2018年4月4日水曜日

情報公開

このところ政府の公文書の改竄や隠ぺい問題が世間を騒がしている。これまで深く考えたことも無かったし、子供の頃から夏休みの日記をまとめて向かいのお姉さんに書いてもらっていたくらいだから今さら偉そうなことを言えた義理でもない。私的な記録はべつであるが、この年になると公的記録は大事なものと感じざるを得ない。公私の別はなにか。仕事上の記録は全て公的と言えるだろう。我が家は文書管理がかなり乱雑で、通信簿や手紙類は殆ど残さない主義だったが、家の権利書と近隣との境界確定確認書類だけはしっかり残されていた。

市井の民はこの程度でいいだろうが、民から税金(年金などの社会保険料も同じ)を徴収する側は連続性が大事なので、記録を大事にしてもらいたいものだ。昨年10月、12月と年金支給額が急減したので、正月に区役所にクレームをつけたばかりだ。こんなチマチマした話は措くとして、政府が公文書を改竄したり隠蔽するのは罪が重い。野党が民主主義の根幹を揺るがすと言うのも大げさではあるまい。歴史上、記録が不都合だからとて焼却したりして失くしてしまった政権は内外共に多々ある。

極端に言えば、権力を勝ち取った者の最初の仕事は前政権の不都合な文書を亡きものにすることにあったのかもしれぬ。気持ちは分からないではないが独裁国家でなければ不可能だろう。勿論日本は三権分立の立派な民主国家で、官僚が国民の中で最も優秀な人材が当たり、多少問題ある政治家がトップに座っても記録の改竄などはさせないだろうと信じられてきた。ところがギッチョン、その官僚たちが次から次へと改竄、隠蔽を図っていることが発覚しているのだ。

それも大分昔の文書ではなく、現政権期間中のことである。更に困ったことに法律家によると、これらの行為は犯罪にはならないらしい。試験の答案を書き換えたことがばれれば生徒は一巻の終わりになるが、役所の公文書を作成した本人が書き換えたとしても、それを罰する法律を見つけるのが困難だと言うのだ。確かに試験の答案でないのは分かるが、理解しにくいなぁ。。政権交代でもないのに公文書を書き換えるなんてことを思いつく者は、これまでにいなかったということらしい。

情報公開請求で開示された文書が墨塗りばかりも似たようなことで、何となく政権は嘘を言いたい放題らしい。その政権を信用するかどうかは民が選挙によって示すしかないとのこと。日本の政治システムがこんないい加減だとは知らなかった。あまり利口そうに見えない安倍総理が、そこをうまくついて長期政権を維持しているのだから馬鹿にできないかもしれぬ。

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