないが、の感が強い。時を同じくして福島県知事が、福島産米の安全宣言なるものまで発表している。

これで、首都圏の一般消費者が福島県産米を態々購入するとも思えないが、お墨付きが出たことで飯米を供給する事業者達は喜んで買うだろう。行政のありようとして果たしてこれでいいのだろうか。大きな疑問を抱かざるを得ない。敢えてはっきり言えば、政府は先ず放射線検査の対象をさらに拡大する必要がある。そのためには公務員だけではとても間に合わないのは明らかだ。民間の協力が必要なのだが、我が国はお上意識が強すぎて民間に頭を下げる事が沽券に係わると思っている。

全て発想の原点が「下々に余計な事を知らしむる事になるのはまずい」にあるようだ。この発想をひっくり返さない限り、どんな施策を講じようとも市井の実態とかけ離れて実効薄く、税金の無駄遣いが増えるだけと言うことになりかねない。政治家の力ではどうにもならないことかもしれないが、歯がゆい思いだけ強まる昨今だ。

2011年10月12日水曜日

英語ねえ?

昨夕帰宅すると、玄関口にいきなり長女のところの孫(3歳直前)が、婆さんより先に飛び出してきた。「○×○×」にこにこしながら仰っているのは「お帰りなさい」と聞こえる。びっくりするやら嬉しいやらではあるが、何の前触れもなかったので本当に驚いた。

ゆっくりしてから娘に聞くと、婿殿が今週末にTOEICの試験を受けるので、そのために猛勉強中で、孫が邪魔をしないように隔離するために避難してきたとの事。婿殿は工学部系の技術者で既にマイコン製造大手の管理職になっている。会社の景気はイマイチかもしれないが、彼氏は三つのポジションを掛け持ちでかなり忙しいらしい。別に海外勤務の予定がある訳でもない。

しかし、直属の部長様から「TOEIC testを受けて750点以上を獲得してこい」と命じられたらしい。しかもこの受験料は自己負担だそうだ。海外に縁がない彼だから英語がそんなに得意のはずもないが、社内の会議は英語が当たり前になってきているようで、それについては特段の不自由は無さそうだ。娘は昇格させないための理由づくりだと怒っている。恐ろしい世の中になってきたものだ。40歳を過ぎたお父さんがマジで英語のお勉強をしないと、出世に遅れかねないとは。

とうの昔にサラリーマンを卒業したことを心から感謝しなければだ。娘は冗談半分に「蕎麦屋でもやった方がましだ」と言うが、お給金を聞くと結構な金額だ。「俺みたいに会社や上司と喧嘩だけはしないでくれよ」と頼んでしまった。婿殿は小生のような馬鹿ではないし、とても良い性格なので喧嘩なんか絶対にしない事は娘も分かっている。だから親父の前で安心しておだを上げているのだろう。今夜も明日も又その翌日もかわいい孫の顔を拝めるとは嬉しい事だ。その代り婆さんは大変らしい。せめて爺は出来るだけ外出をして協力しよう。

2011年10月11日火曜日

もう暮れの準備か

すっかり秋らしくなった。連休から今日あたりにかけては、暑くなく寒くもなく、からりとして、美味しい果物が豊富に出てくる。東京では一番しのぎやすい良い季節だ。東京であれどこであれ、子供の頃は季節の移ろいに応じて、明日はこれ、来週はこれと、どんどん楽しい事が出てくる。しかし、こんないい季節が来たと言うのに大人の悲しさ、年賀はがき発売の広告など見ると「また今年も間もなく終わるか・・」との思いの方が強くなる。

古来、鹿の鳴き声を聞くまでもなく、秋の夕暮は物寂しいとしたもののようだ。朝っぱらから、年賀はがきの広告に目を留めた婆さんから、年賀状の購入枚数をきちんと勘定してくるように言われたり、昨年手配したお歳暮の宛先が2件も間違っていたことを指摘されたりすると、1年の速さが悔しくて本当に物悲しくなる。物悲しかろうが何だろうと時はそのように過ぎていくのだから、文句を言っても始まらない。

年中暇しているようでも、改めて考えると年末までにやらねばならない事も幾つかある。皮肉に考えると幾つかしか無いのだ。むしろ来年すべき事に想いが働かない。このあたりが子供との大きな違いだろう。試験も受験もないから勉強はしなくていい代わりに、今までとは異なる新しい世界が開ける可能性もないのだろう。可能性がナッシングではなく、せめて少ないくらいに留めておきたいのだが、欲張りすぎかな。

2011年10月10日月曜日

秋の南アルプス(仙丈ヶ岳)


連休を利用して南アルプスの仙丈ヶ岳に行ってきた。最高の天気に恵まれ秋の山歩きを存分に楽しむことが出来た。南アルプスは登山口に到達するまでが大変で、少し敬遠しがちである。少なくとも登山口までの往復に丸1日は見ておかなければいけない。今回は長野県伊那市経由で行くことにした。理由は、時間的に往復で丸1日余計掛かるのは同じだが、甲府経由で行くのはJRとバスの組み合わせで切符の手配と甲府駅でバスに並ぶ手間暇と経費も結構掛かる。今回は新宿からバス1本で片道2500円が魅力だったからに他ならない。最近長野に行くときで急がない場合バスを利用する事が多いが、それでも片道4000円である。

目的地の伊那は距離的にも長野より遥かに遠い。それも高遠のもっと奥にある南アルプスの山懐の仙流荘。それが何故こんなに安くなるのか分からないが、兎に角旅館前に横付けなのだから有難い。さすがに帰りの昨日は中央道に加えて首都高も大渋滞で、新宿到着が1時間20分ほどの延着になった。別に急ぐ旅でもないので、こんなことは何の問題も無い。山懐で前泊するのは最近の山登りパターンだ。8日は登山口の北沢峠行バスの始発が6:00と調べてあったので、5:55バス乗り場に行くと既に長蛇の列。マイカーで来た人が既に夜明け前から並んでいたらしい。

バスは小型なので一度に30人程度しか乗れない。バス会社も定刻前から数台のバスを出して運行していたようだが、狭い林道の事とてピストン輸送にならざるを得ず、結局35分ほど待たされてやっと乗り込むことが出来た。登山口の北沢峠に到着も平行して遅れたが、登山に差支えるほどの問題は何もない。そもそもこの仙丈ヶ岳は、この北沢峠から日帰りをするのが当たり前で、ここを起点に1日目は仙丈ヶ岳なら2日は甲斐駒ケ岳と連荘で登山するのが常識のようである。そこを仙丈ヶ岳だけで2日かけて行こうと言いうのだから、かなり余裕の山歩き計画である。

しかも季節は秋、快晴ではあるが空気がひんやりして、山歩きには最適のコンディションであった。南アルプスは北アルプスと趣がかなり異る。北は安曇野の眼前に山が壁のように立ちはだかる感があるが、南はアルプスに分け入ってかなり奥深く踏み込まないと、目的の登山口にすら到達しない。特に北沢峠までのバスの車窓から見る伊那の谷の深さは少し恐怖感さえ覚えるほどの圧巻である。ベテラン登山家の多くが「山は南に限る」と言うのも分かるような気がする。

普通1日の行程を2日かけているのだから、往路は沢筋の道を、復路は尾根道を1歩1歩をゆっくりと、山の空気と壮大な景色をたっぷりと味わった。山は既に冬が始まり、途中に「仙丈小屋は水場が故障中」との警告が出ていた。行ってみると水が出ていたので聞くと、朝凍結のため水が使えなくなるらしい。成程、昨日の朝行ってみると、ホースの口から水は出ていないのは勿論だが、溜めてある水を石で叩いても割れないほど厚く氷が張ってしまっていた。

2日間を通して、山歩きの歩みを止めては、冷たい秋の風を全身で感じながら周りの山々を眺めるとき、その瞬間に湧いてくる喜びは何に譬えるべきだろうか。心の中で、この幸せを味わえるのもそう長くはあるまい、と思わないでもないが、この瞬間の幸福感は金銭には代えがたいものであるのは間違いがない。

山登りの詳細はこちらからご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-140234.html

2011年10月7日金曜日

呑気な爺さん

昨日バタバタして日記を書き損ねてしまった。変な風に几帳面なので、日常生活で自ら決めたことをしないと気持ちが悪い。今日は夕方出かけてしまうので、昨日の分も含めて一寸書きたい。昨日は何をしてもうまくいかない日だったが、今日は天気もいいし朝から気持が良い。きっとこの三連休は良い事があるだろうと期待している。実はこの連休に雲取山に行こうと思っていたのだが、一緒に行きたいと言っていた青年の都合が急に悪くなった。

一人なら何度も行っている雲取山より、初めての山がいいと思い、今年未だ一度も行っていない南アルプス(仙丈ヶ岳)に行くことにした。南は登山口へのアクセスが長くて敬遠しがちだったのだが、よく調べると長野の伊那経由で登山口(北沢峠)に簡単に行けることが分かった。しかもバスの片道料金が東京から登山口まで2500円+1100円と圧倒的に安いのも有難い。ゆっくり気分転換が出来そうだ。

同世代の人の楽しみ方には様々ある事だろう。小生もそうだが、完全リタイアではなく、少し仕事をしながら、現役時代に比べれば大分自由に、と言う人は結構多いと思う。そこに行くと政治家稼業は大変だとしみじみ思う。一時は、普段から大部分が自由時間で、禄に仕事らしいもののも無く、とやっかみ半分に思っていた。しかし昨夜の小沢一郎氏入院の報道に接すると、彼が本当にかわいそうになってくる。

年はほぼ同じだが、以外に老けて見える。なぜそこまで職業に拘るのだろう。以前も何度か書いているが、子供も居れば孫もいるだろう。食うに困る訳でもあるまい。小生なら、とっくの昔に誰かと喧嘩して政治の世界からおさらばしている。喧嘩なんかしなくても、小泉元総理のように余裕で人生を謳歌する方法もある。なのに、これだけ叩かれて尚我慢するのはどういう神経なのだろう?人の頭に立った事が無いので分からないが、マゾヒティックな快感に近いのかな?

小沢氏の入院は今朝知ったのだが、昨夜19時のニュースと夕刊で、今日の小沢氏はいつも随分違い、なんか悲壮感が漂っているように感じていた。今朝のテレビで見ると相当に疲れているように見える。彼にすれば若い奴に任せておくのが心配で仕方ないのだろう。しかし、どうでもいいじゃないですか、どうせ彼らが自分で付けを背負うのだから。羽田元総理や小渕元総理、大平元総理、田中元総理、考えてみると、大物政治家にかかる重圧の凄さには改めて脅威を感じる。

比較するに、何と気楽な人生であることよ。

2011年10月5日水曜日

兄の事など2

昨日の日記で昔の話、家族について書いた。早速甥から礼の電話やメールが来たので、調子づいてもう少し書く。

昨日書いたように私は4学年上の次兄と仲良く、いろんなことを教えてもらったし、兄の友達付き合いの仲間に入れてもらったことが何度もある。昭和20年代末近く、兄は高校で写真研究会と言うクラブに入った。多分当時はどこの家にも厚紙で作られた「アルバム」が1冊や2冊は有り、中には手札判の祖父や祖母の写真、キャビネ判の両親の結婚記念写真や学校で撮影された記念写真が丁寧に張られていたものである。長野市には写真館は何軒かあったが、今言うところのカメラ店は2軒だけだったと思う。

カメラを買う余力のある家庭は少ないし、戦前から写真機を持っている家庭も少なかった。カメラ店ではフィルムなどの写真材料を売ったり、現像や紙焼きなどを引き受けていたが、商売の額は如何程もなかったのでは?ビックカメラやヨドバシカメラを思うと隔世の感がある。我が家にもカメラは無かったが、祖母の家に古いドイツ製のベスト判カメラが1台(絞りはマックスでF6.3だったかな、シャッタースピードは1秒から100分の1秒迄あったような気がする)あった。兄はこれを貰ってきて写真研究に及ぶ決心をしたわけだ。

私は今でもそうだが、探究心薄く面倒なことは嫌いなのでどうでもよかったのだが、兄は熱心だった。先ずそのベスト判カメラのフィルム装填枠を改良して、半分のサイズにして8枚撮りが標準だったとしたら16枚撮りにしてくれた。更に母に頼んで押入れの下段を一つ空けてもらい、二股ソケットからコードを引っ張って赤い豆電球が灯る臨時の暗室を仕立てた。ここに二人蹲り、フィルムの現像や印画をするのだが、きっと助手が必要だったのだろう。私も角面器の現像液を竹箸でかき回したりするのを手伝わされたような気がする。

Y2フィルターをレンズに装着できるようにしてくれたのも兄である。二人して引き伸ばし機が欲しいなと語り合った時もあったが、さすがにそんなものは買ってもらえなかった。今でも私の古いアルバムには、中学2年か3年の遠足で撮った10数枚の小さな写真(3cm×4cm)が張り付けてある。中学生でカメラを持っていた事がいかに誇らしかったか、想像してくれと言っても無理だろう。

私は兄の友達も大勢よく知っていた。誰が喧嘩が強いとか、誰と誰が仲が良くて誰が兄と険悪であるかさえ。険悪であった兄の同級生は、兄が向かいの家のお嬢さんと仲がいいをで僻んでいることまで子供心で分かっていた。また逆に兄が仲良くしていた応援団長さんの依頼で、私の友人と友人のお姉さん(兄たちの1学年下の女学生)5人でピクニックに行く計画を練ったことがある。応援団長と言えば校内きって強面の実力者だ。

ところが残念なことに、この計画は我が友人を通してお断りを頂く結果になってしまった。結局我が友人も申し訳ないと言って参加せず、3人で秋の山にハイキングに行った。その時の応援団長さんの落胆ぶりが忘れられない。「せめて弟だけでも来ればいいのに。」と言いながら、山歩きの最中も、私に対しては凄く優しくしてくれたのも懐かしい思い出だ。兎に角高校生になったら、メッチェンについて自分にもいろいろあるだろうとの予感だけは、中学生時代に感じ始めていた。

2011年10月4日火曜日

兄の事など

甥や姪もたまには読んでくれているので個人的なことについて書きたい。私は5人兄弟の3番目、母以外の6人は全員男子の家庭で育った。当然ながら幼い頃から兄弟喧嘩はしょっちゅうで、家の中から屋外にまで逃げたり追いかけたりすることもあり、近所でも有名だったらしい。記憶にある中で最も激しいのは長兄と次兄が家の中で取っ組み合いとなり、次兄が大きなガラス窓の中に突き飛ばされた時の事だ。

バリバリと言いう大きな音と共にガラス戸が吹っ飛び、転んだ次兄の手から見る間に血が噴き出してきた。見ると既に片手は真っ赤で、傷口は親指の付け根らしい。母が飛んできて、それを見るとすぐ大きなタオルを持ってきた。それで兄の手をぐるぐる巻きにして、私に「すぐお医者さんに連れてきなさい。」と命令した。兄が泣いていたかどうかは記憶にないが、兎に角自転車の荷台に乗せて、こちらもしょっちゅう世話になっていた最寄りの外科医まで一生懸命ペダルを漕いだことを今でも覚えている。

私もあちこちに子供時代の傷跡が残っているが、殆ど他人にはわからない。兄の場合は、どちらかの親指の付け根に大きな傷跡が残ってしまった。私自身が一番びっくりしたのは、喧嘩ではなかったと思うが、すぐ下の弟の眼球に箸を突き立ててしまったことである。おそらく本人も記憶していると思うが、あのときの肝の冷える思いは未だに忘れられない。そんな事もいろいろあったが、基本的に兄弟は仲が良かった。両親が折に触れ「上のものは下の者の面倒を見なさい。」と当たり前のことを言い聞かせていたせいだろう。

従って長じて同時期に東京に出た兄弟は、学校が違っても当然のように同居する事になった。私が初めて上京したのは、高校3年生の夏休み。最初は一寸複雑な事情があるのだが、(それは省略して)慶応予備校の夏季講習を受けた。この時次兄は既に中央大学4年生。夏休みだから長野に帰省していた。そこで私は兄が学期中に寄宿していた長野の学生のために設けられた市ヶ谷3番町にあった千曲寮に、身代わりの形で潜り込ませてもらった。

何故かこの年、兄の親友で同室の方は田舎(信州佐久)に帰らず、夏休みに千曲寮に居残り、ずっと私の面倒を見てくれた。と言っても単に交通機関の乗り降りを教えるだけではなく、夜になるとメンバーを他に2人集めて麻雀大会を開いたり(勿論幾ばくは金銭が賭っている)、銀座や新宿のジャズ喫茶に案内してくれたり、安くて旨い食いもの屋に連れて行ってくれた。今にして思うと不思議な約1か月で、田舎の高校生にしては物凄く見聞が広がったのは言うまでもない。

開けて翌年の4月大学に入学すると、東京のプラスティック材料の卸に就職した兄が新宿に新築の小さなアパートを探して、ここでの共同生活が始まった。こちらは既に半年前に予行演習をしているようなもので、兄の会社の同僚達と麻雀をしたりするのは日常茶飯事。半年前の夏休みもそうだったが、勉強は学校だけでするもの、家に帰ってからは専ら社会勉強にいそしんだものだ。この学科を上げれば、先ずはお酒、即ちトリスバー通い。なけなしの仕送りから五百円、千円と持ち出してはよく行ったものだ。

次はダンス、兄は学生時代教習所に通ってある程度正式なレッスンをしていたらしい。しかし私については教習は省略して、兄の簡単な指導だけでいきなりダンスホール巡りだった。兄弟揃って昼間時間がある日曜日はスケートリンクにも行った。新学期早々からこの調子だから、何のために東京に出たのか分かりはしない。親の心配をよそに罰当たりの限りだが、兄がいつも一緒にいてくれたので大船に乗ったつもりで、悪い事を次々と覚えていったものだ。当然ながら毎月の仕送り1万円はすぐに無くなる。結果覚えるのが、質屋通いだ。

入学祝いにもらった17石中3針のシチズンの腕時計が、所持品中の最高額金千円で入質可能だった。アパート近くの質屋2軒は顔で、質札を貰わずに向こうに通帳があったように記憶する。しかし質草は金利を3か月滞納すると流れて(所有権が喪失)しまう。この大事な時計も1年経たないうちに流れてしまった。禄でもない事ばかり書き始めてしまった。切がないのでいったん止めよう。

2011年10月3日月曜日

健康志向

大方の人はそうだろうが、60才頃からだろうが多分に健康を意識している。人生の残り少なくなって、何がやりたい訳でもないのに命が惜しくなるのだから浅ましいが仕方がない。意識してしている事と言うかしない事の第一は、飲酒を控える事、甘いお菓子をむやみやたらと喰わないようにする事。飲酒は本来そんなに好きでなかったのか、社交以外の酒は簡単にやめられたが、甘いものはそう上手くいっていない。しかしお陰で60歳当時に比べると体重は大分減っている。

60歳頃の資料が無いので断言できないが、想像するに多分65キロくらいはあったはずだ。このところ毎週プールに通っているので、昨日も計量してみると60キロを少し切るぐらいになっている。プールに通い始めたのもその頃ではなかろうか。しかし体重は何回計っても一向に減らなかった。何年経った頃か忘れたが、ある時気が付いて、酒と菓子を気を付け始めたら効果が現れた。4,5年前から少しずつ減り始めた。

それでも1年で1キロ減るかどうか程度だった。それがこの1年くらいで2キロ近く落ちたような気がする。最近は着る機会の少なくなった背広などを久しぶり着ると、ワイシャツの首回りや、ズボンの胴回りが変にすかすかしている。そうなると逆に薄気味悪い。背丈は昔からどんなに頑張っても5尺4寸には届かない。最近は160センチを少し上回れば良しとしなければならない。161センチで今はやりのメタボ診断の適正体重は57キロと出てくる。

個人的には57キロを決して適正値とは認めたくもないし、気にしない事にしている。これからはむしろ、体重については60キロ以下にならないようにしたいと思うのが本音だ。なにも洋服が合わなくなるからではない。体力の減衰の方が気になってしまう。体重もそうだが、血液検査の結果なんかでも、ある数値が基準以下だったり以上だったりすることに一喜一憂するのも止めたいものだ。

何をとっても人様とは少し風変りの自分の事だ。自分の体については自分の感覚も大事にする必要があろう。健康の事まで同年輩諸氏の平均値と比較して、痛く痒くもないのに気を病んでも仕方なかろう。昨日プールでよく顔を合わせている同年輩の方から話を聞いて驚いた。小生と似たような背丈で、ダイエット目標を50キロ弱に設定しているとの事。10年以上毎日プールに通い体重などを几帳面に手帳に書いていらした。この方の話を伺い、世の中にはいろんな考えがある事をしみじみ感じた。

2011年9月30日金曜日

この国のかたち??

夕方から出かけるので昼のうちに日記を書いた。特に憂国の情が強いわけでもないし、極端な愛国者でもないが日本以外の国に住みたいと思ったことは一度もない。現代日本を貶める気持ちもないが、昔の日本(特に江戸時代あたり)に生まれていても結構楽しかったのではと想像する時がある。

前置きは兎も角、司法、特に裁判官ともなると、極めて専門的な世界で、若い頃に学問を十分積まれ、人格も陶冶された方々のみが座に就くことを許されている、小生なんぞには別世界と信じている。たまに冤罪判決のような事が起きたりしても、それは裁判官の恣意的な誤りではなく、極稀ではあるが、たまたま何らかの事情で、調査不足等があっての誤審で、裁判官をあまり責めることは出来ないだろう。菅谷裁判のやり直しに関しても、元被告の菅谷氏は警察や検事に対して恨みつらみを言っているが、裁判官には謝罪を求めていなかったように記憶する。

更に、我が国においては裁判の三審制が取られているので、公正公平を欠くようなめったな事故は起きないだろうし、素人が口出すのは厳に慎むべきだと思っている。ところが、先日の小沢秘書3人の裁判と昨日東京高裁の判決が下った「沖縄密約開示訴訟」の結果を見ると、従来の考えを少し変える必要があると思わざるを得ない。

報道によると次のようになる「密約の存在と文書の保有を認定し全面開示と原告1人当たり10万円の損害賠償を命じた一審判決を取り消し、請求を退けた。文書保有の証拠はないと判断した。」要するに、外務省や財務省が1審で存在を認めている密約文書は当初あったかもしれないが、破棄されようが現在文書が無いのだから仕方がないでしょ、と裁判所が開き直っているのだ。

素人が感想を述べて申し訳ないが、現代日本のお白洲はどうなっているのだろう。お上のする事は下々の知る必要は全くなく、都合の悪い事は隠そうが無い事にしようがやりたい放題らしい。三権分立などと教わったが、奉行所が幕府の一機関である以上、司法と行政は常に一体で、幕府にたてつく奴はふん縛って牢屋に放り込む江戸時代の体制と何ら変わるところは無いようだ。

そしてもう一つの権威であるべき立法府だが、よく言われるように、ここの独立性も多分に危ういものだ。日本の中心に財務省が座っているとの説があるが、それは置くとしても、政府即ち行政府が、もっと言えば霞が関官僚が立法府をハンドリングしている事を全面的に否定できる人間はまずいないだろう。議院内閣制だから仕方ないとするなら、政権交代など全く無意味だ。

明治維新で革命的な改革を成し遂げ、さらに昭和20年の終戦以降に民主化が一気に進んだとも教わったが、とんでもない間違いを刷り込まれている可能性がある。結局江戸時代以降今日までずっとお上の存在は変わっていない。官僚にあらずば人に非ず、三権の上部にいるのは皆一蓮托生、全て高級官僚に他ならない。中東諸国を遅れた国と笑えないほど、日本もとんでもない封建国家だったりして・・・・。

2011年9月29日木曜日

展覧会

今日は1964年10月10日の東京オリンピック開会式当日を思い出されような爽やかな秋晴れが素晴らしい日だった。今月初旬、残暑の中で運動会を強行して熱中症の事故が発生した学校が随分あった。こんな日こそ運動会日和だと思うが、言っても始まらないか。何れにせよ彼岸も終わり、東京もすっかり秋の気配だ。薄暗い部屋に閉じこもっているのはもったいないので、昼前から六本木の国立新美術館に出かけた。地下鉄の乗り換えが多いので、いい運動にもなった。往復の階段だけでも片道300段を超えていたのでは。

昨日から開催されている第57回「一陽展」で友人(山友です)から案内(しかも今回は奨励賞を受賞している)を貰っていたので、久しぶりに展覧会の鑑賞だ。国立博物館などで開かれる企画ものの展覧会に行くことがたまにあるが、展示物の鑑賞より人混みにうんざりする事が多い。「一陽展」は伝統ある会の年中行事と言っても入場者の殆どは関係者と招待客だろう、ゆっくり鑑賞できるのが嬉しい。1時間半ほどかけて見て回ったが、絵や彫刻もじっくり見ると面白いものだ。

作者の気持ちが分かる気がするものや、どうしてこんな絵をかくのかなと不思議に思うもの。外国らしい風景なんかは分かるが、全くの抽象画については感想も言えない。中で印象的だったのは何百号と言う大画面に東北災害のニュースを伝える英語(だと思う)新聞を何枚も丁寧に広げたもの。これにはびっくりした。近くに寄って見てみると、びっしりと並ぶ各行に墨でアルファベットが丁寧に書き込まれている。作者の思いや製作日数を想像しようにも想像のしようがないのが正直なところ。しかし一番長時間足を止めて見たかもしれない。

ブースが全部で16コマあったから、出展数は絵画・彫刻を合わせると200点は優に超しているのだろう。弟がやはり美術に熱心で、リタイアした現在でも彫刻に打ち込んでいる。彼から県展などの展覧会に入選する事の難しさをよく聞いている。展示されている作品の裏には膨大な不採用になる作品があるとの事だ。友人からここ数年は毎年のように入選の知らせと展覧会入選の案内を頂いているので、着々と実力を蓄えつつあるのだろう。事実年毎に印象が深くなって、今年の作品は特に素人離れしていた。

絵画もここまで来ると、製作に掛かる時間と経費、それに作品の保管場所はどうなってしまうのだろう。とは言っても、作品の大半を売ると言うことになればもっと大変かもしれない。弟の作品については、奥さんが邪魔で困るといつも嘆いている。ウサギ小屋に住む小生の全く余計のお世話で、「ほっておいてくれ!」と叱られそうだ。

2011年9月28日水曜日

お仕事

代表は変わってもらったが、嘗て起業した会社の役員と株主として残っていることに変わりはない。その経営の根幹に関わる問題が発生していることは先週の日記に書いた。今日はその問題について、午後半日かけて新旧の代表がみっちり相談をした。言わば1年に何度もない役員会議と言える。

小生も青年社長も会社が潰れても仕方がないと思っているので、変な悲壮感はないが、ご時世とは言え無理筋のコストダウン要求に唯々諾々と従うのは面白くない。どこまでも冷静に正論を積み上げて、反論すべきは反論し、協力できるところは協力していくことでは一致している。

結果的にはどうなるか分からないが、一寸の虫にも五分の魂だ。来月の初めまでは少し忙しい思いをすることになるだろう。

2011年9月27日火曜日

もう少し何とかならぬか

昨日の小沢氏秘書3人の裁判結果は、当然だとか予想通りとする人と、反対に意外であり不当な判決ではないかとする人が、その割合は分からぬが存在するのは間違いない。小生はどちらかと言えば後者かも知れない。法律に詳しいわけでもないし、自分自身の論理的結論でもない。なんとなくマスコミの報道に小沢いじめみたい雰囲気を感じるので、面白くないだけである。

これだけいじめられてもまだ政治家を続けている小沢氏には「何が悲しくて、そこまで頑張らなきゃならないの?」と聞いてみたい。一方野党の諸氏には、二言目には「小沢と金」と言って騒いでいるが、「もっと決定的な案件を発見できないのかね?」とも聞きたい。何年も大騒ぎしている割には西松建設の迂回献金(聞くところによると、検察側証人の証言で迂回でも違法でもないことが証明され、訴因が消滅したそうだ)と、4億円の政治資金報告書への期ずれ記載しか出てこないのは何故だろう。極悪人なら余罪はいろいろあるだろう、野党か検察か知らぬがしっかりしろよ。

この期ずれのお陰で、今回の裁判では小沢秘書二人への「水谷建設からの1億円裏献金」が判決で断罪されている。これも一部の人に言わせると、裁判所が訴因と関係ないところで、第三者の事件を断罪していることになるらしい。もし本当なら、小沢さんに怒られるだろうが全くの笑い話ではないか。マスコミも相変わらずやきもきはしているのだろう。小沢氏の説明を聞き飽きているのは小生だけのようで、小沢氏自身の説明を国民は求めているのだそうだ。

確かにマスコミが言うように、小沢氏が国会でもどこでもいいから「申し訳ありません、私が悪うございました。」と言えば、日本中が明るくなるなら、嘘でもいいから、小沢氏に明日にでもやってもらいたい。そして鳩山氏共々バッジを外せばいいだけの事ではないか。そんなことにはなりっこないのだが、もし二人の引退が実現したらこの国はどうなるだろう?想像が膨らんでいい暇つぶしだ。

経産省の古賀某氏もめでたく退職になって、田母神閣下同様これからは稼ぎまくってハッピーになるのだろう。世の中すべては金次第だから、国会でもどこでも金の話ばかりだ。それが当然なんだろうが予算委員会の議論なんか、被災者をねたにしたおためごかしばかりで聞く気にもならない。

だれか本当に何とかしてよ!

2011年9月26日月曜日

ふくろ祭り

表題では何のことかお分かりならないでしょうが、我が家のすぐ近く、池袋西口のお祭りの事です。氏神様は池袋御嶽神社で、我が家の氏神様とは違うらしいが、昨日は神輿が16基も集結すると言うので、夕方5時半に間に合うように態々池袋西口まで見物に出向いた。西口前の広場は既に交通規制が張られ一般客は外、内側は股引や褌に法被姿で頭にはお定まりのねじり鉢巻きの人で溢れかえっていた。女性がいるのは珍しくもないが、結構な年寄りも多い。

定刻5;30になると特設の舞台に区長さんなんかもお出ましとなり、頭衆の木遣りに引き続き拍子木がチョンと鳴る。すると「オー」と言う掛け声とともに16基の神輿が一斉に上がり、「そいや、そいや!」と動き出す。隣でお父さんに抱かれて眠っていた赤ん坊までが目をさまし、今度は肩車をしてもらって手拍子を取っていたのにはびっくりした。人間は空気に何と馴染みやすいのだろう。勿論こちらの野次馬根性もその例外ではない。なんとなくわくわくしてくるのは否定できない。

祭りの実行委員長と区長さんの挨拶は、どちらも東日本の大災害とその復興祈願に触れていた。池袋周辺の商店街の景気も余り良くないようだ。「元気を出して、不景気を吹き飛ばし景気を盛り上げよう」との掛け声が、天に通じれば良いのだが、こちらの景気もあまり芳しくない。昨年に比べると担ぎ手は少しお神酒が足りなそうだし、観客の盛り上がりも今一つだったように思う。今年は日本の誰にとっても余り晴れ晴れしい年ではないみたいだ。

2011年9月23日金曜日

手前勝手の極み

寒さ暑さも彼岸まで、とはよく言ったものだ。台風一過で確実に秋がやってきた。15号台風は強風で交通網が完全に止まり、帰宅難民の出現など東京にも大変な影響を及ぼした。幸い我が家は被害が少なかった。家の周りがその辺から吹き飛ばされてきたガラクタでごみだらけになったのと、孫の遠足が中止になったくらいかもしれない。

長期天気予報では10月11月と気温が高めと言っている。しかし同時に大雪山系からは初雪の報せもある、結局は秋も足早に過ぎて行くだろう。我が家は仏壇もないので普段あまり考えないが、今日ぐらいは彼方の岸にいる祖母や両親、兄を思うべきだろう。「先祖はどんなことがあってもあなたを守ってくれる。だから仏様には必ずお参りをしなさい。」祖母の口癖だった。だから親戚の仏壇には必ず手を合わせるが、肝心の我が家には仏壇が無い。

人は死んだらどうなるか、本当のところが分かっている人はいないわけだ。だから、千の風になって広い大空から見守ってくれる、と考える事にしている。墓参りはお盆に行ったと勝手に思って、この彼岸はエスケープしている。むしろ向こう岸のどこかに向こうの親族が寄り集まって「お前の考えそうなことだ。」と皆が笑っているような気がしてならない。

この三連休出かける予定は無いが、仕事を任せた青年社長から「天下の一大事」と相談に与っている。聞けば確かに一大事で、唯一の得意先から業務委託料の大幅な見直しを要求されてしまったとの事。何でも新しい人が来て、委託料が高すぎる点を厳しく指摘されたらしい。従来の担当者からは「技術者の社長に任せていないで、ここは一番出番だよ。」とご丁寧なご指名もある。

何とか知恵を絞って適正料金である事証明しなければならない。しかし、何を以て適正とするのか、ゆっくり考えようにも悩ましすぎる。何れ遅かれ早かれ、乾いた雑巾状態から布が千切れてしまうことになるのかもしれない。ご時世とは言え秋風が身に浸むことになりそうだ。一生懸命仕事をしてくれる青年のためにも何とか無い知恵を絞りたい。考えが纏まらないので、つい仏様に頼りたくなった。いつもことだが都合での神頼み、手前勝手もいいとこだな。


2011年9月22日木曜日

物まね

中国で「AK48」と言いうユニットの発表があったらしい。何でも日本の「AKB48」コピーらしい。テレビで見る限り、歌唱力は分からないがかなりの美人揃いであることは確かだ。孫に怒られるかもしらんが「AKB48」なんか問題にならないと思う。さすがのテレビコメンテーターも「こんなことはご愛嬌で、文句をつける人もいないだろう。」と言っていた。

全く同感だ。日本でも「益田 喜頓」や「トニー 谷」はバスター・キートン、ダニー・ケイの名前を拝借して大スターにのし上がった。「AK48」も成功する事を祈ろう。

「物まね」と言うと余り感心した言葉の響きは無いが、「学び」は「真似ぶ」から来たものらしい。中国は新幹線ばかりではあるまい、あらゆる面で国を挙げて先進国を追い上げている。残念ながら(そうではないか)唯一政治体制だけは、欧米先進国を見習うわけにはいかないみたいだ。しかし、国連におけるパレスチナの国家承認問題なんかは、アメリカの意に反して堂々と承認すべきと唱えているのは偉い。

「学び」の先進国日本も、米国に追従するばかりではなく正論を述べるべきだろう。小生自慢にはならぬが、個性も独創性もない人間で、ブログに限らずよろず他人の「物まね」でこれまで過ごしてきた。今後もその癖は変わりあるまい。強いて言えば少し分別を働かせ、悪いと思ったことは真似をしないようにしたいものだ。難しいけどね。

2011年9月21日水曜日

北陸の山紀行


昨日一昨日と又山に行ってきた。今回は北陸の白山である。石川県出身の青年が日本3大霊山の一つだからと誘ってくれた。小生にとって山は全て霊山のようなものだから、3大霊山だからと言われて、特に気持ちが動いたわけではない。折角誘ってくれたのだから付き合おう、てなことで大分前に諸々の予約をしてあった。先週末の天気予報で、好天が望めないことがはっきりしていたが、同行の青年が行くと言うので同意して決行した。

結果的には登山の楽しさを満喫とはいかなかったが、悪い事ばかりでもない。この山、標高的にも位置的にも登山気分が堪能できそうな絶好のポジションに位置している。多分普段は登山客で相当な混雑をして当たり前だ。ところが今回は、混雑の全く無い貸切状態が続いた。先ず金沢から登山口までの1日1本しかないバス(季節運行で現在は土日祝日のみ)の乗客は我々二人だけ。しかもこのバス、珍しい事に車掌が乗車している。1時間半以上も掛かるので、乗務員二人と客二人、トイレ休憩を挟んで和気藹々だった。

山小屋は750人収容と大変な大きさだったが、宿泊客は7人。悪天候の登山だったので、乾燥室(精々6畳間程度のものだろう)が独占に近い状態で使用できたのが有難かった。この乾燥室、温風の吹き出しが大きくて強いうえに、早朝から運転してくれた。2日目の朝飯前に山頂往復したのだが、めちゃくちゃな荒模様で、靴を脱いで逆さに振ると下に水溜りができるほど濡れてしまった。下山の際又これを履くかと思うと気が重かったのだが、強力な乾燥室のおかげで出発の8:45までに、着るものは殆ど乾くし、靴の中も相当乾かすことが出来た。

とは言っても、お昼に登山口まで下山してきたら元の木阿弥であったのは勿論だ。帰路は同行の青年がインターネットで見つけたそうで、登山口から小松空港まで乗り合いタクシーなるものを予約しておいてくれた。これが又8人乗りのバンに乗客は二人だけ。運転手さんも気の好いオッチャンで、途中にちゃんと温泉時間45分まで見込んでくれている。場所は市ノ瀬温泉の何とか旅館だった。如何にも鄙びた温泉で、木の香漂う浴室に二人きり、頭のてっぺんからつま先まで十分に温まって、さっぱりすることが出来た。

因みに行きのバスが2千円、帰りの乗り合いタクシーは3千3百円、どちらも会社は間尺に合わなかった事だろう。帰りの飛行機が飛ばないとやばいと思ったが、これも15分遅れただけで無事帰京。10年近く飛行機に乗っていなかったので、飛行機そのものや空港の変わりようも珍しく、羽田から池袋に直行のバスがあることも初めて知った。

他にも山小屋で相部屋になった3人が面白かったというか、特筆に値する。先ずメインの男女二人、二人とも50歳にはなっていないと思うが夫婦でないのは明らか。何でも広島と熊本の人らしい。彼等は地元の山岳ガイド(60歳前後)を同行している。初日はたっぷり時間が有ったので、最初は山岳ガイドに登山に関する事を教えてもらっていた。夕食を済ませてから、客の方とも話をし始めると、このお客さんもお話が上手で世相百般に渡る。内容的には賛同しかねる人もいそうな雰囲気もあるので、具体的には書かないが兎に角面白かった。

更に不思議なのは、山に関してはそんなに経験がないのではと思われたが、どうも霊山周りをしている様子である。と言っても普通の山岳宗教の行者でもない。結局二日目の朝、我々はゆっくり起きて下山するつもりになっていたところ、4時起きになったのはこの同室になったお客のせいである。ガイドさんを急き立てて、山頂の奥宮を目指すとの事。ガイドさんも行くと言うので、我々も同行させてもらい、結局山頂を踏むことが出来た。おまけに、山頂で祝詞におつきあいしたら、この山の神様があなたの体の悪いところ「前立腺肥大」を治してあげると仰ったとの有難い仰せ。

更に、これから神事が行われるので、先に帰って食事をしてくださいとの事。しかも、ガイドさんが途中まで送って下さると言う丁寧さ。何とも不思議な体験だった。

山行きの詳細は下記をご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-135436.html

2011年9月17日土曜日

他人事ながら腹が立つ

東電の福島第1原発事故の補償金請求用紙が約6万世帯かに届けられたとの報道がでた。テレビ新聞は一斉に取り上げているが、当事者でない小生から見ても腹立たしい。配布先の約6万世帯がどのように選ばれているか知らぬが、損害を被っている世帯がそんな程度で収まる筈はない。送り付けられた書類の量を見ただけで腰を抜かす人も少なくないだろう。

何か月前かの報道で、東電では補償のためのスタッフを5000人増員して事にあたると言っていた。この5千人は今まで何をしていたのだろう?ひょっとしたら中心業務がこの書類制作だったのかもしれない。3月11日以降損害を及ぼした範囲は大凡分かっているのだから、それこそ自治体の協力を仰いで住民全員のリストの提供を求めたらどんなものだろう。個人情報が滑ったの転んだので、出来ないと言うに決まっている。

それこそ超法的な措置でも何でもしてもらって、被災した地域で3月12日に在籍した全世帯に通知して、補償したいのでご請求をお願いします。項目は概ねこれとこれとこれ、領収書など添付できる書類はこのようにして下さい。てな話にしたらA3の用紙2枚か3枚で済むだろう。その代り返信が来てからの処理は大変かもしれぬが、5千人も要員を準備していれば、既にかなり広範囲に相当の仮払いは進んでいるだろう。

保険屋の契約書類ではあるまいに、出来るだけ払いたくない下心が丸見えである。何よりもお上意識が抜けきっていない。高い給料も5%カットしただけだし退職金や年金も手付かずらしい。ここ暫く勝俣会長、清水前社長、西沢社長の姿をとんと見かけない。電事連会長は関電に代わっているので、東電のリストラ、補償は我関せずのスタンスで逃げている。嘗て電力と言えば経済界のトップに君臨していた時代もある。身は貧してもお客の事を第一に考えてこそ、リーディングカンパニーだろう。

JR北海道の社長は、業務改善策を経産省に提出準備が整ったところで自裁されたようだ。自殺を褒めるものではないが、比較するに現在の東京電力トップからは、化けの皮がはがれたと言うべきか、財界リーダーとしての誇りもなにもかも失われたと断ぜざるを得ない。

2011年9月16日金曜日

残暑

中秋の名月もとっくに過ぎているのに、残暑と言うのも悔しい程の蒸し暑い日が続いている。毎晩のように月は煌々と見えているが、東京に居ては「あの月を取ってくれろと泣く子哉 一茶」の風情も何もあったものではない。しかし天気予報を見ていると、長野県なんかは最高と最低気温の差が10℃以上になってきている。田舎では秋の気配が相当に近づいている事だろう。

今日も仕事で都心を歩いたが、まだ完全に真夏である。汗びっしょでビルに入ると、ガンガンに冷えた冷房が心地よい。今日で9月の夏日数の記録が塗り替えられることになりそうだ。そうは言っても来週の金曜日はお彼岸、「暑さ寒さもなんとやら」いま暫くの辛抱だ。日本人にとって良い事かかどうかは分からないが、季節が確実に変化する事が、ある種の我慢強さに繋がっているのではなかろうか。今月発売の「文藝春秋10月号」に英国ザ・タイムズ東京支局長『政治こそ日本最大の「災害」だ』<民度と政治家は表裏一体>として書いている。

以下引用ーーー
言論の自由が認められ、公正な選挙が行われている民主主義国家では、国民の身の丈に合った政治家しか望むことが出来ません。ですから、自分たちが選んだリーダーに対して、肩をすくめる行為は感心できません。多くの日本人は、政治を地震や津波と同じような「自然災害」だと受け止め、「ガマン」して諦めてしまっているように思えます。「ガマン」は日本人の美徳ですが、この現状は決して健全とは言えません。ーーー引用終わり

言わんとするところは分からぬでもない。小生もそうだが、つまらぬところで我慢強いところがありそうだ。



2011年9月15日木曜日

読後感「耄碌寸前」 森於菟 著

書店で偶然目にしてタイトルがユニークなので読んでみた。勿論著者については全く知らなかったが、文学者、医者、軍人として高名な森鴎外氏の長男で知る人ぞ知る人らしい。著者は1890年生まれで、父親と同じ東大医学部を卒業したお医者さんである。徴兵は免除されていたようで、台湾帝国大学に赴任している。専門が解剖学と言うから養老孟司氏と同じだ。養老氏も「バカの壁」とか面白い随筆を書いているが、森於菟さんは余り難しい事は言わない。

文章は、やはり父譲りもあるのだろうか、なかなか達者で洒脱なところもある。1967年に亡くなっているので77歳か78歳まで生きられたと思うが、亡くなる5年前頃に書かれた作品を中心に編集されている。中でも書名となっている「耄碌寸前」が秀逸である。数えで72歳(昭和36年)とあるから、正に小生の現在と同じ年齢にあたる。

「私は自分でも耄碌しかかっていることがよく分かる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらあやしいものである。」から始まりこんな文章も出てくる。「ともかく不幸中の幸いは私が凡庸な人間に生まれついたことだ。私は医学者としても大きな仕事は残さなかったし、思うところあって文学者にもならなかった。偉大な頭脳の持ち主と言われた父に較べれば如何に卑小で不肖の子であろう。だが、いたずらに己をさげすむことはすまい。」

書き出しのこの二つの文節には心を強く打たれた。著者は書き進んで更に言う「天才は夭折すべきである。61歳で世を去った父は少し早すぎたかもしれぬが、私がこれからしばし生きなければならない耄碌のカスミの中に日本のメートルと言われた父を生きさせたくない。」そして最後に締めくくる。「若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉さえ不要なのだ。」

医学を学んだ人は人間の宿命を科学的に理解するものらしい。凋落を必至とする肉体、その一部である大脳機能が衰えを見せ始めるときの事を。我が友人のお医者さんも言っていた「日野原重明先生、ありゃ少し老害でないの」似たような現象があちこちに見える今日この頃に思いが行ってしまった。


2011年9月14日水曜日

「正心誠意」VS「野次」

ブログを書くことをあまり快く思わない婆さんが、昨日珍しく書けと言った。
理由は、総理の所信表明演説に対する議場のヤジが酷すぎるとの事だ。小生も聞いたが通しはネットの国会チャンネルであり、部分的にはNHKのニュースだからヤジは全く聞こえない。最近のマイクの性能、指向性が良いからだろう。
夜のニュースで一瞬、自民党元幹事長武部勤氏が何か叫んでいる様子が出たが、音声はオフになっていた。民放ではヤジも結構拾っていたらしい。議場に居ると演説が聞き取れないとはいつも言われている事なので、想像するに結構な騒ぎであったのだろう。

婆さん曰く「朝青竜や草彅剛と言ったスポーツ選手や芸能人に品位や品格なんか求めなくてもいいから、せめて政治家にはそれを求めてほしい。国会と言う極めて神聖であるべき場が学級崩壊状態では子供教育上まずい。他人の話を先ずよく聞いて、然る後に反論があれば、発言を求めて堂々とすればいい。と平素先生方は子供たちに言って聞かせている筈だ。」ま、仰る通りだろう。

「でも、ヤジを飛ばしている先生方は発言の機会が与えられないので、悔しいけれど仕方なく、存在を証明するために精一杯叫んでいるのじゃないかな。」反論すると「ならば、テレビ局はもっと彼らのヤジを拾って放送してやればいい。若手ならいざ知らず、ベテランとされる彼らの家族や支持者がその姿を見てどう思うかだ。」確かにこれも一理ありそうだ。何と言っても500人近い議員様がいる衆議院の事である。1年中開会していても審議なんてほんの僅かな時間しかなく、全ての立法に関われる議員なんて一人もいないだろう。

特に野党なんて役所からもまともに相手にされず、フラストレーションを溜め込んでいるだけかもしれない。婆さんに言わせると、野党の存在意義は嘗ての長妻さんのように、特定のテーマ(たとえば消えた年金とか)を掘り下げ、問題を政府に突き付ける努力をすべきだそうだ。そうかもしれない。野党は口を揃えて言っている。役人の書いた作文を読むだけの演説だったので、野田さんが何をしたいのかよく分からない。メディアの論調も概ね同じだが、彼らの理解力を疑いたくなる。

小生は総理のしたいことは非常によく分かった。しかし、不満と言うか注文はある。原発に関する事である。事故から半年、2000人もの人が連日汗水流している事は分かったが、原発そのものの現状は一体どうなっているのか。一時毎日のようにテレビに流れた1号機から4号機までの原子炉建屋内の想像図、メルトダウンしたと想像されている核燃料棒についてどこまで解明されているのか。炉内の冷却ははどこまで進んでいるのか。少なくともその程度の事は言ってほしかった。

更に大事なことが抜けている。福島の復旧復興無くして云々は分かった。したい気持ちも十分分かる。しかし、したくとも出来そうにない事にも言及せよだ。科学的知見に基づけば、この事故の影響で、少なくとも4半世紀程度は立ち入り禁止にせざるを得ない「死の町」が出現するのは避けられないだろう。これをチェルノブイリと比較してどう考えるのか。宮城や岩手にも地震津波の影響で土地そのものが消失した場所があるかもしれない。これも同様である。

これは、昭和20年8月に満州、朝鮮、台湾、南洋諸島、樺太等に移住していた人達と同じで、突然帰る場所を失い途方に暮れた人たちと同じことだ。こういった人がどのくらいのオーダーで出現するのか。復員局を設置するほどの数ではないにしてもゼロではあるはずがない。総理の明るく前向きに進みたい気持ちは分かるが、万事がハッピーに行くわけもないし、無い物ねだりをしても始まらない。最悪の条件に置かれる人の出現も想定して、対策を講ずる所信を述べてほしかった。