2010年3月30日火曜日

年金定期便

久し振りに春らしい陽気が戻ってきた。咲きかけて余りの寒さにびっくりした桜の花も、これで一気に満開に向かう事だろう。昨日年金機構から「厚生年金加入記録のお知らせ」なる書類が届けられた。前政権時代に来たものは読む気にもならない不親切なものであったが、今回は雲泥の差、月とすっぽんとはこの事だろう。当然皆さんのお手元にも同様の書類が届けられているか、届く事だろう。

記録を見ると、己の来し方が相当明確になるのである種の感慨が湧いてくる。国民年金の加入資格を得たのが昭和36年4月、資格を喪失したのが平成12年4月となっている。その444カ月の加入期間について国民年金と厚生年金及び厚生年金基金の納付実績が月別に分かる仕組みになっている。昭和38年就職して最初の月収が1万6千円、平成12年3月資格喪失直前のそれは59万円となっている。もっともらっていたと思って聞いてみると限度額らしい事も分かった。

サラリーマン時代はいろいろな会社を転々としているので、ところどころ穴があいている(未納)のも面白い。昭和36年4月から昭和38年4月に就職するまでの24カ月は未納となっているが、父が代わりに納付していたなんて事はないのだろうか?これも聞いてみると社保庁の記録では未納になっているとしか答えようがないらしい。

他にも疑問がいくつかあったので、早速電話で問い合わせをしてみたのだが受け答えが実に良い。民間とは言え流石長妻大臣指揮下にある会社だと感心した。ここで明らかになったと言おうか小生が初めて知った事を書いておく。
問「ボーナスから引かれた保険料が1回も記載されていないのはなぜですか?」
答「平性○年迄は法律で、ボーナスから引かれていた保険料は加入者の保険料として加算されず、国庫に丸々編入されてしまう仕組みになっていましたのでご了解いただくしかない。」のだそうだ。こんな事を知らなかったのは小生だけだろうか?

就職するまでの24カ月の未納期間について
問「年金機構で未納を証明する事も難しいし、こちらで納付を証明するすべもない場合はどうするのか?」答「一応お調べして、そのような形になったら第3者委員会に届けて頂き、その裁定に沿って頂く事になります。」
納付と認定されれば、例え少しでも給付年金に跳ね返る事になるのだそうだ。面白いからやってみようかという気になる。

何れせよ10数年も前に辞めた会社に連絡して、後輩の声を聞いたりして懐かしい思いが甦った日だった。

2 件のコメント:

gionbayashi さんのコメント...

そうですか。 よく出来てますね。
私のは534ヶ月。昭和36年(就職)からで、学生の頃は年金支払い不要だった? 海外勤務は東京本部扱いで全部で12行(ぎょう)。
切れ目無し。 「OKです」と返事したらその後何も連絡なしです。

senkawa爺 さんのコメント...

gionbayashi さん
コメントをありがとうございます。
534ヶ月は凄いですね。国家に多大な貢献をされておられる事に敬意を表します。私と同じ年のお生まれかと思いますが、私は60歳でさっさと年金を頂く側に回ってしまいました。
もし同じ年(1940年生まれ)であれば、最初の24カ月について学生でも支払い義務があったようです。
私は日記にも書きました通り、自分ではもちろん支払った覚えはありません。或いはと思いますが、既に両親共亡くなっていますので確認の仕様がありません。