2017年10月31日火曜日

反対意見

早いもので、このサイトでブログを書き始めたのが2009年4月、その前のmixiに書き始めたのが2005年10月なので、ここからカウントすると10年以上の月日が経ってしまった。こちらのサイトに移動した際に総合タイトルを付ける必要があったので考えた結果、ご案内のように「一人」を強調することにした。初めから独断と偏見による日記のようなものであることは自覚していたわけである。

とは言いながらも読者が多いことを願っていたのも事実。従ってアクセス数だけは毎日チェックしているし、友人知人に自ら宣伝もしている。子供や孫を含め親戚にも宣伝に努めてきたが、こちらはあまり効果が上がらず、兄弟と従弟妹の数名しか読んでくれていない。それでも最近は、1日のアクセスがやっと100件を超えるようになった。友人知人は勿論のこと、家族や親せきでさえ思想信条の異なる者は大勢いる。

そんな読者が何度も繰り返し年寄りの寝言の様なここを覗いて下さるのは有難いことだ。読者が100名以上いると言うことは、我が読者はご自身の思想信条は抜きにしても他人の意見も聞く、寛容な人に違いない。本当はリアクションも欲しいのだが、それは欲張りと言うものだろう。たまにコメントが入っているが、ハンドルネームであっても大部分が友人で、殆どが激励の趣旨になっている。それはそれで有難いが、先週土曜日の「パニック」について珍しく反対意見のコメントを頂いた。まだ読まれていない方は是非<コメント>をクリックしてご参照願いたい。

投稿者は匿名なので友人知人であるかは分からない。そうでなくともこのブログを以前から愛読されていた方だと思う。これは激励コメント以上に有難く感謝すべきだと思う。多くの読者を得たいなら反対意見が起こらないような文章を書いていたのでは始まらない。読者を増やしたいだけなら他人のブログに足跡をたくさん残すとか、極論を書くとか方法はいろいろあるらしい。しかしそこまでトライするほどの気力は無い。

兎も角反対意見があればこそ、こちらの理論もより論理的、科学的に磨きをかける必要が生ずる。それが出来るかどうかは別問題だが、ネット上で反対意見は出来るだけ見るようにしているつもりだ。今後は同じ独断と偏見であっても、より説得力あるものにしたいものだ。

2017年10月30日月曜日

中学校同窓会

土曜日の夕方、故郷の長野で卒業後初めての中学の同期会があったので出席した。卒業時は4クラスで、多分180人程度だったのではと思うが出席者は50名、男性がやや多かったようだ。半分弱は顔を見て誰か分かるし名前も思い出せるが、半分強は全く分からなかったり、顔を何とか思い出せても名前は分からない。或いは名乗られても、往時を全く思い出せなかったりした。

宴会が始まると自己紹介があったりしたので往時を段々と思い出して、とても懐かしく楽しい会だった。卒業時は15歳だから60年振り以上の人もいたわけだ。それにしても、中学生時代は似たように思っていた人生なるものがかくも個性的に分かれ、長ずるに及んで染みついた思想なんかも様々に分化したことを痛感した。我が母校は信州大学の付属中学校で、当時は知るはずも無かったが、他の市立中学校に比べると、やや先進的な教育が行われたらしいことが分かった。

当時は戦後の社会が未だ安定せず、親の都合で転校してきた者や転校して出て行った者が沢山いた。そんな人たちからそれに類する話を大分興味深く聞いた。その中の一人、中学3年生になる時東京に転校して文京区立中学に転校して両国工高から東大に進学した同級生の話「付属の教育は確かに進んでいた。」と証言していた。ここから、信州は昔から学問は重視する傾向があり、江戸末期には秀才を随分輩出している。ただ残念なのは総理になる程の政治家が未だに出ていないことに話が及ぶ。 

そんな話を横で聞いていた友人が「羽田孜がいるではないか。」と半畳を入れてきた。すると別の友人が「彼は勘定に入れられないだろう。」これで回りの友人たちがどっと笑って「やっぱり政治家の大物はいない」が結論になってしまった。何れにせよ、僅か50人と言ってもいろいろな人がいる。勉強ができた奴もいればそうでないのもいるが、今となればそれが全くと言っていいくらい現在の境遇に関係ないことだけは明らかだ。

60歳過ぎた老人の集まりは病気自と慢孫自慢に花が咲くと言われるが、77歳ともなるとそれは通り越して、男子の間では自分の終末への関心が高いことが会話から伺えるのも面白い。比較して女子は明るい。同い年なので伴侶に先立たれた人もかなりいたように記憶するが、そんな人は特に元気だった。中にお医者さんになった女性がいて「男性は奥さんに先立たれると哀れねぇ。」と話していたのが妙に説得力があった。

2017年10月28日土曜日

パニック

今日は夕方から長野で中学校の同窓会があるので昼前から出かける予定。ブログも休もうかと思ったが、メール確認でパソコンを立ち上げたので序にひと言書いておく。

今朝の朝日新聞によると「野党の衆院質問時間、削減検討 政府・自民、配分で」と社会面に見出しが躍っている。昨日安倍さんが、首相官邸で萩生田氏に「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と指示したという。総理の発言はこれまでの議会運営の慣例を破り、議会を無視する暴言ともいえる。

総理は選挙結果を受けても、野党の「もりかけ追及」から逃れられない恐怖感に殆どパニック状態に陥っているに違いない。気持ちが分からないでもないが、であればさっさと辞めれば済むではないか。健康を考えるべきだが、彼はこれ以上何を望むのだろうか?不思議なお人だ。


以下は「日刊IWJガイドウィークエンド版」からの丸々引用。
<「選挙に勝った途端に手の平返しか!『謙虚に』『丁寧に』とは真逆、『傲慢』で『ぞんざい』な政権運営! 特別国会は実質3日のみ、臨時国会は召集しない方針~安倍総理には、トランプとゴルフする暇はあっても、まともに国会審議をする時間はないというのか!?>

先ほどテレビで今度の選挙結果から政党別比例投票の獲得数を教えてもらった。
自民党は1800万強だそうだから、有権者総数の2割にも満たないらしい。これからは焦れば焦るほどに無理が祟るに違いない。

2017年10月27日金曜日

「国難」とお言葉

皇后様が今月20日の誕生日に際し、宮内記者会からの質問に答えるたちで文書を公表されている。その中で『この1年を振り返るなかで、先日発表されたノーベル賞に「日本も関わる二つの賞の発表がありました」と前置いたうえで、日系イギリス人のカズオ・イシグロの文学賞受賞と並び、平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことに言及。そして、この受賞を「大きな意義があった」』と評価して次のように綴られている。

『平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し、日本の立場は複雑ですが、本当に長いながい年月にわたる広島、長崎の被爆者たちの努力により、核兵器の非人道性、ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして、それと共に、日本の被爆者の心が、決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく、常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに、世界の目が注がれることを願っています。』

これを人によっては皇室に許されない政治的発言、即ち「国連核兵器禁止条約の交渉すらボイコットし、批准拒否という強硬姿勢を貫き、ICANの平和賞受賞には一言もコメントを出さない現政権への抵抗。」と非難するかもしれぬが、もっと素直に読み取るべきだ。解散総選挙が終わり、全国民が心機一転、一致協力して国難に向かう心構えが整ったとはとても言えない。小泉進次郎氏が率いる自民党の大勝利を喜んでいる人もそうでない人も戦争を望む人はいない筈。

戦争をするもしないも決めるのは政治家の仕事、政治の舞台は芸能人が活躍する場とは違う。確かに小生の理解では、皇后様の言葉には政治的意味がある。天皇陛下のご発言にも政治的意味が含まれることがしばしばあるのも事実。しかし「人間天皇が斯様な発言をしてはいけない」とは憲法で定められてもいない。また敗戦時の「国難」に際し、国を救ったのは昭和天皇の「お言葉」だったと教えられて育ってきた。

政治家のまともな言葉を聞きたいものだ。

2017年10月26日木曜日

安倍さん正気かな?

今週明らかになった総選挙の結果<自公与党の圧勝>にはがっかりした人も少なくなかったと思う。

しかし選挙前に書いたが、我が友人が言っていたように「大勝させた方が善かった」かもしれない。彼の予想では「その方が緩みが早く出て、一強の破たんが早まる」とのことだった。案の定、一昨日選挙後初めての閣議後の各大臣記者会見では7人か8人の大臣が「選挙結果を謙虚に受け止める」ような発言をしたにも拘らず、就任時から「役人書いた原稿を読ませて頂く」と発言していた江崎沖縄北方相が、役人の原稿には無い筈だが「なんとか友問題?そんなこと選挙が忙しくて憶えていません。」と発言してくれた。

あの小泉進次郎氏でさえ「もりかけ問題は総理にきちんと説明してもらうしかない。」と言っているのに。しかも今日は、森友学園に対する土地払い下げに関する会計検査院検査結果が漏れ出てきている。内容は「8億円以上不当に値引きされている」とのことだ。政権側は証拠を全部破棄したのだから、今さら検査院の結果が出ても事実認定は不可能と高を括ってるかもしれない。もっとも事実認定されたら、安倍晋三記念小学院建設に嫁が関わっていた事実は消せないから、議員辞職しなければならないだろう。

そんなことは起こりえないだろうが、総理の神経には相当なプレッシャーが掛かっているに違いあるまい。そんな総理の心中を知ってか知らずか、昨日は自公大勝を受けて、憲法改正を掲げる運動団体「日本会議」が主導する集会が都内で開催されたようだ。流石に来賓として出席した議員は、自民党9人と維新1人と少ないが、日本会議側も、選挙結果を謙虚に受け止めてなんかいられないと少し慌てているようだ。小池百合子の賞味期限も切れた今、誰がどう見ても9条の改憲なんかできる筈が無くなった。

安倍総理にとってもっと頭の痛い問題は、来月早々のトランプ大統領訪日(公賓ですらない実務者訪問賓客)だろう。トランプ氏側からすれば当然のことながら「日米軍事同盟の強化と関税・非関税障壁の打破」であることは明白。戦争になったら一緒に戦うことを念押されることになる。アメリカは戦場になりにくいが戦場となるのは日本と韓国、その韓国は少し抵抗が強いので1日でお茶を濁し、選挙をしても野党を駆逐しきれなかった日本へのグリップをさらに強めるため3日も滞在するようだ。

元首でありながら国賓待遇も受けられない立場を気にするような御仁ではなさそうなのが救いだ。せめてゴルフでもしてもらうしかないだろう。

2017年10月25日水曜日

ハイキング

昨日は7月の山歩きで知り合った松戸在住の青年(?)に案内してもらい、日光の鬼怒川沿いのハイキングを楽しんできた。東武日光線から枝分かれして会津に向かう野岩鉄道会津鬼怒川線に竜王駅がある。ここから鬼怒川沿いに2駅の間、約5キロ先の川治湯元駅までの遊歩道ハイクだ。平日で紅葉には少し早かったこともあり、スタート地点に中国人らしき少人数の団体がいたりしただけで、同じ電車から降りた観光客は殆どいなかった。

台風一過でもあり、また新たな台風の発生とか水曜日も雨の予報が出ていたが、幸い終日天気には恵まれた。コースを歩き始めると龍王峡の宿泊客らしき団体さん何組かと遭遇して道を譲ったりしながら、ゆっくりと川辺に達すると橋が架かっていて、その上に立つと目を見張るような景観があった。昨日までの雨の影響だろうが、両岸に山が迫り水量が豊富で河原が全く無い。怒涛の流れで、正に竜王の名に相応しい景観がずっと上流まで続いていた。

団体さんはこの景観に満足されて旅館に引き返すのだろう。我々二人は上流を目指して歩き始める。20分も歩くと汗ばみ始めたので、上着を脱いだりして薄着となって約2時間、たっぷり汗もかいたところで川治湯元温泉対岸の<あじさい公園>で持参のお弁当タイム。案内役の青年が持参の携帯コンロでお湯を沸かしコーヒーを淹れてくれた。染まり始めた紅葉と川の流れ、我々二人以外に人影無し、至福の時だ。

この後「黄金橋」(羨ましい名前のことよ)を渡って川治湯元温泉郷で入浴してビールを飲みながら一休み。我々は好いが、人影が少なすぎて温泉郷がゴーストタウン化しているのが気になった。何も栃木県ばかりではあるまい、長野県とて同じことだろう。

 




2017年10月23日月曜日

今後の見どころ

先週は水曜日に一瞬晴れ間があっただけでほぼ1週間薄暗い日が続いた。今日はやっと台風一過久しぶりに青空とお天道様が顔を出してくれた。何となく晴れ晴れした気分である。こちら以上に晴れ晴れしているのは永田町に陣取る自民党の面々、安倍さん以下幹部の高笑いが聞こえてくるようだ。政治解説で稼ぎまくった田崎何とか氏や自分は右寄りと思っている大勢の人も益々意気軒高のことと、お祝いでも言わなければいけないか。

昨日の投票率は53.6%で戦後下から2番目の低投票率とのこと。天気も安倍さんに味方したようだ。これから政治がどう動くか分からないが、ほんの数か月前に作られた「仕事人内閣」が何もしないで解任され、新しい「○○内閣」が誕生することだけは間違いなさそうだ。与党議席が3分の2以上はご同慶の至りだが、新内閣の支持率がどう動いていくかが見ものだろう。

見もので言えば、希望の党も惨敗とはいえ小池都知事は党首を辞めないそうだし、党本部の場所やら組織がどのように形成されるか、それとは別に当選者の中から都議選で小池氏を熱烈応援しながら「小池百合子に絶望して離党した」音喜多駿都議のような造反議員が出るのは間違いなさそうだ。立憲民主党も思いの外の党勢拡大だから、執行部体制の見直しがあるかもしれない。立憲民主党躍進の陰で泣いた共産党には同情を禁じ得ない。

選対本部長の小池亮氏が「立憲民主が頑張ってくれたので良いんだ。」と語ったことを「見上げたものだ。」とある場所で褒めたら、「それは単なる負け惜しみじゃないですか。」混ぜかえされた。マスコミは盛んに改憲が可能になると騒ぐが、それほど国民も馬鹿ではあるまい。幾ら戦争を知らない世代になったと言っても、戦争を仕掛けられてもいないのに他国の戦争にノコノコ出ていきたがる国民が有権者の半分以上いるとは思えない。

何れにせよ、立憲民主党枝野氏が唱えたように「現代社会は右とか左ではなくて、上からか草の根の下からかの目線が大事」は的を射たものだと思う。

2017年10月22日日曜日

総選挙

今日は総選挙の投票日、午前中ジムの行き帰りに投票所を見ると、大雨の影響
だろうが出足は必ずしも良くないように見受けられる。代わりに昨日の午後訪れた期日前投票所は行列で20分も待たされた。結果はどうなるか分からないが、少しでも大勢の人が投票するのが望ましいのだろう。

しかし投票しない人の気持ちも分からないではない。昔を思い出すと、40歳過ぎる頃まで政治になんか何の興味もなかった。22歳から47歳まで小さな広告会社の営業だった頃のことだ。仕事の成果と給料が密接な関係があるとは承知していたが、仕事の成果は世の中の好不況とは無関係といつも思っていた。
と言うのはこの間25年、実際に好不況はあったのだろうが、聞こえてくるのは何時も「来年も景気が悪い」のひと言。要するに業界の中小企業は常に大企業から圧迫されて好況なんか無いのだ。

まして政治が仕事に影響を及ぼすなんてことは考えてもみなかった。当時であれば、この大雨のなか何が悲しくて投票なんかしなきゃならんのだ。悔しかったら日当でも払ってみろ、そしたら行ってやらぬでもない。程度のことだったに違いない。事実、偉い人からの依頼で、公明党議員に投票したことが何回かある。公明党は今でも大嫌いだが、当時も宗教のいかがわしさが紛々だったので気が進まなかった記憶がある。

あれから30年以上、思えばだいぶ大人になった気がしないではないが、今の若者はどうなんだろう?少なくとも30年前の小生よりは遥かに賢くなっている筈だ。

2017年10月20日金曜日

二所ノ関親方

昨日も首都圏は冬の寒さだったが、思わぬニュースが飛び込んできた。元大関若嶋津が自転車で転倒して頭を打ち重体とのこと。未だ60歳、部屋では毎日若いものを指導し、協会では審判部長のバリバリの現役、普段から健康に気を使い体調も万全だったようだ。ただ毎日稽古の後に近くのサウナに自転車で通うのが日課で、昨日もその帰り道での事故だったらしい。通行人に発見されて救急搬送され、脳外科で5時間超の手術の結果、一先ず安定した状態とのこと。取り敢えず一命は取り止めたのは幸いだった。

自転車事故で思い出すのは前自民党幹事長の谷垣禎一氏。幹事長現役だった昨年の7月に趣味のサイクリング中に転倒し、頸髄損傷により入院して治療リハビリに励んでいると報じられていたが、結局今回の選挙に出馬せず、政界からの引退が決まってしまった。氏は1945年生まれだから二所ノ関親方より15歳年上ではあるが、やはり相当元気だった筈だ。そうでなければ、普段何するにもSP警官に囲まれ、黒塗りの車に乗っている人が態々ロードバイク何ぞ乗り回す筈があるまい。

何れにせよお二人とも普段から健康には十分注意し、自分のコンディションを常に確認していればこそ自信もあったろうし、当日はいつも通りの行動だったのではと推察する。周りの人誰もが、普段からお二人の姿勢の良さを羨んでいたと思う。部外者の小生にさえ、お二人は健康そうに見えていた。ところが思わざる報道に接して、改めて人体の経年劣化を思わざるを得ない。

普段から書いているように最近は健康オタクで毎日ひたすら歩いている。もっと若い時から訓練している親方にさえ、こんなことが起きるのだ。俄仕立てのオタク風情がどんなに頑張ってもたかが知れている。我が肉体、特に神経系統は自衛隊の航空機並みに金属疲労が進行している可能性が高い。歩き慣れた階段で躓いて手をつくことが増えてきた。平地でも躓くことはある。

平地や階段の上りで済んでいるうちはいいが、下りで転倒したらどうなるかを想像しないわけではない。しかしどうしても手すりに掴まりたくないのが、困りものだ。「転ばぬ先の杖」が大事な教えであることは知っているが、そろそろ自分の問題だ。

2017年10月19日木曜日

最後の課題

東京の気候は季節外れの冷え込みだが、世の中の景気は大変良いようだ。特にアメリカの景気が良いらしい。まさか2月の日米首脳会談の際に安倍首相が持参したとされる「日米成長雇用イニシアティブ」(アメリカに約50兆円の市場を生み出し、70万人規模の雇用を創出するために協力することを約束したとされている。)が効いていると思いたくないが、このことは外務省のホームページでも何故か非常に解りにくい表現になっている。兎に角株式市場は空前の景気に沸いているとのこと。
 
ヨーロッパについては一般向けのニュースが少ないのでよく分からないが、一時危機的とさえ言われた中国でさえ、厚化粧で何かを隠しているかどうか知らぬがGDPも順調に拡大しているし、交通網の発達とか海外旅行熱報道からすると何となく景気が良さそうな風情だ。少なくともアジア諸国からはあまり不景気な話は聞こえてこない。我が日本も11月号の月刊「文藝春秋」に滝田洋一氏と言う人が<バブル再来で物価は上がり始める>と言う記事を書いている。どんな人かは知らぬが記事を読ませて頂く限り、東京の六本木や大阪ミナミ辺りでは1990年のバブル期を髣髴する現象が随分窺えるとのこと。併せてアベノミクス達成も間近と臭わせている。安倍総理や黒田日銀総裁は嬉しい限りだろうが、個人的実感が湧かない記事なので、季節の寒さが先に立ってしまうのが情けない。

話が飛ぶが、昨夜同世代の友人に美味しい食事をご馳走になりながら、いろいろ有益な話を聞くことができた。曰く「今度の選挙で自公が勝つのは仕方がない。それも大勝すれば良いと思っている。すれば必ず益々図に乗るだろう。国民の真の判断はそれからの話だ。」「今度の選挙で野党側にはいろいろ事件が起きたが、物事がはっきりしたことは良いことだ。今の日本に革新なんて存在しない、ある意味では全員保守ではないか。枝野氏なんか市民運動をしていた時代からよく知っているが、彼なんかまるきり保守派とされていたのだよ。」

「枝野氏も頑張っているとは思うが、菅直人氏と赤松氏には説得して引退させるべきだったね。」「筋が通っているし、かなり保守的ながら人気がイマイチの共産党は党名を変更すべきだ。」「世の中が変わるには何と言っても時間が必要、後10年か15年長生きしようよ。」もともと考えが似ているので、いつも飲みながら楽しく談論できる。しかし昨日は最後の1節<後10年か15年>が大きな課題となった。

2017年10月18日水曜日

我が家の周辺

久しぶりに朝から陽の光が差し込み生き返る心地がした。人間には雨も大切であるのは分かるが、3日以上降り込められとやり切れない気持ちになってしまう。明日からまた雨の予想なので今日の陽射しは有効に使うにしくはない。と言っても変わり映えの無い道の散歩ぐらいしか思い浮かばないが、外気に触れるだけでも有難い。

変わり映え無いと書いたが、思えば近所の風景も随分変わった。50年も経てば変わらない方がおかしいだろうが、東京の風景、日本の風景、人間の住み方は随分変わるものだ。家並みだけではなく、生活様式がいつの間にか大変化している。父母の生涯もこんなに大変化があったのだろうか?これからの世代は世の流れをどう見ることになるのだろうか?なんて変なことを思ったりしたが、そんなこと分かるはずが無い。

己の生きてきた環境の変化をありのままに受け止めるしかない。ただ言えるのは総体的に一貫して良くなり続けたように思う。77歳になってしまったが、更に生き延びると、いつの間にかピークを通り過ぎて「昔が良かった」なんて思いかねないことが少し気になりだした。かと言って生きる環境は我が手に負えることには非ずだ。願わくばこれ以上日本に大きな変化が起きないでほしいが、そんなにうまくいくはずは無いだろう。

2017年10月17日火曜日

若年層の考え

たまたま35歳前後の若い独身男性と話す機会があったのでいろいろ聞いてみた。大卒でありながら非正規雇用で働く現代ではあまり珍しくない人。趣味はピアノ、小さい頃から習っていたようだ。そう多くはない給料のようだが、今でも月に2回は先生について練習をしているし、経済的には多少無理してピアノを置けるワンルームマンションを借りている。他には最近ゴルフを始めて、月1度くらいは友人と田舎の安いコースを探して行っているらしい。

酒や煙草はやらないので、こちらとはだいぶ違うキャラの真面目な青年だ。テレビ番組への興味も大して無さそうだし、新聞や雑誌、更には小説などの活字には縁遠い様だが、ネットをよく見ているのだろう、世間に疎いということは無い。ひょっとするとこちらより情報量は多いかもしれぬ。自分で株を売り買いしているとは言わなかったが、株価についてまで詳しい。今でこそ朝晩テレビで株価がどうのこうの聞かされるので何となく動向がインプットされてしまうが、こちらは若い頃に株価なんて全く興味が無かったし、知りもしなかった。

自分の若い時代を思い出すと自慢にならぬことが多すぎるし、今でも標準的老人とは言えぬだろう。彼が標準的な青年であるかどうかも分からないが、実在の一人であるのも確かだ。彼の政治に対する考えも興味深い。先ず政治に対する関心は高くなさそうだ。余り突っ込んで聞いていないが、自民党を支持しているようだ。若い層が与党支持と巷で言われている通りだ。安倍首相に対する嫌悪感(特に好きとか嫌いは聞いていない)より、野党のだらし無さのインパクトが先に来てしまうらしい。

曰く「野党は野合を繰り返しながら安倍批判の一点張りだが、安倍を倒した後に何が来るのですか。仮に政権を取れたにしても何もできないでしょう。どう転ぼうと世の中は大して変わらないと思いますよ。」ここまで来た時、横にいた50歳で独身の友人が助け舟を出した。「更に野党には外交ができる奴がいないから余計始末が悪いや。」この二人が若年層の平均的思考かどうか分からないが、当たらずとも遠くは無さそうでもある。「なるほどね」と半分解ったような気持でもある。

「外交は誰が政権を取ろうと不可逆のもの、新政権の政治家は今後について基本的な方向性を示すことが役割になる。外交の現場、実態は一般人には窺い知れないが、政治家より圧倒的に官僚が仕切るので、新政権に誰が来ようと外交が出来ないなんて心配は無用。」と言おうかと思ったが、官僚と政治家の役割を言い出すと難しい。結局黙って聞くだけにした。

2017年10月16日月曜日

イライラが募るばかり

久しぶりにブログを2日続けて休んでしまった。特に昨日は終日パソコンに触らずに過ごしてしまった。すごく面白い本が見つかったとか、他にやることがあったわけではない。どうしても選挙のことが頭から離れないので、書けば政権批判めいたことになりそうなので、自分でもうんざりしてしまったのが正直なところ。選挙を興味本位で見ているつもりはないが、自らのこととして受け止めているか、と聞かれると「イエス」とは答えられない。

ならば、昔観ていた東映や日活のやくざ映画の鑑賞と違わない。我が身は全く異次元にありながら贔屓の役者を応援するだけではないか。仮に悪役を応援しても彼が勝つことにはならぬだろう。第一映画は虚像、役者の実像なんて観客が知るはずも無い。政治家や政治の世界の実態をどれだけ知っているのか?日本のことでさえそうだから、外国事情について云々するなんてもっと虚しいことだ。いい歳なんだから頭を冷やそう、と思った意味もある。

それで冷静になれば良いのだが、結局ただボーと過ごしてしまった。しかも丸2日近くパソコンに触らなかったために、高校同期の友人からの大事なメールを長時間ほったらかしてしまった。またイライラが募り、世の中はなかなか思うようには進まないものだ。選挙に関するマスコミ報道には言いたいことが山ほどあるが、日本人の常識を信じて暫くは見守りたい。畏れ多いが天皇陛下の心境だ。

2017年10月13日金曜日

読後感「クラウド・テロリスト」ブライアン ・フリーマントル著 松本剛史訳

上下2巻:フリーマントルのスパイ小説を読むのは久しぶり。また幾ら面白かったからとしてもこの手の小説について読後感を書くことも珍しい。理由は著者に敬意を表したかったからである。著者は4歳年上なので80歳は優に超えているはず。老いたスパイの活躍を書けば天下一品で、経歴はジャーナリスト出身と記されるが、その実英国の諜報関係者だったのではと疑いたくなる。

改めてwikiで調べると案の定ソ連時代は入国を拒否されていて、ソ連崩壊後初めてロシアへ入国できるようになったとのこと。今回もスパイ小説に違いないがこれまで読んだ作品とは趣が大分異なり、主役は英国MI6勤務の若い女性と米国NSCの若い男性。共にアナリストとかITのスペシャリストで、これまでのスパイとは一味も二味も違う。

スパイと言えば単身身元を偽って敵地に潜入がお決まりにのパターン。これも相当にイメージが異なり、敵国が存在しない。悪役は国際的テロ組織のアルカイダで欧米各国が協力してこの組織と対立する図式となっている。共に英語国家だが、中東系のテロ組織との対立には中東からアフリカにかけての言語に堪能でなければ困る。そこで英国から米国に主人公の語学のスペシャリスト(父は中東とアフリカ歴任の外交官で母はヨルダン人)が国際協力として出向することになる。

英国MI6と米国NSCの諜報機関同士の協力が描かれる訳だが、先ずはそれぞれ国内で組織間の縄張り争い、功名争いと失敗のなすりつけ合いがある。その上での国家間の協力になるが、これが如何に難しいかがこの小説の一つのテーマ。特に米国の諜報機関は数が多いので有名だが、諜報機関の前には国務省と通じる各国大使館があり、情報取り扱いの差し手争いのようなことが相当にややこしい。当然ながら小説でさえその齟齬の恐ろしさを指摘している。

ここが、現実に政権によって国際協調が強調される日本国民として非常に興味深い。トップ同士が握手をした程度で、デリケートな諜報とまではいかなくても軍事的な協力関係なんかとても円滑にいかぬだろう。日本にも諜報活動をする風情の機関は各国に配置されている大使館の他に国内にも公安調査庁、内閣情報調査室とか、2014年には米国に倣って国家安全保障局会議(日本版NSC)なんてものが設置されている。それぞれの組織内に朝鮮語や中国語のスペシャリストが何人いて、それが英語国家のアメリカとどのように協力し合っているか心配になってきた。

もう一つのテーマは、実は翻訳の書名にも関係するが、インターネットと暗号に関する記述の豊富さである。77歳の年の割には知っている方だろうと己惚れていたが、反省しきりだ。著者は既に80歳を過ぎているにも拘らず豊富な知識には完全に脱帽せざるを得ない。つい先日も韓国の国防省が「対北朝鮮作戦計画」を数年前からハッキングされていたことを公表したばかりだ。

関連してこれも最近であるが、隣国の中国に於けるインターネット環境に関する知識が皆無であることを思い知らされた。インターネットにも国境が無い。経産大臣がNTT広報部長歴任の日本だが、彼が高度なIT技術を持ち合わせる筈はない。この小説にも原子力発電所へのアタックが描かれるが、日本のサイバーセキュリティ―に関して思いを深めた意味で、並みの小説以上に収穫があった。

2017年10月12日木曜日

嘆き節<総選挙結果予想>

今朝新聞各紙が総選挙結果予想を一斉に発表した。それによると各紙とも似たようなことで、自民党は公示前議席を上回る可能性まであり、安倍氏の思惑通り自公政権の安定は揺るぎが無いだろうとのこと。今朝テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が「日本人て何だったのでしょうね。」と慨嘆しているのを小耳に挟んだ。どうも選挙前の世論調査で内閣支持率がが不支持率を下回ったり、安倍総理の信用できないとする比率が70%を超えていたことを思い出して怒っていたようだ。

気持ちはよく理解できる。それにしても「嘘も百回つき通せば真実になる」とはよく言ったものだ。公示前から党首討論や総理の演説を聞いていると毎度同じことを言い続けている。先の格言を信じて実行しているのだろうが、大成功と喜んでいることだろう。

今日の朝日新聞社説は見出しが「衆院選 安倍首相 説明になっていない」と掲げ、安倍政権の5年が問われる衆院選である。として以下のように言っている。『「一番大切なのは私が指示したかどうか」「国会審議のなかで私から指示や依頼を受けたと言った方は1人もいない」という。首相自身の指示がなければ問題ないと言いたいのだろう。 だが、それでは説明になっていない。』

要するに総選挙の大事な争点でありながら、総理の強弁ばかりがマスコミを通して国民に伝わり、肝心なことは何一つ説明もされず、事実関係の詳細は全く明らかになっていないと主張。『首相が国民に繰り返し約束した「丁寧な説明」はまだない。首相はどのように説明責任を果たすのか。それは、選挙戦の大きな争点である。』と結んでいる。これも正論だろうが、新聞の社説なんて読む人間は千人に一人もいないらしい。

小生もその他大勢の一人だが、今日は悔しいので偶々引用したまでのことだ。未だ投票用紙が配布されていないので、若干の変動はあるだろうが、野党勢力がものの見事に分断されたので、結果は似たようなことになるのだろう。安倍氏が「民意を得た」と自慢げに語る姿を想像するだけでも口惜しいことだ。しかし、どんなに悔しがろうと、まだ当分は安倍氏の暴走が止まらないだろうが、民意がそうであるなら仕方あるまい。

2017年10月11日水曜日

報道の使命

選挙戦が始まったせいだと思うが、最近どうも景気がいいような報道が相次いでいる。日銀支店長会議での景気判断は全国的に景気向上中とか、政府は5年連続の好景気継続中と発表をして経団連もその通りだと言っている。又それを裏付けるかのように株価も連日高騰を続けている。正にご同慶の至りと言うしかない。そこで安倍総裁以下与党候補者が力説強調するのは、野党が政権を持っていた時代に東北大震災が発生し、当時の民社党政権はなす術を知らず手をこまねいていたので、経済がガタガタになった。それを自公政権が立て直して今日に至った功績である。

曰く「民社党政権当時は為替は円高で輸出が落ち込み、関連する中小企業は倒産の危機に瀕し、GDPは500兆円割れまで落ち込み、求人が減って求人1名に対して2人の求職者だから一人は失職せざるを得ない状況でした。そんな悲惨な状況から安倍政権はアベノミクス経済政策適切に行い、GDPを50兆円拡大して、求人は全都道府県で倍率1以上、即ち働きたい人には必ず職がある状態にまで持ち直すことになったのです。」

横文字GDPはよく分からないが、国内総生産なるものが拡大すれば国民が豊かになっても不思議はない。大したものだと感心しながらも一応少し調べさせて頂いた。その点パソコンは便利である、GDPで検索すると政府統計をすぐ確認できる。http://ecodb.net/country/JP/imf_gdp.html実質GDPの推移で見る限り、民社党政権時代の2009~12年は472兆円から498兆円だから500兆円には届いていないが、それ以前500兆円を超えたのは2007年リーマンショック直前の504兆円だけである。

2017年4月までの統計は528兆円、12年498兆円との差は30兆円で、どう見ても50兆円増えているようには見えない。次に賃金のデータは細かく書かないが興味ある方は下記を参照願います。
http://www.nippon-num.com/economy/actual-income.htmlいつも書く通り経済音痴なので間違った統計を見ている可能性もあるが、平たく言って2012年から今日に至るまで賃金は上がっていないどころか下がり続けていると言っても過言ではないと思う。

IMF(世銀)のデータで2012年と2016年のGDPを比較してみると、日本はドルベースで1兆ドル程下がっている。アメリカは16兆ドルから18、5兆ドルへ、中国は8.5兆ドルから11兆ドルへしっかり上がっている。
https://www.globalnote.jp/p-data-g/?dno=8860&post_no=1409
素人が見ただけでも経済は劣化する一方が実態で、庶民の暮らしぶりが良くなろう筈がないように見える。

冒頭に掲げた最近の報道はどこかおかしい。日本経済や景気はかなり悪くなっているのではないか。政権当事者が嘘っぽいことを並べてるのは仕方が無いにしても、マスコミが政権の幇間を演じては困る。真実を分かりやすく伝えるべきだ。

2017年10月10日火曜日

連休最終日

運動会や遠足のシーズンになった。思えば昔の東京オリンピックは当たり前と言えばそれまでだが、本当にいい季節を選んだものだ。それをなんだ?昨今のオリンピックは商業主義に毒されて7月の末から8月初旬、スポーツには最悪の季節に行われるそうだ。正に本末転倒、石が流れて木が沈む世相の反映ここに極まるだ。そんなオリンピックを何故招致せねばならぬ。年寄りの大半はブラジルで行われた招致委員会最終日に猪瀬都知事や安倍首相の演説を聞いて、やめておいた方が良さそうだと思ったに違いない。そんな昔のことを飽きもせず書き綴るのは、しつこすぎて年寄りとして如何ものかであるのは百も承知だ。

話を変えて昨日の運動会・遠足日和のことを書こう。もうメディアでの選挙報道も飽きてきたので、昨日は絶好の日和を利用してハイキングに出かけた。目的地は奥多摩の少し外れにある「棒の嶺」池袋から西武線利用で行けるので便利と言えば便利。標高も千メートルに足りないハイキングにはもってこいの筈。過去3回行っているが悪いイメージが無く、年寄り向きと勘違いしてしまった。昨日も終日快晴で、天気には文句つけ用も無かったが、計画立案に少し難があった。

3回の経験を過信して事前に地図やガイドブックを参照するのを省いたために、山の登り降りの時間の見積もりが甘く、帰路のバス発車時刻がぎりぎりとなり、少し焦って駆け出す始末。連休最終日とあってハイカーも多く、静寂な山歩きとはいかなかった。登りは生後7か月の赤ちゃんを背負った山男の家族がいて、その慎重な歩みに合わさせて貰った。帰り道はバスの発車時刻ぎりぎりになり、最後駆け出さざる得なかったのは少し参ったが、山頂での遠望の素晴らしさと山の空気を思い切り吸うことができたのは有難かった。山歩きの詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1285289.html

2017年10月8日日曜日

権力の行使

今朝のTBS「サンデーモーニング」を観ていたら久しぶりに岸井成格(しげただ)氏が出演していた。スタジオ内で着席しながらソフト帽を被ったままだ。顔色はそうでもないが、少しやつれた感じがする。癌とは言いつつも、どこが侵されたか詳しくは言わなかったが、入院して放射線やら抗がん剤治療を受けていたとのこと。相当厳しい闘病生活だったのだろう。慶應では相撲部に所属していたとのことだから、若い時は元気だったろうに。少し年下なので、頑張ってもらいたい。

岸井氏は毎日新聞政治部の出身らしいが、テレビのコメントはバランス感覚に優れているように感じていた。但し、ネトウヨ連中からすると目の仇のようだ。一昨年の安保法制の時だったか、「ニュース23」に安倍首相が出演した際に何か厳しい質問をしたとかで、番組降板と取りざたされた記憶がある。但し、番組を視聴していないので実際に降板したかどうかは知らない。サンデーモーニングから消えたのもその影響か、なんて心配もしていたが、復帰は目出度い限りだ。早速今日も面目躍如と言うべきか、現在の政治或いは政治家だったかの劣化に関連して次のような話を披露した。婆さんが言うには「岸井さんは彼岸に渡る覚悟しているように感じた。」そうだ。

「5年半前の第2次安倍内閣スタート時、さしで会う機会があったので、失礼かとは思いつつ、私は思い切って二つのことを申し上げた。一つは、右翼的な言動を慎むこと。二つ目は昔宮澤喜一総理から教わったことでもあるが、権力は出来るだけ抑制的に行使するよう心掛けること。そしたら安倍さんは即座に『それは違います。私は権力を存分に行使して目的を遂行します。』と答えたことを今思い出します。」

これを聞くと成程ねとすべてに納得がいく。安倍さんは権力の私物化とか非難されているが、最初から確信犯なのだ。今回の選挙もその権力を手放さないための手段に過ぎない。「文句があるなら、俺の手から権力を奪ってみろ。」てなものだろう。政策を誠実だの愚直に訴えるが聞いて呆れる。結果が丁とでるか半とでるかは分からぬが、今度の選挙は少しでも投票率が上がることを期待したい。

2017年10月7日土曜日

ふくろ祭り

未だ小雨が降っていたが、昼飯を食いに池袋西口に行くと普段と違う交通規制が敷かれていて、今日は「ふくろ祭り」だったことを思い出した。既に大通りでは<よさこいダンス>イベントの実行中で、次から次へとチームがやってくる。昨年は見逃したかもしれぬが、今日暇なので立ち止まって何組か見とれてしまった。このイベント回を重ねて既に18回だそうだ。年々盛んになるようで今年も110組以上が参加しているらしい。

5チームのダンスを観ただけでも富山からの来たチームや、横浜から来た関東学院チームなんてのもあった。学園のチームは分かるが、富山から来ましたなんて皆さん、どのような繋がりで集い合うのだろうか?間近で観させて頂くと、相当な年齢差があるようにも思う。でも皆さん笑顔で息を合わせて華やかに踊ってくれる。観ていて楽しいし、少し羨ましくもある。人垣の最前列にベンチが用意されていて、子供3人連れた白人の家族が陣取っていたが、親父さんはスマホで動画を撮り、お母さんと子供たちが盛んに拍手していた。

富山から自弁で出てくれば幾ら掛かるのだろうか、なんて下種っぽいことを想像しながらも、自分が楽しみながら他人を楽しませるのだから偉いものだ、感心せざるを得ない。

他には空手の演武もあった。池袋には極真空手の本部があるのでお祭りを盛り上げるために駆り出されたのだろう。子供たちの演武も良いが、何かのチャンピオンと紹介された青年の演武は流石の迫力だ。両端を固定した野球のバットを叩き割るのも凄いが、仲間が手で支えているだけのバットいとも簡単に撫で切ってしまった。この流派の創始者大山氏はビール瓶を手刀で撫で切ったそうだが、この青年も真似出来るのかもしれない、なんて思ったりした。

池袋西口の氏神様は御嶽神社で、その御祭禮の神輿宮出しは9月に終わっているのだが、このイベントは週をずらして毎年この時期に行われる。どちらもそれなりに見応えがあるので、今年は今日偶然に片方だけでも観ることができてハッピーだった。

2017年10月6日金曜日

信濃路の秋

昨日は信州上田(丸子)で3歳年上の義弟の葬儀があったので行ってきた。上田は未だに本籍地だが、実際に住んだことが無い。父が5男だったので、早くに寺を上田から長野に変えて、生前自分で墓を建てしまったのだ。従って小生は土地勘が無いので、葬儀のついでは不謹慎とか縁起でもないとは聞くが、生涯教員だった義弟の盛大なお葬式(先生とは羨ましい職業だ)の後、絶好の秋晴れだったので、観光スポットを何ヵ所か義妹に案内してもらった。先ず上田、駅のすぐ近くにあるうどん屋の「中村屋」、ここで<馬肉うどん>を生れて初めて食した。父からも「上田では馬肉を<さくら肉>と称し、珍重して食べていた。」とは聞いていたが、実際に食べてみて成程と得心がいった。

メニューには定番の馬刺しから始まり多々あるが、代表が<肉うどん>580円とのことで、これを注文した。出てきたのは茶色の濃い汁の中の白いうどんは特に太くも細くもない、ごく普通に見える。その上に乗った肉片6枚か7枚くらい、何れも小指大で長方形に形が整い色は茶色一色、他にはパラパラと刻みネギが振られているのみで、見た目にはあまり美味そうに見えない。ところが、これが実に美味かった。一見固そうに見える肉が非常に柔らかいし、つゆ汁の味も何と言えず絶妙だった。

義妹の説明や卓上にあった説明書きによると、馬肉はどんなに煮込んで硬くならないらしい。汁も色のわりに塩気もきつくなく風味があるが、鰹や昆布などのダシは一切使わず馬肉を長時間煮込んだだけの汁らしい。何とも田舎らしい<うどん>ながら、地元の人が愛することがよく分かる。いわゆる名物とは少し趣が異なるだろうが駅からも近いし、駐車場も完備しているので旅行者にはお勧めしたい。その後上田城址にも足を延ばして、東郷平八郎元帥の揮毫になる赤松小三郎の石碑を見てきた。途中に<赤松小三郎生誕の地>の幟が沢山立っていたので、これも地元では知らぬ人は無いのだろうが、先日読後感を上げたばかりのように、つい最近知ったばかりだ。

上田駅から丸子の間には国分寺跡があり、更にその先には北國街道の宿場<海野宿>が保存されている。話には聞いたりテレビで観たりはしていたが、実際に足を運んだのは初めて。平日だからだろうか、とても静かで好い雰囲気だった。しかしここでは宿場の家並より白鳥神社に惹かれた。如何にも古びた佇まいで、境内の欅の大木2本は周囲8mとのこと。このお宮は平安時代、ひょっとするとそれ以前から産土神として祀られていた可能性があるらしい。現在の祭神は日本武尊、貞元親王、善淵王、海野広道公の四神。

新幹線開通でこの辺はすっかり寂れたのだろうが、12世紀の源平時代に木曽義仲が頼朝に呼応して木曽から京都に攻め上った際、この辺りが信濃源氏の集合場所となって義仲の旗揚げの場所とされているとのこと。隔世の感深いものを感じた秋の1日だった。

2017年10月4日水曜日

改憲問題

憲法改正を最も希望しているはずの自民党総裁は、解散後既に何度も街頭演説に立っている。ところが不思議なことに「憲法改正」を殆ど訴えない。逆に野党第1党になる筈の希望の党側が、民進党との合流に条件として憲法問題を持ち出した。おかげで自民党が口を閉ざしていても、マスコミはやたらに憲法問題を取り上げて騒ぎ立てる。この辺にも小池新党が自民党の補完勢力と言われる所以があり、それが当たらずとも遠くないのだろう。

このブログで何回も書いたが、憲法をまともに読んだこともないし、関心もあまり無い。70年以上の間、たまに地方裁判所から選挙区の区割りで違憲との判断が出たとニュースを聞くことがあるくらいで、庶民から憲法の使い勝手について変更すべきとの運動が沸き起こったことは無い。時の政権がたまに、現政権などは頻繁に、憲法違反を犯すことがあったが、マスコミは常に権力者に対しては寛容だから大した問題になることは無かった。

憲法については、国民が望むならいついかなる場合でも、チェックすること自体は悪いことではないだろう。しかし「北朝鮮問題で我が国の安全保障環境が変わった」を根拠に、マスコミが急に9条問題で大騒ぎするのは如何なものか。確かにまかり間違えば戦争に巻き込まれかねない環境が出現しているのは事実。悪くすれば年末から新年早々にかけて、アメリカの準備が整うなんて説もある。困ったことには違いないが、だからと言ってアメリカと共に戦うなんて馬鹿げたことだ。

先輩たちが敗戦を踏まえて「戦争の放棄」を憲法に書き込み、何を思って後世の権力者を縛ろうとしたのか、深く思いをすべきだ。「専守防衛」に徹し、一撃された後に個別的自衛の戦いを挑む場合と、最初からアメリカと共に戦いに赴く場合を比較した場合の差は何か?少なくとも被害だけで見れば大差はあるまい。何れの場合でもアメリカは参戦してくるだろうし、日本人の精神の高揚ぶりには相当な差が出るように思う。精神が気高くても、死んで花実が咲くものかと言う人もいる。

「日本の自衛隊は中国や北朝鮮の軍隊なんかに決して負けない実力を持つ。」と力説してやまない友人がいるが、戦った経験が無いのに、どうして断言できるのだろう?口論したくないので、いつも黙って聞き流している。しかし昨今は、若い人に同様の考えが多い様なので、偉そうに言いたい。「戦争は勝ち負けに関係なく、したら終わり。あのアメリカでさえ、ここ何十年勝ち戦なんか無いのではないか。」改憲の必要なんぞ全く無いし、こういう場合だからこそ和平への努力が必要の筈だ。

*親戚に不幸があって明日は信州に帰らねばならない。明日のブログは休み、今日も早めにアップする。

2017年10月3日火曜日

PAC3

テレビ朝日の新番組「サンデーLIVE!!」(朝5:50~)を少しだけ観た。日曜午前の社会情報系ワイド番組として、キャストの目玉に東山紀之氏を置き、早朝から電波を流して視聴者を獲得したいのだろうが、各テレビ局の激戦を勝ち残れるかどうか。ざっと観ただけでは、とても評価なんか出来よう筈もない。ただ1回目の1日放送の中で、東山氏自らが北海道の新千歳空港にある航空自衛隊基地に置かれているPAC3の部隊をルポしたのは興味深く観ることができた。

<PAC3>とは言うまでもなく北朝鮮のミサイル攻撃を想定した、迎撃用のミサイル(パトリオットミサイル)のことである。兵器ミサイルについて明確なイメージを描ける日本の一般人は少ないはずだ。小生とすれば、対空兵器として思い浮かべることができるのは精々高射砲のみ、航空機を撃墜するために開発された大砲と言うべきか機関銃言うべきか走らぬ。ともかく一人の人間が引き金を引いて鉄砲の球を打ち出す仕掛けだろう。

しかし飛来するミサイルもPAC3も航空機ではない。ピストルの弾をピストルで撃ち落とすようなものと聞いた覚えがあるが、そんな説明でイメージできるほど頭がよくない。イラン・イラク戦争当時バクダッド駐在経験のある元外務官僚の孫崎享氏は駐在当時パトリオットミサイル爆撃を大分経験されたとのことで、その被害状況を語っておられるが、ミサイルとは大砲と大分趣が異なる新しい地上攻撃用兵器が基本のようだ。日本人には未経験なので誰もその着弾被害は想定できないが、孫崎氏が言うには直径15メートル深さ3メートル近い穴が開き、爆風被害が半径300メートルに及ぶそうだ。

この被害が大きいか小さいかは別問題としよう。要するにコンピュータで制御されて射程は約20キロ、マッハ5(毎秒1.7km)程度のスピードで飛んでいくのが<PAC3>。一方北朝鮮が実験発射を繰り返しているミサイル大陸間を飛翔することを目指しているので、性能が段違いで上空数百キロを飛んでくる。スピードはマッハ7とも8ともいわれる。これをちっぽけなミサイルで撃墜なんて土台無理、が孫崎氏のお話。

孫崎氏だけを信じる必要も無いが、東山氏のレポートで理解できたことが幾つかある。<PAC3>は車の上に載ってはいるが、この車1台だけでは使い物にならぬらしい。演習を実演してくれたが、これを操作する部隊の1編成が30人。車両が5台だったように記憶する。発射台車両の他は電源車、計算用のコンピュータ車、総合指揮車、もう1台あったと思うが、多分無線コントロール用ではなかったかな。

これがゾロゾロと格納庫から出てきて、各車両の無線を確認して、本部から来る飛翔体のデータに合わせてこちらの発射角度を決め、指揮官の指令を待って発射ボタンを押すだけ。東山氏が隊長に質問した。「これでミサイルを撃墜できますか?」隊長応えて曰く「ハワイでの実験では撃墜に成功しました。」この兵器が幾らにつくか知らぬが、昨年度から全国に配備が進められている。Jアラートも同じで、こんなクラシック兵器を大量に買い込んで「これで子や孫が安心の施策」と言われてもなぁ。

2017年10月2日月曜日

読後感「観応の擾乱」亀田俊和著

前回読後感に引き続き室町時代の歴史に関する書物である。小説でない歴史書は読むのが難儀でもある。人名と年代が新旧取り混ぜて次から次へと出てくるが、これを順序良く頭に入れるのが先ず一苦労。とても間に合わないので、第6章までをいい加減に読み飛ばし、第7章に当たる<終章>と<あとがき>を少しじっくりと読んで<はしがき>を読み直してみた。

それで内容が半分くらい理解できたかと言えば、とてもそこまでは行っていないだろう。最後部に関連年表が12頁付いているが、読む気にならなかった。<観応の擾乱>は高校の日本史に必ず出てくるようだが、年表を読まなければ落第点だろう。従って読後感も極めて中途半端になららざるを得ない。

擾乱の主人公は足利尊氏。1358年に55歳で亡くなっているので当時としては比較的長生きした方だと思うが、前半生における活躍、即ち後醍醐天皇を奉じての鎌倉幕府成敗と、その後醍醐天皇と袂を分かち北朝の光明天皇を奉ずる仕儀になった経緯などは触れず、いきなり南北朝時代(1336年)となり、室町に置かれた幕府の権力組織と構成員、そしてその内部抗争に話が入っていく。

そもそも天皇が二人いて元号まで二通り存在した南北朝時代とは何か?尊氏から見れば天皇は二人とも自分が祭り上げた人ではないか。何故そうならざるを得なかったが分からない。ただ幕府は行政機関として全国に目配りしなければならぬ。その裁量権(知行充行)に与るのが武士たちだろうが、日本の国土は広いようで狭い。戦が終わるたびに知行の再配分が行われるが、これが大変だったようで、領地に絡む訴訟や実力行使があちこちで絶えなかった。

足利尊氏が最高責任者ではあったが、当初はその論功行賞などを弟の直義に任せていたらしい。任された直義とて人の子、陸奥から薩摩の果てまでの土地生産性を知る筈が無かろう。下に執事とか業務遂行人が置かれても、末端においては、この土地は誰それのお墨付きとの諍いが多発したのは容易に想像できる。そのことがまた上位者に跳ね返り、結局は大きな内紛に至る。

ごく大胆に割り切れば、観応の擾乱とは原因の下地にはそんなこと(高級武士階級の欲ボケ)がありつつ、尤もらしい名分をかざし、1350年から52年にかけて全国規模で発生した足利幕府統治下での内輪もめ(当時の武士階級は今に至るも名字が残るように、皆親戚だったり、同僚だったりするのだ)とも言える。国民から見れば、お米の収奪者である殿様同士が殺し合いをしているのだから、勝ち負けは関係無く、騒ぎそのものが迷惑だったに違いあるまい。

兎も角、室町時代の初期に出現した足利尊氏は典型的日本武士として、現代に大きな影響を及ぼしていると思う。また、出現した武士たちについては室町後期以降の戦国大名ほどには人口に膾炙していない。就学前に「楠木正成・正行父子」を盛んに吹き込まれたが、現代っ子には全く通じないだろう。むしろ今に至るも700年と同じように、国民不在の権力闘争をを見ると、歴史は繰り返すことを実感する。